新設大学等一覧

 文科省のホームページに「令和6年度開設予定大学等一覧」、「令和6年度開設予定学部等一覧」という表が載っている。

新設大学

 開設される大学は東北農林専門職大学を含めて4大学。愛知医療学院大学を除くと人口減少地域での新設である。学部は5であり、医療系が3,経営学部が1(女子大),農林系が1である。現状で文科省は経営の見込みを新設大学には厳しく求めているだろう。それでも見込みが立っているということは、従来は地方で専門学校に行っていた層を吸収するということなんだろう、と思う。

新設学部

 学部を新設する大学は8大学だった。同一大学複数学部もあるので、学部数で言うと9学部になる。内訳は:

情報科学/情報工学  3
医療・健康系     2
工学部(麗澤大学)  1
経済系        1 
データサイエンス学部 1
薬学部(順天堂)   1

である。有名どころでは順天堂大の薬学部新設と明治学院大の情報数理学部の新設がある。
 薬学部を含めて、医療系の学部が増える点は長期的な傾向であり、大学新設の動向からも頷ける。また政府の後押しもあるせいで、情報工学やデータサイエンスへの新設投資も顕著である。1つ新設の「工学部」は麗澤大学であり、最近の女子大での工学部新設と雰囲気は似ている。麗澤の工学部は情報システム工学とロボティックスの選考であるので、「情報工学」に含めても良かったかも知れない。
 私がちょっと疑問なのは、理学部はともかく工学部は結構志願率が低調であるのに、増やして大丈夫なのか、という点である。ただ情報関係は長期的に人員不足の予測が以前から出ており、その部分は維持できるという判断なのだろう。本来なら工学系部局の内部再編で情報等を増やすのが良かったのかも知れない。
 社会学系、人文系、観光系の学部は申請はあったが落ちたようだ。

 私が新設大学・学部の動向をウォッチするようになったのは、法人化前に教養学部で「文化政策騒動」があった頃である。当時、教養学部では、院研究科を文化政策を中心にする、という運動があり、私は某先生から依頼を受けて反対派になった。私の記憶では、当時はまだ、人文系部局の新設が主流だったのである。そんなに焦る話ではない、転換するにしても「文化政策」などで商売が成り立つはずはない、と踏んだものである。

 LGBTで新設するようなバカ大学は、まだない。

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大学の構想と抵抗勢力

 このブログの1つ前の投稿で千葉大の学長選考について書いた。学長選考・監察会議は次期学長に病院長の教授を選んだが、学内教員から異論なり質問が出ている、という話である。
 千葉大は、私の目からはかなり努力している、悪く言うとあざとく立ち回っている大学に見える。外部資金を逃さずに獲得し次々と組織改革を行い、旧六大学の中でも上位、旧帝の次のランクに位置し、さらに上を目指しているように見える。陽の当たる千葉大と日陰の埼大、といってもよい。そんな千葉大でも内部ではいろんなことがあるのだな、と前回の投稿のときは思った。
  
地域中核大学イノベーション創出環境強化事業

 その千葉大について、最近目についた動きは令和5年度の「地域中核大学イノベーション創出環境強化事業」の採択大学に入ったことである。千葉大が採択されたことについては「ああ、やはり」と思うばかりだった。この事業と今回の学長選考とは関係あるんじゃないの、と思い、内閣府ホームページにあるこの事業の情報を眺めてみた。文科省ではなく内閣府である点が、この事業の本質を表している。
https://www8.cao.go.jp/cstp/daigaku/chiikichukaku_r5.html

 同ホームページにある構想調書にはグダグダといろんなことが書いてある。この事業として行うこと以外に、文科省が注文している事項にも応えているから、中身が分かりにくいのだろう。構想概要の方を見ると、この事業の中心の企画が「西千葉 well-being リサーチパーク」の開発であることが分かる。この施設を英語でBiohealth Open Innovation Hubというから、実際の作業が千葉大の附属病院が多くを担うものであることが予想が付く。基本的にイノベーション、地域貢献なのであるが、研究の中心が医学・疫学のリサーチであり、そこに工学や園芸学、薬学が入っている格好になっている。なお、西千葉キャンパスとは千葉大のメインのキャンパスであるから、このプロジェクトは千葉大にとっては意義が大きいのだろう。
 調書を見て分かったことだが、千葉大の構想は何もないところで出している訳ではなく、既に外部資金をとって活動している実績の上で起案している。だからこの強化事業補助金は今回の採択で始まるものではなく、既に芽のある所に与えられるものなのだろう。過去の蓄積を考えても、ここでつまずく訳にはいかないのだろう。
 医学部のある大学は医系中心の事業を展開するのはよくあることである。地域貢献が明確だからである。むろん大学によって売り出し方に特色がある。同時に採択された鹿児島大学は、医学部はあるが、今回の採択事業では「南九州畜産獣医学拠点」を歌っている。畜産部門が大きな地域産業なのだろう。同様に採択された山形大学は、はやり医学部はあるが、「有機材料システム」を核にするという。地域特性によってどのように売り出すかは判断であるようだ。
 千葉大の調書については、書いたのは前学長の下と思うが、当然、次期学長に選ばれた病院長教授が中心になって作成したろう。この事業をうまくこなすことが千葉大にとっては次の機会を生むわけであるから、病院長殿を次期学長にするのが千葉大上層部にとって既定路線だったような気がする。

千葉大の事態は筑波大を連想させる

 今回の千葉大の学長選考では、人文系を中心に異論が出た(総合的に見て震源地は人文系だろう)。私はすぐに筑波大学を連想してしまった。
 筑波大学は国大協の会長もしている永田学長がお名前の通り長く学長を勤めている。たぶん、その間、かなり実績があったんだろう。筑波大学の前身は東京教育大学だった。東京教育大学はむろん良い大学であったが、総合大学と呼べる陣容ではなく、予算面で中核となる医学部・附属病院はなかった。だから最初からフル装備で稼働していた旧帝大とは差があったはずである。しかし永田学長の間に研究成果を高め、九大より先に指定国立大学法人になったときには私は少し驚いた。今年は日本初の学位を出す海外分校を作るらしい。
 その永田学長の任期延長を批判し続けてきたのが筑波大学の「学長選考を考える会」である。この会は筑波大の教員有志の会という建前と思うが、何年か前にこの会のホームページを見たら、この種の会の通常とは異なり、教員の名前は出ておらず、出ていたのは弁護士の名前だけだったのには驚いた。先ほど再確認してみたが、やはり同様の状態だった。たぶんプロの左翼活動家集団なのである。その弁護士とは、不法滞在外国人を難民申請させている弁護団の、かなり有名な弁護士である。この会は筑波大学の件を離れて、例えば国立大学法人法反対の論陣を張る側として報道に名前が出てくる。独立した活動家集団のとして動いているように見える。なお、教員として報道に名前が出るのは決まって、人文系の准教授のあるお方だったと思う。
 筑波の「考える会」で目についたのは、筑波大学が指定国立大学法人になった直後に、同法人への申請書にある留学生数がおかしい、といって文科省に公開で問い合わせたときである。留学生の数字がおかしいと思うなら、普通なら大学に問い合わせるだろう。それを大学と飛び越して文科省に問い合わせたのは、文科省に、筑波大学を指定大学法人から外させるように求めるためだったとしか考えられない。むろん留学生の数字は文科省に計算方法に従ったものだったので(大学の事務局がそこを間違えるはずはない)、結果、何も起こらなかったが。重要なのは、この「考える会」は単に考えることを目的とするのではなく、明らかに筑波大学を引き摺り降ろすことを目的とした反筑波大学団体であることである。
 同じように千葉大に反千葉大団体はできるのであろうか。私が思ったのはその点である。
 千葉大学と筑波大学はある意味で似ている。どちらも上を目指す所に位置している。筑波大学は指定国立大学法人を手に入れ、「10兆円ファンド」の分配対象になる国際卓越研究大学を目指す位置にある。千葉大学は旧六大学の並びを抜け出しかけて、指定国立大学法人の列の中に並ぶことを目指す位置にある。そのために両方とも、(やや)トップダウンの運営を続けているように見える。だがそのように「上を目指す大学」の内部には、引き摺り降ろそうとする抵抗勢力が生まれる、ということではないのかな、と私は考えてしまう。

人文系は抵抗勢力の拠点となるのか?

 上記のような抵抗勢力が大学の中で生まれる理由は(仮に生まれるとして)、大学をめぐっては少なくとも2点で対立が存在するためだろう。
 第1の対立は「政府vs左翼勢力」間の大学観、ないし大学の運営方針をめぐる対立である。左翼勢力の内訳はいろいろあるのだろうが、現実的に中心になるのは日本共産党だろう。左翼勢力にとって大学とは旧の国立大学がモデルであり、国から予算をもらってその予算を消化することが基本になる。だから大学が財政的に苦しいと思えば、国に予算要求をする以外の発想はない。実際に筑波大や千葉大の「抵抗勢力」側の候補者が主張したのはそれである。主たる大学運営の様態は部局自治と部局間談合による運営、つまり従業員自主管理型の運営である。そのために教員による投票で学長を決める方法が採用されていた。対して政府は、特に安倍政権以降は、大学を経済成長の原動力と位置付け始めた。それゆえに大学が投資の対象と考えられるようになった。投資の対象である限り大学は企業のようにまとまることが求められ、部局談合ではなく学長トップダウンの決定とガバナンスが重視される。大学が経済成長の源になることから、大学が収益を上げる可能性が織り込まれた。米国の上位の大学の実態がモデルになっているように思える。
 もとより大学教員にとって都合の良い大学像は従業員自主管理型の運営をする場合であり、トップダウン意思決定に走る政府型ではない。さらに左翼型運営を強く信奉するのは左翼思想を強く持つ者であるのは理の当然と言える。
 第2の対立は「光の当たる分野 vs 当たらない分野」の対立だろう。政府型の大学観では、上位大学も下位大学もイノベーションの実装を強く求められるから、どうしても実務に結びつきやすい分野に光が当たることになり、医歯薬理工農に多くの予算は回る。光が当たらない分野は大学の方針にもよるだろうが、文系特に人文系(と教員養成系)にはまず光は当たりにくい。
 以上の2つの対立点を考えたとき、左翼型に傾き、かつ光が当たらないのが人文系である。私はこのブログで国立の粗い「左翼率」を出してみたが、左翼率の上位大学は理系の少ない大学か教員養成系大学だった。トップは一橋であり、文系比率の高い埼大もなかなか頑張っていた。特に人文系は、研究内容からして左翼に傾きやすいように思える。
 つまり、文系特に人文系は政府型の運営を目指す大学の中にあって抵抗勢力の拠点となる潜在力が高く、その点が顕在化したのが筑波大学であり、千葉大学であるように私には見える。

 現状で、国立大学の中で「上を目指せる大学」は限られている。しかし時間が進行すれば、そして運良く大学への国の総配分額が増えてゆけば、国立大学は上を目指せる大学と目指せない大学に分化して行くことになるんだろうな、と私はぼんやり考える。そのときに一体何がおきるのか、埼玉大学はどのような経過を辿るのか? いろいろ想像してみるのも楽しみだなと思う。

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千葉大の学長選考は妥当だろう

千葉大の学長選考

 この2/7(/2024)にある署名サイトから「千葉大学の学内意向聴取の投票結果に反する学長選考について 適切な説明を求めます!」というメールが届いた。やれやれ、また左翼が、と思ったが、一応ネットで事情を検索してみた。
 この1/25日に千葉大で学長選考が行われた。候補者は3人、人文系候補、附属病院系候補、医系候補(何れも同学教授)だった。意向投票の得票数では人文系候補が一位だったが、学長選考・観察会議が学長にふさわしい者として選んだのは病院系候補だった。
 医学系の候補が2人出ていた。医学系は票数を多く持つので、2人出てしまうことは他大学でもあったと思う。1人に絞っていれば病院系候補が得票でも1位だったかも知れない、と思った。
 意向投票で一位でない候補が選考・観察会議で選ばれることは、私が埼大を退職した2017年時点でも珍しくなかったろう。だから今さら何だ、という気もするが、ここで「運動」を起こしておくことが日共系の戦略なんだろうな、という気がした。
 一位の候補者でなく二位の候補者を選んだことについて、人文科学研究院と教育学部の教授会、および組合の千葉大学ユニオンが質問書を出した。他方、学長選考を行った学長選考・観察会議は2/7に「学長となるべき者の選考について」という文書を公開し、選考の経緯を説明している。

学長選考に垣間見る千葉大学の事情

 この選考の候補者を評価する情報を私は全く持っていない。が、こういうときに私が頼るのはその大学の組合のホームページである。千葉大の組合は千葉大学ユニオンといい、埼大の組合よりは羽振りの良さそうなホームページを持っていた。学長選考の際は組合が候補者に質問への回答を求めることが多く、候補者は普通は回答を寄せる。
 千葉大学ユニオンのホームページには候補者に向けた質問と各候補者の回答が掲載されている。この質問と回答を見ると、千葉大学の内部事情が透けて見える面がある。学長選考以前にその内部事情で気になった点をまず書いてみよう。

 ユニオンの質問は次の6項目である(短縮して表記)。
1) 学長としての理念と千葉大の将来像
2) 非常勤職員の無期転換と労働環境改善への考え
3) 定年退職教員の「3年不補充」への対応
4) 財務状況悪化を理由とした手当不支給への考え
5) 国立大学法人法改正案と千葉大学の「指定国立大学法人化」についての考え
6) その他(あれば)

 これらの質問、および候補者の回答を眺めるなら、千葉大には少なくとも次の2点の事情があることが分かる。

 第1は、上記2)~4)から、千葉大も他大学並みに財政のやりくりに苦労がある点である。
 千葉大は私の目には羽振りの良い大学に見える。私が在職中の頃から、文科省系の外部資金の獲得はほぼ全戦戦勝だった(埼大は不戦敗を含めてほぼ全敗だった)。最近でも「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業」に採択され、このクラスの大学としては望み得る最高を手中にしたように思える。外部資金が入っているから財政にも余裕があるような気がしていた。しかし上記2)~4)の質問と回答を見ると、特に苦しくはなかろうが、多くの地方国立大学並みには苦労があるのだと分かる。
 特に言うべきは定年退職教員の3年不補充だろう。もし3年不補充を全学的に実施しているなら、結構な緊縮を大きな規模でやっていることになる。教員数が年齢階層ごとに均一であり、かつ定常的にこの状態が続いていると仮定すれば、私のどんぶり勘定では、全教員の8%程度が不補充のままになっていることになる。普通の大学だと法人化以来、こまめに教員定員の削減をやってきた。埼大でも同様であるが、大きな削減は田隅学長のときに断行し、おかげで教養学部は長年酷い目に合ってきた。千葉大で3年不補充を続けているとすれば、ポストの削減はあまり行わず、主に定員不補充で対処してきたのかも知れない。
 3年の不補充など、解消するのは簡単なことである。8%程度の教員定数を削減すればよい。絞ればできるだろう。問題はこの程度の削減を部局に説得できるリーダーシップが千葉大にはなかったことだろう。それはそれで問題かも知れない。
 千葉大にもそれなりにやりくりに苦労があるのかも知れないが、どこの大学でも多かれ少なかれやっていることである。3年の不補充など、10数年にわたって退職教員の不補充を強いられた埼大教養学部にすれば軽い話だ。教員削減も40%くらいを強いられたのである。埼大教養学部のこの苦難の歴史、ときの埼大執行部によるこの非人間的な苛斂誅求を考えれば、千葉大など、凄く楽だよね。

 第2に面白いのは、千葉大の中では指定国立大学法人を目指すかどうかで対立があることである。
 指定国立大学法人に手が届いたのは、現状で、北大を除く旧帝+α(筑波大を含む)である。だから旧六の中でも上位の千葉大、金沢大、岡山大は、常識的には指定国立大学法人入りを目指すのは当たり前のことである。今回の学長選考での回答で、千葉大ではその意向があったことがはっきり書いてある。
 ただ、事情はその後やや複雑化した。別途「特定国立大学法人」というカテゴリーができ、そこに入ろうとすると重要事項を決定する合議体「運営方針会議」の設置を義務づけられることになった。この運営方針会議ができると、教員側が教授会を通して学長をコントロールして学内談合をすることが難しくなる。だから日共系はこの運営方針会議の設置を避けるべく、特定国立大学法人になることをけん制しているというのが現状である。
 簡単にいうと、国の方針に合わせて運営方針会議の設置を容認しようと考える積極派と、学内談合を優先して現状にとどまろうとする消極派(要するに左派)が、上に行くチャンスのある大学にはある。千葉大も例外ではない、ということである。
 しかし多くの上位大学は、左派を切り捨てて積極派になって行くはずだ。黙って他大学に先を越される訳には行かないからである。そこで軋轢が、筑波大学では表面化したと思うが、千葉大でも表面化して行くのだろう。
 
選考・観察会議の選択は妥当である

 では今回の千葉大学での学長選考はどのように評価すべきであるか? 情報が限られた私の素人判断に過ぎないが、千葉大の学長選考・観察会議の判断は妥当だったろう。得票数一位の人文系候補と二位の病院系候補の回答を比べれば、私が会議の委員でも病院系候補を選ぶ。
 最も重要なのはユニオンの質問の第1、つまり今後の大学像である。人文系候補が言う所は、要するに教職員と学生が幸せになることを目指します、である。だが市長などコミュニティの首長がそういうならよいが、大学のような組織の経営が目指すのは組織目標の達成であるはずだ。病院系の候補は実際にすることとして次の事項をはっきり挙げている。1)透明性のある開かれた大学運営と安定的な財政基盤の確立、2)強みと多様性を併せ持つ世界レベルの教育研究拠点としての発展、3)…。組織の長としての自覚があるのは明らかに病院系候補である。
 両者の相違は以上の点だけに留まらない。人文系候補は3年不充足が無くなるようにしたいと書くが、どうやって実現するかには一切触れない。病院系候補は不充足の緩和策を書き、不充足自体を消そうとは書かない。消そうと思えば削減を言うしかないが、組合の質問で削減は言えないからしょうがないだろう。また、病院系候補は財政難を外部資金の獲得で克服する積極策を書くが、人文系候補は不満をいうのみで解決策に言及しない。
 詳しくは書かぬが、人文系候補は経営を担う覚悟が全くない。病院系候補しか、選びようがないというのが私の感想である。
 千葉大の学長選考・観察会議は2/7に「学長となるべき者の選考について」という文書を公開した。この文書では次の条件で学長となるべき者を選んだと言っている。
・千葉大学のミッションを着実に実現し大学を持続・発展させる
・世界水準の教育研究大学としての千葉大学を適切に運営する能力を有する
・学内外から信頼される高潔な人格と優れた学識を兼ね備える
少なくとも第1点については病院系候補が優れているといえるだろう。質問を出した教授会や組合がこれで納得するかどうかは分からぬが、人事であるから、この候補はここがダメで、などとは表明できない。質問側は食い下がるかも知れないが、これ以上の回答は出しようがないと思える。
 また、組合が質問を出すのはよいが、教授会名で質問書を出したことが適切だったかどうか、私には疑問がある。学長選考は大学運営の事項と思うが、そのような事項は教授会の権限には入っていないだろう。質問を出すなら有志名であるべきだったと思う。  

学長選考における2つの勘違い

 一般論として、日本の大学教員は学長選考について2つの勘違いをしていることが多いと思える。今回の千葉大学での学長選考をめぐる小さな「騒動」は、ある程度この勘違いに発しているような気もする。次の2点は再確認する必要があると思えてならない。
 第1に、従業員民主主義は組織の正義ではない。なのに正義だと思い込む勘違いがよくある。
 国や自治体レヴェルのコミュニティは、人々がその中に住んでいるという事実から発する集団であり、その中で民主主義が行われるのは社会の基本である。しかし組織はある目的の実現のために設置者が作る集団であり、何をなすべきかは当初の目的から判断される。国立大学の設置者は国であるから、国が法律で組織目的を規定し、目的達成の評価の基準も定められる。国立大学はその目的にそって運営されるべきものであり、従業員である教員の判断で運営されるべきものではない。だから大学の民主的運営と叫ぶのは本来おかしなことである。大学に運営方針会議を設置するのは、方向性として正しいと思う。
 第2に、(第1点の言い換えの面があるが)経営と労働関係は区別されるのが正しい。教員にはいろんな要望はあるが、その要望は法的に保護された労使関係で反映されるべきものであり、経営の中で反映されるのは筋が異なる。経営は経営としてのガバナンスで律せられるものである。学長は組織上、経営に属するので、経営の都合を反映した選考になるだろう。教員という労働側は、労使関係を通して労働側の要望の実現を目指すべきである。
 もともと、大学は教授会の意思で動く慣習があり、教授会が組合の機能を果たしていた面がある。伝統的な大学では経営と労使関係が区分されていなかった。そこははっきり区分し、改めて労使関係の意味を問い直すべきもののように思える。
 ちなみに、私は国立大学法人化に先立って埼大で開かれていた「独法化部会」に出席し(2000年頃)、教員の投票による学長選考は止めるべきと主張していた。また、組合の役割を重視する上記の考えに従い、法人化にともなって私も組合に加入した。2015年頃の学長選考会議では、学長は外部から公募すべきと主張していた。

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埼大教養学部の出願状況

 例年のように1/22(月)~2/2(金)が国立大学への出願期間だった。気になって時折、埼玉大学、特に教養学部の出願状況を私は眺めていた。印象としては今年は、埼大は全学部とも出願が低調な印象を受けた。他学部はどうでもよいが( ´艸`)、教養学部は酷いことになりはしないかと心配だった。

 幸い、教養学部は四捨五入で2.3倍にこぎつけた。過去最低ではないが、しかし最低に近いと言えば近い。最近の教養学部の前期日程の出願倍率をグラフにすると次の図1のごとくである。後期日程はみずものであるから、ここでは議論しない。グラフの期間の倍率の平均をとると2.6くらいであるから、この期間の中でも教養学部の今年の前期の倍率は低かった。グラフの期間では実は募集定員が変化しており、途中で定員の若干を推薦入試に回している。だから最近の倍率はもっと上がってよい、という考えもあるだろう。

240206_1

図1:教養学部前期倍率推移

 では教養学部の出願倍率が特別に低調かといえば、そうは言えない。次の表1に人文系学部の前期の倍率をまとめた。上の表は埼大と並びの地方国大、下の表は東日本の「上のランクの大学」の数字である。上の表を見るなら、実は多くの地方国立大学人文系が埼大教養学部程度の倍率しかないことがわかる。

表1:人文系学部,今年の前期入試倍率

240206_2

240206_3

 表1の上の表では、例外的に倍率が高いところもある。まず宇都宮大学の国際学部は例年、倍率が高い。高い理由は、学生定員の少ないこの学部は、定員の多くを推薦などに回していて、一般選抜の定員が異様に少ないことである。だからこの学部はずるい、というべきではなく、多様な入試をするためにおそらくかなりの労力負担をしていることに注意すべきだろう。この学部の意気込みが埼大教養学部程度でないことは、法人評価におけるこの学部の努力の跡を見ればわかる。全般に、理系を含めて、宇都宮大学の倍率は良いように思う。宇都宮大学は、教育学部を群馬大学との共同にしたうえで、新設の学部を2つ作っている。国際学部も、学内で定員を取られないようにするために大変だったのではないか、と想像する。宇都宮大学全体の努力は、たぶん文科省も評価しているだろう。

 次に、並びの大学の中では信州大学の数字が良い。なぜかは分からないが、最近の動きでは、信州大学は全体として文科省からの扱いが良いように思う。地方国大の中では、理系学部の多い信州大学は、少し他を抜かしてきたような印象を私は受ける。

 表1の下の表を見ると、ランクの高いこれらの大学では倍率は概して高い。ただ見ていて、次の点が目を引いた。

 まず、旧帝の北大、東北大といえども、文学部は倍率が地方国大並みだ、という点である。苦しいのだ。

 また、千葉大の倍率が良い。千葉大も旧帝より下のランクの大学の中では文科省の評価が高い。大学全体の好調さが背景にあるのかな、という気がする。従来は千葉大のこの2学部は、埼大教養学部より前期倍率で0.5くらい高い、と思っていたが、今年の数字では大きく差が付いた。埼大教養学部は志願者を千葉大(と宇大)にとられたのではないか、と思うくらいである。

 以上は前期日程の出願倍率の話に過ぎないのであるが、いろいろ妄想する私としては、以上の結果の中からもいろんなことを読み取るべきではないのかと考えてしまう。この10年くらいの推移の中で、羽振りの良い大学と良くない大学との分化が進んでおりその羽振りによって将来的なポジションが変わって来ているのではないか、という点である。この妄想については後で何かを書いてみたい。むろん、北大や東北のような上位大学は、何が悪くても安泰である。

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地域中核・特色ある研究大学強化促進事業

 このブログで2か月前の10月に,「地域中核大学イノベーション創出環境強化事業」の採択について書いてみた.が,つい先日「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業」の採択校が決まったというニュースが流れた.名前が似ているが別の事業であると分かった.前者のイノベーションなんちゃらは社会実装に力点を置いた支援事業であるが,後者の事業はより全般的な大学支援である.もらえるなら後者の方が有難い.

