国立大学の設置形態を見直す議論が出始めたのは1990年代の終わり辺りであったと思う。審議会情報に詳しい方から「国立大学の独法化は避けられない」という話を聞いたのは1999年の暮れ頃だった。表面的にはその後も、国立大学の設置形態に関する議論は続いていた。民営化の恐怖に慄き、「民営化されたらこの前買ったマンションのローンが払えなくなる」という悲鳴が教授会で木霊したのもその頃である。実際の法人化の直前に、独法ではなく国立大学法人になることが決まり、よく分からぬままに法人化となった。
その間、私はずっと、国立大学は民営化した方がよい、と考えていた。基本的には今も同じである。
理屈の上では国立大学は民営化してやって行ける。教員数:学生数の比率をとれば、国立大学は条件の悪い私大より数倍、教員が多い。ということは、学生数を2、3倍にすれば(志願者が埋まるなら)、交付金なしでも大学の予算は組めるようになる。むろん、それだけの学生を収容する建物を作るのに借入金は必要になる。また、結果として競争力の弱い地方の私大は、全国的に、ほとんど入学者がいなくなるだろう(一大学が考えることではない)。入学する学生の質が以前に比べて悪くなるのは必然である。それでも、それまでの授業料収入が得られれば、従来の予算は組める。
むろん、ことはそれほど単純ではない。
国立大学はこれまで、毎年度の予算をその年度で使い切る、という運営をしていた。いわばその日暮らしで生活していた。その間、有名私大は資産を形成してきたのである。だから、その資産を前提に長期的な計画が立てられる。資産のない国立大学は、毎年の予算は何とか組めても、それ以上のことはできず、競争はできない。
また、国立大学がもらってきたのは、実は運営費交付金だけではない、ということを、後から知った。なるほど、国立には、見えにくいけれども、旨みがあったのである。
以上の点を考えると、なぜ国立大学が民営化を恐れるかが分かるような気がする。
ただ、そうした問題が解決できるかどうかは、やりようであろう。リスクはあるが、経営には本来、リスクがあるものだ。
逆に国立大学であることのデメリットもある。私にとって耐えがたく感じたのは、大学の在り方が役所によって決められてしまうこと、その結果、トップの大学に挑戦することがランクの低い地方国立大学には許されないことである。トップを目指せないなら大学として存在する価値はない、潰れてよい、と私には思えた。
あんたらの大学がトップに挑戦できないのは実績の結果だろう、競争の結果なのだから仕方ないではないか、という人もいるかも知れない。だが事実は異なる。重点化大学が法人化前にあれだけもらうものをもらえば、差が出るのは理の当然である。フェアな競争の結果などであろうはずはない。何よりも、ウチらの大学が競争的なスタンスをとることを、役所は終始一貫認めなかった。
役所の枠を外し、プランを片手に資金を集め、捲土重来、トップに挑戦する。それを可能にするのは民営化しかないのではないか。私にはそう思えた。
今回の給与削減話は、国立大学であることの別のリスクを示したといえる。なるほど、交付金を一方的に削減して兵糧攻めにすれば何でもできてしまう。2年後に給与削減分の予算が復活するかどうかも、何とも言えない。
民営化以外に捲土重来のチャンスがあるとすれば、地方分権化が実現する場合だろう。道州制なら一番分かりやすい。科学技術庁や文化庁なら国にあってよいが、学校・大学の管轄は州になる。州単位で地方国立大学を統合すれば(むろんかなりの削減はするけれども)、総合大学と言える規模の大学は作れる。その州立大学がトップを目指すかどうかは、州政府の判断である。国の判断よりは始末が良い。しかる後にトップを目指す。
今後、チャンスがあるとすれば、この道しかないように思える。機会があれば、面白いだろう。馬鹿みたいな連携は、やってもやらなくても同じであろう。
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はい、皆さま。こんにちわー。はい。亀次郎でございます。東松山亀次郎でございます。東松山、カ・メ・ジ・ロ・オーでございます。一家に一台亀次郎。晩のおかずは亀次郎、の、ヒガシ松山カメジローでございます。ほほほほほ。西荒川県唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創生学部の元学部長の、東松山亀次郎でございます。ほーっほっほっほっほ。
はい、そういう訳で、そうですね。この前のお題が「統合」でしたからね。今回は、まあ、刺激を避けて、いろいろ嫌われていますからね。そう、「連携」でございますかね。はい。連携。
まあ何ですね。例の13○億の件で、ウチの西荒川大学は外されたもんだから。今さら何だ、の話ですがね。連携って、何が考えらえるかと、部局に問合せをしているんですわな。間抜けな話です。ウチだけが情報を取れなかったのか、どこもこんなものなのか。そこは分りませんけれどね。しかし今頃意見を集めて、13○億の話に間に合うものではなく、何のためなんですかね。内部の意見はこうだ、ぐらいのことが分らんと、○○会議にも恥ずかしくて行けないって、それだけのことですかね。
例の13○億の件は、他の大学は連携で用意していたところが多いはずですわ。しかし、どの程度のことを考えていたのか? 大体は付け焼刃のはずですが。まあ、蓋を開けてみないと、分らんですね。はたして、そのお金が美味しい饅頭なのか、毒饅頭なのかも分らない。
まあ、連携って、何か考えがあるかと言われれば、出ることは出ますよ。今でも、まあ、やることはやってはいる訳ですよね。死にかけている北の○大学連携とか。話だけだった南の○大学連携とか。○立大学とのしょぼい連携とか。すがるようにやっている○大との連携とか。ウチの部局でも、やるだけはやっていますわ。ただどれも、その程度でどうなる話でもないですよね。
まあ、例えば、他大学の部局との共同ナントカの設置とかね。あり得ることですよ。やれと言われればやってもよい。ただ、経営体が別で共同のナントカというのは、設置した後が難しいですわな。そりゃ、設置以前の段階から、メリットがあればやる、と相互に思っているだけですと、実はその程度で大したメリットはない、しかし運営にいろんなコストがかかる訳ですよね。その場をしのぐことだけが目的ならいいですけどね。
やるんだったら素直に統合しかない、と私は前から言ってきました。そうでないと、先が見えない企画になるしかない。制度上も運営はかなり繁雑になりますわ。
今となっては信じられないかも知れませんが、今の学長が立った時には、大きな柱として「連携」を掲げていたんですよね。「ネットワーク」とも言ったか。まあ、「統合」と言って学長選に出られる訳ないですから。ただそれで、現学長になってからは、この前にも書きましたが、最初の頃は考えがあった訳ですよね。そこからが、まあ、いろんなことがあったんでしょう。みんな嫌がったんでしょうな。統合といったことは今中期にはなし、となった。その後も「連携」を考えない訳ではなかったですが、そもそも「連携」して何をするかのアイディアもなかった訳ですから、段々萎んでお終いになりましたわな。その後は、まあ、しょぼい連携の痕跡はありますが、大した話はない。いつしか、最初から「連携」などは考えていなかったような勘違いが支配的になりましたわな。
今さら、なぜ「連携」を考えなかったか、なんていう人もいますがね。そりゃ、あんた。自分の前任者か前々任者が何を言ってきたか、確認しなさい、という話ですわ。統合恐怖症みたいになって、統合につながりそうな話には背を向けてきたんでしょう。統合などと考える危険分子も意思決定から排除してきた。今さら何を言うことがありますか。
私に聞く人もいませんが、聞かれればこういうでしょうね。きっぱり統合するか、アンブレラしかないですよ。それ以外は時間の無駄無駄。
今のままではね。多正面作戦をやってどの戦線でも負けるだけですよ。教育のグローバル化といって、この教員、職員の人員でできるんですか。国際対応の職員も純減ではないのですか。誰がやるんですか。全学体制を作るために部局はポストを拠出しますか? 結局、どれも嫌なんじゃないですか?
ウチ程度の小規模大学は、戦線を限定して戦うか(大学そのものの機能分化)、さもなくば統合でもするしかないですよ。まあ、何もしなくても、ある程度は持つことは持ちますけれどね。ある程度は。
それにしても、例の13○億の件では、どんな話が出るか、見ものですわな。ほほほほほ。繰り返しますが、どうでもいいような連携にお金を付けることになるような気がしますけどね。その後で、この予算枠は次年度からなくなるか、大学間再編につながることだけにお金を付けるようになるか、するんでしょうね。いやぁ。興味は尽きませんな。ほほほほほほ。
(この記載は近未来を舞台にしたフィクションです。)
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はい、皆さま。ごきげんよう。亀次郎でございます。亀次郎でございます。東松山亀次郎。東松山、カ・メ・ジ・ロ・オー。何はなくとも亀次郎。一家に一箱亀次郎、の、ヒガシ松山カメジローでございます。ほほほほほ。西荒川県唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創生学部の元学部長の、東松山亀次郎でございます。ほーっほっほっほっほ。
はい、そういう訳で、今日もまた、何かお話をいたしましょう。まあ、今ですからね。話題は、あの、13○億円の件ですかねぇ。まあ、あれって、年末にお上から文書が出て、国営人民大学の統廃合もあり、というニュアンスでした。大学群とか、アンブレラとか。その後、統廃合の話はなぜか消えて、あのお金、何でもいいような話でありました。教育省が知らぬふりで話を進めるのかなぁ、という感じでありました。しかし財政省が怒り心頭のようで、ここに来て最初に戻った、ってことなんでしょうね。
5月に政府から何かが出て、それで方向性が決まるということのようであります。けど、まあ、政局もよう分りませんし、お上の方に何か、アイディアがあるかどうかも、疑問ですよね。私の予想では、まあ、どうってことない、馬鹿みたいな連携にお金を付けて行くんですかな。しかし、予想に過ぎませんから、よそう、なんちゃいましてね、ほほほほほほーほほ。
まあ、私が部局長になった頃は、道州制の流れがありましたから、統合とは言わないまでも、高度な連携、ということは、上の方で考慮の対象ではありました。ところが、すぐに思考停止してしまった。曰く、北の方で統合になるか南でなるか分らんから、プランを考えることはできない。そりゃまあ、可能性が1つに決まっていればやりやすいですけどね。でも、それなら、北の方に進む時のプラン、南の方に進む時のプランを考える話であって、そこで思考停止することはなかったですよね。そう言っても、聞く耳を持つ人はいなかったですな。
まあ、嫌だったんでしょうね。執行部が、というより、皆さんが。統合なんて飛んでけぇ~、という発想だったんでしょうな。
しかしまあ、何もプランはないです、はまずいよね。可能性はつないで、案は持っていないと。何もないです、ではダメでしょう。
怖いのは、もし本気で再編の流れが出てきたとき、孤立し、流されるだけになることですわ。
それにまあ、このまま、じっとしていればやって行けると思うかどうかですわな。何か大きなことに参入する資源が、どっちみち、ない訳ですよね、現状では。
どういう統合かによりますが、統合というのは、強い部分には資源が呼びこまれ、弱い部分は潰れて行く、そういうスキームですよね。嫌ではありましょうが、伸びられるものがあれば統合によって伸びるチャンスは生まれる。でもそのチャンスをポジティヴに受け止める発想はない訳ですね。弱いからでしょう。でも、どのみち、弱いままでは消え去るだけですよね。
まあ、どうなるか、何が出るかは、分りません。大したものが出るのかどうか? まあそこは、たたたた楽しみですな。ほほほほ、ほ。
(この記載は近未来を舞台にしたフィクションです。)
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はい、皆さま。ごきげんよう。亀次郎でございます。猫次郎ではございません。亀次郎でございます。東松山亀次郎。東松山、カ・メ・ジ・ロ・オーでございます。西荒川県唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創生学部の元学部長の、東松山亀次郎でございます。ナンジャラスタンではございません。西荒川大学でございます。西荒川大学の、東松山、東松山ぁーの、亀次郎でございます。ほーっほっほっほっほ。
はい、そういう訳で、そう、元学部長としましては、まあなんちゅうか、いろいろありましたしね。終わりの方でも、かなりのことが。という訳で、まあ、回顧録でも残したいところでございますけど。けど。けどね。誰も関心ないですからね。まあ、なんちゅうか、こういうことで、まあ、あくまでフィクションの世界でございますけれどね。そういう訳で、いろいろ、ああだこうだと、いっておきたいような、みっともないからやめときなはれ、と言われますけれど。まあ、いうだけタダでございますしね。まあ、まだ結構、アクセスがありますしね。期待もあるような、でございますしね。まあ、お話しておきましょうかね。ほっほっほっほ。ほーっほっほ。
まあなんでございますね。今に通じることでございますけれどね。私が学部長になったンーン年前ですかね。その頃にね。まあ、よせばいいのに、とは言いませんがね。役員や部局長が集まって、将来構想のなんたら、という会合をよくやりましたな。それまで、大学の基本方針がないから、ということで、基本方針をどうしましょうかね、ってな会合でしたわな。決まった方針と言うのが、まあ、なんでもやります、全分野で、全学問領域で頑張るって方針ですから。なんですわな。何かを決めたっていう感じは、言いませんでしたけど、まあ、全くなかったですね。ほっほっほ。
でもまあ、今はね。あれだけが残っていますけれどね。実はその当時、ちょっとした仕掛けがあったんですわな。あらゆることをしませって、そんなこと、この大学でできますかぁ、って話だったんですよね。もうちょいとはっきり言うと、統合しないと無理なんとちゃいますかぁ、ウチの大学のままで、できますかぁ、いくつかの大学が集まってやらんと、できんのとちゃいますかぁ、って話だったんですよね。もともと。
その最初の前提が今は見えなくなって、なんでもやりまっせという基本方針だけが残った。これが真相ですわな。出発点は現実的だったんですが、前提抜きでの基本方針ですから、どだい、無理なんですわな。
その後で、まあ、教育省がね。統合とは言わなくなりましたからね。統合の話は消えました。それだけじゃなくて、強烈に嫌がる向きも多かった訳ですよね。
ですからね。まあ、いろんな分野で、教育も研究も社会貢献も頑張ります。いろんな分野で頑張ります。そりゃ、大学の姿としては正しいですわな。ただ、あらゆることをやりますというのと、どこに重点を置いて大学としては投資します、というのとは、別ですよね。ところが、もともとの前提抜きで、あらゆることをやります、という基本方針だけが残って。結局ね。あらゆる点で、「勝利を得るには不十分な資源の暫時投入」という、ガダルカナル戦のようなことを多方面でやる、ということでよし、ということになっちゃった。まあ、そこが、どこで何時無理が出て来るか、ということかも知れませんな。
確かにね。あれもこれもやります、でないと、皆さんを納得はできない。まあ、しょうがないでしょうかね。政治的には。ただ、この規模の大学ですとね。まあ、規模って、予算規模ですが。絞ってもたいして、出ない訳ですよね。学部をどこか潰さない限り。ただ、政治的には潰せる学部は1つしかない。けど、そこをつぶすと西荒川大学はおしまいになりますからね。まあ、できんでしょうね。そういう予算規模の中で、将来に向けて投資しようとしたら、まあ、そこは判断するしかない訳ですよね。しかし、その判断は、学内政治的にはできない。このままズルズル行くと、辛いですかね。
まあ、私も、学部長になってから、全学のいろんな部署がどの程度の人員規模でやっているかがある程度分かりました。まあ、無理ですよね。あれじゃ。何かに本格参入しようとしても無理。そりゃまあ、2番手の大学と比べても大きな差がある。あくまでフィクションですが。
土台無理なことなのに、パフォーマンスが悪いと勘違いする。だから際限なく、組織替えばかりやっているでしょ。あくまでフィクションですが。そりゃ、合理的な変更もありますが、不合理な変更もありまんがな。だから、あと2年もすりゃ、また変えるでしょ。つまんないことに時間をかけている。ここはお役人の病ですわな。
そうですな。まあ、こういう風に、思いつくまま話していると。ですね。あれ言わないと、これ言わないと、ということも、いろいろ湧いてきますな。あくまでフィクションですが。では、次回にまた、お目にかかりましょうね。今回はつまんなかったですが。まあ、即興でいってますからね。この次からは、もうちょいと、考えて言いますよね。はい。またまた、お会いしましょうね。ほーっほっほっほ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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20XX年X月X日、その日は私東松山亀次郎が西荒川大学の地域文化創生学部長を勤める最後の日であった。いつものように大学に出勤し、学部長室で残務処理をするとともに年度末の行事を済ませる一日であった。
何かの席に出た後に学長室に呼ばれていた。行ってみると私と同じく部局長を退任する数名が一緒に呼び出されていた。
席上、学長がわれわれに述べたのは次のことである。今まで、部局長や副学長には、退任後も6号給が支給されていた。しかしそのことは気づかなかった手違いであり、本来指定職を降りたら通常の教授の5号給に戻すべきだった。あなた方にはそうするのでご承知おき頂きたい、とのことだった。
その話を聞いて私は脱力した。
給与のことはよいとして、離任のその日に、ねぎらいの言葉以外は想定しない。それをよくも、このタイミングで、給与を落としますなどと言う話だけのために人を集めてくれたものである。
大学に貢献する気持ちが消え失せた一瞬であった。
( ゚д゚) そりゃアンタ、会議もなくなり、反対を受けることもなくなったからでしょう?
(◎´∀`)ノ 甘いぜ。
(この記載は近未来を舞台としたフィクションです。)
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大学がもらう次年度の運営費交付金がどうなるか? そのことがしばらくの間、人の話題に上っていた。その件が省庁間の折衝を経て結論が出た、という紹介が最近あった。かなりの減額、という心配もあったけれど、数字を見ると大きな減額はない。むろん、個別大学の予算額はまだ分らない。
ではそれで一安心かというと、そうでもない。文科省と協議して財務省が出したらしいその文書は、国立大学の改革を強く求めている。その改革の方向性を記したA4の1枚(基本的な考え方)の中身は、これまでの議論の延長上ともいえるが、かなり明確に方針を述べている。主なポイントは、有体に言えば次のごとくである。
・国立大学のあり方を変えて行く。(改革、機能強化、交付金配分基準)
・国立大学を、重点化拠点大学/特定分野大学/地域貢献大学に分けて考える。(名称は便宜上私がつけた略称である。)
・国立大学間の連携協力システム、特に「大学群」を創出する。一法人複数大学などの制度整備も検討する。
・財政措置はするが、文科省内タスクフォースの検討を経て、大学群の規模や機能は政府が決める。
見どころは多い。
第1に、財政支出にメリハリをつける考えが強く出ている点である。支援すべきものは支援し、整理すべきものは整理する、が基本であるようだ。その上で、支援すべきもの、機能は何か、で議論を整理している。
第2に、国立大学を上記の3つに分けたことである。従来は「機能(別分化)」や「個性」といった言葉をよく使った。機能や個性なら「いろいろあります」で終わる。が、そうした機能や個性とは別個に、単純明快に、国立大学を3つに整理して見せた。地方国立大学は最後の地域貢献大学になるしかない。「個性」といったことは、この区分とは別に「考えてください」になるのだろう。
第3は、あえて「大学群」と言っていることである。「大学群」の語がどの辺から登場したのかは確認していないが、従来の「連携」よりは踏み込んだ印象がある。
第4は、細かな「個性」は各大学の検討に委ねるとしても大枠は政府が決める、という点である。
最も注意を引くのは「大学群」である。単にネットワークでつながった「大学群」程度の意味にもとれる。が、あえて一法人複数大学方式を例示していることを考えると、経営統合を考えているようにもとれる。
「大学群」の意味には次の3つがあるように思う。
1) 別経営の大学が群になることで機能強化できる(と称する)場合。軽い場合は単位互換、重い場合は機関の共同設置である。ただ、実質的にはさしたる意味はない。例えば、単位互換など、制度を作っても自発的な利用者はまずいない。共同設置にしても、経営を別にする法人の間で作る機関は運営が困難であり、私が部局長なら乗らない。まして設置者が異なる法人間の共同設置は難しい。
2) 地域コンソーシアム型の破綻スキーム。県内の大学を地方国立大学を中心にコンソーシアムにまとめる、という場合である。弱い私大が破綻したときの、学生の受け皿という色彩が強い。ただ、この型の大学群は、中心となる大学の一方的な貢献によって支えられる。従って時間とともに形骸化する運命にある。
そもそも、破綻する大学が出た場合の処理は、この種の群を作らずとも可能であり、大きな破綻が生じた場合はこの種の群でも対応できない。さして意味はないだろう。
3) 一法人複数大学方式による経営統合のケース。米国の州立大学システムのような形態である。
上記のうち、1)と2)は「連携ごっこ」と呼ぶにふさわしい。文科省が連携をしろといい、連携の実績が求められたとき、国立大学は必死に連携ごっこをするだろう。そのときにやるのは1)か2)に決まっている。
3)に踏み込むのは重い判断である。しかし、国にとっても大学にとっても、意味のある選択肢は3)しかない。
一法人複数大学とは、ある意味、独法の整理の方法として、政府が検討している手法と同じである。一法人化することで共通のもの、重複するものを省き、削減の実績とする。しかし他方で、資源の集中投下が可能になるので、大学が伸びようとすればこの選択肢が実質的に意味がある。「世界を目指す」つもりならこの選択肢しかない。
しかし、表向ききれいごとの「愛校心」が3)の選択を阻んで行くのだろう。
当面は、政府が何を考えるか、という問題だろう。大学には、判断はできない。
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このみじかい物語は、その日本史上類のない不幸な悲観論者達の物語である。やがてかれらは、国立大学法人のリーダーとして、法人の再編というとほうもなく下らない仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり小役人国家がもったこっけいなほど悲観的な連中が、我が国におけるもっともふるい官僚機構の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。悲観論者たちは、そのような時代人としての体質で、後ろをのみ見つめながらあるく。くだってゆく坂の下の黒い地面にもし一つのおおきな水たまりが横たわっていたとすれば、それのみをみつめて、途中で転んでこの水たまりに落ちてはいけないと、そのことばかりを心配し、心配した通りに石に蹴躓き、おっとっとと言いながら水たまりを避けようとして避けられず、水たまりの中に倒れ落ち、素直に立ち上がればそれまでなのに真のリーダーシップがどうのと論じながら水に溺れてゆくであろう。ポテチン。
(この記載は明治期を舞台にしたフィクションです。)
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ここ、ナンジャラスタン人民共和国にある南ナンジャラスタン人文大学では、今日も隠微な権力闘争が繰り広げられているのであった。
ヘ(゚∀゚ヘ) 〇〇さんがビラ撒くとか、聞いたぞ。
(`δ´) まあ、村長選挙だからな。
ヘ(゚∀゚ヘ) この仕分けって、何かね?
´ω`)ノ まあ、言うだけの仕分けだろう。だからどうなるもんでもない。
(`δ´) この10年間、言われることは同じだなぁ。
´ω`)ノ それだけ、実態に進歩がないということよ。
(`ε´) これ見て、けしからんという意見がどうせ出るな。
(`δ´) 内輪の事情からすると、腹立たしいのは確かだな。
´ω`)ノ 怒っちゃだめよ。実は、ほとんど、その通りだからな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 大学の統廃合に言及しているな。
(`δ´) ここは私大を念頭においているはずだぞ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 人民大学も、とあるが。
´ω`)ノ 破綻スキームで統廃合、という話なら私大だな。しかし人民大学を政策課題に対応させるなら、少なからぬ人民大学が、長期的には統廃合だろう。
ヘ(゚∀゚ヘ) 何年か前の、東ナンジャラ大との統合話は、やっていれば、今の困難は解決の道があった。
´ω`)ノ そりゃ、教職員の個人的都合で判断したらダメになるよ。今も同じだ。あそこで統合をしないと決断したのは、今後の展開で、しょぼい大学でいいよ、という判断であったはずでね。何を今さら、という感じだな。
(`δ´) 今からやることはできないか?
´ω`)ノ 別の枠組みなら「あり」だろうが、決断できないだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) またも「グローバル人材」というのが出てくるな。
(`δ´) この前のナントカ会議で少しやり取りがあった。理事さんは教育の質保障にプラス、という言い方だったが。
´ω`)ノ そこは正しいが、踏み込みが弱いな。そんな消極的な話ではない。ナンジャラスタンは、交易国家としてやって行く。グローバル人材の育成は国家の存亡をかけた事業になる。
(`ε´) 鎖国してもやって行けるというが。
´ω`)ノ それは配給経済にしたときの話だろう。戦時ならそうなるかもしれんが。経済規模ははるかに小さくなる。
(`δ´) エリートを作るということか?
ヘ(゚∀゚ヘ) わが国の組織特性からすれば、層を厚くる、ということだな。
´ω`)ノ そう。わが国は下で持っている。
´ω`)ノ 定員の規模のところは、歯切れが悪いな。
ヘ(゚∀゚ヘ) つうか、かつての財政当局のように、市場メカニズムを使って調整する、と考えるべきところ、役所が市場メカニズムの代わりをします、ということだからな。すんなり説明はできない。
(`ε´) 結果的に定員規模は少なくなる、ということだが。
´ω`)ノ そこを官庁主導でやろうとするするから、強権的な印象になる。結果は同じようなものになるとはいえ、実は競争力のある大学を潰すことも出てくるだろうな。
(`ε´) ガバナンスのところは、頭が痛いな。
´ω`)ノ 書いてあることは、もっともなんだが。どうせ管理が煩雑になるぞ。勝手に競争させ、結果だけで勝負、にした方が簡単だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) それも辛いんでしょう。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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ここ、ナンジャラスタン人民共和国にある南ナンジャラスタン人文大学では、今日も陰湿な権力闘争が繰り広げられているのであった。
(`δ´) ここに来て政府の意図は明らかだ。政府は我ら第2人民大学を兵糧攻めにして潰そうとしている。
(*`ε´*)ノ 何もしないと言うのか! 今こそ決起するときではないか。
(`δ´) このまま座して死を待つことはできない。
ヘ(゚∀゚ヘ) お、お、面白いですね。
´ω`)ノ 国が設置する人民大学なんだから、
政府の意図が明らかなら、従うだけなんだよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 民営化を申し出る手もありますね。
´ω`)ノ そういうつもりじゃ、ないんでしょお。
ヘ(゚∀゚ヘ) 何するんでしょうね?
´ω`)ノ 爆弾持って出撃しますってか。人民代議員会議事堂にでもデモしに行くのかね?
´ω`)ノ 是非はともかく、国が第2人民大学の博士課程を整理したいのは事実だし、そういう風に構造的に動いている。よほど実力があれば別だが、あえてやりにくい道を選ぶことはないだろう。
ヘ(゚∀゚ヘ) 分かっていた訳だから、何年か前から、整理のサイクルに入るべきだったんだよな。
(`ε´) まあ、成り立つものを止めることはないが、できるところに限定してやるんだな。
´ω`)ノ そうでないと、内部資金を際限なく使うしかなくなる。人員の労力だって、タダじゃない。それではつぶれるぞ。
(`ε´) 機能別分化をどう受け止めるかの問題だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 俺たちの危機感は別のところにあるよな。第2人民大学は学士課程を中心に厚くするしかない。そこは明らかだから、他の第2人民大学はそのつもりで準備を進めている。そこをウチらはできていない。
(`ε´) ま、ある理事さんが、対応してきたから、そこはダメには見えていないだけだな。
´ω`)ノ いつまで躊躇っているのか。3年前に決断してよかった。あんなこと言っていて方針が定まらない。何がスピード感だ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、ジョークなんでしょう。
(`ε´) 定員の規模に応じて、その部門に資源を投下するのが基本だな。
´ω`)ノ 今さら「地域」では嫌だ、もない。このままやっていたらホントに終わりだぞ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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ここ、ナンジャラスタン人民共和国では、少数民族ソンジャラ族自治区の中に分離独立の機運が高まっていたのである。事態を憂慮したナンジャラスタン政府は、ナンジャラスタン政府軍をソンジャラ自治区に常駐させ、秩序の回復を図ったのである。しかしナンジャラスタン兵による暴行事件の続発により、ソンジャラ自治区住民は次第に不満を募らせて行った。5月のソンジャラ祭を境として、ソンジャラ自治区の都市部住民を中心に一斉蜂起が始まったのである。この混乱の中で、北朝鮮から技術支援を受けたソンジャラ鉄騎兵が政府軍の本部を急襲した。本部機能が壊滅した政府軍は首都ナンジャラリーナを目指して敗走して行ったのである。
地下に潜伏していたソンジャラ独立の指導者ソンジャナイは、原理主義過激派組織ソンジャラリーナを率いてソンジャラ臨時政権を樹立し、民兵を組織してナンジャラスタンの首都ナンジャラリーナを目指して進軍して行ったのである。
驚いたナンジャラスタン政権は、伝説の将軍と言われたナンジャ・スカタン将軍とバグラチオン下高田将軍を召喚し、ソンジャラ軍に対する首都防衛を託したのであった。ナンジャ・スカタン将軍はナンジャラリーナの西方200Kmにあるドラジノ村周辺を決戦の地と定め、砦と砲塁を築いてソンジャラ軍を迎え撃つ態勢をとったのである。
ドラジノの戦闘はソンジャラ軍民兵の進軍によって開始された。士気の高いソンジャラ軍は、ソンジャナイの指揮の下、有利に戦いを進め、政府軍を敗走させて行ったのである。
しかしこのとき、政府軍バグラチオン砲塁の砲列が一斉に火を噴いた。砲弾は密集したソンジャラ軍に襲いかかったのである。ソンジャラ軍もまた、一部は敗走を始めたのであった。ソンジャラ軍を率いるソンジャッタは、このバグラチオン砲塁を敵の主力と定め、温存したソンジャラ鉄騎兵に攻撃指令を発したのである。ここにバグラチオン下高田将軍とソンジャラ鉄騎兵の死闘が繰り広げられたのであった。
この機を逃さず政府軍のナンジャ・スカタン将軍は山県三郎兵衛率いる赤備騎馬隊を投入し、ソンジャラ軍の中央突破を策したのである。ソンジャラ軍のソンジャッタは散らばったソンジャッタ民兵を集結させ、三段構えの陣形でナンジャラ軍の騎馬隊を迎え撃とうとしたのであった。
襲いかかる赤備騎馬隊。迎え撃つソンジャラ民兵部隊。二千年に及ぶ因縁の対決はまさに決着のときを迎えようとしていたのであった。
その頃、ここ南ナンジャラスタン人文大学では、今日も仁義なき権力闘争が繰り広げられているのであった。
(`ε´) あれさぁ。行ったぁー? 立会演説会。
´ω`)ノ あったのか?
ヘ(゚∀゚ヘ) あったあった。まあ、なんだなぁ。事前情報の通りだったなぁ。
(`δ´) その件については、何も言わないことにしよう。
´ω`)ノ 差し障りあるしな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 後の展開はつまらんよな。
(`ε´) あるとすれば、閣僚名簿を作ることだな。
ヘ(゚∀゚ヘ) そんなこと、今するか?
(`ε´) あちこち動いているよ。
´ω`)ノ こっちの方は変わらんだろ。
(`ε´) 理事が一人変わるくらいだな。
ヘ(゚∀゚ヘ) どうすんのかね?
´ω`)ノ まあ、相手方の大将に持って行くんだろな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 受けるかね?
(`δ´) 受けないだろ。
´ω`)ノ 受けると思うよ。
(`ε´) たぶん受けるよ。
´ω`)ノ それと、ウルトラCがあるかどうかだよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) あるかいね?
(`δ´) そこがよう分からんな。
ヘ(゚∀゚ヘ) こっちが勝ったらどうすんのかね?
(`δ´) 選択肢は2つだな。1つは、今の理事を1人留任させる。
ヘ(゚∀゚ヘ) この人?
(`δ´) そう。それが一番無難だな。そうでないと上に持って行けないし、仕事にもならん。みんな、やり方、分ってないだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 周りが嫌がらない?
(`ε´) 嫌がると思うよ。わざわざ、根回ししてる人もいる訳だしな。
(`δ´) もう1つは、相手方の最大部局にその理事ポストを1つ差し出す。
ヘ(゚∀゚ヘ) あるかね?
(`δ´) あんたらを担ぎたい、と持ちかけたことがある訳だろ。当然あるんじゃない?
´ω`)ノ それじゃ、思うように動けなくなるだろ?
(`δ´) いいんでしょ。一応は格好がつくし、取るものは取る訳だし。
(`ε´) 他に、受けそうな人はいないしな。
ヘ(゚∀゚ヘ) それだと、天下二分だな。
(`δ´) 三分かもな。
´ω`)ノ ま、細かい方が俺らはいいかな。
(`ε´) ほほほほほほ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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ここ、ナンジャラスタン人民共和国にある南ナンジャラスタン人文大学では、今日も学長選考を巡って仁義なき権力闘争が繰り広げられているのであった。この権力闘争は中央ナンジャラスタン交通大学にも飛び火した。中央ナンジャラスタン交通大学では、今日も学芸評議会において熾烈な抗争が展開していたのである。
(`ε´) この学年暦では学生の勉学時間が確保できない、という指摘があった。
(`δ´) 勉強なんてしてんのかぁ!?
(*`ε´*)ノ そうだそうだ!
´ω`)ノ こんな野次、評議会ではこれまででなかったよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) それに、どう見ても、言っちゃいけないことだよな。
(`Д´) 私も学生の勉学時間は調べてある。確かに、学生は勉強なんてしていない。
´ω`)ノ オイオイ、教育担当理事がそう言っちゃ、いけないだろ。
(`ε´) そこをちゃんと勉強させるように設計する、ということなんじゃないですか?
(*`ε´*)ノ アホなこと言うな。我々は研究専念時間が欲しいんだ。
(`Д´) ナンジャラスタンの夏は暑い。これで空調28度設定で授業ができると思うのか?
ヘ(゚∀゚ヘ) できるよな。
(`Д´) 省電力の、高額な空調設備を入れられるなら別だが、そんなことはできない。
´ω`)ノ 結局何か、みんなビンボが悪いのや、という話か?
ヘ(゚∀゚ヘ) 士気が下がるよな。
(`ε´) 情けねぇ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 俺、実家に帰るわ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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続・仁義なき戦い
ここ、ナンジャラスタン人民共和国にある南ナンジャラスタン人文大学では、今日も熾烈な権力闘争が繰り広げられているのであった。
(`δ´):争点を明らかにしろという人もいるが、そのようにはしない。
´ω`)ノ:では何が問題か?
(`δ´):スピード感だ。今のスピード感であと2年やるとこの大学は終わりだ。あんたの学部も、やっていることはあるのかもしれないが、何をやっているか見えないではないか?
´ω`)ノ:(とぼけて)広報の問題、ということか?
(`δ´):そうではない。
(`δ´):選挙に出る上で最も大きかったのは、裏で話し合って決めるのではなく、問題を表に出して議論しろと○○先生がいった言葉だ。
´ω`)ノ:ルール通りにやればよいだけだ。だが問題があるなら全学の場で議論できるはずではないか? あなた方はいつも、何も言わないではないか?
(`δ´):言える状況ではない。
´ω`)ノ:言える。私は○○講習でも○○教育でも、全学の場で言い出してやり合ってきた。
(`δ´):それは小さい話だ。
´ω`)ノ:大きなことは今決めないという合意だったはずだ。だが議論が必要なら言えばよい。
(`δ´):将来構想の議論は夏明けにやると言っていたが、やっていない。
´ω`)ノ:やれと言えばやるだろう。
(`δ´):やらない。
´ω`)ノ:やらない、スピード感がないというが、○○大学との協定を大学間協定にして、副担当部局に○○がなるとおたくの部局(の委員)が言い出して、11/○の○議員会にかけるといっていた。やったのか?
(`δ´):11/○に○議員会はあったが、知らない。
´ω`)ノ:おたくらが言い出したことで、おたくの委員は11/○にかけると約束した。何をやっているのか?
(`δ´):協定など、結べばよいのであって、部局に聞く必要はない。
´ω`)ノ:大学間協定で担当部局が要るというのは、私も納得していない。
(`δ´):部局長になる前のあなたが、教養教育で言っていたのは良かった。部局長になって自分の部局の立場で考えている。部局への責任があるからだろう。
´ω`)ノ:あなたも部局長になってから、○○室にいた頃とは変わった。
(`δ´):部局長を離れたら全学の立場でやって欲しい。人材が乏しい。部局を離れても責任が伴うと以前とは違ってくる。
´ω`)ノ:○○系の部局長の任期は3月で終わる。話し合いをするなら今度の4月、新たな部局長が決まってから、と理解している。部局長を辞めたら私は隠居する。
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ここ、ナンジャラスタン人民共和国の南ナンジャラスタン人文大学では、学長選考を巡って恒例の仁義なき戦いが繰り広げられているのであった。
´ω`)ノ まあなんだな、学級委員の選挙か、という感想が多いな。
(`δ´) そこは大学の格を表すんでしょう。
ヘ(゚∀゚ヘ) 大きな方針は、争っているのかね?
´ω`)ノ これ見ると、いないんじゃね?
(`ε´) ほんとはあるんだろうが、表向きにはできないだろうな。あるといったら、第32期の中期計画がどうなるの、という話になるからな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 事務部門がどうの、というので争っていると聞いているが。
(`δ´) そこは噂だけで、はっきりしたことは聞いていないな。この前、下の方が働かないという話は聞いたが。
´ω`)ノ それ、厳しいこというのは、この人でしょ?
(`δ´) そうなんだが、だからどうなるもんでもないしな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 世の中、そんなもんよ。
(`δ´) あとさ、事務組織をガラガラポンしたい、とかな。
´ω`)ノ でもさ、この人のところもさ、複雑になっているけど、手前ぇでは何もしてないじゃない?
ヘ(゚∀゚ヘ) そこも、まあ、できないんでしょ。
(`δ´) できないというか、こうしたらうまく行きますの検証はないしな。
´ω`)ノ それでさ、そこを何とかしろと、今まで言っていたのかい?
ヘ(゚∀゚ヘ) 非公式ルートでどうかは知らんけど、公式には何も、言ったこと、ないよ。
´ω`)ノ 言えないのか?
ヘ(゚∀゚ヘ) さあね。おいらは、いろいろ言ってきたけどね。
´ω`)ノ あんたとは違うんだよ。あの辺はさ、個人崇拝が強いからな。スターリンみたいなのが出て、1人で決めるもんだと思ってるんだよ。
(`ε´) アレの件はどうなの、アレ?
´ω`)ノ アレはさ、そもそも時限だからな。ダメだったら変えればいいだけよ。
(`δ´) 前の部局長が勝手にやったことで、俺らは知らねぇ、といってるとかな。
ヘ(゚∀゚ヘ) それでは、組織としての継続性はどうなるんだ?
(`ε´) 組織としての継続性は、そもそも大学として問題にしてねぇしな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 相手にされなくなるよね。
´ω`)ノ それは一番の問題かもな。
(`ε´) 片方の候補者は、上司に当たる者は推薦人から抜けた。そこはいいんだが、もう片方は、ライン部門の人が推薦人で出ているよな。そこはやばいな。
´ω`)ノ こうなると、組織がガタガタだ、ということだな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 生臭い話が表に出ましたな。俺を上司にしろの選挙になるからな。
(`ε´) これでどう始末をつけるのかね。
(`δ´) まあ、誰か、ほんとに辞めるしか、ないんでしょ。
´ω`)ノ 一般社会は、みんな平等だから、いいのよ。しかしライン部門を持つ組織は、一般社会ではない。そもそも、選挙でやるかって話だな。
(`ε´) そこは問題なくやれば別だが、問題出る格好でやっちゃうと、選挙と言う制度自体を維持するのが苦しいな。
´ω`)ノ ま、参考だし、と言うのか。
(`ε´) そう言うしかないな。
ヘ(゚∀゚ヘ) いろいろ無理なところがある訳よ。理屈をつけるのは綱渡りだな。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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第2期中期計画中の、職員を含めた定員削減の試算があったよな、と思い、以前の資料を先日探してみた。3年前の資料が1つのファイルに束ねられていた。中を見て当時の資料を確認した。私のメモも出てきた。当時の全学将来構想ナントカの議題に関するメモである。それを見ながら、私が今考えていることと同じことを私が書き記していたので苦笑した。
当時はまだ、大学間の統合が視野にあったのである。だがちょうどその頃、統合という選択肢は急速に萎んだ。道州制への移行の議論が遅れる、と文科省が見始めたからだろうと思う。
道州制の議論が萎んだのは私には失望要因だった。ウチの大学を、文字通り「存在感のある総合大学」にするには、統合してその方向を目指す以外にないと思っていたからである。むろん今も思っている。その線が消えていった。経営を統一しない「連携」など、刺身のツマにしかならないのは明らかだった。
仮にウチの大学が単独でやってゆくとするなら、当時既に出ていた機能別分化の提言をそのまま受ける以外にないだろう。私の考えは当時からそうだった。拾える機能は、幅広い職業人養成、総合的な教養教育、それに社会貢献である。それで腹を決めたら、ととある会合で私は言ったはずである。むろん、このことは今の私の意見でもある。
当時はそれでも、単独でもいろいろやって躍進するぞ、という人もいた。だから研究のセンターを…。
えっ、センターですか? ただ、展開したくても当時から、割ける資源は見えていた。なんというか、勝利を得るに不十分な戦力の暫時的投入、という、典型的な負けパタンにしか見えない。
まあ、やればそれなりの成果もあるんでしょう。その限りで。しかしどの大学もその程度のことはする訳だし、大学の相対的な地位を上げるようなものに、なる訳がない。私がそういうと、さすがに、今からやろうとしているのに、そんな言い方はないじゃないか、という反発を食らった。まあ、御不快である点は申し訳ないが、とは言うが、私の考えが変わるではなかった。
その後、あのご新造のセンターがどうなったか。特に調べることも聞くこともなかった。しかし何かの機会にあれがどうの、と最近聞くことになった。
えっ、そうなの?
