日本学術会議は間違っている
少し前の記載で「学問の自由」と「大学の自治」に触れた.この2つ,特に「学問の自由」との関連で私が気になるのは,日本学術会議が出した「軍事的安全保証研究に関する声明」(2017.3.24,幹事会採択)である.この声明は,防衛装備庁が発足させた「安全保障技術研究推進制度」に対応している.「安全保障技術研究推進制度」は防衛技術と民生技術にまたがる(デュアル・ユースの)基礎研究の競争的資金に,大学等の研究者が応募できるようにした制度である.日本学術会議は(後述するように曖昧な点があるものの)研究者がこの制度に申請することをブロックする方向の立場を表明した,といってよい.実際には大学等が申請を審査し,防衛力技術にかかわる研究は却下する方向で圧力をかけているように見える.
私見の結論を先に書いておこう.日本学術会議は間違っている.日本学術会議の誤りは次の3点にある.第1は科学者コミュニティの意向があれば研究者の研究の自由を奪えると考えたことである.その結果,日本学術会議は政府と正面から協議せずに,大学等の内部で研究の自由を侵害する恐れのある裏口対応をとろうとしている.第2は科学技術の知識そのものの獲得を制限しようとしたことである.科学技術の悪しき適用の回避は適用行為への規制によって行うべきであり,研究の自由を侵害して知識そのもの獲得を規制するのは馬鹿げている.第3は政府の役割についての誤認である.声明は,正当な政府の介入を否認すると理解されかねない論調をとっている.科学への規制は政府の正当な役割である.
以下で少し詳しく述べよう.
安全保障技術研究推進制度
2015年度から防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を発足させ,競争的研究資金を公募で提供することにした.
http://www.mod.go.jp/atla/funding.html
当初,この制度ができたことを私は小耳にさんではいたが,特に興味は覚えなかった.しかし2016年にマスコミに「軍事研究の予算が云々」といった記事が登場した.どれどれと思って防衛装備庁の上記サイトを眺めてみた.
この制度は,大きなテーマを出してそのテーマに合う研究を公募する.公表された募集テーマを見ると私には一般の工学的テーマに見えた.兵器の開発のような話では全くない.なのに防衛装備庁がなぜ公募するかというと,「防衛技術と民生技術のボーダレス化」,「防衛技術にも応用可能な先進的な民生技術、いわゆるデュアル・ユース技術を積極的に活用する」ということが趣旨であるという.
公募のテーマは,今年度の公募要項でいえば次のようなものである.
(1)量子通信・量子暗号に関する基礎研究
(2)ソフトウェア耐タンパー技術に関する基礎研究
(3)意図的に組み込まれたぜい弱性に対するサイバー防護技術に関する基礎研究
(4)人と人工知能との協働に関する基礎研究
…
(28)革新的なモータの実現に資する基礎研究
私には止めるべき研究テーマには見えない.「軍事研究」とも見えない.通常の基礎工学的テーマに見える.同じような研究テーマは科研費による研究の中にも多くあるだろう.
採択の審査は学者の委員会が行う.審査の観点も防衛設備庁が公表している.採択されたテーマは,長くなるので書かない.これらの点については上記サイトの資料で参照できるので,興味があればご覧になるべきだろう.
学術会議の声明
安全保障技術研究推進制度に対応し,日本学術会議は2017.3.24に「軍事的安全保証研究に関する声明」を出した.
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-s243.pdf
この声明の件がニュースとして流れたとき,私もその声明を眺めた.
声明の中身は上記でご覧いただく通りである.私の感想では,この声明文はstructureが練れていない.たぶん,会議の協議中に加筆削除を繰り返したためだろう.私なりにトピックセンテンス作ってアウトラインを示せば,次のようであると思う.
第1段落:過去の「戦争を目的とする科学の研究は行わない」とする2つの声明(1950,1967年)を継承する.
第2段落:軍事的安全保障研究では政府による研究への介入が強まることが懸念される.
第3段落:防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」では政府による研究への介入が著しく,問題が多い.