採択された12大学

 文科省や学振のサイトを観ると,申請したのは69の大学,採択は12大学という.競争率は高い.
 採択されたのは国立大9(北大,千葉大,東京農工大,東京芸大,金沢大,信州大,神戸大,岡山大,広島大),公立大1(大阪公立大),私立大2(慶応大,沖縄科学技術大学院大学)である.沖縄は形の上では私大であるが,国から予算が出ている国策大学であり,実質は国立と思う.
 この大学の選択は上手く出来過ぎている,と思った.直感的予想に過ぎないが,どうも政府は大学を第1ランク「国際卓越研究大学になるような大学」,第2ランク「地域中核・特色ある研究大学になるような大学」,第3ランク「その他」という新たな階層構造を設定しようとしていると見える.そう考えると今回の12大学の選択は絶妙である.
 まず上位大学から北大が入った.北大は旧帝大で唯一,指定国立大学法人になっていない.いわば上位校の中の下位校である.当面,国際卓越研究大学になる見込みはない.だから第2ランクに入ったと見ればよい.
 旧六大学の中からは千葉大,金沢大,岡山大が選ばれた.この3大学は最近の評価では旧六中の上位3大学である.下位の3大学(新潟,長崎,熊本)も申請はしているが落とされている.
 自称「旧帝の次」であるが,国際卓越大学への展望のない神戸大と広島大も,しっかり採択された.
 本格的地方国立大の中では部局数が大きい信州大学だけが選ばれた.信州大学は地方国立大が持てる部局,特に理系部局を全部持っている.地方国大から1つ選ぶなら私でも信州大学を選ぶ.
 残りの2つは東京にある国立大の中から,最近は元気な東京農工大,特色ある芸大を選んだ.まあ文句はないだろう.
 公立の中では最も規模感がある大阪公立大を選んでいる.大阪公立大は統合したことで,研究力は劣るが規模だけは阪大より大きい.規模で選ぶならここしかない.市立大,府立大のままなら選ばれることはなかった.
 私大の中からは研究では私大トップの慶應を選んだ.慶應は,先般の国際卓越研究大学に(早稲田は申請したのに)申請しなかった.ランク1ではなくランク2を選んだのだろう.クールだね.
 沖縄科学技術大学院大学は,規模のない大学であるから,国際卓越研究大学には常識的には入れない.が,規模を制御した研究指標ではトップに躍り出たことがある.ガバナンス的にも政府の考えに最も近いところで運営されている.実はこの大学は政府の国際卓越研究大学に関する文書で言及されたことがある.だからこの大学に国際卓越用の予算を振り向けることもあるかな,と私は考えた.が,このランク2で処遇したのだろう.
 という訳で,この12大学の選定は絶妙だ,と私は思う.

何を読み取るべきか?

 この12大学の選定だけで先走ったことを言っても間違うかも知れないが,そこは構わず先走って論じるなら,私は次の点を読み取るべきだろうと思う.

 第1は,新たな大学の階層構造が出来つつあるかも知れないことである.階層構造といえば国立大学支援の①~③も階層のようなものだった.しかし①~③は国立大だけであり,自ら選びとった形態であるから,大学を制御するには適していないだろう.新たな階層構造では,成果に応じて資源が配分される格好がより明確になる.
 政府は大学への支援を怠らないだろう.しかし無条件に出す形は避けるだろう.ランク1やランク2になっていれば,国公私立の形態にかかわらず国からの支援はあるだろう.ランク3はどうするんだろうか?

 第2は,ランクを決める上で大学の規模感が重要と評価されていることである.だから埼大も,群玉統合はやらないよりはやった方が良かった.埼大が上を目指すためにはどこかに吸収してもらうべきかも知れない.私は東京農工大あたりがよいような気がする.今回も明らかになったが,東京の国立大学は相互に相手を選ぶ行動をしており,看板が埼玉の埼大は,なかなか選ばれない.

埼大は何をしているのか?

 今回はまたも,埼大は何をしているのかね?と思わざるを得なかった.
 今回の申請をした大学のうち,東北,関東甲信越の大学を挙げれば,以下となる.

弘前大学,岩手大学,秋田大学,山形大学,茨城大学,宇都宮大学,群馬大学,千葉大学,東京農工大学,東京芸大,お茶大,一橋大,横国大,総合研究大学院大,新潟大,長岡技術科学大,山梨大,信州大

 茨城,宇都宮,群馬が出してなぜ埼大が申請しないのか?
 ハッキリ言って,岩手大学,秋田大学,茨城大学,宇都宮大学,群馬大学あたりは選ばれるはずがない.それでも出しているのは,この時勢に乗り遅れないようにするためである.申請をすることで,今の世間に受け入れるために何が足らないかを学ぶだろう.それをなぜ,埼大がやらないかが不思議でならない.

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国立大学法人法改正

法人法一部改正

 X(旧Twitter)を眺めていたら、京大の職員組合が国立大学法改正に反対と言っている、という情報が流れてきた。別の旧帝大の職員組合も反対声明を出しているらしかった。そうか、国立大学法人法の一部を改正するのか、と思い、念のため改正する部分の中身を文科省サイトで眺めてみた。
 改正の中身で大きいのは、理事が7名以上かつ事業規模が大きい大学を「特定国立大学法人」とし、同法人に「運営方針会議」を設置する、という箇所のようだ。運営方針委員は文科大臣の承認を経て学長が任命する、とある。文科大臣の承認を経る点は、学長に物申す立場であるためだろう。
 運営方針会議は、大学の運営方針を決め、その方針が実行されているかどうかの監督をする機関とされている。ああ、なるほど。これは職員組合なり日共系は嫌がるよな、と妙に納得する。

この改正をどう見るか?

 私は文科省は変な左翼官庁であり、あまり信用はできないと思っている。しかし大学の機構に関する文科省の最近の提案は、気が付く範囲で理に適っていると感じる。この改正は、やらないよりはうやった方がよいだろう。大学の公共性を担保し、大学経営の自律性を確保するには良い方向の改革だろうと直感する。
 現状の大学は、経営と教学、それに労使関係がゴッチャになっている面がある。本来は教学に専念するはずの部局教授会が大学の経営をコントロールしている面があるし、大学経営と労使関係の関係も混ざっている面がある。経営を経営として自立させるには、実効性はやりようと思うが、良いことだろう。
 そもそも職員組合が反対する筋のことではない。改正は大学の経営部分の機構改革だからである。組合には法的に保護された労使関係の枠組みがある。組合には有利に枠組みはできている。その枠組みの範囲で経営側に対すればよいだけなのだ。
 埼大は理事が7名はいないので、対象外と思う。申請すれば対象になれるようだが、まずしないだろう。規模が大きな国立大学だけが対象になるのは、分かるような気がする。研究の産出量で言えば、上位大学の比率が圧倒的に大きい。だから上位大学を何とかしたいと文科省が思うのは当然だろう。
 左翼系メディアは反対の論調をとっている。代表格の朝日新聞は社説で反対している。その中身から論拠を拾ってみよう。
・「他大学も希望により設置できる。どの大学も「希望」するよう有形無形の圧力を受ける危惧もある。」 → 他の大学が希望しても設置できなければ、それはそれで文句を言うのだろう。正直、事業展開ができない中小の大学に、政府は関心はないと思う。
・「会議の委員の人選は文部科学相の承認が必要で、政府の影響が強まる。」 → 学長にものを言える委員が、学長任命だけ、という訳には行かない。
・「大学教職員らからは「学問の自由」「大学の自治」を脅かすと懸念の声が広がる。」 → もともと教学と経営は別であり、学問の自由云々は筋が通らない。政府は「大学の自治」を守るといつも言うのであるが、公共機関の大学を勝手に自治出来てよいはずはない。
・国大協の会長声明 → この点は後述。
・「大学に関する重要事項も審議する中央教育審議会などにも諮られていない。」 → 手続き上の瑕疵にはならない。
・「衆院の委員会に参考人で呼ばれた学長や教授ら全員が最近まで法案を知らなかったと発言。国大協会長さえ、閣議決定まで法文を知らず対処しようがなかったと語る。」 → 既に上位大学に課した枠組みの適用拡大であるから、根回しは不要と思ったのだろう。国会で審議する話である。
・「既に国立大には、財界人ら学外者も含む経営協議会がある。」 → 学長が議長である経営協議会では、学長が委嘱した委員は要望を出すだけであり、強い拘束を与えることはできないことは、私も同協議会に出席して何度も目にしている。経営協議会では埼大の教養教育の充実を何度も指摘したが、大学側は結果として無視してきた。
・「答弁では、文科省からの天下りや出向も否定しなかった。」 → 経営協議会に出席して私が感じたことは、適当な人材を見出すことは難しいことである。文科省天下りを文科省は想定しているだろう。仕方ないのではないか?
・「衆院の付帯決議は、…法文化されなければあてにならない。」 → 付帯決議はそのような扱いだろう。
・「改革の背景には研究力低下への危機感がある。だが次々に施策を立てながら打開できない政府の影響が強まれば、むしろ逆効果ではないか。」 → 研究力強化を願う政府が研究力を抑制する訳がない。

法案の審議経過

 私が上記で職員組合の反対の報を知ったのは、同法案が衆議院で審議されていたときと思う。反対派は随分と初動が遅かったのだろう。既に衆議院は通ったらしい。数日前に参議院にかかったようだ。遅ればせながら、今頃、朝日新聞など左翼系メディアが反対を唱えている。どうなるかは分からない。ヘタレの岸田内閣であるから、人気取りのために変な妥協をする可能性もある。が、通った方が良いだろうと私は思う。

国大協の配慮要請

 国大協がこの法改正に反対しているようなニュースもあった。国大協サイトを眺めてみると、11/24付で「会長声明」が出ていた。声明を出すにはひどくのんびりしていたような気もする。
 この会長声明を見ると改正に反対するのではなく、2点について「政府に特段の配慮を求める」としている。たぶん内部でやり合ってこの表現で収めたのだろう。
 第1点は、運営方針会議の有無で資源配分に差をつけてくれるな、(おそらく)望んで運営方針会議を作る大学にも「特定国立大学法人」の名称を使え、である。第2は、国立大学法人の自主性・自律性を尊重すること、である。第2点については、文科省・政府は国大の自主性、自律性を尊重してますといつも言うから、わざわざ言わないでもよかったろう。だから考慮すべきは第1点である。
 第1点が入ったのは、下位大学は「自分たちは運営方針会議を作りたくない、ついては、運営方針会議に予算でのインセンティヴを付けてくれるな」ということだろう。ただ、運営方針会議を作れば大学のガバナンスの進捗と評価するしかないから、その面でも評価は上げざるを得ないだろう。ただしそれだけによる交付金の上昇は、あっても微々たるもののはずである。どうでもよいことではないか?
 国立大学が心配すべきは、もっと別のことではないか?という気がする。特定国立大学法人になった国立大学だけを、国立の、つまり学長を文科相が任命する国立大学として残す、ということである。いずれ国立大学は「規模縮小」をせざるを得なくなる可能性がある。そのとき、どの大学も一律に定員を減らすと、研究力が高い大学のダメージとなる。そのダメージを緩和する気なら、下位大学を切ってしまう(古い言葉では「第3セクターでやってください」にする)ことは、あり得ることの範囲と考えてよいだろう。 

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また,数理・データサイエンス・AI

 昨年の9月に,このブログで「数理・データサイエンス・AI教育プログラム」の認定(令和3,4年度分認定)に触れた.その折に,東北・関東地方の総合・複合型の国立大学のうち,認定されていないのは埼玉大学だけであることを述べた.

http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2022/09/post-76d720.html

 昨年のその段階で,埼玉大学は同プログラムの認定に遅ればせながら動き出す以外にないだろうと思った.しかし令和5年度分でも埼大はまだ認定されていない.えっ,何考えてんの?と思った.
 あらためて東北・関東の国立大学の認定状況をまとめると,下の表1のごとくである.

231103mathdata 

 令和5年度では都内の3つの国立大学がリテラシーレベルでの認定に漕ぎつけた.6大学が応用基礎レベルの認定を受けた.3大学で部局での認定を追加させた.
 まだ何の認定も無いのは4大学である.このうち,筑波技術大学は入学者が視聴覚障がい者に限られているから,他大学と同じでなくても仕方ないかも知れない.東京芸大も,専任で担当教員を捻出するのは難しいだろう.で,残るは2つの教員養成系大学だけである.この状況を見ると,埼玉大学の実態は教員養成系の大学ですってか?
 情報系の基礎教育をどうするかという問題は,私が退職する直後あたりで揉めていたように伺ったことがある.また,埼大の中期計画を眺めたら,情報系の基礎教育の完成年度をだいぶ遅く設定していたことを覚えている.まだ完成年度ではないんです,ってことかも知れないけれど,世間がデータサイエンスなどと言い出した状況を考えるなら,計画は前倒しするのが当たり前ではないか? 教員の方は訳の分らんことをいうかも知れないが,本部事務方は何かいうのが普通ではないか?

妄想1:埼大で何が起きているのか?

 ここから先は埼大の現時点での内情を私は知らないので,妄想を巡らせるだけである.
 埼大は昔から,「誰が担当するんだ問題」を解決できなかったなぁ,と思い出す.教養教育を実施するにも,実施分の非常勤枠をばら撒いてなんとか実施に漕ぎつけていた.私の見るところ,学士課程の基礎的部分なのだから,専門にも係らず担当すればできるでしょう,と思う.しかしそこが上手くいかない.
 私は日本史の近世を専門にしているから,日本史の通史はどうも,といった具合である.でも日本史で大学院を出たなら,学士課程くらいの授業は持てるでしょう.
 理系もそうね.基礎的な数学,物理,化学など,テキストを使えば,多くの理系教員なら基礎的授業を担当できるはずなのに,やらない.かつて山口学長は,「学士課程で教員の専門性って,何なんだ」と仰っておられたが,私も全くその通りと思う.
 で,結局,こうした担当の内部手配が折り合いがつかず,部局合議制で運営している全学では話が先に進めないんだろうか? いや,あんた,他の大学なら学長が何とかするもんだろう.

妄想2:埼大はLGBTQ+にのめり込むのか?

 SNSのX(旧twitter)を眺めていると,埼玉県はLGBTQ+で逝っちゃっている地方自治体のトップに数えられている.その中心メンバーが埼大の先生であるようにも伺っているので,あるいは埼大は,数理なんちゃらには目もくれず,LGBTQ+一本鎗になっているのか,ということもあるのかも知れないなぁ.
 LGBTQ+って,推進しているのは例外なく政治的な左翼である.で,以前にこのブログで分析したことがあるが,埼大は国立大学の中で左翼の雄だった.そう考えると,すべてを飛ばして埼大がLGBTQ+に賭けている,ということは想像できぬことではない.でも,それやるの?

妄想はともかく

 まだ次年度の申請機会はあって,私大の下の方の大学はその申請準備をしているのが実情なのだ.まあ,埼大も,それなりに今からやるんでしょうね.世間がやることはやっておいたほうが良い.教育の外部資金と異なり,他大学と競争になる訳ではないだろう.
 「数理・データサイエンス・AI教育プログラム」の認定を受けてナンボという訳ではない.実質的には意味はないかも知れない.理系などは,普通にやっていれば同プログラムの教育内容はカヴァーされることが多いだろう.ただ形はあった方が良い.
 また,特に重要なのは文系の部局である.今までは文系の卒業生はホワイトカラーという枠で社会に出て活躍できた.しかし今のままだと文系部局の卒業生は付加価値がないことになりかねない,そういう岐路にあると考えるべきと,私は思う.

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教養学部入試の小論文:R5年は良問

 私はこの何年か,教養学部の後期日程入試の小論文試験の出題をこのブログで論評してきた.今年の夏に埼大サイトを眺めたら令和5年の出題が掲示されていた.問題を眺めると令和5年分は問題ないと思えたので,特にこのブログには書いていなかった.
 ただまあ,何年も続けていたのだから,ちょっと書いてみようかと思って以下に私の感想を恥ずかしながら書いてみる.
 結論を先に書けば,令和5年の後期入試の小論文は良問だった.

提示した文章が適切だった

 この小論文はまず解答者に文章を読ませ,その後で解答を求める形式である.文章は大庭健『善と悪-倫理学への招待』(岩波新書)の本文の一部であるという.文章の大意は,私のまとめ方では次となる.

掲載文章の大意:「いい人生」を送るうえで道徳的であることは一つの考慮点である.確かに,道徳的であることは「いい人生」を送ることを保証するものではない.しかし我々の生は社会的であるため,道徳的であることは生の保持のための安全網となる.

 この大意で分かるように,文章の中身はもっともなことであり,たぶん誰にも異論はない.文体は,悪くいえば格調はないが,平易であって誤解の余地はない.良い選択だったと思う.良いと思えたのは次の理由による.
 第1に,この文章は事実の誤りを指摘される余地がないことである.この数年,この小論文の試験は社会ネタを扱っていた.社会ネタだと世の中についての「事実」をある程度書くことになる.だから記載した事実が誤りであると指摘されるリスクがあった.実際,私は,問題の文章中に記載された事実について何度か疑問を抱いた.しかし令和5年の文章は最初から最後まで「意見」の記述である.意見であれば,著者がそう思えばよいのであるから,誤りになることはない.
 第2に,令和5年の文章の中身は政治的な立場に中立である.この何年か,この小論文入試では社会ネタの文章を出していたが,著者の立場は明らかに左翼だった.政治的な立場は持ち込まない方が無難である.馬鹿に見えるから.
 第3に,令和5年の文章は,特定の方向性を読む者に示唆するものではない.だからこの文章を読んでも,解答者は特定の方向での解答を求められたと感ずることはまずなく,受験者の自由な論述を引き出すのに都合がよかっただろう.

私が解答者なら困る点

 ただ,もし私が解答者であれば,この問題への解答中に次の点を悩んだと思う.

 第1に,「道徳」とは何か? 出題の文章中には道徳の定義は出て来ない.
 社会学や社会心理学では,基礎概念として「道徳」という言葉は使わない.近い概念でよく使うのが「規範」である.ネットの国語辞書を見ると,道徳に次のような解説を載せていた.

道徳:社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。

 ここにいう「行為の規準」とはたぶん「規範」と言い換えてよいだろう.ただ規範が道徳と同じかどうかはハッキリしない.社会心理学だと,規範の定義は,その順守に向けた「社会的圧力」があることだけが要件になっている.例えば「嘘をつかない」ことは道徳と言ってもよいし,規範と言ってもよいだろう.しかし社会心理学の規範の定義からすると,ある種の集団で自民党(あるいは共産党)に投票することも,集団内の規範になり得る.特定の政党に投票することなどは,上記の道徳の説明中の「自分の良心によって」というニュアンスはないように思う.社会的圧力による規範は,「良心」といった内面的価値の裏付けがあるとは限らないのである.
 入試問題の文章中で道徳に反することとして例示されたのは「放蕩・無頼」の行為をすること,具体的には「酒食と麻薬に溺れ」ることである.酒食と麻薬に溺れることは確かに「常軌を逸している」,「愚かだ」とは言えるし,溺れることで他人から金を無心したり扶養すべき人を遺棄するなら「道徳に反する」と言えると思う.が,単にひとりで溺れて勝手に自滅する場合も不道徳か? 私には自信がない.
 要するに道徳とは何かをもう少し文章中で特定してくれないと,解答するときに使う(不)道徳事例を提示するのが難しくなるように思える.

 第2に,私が上で書いた文章の大意がその通りとしか思えないだけに,その大意の通りです,という以外の答案を書くことが難しいように思えた.ということは解答者が自己の才覚を示す機会を解答の中に織り込むことが難しい.
 この点で,志賀直哉の文章を提示した初代の小論文問題は優れていた.志賀直哉の文章は,日本では日本語を止めてフランス語にしましょうという荒唐無稽な主張である.解答者が「その通り」と解答する可能性は低い.突っ込みどころが多いので,いろんな解答の仕方が自然と用意されることになる.解答者は日本人が日本語を使うことの意義を述べても良いし,フランス語でなく英語でしょうと書いても良い.

 何れにせよ,令和5年の小論文問題は,ここ数年の問題に比べて良問だと思う.次年度以降はどうであろうか?

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地域中核大学イノベーションなんちゃら

 先日,「地域中核大学イノベーション創出環境強化事業」の選定大学を内閣府が公表した.この事業は国際卓越研究大学の選定対象になるような上位大学より「下」の下位大学を対象とした「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」に由来する事業と思う.分かりやすく「地方大学」というのではなく,「地域中核大学」といっておだてて頑張りなさいという企画というべきなのだろう.「イノベーション」と付くのは何年か前から骨太の方針にイノベーションの語が多用されるようになったことに対応するだろう.簡単にいえば,下位の大学は地域の産業振興,特にイノベーションを担うように頑張れ,ということである.
 どれどれと思って選定大学を眺めてみた.眺めてみたのは埼玉大学も対象であるはずだからである.残念ながら埼玉大学の名前はなかった.

選定大学(令和4,5年度)

 令和4,5年度に「地域中核大学イノベーション創出環境強化事業」に選定された大学を表1にまとめた.

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 私立大で立命館だけが入っている.立命館の計画を見るとあまり良くないように見えるが,私大を一切入れないのはまずいという判断だったかも知れない.「地域中核」で動くのは,どうしてもその方向でせかされている国立大であるから,私大は候補にはなり難かったろう.
 公立大学では2つの大学が選定された.どちらも公立大学として規模が大きく,大阪公立大は地域中核を担える基盤を十分に持っている.兵庫県立大学は学部,研究科としては分野が文系中心に見えるが,付属の理系,医系施設があるようなので,産業とのつなぎも可能なのだろう.両方とも東京都立大とは違っている.
 中心である国立大学の設定校を見ると,やはり地域連携に長きに渡って力を入れて来た大学が選ばれているように思う.東北なら弘前と山形と言うのは,直感的にうなずける.面白いのは埼大を含めて北関東の大学が入っていないことだろう.埼大はともかく,群馬,宇都宮,茨大は地域連携により特化して来てもよさそうに思うが,意外とそうではなかった.
 千葉大はさすがに,狙った獲物は外さない.
 内閣府のページに掲載されていた計画書を眺めてみると,評価が良かった大学,例えば豊橋技術科学大学や九州工業大学は,これまで多くの実績を積み上げてきた大学であるという印象を持つ.実績に対して評価を与えるというのがこの事業の選定だったのではないか,という気がする.
 上位大学でない大学,より正確にいえば重点支援形態が①,②の大学は,ここで選定される実態があれば次への飛躍の機会があるのかな,という気がする.現在の大学支援のあり方を考えると,上位大学に入っていなければ,政権が代わっても同じ方向性が求められるように思える.地域中核であっても強い研究拠点を持てれば,上は狙えるだろう.

国立大学イノベーション創出環境強化事業(令和元,2,3年度)

 内閣府のページを観ていると,上記の事業は令和元年から3年度までの「国立大学イノベーション創出環境強化事業」の後継事業であることが分かってきた.令和元年からの事業は国立大学支援の事業であるが,令和4年に「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」が出来てから,公立大,私立大を含めた形で「地域中核大学イノベーション創出環境強化事業」に衣替えしたようだ.令和元年からの事業での選定大学を表2でまとめた.国際卓越研究大学を狙うような大学は令和4年度からの事業からは抜けたようである.