思ったように行かないと他人のせいにするのは、人間の醜い性である。貧すれば鈍す、ということもあるだろう。しかしそれぞれ、無理のない範囲で頑張っているのだから、今更他人のせいにするのはやめてくれ、という思いである。むろん、センターはしっかり頑張って成果を上げている。
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20XX年、自爺党政権を倒して政権交代を成し遂げた民々党は、政権公約を実現すべく、まず官僚機構の改革に取り組んだのである。民々党は手始めに、中央官庁の官吏を「大役人」、地方出先の官吏を「小役人」と定めたのであった。そしてそれぞれについて適性検査を経て雇用する近代的な官吏任用システムを確立したのである。
その頃、旧国立大学は機能別分化を経て第1国立大学法人と第2国立大学に再編されていた。ここで民々党政権は、市場原理主義殲滅をかかげ、各方面で国有化を進めていったのである。そして国立大学法人も再び国営の人民大学としたのである。旧第1国立大学法人は第1人民大学法人に、第2国立大学は第2人民大学法人へと組織替えされたのである。国家公務員に復帰した人民大学教職員は、新たな制度の下で国家官僚機構に編入されて行った。第1人民大学教職員は中央官庁に準じて大役人の待遇を与えられ、第2人民大学の教職員は小役人と位置づけられたのである。
海坂県唯一の人民大学である第2人民大学法人海坂大学では、新たに西寄居唯三郎を小役人学長に選び、人民大学法人化後の運営にあたらせることとなったのであった。
その頃、自由貿易協定に背を向けてきた日本は海外の市場で競争力を失い、内需のみによって経済を維持するようになっていたのである。しかも、折からの国有化方針によって経済規模は年々縮小していった。民々党政権は、落ち込んだ消費を回復するため、消費税を廃止して逆消費税、すなわち消費額に応じて割戻し金を支払う制度を導入したのである。しかしこの制度は財政をますます圧迫し、政府支出の削減圧力が高まっていった。何度かの事業仕分けを経て、国力維持のために第1人民大学は維持するものの、第2人民大学は廃止する動きが強まってきたのであった。
この動きに驚いた全国の第2人民大学は、人大協に泣きついて、人民大学は一体として国が財政支援をするよう、人大協が教育省に嘆願するするよう働きかけたのであった。
この働きかけに呼応したのが教育省のホープと呼ばれた大役人の南巣鴨飛騨守佑親である。南巣鴨飛騨守は従来通り人民大学に予算措置するプランを掲げ、そのプランに対する意見を広く国民から聞く方策をとらせたのである。そして、人民大学支援プランを支持するメールを送る手配をするよう、メールの例文とともに各人民大学に内々に通達したのである。同時に、関係者のメール送付を隠密に手配する人員をつけることを各人民大学に求めたのであった。
海坂大学では学長の西寄居がパブリックリレーションズ担当小役人理事、略してパブリレ理事の東鴻巣誠之介に、この隠密教職員を小役人助教として雇うための人選を指示したのである。パブリレ理事の東鴻巣は手を尽くした上で、北赤羽剣士郎を推挙したのであった。
その頃、赤羽地方には北赤羽神剣と南赤羽聖剣という、2つの剣術の流派が隆盛していたのであった。南赤羽聖剣は一文字流斬岩剣の流れを汲み、すべてを外側から破壊して斬り裂く剣術であった。しかし北赤羽神剣は謎の暗殺剣であり、その奥義は一子相伝によってのみ伝えられていたのである。北赤羽剣士郎はその北赤羽神剣の正統な継承者であり、パブリレ理事の東鴻巣はその剣技を見込んで北赤羽剣士郎を隠密小役人助教に推挙したのであった。
特に収入源がなかった北赤羽剣士郎は喜んで隠密小役人助教を引き受けたのである。彼は本省と海坂大学を行き来しつつ、飛騨守から提示されたメール例文を海坂県の事情に合うように改作し、海坂地方を回って教育省プランを支持するメールの手配を続けたのであった。
全国から支持メールを集めた教育省は財政省との折衝において有利に事を進めていたかに見えた。
しかしそのとき、海坂民友新聞の西海坂支局に内部告発の報が寄せられたのである。あの支持メールはやらせメールであり、教育省がメールの例文まで手配し、人民大学を使ってやらせをした、その次第を密告するものであった。このニュースはローカルの海坂TVのニュースとして放映されたが、中央の新聞社やTV局は報道を自粛し、全国に知れ渡ることはなかった。しかし一部視聴者が海坂TVの短いニュースをユーチューブに投稿したため、この内部告発の事実はすぐに全国に知れ渡ったのである。事態を重く見た官房長官の枝林はこの問題をすぐに調査すると表明したのである。
教育省はすぐに、この内部告発の事実を否定した。そして、もしそのようなことがあれば、不届きな人民大学が勝手にやっただけのことである。しかし大勢において、あの支持メールは自発的なものである、という声明を発表したのである。
海坂県から内部告発が出たことに驚いた海坂大学長の西寄居は、すぐさま教育省に出向き、大役人南巣鴨飛騨守の執務室で土下座しようとした。しかし西寄居が床に手を突く前に、南巣鴨は西寄居を蹴り倒したのである。起き上がって土下座した西寄居の頭を南巣鴨は踏みつけてこう言ったのである。お前らのようなクソ大学を守ってやるために、ワシらがどれほど苦労しているか、分っているのか。お前らの海坂大学は、無理してナントカセンターを作ってみてもろくな研究成果を出さず、教育など形ばかりやっているだけではないか。前からやっていることだけで地域貢献が進んだだと。笑わせるな。国際化のためのグローバルリーダーの何のというが、あんなチンケな計画を世に出して相手にされると思うか。そんなクソ大学を守ってやるために、これだけ手配してあげたのに、このざまは何だ。そういって南巣鴨は西寄居の顔を蹴り上げた。馬鹿め。このざまをどうするんだ、どう責任を取るんだ、クソ大学め、ゴミ大学め。こう言いつつ、顔となり肩となりを蹴り続けたのである。
西寄居は血だらけになりながら、秘書課長に寄りかかって海坂大学に戻ってきた。そしてすぐに小役人理事の東鴻巣を呼び、やらせメールの痕跡を消すため、関わった者はすべて斬れと命じたのである。これは南巣鴨殿の内意であると告げたのである。
だが東鴻巣は西寄居に抵抗した。ことは既に、関係者を抹殺すれば済む問題ではなくなっている。何よりも、これまで苦楽を共にした仲間をいかにして斬れようか。東鴻巣の逡巡に業を煮やした西寄居は、東鴻巣を幽閉する一方、自ら徒組頭に命じて、北赤羽剣士郎を含む、やらせメールの関係者を闇に葬るよう命じたのである。
だが剣士郎は、既に不穏な動きを察知し、自ら身を隠すとともに、やらせメールの関係者とその家族を行徳へと匿っていたのであった。
海坂大学の反応が遅いことに怒った南巣鴨飛騨守は、三万の大軍を発して海坂大学攻略に向かわせたのである。驚いた海坂大学の西寄居は、ここに至って腹を決め、籠城して抵抗することを決意したのであった。四方から進軍する教育省勢は次々と海坂大学の砦を攻略し、大軍をもって海坂城を包囲したのである。海坂大学は2ヶ月の籠城戦を戦ったが、万策尽き、西寄居は自らの切腹と引き換えに城兵の罪を不問にする約束を取り付け、後事を東鴻巣に託して自決した。城代となった東鴻巣は、教育省軍に城を明け渡して蟄居したのである。
東鴻巣はその後、西海坂郡の小規模短大として海坂大学を残すことを懇願していたが、南巣鴨はそれも許さず、海坂大学は取り潰しと決まったのであった。
東鴻巣誠之介は海坂大学を守れなかった責任を感じ、蟄居先で切腹して果てたのである。切腹する前に密かに北赤羽剣士郎を呼んだ東鴻巣はこう告げたのである。このままでは我らの武芸の意地が立たぬ。南巣鴨飛騨守を斬れ。これが最後の命である。
それから二月ほど経った頃、南巣鴨は全国の人民大学球体拠点を視察の途中、大菩薩峠へとさしかかったのであった。そのとき、南巣鴨の前に北赤羽剣士郎が立ちはだかったのである。我は元海坂大学、非常勤隠密助教、北赤羽神剣の北赤羽剣士郎である。小役人の一分、南巣鴨飛騨守殿との立会いを所望、と告げたのである。
南巣鴨の2人の従者は抜刀して剣士郎に斬りかかった。しかし剣士郎は舞うように身を躍らせ、一合もせずに2人を斬り伏せたのである。
南巣鴨は慌てなかった。なるほど、うぬの北赤羽神剣はなかなかのものだ。だが所詮は赤羽。この南巣鴨飛騨守の虎門新陰流は格が違う。うぬの剣は、剣の俊さを競うだけの、小役人の畜生剣。わが虎門新陰流は剣禅一如、心技体を備えた大役人の飛天剣である。我が流派は剣術設置基準に適うのみならず、中央剣術審議会の答申によって磨きをかけた。かつてGCOEの呼び声も高く、採択はされなかったがヒアリングにこぎつける栄誉に浴し、その後、大学院武道GPに採択された歴史に輝いている。かつてはゆとり教育の薫陶を受け、その後も上司が変わるたびに構えの名前を変えつつ生き延びてきた。あらゆる状況に対応する即妙、神妙、不敗必勝の剣である。貴様の小役人剣など敵ではない。我が太刀筋を見た時が貴様の死ぬ時だ。こう告げたのである。
南巣鴨は抜刀し、まず車に構えてから上段に振りかぶり霞の構えをとった。虎門新陰流にいう霞が関の位である。剣士郎は、参る、と言うやまわいを詰めていった。両者の刃が上下左右に舞ったかと思うや、刃が合う音もなく相抜けしたかのように両者は遠ざかった。振り返りざまに南巣鴨が「おのれ小役人」と言えば、剣士郎は「お前は既に死んでいる」とつぶやく。次の瞬間、南巣鴨の首が宙を舞ったのである。
教育省のプリンスと呼ばれ、何度も上司の失脚に会いながらその度に他人を押しのけて出世を重ねた、風雲児、南巣鴨飛騨守佑親は、かくしてその波乱の生涯を閉じたのである。
この立会いの様を豊臣秀次が聚楽第の本丸から見物していたというのは、むろん後世の作り話に過ぎない。
北赤羽剣士郎はその後、世紀末の赤羽覇王と呼ばれ赤羽に君臨した北赤羽の長兄、北赤羽羅王や、次兄の北赤羽土岐らとの戦いを経てついに夢想転生を体得し、上泉伊勢守以来の剣聖と呼ばれたのであった。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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´ω`)ノ ハイ、お久しぶりでございます。またまた、東松山でございます。亀次郎でございます。東松山亀次郎でございます。西荒川県で唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山亀次郎、東松山カメジロウ、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・--でございます。ほぉーっほっほっほっほっほ。今日も一日亀次郎。一家に一箱亀次郎の、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・~~ォでございます。ほぉーっほっほっほっほっ。ほっほっほっ。
´ω`)ノ いやまぁー、話せったってね。ハイ。別に話したいことがある訳でもありませんけどね。ハイ。何か、お題を頂けませんかね。ハイ。えっ、今度の学長選挙? いや、まあ、それはね。面白くもないですよ。ほほほほほほ。まあ、そうですねぇ。そのまわりでね。何か面白いことは、まあ、どうせありますよ。でもまあ、どうってこと、ないですよ。えーえー。機能別分化? それですか? まあ、そんなこと、私に聞くのは間違いですよね。でもまあ、私ももうすぐ隠居ですから。まあね。これもね。実は面白い話はないですよ。どうせ。
´ω`)ノ まあ、なんでしょう。そのうち、人民大学協会でね、何か出すんでしょう。まあ、官庁主導の業界団体ですからね。目の覚めるような話が出る訳ないですよね。第1人民大学と第2人民大学の立場の違いもありますしね。第1人民大学の方は、どう転んでもいい訳ですしね。まあ、教文省が言ってることを、薄めた形で言うんでしょうな。曖昧に。教文省にしたって、明確なヴィジョン、ないですし。今のままが実はいいんでしょう。ちょっと脅かして、なんかいいことがあるか、ぐらいなものでしょうねぇ。
まあ、確かにね。これからは人民大学5ヵ年計画に盛り込む訳でしょうからね、分化した機能の目標を。そういう意味では大変そうに見えますがね。まあでも、そこは、ナントカするんでしょう。
部局別に機能分化する、なんて話もありますな。でもまあ、そりゃ、無理な話ですわな。今とは別システムで部局を作れば別ですが。
´ω`)ノ そもそも、ナンセンスな話ですわな。人民大学を本当に経営させるようにすれば、そんなもんは自動的に決まって来るんですよね。equal footing にしてね、マーケットで行動させれば。それをまあ、マーケットで決まるようなことを官庁主導で決めようとするから。それでうまく行けばソ連も崩壊しませんでしたよね。でまあ、無理にごり押しするしかなくなる訳ですよね。
まあね。あんまり、言えませんけどね。あの機能じゃ嫌だ、この機能でないと嫌だ、てのがある訳ですよね。ウチは研究大学だ、とかね。まあ、気持ち、分りますけどね。しかしまあ、勝負は人民大学法人化する前についていたのですよね。あれだけ、第1人民大学に投資した訳ですから。それでまあ、第1期5ヵ年計画期間の評価でダメ押しが出た。ダメ押し。ま、そんな格好ですな。
´ω`)ノ やりようはあったでしょうね。ウチの西荒川大学と、北厩橋大学が統合するという話が昔あった。そう、荒馬統合話のときですよね。あれをやるかどうかが岐路でしたね。やっていれば、第1期で動く資源はあった。予算規模が4、5倍になった訳ですから、資源を捻出する余地はあった。その資源でウチのロケーションを使えば、展開の可能性はあったんでしょうね。
そういう機会はまたあるかと思っていましたけど、もう、ないですね。そういう展開ではなくなりましたね。
荒馬統合のときは、何のプランもありませんでしたからね。しかしそのポテンシャルはあったんですよね。
そういっちゃ、なんですが、あの統合をやめたというのは、苦しくても頑張る、貧しくても構わない、と。そういう意思表明であったはずなんですよね。
何れ、小さくやって行く、という判断をするんでしょうな。それを何時踏み切るか、ですわな。
´ω`)ノ しかしまあ、今みたいな政権が続いてくれれば、そこはヌルくやれると思います。機能別分化ですか? そりゃまあ、してもしなくても、実態は同じじゃないですか。何も変わりませんよ。ですから、やるときゃやるんでしょう。ほほほほほほほ。ほ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、実際の団体とは一切関わりがありません。)
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20XX年、自爺党政権を倒して政権交代を成し遂げた民々党は、政権公約を実現すべく、官僚機構の改革に取り組んだのである。民々党は、まず官僚機構を改組し、中央官庁の官吏を「大役人」、地方出先の官吏を「小役人」と定めたのであった。そしてそれぞれについて適性検査を経て雇用する近代的な官吏任用システムを確立したのである。
その頃、旧国立大学は再編を重ねて人民大学法人となっていたが、民々党は各方面で国有化を進め、人民大学を再び国営人民大学に戻したのであった。国家公務員に復帰した人民大学教職員は、新たな制度の下で官僚機構に編入されて行った。そして総合基幹大学である第1人民大学と、地域貢献型の第2人民大学へと機能別分化が強制されていったのである。第1人民大学教職員は中央官庁に準じて大役人の待遇を与えられ、第2人民大学の教職員は小役人と位置づけられたのである。
西荒川県唯一の人民大学である西荒川大学は、首都圏に近いことに希望をかけ、第1人民大学とされることを期待したが、何のためらいもなく第2人民大学とされたのであった。
さて、この西荒川大学の小役人学長の北神田助三郎は、温厚な人柄として知られたが、西荒川大学をいかにして第1人民大学に格上してもらうかに腐心していた。彼の仕事は、時の教育省の大役人を赤坂で接待しつつ、情報を得て第1人民大学になるきっかけを探すことだったのである。
そうこうしているうちに今年も全国人民大学学長会議が開催されたのであった。第1人民大学と第2人民大学の学長を集めたこの学長会議は、中央官庁の格式で執り行われたのである。会議は教育省幹部を中心に、第1人民大学学長が取り囲むように席が配置された。第2人民大学学長は一段低いフロアに席を占め、会議の成り行きを眺めていたのであった。
会議が終わるといつものように懇親パーティーとなった。教育省幹部と第1人民大学学長は鳳凰の間でカクテルパーティーを催した。第2人民大学学長たちは、一段低い教育省係員の相手をしながら、安酒を呑んでクダをまいたのである。
北神田助三郎は疲れていた。周囲の歓談の声が次第に遠ざかるように感じられた。いつしか彼は席に着いたまま眠りこんでいたのである。
どれほど眠ったか。ふと気が付くと彼は誰もいない部屋で椅子にもたれかかっている自分に気が付いた。夜も深い、と思われた。
そのとき、暗闇の天井から一本の糸が下りてきたのである。
この糸はなんだ、と思う間に、空からぼんやりとした声が聞こえてきたのである。「この糸にすがって上るがよい。さすれば、お主の西荒川大学は第1人民大学になれるやも知れぬ。」
そうか、と北神田は合点した。これまで何度も赤坂で接待した、その成果に違いない。わが心が天に通じたに違いない。この機会を逃して何とする。西荒川大学は天下の西荒川大学にしなければならない。上るぞ。この糸をつかんで空に向かうぞ。
そう叫んで北神田は糸にすがり、力を込めて上って行ったのであった。
頭の上の闇はどこまでも続いたが、北神田は力の限り上って行ったのである。これほどの力が自分にあったとは信じられなかった。
しばらくして、頭上に光が見えてきた。あそこだ。あそこまで上れば、我が大学は第1人民大学になれる。そう思って気を取り直し、北神田はまた上って行ったのである。
光の場所までもうじき辿りつくと思えたとき、北神田に急に力が湧いてきた。彼は自分の中に喜びが込み上げてくるのを感じた。もうすぐ第1人民大学だ。もうすぐ大役人だ。私はこれで天下に出るぞ。我は勝利者だ。神に近づいたのだ。いや、私が神だ。神が私だ。いやいや、神こそ我が下僕である。
そう叫んで下を見たとき、北神田は、別の第2人民大学学長たちが、この糸を手繰って彼に続いて上って来たのに気が付いたのである。なんだ、こいつらは。なんだ、こいつらは。こいつらも密かに、教育省の役人を接待していたのか。お前ら、降りろ。この糸は俺が上るための糸だ。わが西荒川大学は、最寄駅が都心から電車で30分の場所にある。お前ら、何れも都心から1時間半以上かかるじゃないか。そんなお前らが、第1人民大学になれると思うな。大役人になれると思うな。降りるがいい。いや、落ちるがいい。落ちろ、地獄へ落ちろ。北神田はそういって、足もとまで来た北赤羽大学学長の頭を踏みつけたのである。
そのとき、北神田の手許の糸が切れた。北神田の身体は、他の学長たちとともに、漆黒の闇へと吸い込まれていったのである。
と思った瞬間、北神田は我に帰った。さきほど眠気に襲われた、そのときのままに、酒場のソファに座っている。右手には覚えのあるグラスが握られていた。ああ夢か。夢だったのか。北神田はそう思ってため息をついた。
だがこの様を、中央官庁の大役人である新お茶ノ水はずっと眺めていたのである。新お茶ノ水はフッと息を吐いて、そのまま去っていったのであった。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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20XX年、ナンジャラスタン人民共和国では、多数派のナンジャラ人政府による支配を嫌う少数派のソンジャラ人の中に分離独立を求める気運が高まっていたのであった。ソンジャラ分離独立を求める過激派組織のソンジャラーナは、北朝鮮から武器支援を受け、ついにナンジャラ政府打倒の狼煙を上げたのであった。ソンジャラーナ率いるソンジャラ鉄騎兵は中央ナンジャラスタン平原の戦いでナンジャラスタン正規軍を打ち破り、首都のナンジャソラリーナに迫ったのである。しかしナンジャラスタン政権側は、アメリカと中国から軍事支援を受け、ソンジャラ鉄騎兵をナンジャラりーナ近郊のコレナンジャ村で撃破したのであった。
しかしこの混乱の中、ナンジャラ民々党は親衛隊組織を使って政府庁舎を占領し、時のナンジャラ自爺党政権を倒し、クーデターをなし遂げたのであった。追放されたナンジャラ自爺党派はドンジャレラ山岳地帯に逃げのび、ゲリラを組織してナンジャラ民々党政権にテロ活動を仕掛けるようになったのであった。
さて、政権を奪取したナンジャラ民々党は、まず官僚機構の改革を進め、中央官庁の官吏を「大役人」、地方出先の官吏を「小役人」と定めたのであった。そしてそれぞれについて適性検査を経て雇用する近代的な官吏任用システムを確立したのである。
その頃、ナンジャラスタンでは大学は人民大学法人という設置形態を取っていたが、ナンジャラ民々党は国有化方針を進め、大学を再び国立大学としたのであった。国家公務員に復帰した大学教職員は、新たな制度の下で小役人として登用され、小役人適性試験を経て着任することとなったのである。人民大学法人の下での学長は筆頭小役人、理事は理事小役人、部長は小役人部長、課長は小役人課長、部局長は小役人学部長と呼ばれるようになったのであった。
ここに東ナンジャラスタン人文大学では、中央の教育省から新たに派遣された大役人ホンダラ・コーズケーナを小役人部長として迎えることとなったのであった。ホンダラ・コーズケーナは礼儀正しい慇懃な人物であったが、大役人から小役人になったことに鬱屈感を募らせ、次第に部下の小役人をいびるようになったのであった。
その頃、東ナンジャラスタン大学の地域文化創成学部では、ヒガシーナ・マツヤマーナ匠頭が小役人学部長をしていたが、なんらかの行き違いをきっかけとして、コーズケーナはマツヤマーナ匠頭に事あるごとに辛くあたるようになったのであった。
あるとき、東ナンジャラスタン人文大学に、コーズケーナの元の上司である教育省の大役人が教育相の名代として訪れることとなり、マツヤマーナ匠頭はその饗応役を仰せつかったのであった。マツヤマーナ匠頭はその都度、コーズケーナに指示を仰いだが、コーズケーナは事あるごとに匠頭をいじめていったのである。ここで大役人の到着の当日、コーズケーナのいじめに耐えきれず、ついに刃傷に及んだのであった。脇差を抜いた匠頭は
── この間の恨み、覚えたか
と叫んでコーズケーナに斬りつけたのであった。コーズケーナは怪我を負ったものの一命は取り留めた。匠頭は産業組織学部屋敷にお預けとなり、「小役人の分をわきまえず不届きである」として即日、切腹して果てたのである。中央教育省とのパイプを背景としたコーズケーナは、すぐに、匠頭が小役人学部長をしていた地域文化創成学部を廃止し、その学部棟を接収したのであった。
さても、禄を失った地域文化創成学部の教職員は、匠頭の下で小役人副学部長をしていたオーイシーナの下に参集し、対応を協議したのであった。オーイシーナは、復讐に燃える部下たちを抑え、地域文化創成学部を学科として残すよう嘆願する道を選んだのである。
数々の手を尽くして学科としての存続を図ろうとしたオーイシーナであったが、時の教育相のマンザラ・ツナヨシーナはこれを認めなかった。
既に手がないと悟ったオーイシーナは、忠誠心の篤い元部下たちとともに、首都ナンジャソラリーナに潜伏したのであった。そして再び中央の大役人として復帰したコーズケーナの屋敷に、雪の降る12月、討ち入ったのである。
コーズケーナの部下たちは次々とオーイシーナの同志に討ち取られていった。コーズケーナも剣を振るって抵抗したが、コーズケーナは屋敷の一隅でオーイシーナの同志に包囲された。東軍流皆伝のオーイシーナはコーズケーナに近づくなり
── 小役人の剣を受けてみよ
と叫び一閃を放った。ここにコーズケーナの首は宙を舞ったのである。オーイシーナの同志たちは
── 八幡これ見よ
と口々に叫んだのである。
徳川家康がこの様を江戸城から眺めていたという説は、むろん後世の作り話に過ぎない。
(この記載はむろんフィクションです。)
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ナンジャラスタン人民共和国連邦の中央ナンジャラスタン心理学研究院は、公務従事者の小役人度を測定する小役人検査バッテリーを開発し、その妥当性を検討する調査にとりかかった。その結果、公費支出を受ける大学の組織上位者ほど小役人度が高いことを見出したのである。
同心理学研究院では、さらなる調査の結果、大学では組織上位者ほど管轄官庁との接触が多いという相関関係を見出した。その相関関係を根拠に、同研究院の調査チームは、公的支出を受ける大学では組織上位者が管轄官庁と接触することによって小役人度が増すという学説を公表したのであった。
しかしその後、東ナンジャラスタン人文大学の研究チームは、独自の調査によって、同研究院の結論には因果関係の推定に誤りがあると主張したのである。そして、上位者が小役人になるのは管轄官庁と接触するためではなく、小役人度の高い者が上位者に選ばれるためだという説を公表したのであった。
以後、ナンジャラスタン人民共和国連邦では十数年にわたって小役人論争が続くことになったのである。
ヘ(゚∀゚ヘ) す、すごいですね。わが国で測定しても同じ結果になるんじゃないですか?
´ω`)ノ 冗談に決まってるだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 研究費を申請して調査チームを作りませんか?
´ω`)ノ だから冗談だといってるだろ。
(この記載は、もちろん、ただのフィクションです。)
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これはですね。まあ、状況を観察しながらね。まあ、判断する、この点は基本でね。そうする以外にない訳ですけれどね。判断しなければならないことはね、判断してきた。そこは良かったですよね。
しかしこういう状況ですから。何と言うか。まあ、これ、判断しろと言ってもね。ウチではね。ウチだけではね。まあ、出来ないことはある。それは分かるんですよね。
いろんな判断が、いろんな国の判断がね。ある訳ですよね。それの、どれが良いとか、悪いとか。そういうことを言う立場にないのは、確かですけどね。
しかしまあ、なんというか、劇的なね。劇的な判断も必要になることはあるんですよね。あり得るんですよね。
そこでね。まあね。ウチだけでは、なんというか、まあ、できない訳でしょ。諸般の事情で。
ですからね。そこはね。必要があると思えば、なんというか、何とか〇とかね。何とか□とかね。ウチではできない判断をしないといけないと思った時はですね。判断するよう、なんというか、言われたことをやるだけではなくてね。まあ、何と言うか、判断してくれとね。働きかけるしか、ないんじゃないですかぁ? ね。ウチだけでは出来ない訳だし。まあ、ウチだけで判断の材料がね、まあ、揃えられない訳ですからね。
そこはね。ちゃんとね。まあ、お願いします。お願いします。
まあ、有体にいうとそういう訳だけれど。まあ、そこはね。婉曲に言った訳だけれどね。えっ、婉曲でなかったって? いや、婉曲でしょう。遠まわしで、伝わらないんじゃないかと思いましたよ。
まあ、何だね。そういう訳なんですよね。
ほんとにね。どこまで行きますかねぇ。そこはね。ほんと、分からないですよね。
現時点ではね。いろんな国の政府が、いろんな判断をする訳ね。えっ、一緒じゃん、って? まあでも、日本は違うでしょ。まあね。例えばイギリスも日本と同じなんですけれど。判断は。その割には、ああいう措置をやった訳だけれどね。あれは何なんだろうね。大事をとったのかな? まあ、そこは、分かりませんね。
まあ、そこはそんなにね。酷いことには、ならんと思うのね。ここはね、大丈夫でしょ。しかしまあ、あっちだね。いつ判断できるのかね。あれとあれと、あれがある訳でしょ。そこの総合的な判断かな。ウチが決めるのは、いろんなところが決めた後かね。軽いことは、ちゃんとやってるんだけれどもね。そこはね。難しいね。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の団体・組織とは何の関係もありません。)
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20XX年、日本は中国によって自治区として編入されたが、日本人による抵抗運動は続き、日本自治区内では各地で武装蜂起が続いたのである。日本自治区政府の首班である仙極三八は、宗主国中国の徐盛将軍指揮する精鋭部隊によって抵抗運動を弾圧していった。いったんは鎮圧された抵抗運動であったが、日本自治区民は仙極政権の中日友好維持法による弾圧・抑圧に不満を募らせていったのである。かくして日本各地で反乱軍は勢力を拡大していったのであった。
その頃、民々党内部で仙極との権力闘争に敗れた元幹事長の大沢武一郎は、郷里の伊沢ダム村に隠棲し、狩りをしながら過ごしていたのであった。しかし大沢率いる沢山塾の塾生たちは、仙極が放った刺客を捕え、仙極に大沢暗殺の陰謀があることを突き止めたのである。塾生たちは仙極討つべしと大沢に決起を迫った。ここに大沢武一郎は、ついに打倒仙極の兵を挙げることを決意したのである。
伊沢ダム村を発した大沢軍は周辺の自治区政府組織を制圧し、東北鎮台のある青葉城に迫ったのである。青葉城鎮台は、反大沢の急先鋒として知られた小枝野干城が指揮をとっていたのである。
小枝野は、大沢軍に比して鎮台の兵力が弱小であることを悟り、籠城を決意したのである。大沢軍は定石通り、青葉場を長囲して攻める。勝敗は援軍が到着するまで青葉城がもつかどうかである、と踏んだのであった。
しかし参謀の報告を聞いて小枝野は愕然とした。青葉場鎮台にあるはずの食糧、弾薬が、蓬蓮坊による先の仕分けで整理されていたのであった。「おのれ茶坊主め」と小枝野は舌打ちしたが、時既に遅かった。
籠城策がとれぬと知った小枝野は、僅かな側近のみを連れ、夜陰に乗じて城を逃げ出したのである。青葉城鎮台はすぐに大沢軍の接収するところとなり、鎮台兵の一部は大沢軍に編入されたのであった。
小枝野は追尾する大沢軍の松木佐渡守謙行の騎馬隊に二本松付近で捕縛され、あえない最期を遂げたのであった。
小枝野の敗死を知った仙極は、菅平官兵衛を軍監として兵力の集結を図るとともに、再度、宗主国の中国に派兵を要請したのである。しかし中国政府は再び、今回の争いは臣下同士の争いであり、宗主国は関与しないと回答してきたのであった。「おのれ、中国共産党修正主義裏切り者集団め」と仙極は罵ったが、詮無いことであった。「正統派進歩的知識人の名にかけてこの権力は守り抜く」と仙極は北斗星に誓うのであった。
仙極はすぐさま、各地の地域リーダーに兵力の結集を呼び掛けるとともに、主だったリーダーには閣僚ポストを約束していったのである。
その頃、大沢武一郎は須賀川城に兵を留め、仙極と同様に各地の地域リーダーに反仙極の兵を挙げることを呼び掛けたのである。大沢もまた、自らが政権をとった時に与える閣僚ポストの約束を送ったのであった。
その頃、仙極政権の閣僚であった江田林万城は迷っていた。江田林は現在は仙極政権の一翼を担っているが、もともとは大沢派として政界入りした経歴をもっていた。今は閣僚になっているとはいえ、仙極政権下でいつ粛清の憂き目にあうか知れぬという不安を抱いていたのである。江田林は仙極の出兵依頼に応じながら、大沢には内応の約束を送り、どちらにも着けるようにして身の安全を図ろうとしたのであった。
さても、緒戦に勝利した大沢のもとには、旧大沢派の主だった諸将が駆けつけ、その兵力は次第に増大していったのである。小鳩沢由紀一郎と置石駿河守の軍勢が参陣したところで、その兵力は6万に達したのである。大沢は時を移さず白河の関を超え、関東進出に踏み切ったのであった。
一方、仙極側の出兵依頼に応じて駆けつけた軍勢を見ながら仙極も安堵の色を浮かべた。数において大沢軍を凌ぐ9万の軍勢が集結したのである。大沢動くの報に接し、仙極はすぐさま、北澤玄播に2万の兵を与えて宇都宮城に入城させた。そして大沢軍が宇都宮城を攻める間に主力部隊を北上させ、大沢軍を宇都宮城にくぎ付けにして勝利する戦略を描いたのである。
南下した大沢勢は宇都宮城を臨む位置にまで到達した。しかし城攻めで戦況が膠着するのは不利と判断した大沢は、宇都宮城を攻めずに南下して東京に向かう策に出たのである。野戦を得意とする大沢は、仙極の主力部隊との直接対決によって短期に仙極勢の壊滅を狙ったのである。
この大沢軍の動きを密告網によっていち早く察知した仙極の軍監、菅平官兵衛は、主力部隊のみで大沢軍と野戦を戦うことの不利を悟り、北澤勢を急きょ呼び戻すとともに、大沢軍の補給路が伸び切る野州小山ヶ原で一大決戦を挑む策に出たのである。数に勝る兵力で大沢軍を敗走させ、追撃戦で殲滅するシナリオを描いたのであった。
小山ヶ原に北上した仙極軍は、本営を小高い城山に置き、中軍に小前原若狭守、野田下総守の精鋭を配し、右翼の竹尾山に江田林勢、左翼に北澤勢を配して、鶴翼の陣割で大沢勢を迎え撃つ態勢を整えた。
大沢勢は仙極勢の態勢を見つつ、本陣を柿配山に置き、北澤勢に置石、江田林勢に小鳩沢の軍を抑えとしつつ、魚鱗の陣形で仙極勢に対峙したのである。
大沢は「野戦でワシに挑むとは笑止」と自信をのぞかせた。一方仙極は、「大沢戦上手とはいえ、謀略はこのワシが勝るわ」とうそぶいたのであった。
戦闘は敵が近づいたことで狼狽した野田勢の兵の誤射をきっかけに開始された。まず大沢勢の福田肥後と谷口備前の軍勢が仙極勢の中央に討ちかかっていったのである。
ここに関ヶ原以後、日本最大の野戦となる小山ヶ原の戦いの幕が切って落とされたのであった。まさに時は風雲急を告げたのである。
その頃、ナンジャラスタン人民共和国の南ナンジャラスタン人文科学人民大学では、学内組織の再配置が進行しようとしていたのであった。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、結局、なんだ、いろいろいじったけれど、元に戻すということだな。
´ω`)ノ そうみたいだね。
(`ε´) それに付き合わされた奴も、いい面の皮だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 結局、何も解決してねぇわな。
´ω`)ノ 本体業務が同じな訳だ。そこで人員が減って仕事を増やしてるんだから、組織をいじって何とかなる話ではない。本体業務を縮小調整するか、統合でもして効率化するしかなかんべぇ。
(`ε´) どっちも判断できない訳だろ。
´ω`)ノ せめて余計な仕事は作らないことだな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 俺の所に来る話というのは、まあなんだ、上の方をスリム化しないとダメじゃん、という話だわな。
´ω`)ノ ああ、あれ。業務も軽くなるし、経費も低く済むでしょ、ってやつね。
(`ε´) それはさ、教育省が怒るんだろな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 大学にもよるんじゃね?
(`ε´) それができるほど、強くはないんでしょ。
´ω`)ノ ミジメだな。
´ω`)ノ なんだな。経営陣の集団過程の問題だな。
(`ε´) たぶん一方向で盛り上がっちゃうんだろな。
´ω`)ノ そうね、これは集団極性化。新しいことをやる、の方向に行っちゃうんだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 何が問題だ?
´ω`)ノ 異論が言えないんだよ。devil役がいない。
そうこうしているうちに学内組織の再配置が進行していったのである。大学内の各学部には目立った変更はなかったが、部署名にとらわれずに作業するという指示が出る一方、大学本部は有能な職員の供給を約束したのであった。
地域文化創成学部の庶務係には、天才配管工と呼ばれたムジャラク・ソンボレラ氏が係長として配属され、その2か月後の人事異動で、教務係には巨匠と呼ばれた寿司職人のソンジャラ・マルデボロ氏が赴任したのであった。さらに、部署にかかわらずその都度ティームを組んでことにあたることが業務規程に書き加えられたのである。
(ノ゚ο゚)ノ この手続き、わーかんないんすぅ。
( ´・ω・`) 配管のことならわがんだがね。水出たときに来てくんない?
(;ω;) なんで卒業できないんですかぁ。
(*^-^) 修業が足りねぇんでしょう。
怒りに燃えた学生たちが文化創成学部の窓口を焼き討ちしたのはそれから3日後のことだった。焼き討ちから2日後に、タマリン教原理主義ナンジャラ派の教員組織によるバズーカ砲攻撃が大学本部に加えられたのである。この砲撃をきっかけに、キャンパス内の騒乱は市街戦への発展していったのである。ナンジャラスタン陸軍のパラシュート部隊がこの騒乱を鎮圧したのは、バズーカ砲攻撃から3か月がたってからのことであった。
(この記載は未来を舞台としたフィクションです。)
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次年度、非常勤を依頼する人に連絡のメールを出した。ついでに嫌な話も伝えておいた。おかげさまで社会心理学は非常に人気のある授業であるけれど、非常勤枠が確保できるのは次年度までである。残念ながら、社会心理学という科目はこの学部から消える。私が学部の構想により、別の分野の担当になることを決めたからである。
なぜそうしなければならなかったか? ウチの学部は大幅な削減をくらい、多くの分野が消えて行く。私は学部長として、あなたの分野は消えることにさせてくださいと言わざるを得ない。そう言いながら、自らの分野を残す訳にはいかないではないか?
削減があるということは、こういうことである。多くの名著の名訳を残し、フランス政府から勲章を授与されるほどの人を出したフランス文化も消えて行った。アメリカ学会会長がいるアメリカ研究も消えて行った。埼玉県で最も伝統のある地理学の研究室も消えて行った。多くの著名な人材を輩出した文化人類学も、消えて行った。そして今、社会心理学が消え、じきに社会学も消えようとしている。
削減があるということは、こういうことである。君らが「濡れ手い粟」などと、あらゆる侮蔑を浴びせ、削減を決めた、その削減とはそういうことである。
この削減によって助かったポストで、これだけの犠牲を償うだけの、何を生んだというのか。心あるならばこの問いを受けよ。
乾いた風が鳴り人は去る。わが心は言うところを知らぬ。
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20xx年、ナンジャラスタン人民共和国では、今年も人民大学学長が一堂に会して、恒例の人民大学新年会が祝われた。席上、人民共和国教育省高等教育支援局長が扮したナマハゲが現れ、悪い学長はいねが~っ、改革に消極的な学長はいねが~っ、教育省の役人を理事にしねぇ人民大学はねぇが~っ、と言いつつ会場を回るのである。今年も悪い学長は一人もいなかった。その後、各学長は大学饅頭を振舞われ、一同で『巨人の星』を歌うのであった。
東ナンジャラスタン教育大学学長談:いやー、毎年、緊張しますねぇ。
中央ナンジャラスタン工科大学学長談:ほんとに、毎年、どのような指摘を受けるかと、ハラハラしながら出席しています。
ヘ(゚∀゚ヘ) 笑えませんね。
´ω`)ノ 冗談としてはつまらなかったな。
ヘ(゚∀゚ヘ) ナンジャラスタンに調査に行きましょうか?
´ω`)ノ 本気にするなと言っているだろ。
(`ε´)
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1年以上前に、ここで「民主党政権下の国立大学」という予想を書いた。大した変化はない、と私は考えた。その通りになったと思う。
当り前の話であった。特段のビジョンのない民主党政権が、大きな変化を言い出せる訳もないからである。この状況が切り替わる兆候は全くない。だから、今後もしばらく、大きな状況の変化はないだろう。
進化シミュレーションというのをやっていると、長い世代にわたって表面的には何の変化も生じないのに、ある時点で全体の戦略構成が一気に変わることがある。今しばらくは、その変化のない時期を過ごすのだろう、などと想像する。
この間にも変化は出ている。第1に、国立大学の大学間格差、要するに上位国立大と地方国立大のクラスタとしての格差は広がってきている。むろん、旧帝大の中でも差が出ている。第2に、大きな私大が整ってきた。都会周辺の国立大学には脅威になるだろう。
地方国立大学は、どちら様もそれなりに努力をし、それなりの進捗を一応見せている。その中で一頭抜きんでる大学があるかどうかが、見どころかも知れない。今のところは、そのような情報はない。
あまり良い予感はない。本質的にはどうでもよいことを、ああでもない、こうでもない、といじり回す時期が続くのだろう、と思う。
つまらない時期に国立大学に居合わせたな、というのが本音である。
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ただいまご紹介に預かりました江田林でございます。江田林でございます。江田林平八でございます。西荒川県唯一の第2人民大学、西荒川大学、グローバル・キャリア開発文理融合学部長の、エ・ダ・バ・ヤ・シでございます。皆さまの江田林でございます。私のゼミに出れば、きっと一生の親友を見つけることができます。一生の思い出になります。そんなことを約束してしまう、皆さまの江田林平八でございます。有難うございます。有難うございます。皆さまだけが頼りでございます。
いやぁ~、この学部名でございますが。グローバル・キャリア開発文理融合学部。まだね。メモ見ないと言えませんね。ワタシ、やだって言ったんですよね。恥ずかしいじゃないですか。グローバル・キャリア開発なんてね。えっ、言えますか? えっ。ホントに言えますか、あなた? それにまあ、何で、ウチは文系なのに、文理融合なんですかってね、理事に言ったんですけどね。変でしょ。そしたらね、いずれ理系の定員不充足隠しに協力してもらうから、とかね。言われましてね。何それ? そんなのアリーナ西荒川とか、言っちゃいましてね。いやまあ、辛うございます。
それでね。えっ。私に、何話せって言うんですか? えっ。何話せって言うんですか?そこのあなた。あなたですよ。青っぽい背広着て、メガネかけてる、あなたですよ。あなた、先週もそこに座ってたでしょ。違うんですか?えっ。違うって、言うんですか? えっ。
という訳でですね。まあ、あんまり言うこと、ないんですけどね。私もね。この変な学部の学部長になって2年。長かったですね。ふと振り返りますとね。いろんな仕事をやってきましたね。でもね。まあ、なんちゅうか。パッとしたことは、努めてやりませんでしたな。はははは。まあ、それでいいんですよ。
まあね。なんか役付きになると、余計なことをしたがるもんですわ。私もこれまで、いろいろ見て来て、余計なことをして、どんどん状況が悪くなるのを目にしてきましたからね。
まあね。やるって、当人が大変になるだけならいいんですけどね。そうじゃないでしょ。管理職になると、人を巻き込む訳ね。普通は。
でまあ、「やりました」と自慢げにいう馬鹿がいましたな。思い出しますな。でもそれが何でんねん。やらなかったときの結果は出ていないので分んないんですが、当人も消耗し、他人も消耗させただけと、ちゃいますか? たいがい。
まあなんか、役が付くと在任期間のうちに、何かしました、というのが欲しい訳ですがな。で、本人が忙しくなるだけなら、勝手にやんなはれ~ですが。手前でやると決めて、そこからは下に丸投げで、他人を巻き込んで。何を勘違いしてまんねん。テメェの尻くらいはテメェでふけ、と言いたくなりますな。
そこはね。私は、ジャンヌ・ダルクと同じでね。神の声が聞こえるんどすえ。
まあ、上からこう言われてるから、これやろうかなぁ、どうしようかなぁ、と迷っているとね。
ヘ(゚∀゚ヘ) それ、ほんま、やる必要、ありまっかぁ?
という声が聞こえるんですね。でもやるしかないと思えばやりますわな。仕方なしに。そのときはそれ以上、何も聞こえまへん。ところがね、私の心に躊躇がありますとね。
ヘ(゚∀゚ヘ) それ、ほんま、やる必要、ありまっかぁ?
´ω`)ノ うーん、どうしようかなぁ?
ヘ(゚∀゚ヘ) ほな、やめときなはれ~。
となるんですな。するとね。止めるんですわな。後で考えると、止めて良かったと思いますぅ。
この前もね。全学の会議に出ていたら、しょうもないことをやれという。そのとき、聞こえましたな。
ヘ(゚∀゚ヘ) それ、ほんま、やる必要、ありまっかぁ?
で、私もね。思わず、言いましたな。
´ω`)ノ これ、ほんとに、やるんですか?
(`ε´) やるんです。
というから、まあ、しょうがない、と思いましたけどね。しかしまあ、これ、私らの仕事を邪魔してるとしか、思えまへんわな。こんな奴らに、手当払うんですか? えっ。ええっ。こういう役付をなくしたら、財政も助かるし、仕事も助かるし、組織もスリムになるし。悪いこと、ないんとちゃいまっかぁ。
ハイ。西荒川県唯一の第2人民大学、西荒川大学、グローバル・キャリア開発文理融合学部長の、江田林でございました。皆さまの江田林でございました。クビにならずに、また皆さまとお会いできるとよいですね。私のゼミに出れば、きっと一生の親友が見つかる。一生の思い出ができる。そんな約束をしてしまう、皆さまの江田林平八でございました。有難うございます。有難うございます。皆さまだけが頼りでございます。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の出来事とは何の関係もありません。)
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1.失われた20年 2010/09/12
2.教養教育 2010/09/18
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5.続々・教養教育 2010/11/07
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8.続・教養教育 2010/10/24
9.小説・教員定数の再定義(9)2010/08/21
10.小説・教員定数の再定義(8) 2010/08/12
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´ω`)ノ ハイ、お久しぶりでございます。東松山亀次郎でございます。またまた、東松山亀次郎でございます。西荒川県で唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山亀次郎、東松山カメジロウ、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・--でございます。ほぉーっほっほっほっほっほ。ほっほっほっほぅ。何はなくとも亀次郎、一家に一台亀次郎の、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・~~でございます。ほぉーっほっほっほっほっ。
ハイ、今日のお話でございます。またまた、何にしましょうねぇ。いやー、今の政権になってから、思想統制、言論統計が厳しくなりましたですからねぇ。ま、差し障りのない話題と申しますとね。そう、あれ。あれ。アレでございますね。そう、アレ。言い方いろいろありますけど、世間でいうところの、教養教育。はいはい。
えー、なんですねぇ。これはねぇ。どこの人民大学も苦労しているようですよね。まあ、何と言いますか。だいぶ前にね。教養部を解体したでしょうぉ。あの後ね、まあ途中まではそれなりに教養教育をやってましたけどね。だいたいの大学は、旧教養部の分属ポストというのをもらってますから、もらったポストに応じて、前のような数だけ、授業を出す訳ですわな。教養教育として。
ところがね、まあ全般にポストは削減になる、新しいことも始める、ということになりますから、要するに本音ではどうでもよいところは、各学部とも自然と手を抜く訳ですわな。
ですから、この前も全国の16大学地域文化創成系学部長会議というのがありましてね。お宅、どうしてます?とかね。聞きますとね。まあ、どこもお寒い話ですわな。まあどこの大学も、教養教育は解体の過程にありますな。ウチの大学だけの話では、おまへんがな。
一部の大学でね。教養部相当の組織を作りました、という大学がありましてね。まあ、そういうところは、問題がある程度、解決なんでしょうね。でも、そういう大学は、ウチより少なくとも予算規模が3倍あるとかね。学部の教育をすることに決意があるとかね。まあ、そういう大学ですわな。規模も小さく、それだけの決意のない大学ですとね。まあ、どうしようもないんでしょうなぁ。ほほほほほ。
´ω`)ノ 理論的というか、抽象的に言いますとね。これ、公共財への支出とか、共有資源の管理とかと同じ、社会的ディレンマという奴ですわな。典型的な。自分の学部が仮に100の支出をする。それで直接自分に帰ってくるのは10とか20とかですが、全体はそれで潤う。だからみんなで公共財に支出すれば全体が潤うんですが、自分の都合で行動すれば、利益のない選択はしたくない。だからどこも教養教育には支出しない。全体が荒れる。教養教育崩壊、という、まあ、絵に描いたような、典型的な社会的ディレンマの事例ですわな。
´ω`)ノ ですから、まあ、ありそうな話は次のようですわな。各学部とも、自分のところにない領域の授業を出し合うとしますわな。すると、どうせ他学部生のための授業だから、ウチの教員が楽できるようにと、受講学生を多くして授業を出しますわな。授業が少なくていいから。それでちゃんとした教育になる訳ないですが、どうせ他学部の学生が聞く訳ですから、知ったことではないですわな。教員の方も、やる気のない授業をやるんでしょうな。所詮、雑用ですから。
それでまあ、学部としては、その、他学部向けの授業を担当した教員には、代わりに学部手持ちの非常勤枠でも付けるんでしょうな。その教員が担当する他の授業をやるために。そうこうして、ほとぼりが冷めた頃に、他学部向けの授業の方も、非常勤でいいや、ということになる訳ね。それでまあ、他学部向けに、非常勤枠を使って、大教室授業を出すんでしょうな。
まあ、最初は真面目に教養教育の授業を出していた学部も、馬鹿らしいから同じにしよう、になるんでしょうな。私の分野では、これ、腐ったリンゴ効果(Bad apple effect)といいますわな。1個の腐ったリンゴが、樽一杯のリンゴを腐らせる訳ですわな。それでまあ、全体として、管理されない、何やっているか分らない、そういう授業で1年生を教育しろ、てなことになる訳ね。
まあ、そんな授業だけでは、いくらなんでも1年生が可哀想だから、自分の学生向けには、ナントカ・ゼミとかいう、少人数の授業を作りましょう、ということになるでしょうな。そんなナントカ・ゼミを出すもんだから、他学部向けにはますます、大教室のいい加減な授業だけしか、出す労力はなくなりますわな。
まあ、早い話、そんな教養教育なんて、ハナからやらなくていいんじゃないですか?