第4段落:軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究には技術的・倫理的に審査する制度やガイドラインを設けるべきである.
第5段落:日本学術会議はこれからも頑張る.
学生がこういう文章を書いてきたなら,多くの大学教員は『理科系の作文技術』(木下是雄)でも読めといって突き返すだろう.出来が良くない.
この文章は次の欠陥を持つと私は思う.
第1に,第1段落にある「戦争を目的とする科学の研究」と,その後の段落にある「軍事的安全保障研究」の関係が分からないことである.「戦争を目的とする科学の研究」の方は,「行わない」という声明を出し,その声明を継承しているから,行うべきでない研究と2017年声明は規定しているはずである.しかし「軍事的安全保障研究」については,この声明を採択した時点での学術会議会長大西隆氏によれば,「声明では軍事的安全保障研究への取組みの是非自体について言及していない」という.
http://www.fng-net.co.jp/top_itv/elem/20170522
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/031500046/040600006/?P=1
この点は声明本文をご確認いただきたい.つまり,「戦争を目的とする科学の研究」と「軍事的安全保障研究」は,関係はあるのだろうが,その関係はよく分からないのである.ただし,「戦争を目的とする科学の研究」と「軍事的安全保障研究」は素人には似たようなものと映る.そして冒頭第1段落に「戦争を目的とする科学の研究は行わない」とあるのだから,キャリーオーヴァ―効果が生じ,多くの人は「軍事的安全保障研究も行うべきでない」と声明は述べていると解するだろう.この詐欺的表現が紛らわしい.
「戦争を目的とする科学の研究」と「軍事的安全保障研究」の関係を示すか,示さないなら第1段落を削除すべきだった.
第2に,なまじ第2,第3段落があるために,軍事的安全保障研究がまずいのは政府の介入が強いことであるといっている印象になる.だから政府の介入が緩和され,研究者の自主性が確保されれば軍事的安全保障研究はOK,という印象も与えてしまう.軍事だから悪いという意味の文言はあるが,軍事でなぜ悪いかの論拠は書いていないのである.
第3に,声明は「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究」の審査を主張するが,どのようであれば「可能性がある」と判定するか,誰が見なすのか,何をまずいことと考えて審査するのかが,分からない.
私が抱いた全体的な感想は「なぜこんな不完全な文章を出したのか?」である.
以下,各段落についてコメントしたい.
第1段落:この段落を見て分からないのは,第1に「戦争」とは何か,第2に「戦争を目的とする科学の研究」とは何か,である.
まず「戦争」について.古典的な意味での戦争は,国家間の,宣戦布告を伴うものである.太平洋戦争などはその定義に当てはまる.しかし一定期間続く武力衝突があれば戦争ということもある.また,純粋な防衛も戦争というかどうかは,人によるだろう.「自衛戦争」という言葉を使っていた日本共産党の立場では防衛でも戦争である.私が調べた中では,軍事的安全保障に否定的な学術会議関係者は日本共産党の意味で声明の戦争を考えていた.しかし憲法9条の判例では,戦争を放棄するという条項にもかかわらず,自衛の措置はとれるといっている.だから自衛の戦いは戦争とは別という解釈も可能である.
「戦争を目的とする科学の研究」にも,解釈可能性は3つのレベルがあると思う.「目的」とは誰の目的か,という問題もあるけれど,ここでは研究者が目的とするものと考えよう.まず第1のレベルは,「研究者が戦争の遂行を意図して行う研究」という意味である.第2のレベルは,「戦争遂行に使う意図はないけれど,もしかしたら戦争に使われるかも知れないという認識を研究者が持った研究」という意味である.第3に(笑い話のようであるが),「研究者には戦争遂行の意図も利用される可能性の認識もないけれど,誰かが『利用される可能性がある』と考えるような研究」という意味である.
元の1950年と1967年の声明を確認してみた.