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 表2にはお茶の水大学が入っていることが面白いと思うだろうか? 産業との連携をうたうこの事業でお茶大が入っているのは意外に見えるかも知れない.が,ご存じの方はご存じのように,お茶大は近々,工学部(共創工学部)を作る.お茶大を選定したのは,そのご祝儀のようなものかも知れない.
 お茶大の工学部はお茶大が持っているリベラルアーツの要素を取り入れた工学部のようである.この目の付けどころは,実は埼大が持つべきだったろう.特に教養学部は,その学部特性からすればどの方向にも行けるのだから,教養学部が中心に話を進めても良かった.埼大に立案者はいないのか?

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国際卓越研究大学第一候補が東北大:良い選択かも

 本日になって国際卓越研究大学の第1候補に東北大が選ばれたというニュースが流れた.へぇ~と思った.
 7月の段階で候補は東大,京大,東北大の3大学に絞られた,というニュースが流れていた.同時に,今年選ばれるのは1大学だけ,という観測が流れていた.だから東北大がまず最初に国際卓越研究大学になる,ということと思う.
 むろん,研究実績や得意分野の保持状況を見ると,やはり東大が第1,京大が第2と私は思っていた.だから東北大になってやや意外な感じもあった.

 文科省サイトを調べたが,まだこの件では文科省は特に言及していない.選定理由の開示はまだないのだろう.
 ただ,考えてみると東北大の選択は合理的なのだろう,という気がして来た.正確な情報に基づく根拠は何もない,ただの私の妄想であるが,念のために以下に書いておく.

 第1に,東大や京大にしたなら,あまりに出来レース的で,観客は白けるだろうな,と思う.
 第2に,東北大にはまだ伸びしろがある,ここに投資するのが合理的,という判断があるかも知れない.THEの大学ランキングを見ると,東大は,あまり高くはないが良い順位を持ち,京大がやや下がった順位に位置する.第3は東北大なのだが,かなり下がるのである.割と上位に日本の大学を3大学入れようとするなら,東北大を後押しするのが一番早道かも知れないのである.東大,京大の場合,基金で後押ししても効果はそれほどないかも知れない.
 第3に,申請大学は今後力を入れる領域を書いているはずだが,東北大は(私の素人目で)政府が確保しておきたそうな分野を書いていたような気がする.
 第4に,大学のガバナンスを考えたとき,東大や京大を選ぶことにはためらいがあるかも知れないな,という気もする.東大も京大も,教員による学長選挙をやるだろう.学長選挙は大学内の談合を助長し,トップの権限を抑制する方向に働く.東大も京大も左翼が強いから大学のガバナンスを確保する点では弱みがある.対して東北大は,かなり前に学長(総長)選挙を止めている.学長選挙を止めたといっても学内の意向を入れる仕組みは東北大学にもあるけれど,学長選挙がない分だけトップによるガバナンスは保ちやすいだろう.東大や京大がガバナンスの担保に申請段階でどれだけ踏み込めたか,という問題でもある.
 第5に,お金を落とすなら東北地方,という判断は仕方ないだろう.東京や関西圏でこの程度のお金を落としても地域には大した恩恵にならないかも知れないが,東北は同じではない.波及効果を考えれば,落とせるものなら東北地方の方が良いと私なら考える.

 と,まあ,何の根拠もなく勝手な想像を書き連ねてみた.私的偏見では,東北大学がまず選ばれたことは歓迎すべきことのように思えた.

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宇都宮大のデータサイエンス経営学部

 宇都宮大学がデータサイエンス経営学部を新設するというニュースが流れた.宇都宮大学は教育学部を共同学部にして地域デザイン学部を作って間もないので,今は動きをしばらく止めるかと思ったが,止めなかった.学生定員は既存学部から少しずつ集めて作るようで,当然,小さい学部である.他学部には迷惑だったろう.現在,設置申請中のようであるが,2024年4月開設予定とあるから,設置審は通ると文科省から言われれると思う.
 データサイエンスを歌っていて,文系と理系の枠を取り払っている(正確には入り口を2様にしている)という点で,文科省の推奨そのまんまである.文科省が止める訳がない.
 埼玉大学が「エルジービーティー,キュウー」などと馬鹿言っている間に,宇都宮大学は正道で話を詰めていたことになる.この違いは何なのか,とは今さら言わない.
 宇大のサイトを見る限り,詳しい情報は出ていない.大まかに授業科目が出ている程度である.
 この情報を見る限り,「数理・AI・データサイエンス」という点では,あまり強力ではない.学位名が「学士(経営情報学)」となっているので,プロトタイプは私大の経営情報学部ないし経営工学部だろう.群馬大の情報学部に近い.この程度なら文系学生でも学べる.気の利いた経営学部程度のように思う.
 それでも,宇大は「データサイエンス」を表に出した.それだけでも大きい.転機が来れば地方国大は学部を淘汰させるかも知れないが,生き残れる学部の選択肢を提示しておくことは大事なことである.

 埼大も現在,何か良い計画を進行させているのだろうか? 他大学が動くたびに,埼大の選択肢は小さくなって行く.

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国際卓越研究大学を巡る退屈な展開

名前が出た3大学

 国際卓越研究大学については,現在は選定の作業中であることになっている.しかし6月頃ニュースを見ていたら東大,京大,東北大の3大学に絞られたようなことが書いてあった.念のため文科省サイトを見てみたが,選定が進んだという記載は見つからなかった.ニュースをよく読むと,単にその3大学に関係者が視察に行ったというだけであり,今後他の大学を視察することがないとは言えない.だから今の段階で選定が進んだという事実はないのだと思う.
 とはいえ,私がこのブログの今年4月5日の記載で書いたことだが,従来の実績から3大学を選ぶなら,東大,京大,東北大以外は考えにくい.だから私が見た,先走りしたニュースは,結果としてその通りになる可能性が高いだろう.ほぼ決まっていることであるから,面白くも何ともない.
 しかも,NHKのニュースでは,これから秋にかけて1~2大学に絞って国際卓越研究大学を決めるという.1~2大学とは,最初の予想よりだいぶ渋い話になってしまった.
 この候補数であれば選ばれる大学は決まっているようなものである.1大学なら東大だけ,2大学なら東大と京大,3大学ならさらに東北大が入るに決まっている.どの大学が入るか注目してよいのは,選ばれる大学数が10に近づいた時である.
 という訳で,どこが選定されるかは退屈な話なのである.

ファンドの使い方の退屈さ

 退屈なのは選定される大学名だけではない.少し前に高橋洋一氏へのインタヴューの動画があった.実は10兆円ファンドは安倍内閣の末期に決まったことであり,同ファンドを安倍さんに推したのは高橋氏であったらしい.ただ,このファンドの運用は高橋氏らが関与していたときと現在では全く発想が変わったという.
 10兆円ファンドは現在,運用益を国際卓越研究大学に配分する想定になっている.10兆円の運用であるから運用益は大体年3%として,平均的に年3000億円を配分することになる.
 しかし安倍内閣での想定では,このファンドは取り崩しのファンドであり,ファンドを取り崩して配分し,なくなったらまたお金を集める,という考えだったと高橋氏はいう.10兆円を10年で使い切ると考えれば,年間の配分額は1兆円であり,金額は現状の想定の3倍超である.そのくらい配分すれば多くの大学が恩恵を受ける可能性があるが,現状の想定だと大学数を限って重点配分する,ということにしかならない.ごく一部の大学を潤すことで日本全体の研究の活性化があるのだろうか?
 しかも,10兆円ファンドが決まった頃に高橋氏が言っていたことを思い起こすと,当時は,研究を選択せずにお金をばら撒く,という考えだったはずなのだ.なぜなら,芽の出る研究は事前には分からないのだから,ともかくばら撒くことが重要と言っていたのである.
 もし,当初のように10兆円ファンドを取り崩しで運用すれば,埼玉大学などの研究にもお金が回る可能性はあったかも知れない.現状のやり方によれば,東大などの研究を分担して初めてお金が回って来る,ということでしかない.
 少し前の日経の記事で,前年度はこの10兆円ファンドの運用で604億円の赤字が出たことが書いてあった.この赤字は10兆円の0.6%に過ぎないから,大したニュースではない.そもそも運用益とは,利益が出ることも損失が出ることもあり,長い目で見れば一定期間で何らかのプラスが出るだろう,という話である.毎年決まった運用益が出ると期待すべきではない.
 しかしそんな運用益でお金を配分することがそもそもできる話だったのか,という疑問も残る.今年は運用益が出なかったから配分なし,と言われても大学が困るだろう.どうするのだろうか?

 どこの大学が選ばれるかということだけではなく,ファンドの運用そのものが非常に退屈な展開にしかなりそうにない.そして特定の所だけに金が回るという奇妙な状況が生まれてしまうのだろう.

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骨太の方針における「大学」が軽い

今年の骨太の方針

 「経済財政運営と改革の基本方針2023」(いわゆる骨太の方針2023)が2023/6/16の日付で閣議決定された.毎年,このブログではこの時期に決まる骨太の方針で「大学」がどのような扱いになっているかを書いてきた.惰性で今年も少し骨太の方針に触れてみたい.
 私の感想であるが,安倍内閣時代の骨太の方針は分かりやすかった.骨太の方針は経済財政中心の方針であり,安倍内閣が普通の経済学の考えに基づく世界標準的な経済政策を採っていたから,方針の全体構造が分かりやすかったのである.しかし岸田内閣では普通の経済学の考え方に基づかないので,話が分かりにくくなった印象がある.岸田内閣では役所から上がって来る「今やる予定のこと」を集めるだけのようになるので,内閣としての方針は目立たない.岸博幸氏(慶應)によれば,岸田内閣の「新しい資本主義」は民主党政権がやろうとしたことと同じであり,上手くいった試しが世界にない,ということらしい.民主党政権と同じかどうかは私には分からないが,少なくとも説得的でないことを言っているなという印象は私も持つ.

大学への言及が減った

 骨太の方針における「大学」の扱いも,安倍政権時とはかなり違っているという印象を私は抱く.安倍政権では大学,および(基礎研究を含めた)大学での研究(ただし理系)を経済成長の原動力と位置付ける書き方をよくしていた.それを見ながら,私は国立大学も悪いようにはならないだろうと思ったものである.しかし,岸田政権になってからは,大学を語る姿勢に熱がないように感じている.
 参考として,今年2023の骨太の方針文書と,2018,2020年(ともに第4次安倍内閣)のそれとで比較してみた.3つの方針文書の頁数と特定の語の出現頻度を表にした.
 まず「大学」の語の出現頻度は安倍内閣の頃より今年の文書で少ないのが分かる.(ただし昨年よりは今年は増えている.)2018年の骨太の方針が頁数が多いことを勘案しても,「大学」への言及は減っている.
 私が骨太の方針を眺めた印象では,大学への言及回数が減っただけでなく,大学への政府の視線も熱がないように感じる.大学について書いてあるのは昨年度までの骨太の方針に書いてある記載とほとんど変わらず,大学への言及は別テーマに中に散らばっているように思う.何となく熱がない.

表:骨太の方針での単語出現数

年度 総ページ数 「大学」出現数 「研究」出現数 「イノベーション」出現数 「スタートアップ」出現数 「リカレント」出現数
2018 72 110 45 36 0 13
2020 37 41 51 30 6 4
2023 45 28 68 26 32 0


スタートアップへの言及が画期的に増えた

 「イノベーション」という語の頻度は,表では若干下がっているようにも見えるが,大勢としては変わっていないと見るべきだろう.安倍内閣の頃と変わったのは「スタートアップ」への言及が画期的に増えたことである.対して,これまで多く語られていた「リカレント(教育)」の出現頻度が減っている.安倍内閣の時にはリカレント教育を大学を中心に担うことを述べていた.しかし岸田内閣では重点がスタートアップ,つまり起業に置かれ,そのスタートアップにおいて大学が役割を果たすことを期待するようになったように見える.
 むろん,この変化は単に,リカレント教育体制の整備は安倍内閣の頃までに進み,新たな機能としてスタートアップが顕著に意識されるようになった,と見るべきかも知れない.実際,スタートアップに係る予算申請の公募が今は多いはずであり,埼玉大学もその申請の準備をしているのだろうと思う.

日本学術会議への言及

 今年の骨太の方針で私が唯一注目したのは日本学術会議への言及が付け足したように一文だけ書いてあったことである.以下の文である.

日本学術会議の見直しについては、これまでの経緯を踏まえ、国から独立した法人とする案等を俎上に載せて議論し、早期に結論を得る。

 この文は,自民党の学術会議に関するPTで出たと報道があった意見と同じである.この文を素直に解すれば,デフォールトの案が民営化案であるように読める.「これまでの経緯を踏まえ」とは,2000年代の省庁再編時に学術会議を民営化する考えがあったことにも遡るだろう.今年に入って,政府は学術会議に融和的な案を提示し,拒否された.高橋洋一氏が語るところによれば,もともと自民党内部では民営化案が強かったが,担当者が日和る人だったので融和的な案にして提示し,拒否された,という展開だったらしい.たぶん今後,首相がまた弱気にならなければ,民営化案を政府が決める可能性が最も高いように私には思える.

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埼玉県のトイレ・更衣室と埼玉大学

ジェンダーレストイレ

 LGBTQAI…+の話題が出るようになってから,耳目を引いたのが例の歌舞伎町タワー2階のジェンダーレストイレだった.ネットを観ていると「なんか変なんじゃないの?」という観測を多く目にした.と同時に,東京都内の公園で,男子小便用トイレと男女が使えるジェンダーレストイレの組み合わせトイレが多くなったらしい.そのトイレの外観写真がツイッターなどに投稿されるようになった.これでは女性はどうするの?という懸念が広がった.
 このジェンダーレストイレとLGBTQとがどのような関係があるのかは私はフォローしておらず,よく分からない.ただ,身体が男の女性自認のTの方が,多目的トイレでは嫌だ,女トイレに行かせろと裁判をしており,最高裁判決を待っている状態である,という話は聞いていた.この女性自認の身体男性の方を満足させるにはジェンダーレストイレである必要があるということかな,と思った.

埼玉県への注目

 その後,4月の後半と思うが,ツイッター上で「埼玉県がとんでもないことになっている」「狂気の沙汰」という話題が流れた.埼玉県の施設では(県の施設限定の話と思うが),トイレと更衣室はすべてジェンダーレスにする,女子トイレはなくなる,という風聞である.
 この件ではマスコミが埼玉県の大野知事にインタヴューした記事が載った.大野知事はやみくもに女子トイレを減らすことはない,と回答したとニュースにはあった.ただそうでもないという風聞もあり,よく分からない.
 暇に任せて埼玉県サイトに入ってみた.いろんな公文書が出ており,実際にどうなのかは簡単には把握できない.最も関係しそうなのが「性の多様性への合理的な配慮に係るトイレ設置の考え方」というページだった.まず既存の施設については,「可能な限り性別に関わらず利用できるエリア(トイレ,更衣室など)を設ける,とある.既存の設備とは,通常は男子トイレと女性トイレのスペースしかないから,片方を男小便用トイレ,もう片方をジェンダーレストイレにする,ということのように思える.新設・改修する施設については,「性別に関わらず使用できるトイレや更衣室などの設置を検討する」,詳細は状況判断,という書き方だった.だから基本は,できる限り,既存施設と同じようにジェンダーレスのトイレ・更衣室を作る,という意味にとれる.
 つまり,噂はその通りだったようだ.この件は男性には何ら不利益変更ではないが,女性にとっては嬉しくない変化になる.
 埼玉県はあくまで県の施設に限ってのことという.しかし県がジェンダーレストイレに走れば,市町村や民間もたぶん追随するだろう.
 その後,GWの連休明けに,埼玉県のある介護施設でトイレと更衣室が突如男女共用,つまりジェンダーレスになり,困惑した職員が5名辞めた,という情報がツイッターに流れた.その真偽は確認しようもないが,情報提供した元職員へのインタヴュー動画もツイッター上で流れた.LGBTに批判的な方からは狂気の沙汰という感想が表明された.なお,ジェンダーレスのトイレ・更衣室を作った施設には大野知事からお褒めの電話があったという話がそのインタヴューで語られたというが,そんな連絡はしていないと大野知事はツイッターで抗議している.大野知事のお褒めの電話は,尾ひれのついた話だったのだろう.
 かくしてネット上では,埼玉県はLGBT最先端自治体,という受けとめになった.

ジェンダーレスのイデオロギー

 突如出現したトイレや更衣室のジェンダーレス化は,ある意味では大きな変化であるように思える.トイレ・更衣室が男女共用になれば,男は構わないが女は普通嫌がる.長いこと,日本では女性を有利化する施策をとってきたように思う.表面的に目立つ事例は,都会の通勤電車で女性専用車両が出来たことだろう.私は別に反対ではないが,かなり女性優遇だと不満をいう男性もいた.それが突然,女性を不利化する選択が出現したのである.
 身体も性自認も女性である人は,日本の人口の中で最大の集団である(出生数では女より男が若干高いが,女の方が寿命が長いので,全体の人口では女が男を上回る).その最大集団たる女性が,人口がどれほどか分からぬ女性自認の身体男性Tの要望のために,突如としてトイレと更衣室で不利な立場に追いやられた格好なのである.一連の女性有利化の施策の歴史を考えると,私には驚きがった.
 トイレ・更衣室をジェンダーレスにする,ということは,LGBTとの関連もあるだろうが,思想上の好みの問題という色彩が強いと私は思う.私もベルリンの壁崩壊までは心情左翼(つまり政治行動はしない左翼)であり,その考えに染まっていたからである.
 左翼思想からすると男女の区別自体が嫌悪の対象になる.区別があるから差別がある,と思考する.だから服装にせよ行動にせよ,左翼はジェンダーレスを好む.1位になるのはほぼ男子,というジェンダーレス徒競走の話も時折流れてくる.
 昔の教養学部の先生方のように伝統的な文化を好む方々は,男女の区別の存在は文化の重要な要素であるから,男女の区別を肯定する.だから,教養学部の先生方は,昔はあまり左翼ではなかった.

LGBT最先端自治体となった埼玉県

 埼玉県はLGBTQ…の志向では最先端というか,最も逝っちゃっている県だと,ネット上では思われているフシがある.現実にどうかという資料はないのであるが,拙宅の近くにある小学校なども,小学校便りなどを見ると以前からLGBTQイケイケになっている.
 なぜこうなったかと考えて「もしや」と思いついた.埼玉県性の多様性に関する施策推進会議の委員名簿をネットで検索し確認してみた.ああ,と思った.委員長は,埼玉大学の某副学長殿だった.委員にはfair代表理事の松岡宗嗣氏や,遠藤まめた氏,埼大基盤教育センターの某准教授などが入っておられる.このメンバーだと行くところまで行くだろう,と思えて妙に納得した.たぶん大野知事がどうのという話では既にないだろう.
 ということは,埼玉県では,後で後悔する子供が出ると懸念する者もいる性自認教育などに突き進むかも知れない.表面的にいうと,県内施設のトイレと更衣室を埼玉大学が席巻してゆくことになるんだろうな,と予想できてしまう.
 観たくない光景だ.

埼玉大学のあり様

 以前から気になっていたのは,地方国立大学にはほぼ必ず教育学部がある点である.教育学部は今の情勢からいえば分が悪い.半面,教育学部は,一般論として,衰退を傍観するほど柔な部局ではない.私の在職中の感覚からすると,自らの存在感を確保する手を打つだろう.
 その点で私が退職する頃から嫌な感じがしていたのが,ダイヴァーシティに関する補助金を埼大がもらい,当時の山口学長が舞い上がっていたことである.実際,あの頃は教育関係の補助金の申請がいろいろあり,千葉大などはほぼ全勝だったが埼大はほぼ全敗だった(明らかに全学の方針が悪かった).そんな中でもらった補助金だったから,山口学長はやたらとダイヴァーシティがどうのと仰るようになっていた.
 たぶんその雰囲気が持続しているのだろう.以前眺めたところ,埼大の主要な方針になぜかダイヴァーシティが入っていて,アレっと思ったことがある.
 要するに埼大自体が学内政治の帰結としてダイヴァーシティに取り組みます,の流れになっていて,その流れが埼玉県に波及しているのかなぁ,という推測をしてしまう.
 ダイヴァーシティといっても女性ナンチャラは一通り終わっているので,しばらくはLGBTQ…になるのだろう.だから埼大のトイレや更衣室などは既にジェンダーレスになっているのかも知れない.そして埼大がジェンダーレス化運動で埼玉県を席巻して行くのかも知れない.
 LGBTQとかジェンダーレス化で先頭に立てば,まあ10年くらいの間は公金チューチューで役得が生まれるのかも知れない.良いかどうかは趣味の問題だろう.
 しかしこのLGBTQとかで,埼大としては将来のために投資すべき「数理・データサイエンス・AI」の基盤強化を流している.教員は甘ちゃんだから仕方ないかも知れないが,本部事務方は何も考えなかったのか,という思いが残る.

 ついでに書けば,LGBTQイケイケはグローバルに示せるものではない点は注意を要するだろう.最近,マレーシア政府がレインボーカラーのスウォッチを押収したというニュースがあった.イスラム教や伝統的キリスト教などが強いアジア,中東,アフリカ,一部欧州などでLGBTQはタブーになったり犯罪になっている.埼大でもイスラム教の留学生は多いはずである.イスラムなどの留学生がいる,あるいはそうした国と交流する一方で,LGBTQイケイケ運動を展開することを調和させるには,工夫が要るかも知れない.

教養学部はどうなるのかな?

 埼玉大学でLGBT旋風が吹き荒れるとして(知らんけどw),教養学部(正確には人社研の教養学部部分)がどうなるかね,という点がふと頭をよぎった.なぜかというと,2000年の前後に教育学部との経緯があったからである.この件はこのブログで以前触れたことがある.
 教育学部を二分してその一方に教養学部を吸収するという提案が,水面下であった.私と関口先生がその話を受けたと思う.むろん私たちは反発した.
 教育学部は分野構成からして,教養学部を自らの外局のように位置づける傾向が,少なくとも当時はあった.教育学部側の構想は,私に言わせればゼロ免課程の学部を作るようなものだった.対して私はディシプリン中心の体制を主張した(文学部風).当時,私は教養学部の専修体制の設計もしていたので,ディシプリン中心という考え方は専修体制の理念の中に埋め込んでいる.専修ごとに段階別の科目群,特に方法論の科目群を入れたのもその発想の結果である.
 ただ,私がそのように考えたのは,教養学部の古い(私が着任した当時の)発想を継承していたからだろう.教養学部の古い発想を維持したのは,私が最後の教員だと思う.
 1つの関連する要素は,教養学部は文系学部としては例外的に左翼色が少なかったことである.理由は分からない.ただ,90年代に教養部からの分属があった辺りから様変わりした.私が退職する頃にはだいぶ左に寄った.今,教養学部の教員リストを見ると,私が退職した時点より左傾化していると思う.
 左翼色が出ると教育学部の発想と共鳴することが多いだろうな,と直感的に思う.この点は不思議なのだが,経済学部は教育学部のやることには昔から覚めているから,経済学部が教育学部に共鳴することは少ないように思う.
 今の時点で,埼大にLGBT旋風があると,教養学部は持っていかれるかな,という懸念を若干抱く.それでパッピィなら構わないのだが,教養学部がどのようにするのかな,という点はやや興味を覚える点ではありますな.

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千葉大が情報・データサイエンス学部/学府

千葉大の動き

 千葉大が新たに情報・データサイエンス学部/学府を設置するとこの4/24に公表した.次年度2024年4月からの開設予定である.設置の認可はこれからであるが,公表しているということは文科省が認めているはずである.若干の計画変更はあっても予定通り開設されるはずだ.
 確認はできないが,この時期であるから「成長分野をけん引する大学・高専の機能強化に向けた基金」のスキームに乗っているかも知れない.もしそうなら財政支援が受けられる.
 千葉大はこのところ静かだな,と思っていたらこの計画を進めていたのだ.
 
どう評価するか?