´ω`)ノ こうやって教養教育は崩壊してゆくんですが、そこで誰かが正義感に燃えて、これではいけない、意識改革をしないといけないとか、まあ、言うんでしょうな。よくある話ですわ。
しかしまあ、文化大革命じゃあるまいし、意識改革を叫んでなんとかなるから、社会科学なんて要りませんわな。意識改革じゃ、結局、ダメなんですよ。一時はよくても。ちゃんと、物事が無理なく運ぶ構造を作らないと。
´ω`)ノ ま、なんですねぇ。最初に真剣に問うべきはね。第1に。そもそも教養教育がホントに必要なんですか、ってことでしょうね。本音ではどうでもよいと思っているなら、やめたらぁ、って、思いますわな。
まあ、言うだけタダなら、誰でも教養教育は重要だと言いいますよ。そりゃ。問題は、自分でコストを払ってでも、ちゃんと欲しいものなのですか、教養教育は、ってことでしょうな。その辺をまずハッキリさせることでしょうな。
教養教育が重要だ、ならそのためのコストを支出しますか、例えばポストを捻出しますか、ってことですよ。誰かがやれ、は、もうないですよね。教養部分のポストを、再定義で消しちゃったんだから。まあ、よくもそんなアホなことを。
´ω`)ノ 第2にねぇ。各学部の専門教育の組織で教養教育も担わないといけないとしますとね、専門教育の組織も教養教育を担えるように変えて行かないと行けないんですわな。それをやりますと、役員会が言いますかぁ、ってことですな。
例えばねぇ。ウチの学部ですとね。専門教育組織が、他学部学生に向けにもできているんですよ。そういう風に作ったんですわ。1年生が聞けるような全学部生向けの授業をたくさん作りましたので、その授業を他学部生に「開放」すれば済むように作ったんですね。
しかしね。学部によっては。まあなんつうか、「自分の学生」のためだけのタコつぼ演習に教員の労力を割くように作ってあるところもある。そういう学部はね、自学部生のための講義も少なくて、学生があふれかえっている。そのあふれかえっている授業では、他学部生に開放することは、できませんわな。だから他学部生向けに、大教室授業を少数出しましょう、になる。そんな授業を聞く他学部学生も可哀想ですわな。
それでいいなら、ウチも同じにやりますよぉ。
だから、専門教育組織も、教養教育を担えるよう、変えて行かないといけない。抵抗はあるでしょうねぇ。そこを役員が判断できますか? まあ、そういう話ですわ。
´ω`)ノ まあ、あのとき、教員定数の再定義というのを、やった。反対した私らの学部の評議員は、これでは教養教育ができなくなりまんがな、と言った。それを構わず再定義をなさった。あのとき何も手を打たなかった。その賛成の挙手をなさった方々が、今の大学執行部の中核におられる。さあ、どう責任を全うなさるんでしょうな。ほほほほほほ。た、た、た、楽しみですな。ほほほほほほほ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の出来事とは何の関係もありません。)
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20XX年、日本は中国によって自治区として編入されたが、日本人による抵抗運動は続き、日本自治区内では各地で武装蜂起が続いたのである。業を煮やした中国政府は、人民軍最強最凶と恐れられた徐盛将軍指揮する精鋭部隊を日本に投入した。徐盛将軍の部隊は日本に到着するや、容赦のない弾圧によって蜂起部隊を潰していったのである。生きながら身体を引き裂く残忍な拷問と処刑によって、住民は蜂起軍に味方するのを恐れ、蜂起軍は次第に撤退を余儀なくされていったのである。
自治区政府首班である仙極は徐盛将軍による秩序回復に安堵し、徐盛将軍の功績を記念するために奥荒川県に徐盛会館を建設したのである。徐盛会館は広大な庭園と会議室、宿泊施設を備えた公共の施設であり、後に仕分けで縮減されるまでその栄華を誇ったと伝えられる。
だがほどなく、徐盛将軍の部隊の残虐行為を写したヴィデオが何者かによってYouTubeに投稿されたのである。仙極自治政府はヴィデオをすぐに削除する措置を取ったが、いったん流出したヴィデオは次々と、別の投稿者によって、世界各国の動画サイトにアップされていったのであった。投稿者はそれぞれ「戦国」を名乗ったため、その投稿グループはいつしか「戦国グループ」と呼ばれるようになったのである。仙極政府は詳細に張り巡らせた密告網を駆使して投稿グループを次々と検挙・投獄して行ったが、その密告網をかいくぐって投稿を続けたのは「戦国三八」と呼ばれるグループであった。
仙極自治政府はすぐに進歩的知識人会議を招集し、対応を協議させた。そして進歩的知識人会議の答申に従い、「中日友好維持法」を制定し、自治区民間の連絡をすべて傍受し、反中国的な通信をすべて遮断するとともに、反中国的思想の持ち主を特定して、次々と検挙して行ったのであった。
しかし日本自治区民は次第に、この中日友好維持法による弾圧・抑圧に不満を募らせていったのである。徐盛将軍によっていったんは鎮圧された反乱部隊は、北朝鮮からの武器の密輸によって、次第に勢力を拡大させようとしていたのである。
その頃、仙極との権力闘争に敗れた民民党元幹事長の大沢武一郎は、職を解かれて郷里の伊沢ダム町で狩りをして過ごしていたのであった。大沢率いる沢山塾の書生たちは、仙極が放つ刺客から大沢を守るために、日夜警護を続けていたのである。
あるとき、沢山塾の塾生たちは不審な男を捕縛した。拷問の末、男は仙極が放った刺客であることを自白したのである。
沢山塾の塾生たちは怒りに震えた。そして仙極を倒すために挙兵する動きに出たのである。この機に立つよう迫られた大沢武一郎は、ついにこの挙兵の総大将となることを決意したのであった。
大沢立つの報は日本自治区内を駆け巡り、衝撃を与えた。中国政府は、大沢が親中国の巨魁であることを考え、この争いを傍観することを決めたのである。
伊沢ダム村を発した大沢軍は周辺の自治区政府組織を制圧し、東北鎮台のある青葉城攻略を目指して兵を進めたのである。青葉城を守るのは小枝野干城が指揮する鎮台兵たちであった。小枝野は反大沢の急先鋒として知られた人物であり、大沢軍は小枝野の打倒を目指して震えたったのである。仙極は兵を揃えて青葉城に援軍を送ろうとしたが、それまで小枝野の青葉城鎮台が持つか否かが勝負の境目となった。
青葉城に進軍する大沢軍、それを迎え撃つ小枝野軍。時はまさに風雲急を告げたのである。
その頃、西荒川県唯一の第2人民大学、西荒川大学では、次期の教養教育の検討が開始されていたのであった。
ヘ(゚∀゚ヘ) これさ、ホント、わがんねなぁ。
´ω`)ノ ホンマだね。
ヘ(゚∀゚ヘ) なんでこんなに、授業によって受講者数の上限が違うんだ?
(`ε´) 授業をやりたくない学部があるからでしょ。
ヘ(゚∀゚ヘ) そんなの、アリ?
´ω`)ノ なんだな。教養教育は崩壊の過程にあるな。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあな。ここがやらないでしょ。するとこっちもやんないよね、何れ。
´ω`)ノ それでお終いだよ。だいたい、教養教育は、そんなに重要と思ってんのかね?
ヘ(゚∀゚ヘ) そごがわがんねな。口では重要と言っている訳ね。でも口だけだろな。
(`ε´) 俺、どうでもいいと思うよ。本音でさ、ウチの学部で他の学部の授業、必要か?
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、自然科学かな? 足りないの。
(`ε´) でも3つか4つ、非常勤を頼めば終わりだろ?
ヘ(゚∀゚ヘ) まあな。
(`ε´) ほんとは、どうでもいいと思ってんじゃね、どこの学部も?
´ω`)ノ 今回はさ、授業での到達目標が主眼なんだよな。本来。しかしこの受講者数で到達目標の達成はないよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、結果大人数になる授業は出てもいいけどさ。計画段階でこんな大人数の授業を予定するなんて、あり得ねぇー。
´ω`)ノ 到達目標の設定と矛盾してるよな。
(`ε´) この授業がまた、この中身。何を聴かせるべきか、は関係なくて、教員がいかに楽するか、ってな話だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、そうなるよ。誰がほかの学部の学生のために、一生懸命やるかい?
´ω`)ノ そうであってはならないんだが、まあこれじゃ、そういうことだな。
(`ε´) ま、なんだ。他の大学も同じだと思うよ。
´ω`)ノ その辺が落ちかな。
ヘ(゚∀゚ヘ) こういうところには、大学の資源は使わないのかな?
´ω`)ノ そこは、思惑があるんでしょ。
(`ε´) これだとさ。各学部が勝手にやれ、の方がいいかな。必要なら学部の判断で他学部にお願いしろ、ってことね。
´ω`)ノ バーターで決めるのかな?
(`ε´) そうそう。
ヘ(゚∀゚ヘ) その方が、良い教養教育になるかな? 少なくともウチは。
´ω`)ノ ほほほほ。
(`ε´) ほほほほーほほほ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほっほっほっほーほほほほ。
(`ε´)´ω`)ノ ヘ(゚∀゚ヘ) はははははははははははは。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の出来事とは何の関係もありません。)
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20XX年、太平洋岸海域を我が手に収めた中国は、「日本は古来から神聖な中国固有の領土である」と主張し、日本の占領を宣言したのである。時の小前原外務相は激こうしたが、首相の仙極は小前原の言動を抑え、あくまで互恵関係に立った解決を支持して中国との交渉に入ったのであった。仙極の主張は一部認められ、日本は自治権を認められた日本人自治区として中国に編入されることとなったのである。
仙極の柳腰外交に怒った小前原は郷里の丹波篠山城に籠って挙兵した。しかし民民党幹事長大沢武一郎は大軍をもって篠山城を包囲、小前原の抵抗むなしく篠山城は落城したのである。大沢は小前原の一族を悉く誅し、その首を城壁に並べたと伝えられる。
日本を自治区として編入した中国は、旧米軍基地跡を接収し、すぐに人民軍を日本に駐留させた。それと同時に日本人自治区民の間に詳細な密告制度を導入し、日本人の通信をすべて傍受して国内同様の思想統制を敷いたのである。国立大学は人民大学となり、教育学部は中国共産党直属の思想改造学部として、一段高い地位を約束されることとなったのである。
月日が流れ、日本の中国支配も安定したかに見えたが、日本人の抑圧への嫌悪は高まって行った。その世論を背景に、日本人自治区では抑圧への抵抗を謳う文学が発達していったのである。その代表とされる山田高白は、刑事犯として刑務所にあったが、時のノーベル賞委員会は山田高白にノーベル文学賞を与え、中国による日本人民抑圧への警鐘を鳴らしたのである。中国政府はすぐにノルウェイを恫喝するとともに、山田高白の妻を監視下に置き、山田高白に関する記事をすべて流通禁止としたのであった。この間に海外に亡命していた日本人活動家は、日本の現状を国際世論に訴えるとともに、山田高白の即時解放と日本の独立を求めて運動を展開していったのである。
海外での独立運動に刺激された日本人数万人は、5月4日に東京市内で未公認の抗議集会を開いたのである。集会はデモへの移って行ったが、彼らが半蔵門に辿りつたところで中国軍の戦車がデモ隊を包囲した。これが後に血の半蔵門事件と呼ばれる虐殺劇であり、死者の数も未だに明らかにはされていないのであった。
だが、この半蔵門事件を境に、日本人自治区内では多くのゲリラ部隊が組織され、中国軍人や密告者にテロを加えるようになったのである。ゲリラ部隊はアルカイーダの支援を受け、日増しにその支配地域を増やしていったのである。
この混乱に乗じ、アメリカは突如、海兵隊を中国占領下の沖縄に派遣したのである。不意を突かれた中国は北朝鮮に艦隊の派遣を要請した。しかし北朝鮮から沖縄に向かう艦隊は、函館漁港を出たイカ釣り漁船団に行く手を阻まれたのである。北朝鮮艦隊とイカ釣り漁船団は熾烈な戦闘を展開したが、北朝鮮艦隊はついに、イカ釣り漁船団によって対馬沖で殲滅されたのである。
北朝鮮からの援軍が全滅したという報は日本人自治区を駆け巡り、さらなる武装蜂起を促した。ここで中国政府は、人民軍最強と恐れられた徐盛将軍指揮する精鋭部隊を日本に投入したのである。時はまさに風雲急を告げたのであった。
その頃、西荒川大学では、次期の教養教育をどのように設計するかの議論を始めていたのであった。
ヘ(゚∀゚ヘ) これさ、ホント、何やろうとしているか、分るぅ?
´ω`)ノ わがんね。
(`ε´) まあ、なんだよな。どういう教育をするかも話し合わずに体制をどうするかを話すからな。訳分んねぇよな。
´ω`)ノ 何年か前に教養部を潰したじゃん。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうだよな。
´ω`)ノ それで教養部教員が学部に分属になってさ。今までは教養部分属教員数に従って学部が教養教育の授業を負担していたけどさ。その教養部定員を召しあげて削減した訳だから、誰もやらねぇよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 分属定員を召しあげたときに、そのこと、考えなかったのかな?
(`ε´) そうみたいな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 誰も何も言わなかったのか?
´ω`)ノ そりゃ、減らされた学部はさ、これから教養教育できないぞって言ったけど、お構いなしに召し上げにして削減したんじゃない?
ヘ(゚∀゚ヘ) ちっとは、考えるべきだよな。そんな馬鹿なことした大学、他にないぞ。
(`ε´) ま、その召し上げやれば、目の前のテメエの削減がしないで済むって、目先のことだけ、考えたんだろうな。
ヘ(゚∀゚ヘ) そのアホなところが、暗くなるよな。
´ω`)ノ ところで、知っているか? 昔、まだ国立大学って言ってた頃?
(`ε´) 何かあったのか?
´ω`)ノ いやね。その昔も、教養部があったんだって?
ヘ(゚∀゚ヘ) ほんまかね。それ、どうしたの?
´ω`)ノ いやね。その時もね。教養部を解体して、分属をして、その分属教員の数に従って教養教育をやってたんだってさ。
(`ε´) 同じだな。
´ω`)ノ でもやっぱりさ。苦しくなってその分属分を召しあげてさ。削減に使ったらしいぞ。
(`ε´) まったく同じだな。
ヘ(゚∀゚ヘ) で、どした?
´ω`)ノ いやね。その後で、やっぱ、教養教育が大事だとか言い出したときには、人員がないから、困ったみたいな。
(`ε´) 全部同じなんじゃね?
ヘ(゚∀゚ヘ) で、そのときは結局どしたんだ?
´ω`)ノ それがね。あの頃の歴史が、記録に残っていないだろ。どうしたか、よぐわがんね、ってね。
ヘ(゚∀゚ヘ) で何かい? 歴史に残せないほどの、暗い出来事が続いたのか?
´ω`)ノ さあね。
(`ε´) まなんだ。歴史は繰り返すような、繰り返さないような。
´ω`)ノ なんかさ、これ。この大学のDNAとして、書き込まれてんじゃねぇの?
ヘ(゚∀゚ヘ) まさか。
(`ε´) あるかもな。
ヘ(゚∀゚ヘ) じゃ、おれたち、これからどうなるのかな?
´ω`)ノ ほほほほ。
(`ε´) ほーほほほほほ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほほほほほほほほほほほ。
(`ε´)´ω`)ノ ヘ(゚∀゚ヘ) はははははははははははは。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の出来事とは何の関係もありません。)
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20XX年、日本国内では政治勢力が中国派と北朝鮮派に分かれて熾烈な権力闘争を繰り広げていた。その政治的混乱に乗じ、中国は海兵隊を日本本土に派遣し、一気に日本の制圧を目指したのである。しかし北朝鮮派の小鳩沢首相は急きょ北朝鮮と軍事同盟を結び、中国軍の侵略に対抗しこれを駆逐した。それを気に北朝鮮の金正宗将軍は皇帝を称し、小鳩沢を東征将軍に任じたのである。ここに小鳩沢は日本に幕府を開き、年号は千峰景と改められたのであった。千峰景時代に、日本はしばし安定した時期を過ごしたのである。
しかし千峰景22年9月、中国は日本列島の西半分の領有を主張し、突如として三軍を発して日本の侵略を開始したのであった。
時の将軍、菅平官兵衛は、老中の仙極伯耆守に国土防衛隊の指揮権を預け、中国軍の侵攻の阻止に当らせた。それとともに、北朝鮮皇帝に対し、援軍の要請をしたのであった。
北朝鮮からはミグ17の大編隊が援軍に駆け付けたが、その半数は東海に墜落し、沖縄上空の空中戦で中国空軍のミラージュの餌食となって全滅したのである。後に、北朝鮮空軍機は帰還するための燃料を積んでいないことが判明し、世人の涙を誘ったのであった。
仙極伯耆守が率いる国土防衛隊は沖縄方面で熾烈な戦闘を展開したが、衆寡敵せず、残った兵力をまとめて、かつて米軍がいたという普天間遺跡に立て篭もって最後の抵抗を続けたのである。しかし中国軍が総攻撃を初めて1週間後に普天間の国土防衛隊は壊滅し、仙極伯耆守は自刃して果てたのであった。
仙極率いる国土防衛隊の壊滅の報に接した将軍の菅平は、若年寄の小前原壱岐守にゲリラ戦の準備を命じた。と同時に、第2次の国土防衛隊の組織化にかかったのであった。時はまさに風雲急を告げたのである。
その頃、西荒川大学では『西荒川大学73年史』の編纂事業が開始されようとしていたのであった。
ヘ(゚∀゚ヘ) これ、ホントにやるの?
´ω`)ノ まあ、私も言ったんよ。何も今やることないんじゃないですか、って。この前が『西荒川大学50年史』だった訳だから、『西荒川大学100年史』のときにやればいいんじゃないですか、って。何も、この忙しいときに。
(`ε´) で、そう言ってどうした?
´ω`)ノ いやね。学長がね。アンタ、西荒川大学は100年もつ訳ないんだから、今やらなかったら、もうやるときないよ、ってね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 当っているかもね。
(`ε´) 重く響く言葉だな。
´ω`)ノ でもね。なんで『73年史』なんですかって、いったんよ。『70年史』とか『80年史』とか、せめて『75年史』とか、切れ目の良いところならともかく、なんで半端な『73年史』をやるの?って。
ヘ(゚∀゚ヘ) どうした?
´ω`)ノ いやね。私の任期を考えると『73年史』でやらざるを得ない、後の世代に負担を残す訳にはいかないって。
(`ε´) 何としてもやりたかったんだろうな。
ヘ(゚∀゚ヘ) これ、できて、見る人いるの?
´ω`)ノ 読む人はいないまでも、まあ、見る人は少しはいるんだろうな。この前の『50年史』の発行部数を見ると…。こうだな。まあ、これだと、内部で配って、もらってくれる所に送って、それで終わりだな。
(`ε´) これ、やることに意味があるって、理屈を付けないと、誰も働かんよ。
´ω`)ノ そこが悩みの種だわな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 近々、身売りするのに、ウチはこれでっせ、って言えた方がよい。
(`ε´) ある程度リアリズムがあるな。
´ω`)ノ これさぁ。『50年史』がこれじゃない。見た? まあなんちゅうか、事実と意見が混然一体となって、資料的な価値はないよな。
(`ε´) 笑っちゃうんだよ。この辺とか、小学校の卒業文集みたいだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ○○の解体のところなんかは、さすがに詳しいこと書いてあるけどね。
´ω`)ノ でも妙に情念があって、すんなり頭に入らないよな。
(`ε´) そこんとこはねぇ。同じことを言っているんだろうが、こっちの部局だと別のことが書いてあるんだよ。
ヘ(゚∀゚ヘ) お互いの夢の跡があったのかねぇ?
´ω`)ノ まあ、これはさ。書いてあることには価値はないけど、その時の書いた人の精神状態を表す、貴重な資料というのかな?
(`ε´) ほほほ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほほほほほほほ。
´ω`)ノ ほほほほほほほほほほほほ。
(`ε´)´ω`)ノ ヘ(゚∀゚ヘ) はははははははははははは。
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ヘ(゚∀゚ヘ) この前、たまたまね。何人かで話していてさ。
´ω`)ノ ほいほい。
ヘ(゚∀゚ヘ) なかなか、いい話があってね。
´ω`)ノ ほい。
ヘ(゚∀゚ヘ) なぜかそういう話になったんだが。一応国立の、研究中心とは誰も思わない大学でね。
´ω`)ノ ま、アレ系だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 何がいい話って、そこで、実に立派な研究をしている人がいるって話でね。
´ω`)ノ つまり、泣かせる話ってか?
ヘ(゚∀゚ヘ) そうそう。目先のことにとらわれずに、地道にやってる、立派な人がいるって話よ。
´ω`)ノ そんないい話か?
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、泣かせるじゃん。
(`ε´) まあな。でもさ。そりゃ、いるんだよ。たいがい。どこでも。国立くらいの規模があればさ。ウチだって、そうだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、そうなんだが。
(`ε´) 二八の法則って言うじゃん。販売店の売り上げの8割は、2割の上得意からの売り上げなんだよな。組織の仕事の8割は、2割の頑張りでやっている訳よ。その2割が1割かも、1%かも知れないけど。いいのだけ見れば、どこにもいるんだよ。
ヘ(゚∀゚ヘ) そういうもんかい?
´ω`)ノ 二八の法則って、根拠あるのかい?
(`ε´) パレート以来の確率分布の問題だからな。ま、経験則かもな。
(`ε´) やな予感もするんだよな?
´ω`)ノ ほいほい。
(`ε´) だからさ。上の2割だけ見ると、ウチ、いいじゃん、と思う訳ね。誰しも。
´ω`)ノ まあそうだな。
(`ε´) だから、頑張ろうという気になる訳だろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 結構じゃないの。
(`ε´) そうなんだが。まあ、無理なところを無理する訳だろ。勝手に無理するだけならそれまでなんだが。金が必要な理系はさ、そこで金使うって、話になる訳だろ。
´ω`)ノ 教育には金回らないとかね。
ヘ(゚∀゚ヘ) そこまでするか?
´ω`)ノ あとさ。変に、実力主義とかなる訳だろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) いいんじゃないの?
´ω`)ノ ま、いいっちゃ、いいんだが。でもさ、准教授を教授に上げなくなるよな。
(`ε´) 全部公募ってことね。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、私ら、関係ないからいいけどね。
´ω`)ノ ほんとに、やればいいけど。その准教授さんしか該当者がいないような制約をつけて、形だけの公募をする訳だろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほんとにいいのが来たりね。結構なんじゃないの?
´ω`)ノ ま、それで組織が成り立つか、だよな。実際問題は。
´ω`)ノ まあな、そういうのを実力主義というとすればね。実力主義には何れ、どこもなるよな。実力主義はナッシュ均衡解なんだよな。だからある程度の大学がそういう方針をとるとね、どこの大学も実力主義を採用せざるを得なくなる。
(`ε´) 理屈だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 結構じゃないの?
´ω`)ノ それを結構といえば、確かにそうなんだがね。見落としていることがあるよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうかい?
´ω`)ノ 実力主義ってことはね、移動に障壁がなくなることだからね。いい人はみんな上に行っちゃう訳よ。
(`ε´) すると何か、二八の二も、どこかに行っちゃうのか?
´ω`)ノ センター試験の結果と同じだな。教授陣も輪切りになる訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 理屈だな。
´ω`)ノ アメリカとかさ、いろんな大学が競い合っているってイメージだけどね。地域で見ると、学生も教授陣も、あからさまな階層制がある訳ね。
(`ε´) 問題はウチがどのくらいの階層にいるかだな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 輪切りになって上がることはないか?
´ω`)ノ そこは、楽観的に考えるか、悲観的に考えるかだわな。
ヘ(゚∀゚ヘ) あんたの意見は?
´ω`)ノ 悲観的だわな。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、なんだろ。単純な階層制ではなく、ウチに特色があればいい訳だろ。単純に上下の尺度に収まらないで済むように。
(`ε´) それもそうだよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 特色をはっきりさせることの意味は、そこにある訳だな。
´ω`)ノ でもウチは何だろ。看板にするというのが、脳とか環境とかだろ。どこでもやってる。それ、ダメじゃん?
ヘ(゚∀゚ヘ) いや。あれ。脳とか環境とか言ってもさ。ウチは十分特殊なんじゃね?
(`ε´) そうか、特殊か。
´ω`)ノ 十分特殊。
(`ε´) ははははははは。
ヘ(゚∀゚ヘ) ははははははは。
´ω`)ノ ほほほほほほほほ。
(`ε´)´ω`)ノ ヘ(゚∀゚ヘ) はははははははははははは。
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ハイ。もしもし。東松山でございます。東松山亀次郎でございます。西荒川県で唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山亀次郎でございます。はい。もしもし。あっ、北蕨先生でございますか。東松山でございます。亀次郎でございます。はい。えーえー。はいはい。あの、教養教育の件でございますね。いや、先生、この前の委員会にはおいで頂けませんでしたけど。はい。はい。明日の企画調整室会議でございますよね。はい。よろしくお願いいたします。はい。あれは、でございますね。委員会の資料をお送りしていたと思いますが。はい。はい。そう。あれ、資料の通りでございます。はい。はい。資料にあるところまで、ウチの学部で開講しますと仰って頂ければ、結構でございます。はい。
そう。そうです。だいぶ少なくしたんですね。まあ、簡単にいえば、ウチはここまでしかやりません、ってことですね。はい。
いやまあね。ウチがね。教養教育を、随分とやってましたよね。この前まで。はい。まあ、あれ、もともとウチは何もしなかったですよね。教養部教員の分属というのがあって。はい。あれで随分とウチの学部で受け入れて。はい。それからでございます。教養教育をたくさん引き受けることになったのは。分属教員のポスト当り授業いくつ、ってことでした。はい。いやそれでね。例の、アレ。教員定数の再定義。アレで全部、分属教員ポストは剥ぎ取られましたから。はい。ですから、まあ、もとに戻る訳ですわな。はい。
そうです。それで結構でございます。はい。そう言って、お願いいたします。はい。
まあ、なんですね。今、教養部分のポストですね。もう、どこにもありませんからね。まあ、仕方なくウチの学部もやりますけどね。でも、特にたくさんやる、というのは、もう無しです。はい。はい。
まあね。そうなんですね。教養教育科目の引き受け学生数ですとね。昨年度もね。何ですね。まあ、例えば産業組織学部さんの、倍以上なんですね、うちの学部が引き受けていたのは。いくらなんでもね。まあ、規模に応じましてね。他学部並みはまあ、仕方ないですけどね。でも、分属教員ポストを引き剥がされた上に、そこまで余計やるって、もうそりゃないですよね。誰にも分る理屈でございますよね。
まあ、これ。ウチの学部が決めたことじゃ、ございませんしね。教員定数の再定義を決めた。あのとき、ウチの学部がそれまでのように、教養教育をやる必要はないって、全学で決めたことですよね。ウチらは反対したけど、あちらさんが、みんなで、そうしようって、決めたことでございますよね。
あはは。まあ、今後、どうなりますかねぇ。いや、この前もね。西三郷先生ですけどね。そう。あんた、大学の一員として、考えてくれてもいいんじゃないの、とか、仰っていましたけどね。そりゃ、気持ち、分らないのでないですが。でもね。大学の一員がどうのって言うんでしたらね。どうして、その大学の一員の私らがあれだけ困るような、教員の再定義を、平気でやったんですかね。ええ? ええ? あんたら、ほんとは、私らを、一員とは思っていないんでしょう。そうでしょう?ってね。私らを一員と思わないから、あんなことができたんでしょお。ええ? それで、あんなことしておいて、今さら一員でしょって、言うんですかぁ? ええ?ってね。そう。そうです。私もね。私もね。えーえー。むかっと来ましてね。えーえー 。ほんと。悔しくってね。ほんと。涙が出ちゃいましてね。えー。
まあ、もう、仕方ないですね。どうなるんですかねぇ。あれが良かったんですかねぇ。いやなんか、あんな再定義なんてしないで、私らに、教養教育を押し付けておいた方が、あの人たちも良かったかも知れませんけどね。まあ、こういう道筋を取りましたからね。もう、引き返しようもないですよね。行くところまで、行くんですね。
まあ、それでよろしくお願いします。はい。まあ、誰も文句は言えないと、思いますよ。はい、はい。よろしくお願いいたしますぅ。はい。ではでは。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の組織・団体とは何の関係もありません。)
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ハイ、お久しぶりでございます。東松山亀次郎でございます。またまた、東松山亀次郎でございます。西荒川県で唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山亀次郎、東松山カメジロウ、一家に一台亀次郎、何はなくとも亀次郎の、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・--でございます。ほぉーっほっほっほっほっほ。ほっほっほっほぅ。
ハイ、またまた、今日のお話は、何にしましょうねぇ。思想統制、言論統計が厳しい昨今でございます。密告システムなんてのも、いろいろございましてね。こいつ、何いってるか、とかね。
ですから、まあ、差し障りのない話題ですよね。そうね。そう。今日はあれ。「失われた20年」というお話にいたしましょう。ほほほほほほほ。
「失われた20年」と言いましてもね。平成の頃の、「失われた20年」ではなく。まあ、実は30年でしたけどね。ちゃいまんねん。私んとこの、地域文化創成学部の「失われた20年」でおまんがな。ホウホウ。
ちょうど20年なんですわな。西荒川大学の教養部を解体し、旧教養部教員の「分属」というのをやってから、その分属教員分のポストを全学召し上げにするという「教員定数の再定義」までの間が9年。そこで決めた「教員定数の再定義」で、ウチの学部が退職者ポストを全学にひたすら差出し続け、削減し続けたのが11年。11年って、まだこの先、今年を入れて6年ありますが。11年間。9年と11年で、ちょうど20年なんでございます。
まあ、その教養部教員の分属の件ですが、これってね。ウチの学部に多数分属になったのは確かです。けどね。別にそのときに、ウチでそうして下さいって言った訳ではないですよ。まあ一部に、自分たちのコースを作りたいからと、この人欲しいと言ってた人はいますけどね。組織としては、まあ、多人数を受け入れると言うのは、面倒な話でね。学部の組織も変えないといけませんしね。今のままやれた方が楽だ、というのが本音でしたね。
他の学部も「受け入れたい」という訳でもなかった。差し障りのある話ですが、ポストは欲しいがあの人は嫌だ、ってな話ですよ。ですから、まあどこかでね。明らかに英語系の先生だけれど、英語の部署では受け入れずに国語の部署に入れた、とかね。まあ、訳の分からないこともありましたわな。
でも、学長裁定(文書によっては「学長決裁」と書いていますが)ですから、そこはウチの学部は受け入れた。それで何年かかけて、学部組織も変えた。当時分属教員には共通教育のノルマがくっついていましたが、Equal Footing の原則に従って、そのノルマも仲間内で分担することにした。そんなことした学部は、ウチの学部だけでしたよね。学長裁定に忠実に従って努力して、9年の歳月が流れたんですな。その間、苦労して学部組織を2度変えました。私も大変でしたよ。
しかしまあ、9年も経ちますとね。ポストの上にいた人も退職なさる。するとその分属ポストが、まあ、資源としての「ポスト」に見えてくるんでしょうな。それで、テメェたちは受け入れなかったそのポストが欲しくなる。あの学部だけ得したんじゃないか、「濡れ手に粟、濡れ手に粟」なんて、9年も経つと言い出す奴がいたんですわな。
人の欲には限りがないとはいえ、いい加減にしろ、ふざけるな、ですわな。
それでまあ、例の「教員定数の再定義」というやつがありました。
分属にしろ、教員定数の再定義にしろ、ウチの学部に全学の影響を吸収させた、押し付けた、というのが実態ですわな。
再定義を決めたときに、「旧教養部の語学教員ポストにいる人10名(その中には語学と関係ない人もいる)」と「元外国人教師4名」を、規程も方針も存在しない何とかセンターに移せば、その分は全学に「返還」したこことにしてやる、そうすればウチの学部の負担も軽減できる、という案の提示が、役員側からありました。簡単にいえば、仲間を売れば助けてやる、という話でしたわな。よくもまあ、人として最も卑劣なことを言って来た。しかし、我々は鬼畜ではない。人としての一部がある。むろん断りましたがな。
そうして、11年間、退職者ポストはすべて全学に差し出す、ということになりました。11年。11年ですよ。その間に、当然、学部構成員は高齢化しますから、教授ポストを全学から借りる。その返還に約20年かける、というのが当時の学長との約束でした。
定年退職ではなく転出者のポストでは、新規人事として新たに採用できます。ただ、転出者は何時生じるかは分からんです。ですから、転出者による空きポストの出現は、計画には入れられないない。
下手をすると、転出者が出て、そのポストを俺たちによこせ、嫌だ、といった話になる。そのことに学部長はいつも悩まされる。
これが「失われた20年」というのは、いっそ教養部分属がなければ、ウチの学部が全く受け入れなければ、楽だった、ということですわな。受け入れと召し上げ。その連続の中で、私たちは無意味な消耗を強いられたということですわ。この20年は、まさに失われた歳月でありました(まだ終わっていないけど)。
特にこの再定義で、学部の中では虫食い状にポストがなくなる。すると領域として消滅するもの、「この領域1人だけ」というもの。そんな状態になる。ですから、全体として組織の体をなさなくなる。
学部構成員の高齢化も進む。だから仕事をやれと言って、働き手の世代がいないのですわな。採用可能人事では年齢の低い人を入れて凌ぐしかないですが、それがまた、新たな年齢構成の歪みを作る。
「失われた20年」は、あと、5、6年で終わりますが、その負の効果は、これから出てきますわな。今までは人がいた、その余力でやって来られたけれど、そろそろ疲れがドッと出てくる。ここをどう乗り切るか。
乗り切れなければ、「失われた20年」が30年にも、40年にもなるんでしょうな。まあ、そこまでこの大学があるかどうか、ですが。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、現実の組織・団体とは何の関係もありません。)
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教員定数の再定義が評議会を経て決定されたことにより、千峰景16年の年度末から、この再定義が実施に移された。地域文化創成学部はその後毎年、粛々とポストの全学への供出を続けていったのである。
地域文化創成学部などが供出したポストは全学分となった。だから、その全学分ポストを使った「バブル」が出現しても不思議はなかった。少なからぬ学内有力者は、このポストを中越谷学長が「有効利用」することを期待した。
しかしバブルは生じなかった。中越谷学長はむしろ緊縮路線を取り続けたのである。全学分となったポストは、人民大学への交付金の削減分、および総人件費抑制分として消えて行ったのである。
もともと、純粋に財政的な理由からは、この時点で教員の再定義をする必要はなかった。時間的にはまだ余裕があったのである。しかし再定義を推進する側は、学長がその気になった機会に一気に再定義を決めることを望んだ。再定義実施の理由を補強するために、全学的な展開のために再定義が必要だ、という議論を彼らは用意したのである。そして半ば、全学化したポストを自らのために学長が使うことを期待したのである。全学化したポストを削減に使おうとする中越谷学長と、再定義推進派との間には、思惑の違いがあったといってよい。
中越谷にはそれなりの目算があった。彼が恐れていたのは、交付金という定常的な財源が減額されることにより、各部局が基幹業務において従前の機能を果たせなくなることだった。
大学の将来的な展開のための新規事項を作る案は、理工系を中心に学長の耳にもいくつか届いていた。しかし中越谷の眼には、それらがあえて追加的資源を投入する価値があるものとは映らなかった。なるほど、資源を投入して事業を展開すればそれなりの進捗を見込めるかも知れない。しかしその程度で根本的な事態が改善されるとは、先端大学の事情に通じていた中越谷には思えなかったのである。この大学は新規事項にまい進するだけの余裕はない。むしろ足元を固めることが先である。足元を固めるだけの時間を作るには、ポストの削減によって交付金の減額をしのぐしかない。これが中越谷の出した結論であった。
そこで、全学化したポストを使うとき、いつでも撤回できるような、どうでもよい用途にだけポストを付けて行ったのである。その「どうでもよい」用途を中越谷に提示し続けたのは中目黒であった。ここに、中目黒率いる栄養士養成学部と中越谷学長との蜜月が現出することになったのである。
この間、地域文化創成学部長の上毛呂山が時折提起したにもかかわらず、将来的に教養教育をどのように行うかの議論は、一切なされなかったのである。
かくして中越谷学長の治世が何年か経過した。この間の中越谷の学長としての実績は悪いものではなかった。しかしそのとき、西荒川大学の人々は、中越谷学長が醸し出す政策の暗さに、嫌気がさしてきたのである。そして法人化とともにもたらされた鬱屈を、中越谷学長と重ね合わせて人々は認識し始めていたのである。
次期の学長選が近づいた頃、学内の有力者は次期の学長をどうすべきかを協議し始めた。そしてまず、中越谷学長の再選はない、と了解し合ったのである。
中越谷学長の再選の目がなくなったことに狼狽したのは、それまで学長の下で恩恵を受けていた中目黒であった。そこで中目黒は、中越谷の腹心だった石蔵山理事を学長にすることで調整を図ろうとしたが、有力者連は石蔵山にも首を縦には振らなかった。そこで中目黒は、理系にも受けが良い外部者の担ぎ出しに動き、学内での打診を始めたのであった。
再定義により教員数(票数)を落としていた地域文化創成学部や産業組織学部は、もはや中目黒の眼中にはなかった。教員数を維持した栄養士養成学部が理工系の票を集めれば、選挙は簡単に終わる、というのが中目黒の戦略だった。
中目黒の動きは中越谷も察知した。そのことを見越して、中目黒は中越谷に仁義を切りに出向いた。そして中越谷に、学長選では別の候補者を立てることを告げたのである。
中越谷は絞り出すような声で「裏切り者」と叫んだ。多くの人に嫌われながらも、私はお前に恩恵をもたらしてきたではないか。もらうものをもらったから、ここで手のひらを返すというのか。中越谷は心でそう思ったが口にはしなかった。
私は悪くない。あなたが悪い、と中目黒は答えた。私があなたを支持できなくなったのは、あなたが変なことばかりするからではないか。そのために私は、部内の不満も抑えてきたが、もう限界だ。これ以上私に、黙ってついて来いというのか。中目黒は心でそう思ったが、やはり言葉にはしなかった。
中目黒は、彼が今まで多くの人に向けてきた冷たい背中を、中越谷に向けて去って行ったのである。
この後、中越谷は次期学長に立候補し、中目黒が擁立した候補者も立候補した。両者とも鎬を削って奮闘したが、次期学長となったのは学内有力者連合に推された第3の候補者であった。
かくして教員の再定義を選択した中越谷は西荒川大学を去って行った。しかし、彼が遺した教員の再定義はその後も引き継がれ、長い年月をかけて完全に実施されることとなったのである。この間に「全学化」したはずの旧教養部ポストは、削減の嵐の中でどこへともなく消えて行ったのである。その後に教養教育をどうするかを巡る迷走が待っていたことは、今さらいうまでもない。
(完。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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千峰景16年8月26日の評議会で教員定数の再定義は決定された。地域文化創成学部はその後11年をかけて、すべての退職教員のポストを全学に「返還」することとなったのである。地域文化創成学部の完敗であった。
この評議会の結果を、東松山は訪問した西小鹿野の研究室で西小鹿野から聞いた。そうか、やはりダメだったかぁ、と東松山はつぶやいた。予期したこととはいえ、やはり失望感は拭えなかった。
地域文化創成学部では9月17日に教授会があり、この席上で教員定数の再定義という名の大幅削減が評議会を通ったことが、上毛呂山学部長から報告された。新規のプランを出せばポストを「貸す」と言われたことを東毛呂山は付け加えたが、その「貸す」話に多くの教授会構成員が腹を立てた。新規事業でポストを借りても本体業務以外の新規事業がのしかかる。それでは何の救済にもならないことは明らかだった。地域文化創成学部の抗弁を押し切るための目くらましであることは誰にも分ったのである。
だがこの頃、時を同じくしてとある名誉教授と中越谷学長との異様な確執の話題が人の耳目を集めていたのである。しばらく前から事実上の大学の既定方針であった教員定数の再定義よりも、地域文化創成学部の構成員がこの名誉教授問題に気を取られたのは当然の成り行きであった。
教員定数再定義の件は、公式にはここで終了した。しかし執行部とは別に、地域文化創成学部の語学関係教員のゲリラ的抵抗はなおも続いたのである。8月の評議会の前後にも、石蔵山理事らと語学関係教員との協議は断続的に行われていたが、物別れに終わった。語学関係教員側は「どうぞ勝手におやりください」と突き放した。石蔵山は言葉を買って「よし、勝手にやったるでぇ」と答えたが、勝手にやりようもないことはすぐに明らかになったのである。その後、語学関係の非常勤を巡る問題は泥沼に陥ることになったのである。
この再定義の決定を受けて、教養教育からの地域文化創成学部の撤退が開始された。当時、教養教育の負担は旧教養部からの分属教員数を根拠にしていたのである。まず、全学教育調整企画室を介して、削減1ポスト当り、語学ノルマ(英語、初修外国語)3コマ分を解除するという協議がまとまった。かくして毎年度、退職者のポストを吐き出すごとに、地域文化創成学部は語学ノルマも吐き出していったのであった。
原理的には語学以外の教養教育負担も同様である。まずは語学関係の負担を解除し、その後にどうするかは、そのときの情勢で判断することとなったのである。再定義が完了した時点で、どの学部も、教養教育を負担する責務は無くなる。その時点でどうするかを考えるのは、再定義に賛成した者たちの責務となるはずであった。
悪いことばかりではない、と東松山は考えていた。これから11年をかけて退職者のポストを吐き出し続ける地域文化創成学部は、今後何もしようがない。学長自身、地域文化創成学部が再出発するには時間がかかることを文書で認めているではないか。言い方を変えれば、実績が出ないことにexcuseができた、ということだ。実績が悪くても誰も文句は言えるはずはない。その間、大学のことなど考えず、教員はひたすら、自分の研究をすればよいだろう。あるいは、うまくいった、と考えるべきかも知れない。東松山は同僚にそのように語ったのである。
評議会の結果を伝える教授会の後のことである。東松山は北杉戸と再定義の件で会話した。まあ、これもありかな、と北杉戸は言う。そして続けた。再定義は正しいかも知れない。問題はその後で、全学化したポストをどう使うか、そこのところだろう、というのである。
東松山は答えた。原則としてはその通りであるが、最初にプランのないものが、後から良いプランができる訳ない。失敗に決まっている、と吐き捨てた。
それから何週間かしてからのことである。東松山は同僚の北花園と話しながら、この間の展開が実に不思議なものであると、ふと思った。そして「なぜ協力できなかったんだろう」とつぶやいたのである。
そう、なぜ協力できなかったんだ。いや、実際、学長や役員が、ウチの学部に、あんたのところは旧教養部ポストの分属で余裕があるだろう、全学のためにポストを拠出してくれないか、と言ってきたら、応じる余地はあったはずだ。こちらも商売であるから、その後の体制を整えようのない、再定義のような削減はできない。しかしそこは協議の余地はあったはずだ。穏便に協力する余地はあったはずだ。なぜそのような話にならなかったんだろう?
そう。君も覚えているだろ。俺が将来計画委員長だった2年前に、確かに、分属ポスト26のうち、半数ほどを全学に返す、その代り教養教育の負担を一部解除する、というプランを作っていたのだ。俺も忘れていたが。そうそう。返還する数は、俺が委員長を辞めた後に、段々と減らされた。まあ、惜しくなったんだろうな。しかし、あの返還プランは、われわれ自身が作っていたのだ。全学のポストがどうした、という話が出たときに、ウチの執行部はなぜそのカードを切らなかったんだ? それを出す暇もなかったのか?
こんな暴力的な結末ではなく、軟着陸する余地はあったはずだ。ウチの学部も生き、全学の教養教育も持続可能になる、そんな道があったはずだ。なぜ、イエスかノーかの選択しかしなかったのだ。中越谷に学長選の恨みがあったのか? 中目黒にウチの学部を叩きたい気持ちがあったのか?