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/01/01-49-s.pdf
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/04/07-29-s.pdf
しかしこの2声明は6行と12行の簡単な文章であり,上記不明点の手がかりはない.1950年声明は「戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する」とする.この文の少し前に「再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望する」とあるから,太平洋戦争,つまり宣戦布告を伴う古典的な戦争を念頭に置いていると考えるのが自然である.しかしそんな経典解釈をしても始まらない.
1967年の声明の表題は「軍事目的のための科学研究を行わない声明」であるが,「軍事目的」の言葉は本文にはない.あるのは「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という,1950年声明の繰り返しである.1967年声明が出た経緯はくだらない.声明文の中に「米国陸軍極東研究開発局」云々とある.どうも何かの会議の旅費がその米国陸軍機関から出ていたと分かってもめて,その始末としてこの声明を出したらしい.
「戦争」が何を指すか,「戦争を目的とする科学の研究」が何かは,結局分からない.
第2段落:この段落は「政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある」という.
しかし「懸念がある」は「意見」であり「事実」ではない.「事実」の論述の上に「意見」を書くという科学文書の原則を守っていない.「書き切れない」というならこの段落は削るべきだろう.どのみち本筋を外れた議論である.
第3段落:この段落は特に安全保障技術研究推進制度について「政府による研究への介入が著しく」と書く.が,やはり「事実」を指摘できないなら書かない方がよい.なお,防衛装備庁はこの競争的資金についてサイトに次のように書いている.
>本制度の運営においては、
>・受託者による研究成果の公表を制限することはありません。
>・特定秘密を始めとする秘密を受託者に提供することはありません。
>・研究成果を特定秘密を始めとする秘密に指定することはありません。
>・プログラムオフィサーが研究内容に介入することはありません。
防衛装備庁サイトの説明を見ると,研究のチェックは科研費並みと思う.問題があるとは見えない.
ただ,仮に学術会議がいう政府の介入があったとしても,問題ではないだろう.研究者全員がこの制度で研究をしなければならない訳ではないからである.嫌なら申請しなければよい.条件に同意して申請する研究者がいるなら,他人が口出しする筋ではない,と普通は考えるだろう.
第4段落:この声明はこの段落だけで十分と思う.
第5段落:この段落はなくてもよいが,あって悪い訳でもない.「科学者コミュニティが社会と共に真摯な議論を続けて行かなければならない」と書くのはその通りである.ただ,社会との議論をどのように行うかは,この声明では見えない.学術会議と大学等の中だけで,つまり内輪で「軍事的安全保障研究」申請への措置を講じようとしているように見える.社会と議論するなら,仲間内の措置を超えた話し合いの計画を示すべきだったろう.日本は民主主義なのだから,国民から選ばれた政府と,まずは協議すべきと思える.
日本学術会議はどこで間違ったか
この文書の冒頭2段落目で,日本学術会議は3つの間違いをしていると私は書いた.その間違いについて述べてみる.
1.日本学術会議は科学者コミュニティの意向があれば研究者の研究の自由を奪えると誤解した
学術会議は1950年以来,「戦争を目的とする研究」をしない決意を表明している.その決意表明は結構なことであり,思想信条の自由と表現の自由が保障される限り,その決意と決意表明は何者も止めることはできない.ただ,決意表明とは法ではなく,そのように決意する人の考えの表明である.そう考えない人の別の決意を阻止できるものではない.「戦争を目的とする研究」が「軍事的安全保障の研究」でも同様であり,そのような研究をすべきでないとする決意と決意表明は結構なことである.ただ,そう考えない人の研究の自由を奪うことはできない.その「できないこと」を,学術会議は大学等に求めているように見える.だから学術会議は間違っている.
2017の学術会議声明は安全保障技術研究推進制度に批判的な言及をする.その言及による声明は大変結構としても,そこから研究計画の検閲のような審査を考え,場合によっては申請をブロックすることを考えたのは,自由主義社会の原理に慣れた人が自然に発想することとはとても思えない.研究の自由を奪う事態を招くからである.