 千葉大サイトの大まかな記載を眺めただけだと,この企画はショボいという印象を持った.素人がいえる立場にはないが,中身的には特に新しいとは思えない.滋賀大がデータサイエンス学部を作ったときのような新鮮さが,今の時点では感じられない.既存の情報系の分野を「寄せて」作っただけのように見える.経済学などの分野から若干の人の移動はあるかも知れないが,定員は当該分野の定員を切れの良いところで移しただけのように思える.学生定員で文系からの転換分がないとすれば,文科省的にはそれほど有難くないかも知れない.
 アピールになるかも知れないのは,千葉大の他分野との連携が研究上も人材育成でも期待できそうな印象を与える点である.旧帝大を除けば千葉大は最も多くの分野の部局を持った国立大学であり,その強みが活かせる.
 それでも,当該分野の部局を作ったことの意味は対外的に大きい.部局を作ることは,その分野で大学として名乗りを上げることだからである.
 近くでは少し前に群馬大学が情報学部を作った.今度の千葉大に続き,総合・複合型の国立大学は,どこが同じようにこの分野の新部局を作っても不思議はない.需要の見込みも大きい.

埼大はどうすんの?

 千葉大のこの計画を知ったとき,私が最初に思ったのは「埼大も何年か前に出来たことだよな」という感想である.埼大は,千葉大の情報・データサイエンス学部設置と同じことをする機会が過去に3度あった.何れも見逃した.他大学が同じような学部を持つ度に,埼大の顔は古ぼけたものになって行く.
 埼大はなぜ機会を活かせないのか? この点は退職した私には分かりにくい.実際に在職していないと感覚がつかめない.ただ,私の在職中の記憶からいうと,次のことがいえそうに思う.
 第1に,中心となるべき理工分野を含めて,先生方の関心は安穏に余生を送ることであり,現状の変更を嫌う点である.まあ,どこの大学も同じかも知れないが,普通は執行部で頑張る人が出る.
 第2に,少なくともこの30年間,将来計画を必死に考えてきたのは教育学部であり,かつての加藤理事のような方でもない限り,普通の教員は教育学部には勝てないことである.教育学部の発想に従うなら成長軌道には乗れない.
 むろん,埼玉大学は今のままでもひどいことにはならないだろう.だからそれでよいとも言える.ただ,職場環境がジョブ型に移行してゆくと,特に文系の卒業生は労働市場で売れなくなるかも知れない.学生定員は減らして行くことになるのかな?

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国際卓越研究大学への申請

 国際卓越研究大学への申請の期限はこの3月末だったと思う.昨日(4/4),10大学が申請したというメディア報道があった.文科省サイトを見ると,申請した10大学名を記したパワポファイルを公表してた.
 この件について私に特段の知見があるでもなく,既にいろんなメディアが詳しく報じているので,私が書くべきことなど,ない.が,茶話として感想を書いてみたい.

 昨年の12月初めに,日経が国際卓越研究大学への申請を考えているのは44大学,というニュースを流した.44大学とはやけに多いな,と思った.44大学ということは,相当数の私大が関心を示したのかも知れない,と思った.
 申請したのは,国立大学では東北大学,筑波大学,東京大学,東京科学大学(東工大+東京医科歯科大),名古屋大学,京都大学,大阪大学,九州大学,の8大学である.番狂わせは無かった.何れも指定大学法人である.国際卓越研究大学は指定国立大学法人の延長であるから,そうならざるを得ない.まだ設置もされていない東京科学大学の申請が受け付けられるとは思わなかったが,通らないことを承知の前倒しの申請なのだろう.早くから申請への意欲を示した東京農工大の申請は無かった.
 私大では最も有力と私が思っていた慶應の申請が無かった.いろいろ意欲がある(悪く言えば欲が深い)早稲田が申請している.東京理科大が申請したのは,可能性はほぼないけれど,不思議ではない.

 採択が決まるのは秋らしい.申請した大学は採択大学の決定まで,長い半年を闘うことになるのだろう.
 採択されるのは3~5大学だろうと私は思う.今回は3大学程度の可能性が高いと思う.最初に多くの大学を採択することはないように文科省は述べていた.また,元のファンドの運用も順調でないらしいので,採択大学を7~8まで増やすとしても,後のことになるだろう.
 これまでの研究実績からすると,採択されるのは次だろうと私は思う.

3大学の場合:東大,京大,東北大
4大学の場合:東大,京大,東北大,名古屋大
5大学の場合:東大,京大,東北大,名古屋大,阪大

 採択は文科省を舞台に行われるとはいえ,もともと内閣府主導の構想であるから,上山隆大氏-内閣府中心に決まるだろう.その方が良い.

 申請する上で難題は多いのであるが,一番の問題は大学独自基金の拡充と収益化のところだろうと私は思う.外部資金の多い東大でさえもうまくやれている訳ではない.どうやるのか?
 このように特定の少数の大学に資金を集中的に投下するのが賢明なのかどうか,という問題はあるように思うが,その点はあまり議論されないのが不思議である.政府系ファンドの運用は必ずしも上手くいかないのであるが,今回は大丈夫なのか,という問題もある.

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創発的研究支援事業(2022年度分)

 JSTが募集をした創発的研究支援事業の2022年度分(3回目)の採択結果が既に公表されている.理系の若手を対象に,ある程度長期的に研究支援をするというプログラムである.過去2回分の採択結果についてはこのブログで取り上げていた.
2020年度 http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2021/02/post-642227.html
2021年度 http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2021/12/post-123214.html
 審査を経て採択されれば恩恵は大きいから競争率は高い.
 私がこの採択結果に興味があるのは,将来性のある評価の高い研究がどの大学で生まれているかの指標となるからである.むろん,このプログラムの審査は公平なのかどうかは何ともいえない.どうしても上位大学に有利なバイアスはかかるだろう.そうしたバイアスの可能性を飲み込んだうえで,それでも若手の研究のポテンシャルがどこにあるかを表すのはこの採択結果であろうと私は思う.
 結論を先にいうと,この3回目の採択結果も,過去2回の採択結果と同じようであるといえる.むろん個々の大学の成績の変動はある程度存在している.

成績上位大学:2022年度分

 採択されたのは263のプロジェクトである.下表に採択数上位機関をまとめた.例年より京大が頑張り,東大と京大が最多採択のツートップになっている.上位には指定国立大学法人,次に支援類型が③の大学(世界型)が並ぶ.このところ威勢が良い東京農工大も結果を残している.研究機関では理研が採択数を伸ばした.順天堂大学が慶應を抜いて私大の最多だった.地方国立大学では愛媛大学が頑張った.規模の小さい沖縄科学技術大学院大学が上位に食い込んできた.

          表1:採択数上位機関(2022年度分)

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機関類型ごとのシェア:2022年度分

 機関の類型ごとに採択数を集計した.まず指定国立大学法人(一橋大学を除く9国立大学,一橋はゼロ)の採択数は全採択数のちょうど半分である.その他の支援類型③の7大学(千葉大,神戸大など)とその他の国立大学(埼玉大学を含む)を合わせた国立大学全体では,全採択数の3/4を占める.数の多い私大は全体の10%,公立大は意外にも2%程度に過ぎない.この点から考えて,少なくとも理系分野の研究のほとんどは国立大学が担っている格好になっている.この結果は政府に対する国立大学の交渉力の基盤になるだろう.

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     図1:機関類型別採択シェア(2022年度分)

 

成績上位大学:3年度分累計

 2020-2022年度の3年度の結果を合わせて集計してみた.上位大学をまとめたのが下の表2である.
 この3年度累計で見ると東大がダントツであるのが分かる.東大は年度による好不調の変動が少ない.また広い分野で満遍なく採択を稼いでいる.例えば阪大などは工学分野と医学分野に採択が偏るのである.
 東大,京大の次に東北大と名古屋大が同数で並んだ.名古屋大学が健闘したといってよいのだと思う.旧帝の中で指定国立大学法人に唯一入っていない北大は,この指標でも旧帝では最低になっている.慶應が私大ではトップであり,順天堂大と早稲田が後に続く.規模が小さい沖縄科学技術大学院大学も目だつ位置にある.
 表2の右側は,採択数は少ないけれども表示させてみた.この表では最低の採択数3に埼玉大学が入っている.順番だけを見れば埼玉大学は結構良い位置にいるといってよいと思う.都立大と同じなのである.

             表2:採択数上位機関(3年度分累計)

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機関類型ごとのシェア(3年度分累計

 3年度分累計の採択数を機関の類型別に表したのが下の図2である.図2の結果は2022年度分の図1とあまり変わらない.指定国立大学法人だけで全体の半分以上のシェアを占め,国立大学が全体の3/4超を占める.私大,公立大の研究での存在感は小さい.

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      図2:機関類型別採択シェア(3年度分累計)

 

埼玉大学は悪くない

 上で書いたように,順番だけで見れば埼玉大学は結構良い位置にいる.全体で日本の研究機関の中で同率41位であり,支援類型③を除いた国立大の中で同率11位である.埼玉大学は理系比率が国立大の中では低く,採択を稼げる医学部がない.それでこの位置にいるのは,悪くない結果といってよいと思う.採択数がゼロの国立大学も多数に上るのである.戦略によっては,埼玉大学は上を目指せるのかも知れない.

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埼玉大学一般選抜出願状況

 国立大学の学士課程一般選抜のへの出願は2/3(金)で終わった.今日,2/7(火)の段階でも,半数の大学は出願数の確定値を公表していない.けれども今後の変化は極めて少ないので,2/7の段階で公表している出願数で以下の話をしてみたい.

教養学部は普通の結果だった

 教養学部への出願数は普通通りだったというべきだろう.2/3の段階で前期日程の出願数は299で昨年度とほぼ同じである.ちなみに,今年を含めて過去9年間の前期倍率(図1)の平均値は2.7である.

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            図1:教養学部前期倍率推移


 下の表1に今年度と昨年度の前期日程の各大学の倍率を示す.上の表は教養学部が属する17大学人文系学部長会議所属の大学に,若干の類似学部を加えて作成した(17大学の徳島大学は特殊なので除いた).上の表の今年の前期倍率の平均値は2.6であり,今年度の教養学部倍率と一致する.教養学部は文字通り平均的である.
 下の表は少し上位の大学の類似学部の前期倍率を示す.上表より若干倍率が高いとはいえ,そんなに変わらない.

表1:人文系学部,今年の前期入試倍率

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出願推移に見る各学部の特質

 今年の出願期間は1/23(月)~2/3(金)である.1/28~1/29の土日が中休みになる.その間の埼大の各学部への前期の「出願量」を図2に示す.前後期を合わせても同じような傾向が見える.が,出願数の多い後期日程が教育学部になく教育学部の値が異様に低く出るので,データを前期に限定した.なお理学部では後期の方が学生定員は少なく,工学部では前期と後期の定員はほぼ同じである.経済学部の前期の値は国際プログラムの値を含んでいる.
 各学部で定員が異なるので出願傾向を「標準化」するため,次のように「出願量」を定義した.
   出願量 = その日の出願数/募集する学生定員数

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         図2:前期の各学部出願量推移


 この粗いグラフだけでも次の指摘ができると思う.

1) 出願の多くは中休みの後,つまり1/30(月)移行に埼大に到着している.最近,出願期間が若干伸びたが,この伸びによって,中休みまでは出願を控えて様子を見る行動が一般的になったのかも知れない(みんな様子見をするので,様子見をする意味は実はない).中休み前に到着した出願は,埼大を第1志望とする出願である可能性が高いだろう.

2) 理学部と教育学部については,期間の前半に小さな出願の山を観測できる.入学先を初めから決断した出願が理学部で多いと思われる.教育学部の前半の小山は,埼玉県で教員になることを強く希望する受験者の出願であるかも知れない.

3) 教養学部の特徴は出願が中休み明け後の2日,1/30と1/31に集中していることである.出願期間の終盤になると教養学部への出願量はどの学部よりも低くなる.
 実はこの傾向は,埼大教養学部より倍率の高い学部,例えば千葉大の国際教養学部や文学部と比較しても成り立つ.昨年までのデータを見ると,埼大教養学部は中休みまでは千葉大の2学部と同じ程度の出願量を得るのであるが,中休み後の終盤になって埼大教養学部は伸び悩み,最終的に1倍近い倍率の差をつけられてしまう.
 この点は2つのことを意味するように私には見える.
 第1に,埼大教養学部がより高い倍率を獲得するとすれば,この終盤での出願の伸びが得られるときだろう.
 第2に,しかし教養学部のこの特徴は,欠点とは言えないかも知れない.教養学部への出願者は,中休みまでは様子を見るが,中休み中に迷わず出願する人が多い.その意味では教養学部を本命視していた受験生が多いだろう.考えようによっては悪いことではないのである.
 
4) 図2を見ると全般に理学部の人気の高さが目立つ.国公私立を問わず理学部は全国的に数が少なく,希少性があるのだろう.逆に教育学部の低調さも目立つ.ただ,教育学部は全国的に同様であり,埼大は良い方だろうと思う.また,今年は意外にも経済学部が従来より低調だった.

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出願受付開始:地方国大の心もよう

 この1/23から国立大学の出願期間が始まった.例によって私は埼大の出願状況を埼大サイトで眺める.1/25現在,埼大は例年のように1日遅れで1/24までの出願状況を表にして掲示している.掲示が1日遅れになったのは何年か前からである.事務方人員の配置がきつくなってきているからだろう.今のところ出だしであるから出願数が低い.それでも,1日遅れでちゃんと掲示しているから,埼大は大したものかも知れない.
 私がいくつかの大学をネットでざっと見た感じでは,地方国大の場合,出願数を1/27(金)まで掲示しません,という大学が多い.2つの意味で大学間の階層性を表しているように思う.
 第1に,階層が低い大学では早めには出願が集まらないから,1/27より前に掲示する意味はあまりない.出願は土日後の来週に多くの集まる.最初から志望校ではなく,共通試験の成績から受かりやすい所を探した結果出願対象になるからだろう.
 本日見たところ,例年だと埼大よりは早く出願が集まる千葉大学もまだ埼大と似た数字だった.ただし千葉大の出願の山は埼大よりやや早く来ると思う.東北大学を見ると,埼大,千葉大クラスより早めに出願が集まっている.東大を見るとさらに早く出願が集まっている.階層の高い大学ほど本命率が高いから,躊躇なく出願する受験生が多い.ただ,何れの大学でもまだほんの出だしである.
 第2に,階層が低い大学では職員数が乏しく,出願状況の整理にかける労力が出せないという事情があるのだろう.地方国立大学は爪に灯をともすように運営している訳であり,しかも働き方改革などという訳だから,人員はなかなか出願集計には割けないのだろう.階層性の高い国立大学は規模が大きく,規模の経済によって余裕があるのだろう.東大などは人員によほど余裕があるんじゃないか?

 現状で受験者の人口は徐々に落ちてきているはずである.徐々にであるから今年急に大きな変化はたぶんない.しかしある時点で受験生の減少が何らかの形になるのだろう.影響を受けやすいのは地方国大であるから,予め対処を用意しておくべき段階にある.

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予定通り始まる理工農系支援

読売の記事

 今日(2023.1.12)の読売のニュースに「理工農系『250学部の新設・転換』目指し支援、文科省が10年計画」というニュースがあった(https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230112-OYT1T50041/).念のため検索したが,同じ趣旨の情報を文科省はまだ公表していない(と思う).読売は自民党からのリークを受けやすい新聞であり,今の岸田内閣は読売内閣のようなものだから,公表前に政府か自民党ルートで読売に情報提供があったのだろう.
 中身は,理/工/農分野で10年かけて,新設ないし他分野からの転換によって,250学部を作る,ということである.1000億の基金から支出するというけれど,仮に運用益からお金を出すなら,1年で出せるお金はあまり多くないかも知れない.
 この話は急に出た訳ではない.このブログでも以前に書いたが,今年度の「骨太の方針」は,理系分野の学生比率を高めると明記した.どうやるかであるが,案の定,文系比率の高い私大を中心に,公立大学を含めて,新設ないし転換によって理工農系学部を作ることを促進するらしい.国立大は原則増設なしであるから,この話では枠外になる.

うまく行くのか?

 私は自由経済主義者であるから,このように政府が市場に介入することが良いことだとは思わない.本当に理系に需要があれば私大が理系を増やすはずである.現状の私大が,理系に転換したいのにコスト高だから転換できないのであれば,政府の補助は意味がある.しかし受験生側では文系への需要が本当にあるのなら,今のままでもよい.その辺は私には分からない.仮に理系にそれほどの需要がないなら,理系に転換しても私大の経営にはマイナスになり,政府は余計な補助金支出を抱え込むことになるかも知れない.
 ただ,この件は進めてよい思えるのは,現状で理系の博士課程修了者の就職口が少ないことである.理系の研究の量と質は,実は研究者数で決まるから,日本の科学技術水準を高めるためには,理系研究者の就職先が増えるのはプラスなのである.
 また,そもそも文系の学生は大学で付加価値をほとんど付けない.私の意見では,文系では意外にも,文学系の学生がちゃんと勉強しているかも知れない.なぜなら語学習得が軸になるので,勉強はしているように思う.しかし文系の多く,例えば社会学部などは,学生は大学に通ってもテレビを観ているようなものだろう.その点,理系の学生は,平均的にはそれなりに付加価値を付ける.だから知的水準の点からも,多くの学生が理系に進むのは良いことのように思う.

国立大にとっては脅威

 しかしこの件,実は国立大学にとっては脅威だろう.これまで,国立大学は理系比率が高く,政府に対する交渉力もその点が基盤だった.国立大学がダメになったら日本の科学技術がガタガタになり,国力は目に見えて落ちる.理系が多いことによる交渉力の強さにより,国立大の文系分野も恩恵を受けていたろうと思う.
 しかし,私大で理系が増えることは,国立大学の相対的な価値,ないし交渉力の低下を意味する.だから国立大学は,理系分野の水準を上げる努力を一層求められることになるように思う.
 今まで,国立大の文系は私大との競争に晒されてきた.一方,国立大の理系にとり私大はほとんど敵ではなかった.しかし今後は,国立大では理系も文系のように私大の脅威を強く受けることになるかも知れない.

情報系の人材養成

 今回の話は国立大学は関係ないのだが,読売の記事では,情報系については国立大と高専も対象になっている.「情報系の高度専門人材の即戦力を養成するため,国立大と高専も含める.」とある.60校程度を見込むとある.たぶん,修士課程を中心に,情報系の人材養成を国立大(と高専)に求める,ということなのだろう.ある意味,この点は政府は以前から言っていた.
 埼大も乗ったらどうなのか? 現状で全学的にしょぼいAI・データサイエンス教育をすることになっていると思うが,全学のポストをもう少し情報系に集約し,AI・データサイエンスの研究者層を増やしてはどうなのか? 今後の展開で埼大にはその分野での需要が高まるに決まっていし,従来型の文系の需要は落ちて行くだろうと思う.

 と気軽に書いてみたが,所詮は読売の記事である.後の文科省による正確な公表内容はこの記事の通りではないかも知れない.ただ情報分野についてはプランを事前に持っているのが正しいように思う.公募情報が出る前にプランを持っていなければ,応募しても先が難しい.

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埼大の「研究大学」はどうなったか?

 私の自宅には埼大から,有難くも,ニューズレターが届く.大学概要も年に1度送って頂いている.ネットで検索をする際はたまに埼大サイトを眺めることがある.
 サイトやニューズレターで最初に目に飛び込むのは,スポーツや音楽などをしている学生の姿,というのが最近の印象だ.楽しい学生生活を送れる場所,というアピールが私の記憶には残る.また,特にコロナ禍が厳しいときがそうだったが,一所懸命に学生支援をしています,というアピールが目立った.良いことである.
 ただ,大学としてアピールするのがそこなのか,という気もする.なんとなく「地域に根付いたほっこりした大学」というイメージを強調しているのはよいのだが,凄いんだぜ,というところを見せないのか?
 私が在職中は,埼大の理系は「研究中心主義」のような主張があったな,と思い出す.その点はどうなったのか?

法人化前

「研究中心主義」という考えに私が埼玉大学の中で出会った最初は2001-2003年にかけての,兵頭学長の頃のことである.そのときの教養学部長は岡崎先生だったと思う.関口先生と私が全学の場に出て教養教育の件で意見を述べていた.あるとき,なぜか理学部の先生2人と関口先生,私が話し合う場があった.私や関口先生は全学で教養教育を担いましょう,という立場だった.が,理学部の先生方は教養教育に否定的だった.その時に理学部側から出た言葉が,「理学部はノーベル賞を取るような研究をしている.」「理学部は研究中心の学部であり,あんたら文系とは違う.」「工学部とともに理工の枠でまとまりたい.文系と一緒にしてくれるな」「理工は専門基礎教育には関心があるが,教養教育には関心がない」という点だった.要するに「教養教育などわしゃやらん」という根拠として「研究中心」が出たのである.「研究中心」は私も意であるが,教養教育の件とは別問題だ,といったが通じなかった.
 研究中心から論理的に教養教育担当拒否が出てくるとは私は思わない.けれど,それだけ「研究中心」が理系(理工系)では強いんだ,と印象付けられる一幕だった.

法人化後

 その後に法人化があり,田隅学長の治世になった.田隅学長は学識があり研究を重んじる方であったけれども,学長としての指示は受験生確保に傾いた面がある.そのせいで,田隅学長の治世では研究中心主義が喧伝われることはなかったと思う.むろん,理工の若手研究者への支援には力を入れたと聞いている.
 研究中心主義の考えが再び表に出てきたのは,上井学長の最初の任期4年の後に学長選考があったときである.このときは後に学長になられた山口先生が上井学長への対抗馬として登場した.そのときのスローガンの1つが研究に力を入れる,という点だった.具体的にいうと,目指す施策として運営費交付金からの研究費支出(科研費のようにお金を出すという意味と思う)があり,少なからぬ人を驚かせた.大学の予算にはそれだけの余裕がないことが一般の認識だったからである.このときは選挙で上井学長が再選されたけれども,山口先生は研究担当理事になられた.理事になられて実際に交付金から研究費を出したかどうかは,確認していない.ただこのときは,私が法人化前に触れた理工の研究中心主義の雰囲気は出ていたと思う.
 学長選考会議での山口候補の面接記録(私のまとめ)が保存されていた.山口先生の発言から拾うと次のようなお言葉があった.
・3つの基本方針があり、これで進める。気になるのはまず研究、基礎研究である。活性化する仕掛けを作りたい。
・教育学部に研究を求めることはない。
・理系は研究で勝負。
・(研究費獲得について)できる限り外部資金を取る。間接経費の使い方。基礎研究は運営費でやれるだろう。現状より基礎研究費を確保したい。
 ポイントは,山口先生の意向は基礎研究にあり,同じ研究でも産学連携とは違う点だろう.事実上,上位大学として埼玉大学を位置づける考えのように思えた.
 こう見てくると,2011年末の学長選考の時点での山口先生のお考えは,法人化前に私が目撃した「理系の研究中心主義」の延長にあったように思える.「理系の研究中心主義」は脈々と理系で存続していたのだろうけれど,表に出たのが山口先生を通してであった,ということだろう.

17大学人文系学部長会議での感触

 私が学部長をして4年目(2011年)の秋,つまり上記の学長選考の少し前あたりで,17大学人文系学部長会議が松江で行われた(島根大主催).実はその時点で,表現はまちまちだったと思うが,大学を全国的な中心と地域的な中心に分ける考え方が文科省から伝わっていたように思う.だからその辺の感触をつかみたいと思っていた.
  米国の大学ではよく,National University vs Regional University という表現が使われていた.前者は全米から学生を集める,という意味が直接であろうが,具体的には,州立大学のトップは National University,トップ以外の州立大学は Regional University であることが多いと思う.National University とは研究大学 Research University であり,Regional University は,研究をしない訳ではないが,教育機能が重要,というニュアンスがある.
 学部長会議では,大学の分類は正式な議題にはなっていない.そこで休み時間に他の学部長さんにその大学の雰囲気を尋ねた.また,懇親会の後も飲み会に付き合って世間話をした.どの学部長さんに伺っても,ためらいなく,うちは地域大学,教育中心という反応だった.例外は徳島大学であり,研究大学を目指すといっていた.徳島大学は地方国大の中でも理系比率が高い大学だからと思う.
 だから,埼玉大学も教育を中心に存在意義を確保する形になる以外にないだろう,と私は思った.同じような大学の中で埼大だけがひとり研究大学だというのは,横並び体制の中では難しい.
 その意味で,前項に書いた山口先生のお考えは,「空気読めない」感があるなぁ,と思えたのである.