東松山は思いつくままにつぶやいていったのである。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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千峰景16年8月は前半まで暑い日が続いた。お盆を過ぎた頃にやっと暑さの盛りを超えたのである。その日、8月26日は時折日差しがさす程度で、最高気温も30度を越えなかった。
第2人民大学西荒川大学では、13時半から全学運営会議が開かれ、その1時間後には引き続き評議会が開かれたのである。この日、重要な案件がいくつかかかっていたが、中でも大きな議案は教員定数の再定義であった。
簡単に報告事項を済ませ、会議は協議事項へと進んだ。次回の評議会に送る議案を処理してから、中越谷学長は教員定数の再定義の議案をはかったのである。この評議会において再定義の承認を得る手筈であった。
大勢は会議の前に決していた。地域文化創成学部を除いて、再定義案に反対に回る可能性があるのは産業組織学部であったが、その産業組織学部は、「再定義に反対はできない」という表現の賛成を既に表明していたのである。反対はできないという賛成の表現がこの間に一般化していたのが実情である。
しかし地域文化創成学部長の上毛呂山と評議員の西小鹿野は、そうですかといって帰って来る訳にはいかない。少しでも引き延ばして活路を見出す以外になかったのである。
再定義推進派にとり、もはや再定義を実施するかどうかは問題ではなかった。彼らの思考は再定義で生み出されるポストをどう使うか、自分たちのために使うことの言質を学長からどうやって取るか、にあった。既定事実となった再定義はやはり妥協はできぬ案件である。しかし地域文化創成学部が苦境を言い立てればごり押しはしにくい。そこで必要なら論点をそらして議論を長引かせ、時間切れで採決に持ち込むというシナリオを描いていたのである。
かくして必然的に長い会議となって行くのである。
中越谷学長の説明の後に口火を切ったのは地域文化創成学部長の上毛呂山だった。上毛呂山は報告事項にあげた学部の主張をもとに反対の弁を述べたのである。この再定義は学部定員の削減のみで、全学化したポストを使うプランを欠いている。それで削減のみを決めるのはあり得ない。だけではない。今審議している教養教育案は、旧教養部ポストを削減しては実施が危うい。センターのある英語はよいとして、未修外国語のスタッフはいなくなる。その他の科目も暫時実施が困難になるではないか。
再定義による大幅削減により、地域文化創成学部はこの先10年以上、新規人事はできなくなる。それでは教員減に伴う学部組織の調整もできる道理がない。このまま潰れるに任せるというのか。それが責任ある大学当局の態度といえるのか。
上毛呂山の抗議は正論であった。再定義後のプランはどうなのか、旧教養部ポスト抜きで教養教育が実施できるか。どうやって削減後の調整が可能になるのか。それらについて説明できる者は誰もいない。
が、席順で次に発言した中目黒は論点をそらした。再定義に反対はしない旨を述べた後で、再定義による全学ポストの使い道はどうするのか、ちゃんと使い道を考えろ、と論じたのである。
席順で、産業組織学部長の北巣鴨が中目黒に続いた。再定義には賛成はしにくいが反対しない。今後の大学のヴィジョンを作ることが重要だと、中目黒の論点を繰り返したのである。
続く農科学部長の若嶋津はより直接的だった。地域文化創成学部の問題はあるが、それは課題として棚上げし、次に進め、というのである。新規事項を行わなければ運営費交付金は増えない。再定義でできたポストで新規事項を行うべきと論じたのである。
産業技術学部長の荒川端は、上毛呂山を刺激するのを避け、全学定員を捻出する方法としては今回のような再定義もあるかな、という婉曲な表現で再定義に賛成の意を表した。そのうえで、やはりその全学定員の使い方が不明であることに不満を述べたのである。
学部長の発言が一巡したこの時点で、学部間の意見分布は明らかになった。学部長の何人かは再定義で捻出した全学ポストの積極的利用の言質を学長から引き出したかった。しかし中越谷学長はその誘いには乗らなかった。このままでは全学プランがないという上毛呂山の論点を補強しかねない、と危惧した中目黒は、これまでの婉曲な表現をやめ、再定義積極論に転じたのである。
中目黒は今回の再定義は原理的に正しいと切り出した。9年前の教養部教員分属には欠陥があった。その分属は、教員数と学生数の整合性を考えておらず、大きなアンバランスを生むことになったからである。そのアンバランスは早急に是正する必要があると論じたのである。
その発言を聞いて上毛呂山は色をなした。分属に欠陥があるなどということは9年前にいうことである。欠陥などと言い出せば何かあるだろうが、9年もたった今、何を言い出すのだ。分属という大学の決定を信じて今までやってきた、この9年間は何だったのか。この再定義によってわれわれの学部はこの先、10年間は学部組織の調整もできない。そこまでの被害があるのに、なぜ、9年も遡って全学の措置を覆すというのか。その緊急性がどこにあるのか、と論じたのである。
今まで黙っていた地域文化創成学部選出の評議員、西小鹿野が続けた。教養教育のかなりの部分を地域文化創成学部が担うことになる。この人員減でその貢献ができるとは言えない。しかも10年以上人事が止まり、われわれは何もしようがない。財政的にはまだ3年くらいの余裕があるはずだ。全学で西荒川大学のグランドデザインを作ってから削減を考えてもよいはずだ、と主張したのである。
ここで、ぎっくり腰を押して出席していた教育担当理事の石蔵山が反論した。教養教育は全学教育企画調整室が責任を持って実施するので、ダメになることはない。
この石蔵山の発言が根拠のない安請け合いであったことは時を経ずに明らかになるのである。
石蔵山はさらに続けた。地域文化創成学部には外国語センターによって削減の負担を軽減する提案をしたではないか。そのセンター案を受け入れて欲しかった。
こいつ、浅知恵で考えたそのセンター案のためにどれだけの騒動になったのか分かっているのか、と上毛呂山は憤ったが口にはしなかった。そして、検討はしたが、何もハッキリしないセンター案で教員の異動を進めることはできないではないか、と反論したのである。
ここで議長である学長の中越谷が重い口を開いた。地域文化創成学部の苦境は分かっているつもりだ。財政上はまだ時間があるのも分かっている。しかしここは再定義を決め、3年くらいをかけて使い方を考えたい。地域文化創成学部が本当に困っているなら、ポストを貸すので言って欲しい、というのである。
困っているならポストを貸す、とは、中越谷による、その場限りの方便である。事実その2年後に、困っているからポストを1つ貸してくれと上毛呂山は中越谷に交渉に行ったが、中越谷は簡単に断ったのである。
そこで中目黒が続けた。ポストは使わないでいると運営費交付金が減らされるので、是非使って欲しい、というのである。
こいつまだ言うか、と中越谷は心で思ったが口にはしなかった。そして、人件費の削減につながるなら、評価されるのではないか、と答えたのである。
しかし若嶋津は反論した。新規事項を出さない限り大学の将来はない。学部の新機軸に再定義で作ったポストを使え、と迫ったのである。
再定義は全学のポストを作る話だった。それなのにここにいる人たちは、学部の新規事業に再定義ポストを使うことを語っている。全学を構想する気持ちはここにはないのか、と西小鹿野は思ったが、口にはしなかった。
ここで今まで発言しなかった評議員の面々が最後の一言を語り始めた。そのこと自体が会議の終了を予告したのである。そして中目黒と北巣鴨が、地域文化創成学部のプランを作ればポストを貸さないでもないと、全学ポストの管理者のように語ったのである。なお、北巣鴨のこの発言が、後の「文化学補強」の伏線になることを知る者は少ない。
プランを作れというなら考えないでもないが、今問題にしているのは全学のポストではないか。どのような大学を目指すか、大学としてプランを出すべきものではないのか、と上毛呂山は述べたのである。
学長は議論の終結を宣言し、挙手による採決を求めた。理事の下寄居、石蔵山、南桶川、栄養士養成学部の中目黒、御成門、産業組織学部の北巣鴨、千住、農科学部の若嶋津、村田、産業技術学部の荒川端、東川口、以上11名が再定義に賛成の挙手をした。反対の挙手をしたのは地域文化創成学部の上毛呂山と西小鹿野の2名である。かくして教員定数の再定義は、評議会において正式に了承されたのである。
この案件の後にも会議は続いた。学部棟への帰り道、今日の評議会はいつもより早く始まったのに、終わったのはやけに遅い、と上毛呂山は気が付いた。長い会議だった。それにしても、これで教養教育を負担する根拠は消えてなくなる。そのことに誰も気付いていないかも知れないな、と上毛呂山は考えたのである。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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さても、外国語センターの案が潰え去ったその日、つまり千峰景16年の7月22日の午後の評議会で、教員定数の再定義が正式に中越谷学長から提示された。各学部に持ち帰った後に次回の評議会で決をとる、と学長は説明したのである。もしもこの日、地域文化創成学部が外国語センターの案を呑んでいれば、この日の提案は外国語センターの含んだ提案になるはずであった。
翌日、地域文化創成学部では教授会が開かれ、この案件について審議した。案の通りなら多くの削減を被る地域文化創成学部では、当然ながら反対論が続いたのである。上毛呂山学部長はこれらの反対論の意を戴して次回の評議会に臨むと伝えたのである。
教授会の後、東松山は北杉戸とこの件について話した。当時は、人民大学が人民大学法人となったばかりであり、どの案件がどの会議を通って決まるのかはハッキリしていなかった。だからこの教員定数再定義が評議会を通ること自体、東松山も北杉戸も、事前には確信を持てなかったのであった。
東松山はいう。教員定数の再定義によってできる空きポストの利用を、既に多くの学部が当てにしている。今さら再定義を覆すのは無理なのではないか?
北杉戸の意見は別だった。評議会を経るとすれば、再定義案は通るとは限らない。評議会は見識を持って議論することになっている。もともとこの再定義の話は筋が怪しげなものだった。
まず、財政上の理由を見れば、教員定数の再定義はすぐに実施する必要はない。何よりも、旧教養部定員を「全学化」しても、そのポストを使うプランがない。にもかかわらず再定義を実施する道理があるか? それに、この再定義案は9年前の旧教養部教員の分属という、大学がいったん下した決定を覆すことになるのである。
西荒川大学では、旧教養部教員の分属の後、教員規模に比例した数でポストの節約保留をしていた。その上、同じく教員規模に応じて全学で定員削減を実施してきたのである。今回の再定義は、実は2つのステップがある。まず、分属後に実施してきた保留や定員削減を取りやめ、保留・削減ポストをもとの学部に戻す、というステップがある。ついで、分属時に決めた学部別教員定数を、分属がない状態に戻す、というステップである。つまり、この再定義は、全学で既に合意した保留・削減、それに分属を、9年を遡って覆すという提案だったのである。
常識的には、それはないだろう、と北杉戸はいう。それほど見識が働くものか、と東松山はつぶやいた。
旧教養部教員の分属はすべての学部に対して生じていた。しかし各学部はその後、規模に応じて定員削減でポストを拠出していた。これらの拠出ポストは戻って来ることになるので、再定義によってポストを新たに全学に拠出する必要があったのは主に地域文化創成学部であり、その3分の1程度の削減を被るのは産業組織学部であった。他の栄養士養成系学部、理系部局は新たにポストを拠出する必要は全くなく、逆にポストが戻って来る部局すらあった。利害関係からすれば、教員定数の再定義に反対するのは、地域文化創成学部を除けば産業組織学部だけだったのである。
だから問題は、産業組織学部が地域文化創成学部に同調して反対するかどうかだろう、と北杉戸はいうのだった。
教員定数の再定義が評議会にかかることで、一番慌ただしかったのは、再定義を仕掛けて来た、栄養士養成系学部長の中目黒であった。中目黒は再定義に賛成すべきことを他学部に確認していたが、特に注意を払ったのは産業組織学部だったのである。
その産業組織学部では、学部長の北巣鴨と評議員の千住が教授会を前にして協議していた。大学の財政を考えれば、ここで定員削減は必要であり、これは良い機会ではないか、と千住は述べた。北巣鴨は今回の議論の進み方に違和感を覚えていたが、既に多数の学部が再定義を支持している中で、少数派に回ることはできない、と考えていたのである。釈然とせぬままに、賛成で教授会をまとめることに決したのであった。
中目黒はその産業組織学部の結論に意を強くした。そして学部の運営会議でこの件での意思統一を図ったのである。
しかし会議の席上、評議員の御成門が、今回の再定義は酷過ぎるのではないか。地域文化創成学部は何れ、全学的に助けなければならなくなるのではないか、とつぶやいたのである。
中目黒にはこの発言が意外だった。しかし即座に反論した。ここで地域文化創成学部を叩くべき理由はいくつもある。第1に、われわれ自身の教員定数を守るためである。今、地域文化創成学部から削減を出させなければ、冷麺課程を止めた我々に削減要求が来るかも知れない。教員数は力である。それがなければ学長選挙は戦えない。我々の組織防衛のためである。
第2に、地域文化創成学部は、今のまま残れば、何れ我が学部の将来構想が変わったとき、われわれの出口を塞ぐことになるだろう。地域文化創成学部を小さくしておけば、我々が呑みこむことができるのである。
第3に、教員の再定義をしなければ、産業組織学部と地域文化創成学部の教員数の合計が我々の学部に匹敵してしまう。だからこの前の学長選挙も苦労したではないか。学長選を有利に戦うためには、この2つの学部を小さくしておくことが、組織防衛上必要なのだ。
中目黒はそういいつつ、御成門の弱気をけん制したのである。
再定義について最も意思統一できていたのは理系の学部であった。急先鋒の農科学部長の若嶋津は、再定義によって全学ポストを作ることを通して大学を新展開させることを目指していたのである。ポストを使ったいろいろなプランが若嶋津の頭の中を巡った。その新展開なしには、自分たちの生き残りはないと考えていた。そのため、再定義で全学に入るポストに使い道について若嶋津は学長周辺に探りを入れていた。しかし特段の感触を得ないことに少なからず不満を覚えていたのである。中越谷は何を考えているのだ。誰のおかげで学長になったつもりか。そんな不満を評議員の村田に漏らすのであった。
そうこうしているうちに、運命の8月26日の評議会が近づいてきたのである。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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地域文化創成学部を揺るがした外国語センターという騒動は、千峰景16年の7月22日に潰え、闇の中へと消えて行った。中越谷学長が地域文化創成学部長にその案を提示したのが7月13日であるから、まさに10日間の出来事であった。
潰えたから良かった。その案が活きるようなことがあれば、その後長く騒動は続いただろう。
これは実際、何だったのか、と東松山は自問した。本来、あるべくもない出来事だった。
既に英語センターを設置していた西荒川大学において、英語センターとは別個の外国語センターなど、話題になることもなかった。少なからぬ教員が在籍するセンターとなれば、その設置には全学で然るべき議論と手続きがなければならない。むろんセンターの規程や、全学規程の中での位置づけも整理されねばならない。しかし、学長から提案されたセンターとは、その目的も、業務も、何らはっきりしていなかったのである。英語センターが別途存在するのに、外国語センターへの移籍を求められた教員の中には、英語関係の教員も含まれていた。
それだけではない。地域文化創成学部で、この件は最後まで教授会にもかからなかったのである。仮に7月22日の全学の会議でこの案が承認されていれば、その結果を持って教授会に事後承認を求めることになったのだろう。教員の異動に関わる問題が事後的にしか教授会にかからないというのは、尋常ではなかった。
教養部からの分属が生じてすぐの時点であれば、そのような案もあり得たかも知れない。しかし分属した教員は、教養部時代の業務は語学の教育だったとしても、分属時に分属先の講座内容で業務を再定義していたのである。しかも分属ポストを使って新規採用も行われていた。お前のいるポストは昔は教養部のポストなんだから、センターに移れ、と少なからぬ教員はこの騒動の中で、実際に、求められた。そうですか、などと言える訳がない。
なぜこんなことが起こったか、という点は、実は最初から明白だった。この外国語センター案は、教員定数の再定義によって多数の教員ポストの削減(全学への「返還」)を求められた地域文化創成学部に対する「救済策」、「緩和策」として、当初から学長より、また理事を介して、提示されていたのである。冷静に考えればあの教員定数の再定義は、地域文化創成学部にとって苛酷に過ぎることは明らかだった。センターに移管した教員数は既に「返還した」とみなす、ということを、学長も救済策と考え、地域文化創成学部長もそのように受け取った。しかし規程も目的もはっきりせぬセンターへの移管を求められる教員は、それで済むはずはない。
しかしなぜこれが「救済」なのか? 外国語関連の教員は不要だったからそこを真っ先に清算するのがよいとでも考えたのか? 外国語関係の教員なら他の教員は見捨てるだろう、とでも思ったのか?
この件にはおまけがある。「教員定数の再定義」の問題が決着してしばらくした12月頃、別の騒動が西荒川大学で持ち上がった。中越谷学長が、学長権限についての「見解」を公表し、人民大学法人化した大学にあって学長は1人で決定ができると主張したことである。いくつかの学部がこの「見解」に対し「質問状」を送ったのである。
地域文化創成学部もまた、学長に質問状を提示した学部の1つだった。この質問状を作るにあたり、東松山は教授会において、先の外国語センター問題を入れることを主張し、質問状はその線で作成の準備に入ることとなった。
質問状では、あの外国語センター案が関係者に大きな困難をもたらしたことを述べた上で、学長提案による外国語センターは何を業務とし、どのような位置づけにするおつもりであったか、と嫌味のように尋ねたのである。学長からの返事は概して一般的、抽象的であり、特に外国語センターの業務や位置づけについては何の言及もなかった。学長の回答を受けた学部の総括文書は、「このセンターの位置づけについては提案者にも特段の展望がなかったものと理解する」と記するにとどめたのである。
さて、この時点で東松山らは、教員定数の再定義は大学の既定路線と受け取っていた。しかしこの件が正式に評議会の議題になると聞いたのは、それからほどなくしてからのことだった。教員定数の再定義問題はいよいよ佳境に入ろうとしていたのである。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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学部長 東松山先生
西荒川大学70年史の後の、この10年間の追補版の委員のご依頼、拝見いたしました。特に準備もないのに、今からやるという話を全学から振られ、先生もご心痛かも知れません。なかなか大変な作業になりますね。
確かに、私は年寄りで古いことも存じておりますし、なおかつ、現在、多忙な役職を担っていないことは事実ですので、本来なら快く引き受けるべきと思えます。
しかし、この件の全学の取りまとめが、よりによってあの中目黒とは。彼と会うのが嫌という訳ではないのですが、「この10年」のことは許し難く、喧嘩でもしに行けと仰るおつもりか。
お断りします。
西羽生利根夫
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さても、件の外国語センターの件は、地域文化創成学部の学部長・副学部長、および外国語関係の教員の間だけで密かにやり取りされていたが、関係者からのメールを受け取った東松山が教員用のメーリングリストに事実経過と意見表明をすることによって学部教員の間に広まったのであった。7月19日のことであった。
東松山から報を聞いた当時の組合委員長の城山は、その日のうちに団交による協力を約するメールを東松山に送ってきた。城山のもとには、この件の当事者である東高遠から詳細な情報がもたらされたのであった。
次の日、7月20日になって、ことの経過を知っている教員の北中野は、この外国語センターが何のプランもない、清算事業団のような組織であることをメーリングリスト上で説明したのである。南横須賀からは、このようなやり方が不利益を一部に押し付けて他の賛成を得ようとする汚いやり方だとの非難が飛び出した。同日の夕方には、センターへの異動を求められた当事者の、複雑な意見表明も出てきたのである。既にこのとき、次の日には組合と大学当局との団交がセットされているという情報が東松山に入ってきた。
20日の深夜にもメーリングリスト上で意見が続いた。普段は意見を控える下冬木からも、教授会の構成員が知らないうちに特定の教員を呼び出してセンターへの異動を求めるようなことがなぜできるのか、許されるのかと強い非難が飛び出してきたのである。
20日の深夜ないし21日の早朝には東松山らにその後の情報がもたらされた。
まず、20日付の将来計画委員長(副学部長)からの連絡として、22日木曜の12時から13時半、つまりその日の全学運営会議が始まる直前の時間に、外国語センターへの異動を求められた教員にまた招集がかかったという。22日の13時半前に確認を取った上で13時半からの全学運営会議、その後の評議会にセンター案をかける、ということであるらしい。
それと同時に入ってきたのは、お隣の産業組織学部での経過だった。産業組織学部でも7名の教養部分属教員がおり、彼らもセンターへの異動を求められていたらしい。しかし産業組織学部では、位置づけも何もないセンターへの異動を求めるという学長のやり方に学部長が腹を立てた。そして20日の教授会の次の日の21日に、臨時教授会を招集し、学部長から異動は求めず、本人の意思に任せる、と決める予定であるという。
産業組織学部の対応が常識ではないか? より多くの当事者のいる地域文化創成学部で、なぜこれほどのことを、臨時教授会も開かずに決めようとするのか。東松山は批判を強めて行ったのである。
7月21日にもメーリングリスト上で意見が飛び交った。なぜこのようなことが起きたのか。センターへの異動を求められた教員は拒否して欲しい、という意見が続いたのである。
地域文化創成学部でセンターへの異動を求められた10人のうち、5人は明確に異動を拒否していた。他の5名は異動に条件を付けていた。全学の「英語のみ8単位必修」を「1外国語8単位必修」に変えろ、そうでないと自分たちの仕事が確保されない、という趣旨であった。しかしこの条件は学長側は呑まない、と東松山は踏んでいた。「英語のみ8単位必修」は正規の手続きで既に評議会で通っており、今回の件で覆す理屈は立たないからである。
それでも、学長側がこの条件を呑んでしまうと、センター案が実現する可能性はあったのである。
この日、城山が委員長を勤める組合は、大学本部と交渉し、本人の意思に反してセンターに移されることはないことを学長側に確認させていた。
そして運命の7月22日木曜となったのである。12時から地域文化創成学部で異動を求められた当事者が再び学部長・副学部長から招集を受けていた。もしそれでセンター案がまとまれば、その後の全学運営会議、ついで評議会でその案が正式承認になる可能性があった。
22日の朝、メーリングリスト上で南横須賀が発言を続けた。わが学部が取り得る選択肢は、語学センターを受け入れるか、語学センターを蹴って多数のポスト削減を受け入れるか、である。私は、痛みを分け合う後者をとるべきだと思う、と訴えた。東松山がそれに続いた。仲間に意に沿わないことをさせて得をしようなどを考える者は、地域文化創成学部にはいないと私は信じる。そんなことをして、何の顔あって全学に対せるのか。学生に対せるのか。世間と向き合えるのか、と。それに宮本、南横須賀、東高遠、北中野、花咲らの意見が、会議が始まる昼ころまで続いたのである。
そして既に全学運営会議が開かれている14時頃、南横須賀から、あのセンター案は幸い潰れた、との報がもたらされたのである。予想通り、学長サイドは「英語のみ8単位必修」を「1外国語8単位必修」に変えることを呑めなかった。
かくして、この外国語センター騒動は、その後に余波を残しつつも、闇の中へと消えて行った。地域文化創成学部の面々は、仲間を売ることよりも、教員の大幅削減を自ら選びとったのである。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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さても、教員定数の再定義を中越谷学長が打ち出し、地域文化創成学部の教授会を訪問してからほぼ一ヵ月後に「事件」は起きたのである。千峰景16年7月13日のことだった。中越谷学長は地域文化創成学部の上毛呂山学部長に、10数行のワープロメモ書きの1枚の紙を手渡したのである。その文書こそが外国語センターの提案であった。
この1枚の紙の上に書いてあったのは次のことである。旧教養部の語学(英、独、仏、中、露)上にある教員10名、および当時「外国人教師」と呼ばれるポストにいた4名の所属を、外国語センターに移す。その代わりに、教員定数の再定義で地域文化創成学部に課される21名分の削減数を、14を引いた7名にする。センターに移した14名は、併任の形で、これまで通り地域文化創成学部で業務をしてよい。
この案は次の日、7月14日に、全学教育調整企画室と、地域文化創成学部に属する未修外国語担当教員との間の、7月7日に続く2度目の協議の場でも示されたのであった。
ここで解説が必要であろう。
教養部分属により、地域文化創成学部には10数の外国語担当教員が分属されていた。彼らは1人当たり何コマの、外国語担当のノルマを背負っていたのである。この分属時点で、地域文化創成学部では外国語担当教員のための特別の講座を設定することも可能であったろう。しかし地域文化創成学部では、旧教養部の外国語担当教員を既存の、ないし作り変えた通常の講座の中に迎え入れた。そのことは、分属時に全学でequal footingという原則が謳われたことに対応していた。かくして分属した旧語学担当の教員は、地域文化創成学部の中の語学でない分野の担当として新たに業務を定義されていた。語学授業のノルマは残っていたが、そのノルマは関連部署の教員間で分担されていたのである。
分属後の経過の中で、旧語学のポストは何度かの削減に使われたこともあり、また、他分野の教員の採用にも使われていたのである。
7月13日に上毛呂山学部長に外国語センター案が示されてから3日後の7月16日金曜、旧教養部語学ポスト上にいるとされる10名の教員が、上毛呂山学部長と下狭山副学部長によって一室に集められた。そして上毛呂山は切り出した。学部の大幅削減を避けるため、地域文化創成学部のため、この案を呑んで欲しい。センターに移ったとしても、今までの業務は可能であり、センターに移って教授会がなくなったといっても、人民法人化でもともと教授会に権限はなくなるのであるから同じではないか。7月22日の評議会にこの案を出して承認を得たい、と。
緊迫したやり取りが2時間以上続いた。このやり取りの中で、時の計画では英語以外の外国語は必修から外されるから、未修外国語の教員はセンターに移っても仕事がなくなる、という点が議論された。そこでこのセンター案に応じるためには、8単位必修となる外国語を英語に限らなくすることが条件であるという議論になったのである。
この案が通ったときにセンターへの移動に応じるか否かの意思確認が行われた。呼び出された10名のうち5名は拒否した。残りの5名は、条件次第、と答えたのである。
呼び出された10人の中の1人から、この会合についての知らせが東松山にメールでもたらされたのは7月19日月曜のことだった。東松山は週末に札幌の学会に行っており、朝の便で戻ってそのメールを見たのである。
愚劣だ、と東松山は叫んだ。そしてすぐに、地域文化創成学部教員向けのメーリングリストに、次のようにメールを出したのである。今回の教員定数の再定義の愚劣さは、地域文化創成学部以外が痛みを地域文化創成学部に押し付けて平然としたところだ。その地域文化創成学部が、今度は自分たちの痛みを「語学教員」に押し付けようとしている。ほとんど餓鬼道のようではないか。
ことは損得の問題ではない。人としての道義の問題である。
分属時の合意は、分属を受け入れた学部は分属教員を各学部の専門の中に位置づけるということだった。何度も何度も、地域文化創成学部に語学ポストはないと言ってきたのはそのためではないか。分属後は地域文化創成学部の講座内容に即した存在であることが求められた、そのような教員として地域文化創成学部に迎え入れたはずである。その、いったん決めたことを覆すということは、あるはずもない。
学長はこのような案は提示すべきではなかった。まして学部長は反対すべきだった。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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地域文化創成学部に学長が訪問したのは千峰景16年の6月11日だった。このとき学長は教員定数の再定義、すなわち旧教養部分属ポストの召し上げを打ち上げたのである。しかしこの教員定数の再定義の噂は、既に5月には一般教員の間にも流れていた。
学長訪問の1週間前の6月4日に、地域文化創成学部では教員懇談会が招集された。教員懇談会とは、教授会のような公式の審議はしないが、重要な協議があるときに開催される会合である。
教員懇談会の場で、学部長の上毛呂山は、全学の部局長の会合で非常勤の大幅削減案、教養教育改訂案、そして後に教員の再定義と呼ぶことになる旧教養部分属ポスト召し上げ案があることを告げたのである。この3つは何れも大事であったが、学部への影響という点で分属ポストの召し上げが衝撃的だったのはいうまでもない。教員側からは数々の不満の表明が続いた。中でも多く述べられたのは、全学が召し上げるポストが今後何に使われるのか、その計画が何も述べられていないことだった。
東松山は教養教育について発言した。旧教養部分属ポストの召し上げを言いながら、この教養教育案は旧教養部分属ポスト数に応じた、学部別の教養教育負担を引き継ぐものではないか。分属ポストが召しあげになるなら、今までこの学部が背負ってきた負担はリセットであるはずだ。リセットするなら、この教養教育案は成り立たないではないか。東松山はそう主張したのである。東松山の意見には川崎や小塚らが賛同の意見を述べたのである。
学長訪問があったのはその1週間後の6月11日であった。
地域文化創成学部の教員にとって、このポスト召し上げに至る経緯は自明であった。当時の西荒川大学で、地域文化創成学部は役員を出していない唯一の部局だった。役員間で話に加わっていないところに負担を押し付けるという、露骨で下品な措置をとったことに、地域文化創成学部の教員は腹を立てたのである。
その後、このポスト召し上げについては数々の噂が流れた。分属ポスト召し上げは元来は、当時立ち上げた英語センターのポストをどこから捻出するか、という小さな問題から始まったことである。つまり、元来はそれほど多くのポストを動かす話ではなかった。しかし当時の栄養士養成系学部長の中目黒が、旧教養部分属ポストを全部召し上げる案を学長に持って行った、と言うのである。特に中目黒は、分属ポストを多く受け入れた地域文化創成学部を指して、「地域文化創成学部は濡れ手に粟、地域文化創成学部は濡れ手に粟」と繰り返し、学長の耳元で囁いたというのである。
噂はそれだけではなかった。当時の産業技術研究科長の南坂戸は、召し上げたポストを同研究科による大学院部局化の補充のために使うことを期待していた、という。また、中目黒が学部長をする栄養士養成系学部では、冷麺課程を廃止してもそのポストを吐き出さずに済むように、地域文化創成学部に多くを負担させる削減案を学長に進言したというのであった。これらの噂の根拠は不明であったが、真実味を帯びて伝えられたのである。
学長訪問の2週間後、6月25日の教授会の報告事項として、地域文化創成学部の教授会構成員は評議員からある報告を聴くこととなった。すなわち、検討されていた教養教育の案を評議会で通したとのことだった。
教授会でまず小川町が異を唱えた。この教養教育案では、従来より教養教育の単位数を増やしている。その負担は本学部が被ることになるので、明確に反対すべきだ、といった。東松山の発言が続いた。この教養教育案は分属を前提にした負担に基づいている。分属ポスト召し上げという学長方針と両立しない。議論が続き、上毛呂山学部長はこの問題を審議事項で取り上げると告げた。審議事項でさんざん議論した末、分属召し上げと教養教育案とは両立しないという線で、教授会の意思は確認された。ただ、教養教育案が既に通った現時点で、確認した意思に基づいて学部執行部が何をするのかは、東松山にもよく分らなかったのである。
かくして時間が経過し、分属ポストの召し上げは東松山らに重くのしかかってきたのである。このとき、東松山らの耳にある事件の報が飛び込んできた。後に地域文化創成学部構成員を震撼させることになる、あの「外国語センター事件」である。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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千峰景16年6月11日の学長一行による教授会訪問はかくのごとく執り行われた。この学長訪問で教養部分属ポストの召し上げは何ら緩和される様子はなかったために、東松山らはこの大幅削減を既定事実として受け取らざるを得なかったのである。
この削減に対する怒りは収まらなかったが、東松山の胸中には次第に悔しさが沸き起こってきたのである。
削減されるのが悔しい、と言うのではない。むろんそれもあろうが、この何年かの努力が一瞬にして水泡に帰したことの悔しさが増してきたのである。
地域文化創成学部は好んで分属ポストの受け入れをしたのではない。実は大綱化にともなう教養部解体に至る経緯は複雑なものがあった。教養部教員の各学部への分属という方針は、当時の学長による裁定で決せられたものである。実際、東松山らは将来展望を欠いた分属の措置に反対した。地域文化創成学部の教授会では採決の末、僅差で分属を受け入れることになったのである。しかし分属容認派にしても、分属を是とするから賛成したのではない。学長裁定を覆す訳には行かないとの判断に従ったまでであった。
分属に伴い、教員規模は拡大する。そのための組織整備には2年ほど要した。学部組織では当時のコースを増やして16コースにすることとなった。大学院の組織整備も行われたのである。
しかしこうした組織改訂の限界は次第に明らかになっていった。特に学部組織では、16のコースが独立に運営されるために、全体の制御が複雑な課題となり、新規人事の採用も常にもめる結果になったのである。教員規模が増え、対象領域が増えたと言っても、従来の組織原理を維持してコースを増やすだけでは対処できないことは明らかだった。
学部組織を整備することが地域文化創成学部の将来計画委員会の課題になったのである。この課題は人民大学法人化を2年後に控えた千峰景14年度に、東松山が将来計画委員長だったときに開始されたのである。次の年度に委員長となった小川町と前委員長の東松山が、平成15年度に案を取りまとめた。かくして法人化する千峰景16年度とともに、教養部からの分属教員を含んだ、本来の新体制が発足したのである。
ところが、この新体制が実施に移された2ヶ月後に、これまで対処を続けてきた分属教員の、そのポストが、「教員定数の再定義」という名の下に召しあげられることとなったのである。やっと決めた体制は一瞬にして崩壊を運命づけられたのである。
この間の苦労は何だったのか。東松山自身が委員長として取りまとめてきた、この体制のための立案・調整の苦労は何であったのか。東松山はこの言い知れぬ怒りを抑えることができなかったのである。
実際、この教員定数の再定義によって地域文化創成学部はまたも、新学部体制の協議を学長から強いられたのである。全学からの苛斂誅求は続いた。地域文化創成学部長の北宮代はとりあえずの学部改組案を作って全学の会議の承認を得、削減対象でない若い教員の転出後のポストの新規人事をやっと許された。しかし、そのとりあえずの改組案で収まるはずもなく、改組の検討を地域文化創成学部はさらに何年か続けることになった。ようやく決着を見たのは、東松山が学部長となり、小川町が将来計画委員長となってからのことであった。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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6月11日金曜のことである。西荒川大学地域文化創成学部長の東松山亀次郎はいつものように学部長室に出勤した。その日はいくつかの会合があった。いつものようにタバコ温室で一服してから、東松山は会議室を目指したのである。
その日の3つの会合で、東松山は次のように同席者に尋ねた。
── 今日は何の日か知っているかい?
誰も覚えていなかったが、東松山は忘れていなかった。
6年前の千峰景16年の6月11日は、前の学長がこの教授会を訪れた日である。
── 6月11日は、赤穂浪士でいえば亡君の命日よぉ。
前の学長はただ訪れた訳ではない。その頃、前学長は「教員定数の再定義」、平たく言うと旧教養部からの「分属」ポストの全学召し上げを表明していたのである。
旧教養部から地域文化創成学部には20数名の教員が、その経緯はともかく、分属になった。教員規模が変わったので、学部でも大学院でも、議論を重ねたうえ苦労して、その規模に合わせて組織を大幅に変えたのである。
別の筋の削減もあるのでどこからがこの再定義の削減か確かではないが、前学長の言通りにするなら、当時64名あった教員数は39名に減ることになる。今さらの召し上げというのでは、その是非はともかく、学部の組織が成り立たない。
実はその当時、並行して教養教育の新体制の協議が、当時の全学教育調整企画室で進んでいたのである。その新教養教育の体制では、それまでの「共通教育」の時代の学部別授業負担を下敷きに開講の計画が進んでいた。「共通教育」時代には、授業負担の比率は分属教員数に基づいていたから、その頃進んでいた教養教育の計画は、事実上、やはり分属教員数に応じた学部別授業負担を前提にしていたのである。だから、前学長の「再定義」が実施されれば、同時に準備していた教養教育も授業分担の根拠が消え失せる運命にあったのである。
さて、その学長の地域文化創成学部教授会訪問の件である。教員定数の再定義をするという学長の意向に、学部内で反発は強かったけれども、他方で冷静に眺める意見もあった。問題は、教員の再定義で召し上げたポストをどのように使うか、であった。現在、この西荒川大学で理事をしている北杉戸は、「学長がどのような計画を示すか、注意して聴くべきだ」という意見を東松山に述べた。
その6月11日がやってきた。学長訪問となったのであるが、その結果は極めて興ざめするものだった。学長は口を開くなり「金がない」と言い出し、地域文化創成学部が分属教員が多かったのは「濡れ手に粟」と語ったのである。
教授会では学長への反論が続いた。時間が過ぎたのでお供の事務方が動き、会合は終了した。
その間、教員再定義で召し上げるポストの利用計画は、学長の口からは何も語られなかった。その日の夕方、ダメじゃん、と東松山は言った。馬鹿なんじゃね、と北杉戸も吐き捨てた。
(続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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南ナンジャラスタン人民共和国、国立社会科学アカデミーの社会的意思決定研究チームの報告では、公的支出に依存する地方大学の文系学部の議論には明確なフェーズ循環が観測されるという。
【1 怒りのフェーズ】
(`ε´) あいつらさ、俺たちを理系の教養部にしたいんじゃないの?
(゚ー゚; 大学院やめろとか、言うしな。
(゚o゚) 俺たちの負担が多くなるシステムを、わざわざ作るだろぉ。
( ノ゚Д゚) 俺たちの削減で食いつないでいる大学のくせに、なぁ。
(`ε´) なんだと思ってやがるんだぁ。
【2 迎合のフェーズ】
(゚ー゚; でもさ、実は教養部の方が楽じゃね?
´ω`)ノ 志願者確保なんて、考えないでいいしな。
( ノ゚Д゚) 仕事は雑用と割り切って、研究してればいいしな。
(`ε´) ま、それはそれで、いいんじゃね?
(゚o゚) 賛成だな。
【3 落着のフェーズ】
´ω`)ノ まあ、なんだな。ウチの理系が〇工大みたいだったら、俺たちも教養部でいいんだよな。
(゚ー゚; みんな納得するよね。
( ノ゚Д゚) 誰も文句を言わないよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうそう。
´ω`)ノ まあ、そこが本質だな。
(`ε´) 今のままかな、やっぱ。
【1のフェーズに戻って繰り返す】
ヘ(゚∀゚ヘ) すごいな。ウチの学部も同じジャン。
´ω`)ノ これは冗談に決まってるだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 俺たちもとうとう、世界標準に到達したな。
´ω`)ノ だから冗談だといってるだろ。
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おーおー。全くね。バカなことをするもんだよ。バカでないことになっている人まで。まあ、なんでこんな。まあな。うーん。あれと同じだな。バカなことと言っても、とめられないんだよな。
うちの、西荒川大学が第2人民大学法人になる前のね。そう。北厩橋大学との統合話と同じだな。役者も。
君、知らんだろうなぁ。いやね。ウチと北厩橋とで統合とかの話があってね。その頃は荒馬統合とか、言ったもんよ。で、それ彼がやっててね。最初、私はいいんじゃない、ってね。賛成していたんだな。是非やって、って。ところがまあ、地元でつまんねぇ反対とかあってね。身動きが取れなくなった。
だから、あれは、秋に学長選挙があった年の、冬の人民大学センター入試があった、すぐ後だな。俺がさ。教授会でこれ、統合、棚上げにしようって、提案したいといったのよ。そのときの学部長が嫌がってね。困ったと。だから、まあ、根回しをするのも変だから、まあ身内だし。教授会で手をあげて切り出したんだな。俺一人で。結構、議論になってね。彼と。
あの統合はさ。いい考えだったんだよ。しかしあの展開ではね、もう棚上げしかない。やりようがない。本省があれだろ。それに、このままでは第2人民大学法人化の準備も出来ない。だからここが見切りのときだ、今しかない、ってね。
どう見てもダメだった。何でそんなことするんだ、といっても聞かない。誰も止めようとしなかった。それで傷口が広がった。
で結局さ。その年の秋に学長選挙があって、時の学長は再選ならず、ってね。あそこで統合に見切りをつけてりゃ、まだやりようはあった。だから言っただろうって、後で言っても仕方なかったな。学長選挙の第1次投票が終わって、俺は天を仰いだよ。アホかってね。第2次投票には行かずに帰ったな。
明らかに無益。なのになぜやる? なぜみんな止めない? 何時までこんなことするのかね、えっ?
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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その、10人移れって件ね? なんとかセンターに。まあ、そりゃさぁ。潰れたけどね。そのー、未修ってか、初修ってか、外国語を必修にする、そりゃ飲めないって、全学側がね。ま、そりゃ、一存では出来ないからね。で、お終いになった。あれ、やってたらどうなったのかな? 拒否した5人も移れの話になったのかな? そこは分からんけどね。やるとなったら大変だったわな。
そのセンターさ。出来ても仕事もハッキリしなかったんだから。そもそも滅茶苦茶な話よ。まあ、どうしたのかね? まあ、あれ、裏話で起こったことだから、そんなことあったのは、他の学部の人は知らんだろうねぇ。
ラストオーダーね。お茶漬けかな。ま、いいかぁ。
まあ、何だね。深い亀裂を残したね。まあ、その、例の教員再定義ってのはさ。単に教員を大幅に減らす、の話ではなくてさ。常識的には、ガタガタになるってことよね。試しにね、同じことをやってご覧よ、他の学部でさぁ。
その、今、アホ室長の下にいる室員はさ。まあ、そんとき、いいこと言ったんだよ。苦しみがあるんだったらみんなでかぶるしかないって、すぐに言ってね。まあ、見識だね。見識がないのが上の方にいたのが悲劇だね。
うーん。あれで、その、教養教育人員を全部削ったんだよね。うん。だからさ。人員が、形の上ではないのね。で、ひどく削ったうちの学部に教養教育やれ、の話だろ。まあ、簡単に言えば。
それでさ、まあ、しわ寄せを食らった学部をさらに搾ろうという話だからさ、あの案は。まあ、この学部から出たあの理事で、あの室長で、それじゃなきゃできないって、ことなんだろうね。これ、なんだっけ。豆を煮るに豆ガラをもってする、っていったっけ? まあ、植民地支配みてえなもんだな。陰惨な話よ。
もともとを言えばね。そこまで削る必要があったという判断だったら、なぜ統合しなかったのか、の話かな。まあ、相手が予算規模からすると3倍以上だからね。やれば吸収だった。そこかな、嫌だったのは。そうよ、3倍以上よ。うん。医学部だけの話ではないよ。まあ、大変だったろうね。やれば、全体が。だから俺たちだけに押し付けたって、格好かな。今になってみれば。
しかしさ、どこもやってないだろ。あれ、削減に使った、そのポストがないです、なんて大学は。聞いてねえよな。ああ、あんたのところはそうなんですかぁ、へぇー、って話よね。どうなってるんだろうね。ま、失敗だったんだよな。
まあ、考えてみると、いろんなところで、無理してやっている訳ね。えっ、そんな人員でやってるの、って感じよね、いろんなところ。
ま、帰るか。うん。歩いて上野駅だね。うん。上野からは1時間かな。
(この記載は現代を舞台としたフィクションです。)
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これ、ちゃんとビールかい? あっビールだね。ははは。いや、ダメんなんだよ。冷酒は。悪酔いしてさ。熱燗ならいいけど。まあ、いいよ。いやね。例のホラ。学士課程なんとかというのか、なんとか教育の件よ。そのナントカ室の。まあなんだ。教授会にかける前にね。いろいろ、意見を聞いて回ったんよ。それでね。そう、彼。彼に話したら、古い話が出てきてね。古いったってね。まあ、法人化した年だからさ。そんなに昔じゃない訳だけどさ。それでね。アレが忘れられないって、言うのよ。
アレ。なんだ。法人化したろ。それでね。急にね、教員の再定義とか、なってさ。まあ、なんだ、ウチの学部の教員定数が、60何人から30何人に減らされるってことになってさ。まあね。そりゃ、ひどい話なんだけどさ。いやまあ、みんな、他はそれに賛成したんだよな。今の学長も。なんとか学部長の時にさ。そりゃ、1つの学部を苦しませれば済むって考えならね。そりゃ、みんなやるだろうよ。
まあ、それでね。あれ、その再定義。まあ、そのときの学長も、あんまり考えないで、なんていうか、勢いでやったんだね。それで、教養教育やる人員がいなくなるって、どうも後から気が付いたんだね。それでまあ、あれは仏心のつもりかどうか、なんとかの理事と学長がね。そのときの。ウチの学部に、外国語センターに人を移せば、10人。10人。その人数分は削減したことにするから、って言ったんだね。言ったって、まあ、打診かな。で、外国語センターに移った教員がさ。そのままウチで授業を持てれば、それで削減数が実質減るって、ウチの誰かが考えた訳よ。
それでさ。誰かがね。そう。あれ、あれ。その分属ポストに今いるという10人を、部屋に集めてね。その外国語センターに移れって、迫った訳よ。そう。そんなことがあったの。
信じられなくてさ。いやね。全学でそのセンターをさ。位置づけていた訳でもない。集めて何やるかも何も決めていない。それで言う方も言う方だね。何のつもりよ。それを受けて学部に持ち帰った方も、持ち帰った方よね。
それでさ。部屋に集めて迫ってさ。まあ、その10人のうち、5人は即拒否。まあ、そりゃそうだろ。そんな訳分んないもの、移りますなんて誰が言うの? 後の5人がね。こちらの条件を呑めば移ってやる、ということだった訳よ。条件ってのはね。まあ、ドイツ語とかフランス語とか、それを必修に入れろってことでね。
まあ、気持ち分るよね。何の位置づけもないセンターに行け、は、ないよね。ちゃんと科目を必修くらいにしろ、ってことね。
その話が漏れてさ。反発したのが、当事者でなかった奴では、そのとき無役だった私とね。そのナントカ室員をやっている彼でね。で、それを迫ったのの一人がさ。その、今のナントカ室長よ。私らはね、何でそんな、仲間を売るようなことをするんだ、迫るんだ。何のつもりだ。そう言ってさ。まあそれで、拒否した人はいくぶん、気が楽になったのかな。拒否した人がね、後で私に伝えてきたのは、まあ、迫ったときの、言い方が言い方でさ。その通りなら。ちょっと考えられないね。
でまあ、話は最初に戻ってね。アレ。話を聞いた、その彼が、まあ、あれはさ、絶対に、永遠に忘れられない、っていう訳よ。まあ、そうだろうね。苛斂誅求ちゅうのかね。なんでそんなことしたのかね。何か恨みでもあったのかね。まあ、そう考えるよね。
で、まあ。あれってさ。それを迫った方が今のナントカ室長でさ。強硬に反対したのが私と、そのナントカ室の室員でね。まあ、なんちゅうか、因縁だねぇ。怖いねぇ。ええっ。前世から、何か決まっていたのかねぇ。
まあなんだよな。寄ってたかって、その教養教育の部分を食いつぶしてさ。それで今さら何を言うって、まあ、理事の気持ちも分かるよね。
(この記載は現代を舞台としたフィクションです。)
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もしもし。もしもし。西上尾先生でいらっやいますかぁ。あっ、ハイ。ハイ。東松山でございます。東松山。亀次郎でございます。はい。何はなくとも亀次郎。一家に一箱亀次郎の、東松山カメジロオオーッでございます。ほほほほほほ。いやぁあ、やっとつながりましたですね。いや、例の件ね。先日の。あれ。□□-△△案のことでございます。いやね。△△先生がね。あれ、上で決まっているって、言うものですからね、よく。うーん。あれ、全学運営協議会でね、反対したのは覚えているんですがね、私。ええーええー。でもね、あれ、教授会に持ち帰った覚えがないなぁ、と。ええー。そういえば、ナンか変だなぁと、思いましてね。ええー。昨年の日記を調べてみたんですよ。ええ。
それでね。アレ、最初に昨年の夏休みですかね。8月6日に最初に出てきましてね。全学の。そう。それでね。その次の、9月10日の全学運営協議会でまた出ましてね。それで企画委員会に回すことに決まったんですね。そのときに私は、一人で反対したんですがね。ええ。
いや、それでね。まあ、当然なんでしょうが、この2回の全学会議の間には、教授会、なかったですね。さすがにね。次の9月11日が教授会だったから。まあ、つまり教授会には持ち帰れないときを見計らって出してきたんですね。教授会では説明したんですが、非常勤枠の話が一緒にありましたから。そう、例の大盤振る舞い。それでみんなそっちに注意が向きましたねぇ。
それでなんか、分かりましたよ。あれだけ反対したけれど、まあ、普通こういうのは教授会持ち帰るんですがね。少なくとも私は。それがなかったのは、そういうこと。なんか、作戦だったんでしょうね。こういうことしているからね。西荒川大学は。なんかね。嫌ですね。
まあ、それでね。そりゃ、よそど無能な人でないなら、まああの日程ならね。秋のうちの委員会案を作って、各学部に都合を聞くとかね。不都合があって上位の了解に抵触するなら上位に再提起するとかね。そういうこと、するもんでしょ。まあ、そこは委員長の判断というか、裁量でね。結局ね、それ、全くね、しなかったでしょ。怠慢なんですかね。意図的なんですかね。なんか、あんた、ずっと時間割とか、そんなことしていて、何時になったら本筋の話をするのかと思っていたら、アレでしょ。アレ。まあなんか、これも意図的なんですかね。異常な展開ですね。ほんと、これ、やるんですかね。
それでまあ、持ち帰りになるときはドンヅマリでね。時間的にもう変えられませんで、押し切るつもりですね。こういうのって、小汚いって、話でしょうねぇ。
まあね。困るのは結局、ウチの学部だけですからね。まあ、学生定員の再定義と同じでね。まあね。よってたかって、ウチの学部に負担を押し付けるって、話なんですかねぇ。なんか、そういう話でしたね、東所沢先生なんかの話だと。
まあホントに、鶴ヶ島先生がね。何考えてるかって、まあ、言うだけ野暮なんですけどね。
そうそう。お宅の学部、光熱水料は大丈夫そうなんですかぁ? いやね。私らもね。心配なんですけどね。まあ、そんなこと、ケチらないで欲しいですけどね。第2人民大学は、つらいですね。
いやまあ、それで、どうなのかと思いますね。アレ。やっと作ったカリキュラムですけど。全部ひっくり返して、やり直すんですかね、ウチは? 何時の判断になりますかね。えーえー、まあそんなとこですかね。まあ、無理ですよね、まとめるのは。
でもね。なんか、寒くなりますね。これってやっぱりアレ? いや、何の動機づけか、ですけどね。どうなんですかね。こういうの。よくある話なんですかね。ウダウダ。
(この記載は近未来を舞台にしたフィクションです。)
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西ナンジャラスタン共和国の社会科学院社会的意思決定研究センターの分析結果によれば、大学で学長選挙が1年近づくごとに副学長の数は倍になるという法則があるという。
ヘ(゚∀゚ヘ) えっ、ほんと?