科学技術がどうあるべきかを科学者が考えることは自由であり,発言も自由であり,その発言は世論の育成に貢献するはずである.が,科学技術がどうなるべきかを「決める」のは社会,国民であり,科学者が決める訳ではない.特に税金による科学予算の使い方は国会(ないし地方議会)の予算審議によって決定される.科学者コミュニティが研究者の研究の自由を奪えるのは,その研究が非合法であるか,社会規範に反する場合である.しかし安全保障技術研究推進制度の予算は国会承認を経て成立したはずであり,国民の支持を得ている格好になる.合法である.また自衛隊が装備を持つことも世論の支持するところであり,自衛隊装備の向上に資する科学的な貢献は社会規範に反するとも考えられない.だから,研究者個人が安全保障技術研究推進制度の研究を申請することを阻止するのは,研究の自由の避けるべき侵害以外の何物でもない.
もし安全保障技術研究推進制度を廃止すべきと考えるなら,あるいは修正すべきと考えるなら,国民に訴えるのが筋である.現行制度ではまず,民主的手続きで選ばれた政府に協議を申し入れるのが普通の発想である.国大協は大学予算を増やすことを自民党代議士らの議連に申し入れている.学術会議も同じような申し入れをすることをなぜ考えなかったのか,理解できない.
申し入れでは生ぬるいというなら,安全保障技術研究推進制度の差し止めを求める訴訟を起こし,国民への議論の周知を目指すべきだろう.家永裁判の訴訟は,中身の是非はあるとしても,方法として正道だった.
2.科学技術の知識そのものの獲得を制限しようとした
声明における日本学術会議の発想がおかしいのは,軍事にかかわる科学技術の獲得そのものを規制しようとしたことである.声明は何を排除すべきかについて曖昧な点が多いが,デュアル・ユースを否定する論調があるくらいだから,何らかの形で軍事への転用が可能な技術に研究者は携わってはいけない,という趣旨に日本学術会議は落ち着くだろう.しかし,何につながる可能性があるとしても,知識の獲得そのものを学術会議が阻害しようというのは異常である.科学技術を基盤とする社会にあっては,科学的知見を得る行為を拘束するのは愚かである.
私見では,科学の知識や技術そのものに目的がある訳ではない.目的は人の認知作用の中にある.だから,社会的に有害な科学技術の適用を回避するのは,適用する行為の規制によって行うのが正しい.そのために政府は各種の規制を行っている.そして,知識自体はあってよいのである.核兵器や生物化学兵器に関する知識も,それらを使う相手からの防御を見出すために有用といえる.その意味で,核兵器の研究の容認を唱えた石破茂の最近の提起は正しかったと思う.
まして,いわゆるデュアル・ユースの科学的知見とは,既述の安全保障技術研究推進制度の公募テーマのように,明らかに利用の範囲が広い.デュアル・ユースまで否定するとなると日本の科学技術の優位性はたちまち崩れるだろう.
テロリストや北朝鮮のようなならずもの国家に兵器,特に大量破壊兵器が渡ることを規制するために,日本をはじめとする主として先進国の27か国は輸出規制を行っている.日本では安全保障貿易管理と呼んで,多くの品目の輸出規制を行っている.大学ではこの安全保障管理のための規則を作っているから,ご存じの方は多いと思う.
http://www.meti.go.jp/policy/anpo/seminer/shiryo/setsumei_anpokanri.pdf
この安全保障貿易管理で輸出規制がかかる品目は実に多い.規制の1つであるリスト規制でリストアップされる品目のカテゴリーだけ並べると次のようになる.
1.武器 2.原子力 3.化学兵器 3の2.生物兵器 4.ミサイル
5.先端素材 6.材料加工 7.エレクトロニクス 8.電子計算機
9.通信 10.センサ 11.航法装置 12.海洋関連 13.推進装置
14.その他 15.機微品目
つまりもともと軍関係で発達したコンピュータ,原子力,計測機会,GPSを始め,分野として「工学」,「材料科学」の技術を使う品目は網羅される.規制する技術を何と定義するかによるが,「軍事につながり得る」という基準で考えれば,主要な科学技術の多くは含まれる.それらの研究が
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