山口理事・学長の登場

 2012年に山口先生が理事に就任してから後の2年間は上井学長の2期目だったけれども,既に上井学長には存在感がなかった.研究担当の山口理事と教育担当の加藤理事の存在が目立ち,学内の人々は山口理事が何を言うかに注目していた.
 山口理事の就任した年(2012年)の年末辺りに,山口理事が「埼玉大学は研究大学を目指す」と表明されたらしく,山口理事には加藤理事も同心された.加藤理事が研究大学志向に懐疑的な発言をされていたことを私は存じ上げていたので,加藤理事が同心したのは私には意外だった.山口理事は早々に次期学長であると認識されていた.
 年が明け2013年になってから,具体的な計画のチラシが学内で配布され始めたと思う.この計画は「部局の枠を超えた改革」のような表現であったけれども,漏れ伝わる基本哲学は「埼大は研究大学を目指す」だった.ほどなく山口理事は正式に次期学長に決まった.また,実際に「機能強化予算」が年末か2014年の年初めに通り,「部局の枠を超えた改革」,つまり機能強化プランを実施することになった.その際の学部内の混乱の中で私がなぜか,また学部長になったという経緯がある.
 この機能強化プランは一連の学内機構改革である.その私なりの評価についてはこのブログの過去記載があるので,ここでは述べない.
 ここで触れたいのはこのプランと背後にあった目標=研究大学との関係である.私には,このプランが研究大学を目指すという志の計画なのかどうか,読めなかった.
 このプラン最大の要点は教育学部の学生・教員定員を理工研に移動させたことである.理工研つまり大学院の学生定員を大幅に増やしたのであるが,すべて修士の定員とした.しかし埼大の修士定員はその時点で十分に大きく,研究大学にするのが眼目であるなら,増やすべきは博士(後期課程)定員だったはずである.修士が大きいのは専門職業人養成の大学院である.
 このプランでは時限的な教員ポストが付き,教養学部(人社研学際系)でも少し使わせて頂いた.このポストは研究体制の強化にプラスである.人員を補強すべき分野にポストを先行的に付け,後に空きポストを充てて補強を永続化できる.ただ時限的ポストの数は少なく,それだけで重点領域の補強になるとも思えなかった.その後,自前で重点領域への補強をしたかどうかが問題であるが,するとすれば現状の学科・コース体制の変更が必要になるから難しい.追加でこの補強をやったかどうかは分からない.
 という訳で,研究大学という目標がどうなったか,その後私は退職したので,見届けることはできなかった.

「①地域型の支援」の選択

 国立大学を部類分けしてその位置づけをはっきりさせる,という流れは以前からあったのであるが,2014年か2015年に国立大学は3つの支援類型(①地域型,②特殊型,③世界型)の1つを選ぶことになった.私は人文系学部長会議の感触から,地方国立大学は迷わず①地域型を選ぶ形勢であると思った.常識的には,③以外で研究大学はない.
 山口学長は前もって,教員との懇談の席でなるべく「高い方の類型」を選びたいとの発言をされていた.そりゃ,本音はどの大学も同様である.
 全学の会議で山口学長が①地域型を選ぶと説明されたとき,私は山口先生が血迷わなかったことを喜んだ.山口学長の切り出し方は,残念ながら①を選びます,という感じだったと覚えている.たぶん部局長で賛意を述べたのは私だけだったろう.少なくとも理工研科長と経済学部長は,他は選べないのか,という発言をなさった.確かに,山口学長になってからの意気ごみからすると①には違和感があったかも知れない.
 山口学長にしてもおひとりで考えて①にした訳ではないだろう.文科省の担当官には相談するのが普通と思う.そして文科省の担当官が①以外を勧める訳がない.
 経営協議会の席上で①を選んだことを山口学長が説明したときの光景もよく覚えている.山口学長は申し訳なさそうに①を選びますと仰った.対する経営協議会委員の方々は一様に①の選択を歓迎すると発言なさった.両者のコントラストが興味深かった.経営協議会の中には地域代表のつもりで出ている方が多いので,地域に貢献する姿を見せることを歓迎したのである.

今の埼大の見え方

 私が埼大を退職した2017年は埼大で「研究活性化運動」のようなことをしている最中だった.退職した後は生の情報は入って来ない.だから埼大がどのようになったかは,詳しくは分からない.
 私が得られる表面的な情報だけで判断した場合,埼大は研究大学と呼ばれるようにはなっていないように見える.
 表面的な手掛かりの第1は学位授与機構が行った法人評価の結果である.埼大は研究,教育ともに平均的な評価だった.周辺の国大では多少の特筆される評価の項目があったのであるが,埼大にはなかった.決して悪くないけれど,まあ平均ですね,という感じである.もっとも評価委員会と大学側とでやり取りした公開情報を眺めると,その周辺大学の特筆評価というのも,何かおかしいような感じがある.評価側の評価の仕方がどうなんだ,なんか埼大は損しているんじゃないの,という気もする.ただ,埼大が仮に多少不利な評価をされたとしても,埼大が断然良い,ということではなさそうだ.
 第2の手掛かりは現行の中期目標・中期計画の記載である.私が受ける印象では,頑張って目標を作っているようには見えない.達成度を確保する観点からは埼大の目標・計画の作り方は火傷をしない書き方であり望ましいのであるが,迫力がないのは確かと思う.特に研究に関してはあまり記載していない.確かに何とかのセンターを立ち上げると書いてあり,最近その通りにしたと思うが,その程度ではどこの地方国立大学でもやっていることだろう.
 第3の手掛かりは今の坂井学長の名前で出している「埼玉大学Action Plan 2022 - 2027」である.無難なアクションプランではあるが,上井学長のときに出した3つの基本方針に比べてもアンビシャスな熱量がない.《Vision3:「地域のダイバーシティ環境推進拠点機能の強化」》というのも,大学としてそんなに表に出す話なのか,なんか小さくねぇか,という気がしてしまう.
 という訳で,私への見え方に限定していうなら,埼大は教育にしろ研究にしろ特に目立つところはなく,当然ながら一頃の研究大学熱は冷めてしまっているように見えるのである.

埼大は研究大学を目指して立ち上がるか?

 法人化以後,埼大では前の学長を否定するような学長が就任してきたような面がある.法人化初代の田隅学長は,えらく謹厳な方であり,その前のチャランポランというかラテン系というか,兵頭学長とはタイプが異なる方だった(なお,私は兵頭学長は好きだった).田隅学長はトップダウンの学長だったけれど,その後を継いだ上井学長は調整型の学長だった.その上井学長の後を継いだのが,再びのトップダウンの山口学長だった.だから埼大では,源平交代ならぬ,トップダウン/調整型の交代仮説が成り立つのではないか,という気がする.山口先生の後の坂井学長は,人脈的には山口先生の支持グループの方だと思うが,就任後の事績を見ると山口先生よりは上井先生に近く,調整型ではないかと思う.
 交代仮説が活きるなら,坂井学長の後はまたトップダウン型になる.そのトップダウンの学長が「埼大は研究大学を目指すんやぁ.これが,これが埼大のド根性やぁ」とかいい出すことは,確率は低いが,あっていいんじゃないかという気もする.
 在職中の私は,余計なことはしたくないから,学長にはおとなしくしていて欲しいと願った.しかし既に退職しているので,困難がわが身にかかることはない.ここは奮起して楽しませて欲しい,という気もするのである.

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埼大教養学部入試の小論文の問題(2)

 前回の記事では2022年の埼大教養学部の小論文について論評を始めた.前回の記事における私の論点は次である.
・出題で提示した文章は日本の労働形態(雇用形態)の特徴を長期雇用と年功賃金に求めた.しかし先進国の中でこの2つが日本に特徴的とはいえない可能性が高い.
・日本型雇用の特徴はむしろ正社員の雇用契約がメンバーシップ型であることにあるだろう.メンバーシップ型であることによって日本では整理解雇ができにくくなっている.そのことにはプラス面とマイナス面がある.

 今回の(2)で言いたいことの要点は次である.
・この小論文問題では受験者に日本型雇用のメリットとデメリットを論じることを求めている.しかし出題の文章はそのメリットとデメリットについて適切な説明を与えていない.
・この小論文は日本の雇用状況という大きな問題への解答を求めながら,この問題に関する事実factsをほとんど示していない.受験者は事実を語ることなく情緒的な反応で解答する以外にない可能性がある.
・この種の問題を提示するなら,不完全で曖昧な文章ではなく,事実を要約的に提示しつつ議論させる形式であるべきだったろう.

「高学歴女性の不利」は何を指すか?

 この小論文は日本型雇用の特徴とメリット,デメリットを議論することを求めている.しかし文章中で記載された「特徴」が間違いではないか,という点を前回指摘した.さらにいえば「メリット,デメリット」についても私には気になることがある.
 この文章を読んで最も頭に残るのは,日本型雇用のデメリットとして書かれた「高学歴女性の不利」という点と,「『正規』と『非正規』の二重構造」という言葉であろうと私は思う.「高学歴女性の不利」は文章の1ページ目で書かれたデメリットのほとんど唯一の表現であり,「『正規』と『非正規』の二重構造」の表現は2ページ目に目立つように登場する.
 だがまず,「高学歴女性の不利」は評価(つまり「意見」)であり,「事実」の表現ではない.「高学歴女性の不利」は,①高学歴女性に就職差別がある(就職機会が与えられない),②就職した後に昇進しにくいなどの差別がある,③高学歴女性に賃金差別がある,などの可能性がある.そのうちのどれが(あるいは何と何とのコンビネーションが)該当するかが分からないと,議論はできない.
 実は日本の雇用の特徴の1つとして高学歴の女性の就業率が低さは一般的に知られた事実である.だからおそらく,「高学歴女性の不利」はこの事実に対応しているのだろうと思う.だがこの就業率の低さはどのような「不利」によって生じているのだろうか?
 気になったので,本格的な文献リサーチはできないが,簡便にネットで検索してみた.(他にもあるのであるが)市川恭子という方が日蘭比較でこの問題を計量的に扱っていた(例えば https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/special/pdf/037-052.pdf).細かい点まで含めて考えると結果は複雑であるが,おおまかにいえば,高学歴の女性の場合,(出産などで)パートに切り替わった時に賃金ペナルティがある(賃金がかなり低くなる)という結果である.労働経済学のテキストで私は読んだことがあるが,高学歴女性の場合,機会費用が高いから,学歴に見合う待遇が提供されないと労働参加はしにくい.そう考えると,非正規職員には高学歴待遇の非正規職が提供されず(つまり高学歴向きの職は正規としてしか提供されず),結果として高学歴女性の労働参加が低くなっているのかも知れない.だからこの問題は正規/非正規問題の1形態かも知れない.(だとしても同じ問題が男性で出にくい点までは理由がわからない.)
 「高学歴女性の不利」と書くならば,その不利がどういう事実を指すのかを明示しないと,以後の議論にならないだろう.

「非正規」にはメリットもデメリットもある

 「高学歴女性の不利」に次いで解答者が注目しそうな言葉が,日本型雇用のデメリットとされる「『正規』と『非正規』の二重構造」だろう.ここで非正規雇用の存在は一括してデメリットとして扱われる.
 出題中の文章の著者は非正規社員は正社員になりたくてなれなかった人,という認識かも知れない.しかし正社員の義務(例えば転勤の受容)を満たせなかったり,家庭の事情で少ない時間でしか働けない人が非正規職員なり契約社員を希望することはあるのである.だから非正規雇用をまるごとデメリット扱いするのは一面的過ぎる.契約として成立する限りは,非正規の雇用契約もパレート効率的なのである.だから非正規雇用を提供することは,提供しない場合よりも社会的厚生を向上させている.
 正規/非正規の区分がデメリットであるのは,時給換算したときの賃金率が非正規でかなり低くなる点にあるだろう.同一職務同一賃金の原則から考えると,非正規の職務が高スキル者を想定しない職務と定義されている可能性がある.上記の市川恭子氏の分析では,高学歴女性の場合,パートである時に賃金ペナルティが生じていた.その説明として一番ありうそうなのは,女性が応募しやすい職務のパート賃金が低スキル者用で定義されていることである.
 この問題に該当するかも知れない事例に,在職中の私は直面したことがある.埼大がグローバル事業に採択されたとき,教養学部で留学支援オフィスを立ち上げることを予定した.申請書ではそのために派遣社員を時限的に雇用する経費を明記していた.そして採択後,派遣社員1名に来て頂いたのである.この派遣の方は実際有能な方であり,大変助かった.
 しかし次の年度になって,全学(たぶん人事課)から,派遣社員を雇用してはいけない,雇用するなら埼大のパートにしなければならない,という指示が来たのである.パートにした場合,ランクを最大限に上げても派遣の給与には届かない.そこで結果として,その派遣の方は辞めることになってしまった.
 要するに,埼大のパート職は,高スキル対応の人を雇う設定にはなっていないのでる.この方が辞めることになったことは当時の我々には衝撃的であり,加地先生などは「その打撃は計り知れない」とまで言っておられた.
 なぜ派遣社員を雇ってはいけないかは,組合からの要望があったかも知れない.その頃,図書館では派遣社員の受け入れを巡っていざこざがあった.派遣社員を正規職員並みの待遇で雇えば,正規職員の地位が脅かされる,という配慮だったかも知れない.
 しかし,高スキルの非正規職員は,現実的に必要だったのである.その派遣の方がお辞めになるときは,確か大宮で食事会を行った.残念だった.
 その後,パートの待遇で人を募集して仕事を担当して頂くことになった.着任した方もよくやってくれたことは有難かった.しかし対応できることにはどうしても差があったと言わざるを得なかった.
 後日談がある.埼玉りそな銀行から埼大の参与に着任された方と話したところ,その参与殿は銀行で上記の派遣の方を雇って仕事をしていたと伺った.できる方であるから,引く手は多く重宝されるのだなと思ったものである.
 
日本型のメリットもホンマかね?

 試験で提示された文章は,日本型の雇用形態のメリットとして「社内訓練による技能蓄積」や「勤労意欲が高い」などをあげている.ざっと読むとそのようにも思えるが,冷静に考えると疑問も沸く.適切な社内訓練ができる企業は優良な企業の例であろうが,一般的にどうであるかは資料がない.また海外の場合,大学などでスキルアップをはかるシステムが発達しているはずであり,その点は日本での対応は遅れているだろう.また,例に出るのがほとんど製造業である点も気になる.製造業の優良企業はその通りかも知れないが,日本では第2次産業人口は全産業人口の1/4に過ぎない.
 勤労意欲が日本で高いというけれど,調査に基づく日経の記事では「(日本では)仕事に熱意を持ち会社に貢献したいと考える社員の割合は6割弱と世界最下位にとどまる。」とある(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC182G00Y2A410C2000000/).別の官庁データでも,日本では同じ会社にずっと務めたいと回答する比率が,比較した国の中で最低だった.
 要するに,日本型のメリットとしてこの文章が述べているものが,何時の時代の,日本のどの部分での話なのか,終始わからないのである.

議論の範囲,方向性が偏っているのではないか?

 議論の範囲が妙に限定され,また方向性が守旧的な組合(その主体は正社員)が言いそうな話ばかりではないのか,というのが,私がこの小論文の文章を目にしたときの第1印象だった.まずこの文章の中では経済成長の話が出て来ない.また,いうところの日本型の労働形態に代わる雇用のあり方が例示もされていない.
 まず,文章にある雇用形態が日本で安定的に出現できたことは,背景として,1955年頃からの高度経済成長があったことはよく指摘されてきた.高度経済成長によって人々の全般的な生活水準は上がり,それまで存在していたいろんな経済格差は解消の方向に向かった.この文章が書くような雇用形態が出現したことはその経済成長の一端だったというべきことである.
 そして今日,雇用形態が世間の話題に上るのは,解雇から保護された正社員を中心にした雇用形態が日本の経済成長を阻んでいるという認識のせいであると思う.実は政府が,労働力の流動化を促し,新産業を出現させ,異業種参入によるイノベーションを生み出すことを促す主張を続けている(具体的な措置が伴わないのが問題であるが).しかしメンバーシップ雇用によって多くの正社員が保護されている結果,労働力の流動化が生じず,他の先進国で出現した新たな産業への転換が,他の先進国ほどは実現せず,イノベーションが乏しく,その結果が先進国中では唯一,日本が一人当たりのGDPが伸びない「失われた30年」の中にあるという認識が,実はかなり多く(宮台真司氏によってすら)語られている.国際的な競争の中で生き延びてきた日立が,従来の有力な子会社を手放しつつ,ジョブ型雇用に切り替えようとしていることが注目されるのも,その認識のためといえるだろう.
 メンバーシップ雇用にはメリットもあるので,メンバーシップ雇用がジョブ雇用にきっぱり切り替わるとは考えにくいけれども,少なくとも現状の正社員を維持する雇用形態を変えることが,既に現状でも議論の中心になっていると私は思う.
 雇用形態について小論文で解答を求めるとするなら,今日的には,経済成長や新たな雇用形態の可能性を述べるような文章を解答者に読ませるべきだったろうと,私は思う.
 この小論文の実際の文章を前提にするなら,受験生が解答で書きそうなことは,どうしても目立つトピック,つまり「高学歴女性に不利」と「非正規問題」になってしまうだろう.しかも文章では事実を提示していないから,解答者は情緒的な文章を書く以外になくなると思う.「女性差別は許せないと思いました」とか「非正規は解消しなければならない」といった論点を情緒的に書くことになるのではないか,と私は想像してしまう.見られるものなら(無理だが)答案を見てみたい.

文章を読ませる小論文の出題は難しい

 教養学部の小論文問題を論評する際に,私は小論文の出題は難しいということを繰り返し書いてきた.小論文にするなら標語のような言葉を出すのみで,自由に解答させるのが無難だと思っている.
 特に今回は,日本の雇用形態という大問題を出してしまった.もしそのような問題を出すなら,いろんな事実を解答者に提示しないといけない.読ませる文章も広い視点を持つことが重要である.が,実はそんなことはできないのである.仮に今回のような設問を出すのであれば,2単位程度の関連講義を履修した後か,少なくとも数時間のレクチャーを経た後である必要があっただろう.

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埼大教養学部入試の小論文の問題(1)

 埼大教養学部は2018年以後,後期日程で小論文を課している.何の気まぐれか,私はその後期日程での小論文の出題についてこのブログで論評してきた.という経緯があり,今回は2022年度の後期日程の小論文の中身について論評してみたい.
 ちなみに,過去の教養学部小論文には次の記事で論評してきた.

2018,2019,2020年の小論文出題

2021年の小論文出題

思えば,私が肯定的に評価した小論文問題は最初の2018年の問題,志賀直哉の文章を素材にした問題だけだった.

2022年入試での出題

 今年の小論文問題は,小熊英二『日本社会のしくみ-雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社, 2019)からの文章を素材にした出題だった.問題の中で使われていたのは日本的といわれる雇用形態(通常は終身雇用,年功序列などといわれる)の仕組みを説明する文章である.米国と日本の対比から,日本では労働運動の結果,長期雇用(いわゆる終身雇用),年功賃金を特色とした雇用形態が合意として,社会契約として成立したといったことを書いている.同時にその雇用形態のメリット,デメリットに触れている.引用された文章の中身はよく語られる内容であり,私も半世紀前の学生の頃によく聞いた内容のように思う.この文章を読んだうえで,設問は「『日本型の労働形態』の特徴及びメリット,デメリットに関して,あなたの考えを800字以上1200字以内で述べなさい.」と求めている.

出題された文章は間違ってないか?

 問題で出題された文章では「一方で日本の労働運動は,職員の特権だった長期雇用と年功賃金を労働者にまで拡張させ」と記しており,それ以外には日本型労働(雇用)の特徴を要約的に表現した箇所はない.だからこの文章は長期雇用と年功賃金を日本型の労働形態の特徴と捉えているのだろう.
 日本型の雇用形態を長期雇用と年功賃金に求めるのは普通の言い方であり,自明のことのように受け取られているかも知れない.ただ,この文章は「職員」と対比した「労働者」といっており,明らかに製造業が念頭にある.比較する米国の例は,組合の強い製造業・運輸業の記述のように思う.だから雇用者一般について述べているかどうかという点で,私はひっかかった.米国との比較だけで日本の特徴を主張しているのも変である.
 私の直感では,長期雇用にしろ年功賃金にせよ,先進国であれば当然当てはまるのではないか,という気がする.多くの人の雇用が短期契約では不安定過ぎると思えるし,勤務年数が上がれば経験の蓄積もあるから給与が上がるのは自然なことである.
 日本の場合,総務省のデータでは,2016-2021年で,雇用者の61.7~63.3%が正規職員であり,非正規職員は36.7~38.3%である(https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/zuhyou/dt011.xlsx).他方,米国の場合,約34%が非正規職員という(https://www.jilaf.or.jp/rodojijyo/north_america/north_america/america2016.html).日米でほとんど差がないではないか? 双方の統計で用語の定義は必ずしも対応していないと思うが,大勢はそんなもののはずである.
 ある資料は,OECDの国のうちカナダ,フランス,ドイツ,イタリア,日本,イギリスについて,有期雇用と無期雇用の比率を示している(https://www.nikkeicho.or.jp/new_wp/wp-content/uploads/koyo_5mitani_siryo.pdf).有期雇用の比率(無期雇用比率は100-有期雇用比率)はカナダで13.5,フランスで15.1,ドイツで14.4,イタリアで13.6,日本で13.0,イギリスだけ低くて6.1とある.有期対無期の比率でも日本は他の国と並んでいる. ネットで見つけた別の資料は「世界・雇用に占めるパートタイマーの割合ランキング(ILO版)」というのを出していた.欧米中心の56か国のうち,日本はパート比率の高さで11番目であり(20.0%),平均の14.8%より多い.ちなみに一番多いのはオランダの49.8%であるが,オランダは正規/非正規の賃金率がほぼ同じであることで知られ,日本の状況でパート比率が高い場合とは状況が異なる.
 年功賃金についてであるが,次のネット上の資料が見つかった(https://honkawa2.sakura.ne.jp/3333.html;http://honkawa2.sakura.ne.jp/3330.html).このデータを見ると,長期雇用にある従業員が勤続年数を伸ばした場合の賃金上昇分は,(男性の場合だけ)世界の中でも高い方である.しかし年功とともに賃金が上昇する傾向はほとんどの国で見られ,日本に固有と言えるものではない.
 用語の定義を確認せずに大まかに見た結果に過ぎない.が,以上見てみると,日本は欧米の中で特殊ではなく,長期雇用や年功賃金が日本の雇用に固有の特徴とはいえないと思える.要するに,小論文問題で受験生に読ませた文章は間違いなのではないか? もしそうなら,嘘を信じて受験生が書いた答案とは何だったのだろうか?

日本の雇用のポイントは「メンバーシップ雇用」

 日本の雇用形態でよく話題に出るのが,日本では解雇が難しいという点である.解雇が難しいために企業は生産性に寄与しない人員を抱えねばならず,企業の競争力は落ちる.また生産性に寄与しない人員を抱えていれば一人当たりの生産性は伸びないから,企業は成長できず,結果,日本全体で一人当たりのGDPが伸びない.むしろ解雇をしやすくし,余った人員は生産性が高い部門で吸収するようにしないと経済は成長しない.竹中平蔵氏らがよくこの種の議論をする(氏が目の敵にされる理由の1つと思う).
 実際に日本で解雇がしにくいか,検索して政府系のサイトを眺めてみた.私の印象では,少なくとも先進国では,政府は解雇に対して厳しく介入し,解雇の正当な事由があるかどうかを確認するようである.この点では,先進国の中で日本が特に解雇が難しいという印象ではない.
 ただし日本の「正社員」については,欧米の方が整理解雇をしやすい,と説明するサイトがあった(https://shuchi.php.co.jp/the21/detail/8467?p=2).欧米では雇用契約でジョブを特定する(ジョブ雇用)けれども,日本の正社員についてはジョブが特定されない(メンバーシップ雇用).そこで,欧米では会社の仕事がなくなったから解雇することは容易らしい.対して日本では,ジョブを特定していないので,仕事がなくなっても別のジョブを割り当てメンバーシップ(雇用)を維持しなければならない,という.なるほどと思った.最近はこの「メンバーシップ雇用」/「ジョブ雇用」という対比がよく議論の中で登場する.ジョブ雇用は「日本型雇用からの脱却」を含意することが多い.日立が日本型雇用を止め,ジョブ型に切り替えると宣言した(実際,日立職員のジョブへの振り分けは進行中らしい)ことは大きなニュースになった.
 以前,米国で教えている方に聞いたところによると,米国では,教授がテニュアを持っていても,department(例えば地理)ごと廃止になれば職はなくなるという.ほんとかどうかは確認していないが,仮にその通りとしておこう.米国の教授はジョブ雇用だからだろう.しかし日本ではたぶん異なる.仮に埼玉大学が教養学部を廃止することにしたとしても,定年前の(移籍しない)先生方は他の部局に分属させて,雇用は維持するだろう.分属になった先生方は新たな居場所で肩身が狭いかも知れないけれど,雇用は維持される.これがメンバーシップ雇用の真骨頂である.
 むろん何れの雇用形式にもメリットとデメリットがある.メンバーシップ雇用についていえば,雇用の継続をはかれることが最大のメリットである.デメリットもある.分属になった先生は新たな部署の生産性にはほとんど寄与しない.その点は組織のマイナスである.また,分属になった先生は,その能力を活かせる別の大学に移った場合に比べて,職務上のマッチングを欠いている分だけ不幸せだろう.
 日本型雇用の特徴とは,実は長期雇用や年功賃金ではなく,正規職員についてはこのメンバーシップ雇用が大半である点に求めるべきと思える.