´ω`)ノ 冗談に決まってるだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) この法則通りなら、ウチの大学は来年、副学長8人だな(理事の他に)。
´ω`)ノ だから冗談だと言ってるだろ。
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先日、あるメーリングリスト上で、某大学ブランドの酒を造ったらどうか、という件が話題になり、結構盛り上がった。
ヘ(゚∀゚ヘ) なんで酒なんだ?
´ω`)ノ 酒飲みながら考えたんだろ。
てな話で少しネットで調べてみた。次のURLのページで割と詳しく載っていた。
http://www.kobe-u.com/stone/2009/03.html#090313
それにプラスで気が付いた大学を調べてみた。国立大学に限っても結構多い。
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○北海道大学 日本酒・大吟醸「ポプラ並木」
○小樽商大 日本酒「小樽緑丘(おたるりょっきゅう)」
○日本酒「弘前大学」は弘前大学附属金木農場産の「豊盃米」100%を使用した純米吟醸酒です。また醸造は弘前市の蔵元・三浦酒造にておこなっております。
○秋田大学:吟醸「美酒秋大」、山廃「美酒こまちの里」、大吟醸「秋大浪漫」
○『純米酒 岩手大学』
○山形大学「燦樹(きらめき)」(オリジナル純米大吟醸酒)
○東北大学農学研究科はオリジナルの日本酒「萩丸」を発表した。
○福島大学 純米大吟醸酒「結(ゆい)」
○宇都宮大学純米酒「峰が丘」(現商品名・峰が丘の風)、麦焼酎「宇大浪漫」
○茨城大学農学部発の日本酒「茨苑」
○筑波大学の酒「桐の華」醸造
○東京大学 泡盛「御酒(うさき)」
○横浜国立大学:ワインの名前は「モン・プティ・シュ」焼酎や日本酒の案もあったが、横浜らしいおしゃれな雰囲気を考えてワインにしたという。
○山梨大学「山梨大学ワイン」
○新潟大の日本酒「新雪物語」
○信州大学農学部 限定品 山ぶどうワイン 1本 720ml 2,500円
○静大生の手作り日本酒「静大育ち」
○富山大学 「アロマ紅茶エール・薫紅茶麦酒」
○三重大農場の高級酒米で三重大生が造る大吟醸「三重大学」
○京都大学・早稲田大学 ビール「ホワイトナイル」「ブルーナイル」
○同志社「大吟醸酒=七五三太(しめた)」」
○佛教大学 オリジナル日本酒「佛米!夢乃酒」
○大阪府立大学ブランド 産学連携商品 天野酒「なにわの育(はぐくみ)」
○神戸大学 純米大吟醸酒「神戸の香」
○神戸大学限定品 [杜氏の夢]酒米の研究開発プロジェクトで農水省と神戸大学農学部が研究開発した成果の酒米「杜氏の夢」を神戸大学の付属農場で栽培したものをある酒造メーカーに委託して製品化したもの
○岡山大学 本醸造酒「おお岡大」
○鳥取大学 「いなば鶴」純米吟醸
○香川大学農学部 赤ワイン「ソヴァジョーヌ・サヴルーズ」
○愛媛大ブランド「媛の酒」
○山口大学、独自ブランドの日本酒「長州学舎」
○九州大吟醸 参考価格2000円(税込) 500ml 芋麹仕込芋焼酎原酒「いも九」
○佐賀大学オリジナル清酒「悠々知酔」ゆうゆうちすい
佐賀大学では,大学独自のブランド商品の開発のため農学部生命機能科学科生命化学講座加藤研究室で生成した清酒酵母および本学農学部附属循環フィールド科学教育研究センターで生産された食用米「ひのひかり」を使用した日本酒を製造しました.
○鹿児島大学 「天翔宙」:焼酎学講座研究棟「北辰蔵」において天璋院篤姫ゆかりの地今和泉島津家別邸跡から得られた酵母を使用して醸造した焼酎。農学部開学100周年記念焼酎「あらた百」
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ヘ(゚∀゚ヘ) 農学部がある大学は強いわな。この中で個性化するのは難しいな。
´ω`)ノ 高級路線で行くとかね。採算を考えずに作った国立大学の酒、とかね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 地域で個性化できるかね?
´ω`)ノ □川の水で鍛えた濁り酒、とかな。
ヘ(゚∀゚ヘ) この辺の水はどうなんだ?
´ω`)ノ 水は知らんけど、この辺の酒は意外とうまいんだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 知らなかった。でも飲み屋で置いていないよね。この辺の酒。
´ω`)ノ たまにあるぞ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、なんだねぇ。酒ってのはさ。日本酒かワインか、ビールかによるよな。
´ω`)ノ 好きな人は何でもいいんだろうな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 暗い所でさぁ。薄汚いオヤジが集まって、僻み根性をむき出しにして、他人に絡んでいるような、俺のついだ酒が飲めないのか、えっ、飲めないのかぁ、とかね。そういう、暗い、陰惨なイメージがあるじゃない。
´ω`)ノ そりゃあんたの話だろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、ブランドイメージの問題だな。お茶の橋大学のさ、ホームページとか見るじゃない。見た? なんかいい感じでさ。
´ω`)ノ そりゃ、イメージ作りやすい大学だからな。
ヘ(゚∀゚ヘ) あれだったらクッキーとかな、紅茶だよな。つまりさ、どういうブランドイメージで売り出すかだな。ウチの大学を。
´ω`)ノ 今のところ、ない訳だからな。どうすんのかな。
ヘ(゚∀゚ヘ) この前は芋□□だろ。
´ω`)ノ アレ自体は結構なんだが、なんか、自虐ネタのような気もするな。
ヘ(゚∀゚ヘ) ホームページ開くとね、パッと津軽海峡冬景色みたいになってさ。浪速なんとか、とかね。なんか酒って、そういう世界だろ。なんで世の中、こんな辛いのよ、とかね、生きてゆきますド根性、みたいな。
´ω`)ノ まあそこは、イメージの作り方何だと思うけどね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 名前どうすんのかね?
´ω`)ノ そこは話の種だわな。
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20XX年、遠久之島の3町長との会見を3日後に控えた小鳩沢由紀一郎首相は、大沢幹事長の進言をいれ、急きょ、日本自衛隊連合艦隊を遠久之島近海に集結させるよう指令を出したのである。かくして各軍港から出撃した艦隊は遠久之島付近に集結し、遠久之島を威圧する形勢となった。
会見に臨んだ小鳩沢は3町長に対し、米海兵隊のヘリポート基地を遠久之島に作る案を提示し、イエスかノーか、と迫った。しかし3町長を代表し、下大久保町の白鍬町長は、小鳩沢の申し出を拒み、われら一兵になるとも、矛を取って基地建設を阻止する、と告げたのである。
会見は決裂し、小鳩沢首相は連合艦隊の旗艦伊沢丸に戻った。そして西松司令長官に遠久之島攻略の指令を伝えたのである。
一方、遠久之島では、民兵を募り、退役自衛官の栗林忠八元准将に指揮権を預け、自衛隊連合艦隊との決戦に備えたのであった。
次の日の朝、連合艦隊は遠久之島に艦砲射撃を浴びせ、艦載機が爆撃を加えた。効果ありと見た西松司令長官は歩兵上陸用舟艇を茶臼山脇の海岸に上陸させようとしたのである。迎撃しようとする部下を抑え、栗林元准将は自衛隊海兵隊の上陸を許した。
しかし上陸した海兵隊に対し、栗林元准将は地下壕に待機した遠久之島民兵隊に一斉射撃を命じたのである。ここに海兵隊の先陣はほぼ全滅し、いったん退避した海兵隊と遠久之島民兵隊の間で一進一退の攻防が繰り広げられたのである。
上陸地点脇の茶臼山からは上陸部隊を護衛していた艦船に重砲による攻撃が加えられ、重巡洋艦1隻と空母2隻が大破する損害が出た。その後、連合艦隊による艦砲射撃によって茶臼山の砲撃隊は壊滅させられた。
栗林元准将は無駄な戦闘は避け、後退しながらゲリラ戦で海兵隊に損害を与える戦術に出たのである。この戦術は成果は限定的であったが、決定的な損害を出すこともなく、次第に海兵隊側に損害が累積されていったのである。連合艦隊は空母艦載機によって連日、遠久之島を爆撃し続けたが、民兵隊は地下壕に隠れて移動したので、重大な損害を出すこともなかった。
小鳩沢首相と西松司令長官は3日で全島を制圧する計算でいたが、1週間、2週間経っても決定的な勝利を収めることができなかったのであった。かくして2ヶ月に及ぶ攻防が一進一退の様相で繰り広げられていったのである。
しかし3ヶ月目に入ると民兵側の戦力も次第に尽き、海兵隊の進出によって民兵部隊は地理的に分断され、孤立していったのである。栗林元准将は司令部を島の北部に移動させ、分断された味方を北部に結集させながらゲリラ戦を継続したのであった。
かくして民兵部隊は弾薬も尽きようとしていた。栗林は残存部隊を集め、海兵隊基地に最後の夜襲をかけたのであった。
栗林の部下の次郎丸元一等陸佐は、遺体の検査があると踏んで「小鳩沢ニ与フル書」を書き記し、身に付けていた。この書は計算通りに発見され、後に東京日日新聞に掲載されたのであった。この書で次郎丸は、基地問題をめぐる小鳩沢の無策を難じ、世人の喝さいを浴びたのである。
栗林はこの最後の夜襲において戦死したとも、重傷を負って自決したとも伝えられる。海兵隊は栗林の遺体を捜したが、遂に見つからなかったという。
こうして遠久之島を制圧した小鳩沢は、この地に米海兵隊のヘリポートを作る案を持ってアメリカ政府との交渉に臨んだが、アメリカ政府によって「遠過ぎる」として拒否された。そのため小鳩沢は、無人と化した遠久之島に友愛ランドを作り、沖縄本島との間に「友愛の船」を走らせる計画を立て、工事に移られたのである。しかし友愛ランドは後の仕分けで工事中止と決まったとさ。
(この記載はむろんフィクションです。)
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´ω`)ノ でナニ? お宅は理系重視なワケ?
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、そういうことなんでしょうね。
´ω`)ノ そんな価値ある理系なの?
ヘ(゚∀゚ヘ) まあそこはね。知らんね。
´ω`)ノ 特に聞かないよね。まあこういう話かな。理系が大きいと予算が大きくなるからね。そこで恩恵があるか、だよね。でも医学部とか、ない訳でしょ。大した恩恵じゃねぇわな。
ヘ(゚∀゚ヘ) なんかな。どこもハトヤマだね。
´ω`)ノ おたくもハトヤマしてる?ってか。
ヘ(゚∀゚ヘ) 変なところだけ自信をもって進めるけれど、肝心なところは決断できない。普天間、どうなるかね?
´ω`)ノ ま、ダメでしょ。
´ω`)ノ でナニ? おたくらはN科学なの?
(`δ´) それと3K科学。
´ω`)ノ どうなの?
ヘ(゚∀゚ヘ) 誰も分らん。
´ω`)ノ 一風変わった発想だな。
(`δ´) そこがミステリー。
´ω`)ノ 事業仕分け、あるじゃん。
ヘ(゚∀゚ヘ) 研究機関、凄いね。
´ω`)ノ あれさ、昔、大学に対して考えていたのと同じ話じゃない?
(`δ´) 怖いよな。一歩間違うと、大学にやり始めるよな。
´ω`)ノ 設置審はやらんのね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 自信がないのか、面倒なのか?
´ω`)ノ まあ、たいがいは両方だね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 概算要求やれとか、言われるけどね。
´ω`)ノ やったら?
ヘ(゚∀゚ヘ) 面倒じゃん。
(`δ´) ま、そこは無間地獄でね。次々にやって行くんだよな。ともかく、お金あげましょうって、言ってやってる制度なんだから。
(`δ´) おたくらの個性化はどうなのよ。
´ω`)ノ やっていること書いて、個性化しました、じゃないの?
(`δ´) それで済むのか?
ヘ(゚∀゚ヘ) 何か間違っているよな。財政的に成り立つとか、志願者を確保するとか、そういう目的のための個性化でしょ、本来。
´ω`)ノ 個性化自体が目的になってるな。
(`δ´) ソ連の5カ年計画と同じだよ。
´ω`)ノ 別に、個性的でなくても成り立ちゃいい訳よね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 1大学の話ではないよな。国立はさ、元来チェーン店だからね。どの店を選ぶかは偏差値でしょ。1つ1つの大学なんて、見えないからね、どこも。国立チェーンが全体で魅力ありますって認識持たれないと、ダメだよな。
´ω`)ノ そういう意味では、なんだ、地方国立大学を1つの法人にするのかな。
(`δ´) 仕分けの発想だな。
(この記載は近未来を舞台にした創作です。)
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何年か前のことである。とある大学のとある学部では、職指定の3人で行う会議が重要な位置を占めていた。ある問題が生じ、その会議が開かれたと思って欲しい。
特に名案はなく協議も停滞した。
3人の中では一番下位の者が口を開いた。「いっそ、学部長選挙を立候補制にすればよいのではないか?」
それは名案だ、という返事があるかと思ったがそうではなかった。一番上位の者が答える。「そりゃ、ダメだろう。なって欲しい人は誰も立たないよ。立つ人は決まってくるだろう。例えば…。」
その言葉があまりに説得的だったので、一同、「そうだね」と納得した。
現場の中間管理職である学部長は、なりたくてなるポストではなくなった。座って目の前に出て来る案件を決裁すればよい、という古典的なイメージからは離れている。やれる人は自ずと限られてしまう。普通は、その中で仕方なく引き受ける人が出てくる。チキンゲームで協力反応をするようなものである。
所詮は狭い世界であるから、誰ができるか、誰が仕方なく引き受けるかは分ってくる。それが分らないなら、棄権すればよいだろう。
ちなみに、私は過去何年も、学部長選挙は棄権して来た。唯一の例外は直近の学部長選挙の第1次投票である。定足数に達さないのでお願いする、との連絡があったので投票に行った。名簿の最初の二人を書こうと思ったが、そのお二人はすぐに退職される方だったので、名簿の最後の二人を書いた。少なくとも選挙の成立には寄与したと思う。
(この記載は平成を舞台にしたフィクションです。)
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ハイ、東松山亀次郎でございます。またまた、東松山亀次郎でございます。西荒川県で唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山亀次郎、東松山カメジロウ、何はなくとも亀次郎、一家に一台亀次郎の、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・--でございます。ほぉーっほっほっほっほっほ。ほっほっほっほぅ。
はい、学部棟の改修から1年経ちましたぁ。また学部長をすることになったことでもありますから、まあ、学部長室の資料を整理しようと考えたんですな。
学部長室に入ると右手に大きな本棚がありますねん。ここに10年来の、学部長が保存していた資料があるますう。この本棚には、私の資料は入らないですからね。私は別の場所に資料を保管していたんですが。遠慮して。まあ、段々と置く場所がなくなって来て、学部長室も乱雑になってきましてね。私の資料をここにおきたい。そこで、この本棚を整理することを考えたんですわな。
以前の紙資料を手元に置くべきかどうか、ペラペラと眺めながら考えた訳ですね。
10年前ということは、3代前の学部長が2代前の学部長に代わった頃ですな。約10年。うーん、そうか。あの頃はアレだったなぁ、などと昔のことを思い出しますなぁ。
その頃、ちょうどアレ、アレですな。例のナントカ政策という話で学部内で方針をめぐってゴタゴタした頃ですな、などと思って資料をめくると、まあ、出るわ出るわ、その頃のこと。ほほほほほ。当時、私は学部運営とは何の関係もなく、その頃の事情には全く疎い訳ですけどね。資料を見ながら、ええー、そんなことあったの、ウッソーと思い続けますな。
えっ、あの○事って、あれだったの、誰が引き受けて誰にどうしたとかさあ、まあ、公開できないような話があるような、ないような。いや、分りまへんわ。ほほほほ。
この頃って一種のバブルでしてね。〇〇部の分属というのがあって、なんとなくポスト余り感があったんですよね。理由はいろいろ、当時も付けていましたが、結局はナニ、そのポストをどう使うかという話だったんですな。
でまあ、えっ、こんな提案があったのね、といったさまざまな発見。まあなんですな、何年か経って情報公開すると、まあ、どんな場合でも、いろいろありまんなぁ、ほほほほほ。
いろんな欲望の夢の跡、とでもいうべきですわな。
このバブル後の講座組織の整理を、私と(3月までの)副学部長が、将来計画委員長としてあたったのですよね。
で、それと並行して○○の設置という話があった訳ですが、ああそう、ここでもその、バブルの続きのような攻防があった訳ですね。うーん、などと感心しますわな。
このバブルは、前の学長がね、ウチの学部の大幅削減を決めたことによって崩壊しましたね。で、バブル崩壊後の講座組織もなかなか決まらず、まあ、私が学部長になって決めることになった、という経過ですわな。
それで、まあ、私が学部長になったとき、いろいろ意味不明なことがありましてね。正式な決裁はないけど、なんでこうなっているの?とかさ。でもまあ、こうやって見ると、なんか、分るような気がしますね。いろんな夢の跡、夢の続きがあった訳ね。でまあ、最近ですわな、ここが整理されてきたのが。
それとまあ、私が嫌だという人がいるのも、まあ、分かりますわな。そこを整理してしまう訳ですからね。
人間の欲と言うのは、限りがないですね。私のように、何十年いて自分1人のポストを確保するだけ、それ以上は遠慮、という人もいますけどね。既に持っているのにね。ナニナニは3人しかしないとかね。まあ、ポストが欲しい、欲しい、欲しいよぉ、という人もいる訳ね。このところ、ウチ特有の、学部長選挙って。結局、その話でね。
といったことが分ってくる、今日この頃でありました。いやぁ、整理をしていて、暗くなりますねぇ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションであり、事実には基づきません。)
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もしもし。もしもし。あっ、はい。そのぉー。東荒川大学の小豆生田と申しますぅ。はい。先生、いらっしゃいますか? はい。はい。いえいえ、私の方も、いつもお世話になっております。お願いします。はい。あーもしもし。あっ、亀ちゃん? はいはい。いやぁー。久しぶりだねぇ。ほんと。いやね。さっきね。この人でいいかなぁって。非常勤。そう。メールで送ったんですけどね。そうそう。時期が今だから、あんまり、いなかったけど。ま、使ってくれると嬉しいですけどね。えーえー。そうね。いやね。今頃ね。何で? うんうん。そうか。やってた人が、都合悪くなったのね。職場移るの? 移るんじゃなくて。ああ。同僚が急に移るから、代わりに授業やんないといけない。そう。それで、来られなくなったのね。うーん。最近はね。非常勤できる曜日が少ない人、多いよね。考えにくいよね、われわれ世代は。非常勤、やりまくっている人も、いたよね。でもね。ナニ? 今頃人が動くって、そんなのあり? 迷惑だよね。4月1日付で? まあ、あるのか。変だよね。まあ、あるかぁ。いや、この前ね。ウチでいるんよ。変なのが。変っていうか、まあ、出たかったんだろうね。いやそれで、ちょっと前ね。なんか、態度がでかくなってね。どうも、移る話が進んでいたらしいのね。でね、先日。今度は急にね。私は東荒川を動くとか、考えられないとかね。言い出してね。ま、ダメになったんだね、って感じだったけどね。めまぐるしいよね。言えないけどね。どっか、行ってくだはれ~って、言いたくなるけどね。でも、どこかの別の人が移るんだろうね。今頃さ。迷惑だよね。
非常勤、来られなくなったって。あれ。東鴻巣さん? そうか。えーえー。いや、彼女には、秋にね。会ったけどね。うん。ははは。いやまあ、移ってすぐだからね。事情が分らなかったみたいでね。そう、あれ。学部長選挙があったんだって。うんうん。それで、凄かったってね、いってたね。あれじゃない。いやまあ、彼女はさ。事情分んない訳だけどさ。いや、なんか。どうしていいか、分んなかったみたいよ。凄い世界だよね。
そういや、亀ちゃん、また学部長なんでしょ。まあ、あんたは楽勝なんだよね。えーえー。いやいや。あー、そう。まあ、いいじゃん。そりゃ、怪文書くらい、あるよ。どこにもいるよ。病気の人。表に出ないところで、もっとあったでしょ。
ウチはさぁ。去年あったじゃない? うーん。考えちゃうよね。いやね。結果は順当だったんだけどね。なんかさ。普通はさ。学部長になると、事務方からはおめでとうございますなんだけどね。同僚からはご愁傷様って、言われるじゃない? それ、普通じゃない? ならなくてよかった、とかさ。まあ、言うもんじゃない。それがさ。俺の目の前でね。なれなくて泣く人いたのね。うーん。まあさ。そこは人間の社会だね。うーん。
でナニ。中期計画とか、大変なんでしょ。年度計画か? ウチらはさ。学長が、これやれって、言うだけなんだけどね。そう。なんか、項目が多いみたいでさ。亀ちゃんとこ、西荒川大学だとさ。項目、少ないんじゃない? 規模小さいから。そういっちゃ、なんだけど。研究の項目とか、少ないでしょ。ウチらはさ。結構、あるんよ。ウチの学部は本来、関係ないんだけど。ついでにやれ、ってかな。おたくはさぁ。まあ、有体にというか、平たくいうとさ。教育の項目が多いでしょ。南大胡さんとこがそうだよね。うんうん。まあさ。それ、いいのよ。設置基準で考えて、どうせやんないといけないことをやってればいい訳だから。いや、そうよ。
ウチらはさぁ。それでね。結構、金が付いてくるからね。結構、ビミョーでさぁ。どうせいろいろあるしね。
まあね。面倒だけどさ。でも、今度はさ。アホらしい社会貢献のところが少なくなっていない? そう。結局さ。あれやっても、関係ないって、分ったからね。でも、亀ちゃんとこは、あるのかな? 地域に貢献しますって。言うのかな? うんうん。でも、少なくなってない? 南大胡さんとこもね、商店街出張講義とかさ、やってたじゃない。それでさ、これからはちょっと楽できるかな、とかね。言ってたね。
まあね。メールで送った。東三郷君。お願いしますよ。えーえー。
まあ、亀ちゃんも大変かもしれないけどね。まあ、私らも。お金があるとか、より東京に近いとか、そういうことに驕ることなく、頑張りたいと思います。えーえー。いやいや。こちらこそ。えーえー。
(この記載は現代を舞台にしたフィクションです。)
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国立大学の法人化が話題になった頃であるから、今から10年くらい前のことだろう。あの頃は「今後どうなるか?」という点をよく議論したものである。不安はあったけれども期待もあった。
ある知人と話していて、自分が役人だったら国立大学をどうしようと考えるか、という話に及んだ。彼が言うには:
─ 私だったら、少数の大学を選んで、そこに資源を集中投下するだろう。それ以外の大学は、まあ、なるようにさせるのかな?
当時は(今も)国際競争力がある大学を育てるにはどうすればよいか、が広い問題関心だったのだと思う。私でも同じように考えるな、と私は答えたように思う。
10年を経て、ある意味、その通りになった。
先日の同僚の話では、トップではない旧帝大のある研究室で、「補正予算で毎年、〇千万来る、使うのに苦労している」という。だったら、トップの旧帝大だったらどうなのか、と思ってしまう。
─ よくあることだけどさ。まーね。選択的に資源を投下するのはいいけれど。どうせ無駄に使っているんだよな。使うのに困るんだったら、要りませんって言えばよいのにね。
確かに、ある意味で知人の言う通りになった。でもなっていない部分もあるかな、と思う。
「それ以外の大学」がなるようになっているかというと、そうでもない。財政的に苦しい、という点はよいとして、「勝手におやり」というのではなく、以前にも増して大学のあり方が拘束されて来ているように見える。
元来、法人化は大学の裁量を認めるはずのものだった。だから「評価」は大学の教育研究のパフォーマンスだけを問うのが自然と思えた。
しかし先日入った情報では、大学の中期目標・中期計画とは独立に(つまりどんな中期目標・中期計画を掲げようが)、大学の「機能別分化」と「組織・業務の見直し」の取り組みを評価する、という話である。要するに国立大学の中期目標・中期計画は大学が案を作って文科大臣が認める、という形ではあるけれど、特定の方向に大学を動かすことを余儀なくされる、ということである。
いっそのこと国立大学法人は国立に戻したら、と思ってしまう。
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さても、西荒川夏の陣の火ぶたは切って落とされた。大沢武一郎は人民大学諸隊に西荒川大学を周囲から攻撃させながら、自らは子飼いの軍勢を率いて西荒川新都心に進出したのである。次の日、大沢軍と西荒川勢は西荒川城付近で激突したのであった。
小勢ながら西荒川勢の東毛利勝久隊は大沢勢の西松、水谷勢を押し返す奮戦を見せたのである。大沢は後詰を西松隊の加勢に送るとともに、全軍の前進を命じたのである。しかしその機を逃さず、西荒川軍を指揮する鶴ヶ島は、東毛利勢の背後に詰めていた赤備の東松山隊5千を出撃させた。東松山隊は戦線の中央に躍り出て大沢の本陣を目指したのである。
東松山隊は立ち塞がる敵兵を蹴散らしながら敵本陣を目指した。そしてついに大沢の旗印を認めたのである。ここで東松山は、狙うは大沢の首一つと叫んで大沢の本陣に突撃していったのである。
大沢の旗本勢が東松山勢と交戦し、東松山は何度か押し返された。しかしその度に兵をまとめ、大沢の本陣に突撃を試みたのである。その間の東松山らの奮戦は目覚ましく、敵も味方もその戦いに見入ったと伝えられる。大沢軍に従軍していた南人吉大学の理事は地元に「東松山、日本一の兵、その武勇古今に比類なし」と打電したのであった。
既に多くの兵を失いながらも、東松山は大沢を指呼の間にとらえた。おのれ大沢、尋常に勝負せよと叫んで、東松山勢は大沢の本陣に迫ったのである。このとき、大沢に従っていた北最上川大学の鉄砲隊と、南紀ノ川大学の部隊が、大沢の本陣と東松山隊の間に割って入ったのである。東松山左衛門佐はこのとき、舌打ちして「もはやこれまで、われらの武運もここで尽きたか」とつぶやいたのである。
しかし北最上川軍の鉄砲隊の筒先は大沢の本陣に向けられた。そして一斉射撃によって大沢勢に襲いかかったのであった。大沢の秘書たちは身を呈して大沢を守り、次々と倒れていったのであった。
戦いは乱戦となり、東松山に従っていた初修外国語教員抜刀隊が大沢の本陣に突入して行ったのである。乱戦の中に大将が身を置くのは危険だとする側近たちの進言を受け、大沢はこの場を退避することを承諾したのであった。政策秘書の小石川知之進は大沢の武具を身につけて大沢の身代わりとなって本陣に坐したが、乱戦の中で討ち死にを遂げたのである。後にこの地に「秘書の鑑 小石川忠魂塚」が国会議員秘書たちによって建立されたと伝えられる。
さても、戦場を退避した大沢武一郎は小桜井半兵衛ら政策秘書に護衛されながら鈴谷札の辻までさしかかった。が、眼前に支度をした武士の一団が現れたのである。その中で白装束をまとった若侍が名乗りをあげた。我こそは、大沢武一郎によって非業の最期を遂げた大江戸地検特捜部、下渡辺源太夫の一子、下渡辺数馬である。貴様は姦計によって捜査を逃れ、卑怯な手で多くの人を殺めてきた。その所業許し難し。わが父の恨みここに晴らさん、いざ尋常に勝負せよ、と叫んだのであった。
大沢武一郎は顔をしかめてこう答えた。地検特捜部の息子とは片腹痛し。地検検事のような国家公務員が政権政党の議員を捜査するとは何事か、そんなことをしたければ辞表を出してからしろ。お前ら憲法を読んでいるのか。民主主義が分っていないんじゃないか。あまりに不勉強なので驚いた。お前が父の恨みと言うならわしにも、一世紀前から政治の師匠が次々と特捜部に葬られていった恨みがある。貴様を切り刻んでミンチにして丸栄先生の墓前に供えてくれよう。ものども、返り討ちにせよ、と叫んだのであった。
政策秘書の小桜井半兵衛は得意の槍を持って下渡辺数馬に襲いかかろうとしたが、助太刀の荒木田又衛門がこれを遮った。荒木田又衛門こそは栄和新陰流にこの人ありと謳われた手練の剣客であった。荒木田は小桜井に槍の間合いを与えず、一刀のもとに小桜井を切り捨てたのである。そして、襲い来る秘書たちをなぎ倒し斬り伏せて行ったのである。
大沢武一郎と下渡辺数馬は満身創痍となりながら、一対一で切り結んだ。命のやり取りには大沢に一日の長があり、勝負は大沢有利に進んだが、下渡辺数馬の捨て身の突きによって遂に大沢武一郎は討たれたのである。
治にあっては酷吏、乱にあっては奸雄と評された大沢武一郎は、田園調布の御殿造営を目の前にして、その波乱の人生を閉じたのであった。後に大沢の死を悼み、後進の国会議員が鈴谷札の辻に闇将軍塚を建てたという。
この立ち会いは鈴谷札の辻の決闘として後に広く世に知られ、千峰景三大仇討の一つとして長く語り継がれたのであった。この決闘で荒木田又衛門は大沢の36人の秘書を斬ったとされるが、36という人数は後世の作り話であるとする説が有力である。
さて、ここで大沢が討ち取られたという情報が乱戦の戦場を駆け巡ったのである。大沢の要請に応じて出陣していた諸隊は参戦の意味を失い、次々と戦場を離脱して行ったのであった。かくして夕刻には大沢軍は撤退し、鶴ヶ島ら西荒川大学勢は大沢の本陣近くで鬨の声をあげて勝利を宣言したのであった。
大沢が討ち死にした知らせは首都大江戸にもたらされ、政界に激震が走った。小鳩沢御殿で報せを聴いた小鳩沢はすぐに行動を起こした。母親からもらった80億円の使って多数派工作をし、すぐに小亀井首相を失脚させ、自らを首班とする第2次小鳩沢内閣を組閣したのである。小鳩沢は「命の政治 You&I」を標語として一時人気を博したが、内閣支持率が低下するに従い、小亀井政権と同様に、事業仕分けを見世物にして人気を保とうとしたのである。
そうこうしているうちに再び、北朝鮮の大船団が福岡に来襲してきた。小鳩沢内閣は大宰府に大本営を置いて戦い、台風の助けもあって敵船団を追い返したのである。しかし十分な恩賞を与えらえなかったことからまたも治安は乱れて行った。かくして日本はその後、130年に及ぶ戦国時代へと突入していったのである。
(完。この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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さても、歴史上名高い西荒川夏の陣の火ぶたは、大沢武一郎幹事長によって切って落とされたのであった。
前回の冬の陣では、大沢は子飼いの西松、水谷などの部隊によって西荒川大学を攻めた。しかし今回は、人民大学に西荒川大学を攻めさせ、大学の秩序を確立することを目指したのである。大沢は各人民大学に、大型の教育研究特別経費を約束して出兵を促した。かくして、東北勢、信越勢、西日本勢、関東勢が西荒川大学を四方から攻めかかる態勢になったのである。大沢は自ら指揮をとりつつ、子飼いの軍勢を西荒川大学領の東方に集結させたのであった。
これに対し西荒川大学の鶴ヶ島は、増大した西荒川勢に人民大学浪人勢を加え、北は北指扇、東は西荒川新都心と西荒川県庁、南は南戸田、東は難波田城に兵を送り、西荒川城を守る布陣を敷いたのである。
西荒川攻めに加わった人民大学諸隊と西荒川勢の戦闘が各地で開始された。攻め手は数において優位であったが、戦闘は一進一退を繰り返す展開となったのである。
ここに大沢は子飼いの軍勢により、まず西荒川新都心に進出してきた。西荒川新都心に布陣していた東松山左衛門佐亀次郎は大沢勢の本体と戦ったが、抑えきれずに敗走したのである。その東松山勢を水谷隊が追尾したが、東松山勢は下落合付近で迎撃の態勢をとり、付近に配置していた鉄砲隊によって水谷隊に攻撃を加えた。東松山勢は逆に水谷隊を追尾する形勢になったが、軍勢を集結することを求める鶴ヶ島の指令によって、東松山勢は西荒川城へと兵を引いたのである。兵を引く間に大沢勢の追尾がないことを見た東松山左衛門佐は、「大沢勢百万も候らへ、男は一人もなく候」と叫んで大沢勢を挑発したと伝えられる。
西荒川新都心を制圧した大沢は、明日を決戦の日と定め、夜襲に備えるよう指令を出した。そして大沢軍10万の軍勢を前に訓示したのである。
明日、西荒川大学を攻め、我々は勝利する。西荒川大学は四方から攻めかかられ、その軍勢は5、6万といえども、明日我々の前に結集できるのはせいぜい3万である。わが精鋭10万の敵ではない。数時間のうちに我々は西荒川城を攻め落としているだろう。明日は勝利の日である。
この勝利は、単に西荒川大学に対する勝利ではない。この世に秩序と平和をもたらす勝利である。
半世紀ほど前に国立大学は法人化された。その国立大学に、民主的な政府は機能別分化を求めたのである。それぞれの大学の特性に応じた役割を求めたのである。
しかし国立大学はその機能別分化を拒否し、さしたる成果もあげず、さしたる改革もせずにのうのうと国民の税金を浪費し続けた。この情勢は国立大学が人民大学に変わっても変わらなかったのである。第1人民大学はよいとしても、第2人民大学は、あたかも第1人民大学のごとく振舞っていたのである。彼らは地域に根差すこともなく、地方移管も拒否し続け、規模を縮小もせず、圧力を受けると狡猾にも教育省の小役人を篭絡し、あるいは地方選出の議員に泣き付いて、ありもしない地域への貢献を盾にその特権的地位を守り続けたのである。その象徴が、あの西荒川大学に他ならない。
明日、我らは西荒川大学に勝利する。繰り返すが、これは単に西荒川大学に対する勝利ではない。ここに我らは大学に、新たな秩序をもたらす。平和をもたらす。この日をもって、この千峰景の御世が歴史に残す、千峰景偃武が訪れるのだ。千峰景偃武をもたらすのは諸君らである。栄光は諸君らの上にある。
大沢がそう叫ぶと、「勝利、勝利」と10万の将兵が口ずさんだのであった。
一方、西荒川城では東松山が大沢軍への夜襲を進言したが、鶴ヶ島は、それに気づかぬ大沢ではないといって東松山の進言を退けた。そして同じく、将兵を前に訓示したのである。
明日は決戦の日となる。敵は数に勝るとはいえ、我に策がある。必ず勝利する。勝利は諸君らの決意にかかっている。西荒川大学を愛する諸君らの心にかかっている。いや、知の輝きを愛する諸君らの希望にかかっている。
この半世紀、古くは国立大学は、そして今の人民大学は、いわれなき辱めを受けてきた。それは希望を閉ざす半世紀だといってよい。この間に奪われたのは、この間に傷つけられたのは、地方であってもまっとうな学問を追及できるという誇りである。
半世紀前の国立大学の法人化は、運営費交付金の削減と引き換えに国立大学に裁量権を与えるもののはずだった。しかし現実に彼らがやってきたのは何であったのか? 大学の裁量権を行政指導によって排除し、本省からの人員派遣を止めず、彼らの浅はかな考えによって大学を誘導するのみであったのは、国立大学が人民大学になっても変わらなかった。担当者が変わるごとに方針が変わり、大学はその尻拭いに忙殺されただけではないか。今、彼らは人民大学に対し、機能別分化を求めるという。しかしその実は、旧来の彼らの大学間序列を体言するに過ぎない。彼らは我ら第2人民大学に、ありもしない地域ニーズへの貢献のみを求め、大学院学生定員の削減を求めてきた。その間に我々は、隠れるようにして基礎研究を進めてきたのではなかったか。そして今、彼らはその最後の光さえも奪おうとしているのだ。
明日、われわれは勝利する。この勝利はただ、西荒川大学の勝利を意味するのではない。知の隷属ではなく知の自由を、この地に、あらゆる地域に育てる希望の勝利なのである。明日、半世紀にわたる絶望の日々に別れを告げて我々は、坂の上の雲をつかむ。勝利は諸君らの手にかかっている。栄光は諸君らの上に輝くのだ。
鶴ヶ島がそう叫ぶと、西荒川の将兵は「勝利、勝利」と口ずさむのであった。
翌朝は西荒川地方特有の霧に覆われた。進軍するときを測っていた大沢は突然、鉄砲の音を聞いたのである。かくして戦端は大沢軍の鹿島隊と西荒川勢の南長宗我部隊の間で切って落とされたのである。
西荒川勢の右翼に配した東毛利勝久隊は、西荒川勢最大の部隊だった。その東毛利勢が多勢の西松、水谷隊を押し返す奮戦を見せた。それを見た大沢は後詰を西松隊の加勢とするとともに、全軍の前進を命じたのである。
だが後詰が出陣し大沢の本陣が前進するときを待っていたのは鶴ヶ島であった。それまで東毛利勢の背後に詰めていた赤備の東松山隊5千が、戦線の中央に躍り出て大沢の本陣を目指したのである。
(次回に続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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さても、西荒川武芸帖の埋蔵金を手にした西荒川大学の鶴ヶ島鶴太郎は急ぎ西荒川城の耐震改修をするのみならず、城内を大幅に増築し、内堀と外堀を造営して西荒川城を一大城塞としたのである。さらにJREC-ONで公募を出し、全国の人民大学浪人を西荒川城へと結集させたのである。
ここに、東松山左衛門佐亀次郎は、西荒川城の北東部に、城と接するように東松山丸という堡塁を設け、赤備の5千の軍勢を率いて布陣したのである。
これに対し、仕分け党幹事長の大沢武一郎は、西荒川大学を殲滅させるべく、子飼いの鹿島部隊、西松部隊、水谷部隊らを招集し、自らも西荒川新都心に乗り込んで西荒川城攻略の準備に取り掛かったのであった。
20万の軍勢を整えた大沢は、配下の裏大沢忍群からの情報として、西荒川城に5万から10万の兵が配備されていることを聴いて驚いた。力攻めは難しいと踏んだ大沢は、まず西荒川城の周囲の砦の攻略を命じた。
大沢軍の西松部隊がまず、西荒川勢の美女木砦を攻略にかかった。美女木砦を守る地域文化創成学部隊はよく戦ったが、多勢に無勢と見て砦を放棄し、西荒川城を目指して落ちて行った。それを西松部隊は追尾したが、西荒川城の東松山丸の近くで待ち伏せていた西荒川教員養成学部の鉄砲隊の一斉射撃の前に先鋒隊が崩壊したのである。怒った西松隊は全兵力で教員養成学部隊に襲いかかったが、教員養成学部隊は東松山丸に退避し、東松山丸からの集中砲火によって壊滅的打撃を与えられたのであった。
不用意な戦線の拡大で思わぬ損害を出した大沢勢は、西荒川城を取り巻く布陣のまま、持久戦に持ち込むことを決めたのであった。
その後も西荒川勢は東松山丸から小勢で出撃しては大沢勢に損害を与えて退避するという戦法をとった。追尾する大沢勢はやはり西荒川勢の待ち伏せによって損害を大きくしていったのである。かくして、本格的戦闘はないままに、局地戦における大沢勢の敗北という結果が積み上げられていったのであった。
ここで西荒川勢を指揮する鶴ヶ島は情報戦に打って出た。西荒川城の陣は城方有意に推移しており、今挙兵すれば旧領の奪回は容易であると説く書状を、全国の第2人民大学に送ったのである。
大沢のもとには、各地で第2人民大学が不穏な動きを見せているという情報がもたらされた。西荒川城で戦線が膠着する間に反乱が拡大することを恐れた大沢は、西荒川城に密偵を放って鶴ヶ島との交渉に入り、戦闘の早期終結を目指したのである。
交渉に1月ほどを費やして和議が成立した。まず、西荒川大学は内堀と外堀を埋め、東松山丸を廃棄することとなった。代わりに大沢は、西荒川大学に第1人民大学並みの規模と予算を許し、教育大臣に命じて鶴ヶ島を正式に、西荒川大学学長に任じたのである。
和議がなると大沢は全国各地を巡回し、反乱の鎮圧に努めたのである。その間に西荒川大学では、参集した人民大学浪人を雇用して10学部8研究科の総合大学となった新生西荒川大学を発足させたのであった。
しかし、各地の反乱を鎮圧した大沢は、再び西荒川大学討伐の軍を招集したのである。既に外堀と内堀を廃棄した西荒川大学は、再び籠城線を戦うことはできないと判断し、野戦で大沢の軍勢と戦うことを決意したのである。
かくして、日本大学史上最大の戦いとなる、西荒川夏の陣の幕が切って落とされたのであった。
(次回に続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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さても、厳しい仕分けによって規模を大幅縮小させられた西荒川大学では、比企学部長が責任をとって自刃、北所沢学長は大沢幹事長の秘書の中沢に刃傷に及んで切腹となったのである。裏大沢の魔の手は東松山学部長にも伸びたが、東松山は神道無念流戸ヶ崎派の剣を振るって刺客の包囲を斬り抜け、西荒川大学の本部のあるの西荒川城へと馬を走らせたのであった。
西荒川大学にようやく辿りついた東松山は筆頭理事の鶴ヶ島鶴太郎にことの次第を報告したのである。
鶴ヶ島は急きょ、地方ローカル報道機関の西荒川新聞、テレビ西荒川、FM西荒川、西荒川新報などの記者を集めて記者会見を開いたのである。記者会見において鶴ヶ島はこれまでの持論を切々と述べた。大学は地方大学といえども本来の学問の教育研究をすべきものであり、そうであってこそ地域の誇りになり得ること。今回の仕分けは学問と理性の光を消す以外の何物でもないこと。そして、大沢幹事長の公設第1秘書から沢山会への裏献金を要求され、止むに止まれず5千万の裏献金を私財をはたいて出したが、その額が少なかったためにこの仕儀に至ったこと。そしてこんな非道が許されるかと訴えたのであった。
この会見はローカルな報道のルートにしか乗らなかったが、YouTubeと2チャンネルを介して、全国に知れ渡ったのである。
この会見に着目していたのは、大沢幹事長の沢山会への内偵を進めていた大江戸地検の特捜部であった。最強の捜査組織と呼ばれる大江戸地検特捜部は、かねてから沢山会の金の出入りに不審を覚えて捜査していたが、鶴ヶ島が暴露した裏献金の流れはこれまで確たる証拠が得られなかった情報だったからである。
特捜部は沢山会の秘書の何人かを逮捕し、捜査を進めた。捜査は大沢本人にも及び、大沢は任意での事情聴取を求められたのである。
事情聴取を求められた大沢は怒りをあらわにした。「公務員である地検職員が選挙で選ばれて政権をとっている政党の幹事長を捜査するのか? そんなことは辞表を出してからやれ。お前ら憲法を読んでいるのか? 民主主義が分っていないんじゃないか? 不勉強なので驚いた」と息巻いたのである。
大沢は法政大臣を介して大江戸地検の粛清を行い、捜査を打ち切らせたのである。さらに、地検特捜部にいて大沢の捜査を進めた検事は、次々と謎の事故死を遂げていったのであった。
地検特捜部を黙らせた大沢幹事長は、人教組甲信支部長出身の教育大臣の南興に西荒川大学の廃校を命じたのである。そして西荒川大学を討伐するための軍勢の結集を命じたのであった。
大学の廃校を通告され、大沢の軍勢が向かうことを告げられた西荒川大学では、役員、部局長を集めた評定が行われたのであった。
評定の席上、まず教員養成学部の皆野副学部長は、北所沢学長、比企学部長の後を追って殉死することを訴えたのである。これに対し地域文化創成学部長の東松山は、大沢の軍勢と戦い、城を枕に討ち死にせんと主張した。しかし脳サーヴィス科学部長の加須清平は、大沢の大軍と戦っても無駄死にであり、恭順して城を明け渡すしかないと説いたのであった。
これに対し東松山は主戦論を繰り返した。全国には大沢らの仕分けによって職を失った人民大学浪人が満ち溢れている。彼らをここに結集して戦えば、大沢の大軍といえども打ち破ることができると主張したのである。
しかし加須清平は笑止と言う。西荒川城は小城であり、それだけの大軍を擁することはできない。また、それだけの大軍とあらば我が兵糧は三日で尽きる。それでは戦にはならないと説いたのである。
しかし東松山は、城がダメなら野戦で戦うのみ、兵糧が三日で尽きれば三日のうちに勝ちを制するのみ、と主戦論を変えなかった。
このとき、それまで黙っていた鶴ヶ島が口を開いた。我らには勝つ見込みはある。あの『西荒川武芸帳』がある限り、と告げたのである。
『西荒川武芸帳』と一同は声を上げ、顔を見合わせた。あの、伝説と言われた西荒川武芸帳が、鶴ヶ島によって現実のものとして告げられたからである。
『西荒川武芸帳』の由来は、日本が北朝鮮に占領された頃に遡る。ときの民民党幹事長であり、今の大沢幹事長の父親の大沢は、裏献金によって巨額の富を蓄え、小鳩沢御殿に匹敵する大沢御殿を田園調布に建てることをもくろんでいたのである。しかしその富を北朝鮮政府に没収されることを父大沢は恐れ、埋蔵金として隠し、その在りかを3巻の西荒川武芸帳として遺したのであった。武芸帳3巻が揃うとその埋蔵金の在りかが分る。その1巻が、西荒川大学出身者が当時の政策秘書をしていた関係で、西荒川大学に収められていたのであった。
しかし、と加須清平は口をはさんだ。西荒川大学には武芸帳の1巻しかないではないか、というのであった。
それに対して鶴ヶ島は理路整然と答えた。こういうストーリー展開の中では、何はともあれ武芸者が全国を回れば、3巻が揃うに決まっているではないか、と説いたのである。なるほど、と一同は納得した。
かくして、神道無念流戸ヶ崎派の東松山亀次郎、同じく神道無念流の岡田十四松、中西派一刀流の高柳又八、それに北秩父忍群の面々が西荒川武芸帳を求めて西荒川大学から旅立ったのである。
この情報は裏大沢忍群の情報網を介して大沢幹事長にもたらされた。大沢はつぶやいた。その埋蔵金こそはわが父が田園調布に大沢御殿を建てるために隠したもの。我ら、西荒川武芸帳を手にして今こそ、御殿を建ててくれん、とつぶやいたのである。そして裏大沢の総帥の上中里陸山に、西荒川武芸帳の奪回を命じたのであった。
裏大沢とは、大沢の命を受けて暗躍する刺客集団である。その総帥たる上中里陸山は、もともと大沢の公設秘書であり、沢山会の会計責任者であったが、不明朗会計の責任をとって雲隠れし、その後裏の世界で大沢を支え続けていたのであった。上中里は胆沢新陰流の遣い手であった。その上中里陸山も、大沢忍群を従えて西荒川武芸帳を求める旅に出たのであった。
さて、西荒川武芸帳を求めて旅をする東松山ら西荒川大学の一行と、陸山率いる裏大沢忍群とは、日本各地で死闘を繰り広げたのである。しかし両者が雌雄を決した大菩薩峠の死闘において、西荒川大学の高柳又八は音無の剣によって上中里陸山を打ち果たした。かくして西荒川武芸帳三巻は東松山らが手にするところとなり、彼らは揚々として西荒川城へと帰城したのである。
埋蔵金を手にした西荒川大学の鶴ヶ島は、さっそく西荒川城の耐震改修をし、ついで城の増築に乗り出したのであった。また、JREC-ONを使って将兵の公募を出したのであった。全国に跋扈してた人民大学浪人たちは、かくして西荒川大学を目指して参集したのである。
一方、怒った大沢幹事長は、子飼いの鹿島部隊、西松部隊、水谷部隊などを招集し、西荒川新都心に軍を集結させたのであった。
かくして、歴史上名高い西荒川冬の陣の火ぶたが切って落とされたのである。
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さても、仕分けの日を迎えた第2人民大学法人西荒川大学では、学長の北所沢梅之助が教員養成学部長の比企義嗣と地域文化創成学部長の東松山亀次郎を供として、代々木の仕分け会場へと向かったのであった。ここで留守を預かる筆頭理事の鶴ヶ島鶴太郎のもとに、無難な仕分けで済んだ北厩橋大学は大沢幹事長の沢山会に5億の裏金を貢いでいたという情報がもたらされたのであった。西荒川大学では、大沢の公設第1秘書である中沢小一郎が示した5本の指を5千万円と理解して貢いでいたが、桁が1つ違っていたことに鶴ヶ島は気づいたのである。鶴ヶ島は急ぎ使者を送って事の次第を北所沢に知らせようとしたが、そのとき既に、西荒川大学の仕分けが始まろうとしていたのであった。
北厩橋大学への無難な結果を見て安心していた北所沢ら西荒川大学一行は、仕分け人による矢継ぎ早の厳しい責めに会って狼狽した。
(`Д´) 第2人民大学なのに、どうしてこんな、普通の学問の講座があるんですかぁ。
\(;゚∇゚)/ いやそれは…。
(*`ε´*)ノ だいたいね、あんた、T大のようなつもりでいるんじゃないですか。
(`Д´) それにナニ、これ、私大より教員が多いじゃないですか!