 ここまでで文章が結構長くなった.長いブログ記事は読まれない.そこでいったん話を切り,後は続きで書くことにしたい.

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新年俸制は無害といえるか?

 国立大学の人事給与システムがどうなろうが関係ない立場の私に,例の「新年俸制」がどのように映るかを,茶飲み話として書いてみたい.この記事は半年くらい前に書こうと思いながら書かずにいた.

以前の私の考え

 国立大学の人事給与システムの改変が主に文科省から叫ばれていたのは,2018年頃がピークだったのではないかと思う.その中で一番気になる項目が年俸制の広範な導入の件だった.どなたも覚えていないと思うが,年俸制について,このブログでは2018年と2019年に記事にしている.

2018年 年俸制の拡大実施は給与崩壊をもたらすのではないか?

2019年 「新」年俸制

 2018年の記事は,国立大学における年俸制の導入には疑問だという立場で書いた.年俸制の導入の最大の要点は業績反映度を増やすことであるが,平均的な給与水準が今のままで業績反映を高めた場合,研究職に付いた後の報酬の不確実性が高まる.なので,人は研究職に付くことを回避しせてしまうのではないか,というのが大きな論点だった.また,単に業績反映度を上げるだけではなく,中高年教授の給与を抑え,その分で若手を雇用させて研究成果を上げるという考えが財務省などにあり,その通りにすると日本の社会の中で国立大学の給与崩壊が生じるのではないか,という気が私はしたのである.
 ただし2019年の記事では,国立大学は年俸制(新年俸制)を皆取り入れることになると予想した.文科省が出した人事給与改革のガイドラインが,従来の月給制に近い年俸制モデルを提示したからである.つまり,毎年度昇給することを許容し,退職金は従来通り,という線を示した.その結果,国立大学が年俸制の導入を拒否することは難しくなったと思えたのである.
 私が2020年頃に目にした文科省の資料では,年俸制の導入を引き続き叫びながらも,その時点で大半の国立大学は新年俸制の導入を決めているようだった.

新年俸制の導入

 この2020年頃に国立大学に導入された年俸制をここでは「新年俸制」と読んでおこう.文科省の資料では,便宜のために「新年俸制」と呼ぶことが多かったように思う.
 で,今の時点でネットで国立大学サイトを眺めてみると,この新年俸制は各大学でカスタマイズして導入しているように見える.
 まず名称が大学によって異なる.私が確認した大学をあげると,次のごとくである.

岩手大学  令和2年型年俸制(2020.3.26制定)
群馬大学  2号年俸制(2018.10.1制定)
宇都宮大学 年俸制(2015制定-2020改訂)
埼玉大学  特定年俸制(2022.1.27制定-2022.3.28改正)
千葉大学  新年俸制(2020.1.1制定)

 ざっと見ると,平均的に2020年頃に「新年俸制」については規程を作り,2020年度に施行した,というのが国立大学における平均的な経過だったように思える.
 導入した年俸制の名称が微妙に異なっているのが面白い.文科省はテンプレートを作って各国立大学に年俸制の導入を促したはずである.確か,年俸制の導入の有無が法人評価の項目に入ったのだと思う.したがって,年俸制導入は事実上は強制なのであるが,あくまで各国立大学の自主的な判断で規程を作って導入しました,という形にはなっている.
 文科省は「新年俸制」という仮に言葉を使うことが多かった.「旧年俸制」,つまりそれ以前に試験的に導入していた(退職金の箇所が異なる)年俸制とは区別して「新」と付けたはずである.だから各大学とも「新年俸制」と呼んでもよいのであるが,上記の大学の中では,「新年俸制」と表現したのは千葉大だけだった.しかし時間が経過しても「新」でよいのか,という疑問が沸く.岩手大学は令和2年(2020年)に規程を決めたから令和2年型としている.後に別の年俸制を作ってもそのときの年度を付ければよいのであるから,岩手大学のネーミングがこの中では一番賢いように感じる.群馬大学の「2号年俸制」とは,就業規則の給与の条項の2号に該当する年俸制なので「2号」と呼んでいる.ある意味で合理的であるが,将来的にはその年俸制は規則の中で「1号」になるのでは,という気もする.宇都宮大学は2015年に作った旧年俸制の規程を改訂して新年俸制に適用させたようだ.だから旧年俸制適用者には新年俸制に移行してもらったのかも知れない.その移行が技術的に可能だったのか? しかし新旧を併存させなかったのは立派なものではないか? 埼大は「特定年俸制」というが,広く適用される新年俸制を「特定」と呼ぶのは正しい形容だったのだろうか?

新年俸制の中身

 大学教員への年俸制が叫ばれた当初,その年俸制のプロトタイプは野球選手の年俸制のように,年俸が業績だけで上下するものだったろうと思う.だから若くても業績が著しければ高給を取り,その後業績が落ちれば給与は減って行く.しかしこのような年俸制をそのまま日本の労働環境の中で大学教員に適用して済むはずはない.だから大学の年俸制がどのように落ち着くかは,ある意味,見ものだった.
 2019年に文科省が例示した年俸制類型の中には,旧来の月給制に近い年俸制のタイプも含まれていた.案の定,そのような,月給制とそんなに違わない年俸制が多くの国立大学で導入されたと思う.
 旧来の月給制では,給与は基本給と諸手当の分かれた.諸手当のうち多いのが期末手当と勤勉手当プラスαである.この期末手当などは6月と12月のボーナスの時期(と年度末?)に出ていた.
 埼大の新年俸制の規程を見ると,給与は「基本年俸」と「業績給」と「諸手当」に分かれる.岩手大学の場合,「基本給」と「業績給」を合わせて「年俸」と呼んでいる.千葉大も岩手大と同じであるから,おそらく,岩手大の給与区分が一般的なのだと思う.
 埼大の「業績給」は業績手当と外部資金獲得手当からなる.岩手大学の方はより分かりやすく,業績給は期末手当相当額と勤勉手当相当額,それに外部資金獲得手当を指す.埼大も岩手大も実態は同じなのではないか,と思う.
 大まかにいうと月給制での基本給が埼大の「基本年俸」ないし岩手大の「基本給」であり,月給制の諸手当のうちボーナスで出ている金額を「業績給」としたのだろう.基本給と業績給の規模比率は千葉大の規程の別表に載っているが,直感的には月給時代の基本給とボーナスの比率に近いように思う.むろんどこでも「外部資金獲得手当」が導入された点は新しい要素なのだと思う.

 この新年俸制がどのような挙動をするかは,基本年俸や業績給が業績評価によってどう変わるかに依存する.その点は公表された規程だけからは分かりにくい(特に埼大の場合は分かりにくい)のであるが,岩手大学の規程は次の表のように明示してくれている.

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 岩手大の場合,基本給については,業績評価はSS(特別に極めて良好)~D(特に良好でない)の6段階になる.そのそれぞれについて号俸がどのように変わるかが上の表で規定されている.なお,勤勉手当相当額については,上にSSSを加えるなどした8段階評価になっている.勤勉手当相当額は業績により敏感に反応して上下するのだろう.
 岩手大学の表を見る限り,普通に働いている教員はある程度は毎年年俸が上がると考えるべきである.基本給についていうと,実際に適用される評価はS,A,Bがほとんどであり,SSは極めて少数,CとDはほぼ適用なし,だと私は思う.
 埼大の場合,規程ではどのような評価を適用するかは出ていない.しかし私が聞いたところによると,評価はS,A,B,C,Dの5段階であるらしい.たぶん,基本年俸はCなら変化なし,Dならちょっと下がる,である.CとDの人は余ほどのことがないと出ないだろう.教員の大半はS,A,Bの範囲で分布するはずであり,最頻値がAになるような気がする.
 つまり,よほどの不始末がない限り,教員の給与は毎年ある程度上がるという,月給制の特徴はそのまま反映されることになるのではないかと,私には見える.

新年俸制は変化をもたらすか?

 上記のような新年俸制によって何か変化があったといえるのだろうか? と考えてみた.

1.基本的には月給制と同じ
 上記ではごく一部の国立大学の新年俸制を簡単に見たに過ぎない.が,あえて言えそうなのは,基本的に従来の月給制と変わらない給与体系を,年俸制という名称で導入したというのが,大まかな結果だったという気がする.
 旧来の月給制とあまり変わらない点は仕方ないことだろう.大きく変わるのなら,少なからぬ大学で新年俸制の導入についてもめてよいと思うが,特にもめたというニュースはなかった.そもそも全体の公務員給与の体系との整合性を考えて給与体系を作ることは難しい作業であり,旧来の体系を大きく変えることは簡単なことではない.各大学において労使間でなされた約束に反しないという制約もあるはずなので,基本的には旧来と似た結果をもたらす給与体系以外は選択は可能ではなかっただろう.

2.しかし業績に力点を置く体制が明確になった
 とは言いながら,新年俸制が導入されたことは,新たな変化をもたらす可能性もあるだろう.新年俸制は「業績本意」という建前を,これまでに比べれば表向きは強く打ち出した訳だから,大学の組織全体に与える雰囲気的な影響は大きいように思える.
 実はこれまでの月給制でも,建前上は,評価に基づく昇給のシステムが入っていた.本給の号俸の昇給幅は評価に基づいていたし,新たに「業績給」に組み込まれた従来の勤勉手当等も,本給の昇給状況を反映するはずである.だからこれまでにも業績に基づく昇給の可能性は導入されていた.
 新年俸制が旧来の月給制の下での昇給とどれほど違って来るかは,評価の仕方や,評価による昇給の差分への効果がどれほどか,による.その辺の実態は,表に出た規程では分からない.が,おそらく今回の新年俸制の導入によるだけでも,従来よりは業績の反映度は大きくなっている可能性はある.例えば,岩手大学の規程だと,本給に比べて業績給の部分の評価段階が細かくなっているので,業績給の部分では業績の差による給与への効果は大きくなっているかも知れない.
 また,給与規程によらない,評価カテゴリーへの教員の配分比率がどうなるか,という点については,規程によらずに学長判断で変えられる可能性がある.だから,従来よりはるかに業績反映分が大きい給与体系として機能させることは,規程を変えることなく可能になっているかも知れない.
 いったん「業績次第」という建前を出したということは,今後の運用面で業績による差が大きくなるような運営がなされるようになる可能性が実は高いだろう.

3.大学間で評価基準の分岐は生じるか?
 私が興味を覚えるのは,大学のミッションに応じて,大学間で,評価基準が分岐してくることがあるか,という点である.あって不思議はない.
 単純にいえば,「研究大学」では研究業績による給与の差が大きくなる評価基準が「進化」し,「非研究大学」ないし「教育中心の大学」では,従来型の評価,ないし教育に重点を置いた評価基準が生じてくる,といったことである.
 世界の研究大学では一般に,研究業績が重視されていると思う.また,研究大学では,研究業績と教育上の業績の相関も高くなるだろう.なぜなら,研究大学では教育の比重は大学院で大きい.大学院生の方は,研究業績が高かったり,研究費を集めやすい教授に付こうとする.結果,教育上の評価は研究評価と相関しやすくなるだろう.さらにいうと,中高年の業績の少ない教授の給与を抑制して若手研究者を雇用する原資にするといった発想は,研究大学で生じやすくなるように思う.逆に教育重視の大学,例えばリベラルアーツ大学などは,ミッションが教育の方で重いので,研究大学とは異なった,いわば「伝統的な」評価体系になるかもしれない,と私は思う.
 大学間で評価基準の分岐が生じることは,あり得ると考えるべきだろう.

4.給与の課題は着任時の号俸の査定にある
 教員の給与に関しては,私は在職中から気になっていたことがある.学部長をやって感じたことなのだが,学部にとって重要な先生の給与が低いということが時折あり,その給与の低さは着任時に人事課がつけた号俸の低さに起因しているということである.着任後,評価が良ければ昇給で優遇できるのであるが,月給制時代の昇給方法では,着任時の号俸の低さを回復させることがほぼ無理だった.実は,当時の年俸制でも無理だった.
 新たに着任する教員の号俸は人事課が決める.学長は決めていないはずだし,学部長の私に相談があったことなどないから,決めているのは人事課である.で,ある新任の先生の給与が異様に低いというケースがあり,私は人事課と交渉して分かったことがいくつかある.
 問題は着任時の号俸を人事課が決めていて,その決め方が公務員規則に準拠している,ということを私は初めて知った.だから公務員がいろんな部署を渡り歩くような場合は着任前のキャリアは生きるのであるが,公務員のあり方とは異なるルートを経た人は,着任時の号俸が低く評価されることがあるのである.件の評価は人事課がしているが,仮に私が評価すれば評価結果は異なっていただろう.この件では人事課と厳しくやりあったけれど,人事課はいったん決めたことは覆さない.一定の妥協案を飲むしかなかった,という記憶がある.
 この着任時の査定やり方は,たぶん,年俸制になっても変わらないと思う.
 しかしこの査定のあり方を変えないと,多様なルートのキャリアを持つ人が着任する状況では,不合理をかかえることになるだろうと思う.

5.悪目立った埼玉大学
 本論とは離れた話題であるが,今回,冒頭でいくつかの大学の年俸制規程を見る過程で,私の中で,埼玉大学が悪目立ちしたような印象がある.他の大学に比べて埼玉大学はトロいんじゃないの,と感じた.
 まず,新年俸制の規程を作るのが遅かった.多くの大学は2020年までには作っていたが,埼大はなんと今年になってから規程を作っていた.これだけノロかった大学も滅多になかったろう.もめて遅れた訳でもないだろう.
 ふと,中期計画で新年俸制を何時導入すると書いていたのかと思い,埼大の中期計画を調べてみた.「X その他」の「2.人事に関する計画」の1項目として「○教育研究の活性化を図るため、適切な業績評価に基づく年俸制の運用、クロスアポイントメント制度の活用等を推進する。」とあるだけだった.何年度にどうするとは書いていなかった.中期計画って,今はこれで許されるんだ,と感じ入った.
 また,埼大の新年俸制(特定年俸制)の規程での記載は他大学に比べてやけに少なく,「別に定める」がやたら多い.よく言えば,組織防衛上,情報の開示に慎重になっている,その非開示テクニックが凄いぜ,ということかも知れない.が,普通に考えれば,なんか手を抜いているんじゃない,と思いたくなる.
 なんというか,新年俸制は,研究大学を目指すなら力を入れるべき制度だと思うのであるが,その辺がなんとなく手抜きになっているのかなぁ,という気がしないでもない.どうなんだろう?

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東工大と医科歯科大の統合基本合意

 本日(10/14)付で東工大と東京医科歯科大は「統合に向けた基本合意書を締結」したと公表した.統合のための協議を始めると公表したのは8月の初旬だったので,協議を始めて2か月程度で統合するという決意を示したことになる.思ったより早いな,と感じた.
 今回明らかにされた点は,統合は一大学一法人を目指す,つまりアンブレラ統合でない点である.その意味では踏み込んだ統合といえる.もっとも,両大学は統合して国際卓越研究大学を目指すのであるから当然といえる.アンブレラでは卓越研究大学の対象にはならないだろう.
 今の時点でこの合意を公表したのは,今から新大学の設置申請書類を書き始め,来年度に設置申請をすることを目指すためだろう.だとすると理論上は,最速で2024年度開始時点で新大学が発足することになる.両大学は「統合時期は2024(令和6)年度中を目途として、できる限り早期の統合を目指します。」としているので,2024年度開始時点よりは若干遅れる可能性を,文科省との折衝でいわれているのかも知れない.

 ただ,「一大学一法人」以外の点では,8月の協議開始時点より明らかになった点はないような気がする.まず新法人・新大学の名称は公表されていない.芸のないネーミングをすれば「東京医科歯科工業大学」ないし「東京医科工業大学」であるが,そりゃいくら何でも止めておくような気がする.ただ,両大学が合わさった大学名称は,結構難しい話だな,と思う.一橋でも誘いこめば総合大学になるかも知れないが,それでは国際卓越研究大学になるには障害になるかも知れない.笑える名称になったら拍手を送りたい気分だ.

 統合しただけでは評価されない.統合して何をするか,何をすると説明するかが重要になる.しかし,今回の基本合意でも統合して具体的に何をするかは明らかにならない.手掛かりは「両大学の尖った研究をさらに推進」といいつつ「総合知に基づき未来を切り拓く」といっていることである.そこまでいえば具体策を例示できるように思うけれど,特に明らかにしていないので,期限のうちに設置申請が書けるのかどうかは,よく分からない.
 過去の例を見ると,正式に設置が認められる以前に新組織の概要が公表されることもよくある.だから2023年度になれば,もう少し具体的な事柄が公表されることになるのだろう.

 なお,国際卓越研究大学は,今年度(2022)末から次年度(2023)にかけて指定され,2024年度には支援が開始するはずである.だから新大学は最速に設置されても,普通に考えれば国際卓越研究大学には,支援開始時点では入っていないように思う.だからおそらく,遅れて追加されることを狙うのだと思う.が,それほど簡単には国際卓越研究大学にはなれないのでは,と想像する.

 東工大と医科歯科大との統合は上位大学の話である.ここであらためて思うのは,話の展開は銀行と同じだな,という点である.何れのレベルの銀行も統合しないと経営が難しくなるのは明らかであるけれど,実際は都市銀行だけが率先して統合していった.地方銀行はいつまでもグズグズしている.統合しないと次第に危うくなってゆくのは見えるだろうに,地方国立大学は一県一国大にしがみついて動かない.
 何れ大学の規模を縮小する段階に入ると思うが,埼玉大学などは,今の規模のまま縮小局面に入ったらどうなるのか,とは考えないんですかね?
 もっとも,在職中,私は埼大はリベラルアーツ大学になればいいや,と思っていたので,「縮小上等」という思いがあった.

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数理・データサイエンス・AI

多くの大学が認定を受けた

 昨年度から今年度にかけて,文科省は大学等の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム」の認定を行っている.認定されるプログラムは「リテラシー」レヴェルと「応用基礎」レヴェルに分かれ,特に良いプログラムには「プラス」の称号を与えている.
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/suuri_datascience_ai/1413155_00011.htm

 上記の文科省サイトを眺めると,実に多くの国公私立大学がプログラム認定されている.見たところ,全国の総合・複合型の地方国立大学もほとんど認定されているように思える.
 ちなみに,東北・関東地方の国立大学に限って認定された大学をリストアップしてみた.次の表である.

  表:東北・関東地方の認定を受けた国立大学

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 単科大学と思える国立大学はプログラム認定を受けていない.が,ある程度の数の部局を持つ国立大学は軒並みプログラム認定されている.多くは全学で行うリテラシーのプログラムであるが,情報関連の層が厚い大学は応用基礎でも認定を受けている.
 東北・関東地方の総合・複合型の国立大学のうち,認定プログラムを持っていないのは,ずばり,埼玉大学だけである.

埼玉大学はなぜ遅れているのか?

 この点が分からない.
 確か私が退職する少し前,2016年度と思うが,教育学部から削減した学生定員を何に使うかという話の中で,私が何らかの仕方で「データサイエンス」と発言したことがある.実現はむろんしないが,真に受けてくださった方もおられた.だから2016年段階で,データサイエンスは今後伸びると目された領域だったはずである.
 私が在職中に「数理・データサイエンス・AI」のプログラムを議論したかどうかは記憶が定かではない.しかし今の学長さんが選ばれる頃には話題になっていた.おそらく,AI等のプログラムを作りますとは経営協議会には言っており,「今調整中です,もう少し」ぐらいの説明をしていただろう.
 だから,今の段階で文科省に何も認定されていないことが,不思議でならない.何をしていたんだろう.
 念のため,埼大の現在の中期目標・中期計画を埼大サイトで閲覧してみた.計画の【3-1】として「○全学的な数理・データサイエンス・AIのリテラシー教育を実施するとともに、学部間連携により文理横断的なより高度なデータサイエンスを学ぶ科目を提供する。」と載っている.ただし,評価指標の【3-1-①】として「(リテラシー教育としては、全学部学生(昼間)が受講する。より高度なデータサイエンスについて学ぶ科目を、第4期中期目標期間終了時までに、5科目開講し、受講者250名とする。)」とある.
 ええー,第4期の終了時って,それまで埼大はあるのかい?(まああるでしょうがw)気が長過ぎね? しかも「より高度」が5科目開設で,受講者250名って,ショボくね?
 まあ,数理・データサイエンス・AIを議論した挙句にこの結論だったのでしょうな.しかし,政府が骨太の方針にまでデータサイエンス等を書き,文科省が促しているのだから,上記のような中期計画だとはいえ,計画を前倒し,拡大するのは当たり前であり,実際埼大以外はみなそうした訳でしょう.
 たぶん,例によって,「誰が担当するのか問題」でもめたんでしょうな.しかし,社会的需要は明確なのだから,新規ポストはそこに使うしかないでしょう.むろん理工系だけの話ではない.経済学部であれば,数理(ゲーム理論を含む)・計量・計算以外で新規人事をする必要はないでしょう.それ以外はもう需要はないですよ.だから計算社会科学で人事をすればよい.教養学部にしても「計算人文学」で人事をすればよい.そのようにして,担当の教員を文系を含めて捻出する判断をすべきなのですよ,経営者が.

  まあともかく,今年度中にもまた認定があるかも知れず,来年度はあるだろうから,これから無理してでも申請して認定してもらうしかないでしょうね.

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東工大と医科歯科大の統合協議,と聞いて思うアレとコレ

 たぶん昨日(2022/8/8)辺りからと思うが,東工大と東京医科歯科大が統合協議を始めることに合意したというニュースが流れた.国際卓越研究大学への指名を目指すためという憶測も書いてあった.
 このニュースを眺めてあれこれと,自動思考で私の脳裏に巡った点を書いてみよう.むろん私にいえるのは,誰でも思いつく程度のことである.両大学について私に特段の情報はない.

1.統合の成否は分からない

 東工大のサイトには学長が教職員向けに行った説明の文章が載っている(https://www.titech.ac.jp/news/2022/064662).ご覧のようにごく一般的な理念をいっている.締めの言葉は次のごとくである:≪最終決定は今後の両法人における協議に委ねられており、現時点では何も決定したことはありません。今後、本法人内でもより多くの構成員の意見を聞きながら集中的に協議を進めて参ります。≫ だから現時点では,埼玉大学と群馬大学が統合協議を始めるというニュースが出た時点と同じようなものである.これまで国立大学同士の統合がなった事例は,大学側が文科省に弱みを握られている場合か(?大学),強者が弱者を吸収し弱者もうれしい場合か(阪大が外大を吸収),行政が強く介入した場合か(大阪公立大学),アンブレラ方式で元の大学が維持される場合だけだった.静岡大学にいたっては,いったん静岡県立大学と統合するようなことをアナウンスしながら土壇場で統合を破棄し,浜松医科大学と統合するするといいながら,どうなるかはいまだにはっきりしない.今回の東工大と医科歯科大の場合はまだ何も決まっていない.単なるアンブレラなら簡単だが,それではあまり評価されないだろう.

2.国際卓越研究大学の制度運用開始にはたぶん間に合わない

 ニュースでは国際卓越研究大学への採択を狙っているという憶測が書いてある.確かに国際卓越研究大学への採択は背景にあるだろうが,卓越の制度運用開始時にこの統合が間に合うという訳ではないと思う.
 国際卓越研究大学のスケジュールは既に公表されている.対象大学の選定は次年度2023年度であり,その対象大学を卓越研究大学として制度運用を開始するのは2024年度である.だから制度運用開始時に統合は実現していないだろう.卓越研究大学が逐次的に追加されるとして,当該大学が卓越研究大学になるとしても,後のことだろう.
 両大学が統合の決定をすぐにするとは思えない.両大学が決定しても法改正が必要になる.すぐにはできないだろう.
 また,今の両大学の部局をそのままにして統合するとも思えない.評価される統合計画を持ってはじめて統合に意味が生じる.常識的には統合と同時に新部局(何らかの研究院)を作るとして,新部局には設置申請が必要になる.もし新部局を2024年までに発足させようと思えば,今まさに設置の申請書を書き始めなければならないだろう.2023年度に設置申請をして,2024年度から新部局発足である.まず無理と思う.
 また,新部局を作ったとしての,その成果を出すためには一定の時間がかかる.
 そう考えると,今回の統合協議は,少なくとも中期的な視点で行われるはずである.卓越研究大学の制度の運用が始まった後,追加で卓越研究大学に採択されることを狙うのだと思う.

3.ある意味「弱者連合」である

 メディアのニュースの一部にはこの東工大と医科歯科大の統合を「勝ち組連合」と形容することがあった.確かに一般の大学にとって,両大学とも勝ち組である.しかし両大学は,一般の大学は眼中にない.統合するのはあくまで,指定国立大学群内部での競争を想定したためだろう.その指定国立大学群の中では両大学とも弱者である.統合は強者,つまり東大,京大,東北大,阪大あたりに近づくための戦略と考えるべきだろう.
 指定国立大学は,一橋を除いて,当初の目標をクリアしている.したがって東工大も医科歯科大もしかるべき成果は示しているはずである.しかし,私は東工大は指定国立大学の中でもっと目立つ成果を出すと思っていたが,実際はそれほど目立たず,やはり旧帝大の上位には勝てていない.
 研究が盛んであることを一番示すのは,若手,助教クラスとか博士後期院生の中で優秀な人をどれほど揃えているか,だろうと思う.その若手を対象とした支援プログラムに,創発的研究支援事業や次世代研究者挑戦的研究プログラム,大学フェローシップ創出事業があり,このブログでも取り上げてきた.その支援事業の中で支援を獲得した数が多いのは,やはり旧帝の上位大学である.これらのプログラムで東工大は採択を取りやすいのではないかと思ったのだが,大学の規模を勘案しても,やはりそれほど目立たない.医科歯科大学に至っては採択数が一般大学並みである.だからまだ,ちょっと力が弱いのかな,という気がしていた.
 ちなみに,であるが,私は大学の規模を教員数で見るのがよいと思う.教員数で見ると,東工大は1050名(教員表には1105名と出ていたが,高校の教諭などは除いた),医科歯科大で847名である.この数は,埼大の教員数411名よりはずっと多いけれど,東大は3937名,東北大3203名,阪大3293名なのである.だから東工大と医科歯科が一緒になって,筑波大学くらいになると考えてよいだろう.単に一緒になっただけではまだ強者にはなれない.統合してどのような組織を作るかが重要になる.
 研究者ないし研究グループはある程度独立に,並列的に研究を行う.だから,その中から新機軸が生まれる可能性は,ある程度の規模があることで高まるのだろうと思う.

4.1つの注目点はリベラルアーツをどうするか

 先の東工大の学長説明の中に「さらにそこに両大学が重視するリベラルアーツの発想も活かすことで、社会の課題解決に直接貢献する新たな学術分野を生み出せるとの確信を持つに至りました。」という表現があったのが私の記憶に残った.東工大にはリベラルアーツ研究教育院という組織があり,教員表では51名の教員がいるらしい.もともとは教養部的な組織だったと思うが,今は部局化している.他方,医科歯科大は,国立大の中で教養部という組織を残した唯一の大学である(普通の医科大は医学部の中に教養の教員を含める).その教養部の教員数は30名弱である.
 もし統合を進めるなら,おそらくリベラルアーツ研究教育院と教養部を合体させ,より大きなリベラルアーツ部局を作って特別な役割を担わせるだろう,と私は予想する.どのような部局を構想し,何をさせるかは重要な工夫の対象であり,注目すべきだろう.

5.地方銀行,いや埼玉大学はどうすんの?

 政府の大学政策を見ていると銀行への行政指導と似ているなと思ったことがある.メガ銀行と地方銀行,その下の信用組合を分け,それぞれに役割を与える.実際,銀行はそのランクに応じて行動も違っている.都市銀行は自発的に統合による強化に走り,結果3つほどのメガ銀行が出来た.しかし,従来のビジネスモデルが成り立たないのが分かっているのに地方銀行は動きが鈍い.持ち株会社のような組織を作って銀行のアンブレラを作るのが精一杯なのだろう.同じように,上位大学は東工大と医科歯科大のように統合などの手を打ってくるようになるのかも知れない.他方,地方銀行のような地方国立大学は,18歳人口の低下とともに存立基盤が危うくなる可能性があるのは分かっていて,何もしない.いや実際,特に都市部に近い埼玉大学などは,巨大化した都内の私大に食われて行くにもかかわらず,特に動きもしないのではないのか?という気がしてくる.
 地方銀行はこれからバタバタ倒れて行くかも知れないのであるが,地方国立大学も同じなのだろうか,などと考えてしまう.
 埼玉大学も動くべきだろう.

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学生数の理系比率は上げられるか?

 このブログの少し前の記事で今年度の骨太の方針2022について触れた.その際に私が一番記憶に残ったのが,理系(自然科学)の学生の比率を上げる意向が書いてあることだった.あらためてその記述個所を探すと,次のごとくである.

現在 35%にとどまっている自然科学(理系)分野の学問を専攻する学生の割合についてOECD諸国で最も高い水準である5割程度を目指すなど具体的な目標を設定し、今後5~10 年程度の期間に集中的に意欲ある大学の主体性をいかした取組を推進する。

 理系の比率の5割程度を目指す目標を今後設定する(したい)という話であるから,実際にその目標を設定するかどうかも未確定なのだと思う.しかしそもそも,日本全体の学生比率をそれほど変えることが可能であろうか? 変えるとすれば具体的にどうするのか?という疑問が残る.

日本の学生数の分野別比率

 学生数に関する統計は文科省が毎年度行っている学校基本調査に掲載されている.あらためて,その学生数の令和3年度の確定値をネットで調べてみた.
 まず設置形態別(国公私立)の比率をまとめると次の図1のごとくである.この比率は人が抱く直感に近いだろう.学生の78%は私立であり,日本の大学生の大多数は私大生である.このことから考えると,国公立大学をいじっても全体の比率に影響はほとんど与えないことが分かる.

220807fig1

 設置形態を通して学生の分野別比率を求めると図2のようになる.よく文系vs理系で考えるが,実は文系とも理系ともいえない分野も存在する.ここでは,文系,理系,教育系,家政学,その他に分けてみた.

220807fig2

 骨太の方針2022では,理系の現在の比率を35%と書いていた.図2では34%である.ほぼ同じといえるが,実はどのように分類するかによって変わってくる.
 教育学部は,文系vs理系で分けるときは文系に入れることが多い.しかし理数などの教員養成をする部分は明らかに理系であり,学部全体で文理の別をいうことは難しい.ここでは教育系は文系,理系とは別として考える.なお体育系はほぼ,この教育に入っていると思う.
 家政学は,英語では Home Economics であるので,文字面では文系である.しかし中身は理系的なものが多い.そこで家政学も文系,理系別にした.
 「その他」に以下を含めた.芸術(計,音楽美術等),その他-総合科学,その他-教養課程(その他),その他-その他,である.
 あらためて,「文系」には次を含めた:人文科学(計),社会科学(計),その他-教養学関係,その他-教養課程(文科),その他-人文・社会科学関係,その他-国際関係学関係,その他-人間関係科学関係.
 「理系」は次の合計である:理学(計),工学(計),保健(計,医学など),商船(計),その他-教養課程(理科).
 このように分類したとき,全体の48%は文系であるから,教育系などを含めると,実質は過半数が文系学生であることになる.
 また,文系の中で「社会科学学生数/人文科学学生数」の比をとると,全体で2.3,国立と公立で2.1,私立で2.3となる.つまり社会科学学生は人文の2倍強になる.

国立大学の学生の分野

 学生全体の17%に過ぎない国立大学の分野別分布を次の図3に示す.予想通り理系が一番多く,全体の学生数の半数を超える.文系は理系の半分以下になる.教育の学生数は文系全体の半分を超え,公立や私立の場合より教育の学生の多さが国立で目立つ.教育の学生の大半は教員養成課程だと思う.教員を採用するのは地方自治体であるから,教員養成課程を持つのが公立大ではなく国立大であることは妙な話だとあらためて実感してしまう.

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公立大学の学生の分野

 公立大学学生の分野別の分布は,上記の国立大と次の私大の中間的な傾向を示す.「その他」に入る芸術関係の比率,「保健」の中の看護系の比率が国立や私立より多い.

220807fig4

私立大学の学生の分野

 私大は半数超が文系であり,教育や芸術系なども文系色が強い.だから私大は文系中心の構成である.他方,私大の理系は私の直感的予想よりも高かった.地方には〇〇工大や日大の工学部など,工学系は実は多い.それらの工学系は地域の人材養成に貢献している.その点が私の予想以上に理系が多かった結果になっているのだろうと思う.

220807fig5

理系学生比率の増大は可能か?

 理系の学生比率を上げることは明らかに困難である.具体的なプロセスを想定して骨太方針に「5割への増大を目指す」旨を書いた訳ではないだろう,と私は思う.
 まず,権限からいって,政府が直接指揮できるのは設置者が国である国立大学しかない.しかしその国立大学は全学生の17%を収容するに過ぎない.仮に国立大学の文系学生をすべて理系に転換するという極端なことをしたとしても,全学生の4%程度しか理系学生は増えない.実際はどんなに頑張っても文系学生の1/3程度を理系に転換できる程度だろう.もともと国立大学,特に地方国立大学では文系比率は低い.今以上に文系を減らした場合,当然教員も減る訳であるから,国立大学の文系は部局として意味をなさなくなる.同じく骨太の方針に書いた「文理横断的な大学入学者選抜や学びへの転換を進め、文系・理系の枠を超えた人材育成を加速する」ことも不可能になる.
 学生の理系比率を全体で上げるためには私大を動かすしかない.しかし私学にとって文系,特に法経分野は,少ない投資で学生納付金を集める最重要部分である.そういっては悪いが,伝統的には,法律経済系は授業の多くが大教室授業であり,芋を洗うような教育をするのが常だった.だから設備の経費も少なく経営上はコスパがよい.だからあえて文系を減らすことは自発的にはしないだろう.

具体的に取れる方策

 政府が取るべき政策として私の念頭に上るのは次である.
 第1は経済を成長軌道に乗せることである.そのために(今のように)需給ギャップがあるときはギャップを埋める財政出動をし,インフレ率に応じて金融政策を継続し,規制緩和をしてイノベーションを起こしやすくすることである.そうでないと技術革新に挑戦する企業は限られるし,大学が輩出した人材の雇用も確保できない.成長のための政策をとらずに理系比率を上げることは考えるべきではない.
 第2は,本当に理系人材への需要が見込めるなら(政府の需要予測は普通外れるが),国立大学の交付金なり私学助成金のうち,理系分を割増しで配分することである.理系は経費がかかるので,理系を増やしたい大学も増設を抑制してしまう可能性がある.理系補助の割増しでインセンティヴをつけることで,国立にしろ私立にしろ,新設の部局を理系にする可能性は高い.
 第3は,理系部局の新設を政府が直接行うことである.政府主導で可能なのは国立大学においてになるだろう.もともと日本では研究成果の低下が問題になっていた.研究成果(論文数)を説明する最大の要因は,豊田長康先生の以前の分析では,研究者数だった.研究者数が多いから研究成果が出るという,当たり前の話である.実は論文数の停滞が話題になっていた時期,研究者数は先進国に比して横ばいに過ぎず,フルタイム換算の研究者数にいたっては低下していたのである.本気で科学技術の研究成果を上げるなら研究者数そのものを増やすことは考えるべきことなのだ.研究者増への投資は公共事業のコスパ基準を軽くクリアするはずである.
 以上の方策が望ましいと思うけれど,政府はまあやらないかな,という気がする.代わりに政府がやりそうなことは次の2つかなぁ,と思う.
 第1は,私学に対し,新設は原則理系以外を認めない,とすることである(国立では原則新設なしが続いている).政府が民間の大学に対してこのような政策をとることは,専制国家的ないし社会主義的であり,自由主義の下では望ましいことでないように私は思う.
 第2は,政府が国立大学に対し「理系イニシアティヴ・プログラム」みたいな感じの公募計画を提示し,多少の新設ポストを餌にして,文系から理系への学生定員・教員の転換を求めることである.多少の新設ポストに目がくらんだ大学は学内の文系を理系に転換する計画を作るかも知れない.ただ,既に雇用した教員の首を切らないという従来の慣行を維持するなら(維持することになると思うが),この種の転換は完成年度が長くかかるので,退職者で空きポストを多くひねり出せる大大学を除いては,計画の作成は難しいだろう.
 と書いてみたけれど,「政府は結局何もしなかった」というのが,一番ありそうなシナリオのような気がする.

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大学に注文する前に政府にはやるべきことがある

 最近のこのブログでも繰り返し書いていることであるが,政府は大学に対して様々な期待を寄せて大学行政を試みている.単に「学校」として存在すればよかった大学に対し,社会の成長の中核であると言わんばかりの表現を政府はしている.このことは大学にとって有難いことである.期待されるということは見捨てられないことであり,今後投資の対象になることを意味するからである.
 しかし政府の期待の仕方は,見ていてヤレヤレと思う面がある.

 第1は,だから悪いという訳ではないが,従来の産業政策の手法がそのまま適用されていることである.国際卓越研究大学は,「社会変革を牽引する中核」と持ち上げられ,「知・イノベーションの創出」,「新産業の創出」,「グローバル課題の解決」などがミッションとされる.要するに大きな変革の担い手と想定されている.何となく国際卓越研究大学が,銀行で言えばメガバンクなのだろう.そして地域中核大学というのが,地方国立大学はこの類型と思うが,メガバンクよりランク下の顧客を想定しているようで,地域創生(地域の産業創出・雇用創出),地域産業の「第二創業的なイノベーション」(中小企業の代替わりで行うイノベーション)を担わせることを考えている.茨城県でいえば常陽銀行のようなものをイメージしているように見える.さらに小ぶりな地方大学が信用金庫という見立てなのだろうな,と感じる(地方国立大学が信用金庫相当かもしれないが).
 繰り返すが,だから悪いという訳ではない.でも何か,笑っちゃいますよね.

 ヤレヤレの第2は,政府の期待は,虫が良過ぎるんじゃないの,という点である.
 政府が大学に期待していることの多くは,考えてみると日本経済が成長軌道に乗るかどうかにかかっている.学術上のイノベーションであれば研究予算があればできると思うが,技術のイノベーションや新産業の創出は,経済の成長,そのための各種の規制の改革が必要だろう.例えば農業は先端のハイテク産業になる可能性を秘めると思うが,農業に企業が参入することをブロックしているようでは難しいように思う.国際卓越研究大学に事業予算の3%を政府は要求するようであり,その数字は米国のトップ大学の数字だと思うのだが,米国はちゃんと経済成長しているからその数字を出せる.規制改革をし適宜財政出動もする必要があるところをしていないのに,そんな都合のよいことを大学に一方的に求めるというのは何のこっちゃ,という気分にさせる.
 地方大学に求める地域の産業創出,雇用創出も同様である.経済成長の恩恵が地方に波及しないのに大学が頑張ってどうなることではない.
 要するに,政府は,大学に期待することをやらせる以前に,自らやるべきことがいろいろあるのに,何もしていないんじゃないの,という感想を,私は政府の文書を見ながら感じざるを得なかった.政府がまずやるべきことをやらないと,大学の方も内心は「てやんでぇ」と考えざるを得ないように思える.

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岩盤規制に回帰する大学行政

 先日(2022/7/19)の読売ニュースに「2025年以降は薬学部の新設を認めない」という文科省方針を伝える記事が載った.
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20220719-OYT1T50166/

規制改革が望ましいと思う私はヤレヤレと思った.例によって既存業界の保護のために文科省が動いたと見るべきだと思う.「薬剤師余り」があるという理由なのだが,投資する側がその通りと思えば新薬学部は自ずとできない.が,自由主義社会では,政府が許認可権で作らせないと決める話でないのである.
 この種の岩盤規制は既存業界のうちの競争力のない部分を保護するように働く.その結果として業界の代謝が行われず,イノベーションも生じにくくなり,業界全体の競争力を停滞させることになる.そういうと「新自由主義」といって批判する向きも多いのであるが,その程度のことは経済成長している自由主義国ならどこでもやっていることであり,同じような岩盤規制が社会の中に張り巡らされているから日本は経済成長できない.そして岩盤規制があることによって官庁側は保護した団体に天下り先を確保する.
 大学の岩盤規制は医学部と獣医学部で強い.安倍内閣では(医学部は既存業界が強すぎるので)獣医学部について岩盤規制を崩そうと思い,特区という仕組みを作って新設を認めさせようとした.その試みに岩盤派の既存業界と文科省が抵抗し,野党が岩盤派に味方したのが「加計問題」の本質だった.本来なら加計学園に続いて獣医学部の参入があって良いのであるが,できていないのはそれだけ抵抗が強いということなのだろう.医学部については,菅内閣が東北復興という名目で1つだけ新設を認めさせたが,その後が続かない.
 読売の記事が出た後,高橋洋一,原英史,岸博幸など改革派が,この問題を取り上げる動画をYouTubeにアップしていた.話を聞いていて「そりゃそうだよな」と思った.
 その動画には私が考えなかった論点も入っていた.第1が,薬剤師の役割が医師に都合よく制限されているので仕事も少なくなっている,という点である.いわれてみれば.米国では薬剤師がコロナワクチンの注射をしている.同じことは日本ではできなくされている.こうした規制を外していけば自ずと薬剤師の需要も多くなるのである.
 第2が,政府は業界の保護ばかりを考え(票になるからであるが),競争力のない部分の市場からの退出Exitを図らない点である.定員を充足できない薬学部は少なからずある.それらの薬学部の統合や退出を促すことをしていない.
 規制を改革し,異業種からの参入を促さないと,産業の競争力は上がらないし,新たな結合によるイノベーションも起こらない.要するに社会の活力は上がらない.日本社会のいろんな側面に同じ問題があるのだろうな,と思ってしまう.

 薬学部だけでなく,大学一般についてもいえることのように思う.もう少し動きがないと日本は沈んでいくのではないか.

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「魅力ある地方大学」は魅力的か?

国際卓越研究大学と魅力ある地方大学

 現状で国立大学に対し,政府は2つのタイプの大学像を提示しているように見える.1つは国際卓越研究大学,もう1つは地方大学(ないし地域の中核の大学)である.たぶんこの両者に属さぬ大学も想定しているとは思うが(例えば「強みのある研究大学」),「地方大学」とどう違うかは政府の出す文書でははっきりしない.国際卓越研究大学と地方大学の二択が提示されているようにも思える.骨太の方針2022を見ると,この2タイプ以外は想定していないように感じる.

 国際卓越研究大学の方の政府側規定は明瞭である.文科省や総合科学技術・イノベーション会議を見るなら,国際卓越研究大学は「社会変革を牽引する中核」であり,「知・イノベーションの創出」,「新産業の創出」,「グローバル課題の解決」などがミッションとなる.
(https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/20220208-mxt_koutou01-000020496_ex1.pdf)

 対して魅力ある地方大学に期待されているのは,(地方自治体や地域の諸組織との連携を前提にすると思うが),地域創生,より明確には地域の産業創出・雇用創出ということになる.また,イノベーションについても,国際卓越研究大学に対して求めるイノベーションとはニュアンスが異なり,(地域産業の)「第二創業的なイノベーション」と明言される.「第二創業」とは「比較的規模の小さい中小企業などににおいて,新しい経営者を就任させ別の分野に進出すること」であり,国際卓越研究大学がなすべきイノベーションとは次元が異なる.
(例:https://www.mext.go.jp/content/20211020-mxt_hojinka-000018545_1.pdf)

魅力ある地方大学に人は行きたがるか?

 「魅力ある地方大学」の中身としては,中教審の大学分科会の資料が最も詳しいだろう(https://www.mext.go.jp/content/20210827-mxt_koutou01-000017637_1_2.pdf).私は何か月か前にこの文書を見て溜息が出た.確かに,米国の場合でも州トップでない州立大学はこの雰囲気なのである.だから仕方ないと思う反面,このような大学像に人は夢を抱くだろうか? 私が今,研究者志望の大学院生なら,国立とはいえ地方大学に行くよりは都会の私大に行きたいと思うだろう.私が当該地域の受験生であれば,そのような地方国立大学に行くよりはやはり都会の私大に行きたいと思うだろう.研究にしろ教育にしろ,知の価値はその中身の普遍性にあるのに,ここまで地域地域といいつつリアル過ぎる目標を突きつけられると興ざめしてしてしまう.
 人に夢を与えない構想は,できれば頓挫してもらいたい.

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埼玉大学は研究力第2グループに入れるか?

 現在,政府は国際卓越研究大学という制度を作り,日本のトップ大学に手厚い支援を行おうとしているように見える.下の方の大学への支援がどうなのかははっきりしない.しかし何れ,2番手の大学群を支援し,研究力の層の厚みを作ることを目指すようになるだろうと,私は希望的に予想している.ここで私の関心は,その2番手に埼玉大学が入れるかどうかという点である.この私的な関心について,ここでは茶飲み話的に意見を書いてみたい.

科学技術・学術政策研究所の分析

 2018年にこのブログで「国立大学の研究力」という記事を書いた(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2018/04/post-989c.html).この記事は文科省の科学技術・学術政策研究所が2018年3月に公表した「日本の大学システムのアウトプット構造:論文シェアに基づく大学グループ別の論文算出の詳細分析」(https://www.nistep.go.jp/wp/wp-content/uploads/NISTEP-RM271-FullJ.pdf)を参照した.その当時,日本の研究力(理系だけだが)が低下したという議論がよくなされていた.従来は印象論で語られていた「研究力の低下」について,この報告書はかなり綿密な検討を行っていた.この研究所は良い仕事をしている.
 さらについ最近,このブログで国際卓越研究大学や総合振興パッケージについて触れた.その際に私が感じたのは,今のところ政府は国際卓越研究大学(ほとんど指定国立大学法人と重なると思うが)の支援しか考えていないのではないか,という点である.
 しかし,国際卓越研究大学や総合振興パッケージについて文科省が出している文書を眺めるうちに,おそらく国際卓越研究大学に続く大学群の育成が課題になってくると感じさせる要素もあると思った.もともと,2018年当時から,トップに続く層の厚みを作るべきという論調は一部マスコミには出ていた(つまりそのような解説者もいた)のである.
 同研究所は2021年12月1日付で「大学の研究力の現状と課題」という資料を出している(https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/000148080.pdf).この資料の中には2018年3月の報告書にない分析を含んでいる.その1つが日英独の大学の比較である.

日英独の比較

 日本を英独と比較したのは適切と思う.人口でいえば英国は日本の半分強,ドイツは日本の2/3程度であり,したがってGDPでも日本の方が大国である.しかし日本を米国や中国と比較しても仕方ない.英独は日本より研究面では光っており(質の高い論文の比率では英>独>日),科学面では先進国と見なければならないだろう.そして英独ができることなら,おそらく日本にも可能であろうと思わせる面がある.
 同研究所は一貫して,世界における論文シェアで大学を第1~4グループに分けている.同じ基準で見たときのグループの該当大学数は次の表でまとめられている(この表は2018年の報告書のままであり,基にしたデータはやや古い).
 念のために書けば,日英独で短大を含めた大学進学率は6割強であり,ほぼ等しい.しかし文科省の資料(OECD比較)では,4年制大学への進学率は日本が51%,英国はやや高く63%,ドイツはやや低く42%,と出ていた.大学総数が3か国でかなり異なるけれど,人口差を勘案すると,日本の大学が平均的に規模が小さく,英国が規模が大きいのではないかと思う.