\(;゚∇゚)/ いやだって…。
(*`ε´*)ノ 天下りがこんなにいるじゃないですかぁ。
\(;゚∇゚)/ 天下りなんていませんよ。
(`Д´) 15回ねぇ、ちゃんとやっていない授業が3%もあるじゃないですかぁ。
(゚ー゚; でも、それは…。
(`Д´) 授業に5分遅れる教員が何人いるんですかぁ。えっ、調べてないって? あんた、何様のつもりなんですかぁ。
\(;゚∇゚)/ ワ、ワタシにも言わせて下さい…。
(*`ε´*)ノ あなたねぇ、地域で一番の大学を目指すって、どうして二番じゃいけないんですかぁ。
\(;゚∇゚)/ ま、ま、二番でも…。
厳しい仕分けの末、北所沢らはすぐに結論を知らされたのである。西荒川大学は「大幅な見直し、削減」を言い渡された。これまで5学部4研究科を維持してきたが、ここに西荒川大学は、文系の地域文化公益学部と理系の地域貢献イノベーション学部、それに教員研修センターの、2学部1センターの大学に縮小させられたのである。
宿舎のブリリアント新小岩に戻った西荒川大学の一行は、鶴ヶ島からの伝言に接し、大沢幹事長への裏献金が少なかった事情を初めて知ったのであった。教員養成学部長の比企義嗣は、先祖の御霊に申し訳ないと言い、抗議文を遺して自刃したのである。なんとも納得がいかぬ北所沢は、沢山会の赤坂本部に押しかけ、「中沢を出せ、大沢を出せ」といって詰め寄ったのであった。対応に出た中沢に北所沢は食ってかかった。しかし中沢は「潰されなかっただけ感謝しろ」、「お前のような金の相場も知らぬ田舎学長は大学に戻ってセクハラでもやっていろ」と言い捨てたのである。激こうした北所沢は脇差を抜き、「この間の恨み、覚えたか!」と叫んで中沢の顔面に斬りつけたのであった。中沢はギャっと叫んで倒れた。その顔面は血にまみれた。北所沢は中沢にとどめを刺そうと近づいたが、近くにいた第二公設秘書の中久保二郎と小久保三郎、それに第2政策秘書の下中久保四郎、第3政策秘書の上小久保五郎らによってその場で取り押さえられたのであった。
北所沢学長が中沢に刃傷に及んだことは、5億円で購入した田園調布の敷地を見に行っていた大沢幹事長にもたらされた。大沢は「たかが第2人民大学の学長が、与党幹事長の第1公設秘書に刃傷に及ぶとか何事か、こいつら民主主義が分っているのか? 憲法を読んでいるのか? あまりに不勉強なので驚いた。即刻切腹を申しつけよ」と言い渡したのである。
大沢幹事長の自宅近くの秘書御殿に預けらえていた北所沢学長は切腹して果てたのである。
都内で情報を収集していた地域文化創成学部長の東松山亀次郎にも、裏大沢の刺客が迫っていた。東松山は一時、刺客たちに包囲されたが、神道無念流戸ヶ崎派の達人であった東松山はその包囲網を斬り抜け、西荒川大学の本部のある西荒川城へと馬を走らせたのであった。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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さても、小亀井内閣が人民大学法人の仕分けを行う意向であるという知らせは、時の教育省から人民大学協会、略して人大協を経由して各人民大学へと流れたのであった。各人民大学では急きょ内部で会合を開き、情報の整理と対応の協議に入ったのである。
この人民大学とは昔の国立大学の流れを汲む大学であった。かつての民民党政権時代に日本が北朝鮮に占領された折、国立大学を拠点に抵抗運動が起こったのであるが、時の親朝政権はこれを弾圧し、「血のセント・バレンタイン事件」などが起こったのであった。この弾圧を経て、国立大学法人は人民に奉仕する人民大学法人とされたが、運営費交付金が国家によって保証されたために、この変化は概して関係者には好評であった。
その後、日本が再び独立して息子の小鳩沢の内閣ができると、人民大学法人の枠組みはそのまま維持されたが、ナショナル・センターとしての10ほどの第1人民大学法人と、リージョナル・センターとしての40ほどの第2人民大学法人へと整理されたのであった。第1人民大学は世界的な学術の拠点を目指す大学として保護された。他方、第2人民大学は地域貢献と地域の人材養成を主目的とし、いつしか「高等教育の信用金庫」と呼ばれるようになったのである。
このとき、第1人民大学法人に分類されるつもりでいた西厳島大学と北加波山大学は、第2人民大学になると知らされて愕然とした。まず西厳島大学は、この第1人民大学と第2人民大学への再編に抗議し挙兵したのである。西厳島大学軍は一の谷、屋島の分校に水軍を結集して上方の攻略を狙ったが、仕分け党幹事長の大沢武一郎は自ら第1人民大学の精鋭を従えて出陣し、西厳島軍は一の谷、屋島で敗戦したのである。西厳島軍は最後の兵力を壇ノ浦に結集して大沢の軍勢と対決したが、倍する兵力の大沢軍によって殲滅されられた。かつて精強を誇った西厳島軍は、そのことごとくが海中に消え去ったのである。
西厳島大学没落の報に接した北加波山大学では、緊急に役員会を招集し、対応を協議した。もはや抗する術のないことを悟った役員は第2人民大学法人となることを受け入れたのである。しかし一部の北加波山大学の壮士はこの役員会の決定に従わず、武装して北加波山に立て篭もったのであった。後に北加波山志士と呼ばれたのが彼らである。北加波山志士は捕縛に来た官憲と衝突し、抵抗しつつ逃走したが、遂に北加波山の樵小屋に立て篭もって自決したのであった。麓の村では志士を悼んで塚が建てられた。彼らの伝説は「志士加波一代記」として長く後世に伝えられたのである。
かくして人民大学法人は第1人民大学と第2人民大学法人に整理されていったが、個々の人民大学がその後どのような経過を辿ったかは大学によって異なった。第1人民大学の多くは従来に増して運営費交付金が措置され、教育研究拠点としての実質を累積させていった。第2人民大学の多くはその教育目標を、地域貢献と地域の人材養成を主とするものに書き換えて行ったが、実際の大学組織は従来のままであることが多かったのである。
さて、今回、小亀井政権による人民大学法人「仕分け」の報が流れたとき、各人民大学法人首脳の脳裏に浮かんだのは、第1/第2人民大学に整理したことの「実質」を問われることになるのではないか、という懸念であった。
第2人民大学法人の西荒川大学は、旧制の西荒川高校と西荒川師範を母体とする、標準的な歴史を持つ人民大学であったが、西荒川県唯一の人民大学法人として、首都圏に含まれることもあり、その教育目標を地域貢献に限定せずに来たのであった。しかし今回の「仕分け」では、西荒川大学が第2人民大学の趣旨に沿うよう、教育目標を地域貢献と地域の人材養成に特化し、それに従って大学組織を縮小し、個性化を果たすことが求められることが予想されたのである。西荒川大学では連日、教育地域貢献評議会を開いて対応を協議していたのである。
ここに西荒川大学学長の北所沢梅之助のもとに、日本仕分け党幹事長大沢の公設第1秘書である中沢小一郎から面会したいとの連絡が入ったのである。
西荒川大学長の北所沢は、指定されたメールパーク西日暮里で中沢小一郎と面会した。中沢は北所沢に右の手を開いて差し出し、「これだ」と告げたのである。「5本ですか?」と北所沢が言うと、「そうだ」と中沢は答える。北所沢「5百万とか?」 中沢「またまた、ご冗談を」という会話が続いた。何を求められたかは明示されなかったが、大沢幹事長の政治団体である沢山会に5千万円の献金を裏ですることが求められていると、北所沢は解したのである。
西荒川大学に戻った北所沢は役員を集めて対応を協議した。席上、筆頭理事の鶴ヶ島鶴太郎は、時の権力者大沢の公設第1秘書が求めている限り、応じる以外にないと説いた。運営費交付金に手を付けることはできないので、役員が私財を投じて政治献金を捻出することとなったのである。
件の人民大学法人仕分けは、代々木の仕分け会場に1大学ずつ呼びだされて行われたのである。第1人民大学については、多少の「見直し」が言い渡されたものの、現状をほぼ認める形で推移したのである。次に第2人民大学法人の仕分けとなった。第2人民大学法人については、最初に北厩橋大学、次に西荒川大学が呼び出されることになっていた。
北厩橋大学の仕分けの様子を、西荒川大学の役員は実況で観察したのである。北厩橋大学は西荒川大学と同じような立場にあったが、ある程度の「見直し」を言い渡されるだけで済んだのである。これを観た西荒川大学の役員は、西荒川大学についても無難な仕分けで終わるだろうと期待しつつ、仕分け会場に向かう北所沢学長らを見送ったのである。
北所沢学長らの一行が仕分けに出発した直後、留守を預かる鶴ヶ島のもとに緊急の連絡が入った。事務経由で非公式に調べたところ、北厩橋大学では大沢の沢山会に5億円の裏金を資金提供していたというのである。「しまった、5本というのは、5億円のことであったか!」と鶴ヶ島が叫んだときには、西荒川大学の仕分けが代々木の会場で始まろうとしていたのであった。
(次回に続く。この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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20XX年、総選挙で大勝した民民党は自爺党から政権を奪取し、小鳩沢内閣を樹立した。しかし、民民党政権は政策のブレと大沢幹事長の恫喝言動によって支持を落とし、小鳩沢内閣は短命に終わって岡沢内閣、小仙谷内閣ができてはつぶれる、というサイクルに陥った。民民党は日米安保条約を廃棄するという賭けに出たが、そのかいもなく分裂し、小政党が渦巻く混沌とした政治情勢に至ったのである。この間に日本経済は産業基盤を衰退させ、人口の減少と相まって産業の空洞化が進行していったのである。
ここに北朝鮮はすかさず日本に出兵し日本を領有したが、以前から日本の領有権を主張していた中国は北朝鮮に干渉し、北朝鮮と中国の対立は緊迫の度を増していったのである。北朝鮮は中国の干渉に対し「臥薪嘗胆」を銘としてこれを排除、ここに日本の領有権をめぐって3次に渡る中朝戦争が勃発したのである。この間に日本では親朝政権と親中政権がめまぐるしく交代して国内の混迷を深めていったのである。
しかしここに民民党の流れを汲む親朝政権の高官の東成田佑常は、国際NGOアルカイダの支持を受け、核武装した上で日本の独立を宣言、ここに日本の外国支配は終止符を打つこととなったのである。
かくして歳月は流れた。
この間、独立を果たした東成田はすぐに東亜愛国党を組織して政権を担当したが、条約締結に訪れた春巻駅で親朝挺身隊の青年によって暗殺されたのであった。その後、日本では旧自爺党や旧民民党の流れを汲む政党が乱立したが、遂に国民的人気を博した、民民党の流れを汲む日本仕分け党が、小鳩沢首相を首班として政権を打ち立てたのであった。小鳩沢は民民党代表の小鳩沢の息子であり、政治家になるために母親が多額の贈与をしたと噂された。日本仕分け党の幹事長である大沢武一郎は、同じく父の小鳩沢が首相をした時の民民党幹事長大沢の息子であり、父大沢の沢山会の巨額資金と集金網を継承したと噂されたのである。
さて、その小鳩沢内閣は国民の高い期待を背景に高支持率を維持したが、外交内政にわたる発言のぶれによって急速に支持を失っていった。見かねた幹事長の大沢武一郎は小鳩沢を首相の座から引き下ろし、代わりに小亀井を首班とする内閣を立ち上げたのである。
小亀井首相は逆らう役人を次々とクビにし、その実績によって恫喝を重ねて難局を切り抜けていった。特に小亀井内閣で実施した事業仕分けは、説明に来る役人に峻烈な人格攻撃を仕掛けることで国民の注目を集めたのである。代々木の国立競技場跡を仕分け会場とすると、人々は刺激を求めて仕分け会場に殺到したのである。さらに、多くの国民は仕分け中継にくぎ付けになっていった。
かくして「代々木の仕分け」は次第に、国民的な行事へと変貌していったのである。
特に役人に、人格攻撃を交えて厳しい言動を繰り返す仕分け人は国民的スターとなり、仕分け党の代議士は次第に激しく役人を攻撃するようになっていったのである。
一通り仕分けが完了すると、仕分けの対象が見出せなくなっていく。そうなると内閣支持率が下がってくるので、小亀井内閣は次々と無駄な事業を開始し、無駄な天下り法人を作った上で、それらを仕分けにかけるという手法を繰り返して行ったのである。ために短命な特殊法人が生まれては消えることになったのである。事業の開始から仕分け、廃止、と至る一連の過程を管理することが、仕分け党では主要な選挙対策と位置付けられるようになったのであった。
国民はいつの日か、「単純な仕分けではもう満足できない」、「もっと激しい仕分けを!!」と叫ぶようになっていったのである。そこで仕分け党では、年末の仕分けイヴェントとして、これまで仕分けではタブーとされてきた人民大学法人の仕分けを企画することとなったのである。
人民大学法人が仕分けの対象になるという情報は、人民大学協会、略して人大協を通して各人民大学に流れていったのであった。
(次回に続く。この記載は未来を舞台としたフィクションです。)
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ハイ、東松山亀次郎でございます。またまた、東松山亀次郎でございます。西荒川県で唯一の第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山亀次郎、東松山カメジロウ、一家に一箱亀次郎、亀太郎はないけど亀次郎の、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・--でございます。ほぉーっほっほっほっほっほ。ほっほっほっほぅ。
ハイ、今日のお話は、またまた、何にしましょうねぇ。思想統制、言論統計が厳しい昨今ですから、まあ、差し障りのない話題は、少ないですけどねぇ。差し障りのない題というと、あれでしょうか。そう、アレ。仕分け。シィーワァーケェ。そうです。ほほほほほほほ。
えー、何が差し障りないかぁと、言いますとね。えー、まああの仕分け、ひどいよねぇって、私らの業界内で言う分には、まあ、安全というか、まあ、差し障りない話題ですよねぇ。
まあ、それでね、人民大学協会、略して人大協がね、まあその、人民大学の運営費交付金を上げてちょうだいーってね、陳情してますよね。まあアレ、陳情っていうのかどうかですけどね。まあ、陳情ですよね。それでまあ、各地方選出の、民民党の議員さんにも、よろしくねってね。言ってねって。やってますよね。まあ業界全体で、陳情ですわな。
で、まあ、問題は理工系の方でしょうかね。お金削るっていったら、まあ、またまた大陳情ですよね。何、今日の新聞、科学技術系の20学会、会員33万人が、事業仕分けに憂慮するって、声明を出したんですねぇ。いやぁー、やるもんですねぇ。
まあ、かつてない大合唱ですけどね。まあ、なんちゅうか、そうなりますよね。相手がね。サッチャーなら、やらんでしょうね。信念があるから。哲学っていうか。しかし民民党でしょ。あっちこっち、国営化とか、補助とか、言ってますからね。で、大学に厳しいって、そりゃないよね、って話に、なりますよね。
民民党が、そういう声を押し切ることができるかというと、まあ、できないでしょうねぇ。信念がある訳ではないから。まあ、理屈をつけて国債を大発行して、終わるんでしょうねぇ。
ですから、まあ、今は「やり」でしょうね。効果はあるでしょうね、やれば。
しかしまあ、なんちゅうか、仕分けってのは、まあ、他人の予算が削られる分には、見ていて楽しいですねぇ。そうだ、もっとやれぇ、そこだぁとか、思いますよねぇ。ほほほほほほほほ。他人の痛みは、蜜の味でございますねぇ。ほほほほほほほ。
うーん、まあ、そう、仕分けですよねぇ。「しわけ」。逆にすると「けわし」ですからね。まあ、回文が作りやすいかも、知れませんねぇ。簡単にやれば:
仕分けは険し (しわけ は けわし)
険しい仕分け (けわしい しわけ)
ってなもんですよね。まあ、もうちょいと考えますよね:
良い仕分けは険しいよ (よい しわけ は けわしいよ)
なんちゃいましてね。ほほほほ。もうちょいとありませんかねぇ:
私が険しく仕分け課したわ (わたしが けわしく しわけ かしたわ)
なんてのが、ありますねぇ。おのれはレンホウか?って話ですねぇ。
ダメや険しい仕分け止めた (だめや けわしい しわけ やめた)
なんてのもありますかねぇ。まあですね:
いらつく仕分けで険しく辛い (いらつく しわけで けわしく つらい)
遺憾な険しい仕分け何回? (いかんな けわしい しわけ なんかい)
とかね。
段階的仕分けで険しき展開だ (だんかいてき しわけで けわしき てんかいだ)
なーんちゃいましてねぇ。ハイ、そろそろお時間ですね。また、差し障りのない話題で、お会いましょうね。ほほほほほほほ。
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです。)
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民主党政権になってから国立大学を取り巻く環境がどうなるか? この点が9月以来の国立大学関係者の最大の関心事だったと思う。今、どこから話を聞いても情報がない状態が続いている。
だから例の「仕分け」で国立大学の運営費交付金がどのように扱われるかが、今後を占う試金石だった。この「仕分け」で国立大学の運営費交付金について大きな結論が出るとは最初から思えなかったが、どのような意見が付くかが注目点だった。強い意見なり方針が出れば、その意見が今後しばらくの国立大学の外的環境を支配することになるからである。
さてその「仕分け」の結果は、というと、案の定、曖昧な結果に落ち着いた。今後の効率化に含みは残しているが、明確な方針は何も出なかった。節約の余地があるだろうという、単純な意見が付いたくらいである。
ヴィジョンが出なかった理由は、「仕分け」自体が財務省のリードで進行したことの結果である。財務省には予算節約という発想しかない。以前の経済財政諮問会議なら、もう少しマシな理屈を出しただろう。
国立大学を「保護」するという立場からいうと、むろんまだ危惧はある。私大に比べて国立大学は学生に対する教員数、事務職員数が多い。そこを削れ、という議論が出てくる可能性はある。
ただ、特にヴィジョンがない今の状態からすれば、その際に国立大学を「仕分けする」という話にはならない。「仕分け」には「理屈」が必要であるが、その「理屈」の準備は、今の政権にはない。国立大学に一律に予算削減を求めることになるしかない。そのとき、国立大学は一丸となって反対し、抵抗する。郵政も事実上国営に戻すことを志向する現政権に、その抵抗を押し切れる道理がない。そのことを見越せば、現政権が国立大学に大きな判断を下すことはまずない。
競争的資金は減らされることになるかも知れない。しかし競争的資金は、資金の余裕のある有力大学に追加的資金を与える装置でしかない。例えば、東北地方のとある旧帝大であれば(ですら、か?)、予算規模はウチの大学の約10倍である。全体規模がそれだけあれば、展開のための資金は内部調達できる。だから、競争的資金の減額は実質には影響を与えることはない。
つまりは、民主党政権下で国立大学は、ほぼ現状維持をすると見るのが正解のように思う。それが良いか悪いかは、また別の考慮である。
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現政権の事業仕分けで国立大学の運営費交付金が対象になっていることは当初から知らされていた。その仕分けが本日あったようだ。詳しいことはニュースには出ていない。単に、「あり方・位置づけを見直す」という評価だったらしく、経営改善努力の余地があるとの指摘があったようである。
それ以上の詳しいことは分からないが、まあ、「そんなところが落ちだろう」というところで落ちたように思う。
「見直す」という結論の意味するところは次のようなものだ、と考えるのが常識的である。
「見直す」という結論は、簡単にいえば「私たちは判断できません」ということである。「削減」とも「増額」ともいえなかった。何も言わないのはメンツにかかわるから「あり方・位置づけを見直す」とはいったが、どう見直すという話もないから、何も言わないのと同じである。
自民党政権も基本的には同じであるが、現政権にしても、大学をどうする、どうあるべき、というアイディアは、全くない。だから判断ができる訳がない。
ただ、アイディアがないということは、話が動くときには財政的配慮で話が進んでしまう、という危惧があることを意味する。実際にどうなるかは、もう少し情勢を観ないと出て来ないのだろう。
しかし馬鹿な展開になったものだ、とつくづく思う。
あの手の仕分けをしなければならないほど、財政がひっ迫しているという事情はよく分かる。ただこの展開は理性的ではない。「敵」をたたいて見せることで人気とりをするという安っぽい手法が使われ続けている。例えば、社会調査法では、「官僚」という言葉は「ステレオタイプを含んだ言葉」であり、調査のワーディングとして好ましくない。「官僚」は悪役に決まっているからである。それでは聞く人の反応は必然的に歪む。「天下り」にしても、中性的な言葉を使った場合に比べると、「悪事」というに等しい。仕分け人が「天下り」といえば、言われた方が「悪事を働いている」と見る人は受け取る。そういった上で予算を削れば、視聴者は削る側が正義と思うに決まっている。安っぽい手である。
それにしても、郵政を国営に戻しながら、国立大学に経営努力を求めるなどと、どんな顔で言えるのか? 根本的な疑問である。
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ヘ(゚∀゚ヘ) で、事業仕分けは始まったんだろ? 民主党政権の。
´ω`)ノ そうそう。
ヘ(゚∀゚ヘ) 聞いてるか? 文科省関係。
´ω`)ノ 何だろ。青少年自然の家、とかが地方移管とかの話が新聞に出てたな。まだ始まったばかりだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 大学関係はどうなのよ?
´ω`)ノ お金出す事業あるだろ。何とかのプログラムとか、支援事業とか。あの辺はみんな、一応対象なんだろな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 大学の交付金は大丈夫なんだろ?
´ω`)ノ 一応、仕分け対象には入っているみたいよ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 交付金まで?
´ω`)ノ まあ、交付金まで、ここで判断することにはならんのじゃない? ただまあ、どういう意見が付くか、だよな。そこで付く理屈で、これからやられる可能性が高い訳だからな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 民主党政権になって、大変だねぇ。
´ω`)ノ 自民党でも似たようなこと、やった訳でしょ。どうやるかの違いはあるだろうけどね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 青少年の家か? あれ、廃止?
´ω`)ノ 家っていうか、やっぱ、ナントカ機構だよね。地方移管とか行ってるので、廃止ってことはないんじゃない?
ヘ(゚∀゚ヘ) 地方が引き取るのか?
´ω`)ノ 知らん。どうなんだろね。地方って、都道府県なのか、市町村なのか? 引き受けるところがなかったら、やっぱり廃止なのかねぇ?
ヘ(゚∀゚ヘ) 廃止できないんじゃない?
´ω`)ノ まあ、国だから、配置換えして、人をどこかに移して廃止かな?
ヘ(゚∀゚ヘ) 確か、国の出先機関は地方移管って話があったよね。
´ω`)ノ そうそう。橋下知事が府県連合体で受け皿になるっていった奴。他の県が賛成したかどうかは知らんが。
ヘ(゚∀゚ヘ) あれ、受け皿なかったら、どうなるのよ?
´ω`)ノ まあ、廃止なんじゃない?
ヘ(゚∀゚ヘ) その筋の人がさ、コレものの、ここんとこずっと、地方国立大学は地域に貢献します路線でやれっていうじゃない?
´ω`)ノ ああ、アレね。真意が分らんよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 地域に貢献する地方国立大学だったらね、国の出先機関と同じじゃない? アレ、地方移管して頂けるように頑張りなさい、って話かね?
´ω`)ノ さあね? ああいう人が、先が見えていて言ってるのか、猿知恵で言っているのか、だよな。地方移管たってさ。地方国立大学を受け入れる地方は、ないよね。道州なら別だけど。県立大じゃぁ、小さい大学しか要らんよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 何考えてんだろうね?
´ω`)ノ 何も考えていないんじゃない?
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´ω`)ノ とまぁ、会議というのは収穫ゼロだね。
ヘ(゚∀゚ヘ) ご苦労さん。
´ω`)ノ んでさぁ、まあ、収穫といえばアレね。後の飲み会ね。いろいろね。例えばさ、金銭感覚が他大学とチャウデェ、ということが分かった、とかね。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほうほう。
´ω`)ノ いやね、八幡原大学の学部長さんが仰る訳よ。大学、金あるからね、何億くらいはすぐ出ますよってね。この前も学長に言って、ン千万円でロビーを作ってもらったとかね。
ヘ(゚∀゚ヘ) あるのかい?
´ω`)ノ それでね。何でぇ、って、私が言ったのよ。だってさ、ウチらさ、金無いって話ばっかじゃない。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうよね。
´ω`)ノ そしたらね、大学全体で予算は400億だから、ちょっと絞ればン億くらい、すぐ出ますよってね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 400億? ウチらは?
´ω`)ノ 120億。3分の1よね。
ヘ(゚∀゚ヘ) えー、そんなに違うの? 同じくらいだと思ってたけどね。
´ω`)ノ すごい違うって、初めて知った。まあね。考えてみればね。理系学部がさ。理学部と工学部はよいとして、医学部あるじゃん。農学部も。そんでナントカ学部もあるからね。まそりゃ、冷静に考えるとね。そのくらいあるよね。医学部とかね。文科省だけじゃないからね。金づるは。
ヘ(゚∀゚ヘ) ウチは、実質、文系大学だよね。
´ω`)ノ でね。ちょっと調べてみたのですわ。近くの。西厩橋大学がね、420億くらいね。
ヘ(゚∀゚ヘ) えっえー。そんなに違うの? そうか。だから一緒になるの、嫌がったんだ。
´ω`)ノ まあ一緒になったらさぁ、吸収だよな。でもさ、一緒になればね、北幕張大学に近づいたんだよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 北幕張とはそんなに違うのか。
´ω`)ノ 違う、違う。別世界だよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) それが現実か。
´ω`)ノ でさ、近くだとね。まあ、東鬼怒川大学と、南那珂川大学が、まあ、ウチと同じくらいかな。南那珂川大学はちょっと大きいからね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 南那珂川はもっと大きいかと思ったな。
´ω`)ノ まあ何だね。4〇とかいっても、予算規模からすると、半分以上が西厩橋大学だな。
ヘ(゚∀゚ヘ) じゃ、一緒にはなりたがらんわな。他の大学は。
´ω`)ノ でもさぁ、まあ、金ねぇねぇって、いうじゃん。そんなに金欲しいならさ。何であのとき、一緒にならなかったんだ、ってことよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ何だよ。前の学長を選んだとき、ウチらの大学は、金がなくてもやって行きます、文句は言いません、って道を選んだ訳だな。
´ω`)ノ そういうこと。小さかったら、苦しい訳よ。今の構造だと。予算規模が大きければ、捻出できるものも大きい訳よね。それで展開できる。
ヘ(゚∀゚ヘ) でもさ。小さくてもちゃんとやってるとこ、あるじゃん。お湯呑み大学とか、一本松大学とか。
´ω`)ノ そりゃま、あれ、基本が文系大学だからよね。理系で展開するのは、ダメジャン。それじゃ。
ヘ(゚∀゚ヘ) じゃ、どうすんのかね?
´ω`)ノ それはここでワァ、言えないでショォオオーー。
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ハイ、またまた、東松山亀次郎でございます。西荒川県唯一の人民大学、第2人民大学法人西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山カメジロウ。一家に一箱亀次郎、何はなくとも亀次郎の、東松山カ・メ・ジ・ロ・ォ・--でございます。ほぉーっほっほっほっほっほ。ほぅ。
ハイ、今日のお話は、さぁ、何にしましょうねぇ。別に、計画立てて喋っている訳では、ございませんものねぇ。それにねぇ、何かと、思想統制が厳しい世の中でございますからねぇ。なかなかねぇ、差し障りのない話題って、ないですよねぇ。差し障りのない話題っていうと、まあ、あれでしょうかねぇ。アレ。更新講習。えーと、あれは、正式にはね、思想改造職就労資格更新講習って、いいましたかねぇ。ほほほほほほほ。
えーえー、あれは確かねぇ、前の政権与党の自爺党の馬場首相でしたかねぇ。なんか、思想改造師の精神がたるんでいるから、不適格者は排除しようとかね、そんな話から始まりましたかねぇ。そんでまあ、例によってああでもない、こうでもないで、初めの話との関係が見えないような結果になって、まあ、更新講習をやりましょうとか、なりましたかねぇ。
まあね、アレ、意味ないのは誰の目にも明らかなんですが、それでも国がやるからやらにゃいかんとかね。国家の政策目標だからやらにゃいかんとかね。えーえー。表向き左翼なのにねぇ。そんなこという奴が、いましたわなぁ。いやそれでね、人民大学法人は、国の政策には率先して手を上げないとダメだとかね、生き残れないとかね。まあ、そんな話になりましてね。まあ、やった訳ですけどね。まーそれで。えーえー。結果が大笑い。
まあそれで、最近ね、政権交替で政権党が自爺党から民民党に変わりまったがな。えー、まあ、それで、民民党の有力者がね、思想改造師組合の大物なもんだから、あれ、止めましょうとかね。言ってくれたのはいいんですけどねぇ。
まー、どうなりますかねぇ。まあ、あんなクソ制度でも、法律は法律ですからね。まあ、民民党としては廃止の法律を作るとしても、まあ、多少は時間はかかりますわな。その間はあの講習、やるんでしょうかねぇ。
まあそれにね、何を理由に廃止の法案を作るかですわね。露骨なこと、するかどうかですわな。
まあなんですな。アレ、今年やってみてね、その結果をどう総括するか、ですね。どうですかね、アレ、不合格者がいたかどうかですよね。事前の予行演習ではね、全国である程度の不合格者がいて、見ろ、やはりダメな奴がいるじゃないか、ってな話がありましたけどね。まあ、どれだけ出たか、その内容が記録にどう残っているか、その辺の判断によりますかねぇ。
ま、最終的には、思想改造師組合票を、民民党の小鳩沢首相がどれほど重要と見るか、その政治判断ですかな、ほほほほほほほほ、ほう。
まあ、経営判断ではどうですかねぇ。アレ、講習、店を開いた、客が来なかったっていう話ですけどね。まあ、アレでは来ませんよね。事前に分っている需要とは関係ないものを出した訳だから。あの数でね、客を呼ぶって、まあ、やろうと思えばできますよね。本当は。ただまあ、内部の都合でああいう内容の講習になった訳ね。そこ、どうするか、どう考えるかですよね。
でも、客が来ないで、アレ、ウチの大学、損していないんですかねぇ? 収支が公表されるかどうか、ですけどね。それとまあ、ナントカ省、途中で沢山出せって、ホンマ、指導した訳でしょ。それで損が出るとね、補償するとかいう噂もありますけどね。本当はどうなんでしょうねぇ。民民党の政権が、そんな金、出すんでしょうかねぇ? ほほほほほ。楽しみですね。
でまあ、労働的な判断ではね。アレ、きついですよね。私がね、ヤダっていったのはね、ウチの教員が、海外に行く人も多いのにね、行けない、拘束されるっていうことですよね。
でもまあ、そこは私は気楽でね。労働問題としては、クリアされていますよね。いやそれ、去年の人民過半数代表と経営側の協議でね。教員の講習の担当は自発的同意が前提って、決まったでしょ。ですからね、まあ、嫌だったら、やりませんわな。それでいい。だからね。ま、アレはね、まあ、どっちでもいいですよね、労働的には。やりたい人はやりなはれぇ~~って、話ですよねぇ。ほほほほほほ、ほほほほほ、ほーっほっほっほ。
(次回に続く。この記載は未来を舞台としたフィクションです。)
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ハイ、こーんにちわぁ。東松山でございます。第2人民大学法人、西荒川大学、地域文化創成学部長の、東松山、東松山、東松山ぁの、亀次郎、カメジロォーでございます。ほぉーっほっほっほっほっほっほほう。熊谷にいても東松山、大利根にいても東松山の、カ・メ・ジ・ロ・オ・ッ・オーー、なーんちゃいましてねぇ。ふぉーっほっほっほっほっほっ。
いやぁあ、まったく、ですね。やっと訪れた5連休でございましたね。ほほほ。ずっと楽しみにしてましたけどね。ほほほほ。もう、すぐ終わっちゃいますね。ほほほほほ。泣けませんねぇ。いやまあ、こんなときでもアクセスしてくださる方が結構おられるのですから。有り難いですなぁ。ほほほ。しかしまあ、ずっと寝てますよね。どうも疲れますからねぇ。休みがないとねぇ。えっ、忙しいかって? いやまあ、ええ。そうですねぇ。いやね。この前もね、産業技術学部長からね、いや、あんたの建物の学部長室は、夜遅くまで電気がついているね、何やってんの、と言われましてね。いや、それね。忙しいね、大変ねって話じゃなくて、あんた、仕事ができないんじゃないの、っていう、嫌味ですわな。まあ昔のねぇ、ヤッピーがそうですねぇ。あんまり早く帰りますとね、仕事任されていないように見えてダメ。でも遅く残っていますとね。仕事が片付けられない無能者だってんで、ダメなんですわ。ですから、最適帰宅時間は19時頃とかね、そんな基準がありましたねぇ。私は、まあ、20時20分くらいですかね、平均すると。
でもまあ、そこはねぇ。特殊な事情があるんですわ。外からじゃ分りませんけどね。外から見るとね、ウチの学部は小さいから、簡単じゃないの、って思うでしょ。そこ、違うんですわ。
まあねぇ。産業技術学部さんなんかはいいんですわ。大きな学科からできていますからね。学科に投げて、上がってきたのをまとめるだけでしょ。学科から上がってきたのを、直そうってもね。どうせできませんからね、ほほほほ。だから、まあそのまんまでいいんですわ。
うちなんかはね。まあ、小さいのはいいですわね。まあ組織、ないですからね、事実上。あるにはあるけど、まとまりませんからね。液状化ですわな。それで学部長直、ですからね。ですから私は、いろんな委員長を兼務しているようなもんですわな。
まあでも、ホントはね。ウチの学部が忙しいのはね。組織をどうしましょうって、年中行事でやっている訳ですね。ずっと。本当は平穏な学部のはずだったんですわ。それがね、こうなったのはね。いろんな政権交代があった挙句に、国立大学法人が人民大学法人に変わったときですわ。ウチの西荒川大学は第1人民大学になれずに、第2人民大学にされましたよね。第2人民大学だから、地域のことだけやんなはれぇ、でね。第1人民大学は交付金を上積みされたのに、うちは年率ん%削減でね。それで当時の、あのー、鳥飼学長と言いましたかね、あの人がパニックになって。まあ、悪い奴もいたんですが。まあそれで、手もなくウチの学部が大幅削減になりましてね、教員の。
まあねぇ。時間をかけてね。新しい体制を決めた。これでやっていくんだと思ったとたん、新体制を実施して2カ月で大幅削減ですもんね。それでね。また組織替えのやり直しでしょ。ええ、なにこれ、いい加減にせいや、といっても始まらず、でね。もうそれ以来、液状化ですわな。
ええ、そうですわ。まあ、改組をしてますけどね。これ、やりとうてやった改組や、おまへんでぇ。しかもねぇ、改組たってねぇ。辞めた人のポストがなくなる訳ですわね。みんな。それでね、どんな策がうてまんねんねん。まあ、こんなことばっかですよ。えっ。それでね、それでどうなんだってんでんねんねん。
ま、どうとでもなれぇ、ですよね。ほぉーっほっほっほっほっほっほほう。ふぉーっほっほっほっほっほっ。
(続く)
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ヘ(゚∀゚ヘ) だからさぁ、インフル話は結局ね、どれだけ流行るかだね。それほど流行らないなら、そんなに影響ないと思うけどね。
´ω`)ノ そうね。それで、さっきの交付金の話しさぁ。やっぱり、あれ? 政権が変わったから削減の根拠はなくなるってこと?
ヘ(゚∀゚ヘ) そういう話もあってね。聞いてみたんだけど、それがなくなっても別のものをかけてくるんじゃないですか、ってね。
´ω`)ノ そうかね?
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、現状で、削減は織り込まれているからねぇ。厳しくなるのか、楽になるのか、そこは分からんのじゃないの?
´ω`)ノ 大まかにいえば、なんだろ。民主党は大きい政府だろ。だから国立大学には金を出すだろ、って期待はあるんだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) それはそうなんだけれどね。ほんとに大きな政府なのかだな。税金の使い方を全面的に見直す、必要なら金も付けます、って考えかも知れないんだよな。必ずしも大きな政府ってんじゃなくて。まあ、自民党のときは、なんだかんだって、無駄なところに金を使ったろ。そこで国立大学も恩恵を受けた面あるからな。もうちょっと、見ないと分からんのじゃない?
´ω`)ノ 更新講習はどう聞いてる?
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、止めるんだと思うけど。
´ω`)ノ そう思うけど、時期の問題だよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) ただ、やってどうしたって、良くも悪くも、結果が出ていないでしょ。その段階でどうするって、言い難いんじゃないの?
´ω`)ノ それもそうだね。
ヘ(゚∀゚ヘ) まさかさぁ、先生方が嫌がっているからとか、大学が嫌がっているからとか、いえんもんねぇ。
´ω`)ノ 大学が、効果ありませんでした、って言えばいいのか?
ヘ(゚∀゚ヘ) そりゃ、あなたの大学がダメなんでしょって言われて終わるよ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 求心力というか、落ちてるな。
´ω`)ノ 移ろうとしている人、かなり多い訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、知っているだけでもね。
´ω`)ノ そういっちゃ何だけど、オタクは前からじゃないの?
ヘ(゚∀゚ヘ) 前からといえば前からだが。そろそろ移るんですか、とか、平気で言葉に出るものね。
´ω`)ノ そういやぁ、去年の会議で○○の学部長がなんか言ってたな。
ヘ(゚∀゚ヘ) オタクはいいのよ。東京に近いから。
´ω`)ノ 実はさ。
ヘ(゚∀゚ヘ) うーん、数は同じかもね。そういう人は、急におとなしくなる訳だろ。
´ω`)ノ 人によるよね。逆もあるし。
ヘ(゚∀゚ヘ) 誰を当てにしたらいいのか分からんところがある。
´ω`)ノ 当てにできる人は分かるけどね。
´ω`)ノ 国立大学の魅力が落ちているってことが、あるかどうかよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 教員の方はさ、急に面倒なことやらされているって感じがあるもんな。不平も出るよ。
´ω`)ノ そこは新しく来た人は、そんなものと思うんじゃない? ウチはさ、新規人事が出来ないからね。高齢化しててね。昔の考えの人が多いから難しいよ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 学生にとってね、○○ってのが、魅力かねって。そこが読めないよね。授業料が安いのは魅力だろうけど。
´ω`)ノ そこだよな。民主党みたいにね。奨学金を家計にボーンと出しますって考えだとね。私学に有利にならない? 相対的に。○○は奨学金の貧困で持ってるよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 教員はどうかな。
´ω`)ノ まあ、今でもね。なんだかんだいって、○○の方が待遇イイよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 私学によるからね。
´ω`)ノ 問題はさぁ。私学は文系学部で教員数が多いでしょ。だからアピールできる体制をとりやすいよね。このままだと国立文系は弱いと見られちゃうよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 地方はね、私学はあまり脅威ではないけどね。
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日経のサイトを眺めていたら、「教員免許更新制の廃止法案、通常国会に提出も」という記事が出ていた。中を見ると、小沢腹心といわれる有力参議院議員が「教員免許更新制度を廃止するための法案を早ければ来年の通常国会に提出する考えを表明した」とある。更新講習の消滅が現実味を帯びてきた。
´ω`)ノ 自民党は更新講習の維持だったよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうそう。
´ω`)ノ これで民主党の株は上がるよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあね。
´ω`)ノ 通常国会ってのは、何時かな?
ヘ(゚∀゚ヘ) 1月じゃん?
´ω`)ノ じゃなんだ。これで法案が通ったら、すぐに消えるな、更新講習。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあね。
´ω`)ノ ま、なにか。政策の一貫性つうか、今年受けた人、どうしてくれるの?ってのが、あるよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) だからまあ、あと1年やって、1回だけは更新の手続きをします、ってのが、あるかもね。
´ω`)ノ でもさあ、更新制度自体が消えてしまうとさ。意味ないよね。更新の証明があっても。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうだね。
´ω`)ノ 今年の受講者がさぁ。金返せとか言ったら、どうすんのかね?
ヘ(゚∀゚ヘ) さあね。
´ω`)ノ 楽しみだねぇ。
´ω`)ノ もともとねぇ、これ、意味ねぇ制度だったじゃん。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほんま。教員の質を高めたいんならさ、つべこべ言わずに給料上げればいいんだよな。教員の。そしたら優秀な人が殺到する訳でしょ。こんなことやって質が高まるほど、甘くねぇよな。
´ω`)ノ あれ、やった? あれさぁ、去年ね、別のなんとか講習を引き受けたんよ。そっちはタダだもんね。こっちは○千円でしょ。1回。
ヘ(゚∀゚ヘ) ま、その価値、あったか、だよね。
´ω`)ノ ないよね。どこで金使ったんかねぇ?
ヘ(゚∀゚ヘ) 大学は持ち出しなんでしょ?
´ω`)ノ そこは分からんけどね。
´ω`)ノ 更新講習ってさぁ。一種の公共事業としてやる、ってのもあったかねぇ? 専任職のない研究者のバイト先。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうかもね。でもそんなに収入にはならんでしょ。
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´ω`)ノ 12の真実ってのが来たじゃん。
ヘ(゚∀゚ヘ) 見た見た。
´ω`)ノ 俺最初、キリスト教系の宗教団体のビラかと思った。
ヘ(゚∀゚ヘ) あれどこ? 〇〇省?
´ω`)ノ じゃない?
ヘ(゚∀゚ヘ) じゃあ、あれかな。民主党政権になったし、この機に国立大学をよろしくって、売り込んでくれるという話か? せっかく作った資料だから、国立大学にも流しましょう、って。皆さんのためにやってあげてますよって。
´ω`)ノ じゃない? これから予算の攻防だからな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 正しいのか?
´ω`)ノ 数字は知らないけどね。まさか嘘はつかんだろ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 民主党政権になって、交付金の毎年1%削減がなくなる、と聞いたけれど。
´ω`)ノ 俺が聞いたのは、1%以上の深堀の削減がウヤムヤになるって話だぞ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 情報が混乱しているな。
´ω`)ノ 出所はどこなんだ?
ヘ(゚∀゚ヘ) 知らん。
´ω`)ノ 民主党にも文教族がいるからね。それが動いているかどうか、だけど。
ヘ(゚∀゚ヘ) それにあれ、あの日教組の。
´ω`)ノ 更新講習は止め、って人?
ヘ(゚∀゚ヘ) そう。○○側近なんでしょ?
´ω`)ノ まあ、そうだけどね。まあ自民党もね、民主党もね、大学をどうするって考えはない訳よ。もともと。だから財政判断だけで翻弄されてきた訳よね。
ヘ(゚∀゚ヘ) そこは同じなかねぇ?
´ω`)ノ たぶん。
´ω`)ノ 交付金の1%ってのはね、大学にとっては大きい話だけどね。流れからすると小さいよな。まあ、1%がゼロになることも、3%になることもあるよ。財政状況でしょ。大きいところだとさ、自民党は成長戦略が基盤だった訳でしょ。構造改革ってのも、成長のためだよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) そこは安部政権からウヤムヤになってるよな。
´ω`)ノ そう。ずっと分裂していた。で、民主党は再分配だからな、図式的にいえば。最初、民主党のマニフェストには成長戦略はなかったでしょ。そもそもの発想にはないわけよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 実際にどちらが成長するかはわからんよな。成長は、意図せざる結果だからね。
´ω`)ノ まあ、それで、自民党はさぁ、成長戦略が基盤にあったから、いいかどうかは別にして、技術立国で成長、そのための国立大学ってね、理系には金を投入してきたでしょ。
ヘ(゚∀゚ヘ) まあ、そうか。
´ω`)ノ 九州の方とか、あの人がいたから、一時は張り切っていたでしょ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 北関東もやってるな。それがなくなるのか?
´ω`)ノ わからんけどね。でも、力点の置き方は変わるかもな。
ヘ(゚∀゚ヘ) この間の評価ってのもあるかね?
´ω`)ノ 何か出たのかどうかよね。今までは結果は問わなかったんでしょ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 民主党は教育に厚くします、ってのがある訳だろ?
´ω`)ノ まあでも、発想がさ。生活者重視ってやつでしょ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 図式的には。
´ω`)ノ そうだけれども。それだとさ、生活者というか、消費者への直接配分だよね。だから大学生への奨学金を厚くしましょうと。それは筋な訳ね。でも大学という機関への配分を厚くしましょう、はさぁ。筋が違う話だよね。民主党は独法の廃止なんだよね。国立大学法人は独法との並びだからね。気になるよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) しばらく分らんかな。
´ω`)ノ だから12の真実なんでしょお。
ヘ(゚∀゚ヘ) □□大学なんて、もう、神棚に上げてるよね。
´ω`)ノ 概算要求を前にか? うちもそろそろ上げるんじゃないの? みんなで拝みましょ、とか。
ヘ(゚∀゚ヘ) これで悪霊退散、ってか?
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ネットのニュースを眺めていたら「大阪府立大の買収 常翔学園名乗り」という記事が目に入った。ええぇーっ、大阪府が府立大を売るのぉ、と思って目を疑った。
まあむろん、この記事は「名乗りを上げたところがある」というだけのことで、「売る」という話ではない。また、この種の記事は事実と異なることが多い。大阪府立大は伝統のある大きな大学であり、何かがまずかったということもないだろう。偶々今の府知事が府立大への支出を再考する過程で出てきたことであるから、一過性の話題に過ぎない可能性が高いように思う。
´ω`)ノ 大阪府立大は立派じゃん。買い手がちゃんと現れるもんな。十分、大丈夫なんじゃない? 買い手がつかないところが多いよな。ウチはどうなんだ?
ヘ(゚∀゚ヘ) それは当然、触れてはまずい話題でしょお。
少し前のことであるが、同僚と冗談でよく話をしたものである。
´ω`)ノ ウチの学部だけ、買ってもらえないかな?
ヘ(゚∀゚ヘ) 教養教育引き受けますから、と言ってか?
´ω`)ノ そうそう。ウチは小さいからね。
ヘ(゚∀゚ヘ) Dでも買えるかもね。
´ω`)ノ そうそう。セールスで回ろうか?
ヘ(゚∀゚ヘ) 売れるところは切り売りして、余りは処分だな。
それにしても、大阪府立大の話を見て「えっ、そんなのアリ?」と思ってしまった。買い取りとなると、当然「民営化」である。
何やら懐かしい。
いやなに、2000年頃までなら、国公立大学の「民営化」という話が結構話題に上がっていたのである。しかしその後、国立大学の法人化になってからは、「民営化」というコンセプトは多くの人の念頭から消えていた。「民営化」するとすれば、なるほど、大学が独自に民営化するよりは、どこかの学校法人が買い取った方が早い。そうでなければ「経営」はできないだろう。
行政が大学の口の中に手を突っ込んでいじり回した例はあるが、うまく行ったという話は聞かない。なら学校法人に買い取らせた方がよいのかも知れない。
´ω`)ノ 今はさあぁ。民営化は考えてないよな、誰も。
ヘ(゚∀゚ヘ) そおぉ?
´ω`)ノ 地方国立大の地方への払い下げ、ってのはあるんだろうけどね。
ヘ(゚∀゚ヘ) でもさぁ。地方ったって、買えるところ、ないんじゃない? 道州制になって州政府なら買えるっていうか、運営費が出せるかもしれないけど。州より小さい単位でさぁ。買えないでしょ。
´ω`)ノ 地方国立大の地方移管っていう話は、地方にあげる、だよね。でも確かに、買うのに金がかからなくても、運営費は出せないな。あるとすれば、地方の学校法人が買うことかねぇ?
ヘ(゚∀゚ヘ) 大学を持っている学校法人でもね。地方だとさ。そこまでは無理じゃない? 学部でバラなら買えるかも知れないけれど。
´ω`)ノ ま、そーね。でも、大都市の大きな私大がね。結構あるじゃない。地方分校の大学を作る例が。でもね、いまさら大学作るよりかね。買っちゃった方が早いだろうね。例えばね、○○大学が△△県を抑えたいとするよね。そうだとね、国立大学を買っちゃった方が、早いよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 地方移管が民営化になる、ってことも、「あり」かねぇ?
´ω`)ノ まあ、ありかな。まあなんだね。偶然的にさぁ、タイミングの問題で、何がどうなるって、すんごく違ってくるかもね。このままさぁ。国の設置で行くとするじゃない。するとさ。まあ、政権が変わってどうなるかもあるけどね。まあ、今のままだと、国の政策目標に合う部分だけを残しましょ、って話になるよな。
ヘ(゚∀゚ヘ) 辛いよね。
´ω`)ノ でもさぁ。まあ、道州制とかね、さっとできるようだったら、いくつかの大学を合わせて州立大学、ってこともあったかもね。それだとさ、まあ、州立大学のコンセプトにもよるけれど、いろんな領域を残しましょう、って流れだったかもね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 惜しかったね。他には?
´ω`)ノ いやそれで。今の地方制度のままだとね、地方移管しますって、買うところないからね。地方移管で民営化かね。どこかが買う、ってこと。
ヘ(゚∀゚ヘ) その場合は大学の中で残る部分が変わるね。
´ω`)ノ そうそう。政策目標がどうの、って話じゃなくて、採算がとれる部署だけ買い取り、余りは処分かな。まあ、どうなるかは偶然だよね、きっと。偶然の巡りあわせで、残る大学の姿は変わるよね。
ヘ(゚∀゚ヘ) サイコロ振って決めるような話ね。
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昨年の夏の攻防だった。更新講習でかなりの数の講習を開くという案がどこからともなく舞い降りてきた。学部別に講習数の割り当てがあった。その割り当て数を見ると、ウチの学部が負担する率が極めて高い。その通りに行うとすれば、ほとんどの教員が8月後半に更新講習で足止めになる。「これを学部教授会に呑ませるのは無理だ」と即座に判断した。
それからいろんな攻防が続いた。旗色は良くなかった。学部によっても反応は異なった。大大名学部は自らの規模の中で更新講習割り当てを吸収できる。しかしウチの学部ではそれができない。
もしあのまま押し切られれば、私はかなり強い形で抗議することになっただろう。むろん、今も学部長を続けていることはなかった。
その膠着状態を救ったのは過半数代表だった。過半数と大学側との協議で、更新講習の負担は業務外であり、負担は本人同意を前提にすることが確認された。その「同意」の意味にいろんな解釈を持ち出す人はいたが、私は額面通り解すると割り切った。講習の負担は任意であることを前提に、今度は講習の引き受けを教授会成員にお願いする側に回ったのである。
もともと、他学部以上に我儘な人が多い訳であるから、人に押し付けて自分はやらない、という訳には行かない。正副学部長はまず引き受ける、という前提でお願いに回った。
そこそこの人が引き受けてくれた。やらない人は例によってやらないが、委員会業務などをちゃんとやって下さる方はここでも引き受けてくださった(世の中、そんなものである)。
引受者が2ケタになったところで、取りまとめの副学部長殿には「もういいよ」と伝えた。
事態は変わったのは「非常勤でもよい」という話が出て来てからである。非常勤で引き受ける人は少ないと私は踏んだが、意外と多かった。結果、当初の割当人数を上回る引き受け数が出たのである。「少し減らせ」と副学部長殿には伝えたが、副学部長はそれを無視して多い人数でお上に申告した。
というのが、今だから言える昨年度の経過である。
経過はともかく、引き受けたからには「ちゃんとやろう」とするのがわれわれの習性である(というより、社会的常識である)。私を含め、みなさん必死に講習の準備することとなった。私の場合直前に準備を始めることになったので、前日には息も絶え絶えであった。なんとか資料を作って寝不足のまま講習に臨むことになった。
受講者は現職の教員の方であるからさすがに真面目な方々であり、講習はやりやすかった、というのが実感である。2時間のセッションごとに試験問題への解答をお願いした。6時間立ちっ放しであったため、しばらく疲れが残った。
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ネットのニュースを眺めていたら時事通信社の配信で「農村活性化の『地域法人』創設へ 生活支援、環境保全を推進(農水省)」というのが出ていた。もうじき政権交代があるんだから今は大人しくしてりゃいいじゃん、と思うのは素人なのか、過疎化の進む農村で地域社会の維持に取り組む団体を認定し、支援する法人制度の検討を始めたのだという。そのこと自体は結構なことのような気もするけれど、またも悪い癖で、猛烈に嫌な予感がしてきた。
´ω`)ノ ウチの将来計画委員会でね、世界に羽ばたくって感じの企画ないか、と言ったのよ。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほうほう。
´ω`)ノ 出てきたのがこの企画書ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) いいんじゃない。
´ω`)ノ ま、ここん所が新しいのかな。ただまあ、全学にね、出すのはね、やっぱ、止めようかねって。
ヘ(゚∀゚ヘ) えっ。いいじゃない。だいたい同じこと、ウチでもやっているよ。
´ω`)ノ まそりゃ、分かってんだけどさ。何かさ。悪い予感がしてね。
ヘ(゚∀゚ヘ) ほうほう。
´ω`)ノ これさぁ、本部に持ってくジャン。で、あの大学でもやってることですから、真新しいですけど、大丈夫ですよ、とか言うじゃん、私が。
ヘ(゚∀゚ヘ) それでダメか?
´ω`)ノ だいたい予想はついてね。やってるって、そりゃ、私立大学でしょ。国立でやっているところありますか、とか言うのがいる訳よ、どうせ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 私立と国立で違うのかい?
´ω`)ノ そこんところはミステリーだよな。ともかくさ、どうせね、これはこういう制度のはずだとかね、評論家になる奴がいる訳よ。上の方に。
ヘ(゚∀゚ヘ) ……
´ω`)ノ まあ、あの辺はさ、大学にいても気分はナントカ省だからね。
ヘ(゚∀゚ヘ) ……
´ω`)ノ でさぁ。法人なんだから大学でできると思うじゃん。それがさ、どうせね、ナントカ省に持っていきましょう、とかなる訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 面倒な話だな。
´ω`)ノ それでね、まあ、当たり所にもよるんだけれどね。当たり所が悪いとね。そもそも、あんたの所はニーズがあるんですか、とかなる訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 話が跳ぶんだな。
´ω`)ノ でね。ともかくシッカリしたニーズに基づくことが必要だとかね、これ、ニーズ調査はありますか、とかね。
ヘ(゚∀゚ヘ) どこかで聞いた話だな。
´ω`)ノ でね、そうそう、こういう制度ができますね、とか言って出てくるのが、農村活性化支援法人制度、とかね。
ヘ(゚∀゚ヘ) 違う世界に跳ぶなぁ。
´ω`)ノ こういうのを支援して、地域に根差す体制がまず必要ではないですか、とか言われる訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) それで?
´ω`)ノ まずはニーズ調査をしなはれ、とか言われる訳よ。
ヘ(゚∀゚ヘ) なんかありそうだな。
´ω`)ノ で、聞きに行った手前、本部の人もね、ともかくニーズ調査をして、恰好だけはつけてください。あの制度の方は、それからすぐにできますよ、とか言われる訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) ふーーむ。
´ω`)ノ でまあ、ニーズ調査なんて、中身はどうせ見ないからね。ともかくニーズがありますって結果は、どっち転んでも出る訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) そうだな。
´ω`)ノ で、ニーズがありますから、ともかくこれ、やらせてください、農村巡回講座とか、農村巡回カウンセリングとか。
ヘ(゚∀゚ヘ) 普通は商店街巡回だけどね。
´ω`)ノ そのうちね、学部のなかでも、「これだ、これそこ我々がやりたかったことだ」とか言う馬鹿が出る訳よ。
ヘ(゚∀゚ヘ) 目に見えるようだな。
´ω`)ノ そのうち学部長もね、始めたんだから一生懸命にやりましょう、とか言いだす訳ね。
ヘ(゚∀゚ヘ) で、世界に羽ばたく方はどうなるの?
´ω`)ノ そんなことしている余裕、ある訳ないじゃん。
ヘ(゚∀゚ヘ) もう大学止めたら、国立は。
(この記載は実際のニュースから連想したフィクションです。)
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「私は授業を夜までやっていますよ」と仰る同業者が少なからずおられる。「夜まで」とは、始まる時間にもよるし、人にもよるが、まあ、授業3コマ分くらいを指すことが多い。嘘ではないだろう。つまりそれだけ教育熱心な先生がおられるということである。いうまでもなく規定以上の教育上の貢献をされていることには敬意を払わないといけない。私はそのような話を伺うたびに「そりゃ立派ですねぇ」と告げる。
確かに立派なことである。そこまで自己犠牲を払っても公式には何も見返りはない。
ただ、と私は時折、頭の中で反問する。個人的には立派なことであるが、システムとして考えた場合、また別の考えもあるよな、と心の中で思う。
授業は元来1単位当たり、学生が何時間勉強するか、を基準にして構成されるのが建前である。勉強の努力を時間で計るのは気に入らない、という人は多いだろうから、そういう方は時間を「認知的資源」という言葉に置き換えてお考え頂きたい(どう測るかは別にして)。そして、学生が受講するのは、1つの授業だけではない。教育はシステムで成り立つはずであり、それぞれの授業に学生が適度な認知的資源を配分することを前提にできている。学生の時間(ないし認知的資源)には上限があるから、学生がある授業に多くの認知的資源を投下することは、別の授業にはあり得べき以下の認知的資源しか投下しないことを意味している。露骨にいうなら、「私の授業に多くの認知的資源を投下しろ」ということは、暗に、別の授業は手を抜け、と言っているに等しい。
要するに、本来あるべきなのは、教員はシステムの設計通りの(それ以上でも以下でもない)認知的資源を学生に要求して授業を行うことである。学生が自分の授業に過度に認知的資源を使うことを求めるのは、エゴイスティックな要求と見ることもできる。
進化的な立場からすれば、生物は自己の遺伝子のコピィを作るようプログラムされている。そのような個体(の遺伝子)のみが生き残れるからである。だから人も、意識すると否とを問わず、自分の遺伝子を受け継いだ我が子を大事にし、他人の遺伝子を受け継いだ者は排除する。自分の資産は我が子に継承させようとする。
ある意味で教師は、教育の場面で同じことを再現しているといえる。シラバスを眺めると、多くの授業がその担当の先生のようになることを求めているように思えぬでもない。自分の知的な遺伝子を受け継ぐ者を増やそうとする。そして他人(他の先生)の遺伝子を受け継ぐ者を嫌う。だから学生の方もそれと知って、他の先生の演習にも出ていますと、指導の先生には遠慮して言う。それを聞く先生の方は「いいよ、いいよ」とは言うが、目が笑っていない。
ふとそんなことを私が考えたのは、私自身が教育システムのとりまとめをすることが目下の課題であるからかも知れない。
教育システムをまとめにくい理由は、教育課程が教育目標を持つという観念を認めてくださる先生方が少ないことである。教育目標は個人(ないし数名のセクション)が持つものであり、それを集めたのが教育課程だと思っていらっしゃる。あるいは、教育課程が教育目標を持つことは認めるにしても、課程の目標は「自分の教育目標の邪魔にならないように」小さいものにしてくれ、という発想である。「自分(たち)の学生」には余計なことは学ばせたくない、自分の色で染め上げたい、という願いというべきだろう。
教育システムをまとめにくくする要因の第2は、教育熱心な先生方が「耕す(労力を払う)なら自分の畑を耕したい」、「全体の共有地で働くのは嫌」という反応である。共有地での労働は徴用であり、徴用を課すのは悪しきアンシャン・レジームだ、倒せアンシャン・レジーム、という話になる。
まあこういうのは進化的必然というべきか、「本能」というのか、教師の習性というべきか、などと考えては腹の中で笑ってしまう。
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ほほ。もうすぐ〇〇講習の時期ですなぁ。いやぁ、どうなりますかなぁ。講師の皆さま、ちゃんと準備しているでしょうかねぇ。うーん。何とも、難しい状況ですね。ま、いまさぁ、やたらとさぁ。忙しいじゃないですかぁ。あんまりね、無理なこと言われてもね。昔の大学教員ほど優雅な状況じゃあ、ないですもんねぇ。
という訳で、今日のテーマは、「〇〇講習の不人気」。いやね、これやだぁ、という話じゃないですよ。あんまり受講者が集まらなかった講習が続出って、××にあるじゃないですか。そのハ・ナ・シ。
でね、これ意外だぁ、というような新聞記事もありますけれどね。そりゃ素人ね。これってね、予測の範囲ですよね、実際は。ワタシ、昨年の今頃、あれほど言ったじゃないですか。
いやね。事前に△□大学でね、要望調査をしていたんですよね。そこで私も報告書を見てみました。重要なのはね。現職教員から要望があるのは「生徒の心理」、「生徒との接し方」ですわ。まあ、そこんところで、みーんな、苦労なさっているんでしょうね、と思いましたのさ。学問分野の最新状況、なんて話はね。ゼーンゼン、要望なかったですよ。ですからね、「うちの学部でこれだけやれってね。そんな、意味ないでしょ。要望ないでしょ。」ってね。昨年の今頃ですよ。ずいぶん言ったんですよね。でもいいよ、これでいいよ、ってからね。まあ、じゃあ、しょーがない、やりましょうってね。数だけは揃えましたけれどね。でね、蓋を開けたらまあ、この様をよくご覧ください、って感じですよね。そりゃそうですよね。心理系の講習はね。そりゃ来ますよね。そういう要望なんだから。必修講座はもちろんね。つまんなくても必修ですもんね。でもさぁ、まあ、孔子様がどうしたなんて授業にね、どれだけ来ますかぁ。それね、分かってる訳でしょうね。最初から。それでも来るだろうって、そりゃね、消費者をなめるのも〇〇にしてよ、って話でね。〇〇ちゃん、役所の方ばかり向いてるからぁ。
要するにね、〇〇ってね、供給サイドの都合で考えてる訳ね。需要で考えないといけないのに。
でもまあ、ウチの大学は健闘しましたね。ほんと。みんないい人ばかりですからね。みんな、好きだなぁ、私。
(この記載は夢のお告げをそのまま描いたもので、現実の出来事とは何の関係もありません。)
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(=゜ω゜)ノ そもそもさぁ、今年の更新講習さぁ。
ヾ(´ε`*)ゝ ほいほい。
(=゜ω゜)ノ ほんとにやるのかねぇ。
ヾ(´ε`*)ゝ なんでぇ?
(=゜ω゜)ノ 制度がなくなる訳だろ。だったら合格したって、意味ねぇじゃん。
ヾ(´ε`*)ゝ ま、そうだな。
(=゜ω゜)ノ もう、金、払っちゃったのかねぇ。
ヾ(´ε`*)ゝ さあね。払ってるんじゃない?
(=゜ω゜)ノ 俺だったら、返せって、いいたいよな。
ヾ(´ε`*)ゝ まあそうだな。これで制度がなくなったら、詐欺だもんだな。ま、なんだ。政権交代がはっきりするのは、8月30日だろ。その前の講習か、後の講習かで、変わるよな。金払ってたら、もったいないから出るかねぇ?
(=゜ω゜)ノ 金払ってでも、出たくないんじゃない?
ヾ(´ε`*)ゝ ま、そうだな。8月30日より後の講習は、欠席者続出かなぁ。ま、もともとさぁ。やる必要、ねぇ訳だろ。
(=゜ω゜)ノ そうそう。だいたいさぁ、講習やって、すぐ試験だろ。そんな試験で教師の力が分かるなんて、あり得ねぇ。
ヾ(´ε`*)ゝ まあ、無意味なのは最初から、わかってるじゃん。
(=゜ω゜)ノ こんなことやめよう、とかいう見識、なかったのかねぇ。大学に。
ヾ(´ε`*)ゝ ないんだろうね。でも、見識をもって反対しろっていってた人、いたわな。
(=゜ω゜)ノ Bさんだろ。
ヾ(´ε`*)ゝ そうそう。
(=゜ω゜)ノ でさぁ。更新講習の権威とか言われるつもりだった人、いるんだろうな。
ヾ(´ε`*)ゝ たぶんな。いろいろ研究とか、やってたしな。
(=゜ω゜)ノ 予定狂うよな。
ヾ(´ε`*)ゝ まあ、政策銘柄はこうよ。昔からいうでしょ。大阪商人は政策銘柄には手を出さないって。
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産経のサイトを見ていたら、民主党政権ができると「更新講習は廃止」と書いてある。日教組に配慮するからだという。民主党政権は確実に生まれるだろう。自民と民主が議席数で競り合えば政界再編はあるだろうが、民主党は圧勝する。政界再編もないだろう。
(=゜ω゜)ノ なるほどね。すると何ね? 更新講習は今年だけになるのかねぇ?
ヾ(´ε`*)ゝ うーん。あれ、法律でしょ。すぐに法案を通せるかどうかだけど。できれば来年はもう、更新講習はないね。
(=゜ω゜)ノ 1年早く民主政権になったらなぁ。俺さぁ、やるんだよ。8月に。あれ。
ヾ(´ε`*)ゝ 客きたの?
(=゜ω゜)ノ ちゃんと来るよ。申込50人。
ヾ(´ε`*)ゝ ほうほう。
(=゜ω゜)ノ なんか、アホらしいよな。
ヾ(´ε`*)ゝ いいんじゃない? 何年かするとさぁ。1回だけあった、あの幻の更新講習、とかさぁ。歴史の証人とか言ってさぁ。
(=゜ω゜)ノ ま、そうかぁ。貴重だなぁ。話の種になるよなぁ。昔、あったんだぜ、一回だけ。俺、やったんだぜって。
ヾ(´ε`*)ゝ そうそう。記念写真でも撮っておいたら? 歴史を風化させるな。幻の更新講習とかさぁ。
(=゜ω゜)ノ それでなんだ。俺は時代の語り部だとかさ。君たちは知らないだろう。あの、地獄のような更新講習を、とかさぁ。戦争でハルマヘラ島に行ったようなもんだよな。
ヾ(´ε`*)ゝ それとさぁ。教員養成課程を4年から6年にするとか、言ってるみたいよ。
(=゜ω゜)ノ なにかねぇ。みんな教職大学院出ろ、みたいな話かねぇ。何でぇ?
ヾ(´ε`*)ゝ 教員の待遇改善だって?
(=゜ω゜)ノ 待遇改善って? ちゃんと給料上げるのかねぇ。給料同じで資格要件だけ厳しくしたら、誰もならねぇよ。教員には。
ヾ(´ε`*)ゝ そうだろな。給料も上げるんじゃない?
(=゜ω゜)ノ 財源は?
ヾ(´ε`*)ゝ ま、それが実現する頃には政権も変わるだろ。そこまで考えること、ないんじゃない?
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数年前から普通に「コア・カリキュラム」という言葉が使われるようになった。その後、「教育(卒業生)の質保証」、「達成目標」といった言葉が続いた。これらの言葉が何を意味するかは厳密には曖昧であるが、要するに、学ぶべきことをはっきりさせた上で、その達成を証明できるようにする、ということである。
このことは大学の部局によっては、さして問題はない。教育学部や工学部(より典型的には医学部や薬学部、法科大学院)は教える事項や水準が細かく規定されている。ある意味、当り前のことである。
しかし文学部系の先生方が多い部局では、大変なことである。
いやまあ、私もね、文学部の出身ですからね。まあ、分かりますよ。大体ね、文学部はね。授業は「概論」、「特殊講義」、「演習」の3本立てなんですわ。それでね。まあ義務的なというか、ちゃんとしっかりやることが期待されているのはね、概論ですね。まあ程度問題はありますが、やるべきことは大体決まりますからね。あくまで良心的にやろうとすればの話ですけれどね。すごい概論もありましたよ。ほほほほ。
でまあ、「特殊講義」とね、「演習」はね。何をやってもいい、が不文律でしてね。まあ、自分の関心のあること、研究していることをかませばいいんですわ。これが教員の権利。それをね、ああやれこうやれって指図するのは、「学問の自由」への侵害ですからね。ですからまあ、今やっていることを話せばいいんですわ。「演習」はね、私が今読みたい本を持ってきてみんなで読みましょうと、学生にいう訳ね。分かんないところは学生から教わるとかね。まあ、学生の出来がいい場合の話ですけどね。こんなんでないとね、そんなに多くの授業なんて、持てませんよねぇー ── というのが典型的な文学部の世界である。
元来は教員の個人的な都合だけのことであるが、そこに「権利」だの「学問の自由」だのの概念がくっつくから、手がつけられない。
今では、さすがに「権利」とか「学問の自由」とまで言う人は少ない。今は「学生のためにこうするのがよいのだ」と言い張るくらいである。
ということは、「コア・カリキュラム」とか言い出すと、まあ、独立自営農民から土地を取り上げるような騒ぎになりまんねん。ほんま。ほほほ。見ものでございますねぇ。どうやってコア・カリキュラムにしますと言い出しますかねぇ。いや、それより、自分の畑を守るために、これが正義だの権利だのと、臆面もなくどこまでいいますかねぇ。ほほほほほほほほ。ふぉーっ、っほっほっほっほっほ。はい、チュウハイもう一杯ね。
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前の学長は私が属する教授会を2度訪れている。その1度目のことだったと思う。ある件があったために、同僚の多くが学長に対して意見を申し立てた。どんな発言があったかまでは覚えていない。しかしある先輩同僚の発言だけはなぜか覚えている。大学が大学らしい姿ではなくなってゆくとしたら、そんな大学は潰れた方がよい、というご意見であった。
その通りだと私は思い続けている。
かりにも私が今、気軽そうに部局長をしているのは、大学らしい姿でこの組織が残るにはどうしたらよいか、と考える僅かな情熱が残っているからだろう。同時に、その情熱が薄れているのは、見込みのある方向に舵をきる余地が消えつつあるように見えることである。
このところ、あちこちの大学経由で、上の方から厳しいことを言われた、という話を聞く。特に文系学部は危ないよと言われて恐縮して帰ってきた、という話が主である。だからどうしろという筋まで、見え透いているところが苦しい。でも、それって大学かよ、と私の頭は自動思考してしまう。
ある限度まで行くと教員は大学を見捨てるのではないか、というのが私の漠然とした感覚である。見捨てるというのは辞めるという意味ではない。辞められる人は辞めるんだろうが、そうではなく、最低の言い訳だけして給料はしっかりもらう、ということである。
そうなると管理職は、どうやって教員をいびり出すか、そのテクニックに長じて来るのかも知れない。地獄だな。
漠然とそんな地獄が訪れるような気がして、この大学が法人化したとき、私は組合に入った。今は一時的に賛助組合員であるが、正規の組合員と同じ組合費を払っている。幸いにしてまだ、組合の有り難さを味わう事態には至っていない。
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私の父の命日は7月23日である。死んだのは30年以上前である。なぜか毎年、外国にいるときは別にして、命日近くに墓参りをする。
今年は休日の今日、墓参に出かけた。それほど遠い訳ではない。電車に乗る前にコンビニで線香を買った。花はいつも、郷里に着いてから買うことにしている。
実は、いつも買っていた坂の途中にある花屋は、昨年店じまいした。儲からないからというより、後継者がいないという、よくあるパタンだと思う。しかし郷里の駅前にはビルがあり、昨年はその1階に花を置いていた。
その駅前ビルは、私が郷里を離れてから公的資金を使って建ったビルである。当初は百貨店のような様相で、地下は大きな食品売り場があって賑わっていた。数年前、私の母が郷里にいた頃には十分に賑わっていた。私が郷里に行くと、そこで買い物をしたり食事をしたりするのが常だった。
その駅ビルは、今はテナントがほとんどいない。
その駅ビルに入って花があるかと見たが、1階は一角にあるイタリアン・トマト以外は全く営業していなかった。むろん花は置いていない。
さあ、花をどうしたものかと思案しながら、辰巳坂という、寺に行く途中の駅前の坂を上った。そのまま、昔「上町」といっていた、坂の上の古い商店街を歩いた。店という店がシャッターを下ろしている。日曜だから閉まっているのか。しかし元来、商店街は日曜は稼ぎ時であり、店は閉めなかったものだ。多くは店じまいしたんだろう、と思った。
この辺に〇〇生花店があったはずだ、と思ったが見つからない。馴染みの羽黒神社の坂を下りてみた。すると「フラワーショップ花○」という看板が目に入った。中にお供え用の500円の花が置いていた。2つ買って、裏通りを駅方面に戻った。昔、○〇〇という繁盛した食堂兼お菓子屋のある坂を上って寺に辿り着いた。墓参を済ませた。
すぐに辰巳坂を降りて駅に至った。駅前のビルのイタリアン・トマトに入り、アイスココアとイタリアンチリドッグ、計600円を頼んで帰りの電車を待った。この短い行程で、この街で昔その名をはせた多くの商店の跡を頭の中で辿った。私の記憶の中にある郷里の残骸を見る思いだった。
さして遠くはないのに、母が死んでから郷里には滅多に行かなくなった。行くのは父の命日近く、母の命日近く、それにお盆くらいである。何れも墓参である。
郷里に行くごとに、街に人通りも車の通りも少なくなっていることを思い知らされる。私の家は駅近くの商店街にあった。昔はそれほど車は通っていなかったが人通りは多かった。その商店街が立ち行かなくなった頃に父が死んだ。少しして家は商売を止めた。不動産を処分したのは数年前のことである。
郷里の旧商店街を見るたびに、これが地方国立大学の未来の姿ではないかという想念に囚われる。
旧商店街は、その間に品揃えが悪くなった訳でも、サーヴィスが悪くなった訳でもない。ただ、商売の水準が変わったのである。その程度の品揃えで店を出して客が来る時代ではなくなったのである。
この間、旧商店街も何もしなかった訳ではない。例の駅ビルを作って客を呼び戻そうとしたのは試みの最初の方だった。よくあるように文化で町おこしと称し、祭りを華やかにするために、日本一大きな神輿、というのを購入した。旧商店街中心部に立派な美術館も作った。各種の公的資金を当てにして高齢者向けの商店兼用のマンションも試みた。まあ、常識的にできることはやったと思うが、たぶん効果はなかったのだろう。
その程度のことはどこでもやる。が、既定の構造をそのままにしてその程度のことをしただけでは駄目なんだろう。
嫌な予感である。地方国立大学もお役所から許される構造の枠内で、あれこれと苦労しながら、それなりのことをしている。たぶんできることは全部やることになるだろう。で、それでどうにかなるかというと、難しい。
勝機は大きな枠を外すことにしかないと思うが、今の仕組みでそれができるかどうか。などと考えているときに私が乗った電車は利根川を越えた。
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ハイ、わたくしぃ、西荒川大学、地方文化創成学部長の、東松山、東松山、東松山ぁの、亀次郎、カメジロォーでございます。ほほほほほほほほ。熊谷にいても東松山、秩父にいても東松山の、カ・メ・ジ・ロ・オ・ッ・オーーでございます。ほぉーっほっほっほっほっほっほほう。いやぁー、暑くなりましたですねぇ。昔ですとね、今頃はもう、授業みんな終わりかなぁ~~なーんて、考えたんですけれどねぇ。なんかまだまだ、やるんですよねぇ。ほぉーっほっほっほっほっほっほ。ほほう。いやまあねぇ、何か最近、書いてないですねって、言われるんですけどね。いやいや。書くことがない訳では、ないんですよぉお。書きたいことはあるんですよぉお。まあね、立場というほどのことはないんですけどね。まあ、書いたらねぇ。ただじゃ済みませんしね。うーん、書けなくなりましたねぇ。それでいいんですかねぇ。いやね、私の専門から言いますとね、東松山の。そう。人間ってね、まあみんな、どう考えていいか、分からないんですよね。ほんとは。それでね。まあ、情報を仕入れるじゃないですか。あっそう、そう考えてるの、ってね。それでやっと、自分の考えていることがいいとかね、悪いとかね、分かるというか、まあ、そんなところですからね。ですからね。まあ何というか。まあこんなこともあるよとか、そういうことが分かった方が、世の中、いいですよね。ほほほほほ。
いやそれでね。この前もあそこの鶴さんと話したんですけどね、亀さんが。ええ、ええ。出張講義とか、模擬講義ね。ええー、ええー。ウチの学部もね、それなりにやっているんだろうな、なんてね。考えていたんですけどね。そしたら、入試課から連絡が来てますってね、総務係で言われましてね。見たらね、なんか、ウチのなんとかの委員長が「オ・コ・ト・ワ・リ・ー」とかね、答えていたんですねぇ、軒並み。それでね、業者が入っているから気に入らないとかね、偏差値が低い高校だから嫌だとかね。それで入試課が、他のも業者は入っていることはあるが、どの業者ならよくてどの業者なら悪いのか、と質問して来ましてね。頭に来たんでしょうかねぇ。ほほほ。まあ、そうも言いたくなりますよね。
それでね、あるいは今年は模擬講義とか、出張講義とか、沢山来ているのかなぁ、大変なのかなぁ、とか思いましてね。調べてもらったんですわ。学務と総務に。見てみると、まあ、多くないというか、例年より少ないじゃないですか。大変だからやれない訳でもないですよね。
それでね、この手の話は、入試課から来たら私につなぐように、学務にお願いしましてね。それでね、この前から皆さんにお願いしているんですよね。なんで私が、なんて思いますけどね。ほーっほっほっほ。
それでね、まあ、常識的な線というか、例年並みなら引き受けましょうと思いましてね、とりあえずこの模擬講義、ああそう、○〇高校ですかって、ネットで調べましたが、ちょうど良い高校でね。まあ、今からだと引き受け手も探せないから、しょうがない私がやるか、ということになりましてね。北〇〇高校の方はね、まあ、遠いんですけどね、評議員の北鷲宮先生が「行きますよ」と言って下さるから、お願いしましたけどね。でもね、どうして学部長とか評議員が行くことになっちゃうんでしょうかね。
まあ何と言いますかね。嫌だとかね、私らぁ、講演会だったらいくらもらえるんですよぉ、とかね。言う人もいるんですけどね。ああそうですか。良かったですね。大学辞めて講演会で食ってりゃいいでしょおとも、言えませんしね。
それにね、来てくださいって言われてね、アンタの高校は偏差値が低いから行きませんなんてね、言えることですかぁ?言えますかぁ? ええっ、そこのアナタ。アナタですよ。そうそう。アナタしかいないじゃないですか。言えますかぁ?アナタでしょ。えっ、アナタでしょ、そういったのは。
このね、模擬講義とかね、これ、どういう考えでやるか、ですよね。その辺も整理が必要ですよね。この前まではね、というかね、前の学長のときはとは言いませんけどね、まあね、その頃はですねぇ。なんとかキャラバンとかでね、高校イケイケだったんですけれど。まあ調べてみると、行った高校の志願者が増えた訳じゃない。まあ、確かに入試課経由で話が来ますから、入試関係といえば、そうなんですけどね。なんて言うか、行ってナンボとかね、行ってどれだけの志願者が来るとかね、そういう考えでやることでは、ないんじゃないですかぁ。ね、ね。えっ、そう。アナタですよ。アナタ。聞いてんですかぁ?聞いてないでしょ。何ですかぁ。まあね、東京の高校からは滅多に、お呼びがないんですよね。来るのはね、北関東でしょ。まあ、そういうところからお呼びがあるのは、喜んでいいんじゃないでしょうかねぇ。そう言っては悪いんですが、周囲にね、そんなに大学がない高校がね、それでもね、行事を考えて、大学の雰囲気に触れさせる、そういう機会を作ろうじゃないかとね、それなりに考えてね。お願いしますと言ってきたらね。なんて言いますかね。行ってナンボの話じゃなくて、気持で行ってみようとね。これ、まあ、身近なコミュニティでの貢献ってやつですよね。そこはね、そんなに大変じゃなければね、気持よく行ってみるもんじゃ、ないですかねぇ。違いますかぁ。えっ、違うんですかぁ。それが社会生活というもんじゃや、ないですかねぇ。えーえー、分かりますよ。面倒だってね、そんなことしないのがスマートだとかね。わたしら、そんなに安くないですかぇ。ええ、そうなんですかぁ。そんな、アンタ、何さまなんですかぁ。ええ、なんですかあ。(延々と続く)
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割と最近の某月某日。その日は午前中にも結構な量の業務処理をした。12時から某会合があり、切れ目なく13時から某委員会。少し休んで14時から教授会。教授会が終わったのが17時近かった。その間ずっと私は会議を仕切っていたのであるから、以前なら考えられないほど会議漬けになってたことになる。
教授会の後はその場で過半数の会合があった。私はさすがに疲れたのでいったん部屋を離れて近くの喫煙温室に向かった。そこで人に会い、話が弾んでしまった。終わってから会議室に戻ると、過半数の話は終わっていて、同僚は部屋から帰るところだった。私はその後、同じ場所で別の会合があり、多少の協議を行った。
その過半数の会合では学年暦について意見を聴くことになっていた。2日の休日に授業を入れてその分の代休日を作る学年暦が本部から提示されている、と聞いていた。
本部からの提案は他大学でもやっていることであるから、さして問題はなかろうと思えた。たぶん、同じ案が全学運営会議なり評議会にかかれば反対は出なかったろう。
が、過半数の会合が終わった折の雰囲気からすると、同僚からは厳しい、要するに批判的な意見が出たようである。
後日、組合のビラ(Union Press)を見ると「国民の休日は休日だ」という趣旨のことが書いてある。組合が本部案を批判しているようである。ということは、過半数の意見として、休日に授業を入れる学年暦の採用には反対する可能性が高い、と思った。実際どうであるかはまだ確認していない。
なるほどな、と思った。
理屈からいえば、本部案はわざわざ反対するほどのものではない。だがそこは理屈の話ではないのだろう。それだけ、「今の状況」が嫌だという情が動いているように思えた。
いろいろ締め付けが多くなった。半年の授業回数の「15+1」が最たるものである。理屈からいえば「15+1」は仕方ないと思う。しかし授業回数の「15+1」規定は、私が感知する限り、理系でも文系でも、教員の間ではすこぶる評判が悪い。そんなこんなの情勢の中で、どこかで「嫌だ」と叫ぶ声が出てくる。理屈をいっても始まらない。
ま、そうだよな。今たまたま私は学部長をしているが、そうでなければ全く同じように発想しただろう。そう考えてなにやら納得した。
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さても、西荒川二度栗山狭間の戦いで思想改造省軍は政務次官の東成田佑常が討ち取られたのであった。生き延びた参謀の上佐倉惣右衛門は残兵をまとめて福袋のいる朱雀御殿に戻ったのである。福袋はなおも残った思想改造省軍によって西荒川城を攻略することを主張し、上佐倉も西荒川城攻略の準備に取りかかった。
しかし、この二度栗山狭間の戦いの報によって各地の旧国立大学浪人が蜂起し、国立大学の復興を宣言する事態に至っていた。援軍に来ていた吉野川思想改造大学と加古川思想改造大学の部隊も、領国の情勢が不穏であることを理由に西荒川から撤退していったのである。上佐倉はやむなく、残った思想改造省軍をまとめて本省に戻ったのであった。
その後、国立大学西荒川大学勢は東成田に陥落させられた砦を奪回し、再び福袋の思想改造学部勢と対峙していたのである。情勢は東成田勢が来る以前に戻っていたのであった。
ここに本省思想改造省は国立大学西荒川大学の攻略を諦め、思想改造学部だけとなった人民大学西荒川大学を人民大学法人西荒川思想改造大学として再認定することとなったのである。福袋は陰の西荒川大学学長と呼ばれていたが、ここで正式に西荒川思想改造大学長となる運びとなった。
しかしこのとき、思わぬ問題が生じたのであった。二度栗山狭間での敗軍の責任を問われた参謀の上佐倉が、敗軍の原因は戦いの前に福袋から過剰で異常な接待があったためであると責任転嫁したのである。上佐倉とは姻戚であった、当時の鳩川思想改造総務大臣は、上佐倉を守るために、その過剰な接待の調査を始め、次々と異様な接待の実態をマスコミに明らかにしていったのである。鳩川大臣は、この異常な接待をしていた福袋の責任を追及し、「自分が大臣である限りは福袋を思想改造大学学長には任命しない、これは正義のためである」と叫んで譲らなかったのである。
内閣不一致を突かれることを恐れた南麻布首相は、鳩川の更迭を検討したが、今も勢力を持つ大泉元首相の意向によって鳩川の更迭はあきらめ、代わりに福袋の学長任命を取り消した。そして福袋を北筑後川大学思想改造センター長に任じたのである。人民大学の思想改造センター長はなおも要職とはいえ、権限のある思想改造学部長から比べれば、明らかな左遷であった。福袋は左遷されてほどなく、失意のうちに当地で没したのである。
しかしそれから、不審な出来事が続いたのであった。まず大臣の鳩川と参謀だった上佐倉が謎の病死を遂げたのである。さらに思想改造省の建物は落雷によって焼失した。人はこれらを福袋の祟りと噂したのであった。
祟りが自らに及ぶことを恐れた南麻布首相は、福袋玉三郎を天神として祭り、西荒川の朱雀御殿を朱雀天神社としたのであった。福袋はその後、西荒川地方で朱雀殿ないし朱雀天神様と呼ばれたのであった。朱雀天神社の一角にある宝物殿には、福袋が執念を燃やして収集した、マニア垂涎のレア物のセーラー服コレクションが納められたのである。これは変態の原点はセーラー服にあるという福袋の学説に従い、福袋が長年かけて収集したコレクションであった。宝物殿の訪問者はこのコレクションに感激し、「た、た、たまんねぇ~」と叫ぶのが常だった。この叫びは朱雀の森に木霊したのである。宝物殿の脇にある「貯まらん池」は、この「たまんねぇ~」の叫びに由来すると日本書紀は伝えている。この朱雀天神社は、らきすた神社とともに、西荒川地方のオタク文化の聖地となり、内外から多くの巡礼者を迎え、ミシュランガイドにも三ツ星の観光地として認定されたのである。(完)
(この記載はいうまでもなくただのフィクションです。)
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さても、東松山らは西荒川城を占拠して国立大学西荒川大学の復興を宣言し、思想改造学部の福袋らと西荒川地方で対立を深めていった。人民大学の国立大学化を阻止しようとする思想改造省の東成田佑常は、有力思想改造大学の援軍を得て3万の大軍で西荒川大学討伐に向かったのである。
東松山らの軍は福袋ら思想改造学部軍との間で小競り合いを繰り返していたが、その支配地域には砦を築き、支配地域の防衛にあたっていたのであった。
東成田率いる3万の軍勢が襲来するとの報に接し、東松山は諸将を西荒川城に集めて軍議を開いた。席上、参事の下行田三郎太は、周囲の5つの砦にいる兵力を城に戻し、一丸となって西荒川城で篭城戦を戦うしかないと進言した。しかし東松山は下行田の建策を退け、敵の動きを見て作戦を決めると述べるのみであった。
西荒川地方に到着した東成田の大軍は、まず、福袋のいる朱雀御殿に入ったのである。これで勝敗は決したと考えた福袋は、それから数日後に西荒川醍醐寺で盛大な花見の宴を開いて東成田らを接待した。これが後の世にいう西荒川醍醐の花見である。それから数日、東成田らは朱雀御殿において喜び組メイドたちの接待を受けたのであった。この折の接待の数々は、後に西荒川変態文化の原点として伝説として語り継がれたのである。
さて、東成田はついに西荒川城攻略の軍を起こした。甲信甲州流軍学を極めた東成田は、東松山が兵を置く砦を次々と攻略し、残る砦は下尾砦と美女木砦だけとなったのである。残る2つの砦のうち、下尾砦も東成田勢の攻撃を受けて陥落寸前の状態に陥っていたのである。
下尾砦攻めについていた東成田はここで思案した。砦は明日までに落ちるはずであるが、この後、本隊を率いて西荒川城を攻めるべきか、美女木砦の攻略に向かうべきか。ここで東成田はすべての砦を攻略することを優先すると決し、思想改造省の5千の精鋭を率いて、美女木砦の攻略に加勢することとして移動を開始したのである。
この東成田の動きは細作によって西荒川城の東松山にもたらされた。これまでさしたる動きをしなかった東松山はこの報を聞くや、全兵力に動員を命じ、わずかな側近を連れて馬で西荒川御嶽神社に向かったのである。西荒川城の兵力、その数3千は、東松山を追って御嶽神社に結集したのであった。
結集した将兵に向かって東松山は叫んだ。今、東成田は5千の兵を率いて美女木に向かっている。ここから我らが東成田の隊を襲うとすれば、戦うのは二度栗山狭間になるだろう。東成田を討つ機はこれをおいて他にない。移動中の5千を3千で襲えば、勝利は我らのものである。狙うは東成田の首ただひとつ。運は天にあり、しかれども勝利は既に我らの掌中にある。
かくして東松山率いる西荒川大学勢の本隊は二度栗山狭間を目指して進発したのである。
しかしこの東松山らの動きは、同じく細作によって、移動中の東成田にもたらされていたのである。「籠城されては攻略に手間がかかる」と考えた東成田は、同じく二度栗山狭間で東松山らと交戦し、討ち取る策を選んだ。まず本陣を二度栗山狭間に置き、先遣隊2千には簡単に負けて逃亡したと思わせる。ついで二度栗山狭間で本隊同士が交戦中に、結集した先遣隊で東松山らを背後から襲わせる策を指示した。また、下尾砦攻略の軍勢に伝令を遣わし、1万の兵力を二度栗山に送るように指示したのである。東松山亀次郎、乱世の奸雄といえども所詮は田舎武士。貴様の命運もここに尽きたわ、と東成田は呟いたのである。
さて、二度栗山狭間に向かう東松山の西荒川大学勢は途中、東成田の先遣隊と交戦し、これを突破した。そして二度栗山狭間で待ち受ける東成田の思想改造省軍に突撃していったのである。西荒川大学勢は勢いに任せて攻めかかり東成田勢を蹴散らしていった。福袋らの接待に慣れた思想改造省の将兵には、乱戦を勝ち抜くだけの気迫が欠けていたのである。思いの他の苦戦に東成田側近の上佐倉惣右衛門は本陣を後退させることを東成田に進言した。しかし、すぐに先遣隊が戻り下尾砦攻めの軍勢も到着すると考えた東成田は退却を拒んだ。
その頃、東成田の先遣隊は思いの他の被害を受け、二度栗山に戻るのをためらっていた。また、下尾砦の西荒川大学勢がゲリラ戦術を展開したため、下尾砦攻めの東成田勢も兵力を出すのが遅れていたのである。
思想改造省本隊を斬り伏せた西荒川大学勢は東成田のいる本陣を取り囲み、攻撃してきたのである。東成田も太刀をとって敵兵の指を食いちぎるほどの奮戦を見せたが、西荒川大学化学部隊の毛利三之助の槍で討ち取られたのである。東成田の級首をあげた西荒川大学勢はすぐさま二度栗山から去り、西荒川城へと凱旋したのである。
(次回、「嗚呼、朱雀天神」に続く)
(この記載は時空を超えたフィクションです。)
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20XX年、人民大学法人西荒川大学では新たな教育特別プログラムとして Global Active の実施を準備していた。このプログラムは高い英語力を持つ学生を対象に特別編成の講義群を受講させ、さらに卒業までに1年間の留学と半年のインターンシップを受講させ、グローバル企業をリードできる人材を輩出することを目的としてた。
〇月△日、西荒川大学の国際就学センターは留学制度の説明会を開催し、Global Activeプログラムの実施要領も説明したのである。このとき、地域実践学部の委員が真っ先に手を挙げて発言を求めたのである。
( ノ゚Д゚) 当方の地域実践学部でこのGlobal Active プログラムを検討した。複数の資格を取らせることを前提とした我が学部の学生がこのプログラムをとることは、まず無理である。このプログラムを全学で議論する過程で、学部教育の範囲で可能かどうかの検討はしたのか?
(^^;) まあ、オタクは無理かもしれませんが、普通の学部は可能で有りまして。まあ、無理な学部があるのは重々承知していますが…。
( ノ゚Д゚) おかしいではないか。一部の学部の学生しか取れないようなことを、どうして大学の予算でやるのか?
(`δ´) そうだ、そうだ。大体、こんな英語の点数で足切りされたら、受講できるのは一部の学部の学生に決まっている。ひどいじゃないか。
といって盛り上がった。事態を見かねた学長は、急遽、Global Active プログラムの中止を決定したのである。
Global Active プログラムに代わる新たなプログラムの設計が始まった。前回の反省を踏まえ、どこの学部の学生にも受講できる次のプログラムが決まったのであった。
Local Youth ── 地域密着を目指す君たちへ!!
西荒川を学ぶ もう西荒川でしか暮らせない!!
Local Youth プログラムは次のカリキュラム編成と決まったのであった。
概説講義(各2単位、4単位必修)
西荒川の概念
西荒川の心
選択講義(各2単位、ここから計10単位)
西荒川の人材育成と未来
古代の西荒川
西荒川の地方自治
西荒川と環境問題
西荒川のものづくり
西荒川から未来の若者へ
西荒川とまちづくり
西荒川と脳科学
西荒川の水系
西荒川の広報戦略
特別授業(必修)
西荒川公共機関インターンシップ(半年間)
西荒川介護留学(1年間)
演習(4年次後期)
西荒川実践演習(2単位必修)
この Local Youth プログラムは全国の地域密着教育のモデルとして教育省から賞賛され、地元メディアと地元経済界から熱烈な歓迎を受けたのであった。
西荒川大学が地元割当の推薦入試以外では志願者を集められなくなったのは、それから3年後のことである。(完)
(この記載は未来を舞台にしたフィクションです)
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さても、西荒川大学では思想改造講習を徹底させるためのキャラバンを開始しようとしていた。しかし、副学部長の東松山亀次郎が率いる地域文化創成学部の一行は川止めのために集合場所に遅参することが決定的となっていたのである。遅参すれば処刑されるのは明らかであった。長雨の続く夜に東松山は幹部を集め、善後策を協議した。東松山らはかねて打ち合わせていた伊三号計画を実施に移すことを決意し、夜半に西荒川大学本部のある西荒川城へと馬を走らせたのである。
西荒川大学の思想改造キャラバン隊は、思想改造学部副学部長の北宮代豪太夫を本部長として思想改造キャラバンを開始しようとしていたが、東松山の一行が現れぬことに業を煮やしていた。しかし東松山らの処遇は人民裁判に委ねることになるので、翌朝から思想改造キャラバンを実施に移したのである。
思想改造キャラバンの一行は鬼の面を付けて手に出刃包丁を持ち、家々を回って「思想改造講習を受けていねぇやつぁ、いねがぁー」、「資本主義の鬼はいねがぁー」と叫んで歩くのである。予め手配していた密告者から密告を受けると、キャラバン隊は該当者を家の外に引きづり出して半殺しにするという、壮絶なものであった。人々はこのキャラバン隊に怨嗟の念を強めたが、密告を恐れてキャラバン隊が過ぎ去るのを恐れながら待つしかなかったのである。
さて、東松山ら16名の地方文化創成学部の一行は、夜が明けると西荒川城に到着した。その頃、西荒川大学では思想改造学部が大学の実権を握っていたため、本部機能は実質的に福袋らのいる朱雀御殿に移っており、名目的に学長理事室を置くのみで、わずかな城兵を駐留させているだけだった。
東松山はキャラバン隊の北宮代から連絡があると称して城門を通り、本丸に入るとすかさず武具を整え、学長室理事室のある本丸で警備の兵を斬り捨て、本丸と城門を抑えたのである。さらに狼煙を上げると、周囲に待機していた西荒川浪人が武装して城内へと乱入し、城兵たちを駆逐した。ここに西荒川城は東松山らが完全に占拠したのであった。
西荒川大学が国立大学から人民大学となり、思想改造学部が実権を握る過程で、各部局の多くの教員は失職し、近隣の村落に入って私塾を営みながら細々を生計を立てていたのである。彼らは西荒川浪人と呼ばれていたが、苦しい生計の中にも国立大学としての矜持を保ち、現体制を転覆する機会をうかがっていたのである。この情勢を見切った東松山は密かに事前に連絡をとり、西荒川城を占拠して国立大学法人西荒川大学を再興する伊三号計画を巡らしていたのであった。
東松山は拘束した現学長を追放するとともに、自らを学長事務取扱として西荒川大学を国立大学法人とすることを宣言した。第2政府首班の鶴ヶ島鶴太郎は東松山の宣言を直ちに承認し、ここに西荒川大学は日本第2政府最初の国立大学法人となったのである。
さて、朱雀御殿でメイドに囲まれながら執務していた福袋玉三郎は事態の急変を知り、取り急ぎ思想改造学部教職員を集めて朱雀御殿に警備に当たらせるとともに、西荒川地方に張り巡らした密告網を使って情報収集を開始したのである。
西荒川大学が国立大学に復帰して思想改造省の支配を拒んだという報はすぐに、思想改造省の東成田のもとにもたらされた。東成田は各地の人民大学が謀反によって国立大学になることを恐れ、福袋に指示してすぐに西荒川大学を討伐することを命じるとともに、有力思想改造大学に援軍を要請した。吉野川思想改造大学と加古川思想改造大学の援軍を得た東成田は、本省の精兵五千ととにも、総勢三万の大軍を擁して西荒川大学討伐に向かったのである。
(次回、二度栗山狭間の戦いに続く)
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2008年の後半に失速した日本経済は2009年に至ってますます悪化し、倒産件数は上昇の一途をたどった。当初、派遣切りで始まった雇用不安は正社員の解雇に及び、失業率は鰻上りに上昇することとなった。2009年の夏の総選挙では民民党が辛勝し、即座に小鳩沢由紀一郎内閣が発足したが、景気の悪化に歯止めがかからず、政府は有効な措置を取れずに小鳩沢内閣は総辞職に追い込まれた。その後、小岡沢内閣、小前沢内閣と次々に内閣が発足したが事態は収拾せず、政界再編、再々編が繰り返され、ついに救国国民大連合内閣が発足したのである。
大連合内閣は即座に資本主義と民主制の廃止を宣言、北朝鮮から顧問団を迎えて完全配給制度と鎖国政策を実施した。企業はすべて国営となり、地域ごとに創設された人民経営委員会の委員が企業の経営者を兼ねることとなったのである。また、人民には人民経営委員会から就労免許状が発行され、就労免許状は10年ごとの思想改造講習を受けない限り失効して企業で雇用されないこととなったのである。
この間、国立大学法人は人民大学法人となり、政府の運営費交付金によって人民に奉仕するものと規定されることとなった。人民大学法人の主要な役割は政府が求める思想改造講習を実施することであり、その中心となる思想改造学部は地域に根差す人民大学法人の主要組織と位置づけられることとなったのである。
かくして歳月は流れた。
この間、人民大学法人の主要な財源は思想改造講習の受講料収入となり、結果、人民大学は思想改造学部によって支配されるようになったのである。
また、思想改造講習にも様々な工夫が凝らされていったのである。もともと思想改造講習は、今日の苦境の発端になった経済危機が資本主義に目指す鬼心に基づくと考えられ、その資本主義の心を払しょくすることで社会の安定を目指すことを目的としていた。その思想改造講習の改善のために思想改造省は多額の予算を投じて、思想改造GPを募集し、改良を促していったのである。中でも最も先端的な取り組みと評価されたのは、福袋玉三郎が学部長である西荒川大学思想改造学部の取り組みであった。その方式は学部長の名にちなんで福袋システムと呼ばれた。福袋システムでは、まず受講者は過去に資本主義的な悪心を抱いた経験の告白を求められた。その後、受講者は捕縛され、三角帽子を被らされて大学キャンパス内で晒し者になり、思想改造ファシリテーターによって指導された学生たちによって口々に罵られ、吊るし上げられ、首だけを出して地面に埋められて足蹴にされる、という壮絶なものであった。福袋システムの受講者は、これによって資本主義的な慾をすべて捨て去り、ただ黙々と人民に奉仕するようになるとされたのである。
この福袋システムを賞賛したのは思想改造省政務次官の東成田佑常であった。影響力のある東成田の賞賛により、西荒川大学の思想改造講習は各地のエリートが受講することとなり、西荒川大学は繁栄を極めていったのである。こうして得られた莫大な講習料を使い、福袋はその思想改造講習のための研修所と称して西荒川総合思想改造研修所、俗に朱雀御殿と呼ばれた巨大施設を建造したのである。また福袋は、思想改造省幹部の接待のために「思想改造喜び組」と呼ばれる組織を作り、歌って踊れるメイド服の女子高生を集めていったのである。かくして西荒川大学はメイド文化のメッカとして、秋葉原をはるかに凌ぐ伝説を作り上げていったのであった。
しかしその後、全国の雇用情勢には変化の兆しが生まれてきた。企業は思想改造講習を受けた従業員の雇用を手控えるようになり、陰で地下の派遣業者が派遣する人員を隠れ従業員として雇うようになったのである。さらに、少なからぬ企業が表向きは廃業して地下にもぐり、ここに巨大な地下経済が発達していったのであった。その地下経済で実権を握っていったのは、福袋によって西荒川大学を追放された元理事の鶴ヶ島鶴太郎であった。鶴ヶ島は全国の地下経済のネットワークを組織し、ついには第2政府の発足を宣言するに至ったのである。
20XX年、西荒川大学では例年のように2400名分の受講者を収容する思想改造講習を準備したが、千人を少し超えただけの受講希望者しか集まらない事態が生じたのである。報告を受けて驚いた思想改造学部長の福袋は、パシリ学長に指令して、全学で思想改造キャラバン隊を組織させることになったのである。
この思想改造キャラバンは、各学部の副学部長を中心に、学部教員を強制的にキャラバンに参加させるというものであった。また、集合の時間と場所に遅参した教員は、容赦なく処刑されることとなったのである。
さて、西荒川大学の地方文化創成学部ではその頃、東松山亀次郎が副学部長の任にあったのである。東松山は学部の担当教員を引き連れ、思想改造キャラバンの集合場所へと向かったが、折からの長雨で荒川が川止めとなり、遅参するのは確実な情勢となった。このままキャラバンに出向いても処刑されるのは明らかであった。長雨の続くある夜、東松山は幹部を集め、善後策を協議したのである。
(次回に続く:この記載は遠い未来のフィクションです。)
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さても、本拠の三浦半島を発したサウザー率いる南都軍は、「愛深きゆえに」を旗印に進軍し、思想改造省親衛隊が駐屯する品川に迫ったのである。親衛隊は南都軍を制止しようとしたが、南都紅鶴大のユダの部隊によって蹴散らされた。サウザーの謀反を知った東成田ら初等中等思想改造局の幹部は、集金の裏帳簿と喜び組がらみの酒池肉林の痕跡を消すために猫門阿房宮に火をかけ、甲信方面と甲州方面に向かって逃亡したのである。阿房宮は南都軍が到着する前に炎につつまれ、三か月余の期間燃え続けたと伝えられる。
サウザーは南斗孤鷲大のシンの部隊に東成田らの追尾を命じた。シンは彼らが逃げるなら甲信か甲州だろうと読んで追尾し、その多くを捕縛したのである。
厳しい追尾の手を逃れた東成田らは、能登まで逃げのび、船で北朝鮮を目指した。彼らの消息が知れたのは、5年後に部下の1人が覚醒剤密輸容疑で成田空港で逮捕されてからのことである。
北朝鮮に逃れた東成田は、あくまで進歩的知識人として生きることを目指し、喜び組の残党とともにドイツに渡ったという。その後彼らは特殊なビジネスで成功したという者もいるが、事実関係は分からない。数年後にアムステルダムの運河に浮かんだ水死体が東成田のものであるという噂もあるが、確認されていない。
各地に逃れた初等中等思想改造局の残党の物語は落人伝説として語り継がれていったのである。彼らはひそかに「ゆとり塾」を営んで生計を立てた者も少なくないといわれる。
さて、初等中等思想改造局を倒したサウザーがそのまま北関東に攻め入るという噂が、大宮郷にいた謙四郎にもたらされた。猛将の柿崎羅翁は謙四郎に南都軍と戦うことを進言した。今、南都軍は都心を陥れて意気上がり、荒川を越えて北都領域に侵攻するであろう。北関東に南都が入れば、もともと南都に属したい者は多いので、北都の勢力圏は危なくなる。ここで荒川沿いに陣を展開し、南都軍を迎え撃つべきである、という。
謙四郎は羅翁の進言を退けた。南都は他領を侵す力があるとはいえ、それほどの馬鹿ではない。南都は既に適正規模にあり、さらに勢力圏を拡張しても過剰拡張で自滅するのみである。それが分からぬ五車星ではない、というのである。
果たして謙四郎の予言通り、サウザーの軍勢は南都へと引き上げていったのである。「南都のサウザー、軍を引くか」と羅翁がつぶやけば、「愛深きゆえに」と謙四郎もつぶやくのであった。
その後、北都心圏大の軍はカイオウ学長率いる北都流通科学研究大学院大学、略して北都流研大の軍との見沼ヶ原決戦を制し、北都の覇権を確立したのである。そして南都政研大の海野李伯を理事に迎え、南都六星大グループの制度を取り入れて傘下の大学を北都七星大という法人にまとめたのであった。北都七星大は107の学科と45の研究所を持ち、量質ともに南都六星大に比肩する総合大学へと躍進したのである。
なお、東京では八王子に勢力を張った元都工業建築大学、略して元都工建大のファルコ学長が疲弊した都内をまとめ上げていったのであった。かくして関東地方は、北都心圏大、元都工建大、南都政研大が覇を競う三国時代へと突入していったのである。(完)
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さても、北都の謙四郎との伊奈ヶ原決戦に敗れた東成田らは、逃げ帰る途中に南都政研のサイザーの出陣の報に接したのである。サウザーには今回も出兵要請をしていたが、何の返事もして来なかったのである。それ故、今回の南都軍の出陣は、東成田を助けて北都と戦うためとも考えられたし、逆に東成田らを討つための出陣ともとれたのである。
猫門阿房宮に戻った東成田は、密告網を通じた情報収集に取り掛かるとともに、思想改造親衛隊を品川に配備し、北に向かっては思想改造突撃隊を東十条に配備して、都心防衛に当たらせたのであった。
東成田らが拠点とした阿房宮とは、当時の特殊な社会情勢から出現した宮殿だった。この頃、一般民衆が職を得るためには人民経営委員会の出す就労許可証が必要であり、その許可証は10年に1度の思想改造講習に合格しなければ更新されなかったのである。折からの経済の縮小により、この講習の合格率は年々低下していったのであった。そのため、更新講習に合格したい者は都道府県の思想改造委員会委員か思想改造主事、もしくは思想改造講習を請け負う人民大学思想改造学部の有力教授に頼みこまなければならなかったのである。
あるとき、某県の思想改造主事が依頼人の講習合格を手配した。依頼人は主事のもとを訪れ、お礼はいかほどかと尋ねた。主事は「これだ」といって片手を差し出した。依頼人は「5本ですか?」というと主事はうなずいたのである。その依頼人は次の日に五百万円を持参したのであった。5万円のつもりで5本の指を出した主事は驚いたが、そうか、これは金になると悟ったのである。こうした経験を経て、思想改造講習をめぐっては多額の裏金が動くようになった。検察はその動きを調べにかかったが、思想改造省は政治家ルートでその検察の動きを封じ、思想改造をめぐる裏金の動きを保護したのであった。その保護を得るために思想改造省には各地から多額の上納金が集まる仕組みが出来上がったのである。
この上納金を使い、思想改造省は講習打ち合わせ場所の確保と称して宮殿の造営に取り掛かったのである。また、飲食の補助に必要という理由で、多数の美女を集めて「思想改造喜び組」というメイド集団を作ったのであった。かくして彼らは、阿房宮で日夜、酒池肉林の宴を繰り広げ、その痴態ぶりは昭和末期のノーパンシャブシャブをはるかにしのぐと言われたのである。
さてその頃、南都政研大のサウザー学長率いる南都六星大の軍、総勢6万は多摩川に差し掛かっていたのである。
南都政研大は長い歴史を持つ人民大学であるが、景気の落ち込みを境に志願者確保が困難になり、衰退を辿っていたのであった。しかし数年前、謎の大学経営者と呼ばれる下新庄ユリアがナニワから上京し、山野不動丸ら、南都五車星と呼ばれる有能なスタッフを引き連れて南都政研大に入ったのであった。ユリアはまず雲野十郎左を南都水鳥大のレイ学長のもとに遣わして南都水鳥大との統合交渉に当たらせた。お上の意向を無視して統合交渉に入ったことに思想改造省は激怒し、行政指導に乗り出したが、ユリアは親の代からの政治家ルートを駆使してその思想改造省の動きを抑え込んだ。南都水鳥大との経営統合を果たした南都政研大は悲願の志願者確保を達成し、以後、大きく飛躍することとなったのである。
その後、ユリアは修羅国サザンクロス大学のサウザーを南都政研大学長に迎え、経営に当たらせたのである。将星を宿星とするサイザーは南都孤鷲大や南都白鷺大など、南都地方の有力大学を次々と経営統合し、南都六星大と呼ばれる大学グループを南都政研大を中心に作り上げたのである。南都六星大は108の学科、39の研究所を有する、世界有数の大学に成長していったのであった。
サウザーのモットーである「愛深きゆえに」を旗印に掲げて進軍する南都の軍は、思想改造省親衛隊が駐留する品川へと近づいていったのであった。
(次回に続く)
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(くどいようですが北都心圏はホクトシンケンと読んでください。)
さても、北都心圏大の謙四郎の軍が南下すると知った東成田は、福袋玉三郎率いる西荒川大学思想改造学部軍を上小久保館に置いて西荒川城への抑えとし、軍を移動させて伊奈ヶ原に鶴翼の陣を敷いたのである。対する北都軍は東成田の陣形を知ってあえて魚鱗の陣形で東成田の軍に対したのである。
これで東成田は「勝った」と思った。東成田は、漢検大学のジャコウ、ジャスク親子が率いる最強の思想改造GP部隊を中軍に置き、他の思想改造諸部隊を右翼と左翼に展開させた。迫り来る北都軍を中軍で抑え、右翼と左翼で敵を包囲殲滅する作戦を立てたのである。
「北都心圏破れたり」と東成田が叫べば、「お前はすでに死んでいる」と謙四郎は応じた。
戦いは北都軍最強の柿崎羅翁と土岐和政の部隊の攻撃によって開始された。思想改造GP部隊はよく羅翁軍の攻撃に耐えたが、羅翁軍の天衝波攻撃によって陣を崩し、そこに土岐勢が斬り込んで思想改造軍を混乱させたのである。中軍の劣勢に浮足立った両翼の軍勢は中軍の援護に移動したが、ために陣形は崩れ、前進する北都軍部隊の各個撃破に遇ったのである。
土岐の軍勢は東成田の本陣に迫ったが、土岐勢の前に近代装備を誇る思想改造CALL教育部隊の精鋭が立ちはだかった。しかし、東松山が率いる初修外国語教員抜刀隊と初修外国語非常勤義勇軍がCALL教育部隊に襲いかかったのであった。怒りに燃える初修抜刀隊は肉弾戦によってCALL教育部隊を斬り伏せた。
戦況を眺めていた各大学思想改造部隊は、東成田の劣勢を見てとり、「もらうものは既にもらった」と判断、銘々に戦線を離脱し、領国へと帰っていったのであった。
ここに東成田の敗色は決定的となった。東成田は西神田川思想改造大学の部隊に思想改造GPへの採択を約束して彼らを殿軍とし、自らは戦線を離れ、東京方面へと撤退していったのである。しかし北都軍本隊の攻撃を受けた西神田川部隊は早々に壊滅したのである。
逃げ帰る思想改造軍諸隊は荒川を越えようとしたときに北都軍の追撃にあい、多くは荒川に沈むか、北都軍に降伏したのであった。
東成田敗軍の報は西荒川城の鶴ヶ島鶴太郎や上小久保館の福袋玉三郎にもすぐに伝わった。鶴ヶ島勢は西荒川城からうって出て上小久保館を急襲した。福袋の軍もよく応戦したが、すでに東成田の敗走が伝わっていたので伴類はことごとく霧散し、福袋も伴回りの少年兵を連れて敗走したのであった。
しかし福袋の一行は途中の二度栗山村に差し掛かったときに土民の襲撃を受け、福袋も負傷した。もはや逃げ切れぬと悟った福袋らは、平壌の方角に礼をして将軍様の名を唱え、「我が生涯に一片の悔いなし」と叫んで自刃したのである。伴の少年兵も互いに刺し違えて命を絶った。ここに彼らは、思想改造の真髄を示したのである。彼らの忠義は美談として北朝鮮の国定教科書に永く伝えられたのであった。
福袋らを悼んだ地元住民らは彼らが自刃した跡に塚を立て、福袋らを弔った。これが後の二度栗山将軍塚であり、傍にある西荒教寺は西荒川三十六札所の十三番目として、永くお遍路の休息所として親しまれたのであった。
なお、福袋が美少年を選りすぐって酒池肉林に耽っていたというのは、後世の作り話に過ぎない。
さて、逃げのびた東成田は荒川を越えたところで、南関東にある南都政策科学研究大学院大学、略して南都政研大のフェルナンド・サウザー学長の軍が、北上して東京に迫っているとの報を受けた。この報は大宮郷にいた北都心圏大の謙四郎にももたらされた。
「北都動くとき南都も動く、か」と謙四郎はつぶやく。
「南都政研のサウザー、敵か味方か」と東成田もつぶやいたのであった。
(次回に続く)
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さても、西荒川大学では学長選を制した産業技術学部系の鶴ヶ島鶴太郎らが西荒川城に兵力を結集し、学長選に敗れたものの鶴ヶ島に対抗する兵力を集めた思想改造学部の福袋玉三郎らが上小久保館に依った。ここに西荒川地方を揺るがす上小久保館の乱が勃発したのである。両者の兵力は互角であり、西荒川地方一帯で諸勢力が両陣営に分かれて武力衝突を繰り返したのであった。
しかし福袋はその間に東京猫ノ門の思想改造省初等中等思想改造局に密書を送り、援軍を要請したのであった。
密書を受け取ったのは初中思想改造局長の東成田佑経であった。東成田は北朝鮮金正宗人民大学で思想改造学を修めたエリート官僚であり、思想改造更新講習計画の立役者であった。東成田の思惑は試思想改造更新講習の導入によって全国の人民大学を思想改造大学に移行させ、思想改造省による全国支配を貫徹することにあった。西荒川大学で鶴ヶ島らが思想改造学部に手をつけたことに激怒した東成田は、御教書を発して全国の人民大学の思想改造学部の兵力を集め、それをもって西荒川大学から鶴ヶ島らを駆逐し、福袋を西荒川大学長とすることを決意したのである。
思想改造GPとして資金を得てきた全国の思想改造学部は将兵を東成田のいる猫門阿房宮へと送ったのである。その兵力5万の軍勢は東成田の指揮のもとに阿房宮を発して西荒川地方に向かい、福袋の軍勢とともに鶴ヶ島らの籠る西荒川城を包囲したのである。
篭城を決した鶴ヶ島らは西荒川城に依って守りを固めたが、兵力の多寡は隠すべくもなく、落城は必至の状況に追い込まれた。
鶴ヶ島は城内で軍議を開き、降伏すべきか最後まで戦うかを諸将に問うた。降伏の意見も出たが、宿老の寄居正左衛門は、義に殉じて討ち死にすることを主張し、その意見が軍議を制したかに見えた。
ここに客将として参陣していた東松山亀次郎は恐れながらと鶴ヶ島に言上した。今天下の情勢を見るに、頼るべきは北都心圏大学の上杉謙四郎学長をおいて他にない。北都の謙四郎は義によって大学間の不和を治め、その信により北関東の諸大学を傘下に納め、その勢力、兵力は隠れもない。北都の謙四郎であれば義によって我らを助け、東成田の軍勢を駆逐するであろう、と述べたのである。
寄居正左衛門は東松山の意見に即座に異を唱えた。我らは彼らより都に近く、いわば我らは都人であり、彼らは田舎者である。その都人がなぜ田舎者に膝を屈するというのか。北は嫌だ、北は嫌だ。また、北都の謙四郎に助けを請えば、我が西荒川大学も北都の大学群に編入されることになるだろう。名誉ある西荒川大学はその独立を守ることこそ栄誉であり、独立を守れなければ死あるのみである、と唱えたのである。
東松山はまた口を開いて寄居に抗した。われら、彼らよりわずかに都に近いといえども、それは目糞鼻糞を笑うの喩えであり、所詮は都人ではない。今、北都心圏大学に意を寄せる大学は思想改造学部を集約縮小し、その余りを持って大学本来の姿を取り戻しているではないか。汝の言い分はわずかな優越にしがみついて大学の本義を忘れるものにあらざるや。北都の謙四郎は義の人であり、その志は我らの志と異なるものではない。今、我にわずかな兵をくれれば、この囲みを抜けて北都の謙四郎に援軍を請うて来よう。
ここに鶴ヶ島は東松山の意見をいれ、上杉軍が到着するまで東成田勢に抗戦することを決意したのである。東松山はわずかな手勢を連れて城を抜け、東成田勢を斬り抜けて北都心圏大学を目指したのであった。
西荒川城を攻め切れずにいた東成田に北都の上杉軍が南下しているとの報が届いたのはそれから1週間ほどしてからであった。北都勢5万は既に利根川にかかっていた。西荒川城を背にして北都勢と対することの不利を悟った東成田は、福袋らの部隊を西荒川城への抑えとして上小久保館に置き、本体は北に移動し、伊奈ヶ原で鶴翼に布陣した。対する北都軍は魚鱗の陣形を敷いた。ここに北関東の命運を賭けた伊奈ヶ原の決戦が始まろうとしていたのである。
(次回に続く)
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(「北都心圏」はホクトシンケンと読んでください。)
2008年の後半から失速した日本経済は2009年に至ってますます悪化し、倒産件数は上昇の一途をたどった。当初、派遣切りで始まった雇用不安は正社員の解雇に及び、失業率は鰻上りに上昇することとなった。2009年の夏の総選挙では民民党が辛勝し、即座に大沢内閣が発足したが、景気の悪化に歯止めがかからず、政府は有効な措置を取れずに大沢内閣は総辞職に追い込まれた。その後、田岡内閣、前澤内閣と次々に内閣が発足したが事態は収拾せず、政界再編、再々編が繰り返され、ついに救国国民大連合内閣が発足したのである。
大連合内閣は即座に資本主義と民主制の廃止を宣言、北朝鮮から顧問団を迎えて完全配給制度と鎖国政策を実施した。企業はすべて国営となり、地域ごとに創設された人民経営委員会の委員が企業の経営者を兼ねることとなったのである。また、人民には人民経営委員会から就労免許状が発行され、就労免許状は10年ごとの思想改造更新講習を受けない限り失効して企業で雇用されないこととなったのである。
この間、国立大学法人は人民大学法人となり、政府の運営費交付金によって人民に奉仕するものと規定されることとなった。人民大学法人の主要な役割は政府が求める思想改造更新講習を実施することであり、その中心となる思想改造学部は地域に根差す人民大学法人の主要組織と位置づけられることとなったのである。
かくして歳月は流れた。
この間、人民大学法人への運営費交付金の削減が続き、多くの人民大学法人は学部ごとに定率で人員を削減していったため、規模の小さな学部から次々と廃止に追い込まれていったのである。ここで西荒川大学では地域文化創成学部が最初に廃止され、次いで産業情報学部、産業数理学部が廃止となった。残ったのは当初から規模が大きかった産業技術学部と思想改造学部の2つである。
そして20XX年、人民大学では次期の人民5カ年計画の策定にあたっていたが、西荒川大学でも次期5カ年の計画を争点として学長選考が戦われていた。まず産業技術学部に支持された鶴ヶ島鶴太郎候補は、思想改造学部の改組によって人員に余裕を作り、西荒川大学をバランスのある大学とすることを主張したのである。対して思想改造学部の支持を得た福袋玉三郎候補は、逆に産業技術学部を廃止して大学全体を思想改造学部とし、西荒川思想改造大学として地域に根差した大学にする構想を唱えたのである。両者は激しい応酬を繰り返したが、既に産業技術学部の食客となっていた地域文化創成学部の元学部長東松山亀次郎や、思想改造学部に多くの予算をつぎ込みながら学長選挙で裏切られた元学長の残党らが鶴ヶ島を支持し、次期学長は鶴ヶ島となることに決したのである。
この決定を受け、福袋は即座にクーデターを画策したが、計画は事前に漏れ、鶴ヶ島らは西荒川城の本丸を抑えて兵力を展開し、城内の思想改造廓の福袋と対峙した。福袋は状況の不利を悟り、部内将兵を率いて城を出、上小久保館に入って大学付属思想改造講習所からの援軍の到着を待ち、鶴ヶ島との決戦に備えることとなったのである。ここに後世、上小久保館の乱と呼ばれる西荒川地方を揺るがす戦乱が始まるのであった。
まず福袋は、付属の思想改造講習所卒業生同窓会に署名を求め、地域に立脚した80万人署名計画を実行に移したのである。それとともに「子どもたちを守れ、逆らう者は人非人だ」と題する檄文を書いて同様に同窓会ルートで配り、戦費の調達にかかったのである。ここに福袋は西荒川城の鶴ヶ島に対抗できる戦力を有するに至ったが、同時に思想改造省初等中等思想改造局長の北塩田正十郎に密書を送り、援軍の要請をしたのである。この援軍要請を機に、上小久保の乱は西荒川地域を越えた戦乱に発展して行くのであった。
(次回に続く。この記載は完全なフィクションです。)
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私が西荒川大学理事の鶴ヶ島鶴太郎である。
諸君。説明しよう。この文書は確認であって、この件に関する大学の立場を表したものではない。ここに3個条が書いてあるが、書いてあることは無視して欲しい。その真意は〇〇が△△に協力するということであって、それ以上でもそれ以下でもない。ではなぜ3個条があるのかという点は私の知ったことではない。なぜその通りに書いていないかというのは、それなりの事情があるのだ。□□がその文章に懸念を述べているが、それは今後の話し合いによることであり、ここに詳しく書いてあることはどうでもよいのだ。これは合意文書ではないから〇〇が意見を言うことは許されるし、諸君らもこれに関知しているという必要はない。では何の文書かという点は、私には聞かないでほしい。この文書は一切の拘束力を持つものではなく、ある種の紳士協定である。誰も紳士ではないから、気にすることはないではないか。もし嫌だというなら廃棄することはやぶさかではないが、その後のことを私は何ら保証するものではない。それでいいのか? えっ、それでいいのか? これでは詐欺ではないかという者もいる。確かにそういう面もあるが、事柄の性格からして仕方ないと了解して欲しい。今後のことは力関係で決まることであり、この紳士協定の係るところではない。それでは次の予定があるので、さようなら。
(この記載はフィクションであり、事実には基づきません。)
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ハイ、東松山でございます。はい。はい。あっ、北松戸先生でございますか。いや、あの、浜松町以来でございますね。ご無沙汰ぁー、でもないですかぁ、とーもかーく、お久しぶりでございます。そういえば先日、頂いております。有難うございました。
今日は何か? えー、えー。そうですねぇ。そうですかぁ。うんうん。まあ、何事も、すんなりは行かないものですねぇ。うーん。次期の中期計画とかですね。えーえー。そうですかぁ。まあ、どこも同じでしょうかねぇ。いやまあ、この前、評価があったばかりですものねぇ。すぐにやれって云われてもねぇ。さんざん疲れましたからねぇ。難しいですよね。いやほんと。ウチもね、西荒川大学でもね、そうですよぉ。なんとなくね、もうこれ、見たくないってね。本部の人たちはね、まあ仕事ですからね。まあね、やるでしょうけどね。部局の方はね、これ見ってっていってもね、もう嫌よ、って感じですよね。特にね、学長が最近変わったような大学は、すぐにはできないでしょうね。えーえー。そうですよね。
えー。ほんと、〇〇省がナニ考えてるかですよね。あの人たち、人を送り込むポストがね。その確保ですかね。いや、なんかね、これからはキャリアがね、ダブつくというのか、困るんだって話ですよね。ですからね、統合なんかされたら困るでしょうねぇ。〇〇〇長ポストが1つになったんじゃあね。
えー、だからまあ、はっきりした方向性は、ないでしょうねぇ。えーえー。そんなこと、期待されてないでしょうねぇ。まあね、教育の質の保証とか、まあ、その通りではあるんですが、なんとなくパッとしない話ばかりじゃないですか。何というのかね。このままだと、あんまり、よく分からない状況ですよね。
ですからね、どこの大学もね、まあ、何ですねぇ、一応ね、重点的な領域とかね、決めてやるって形にはしてますよね。良いところはね、いろいろあるんでしょうが、まあウチの西荒川ですとね、まあ、1つとか、そんなもんでしょ? それぞれの大学がね、一応ね、その重点をやりますっていえばね、まあね、そこんところだけは、まあ、何とかなるんでしょうねぇ。どこの大学も。それでまあ、横並びで現状維持ですかね? でもあと、変わりますってのは、そんなにないでしょ。えーえー。そういうところはね。まあやるんでしょうけどね。まあ、大したこと、ないじゃないですかぁ。どうせどこもやるんだから。えーえー。これでね、いったん出してから半年くらい、折衝の期間があるんでしょ? そこがどうですかねぇ? 何か言いますかねぇ? そこで何か言うほどのアイディアは、アッチにもね、ないんじゃないですかぁ? まあね、この前の評価をどう踏まえたかとかね、踏まえようがあるかどうかは分かりませんけどね、私には。まあ、それは言うんでしょうけどねぇ。
それでまあ、次期の中期のうちはね、どこもね、持つんでしょうねぇ。大学の組織が今のままで、まあ、地方国立は人減らしをするしかないですけどね。まあ、減らして、でも何とか持つ限界まで行くんでしょうねぇ。えー、えー。交付金の減額幅が今のままとしましてね、それでもね、まあ、次期が終わる辺りが限界でしょうねぇ。それ以上は持たないといいますかね、えーえー、志願者確保ですよねぇ。確かにね、まだいい方だとも言えますけどね。それでもね、割と下の方の私立まで、結構、頑張って来ているでしょ。まあ、次期中期くらいが限界でしょうねぇ。まあね、嫌でもね、機能分化ってシナリオですかねぇ。何が残りますかねぇ。師範とね、工専ですか? 農専とか鉱専とかね。医専のところは決まりですね。まあ、先祖帰りですかね。あとはね、〇〇講習でもやってるんでしょうねぇ。まあそれで、地域に根ざす大学って、まあ、そのまんまですよね。ほほほほほ。
(この記載はフィクションであり、事実には基づきません。)
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(^ω^):出席した父兄が怒っていたみたいよ。
(○゚ε゚○):ま、そうだろうね。4年間、金払ってきて、その成果がこれだってことだもんね。
┐(´д`)┌:泣いちゃうよね。
(・∀・):〇〇があれじゃぁねぇ。ただのバカだもんね。
(○゚ε゚○):でナニ、アレ、やはり〇〇学部の学生なんだって。
(^ω^):納得。
┐(´д`)┌:納得。
(・∀・):他にないよね。
┐(´д`)┌:あれが実態なんでしょ。
(^ω^):小学校と同じだな。
(○゚ε゚○):納得。
(・∀・):他にないよね。
(○゚ε゚○):アレ、〇〇になるの?
(○゚ε゚○):〇〇学部だからそうなんじゃない?
(^ω^):分からんよ。合格率、低いんでしょ?
(○゚ε゚○):さすがに、〇〇だから、受かってる人から選んだんじゃん?
(^ω^):どうせアイウエオ順で選んだんでしょ?
┐(´д`)┌:まさかぁ。
(○゚ε゚○):ウチらは考えられんよね。今年はさぁ、ずーっとGPAトップで、優秀論文だもんねぇ。さすがにないよねぇ。
(^ω^):分からんよぉ。
(○゚ε゚○):やろうとしたら、俺が止めるよ。
(^ω^):〇〇式に馬鹿がいるのは当たり前だけどね。
(・∀・):勝手に一人でやるならいいけどね。
(○゚ε゚○):〇〇だからねぇ。
(^ω^):馬鹿を飾っておくようなもんだよね。アレ、何も〇〇はないの?
(○゚ε゚○):知らん。
┐(´д`)┌:そのまんまが表に出ただけだからね。難しいんじゃない?
(・∀・):〇〇式ってのが体裁悪いよね。入学式なら愛嬌だけど、〇〇式だと、4年かけてバカにしました、ってことだからね。
(○゚ε゚○):しかしね。これから〇〇確保が難しくなると、多くなるかもよ。
┐(´д`)┌:考えたくないね。
(・∀・):時間ないから、次行こう。次。
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先日、学部棟改修が終わりに近付き、関連の部屋を「避難所」から改修後の学部棟に戻す引っ越しをした。研究室・実験室と学部長室の作業が終わった頃には事務室もほぼ引っ越しが完了していた。その新居の事務室のメールボックスを見ると、中に新しいUnion Press、つまり組合からの通信のプリントが配られていた。これといった話はないと予想したが、最後にあった記事が目を引いた。先日の日経新聞で、道州制をにらむと埼玉県は「北関東州」の方向でまとまりそうだ、という内容だった。内容の調子は伝統的な組合調とは一線を画する。
まあ、仮に道州制に移行するとすれば、埼玉県は「北関東州」しかないのは明らかである。各県の経済規模からして、埼玉県を抜いた北関東州では「死ね」といわれるに等しいからである。やって行ける訳がない。現状の国による行政指導の実態からして、埼玉県を入れた北関東州は自然な流れであり、良くも悪くも移行に苦労はない。
道州制に移行した場合、国立大学法人は州立大学になる(つまり設置者が道州になる)可能性は高い。
ただ、すんなりと道州制が実現して、国立大学が州立大学として「統合」される、という話になるかというと、現状では実は何とも言えないのではないかという気がする。
理由はいくつかある。
第1に〇〇省にとっては現状維持が省益に他ならず、政治的圧力なしに、自発的に道州単位での統合を目指すことは絶対にない。統合は集計すれば「削減」になるし、それでは予算も本省付き職員の行き先も減るからである。
第2に、当分は政治的リーダーシップは確立されない状況が続くと考えるのが自然だろう。だから道州制と言っても当初の自民党が示した日程通りに動くとは思えない。
第3に、現状では国立大学、特に地方国立大学の将来に対する明確なイメージがどこにもないことである。政治家のメッセージで最も明確そうな意見は、構造改革派に属する小池百合子が、地方国立大学を地方移管して地域活性化に役立てると言ったことくらいだろう。が、その意見とて、国立大学の設置者を何らかの地方にするとして、具体的にどのような大学をイメージしているかは全くハッキリしない。さしたる考えもないと見るのが自然だろう。
Union Press を眺めながらそんなことが頭に浮かんだ。
しかし、また違うことも言うべきかも知れないな、と思った。
政治的な外圧から「統合」に進むというのは全く不透明であるけれども、実に内発的に何らかのアクションを取るべき必然性は増えて行くだろうことである。
詳しく言うのは野暮であるからあえて書かないが、現在の構造の下では地方国立大学は予算も人員も減って行く。勇ましいプランを考えたとしても、特定の地方国立大学が突出してうまく行くと考えるのは甘過ぎる。長きに渡って消耗戦というか、塹壕戦を戦うしかないのである。その間に一応名のある(元来は評価されなかった)私大は補強を進めているし、旧帝大には益々資源が集まる構造になっている。
こうした中で、どことは言わぬが特に人員削減を強いられた部局の目には明らかな敗色が見えている。例えて言えば、織田信長の軍勢に攻め込まれて、有力な諸将が次々と打ち取られているような有様である。手を打つ術はないから消耗戦で時間を稼ぐしかない。しかし援軍が来る予定はない。
現場指揮官の立場の者は山本五十六のように言うしかないだろう。鉄砲玉をくれるなら半年や1年は暴れて見せるが、そこから先は保証はできない、と。
現状で人員削減を強いられた部局は一部であるが、どこも何れは同じ状態になる。そうなるとさすがに気づくのだろう。そのときにまだ時間が残っているのかどうか、である。
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