220705image1 

      (「大学の研究力の現状と課題」より)


 第1グループに属する大学(日本では東大,京大,東北大,阪大)のい数は,日本と英国で同じ4であり,ドイツは1つしかない.しかし,日本と英独でかなり異なっている.日本は下に行くほど数が多く,ピラミッド型の分布になる.しかし英国やドイツは第2グループの数が多い.日本では第4グループがかなり多い(埼大も第4グループ).
 図1で第1~第4グループの大学数と大学の国別比率をグラフにした.特徴的なのはドイツであり,第2グループがかなり大きいのである.英国は日本とドイツの中間であるけれど,第2グループの比率はやはり日本より大きい.

220706image2  

 図2では第4グループより下の大学を含めた大学数と大学比率をグラフ化してみた.この底辺大学は,日本だと主として文系中心の私大になるだろう.英国は底辺大学が少なく,日本とドイツは底辺大学が多いことになる.

220706image3

 ただ,日本やドイツで「底辺大学」が多いのは,大学の規模が小さいからだろう.データは大学の論文数から出しているので,規模が小さければ,研究者は優秀でも,論文数は少なくなるしかない.
 規模のこの効果は埼玉大学の状況もよく物語るだろう.埼大が第4グループに過ぎないのは,理工の規模が小さいからである.単純に,埼大に医学部があれば,それだけで第3グループになると思う.埼大が同じ規模の大学と統合すれば,パフォーマンスが同じでも,自動的に第3グループになるだろう.
 だから,大学ごとの論文数で比較するのではなく,所属研究者1人当たりの論文数でデータを出すべきだ,と思う人もいるかも知れない.旧帝大は規模が大きいから,どうしても研究量は多くなる.
 しかし,仕方ないだろう.単に人数が多いことが原因であっても,論文総数が多ければ,世の中にとってその大学の研究の存在は大きいからである.
 ここでごく自然に,「第2グループの重要性」が示唆される.同研究所の資料によれば,英国では第2グループの論文数が最も大きく,第1と第2グループの論文数は全体の8割になる.ドイツでは第2グループが大きく,第2グループだけで論文の8割を生んでいる.対して日本では,第1グループの論文数は全体の22%,第1と第2グループを足した論文数でも5割弱にとどまる.
 もう一つ注目してよいのは,同研究所の上記資料が「日本の場合、全分野の上位10大学と各分野の上位10位に入る大学の顔ぶれがほぼ固定されている。」と記載している点である.資料を見ると,特にドイツで特定分野で抜きんでている大学が多いのが目立つ.第2グループの中にはそのような大学が多い.対して日本では,大学はどの分野でも強いかどの分野でも弱くなる傾向がある,つまり両極化するため,第2グループに該当する大学数が少なくなる.
 研究が第1,第2グループに集中することが良いことか悪いことかは一概にはいえない.しかし国が特に支援する大学を限定するとすれば,第1,第2グループに集中していた方が支援はやりやすい.その点を考えると,国際卓越研究大学以外を支援するとすれば,広く浅く支援するよりは第2グループに支援を集中することになると考えるのが自然だろう.

埼玉大学は第2グループに入れるか?

 埼玉大学の経営者は,可能なら研究力の第2グループに入ることを狙うべきだろう.どのようにして可能であろうか?
 第1は大学の理系規模を大きくすることである.そのためには統合しかないように思う.
 統合の場合考えるべきは,同じ立場(規模)の大学の合併だと合併後が落ち着かないことである.嫌かも知れないが大きな大学に吸収されるのがよい.できれば既に第2グループにある大学に吸収されるのが手っ取り早い.埼大の近くにある第2グループの大学とは,千葉大,筑波大,東工大,早慶と日大である.
 第3グループと合併しても第2グループになれるかも知れない.埼大の近くの第3グループの大学とは,群馬大学,東京医科歯科大,東京農工大,私大でよければ東京理大である.医系大学でよければ北里,順天堂,東京女子医大があるけれど,ちょっとピンと来ないだろう.
 第2は強みを強化することである.実際に常勤のポストを強みとなる分野に再配置する必要がある.同研究所の資料では,埼大は基礎生命科学分野がやや強いことになっている(私には確認できないが).もしそうなら,単にその分野を重点領域とよぶだけではなく,ポストを付けて行く必要がある(既にやっているかどうか?).
 強みを強化するためにも,大学の規模が大きい方が有利なのは明らかである.かつて群玉統合が話題になったときにも,統合の利点は強みの強化に使える資源を確保することにあった.
 と書いてみたが,この程度のことは誰でもいえることであるから,わざわざ書くべきだったか,と疑うべきかも知れない.しかしここで書いた類のことを戦略として練ることは,埼大の経営者に必要なことであり,既にやっているなら幸いだ.

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学校教育法から乖離する大学行政

 表題は,大学行政が学校教育法から乖離してけしからんというのが趣旨ではない.逆である.「乖離することが望ましい」が本意である.

大学を主として学校と位置づけてきた従来

 大学の必須の要件は教育(人材養成)をすることである.もし研究をするだけなら研究所であって大学ではない.しかしこれまで,大学教員を含めて多くの人は大学を主として学校であると考えていたように思う.
 1995年のことだったが,私は埼大教養学部の教授会で,学部の力点を研究に置くべきことを主張したことがある.その経緯を以前,私は次の記事として書いた.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2018/08/post-61e0.html
 上記の記事でも書いたことであるが,教授会では「いや,学校だ」という反応がほとんどだった.それだけ皆さん,大学を学校と位置づけていたのである.
 よく考えてみると,日本では大学を「主として学校」と位置づけてきたきらいがある.まず大学の成立根拠になっているのが法的には学校教育法である.学校教育法では幼稚園から小中高校の目的を定め,次に大学の目的を定めている.
 学校教育法は成立した1947年の当時,次のように目的を定めている.

第五十二条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。

 「教授研究」という表現で研究の文字を入れているが,素人の私には「教授研究」が「教育と研究」を指すのか(そうならそう書けよ),「教授法を研究する」ことなのか,よく分からない.

 2020年の改訂でも,大学の目標規定の文言はそのまま維持されている(ただし第八十三条となる).が,次の第2項が加えられている.

② 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

第1項では「教授研究」なのに第2項ではじめて「教育研究」という言葉が出てくる.ただ第1項の「目的を実現するため」という条件が入っているので,あくまで教えるために研究している感が強くなる.
 また,「社会の発展に寄与するものとする」という言葉が入っているので,いろんな活動によって社会の発展に寄与するもの」ともとれるけれども,第1項が教育中心に書いてあるため,あくまで「人材養成を通じて社会の発展に寄与する」ことをいっていると考えた方が自然と思う.

 なお,同じく1947年にできた教育基本法では,当初,大学に関する記載はなかった.しかし2006年に改訂された教育基本法では大学に関する条文が次のように追加された.

第7条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

 この教育基本法だと研究が大学の目的として明記されている(深く真理を探究して新たな知見を創造し).学校教育法は2020年の改訂であるので,大学の目的は教育基本法のこの条文に入れ替えればよさそうなのに,なぜかそうはならなかった.
 ここまでが現状である.この現状に慣れてきた大学教員にとって,例えば,「イノベーション? そんなの大学とは関係ねぇ」と思うのではないか?

縦割り行政が大学を制約してきた

 ちゃんと調べていないで間違っているかも知れないが,日本と米国では大学の存立基盤がかなり異なっていて,そのことが日本の大学の存在を小さくしてきたように感じている.
 印象として,米国では,大学(少なくとも州立大学)は広い意味での社会資本ないし公共財であって,単なる学校ではない.米国にも連邦政府に Department of Education はあるけれども,日本の文科省のように大学を直接規制することはない.もともと(特に州立)大学は州の存立のために設置された.多くの州の主要産業は農業であったから,農学のCollege は歴史がある.日本だと農業試験場のようなものが昔からあったが,管轄は今の農水省であるから,文科省管轄の大学とは別にできる.また別の省が作る高等教育相当の機関は文科省の大学にはなれずに「大学校」と称することになった.米国の場合,日本のような縦割り行政がないので,何かを作るときはまず大学に作ることになるように思う.大学は大きなスタジアムや陸上競技施設を持つ.日本の大学が大学での体育の授業をする程度の体育施設しか持たないのとは対象的である.また,企業が研究に投資する場合も,自前の研究所を作ることもあるだろうが,お金を大学に出して研究所を作らせる,ということが起きやすい.その結果,大学が大きな社会資本ないし公共財として成長してきた.日本は大学が学校の規模のままであり,文科省管轄の世界以外からは切り離された世界になり,学校として小さく成長して現在に至った,ということではないかと思う.
 法的には,日本では各省庁が扱う事項を省ごとの設置法で決めてしまっている.大学を文部科学省が管轄することは文部科学省設置法の所掌事務としてまとめられている.そして大学は,小中高校と同じ発想で管理される結果になったのではないか,という印象を私はずっと受けている.
 私は2017年に埼大を退職したけれども,当時よく,文科省主導で「高大接続」が叫ばれた.私は内心やれやれと思った.高校と大学をなぜ接続させる必要があるか? 高校の校長は高大接続を願うらしいが,昔高校を卒業した人が遅れて大学に入学することもある.高校は高校で目的があり,大学もそれぞれに目的があるのだから,高校でやっていることに制約されることなく大学は入試をやってよいのだと思う(出題範囲を明示する必要はあるとしても).高大接続などという発想が出てくるのも,文科省が「学校」を一括して管轄する結果だろう.
 高橋洋一氏のYouTube動画を見ると,省ごとに所掌事務を法律で決めている国は日本以外にないらしい.政府の所掌事務は決まってても法的に省に分けてはおらず,どこが扱うかは政府(政権)が決めるらしい.したがって日本においてきわめて縦割り行政が強く,その結果大学の存在が狭い範囲に限られる結果になった可能性がある.

今生じていることの意味

 この縦割り行政の制約を政府が崩そうとしている,という現実を,今,われわれは目にしているのだと私は思う.私がそのように思うようになったのは,このブログで少し前に扱った,大学への総合振興パッケージの資料を目にしたときである.大学支援の補助金として,文科省の補助金以外に経産省や内閣府,総務省の補助金が例示されていた.大学の支援は文科省だけでなく,関連他省庁が関与し,その「連合軍」を内閣府でまとめている感がある.最終的に大学の世話をするのは法的に文科省になるのであるが,政府が全体でかかわるようになったといってよい.
 大学への行政の関与が「連合軍」になって来たのは第2次安倍政権になってからと思う.ちょうどその頃に文科省も「グローバル人材」といい始めたのであるが,私が今確認できたことでいうと,2014年の骨太の方針で「大学の徹底した国際化、理工系人材の育成、教育研究基盤の確立」と書き始めている.この頃から大学の研究を日本の成長戦略の要と位置づけ始めたのである.この傾向が現在の国際卓越研究大学,総合振興パッケージ(その中身の評価は別にして)によって,より明確になったというべきだろう.
 総合振興パッケージでは,新産業の創出や地域創生,イノベーションといった,学校教育法による大学の規定からは飛躍する課題が大学に対して向けられるようになった.そして大学の振興は文科省だけに任せるのではなく,複数省庁が関与する方向が明確になってきたように思う.この大学振興策の発想の元にあるのは,米国の大学の姿なのではないかと思う.

象徴としての加計問題
 
 安倍政権時代に騒いでいた加計問題は,実は象徴的な出来事だったと見るべきだろう.当時(実は今も),大学の認可は法的根拠もなく文科省が握っていた.大学の認可は文科省の専管事項であり,獣医学部1つを総理大臣でも作らせることはできなかった.文科省が既存業界と談合して半世紀に渡って獣医学部を作らせなかった.医学部についても同じことがいえる.
 だから獣医学部を作らせるために官庁の支配の例外を許す「特区」を設定したのが加計問題だった.「特区」は内閣府が主導する枠組みだった.加計学園の獣医学部は,文科省の専管事項を侵害する出来事である.だから当時,文科省(文科大臣は除く)は組織として安倍政権と争った.前川喜平が安倍総理を批判しつつ主張したのは「大学のことは文科省が決める,政治が口出すのはおかしい」という点だった.前川の主張は権限を既存省庁が握り続け,それによって天下り先を確保する官庁固有の行動だったというべきだろう.
 その後,政府は東北地方に例外的に医学部を1つ新設させたけれども,その新設も「東北復興」という名目を使って例外的に行ったことだった.
 このように,文科省(など既存官庁)による岩盤を崩す試みが,不十分ながら行われる事例があった.それらは何れも既存官庁の縦割りによる専管事項を崩す試みだったといえる.現状での大学行政は,内閣府にいくつかの官庁が関与しつつ連合軍として文科省を主導するという方式になったのだと思う.

この変化は望ましいのではないか?

 今の大学行政に生じている変化は,左翼勢力が大学で繁殖させて来た勢力を温存したい立場からすると改悪であるが,この国と大学の将来にとっては望ましいことであると私は思う.今後の知識社会において大学が産業や社会一般を牽引することは必然である.大学が官民の投資を受けられるようにすることで,社会の中で大学の存在は「学校」を超えて大きくなる.政府はなぜか,大学により強いガバナンスを求めているが,個別の是非はともかく,方向性としては仕方ないことと思う.教員の選挙によって学長が決まり,学長によって大学の方針が変わるようでは,大学は投資の対象にはなりにくい.個別の学長の意向を超えて「合議体」が学長と経営方針を決めるようでないと(うまく行くかどうかはともかく),大学は広い投資の対象にはならない.クーデターの多い国が投資を呼び込めないのと同じである.
 より大きな存在の大学を出現させることが,今の大学の課題であろうと感じる.

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国際卓越研究大学の行方

 少し前に「国際卓越研究大学」について触れた.ここではこの国際卓越研究大学の行方について,素人の私の感想,ないし予想を書いてみよう.「行方」とは2つの意味がある.1つは国際卓越研究大学がどのように規定されるか,2つ目は実際のどの大学が国際卓越研究大学になるか,である.私の予想を予め書けば,CSTI(総合科学技術・イノベーション会議)が言っていたような格好で,指定国立大学法人が中心になって,2024年度から国際卓越研究大学という制度が発足することになるだろう.

国際卓越研究大学が毒饅頭でも上位大学は食べるだろう

 国際卓越研究大学は大学にとって毒饅頭かも知れない.大学ファンドからの支援は欲しいものの,大学の体制を変えることが求められる.大学はできればその体制変更をしたくない.そこでどうなるかという問題である.だから国際卓越研究大学の制度導入には,特に左翼陣営から反対論が出ていた.
 国際卓越研究大学にCSTIが求めた事柄のうち,特に問題にすべきは次の2点であるように思う.第1は学長の上に「合議体」を置くことである.この合議体(何れ別の名称になると思う)が学長を選び,また経営方針を決めることになる.学長を中心に学内で合議(悪く言えば談合)して決定をしていた大学としては嫌であろうし,教員による学長選挙はキッパリ消えるだろうから,大学教員に根を張ってきた左翼陣営は嫌なことは間違いない.そして何れの大学でも左翼は根強い.第2は,CSTIが大学の事業規模(たぶん予算額)に年率3%程度の成長を求めたことである.委託研究費などは各大学ともかなりの成長率があると思う.しかし大学の事業予算全体の3%成長とは,大学にもよろうが,難しいだろう.また,大学独自の基金設立を求める話もある.東大の場合は東大債を発行した.が,金額的には東大としては大きいとはいえないし,どれだけの大学が同じようにできるだろうか?
 とはいえ,国際卓越研究大学になりたい上位大学は,やはり毒饅頭は食べるだろう.そう思うのは次の理由による.

合議体

 国立大学の場合でいえば,この合議体は学長選考委員会のようなものである.たぶん評議会から教員代表が,経営協議会などから馴染みの学外委員が出て構成される.だから中身は従来の学長選考委員会と変わらない.
 学長選考委員会と新たな合議体が異なるのは,合議体が経営方針まで決める点である.
 ただ,想定されている合議体が具体的な経営方針を独自に作れるかというと,たぶんできない,と私は思う.これまでも学長選考委員会では,外部委員は一言はいいたいだろうが一言いえばそこから先は事務局が出したたたき台をそのまま飲んできた.自説にこだわる動機付けは薄い.私が直接知っている埼大の学長選考委員会はそうだったし,新聞報道を見る限り東大でも同様である.お客さんとして呼ばれた外部委員は,大学に詳しい方はおられるだろうが,大学の経営方針を作るために多くの労力を投入するとは思えない.やりたくても,方針策定のための検討作業などしないだろう.経営者として呼ばれた合議体構成員が,巨額の役員報酬を得,かつ大学の成績に応じて報酬額が上下するなら別であるが,そうはならないだろう.
 つまり合議体は,大学の事務局が作成したたたき台を飲む以外の選択はないだろう.だからこれまで通りに学内で作った計画を事務局を通して合議体向けのたたき台にしてもらうことで終わるような気がする.
 合議体を作るのが嫌で国際卓越研究大学にならない,ということは生じないように私は思う.しかし合議体を作ることで,旧来の教員の談合で物事を決めるルートは,かなり細くなる.

事業成長

 政府が国際卓越研究大学に事業規模3%程度の成長を求めた箇所を見たとき,私は思わず笑ってしまった.国の経済を成長させられない政府が,どの面下げて大学に成長を求められるのか,ということである.大学が事業成長できるのは,国として成長がある場合なんじゃないの?と思った.
 という考えが正しければ,大学は事業成長をそれほど心配する必要はないのでは,という気がする.結果は国の経済成長にかかわるから,ダメなときはどの大学もダメであり,それゆえに言い訳はできるだろうからである.
 もっとも,国際卓越研究大学に申請する大学は申請時に事業成長を見込めるという事業計画を作成して提出しなければならないだろう.その事業計画を作れるのか,大学債などの発行に目途が付けられるか,その辺が一番難しいところのような気がする.

国際卓越研究大学になる大学に意外性はないだろう

 国際卓越研究大学の根拠法案が今年の5/18に成立した.その成立と同時に,共同通信と朝日新聞は手を上げる意欲のあると回答した大学名を報道した.東北大,阪大,名古屋大,東京農工大,早稲田大である.東大,京大の名前は出なかった.
 ただ,これらの大学名は一体何なんだ,というべきだろう.国際卓越研究大学は事業計画の提出を経て選定されるから,公募になるだろう.が,公募要領も出ていないのに,手を上げるも何もないのである.「詳しいことは何ともいえない」以外の返事はないではないか? 
 ただ,名前が挙がった5大学は,何れも動機づけが高そうな大学だな,と私でも思う.まず東北大,阪大,名古屋大は,その順で,東大,京大の背中が見える位置にある.だから東大,京大を抜く意欲が高いはずなのだ.私大では,早稲田より慶応の方が実力はあると思うが,早稲田はこの何年か,研究力が高いという格好にすることに意欲を示してきたように私にも見える.
 東京農工大は法人支援では世界型(③)である(私には意外だったが).それだけでも意欲は高い.ただ論文シェアでは第2グループでもなく第3グループ(埼大は第4グループ)である(埼大と同様におそらく大学の規模が小さいためだろう).だから存在感は大きくなく,現状で投資の対象にはならないような気がする.
 早稲田についてはよく分からない.
 国際卓越研究大学になる大学は,研究成果を示せるか,成長する事業計画を作れるか,ということにかかる.その2点について,指定国立大学法人は準備運動をしていたようなものであるから,指定国立大学法人を中心に国際卓越研究大学が出ることになるとしか思えない.そう見たとき,国際卓越研究大学になるのは東大,京大,東北大,阪大,名古屋大とプラスアルファ,計7,8大学ではないか,と考えるのが自然と思う.

東京農工大と埼大

 話は横道に逸れるけれども,上で触れた東京農工大と埼大を比較すると面白い.財務諸表を見ると,両大学とも予算規模は非常に近い.国からもらう運営費交付金の額もほぼ同じ(東京農工大が少し多い).違いは,授業料収入が埼大の方が多いこと.埼大は文系が多く,文系は教員数の割に学生数を抑制して設置されるので,授業料収入は埼大の方が多いことになる.しかし委託研究費は東京農工大の方がずっと多い.結果として予算規模が同じになる.
 東京農工大と埼大は同じくらいの規模の大学なのであるけれど,東京農工大は農学系と工学系だけの大学なのに対し,埼大の方は理工の規模が小さい.論文シェアで東京農工大が第3グループなのに埼大が第4グループなのは,その理系スタッフの規模の違いによるのだろう.なお埼大は,医学部を持っていれば確実に第3グループに入るだろう.
 私の先入観では,理系が多い大学はイケイケになるように思う.17大学人文系学部長会議の範囲では,徳島大学が理系が多く,結構イケイケだった.
 東京農工大は埼大が協力関係を作るのに良い相手なのかも知れない.

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大学への「総合振興パッケージ」の薄情

(「薄情」は「うすなさけ」と発音してください.)

CSTI

 今年(2022)の2月1日付で,CSTI(総合科学技術・イノベーション会議,内閣府)は「世界と伍する研究大学の在り方について」という最終まとめを公表した.
https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/sekai/kenkyudai_arikata_p.pdf
と同時に,同じ日付で「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」を公表している.
https://www8.cao.go.jp/cstp/output/kenkyudai_pkg_p.pdf
 2022/6/7閣議決定した骨太の方針2022では,「世界と伍する研究大学の在り方について」が「大学ファンドから支援を受ける国際卓越研究大学」に対する措置であり,「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」は「地域の中核大学等が、特色ある強みを発揮し、地域の経済社会の発展等への貢献を通じて切磋琢磨できるよう、産学官連携など戦略的経営の抜本強化を図る」ためのものと表現されている.たぶん,「地域の中核大学等」は,この時点では,大学ファンドの支援対象とは想定されていないのだろう.

 CSTIは議長が岸田首相であり,重要閣僚が名を連ね,有識者のトップとしてよく名前が出る上山隆大氏が入っている.議論の実質は会議の下にあるいろんなワーキンググループでなされており,通して出ているのは上山隆大氏であるから,同氏の意見が多く反映されるものと思う.しかしこれだけ複雑な会議であると出席委員は一言いって満足して終わるだろうから,結論の中身は事務方(岸田内閣では財務省・経産省の官僚)が取りまとめたものがそのまま通るのではないかと想像する.

 私見では,世界と伍する研究大学,つまり国際卓越研究大学については今さら見聞して新しいことはない.が,「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」(以下,「総合振興パッケージ」と略)については政府筋が何を考えているかについて興味を喚起する面がある.
 以下,その総合振興パッケージについて,私がざっと見た感じを茶飲み話として書いてみたい.不正確な点はご勘弁願いたい.

総合振興パッケージが想定する大学階層

 パッケージの対象は「地域中核・特色ある研究大学」である.略さずに書けば「特色ある研究大学」と「地域中核(研究)大学」なのだろう.「特色ある研究大学」は,国際卓越研究大学には届かないけれども限定した分野の研究で世界的水準にある大学を指していると思う.典型例は金沢大学のような国立大学,ないし早慶あたりだろう.「地域中核大学」は,地方国立大学はみな該当するものと想像する.
 「地域中核・特色ある研究大学」については3つの類型が書かれているのが面白い.第1類型は「特定分野で世界トップレベルの研究拠点」を持つ大学である.第2類型は,世界トップレベルの研究拠点を持ちつつ大型の産学連携を推進する大学である.第3類型は,世界トップレベルの研究拠点は内部に持たないけれども,学外拠点と連携しつつ地域の産業振興・課題解決に貢献する大学である.
 CSTIの資料では,国際卓越大学とこの3類型が1次元で上下に位置する階層構造が描かれている.むろん上から,国際卓越,第1類型,第2類型,第3類型である.
 ここで気になるは,3類型で出てくる「世界トップレベルの研究拠点」が何を指すか,という点である.同資料では「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」が例示されている.しかしWPIはほとんど指定国立大学法人で認定されており,例外は金沢大学くらいしかない.だから総合振興パッケージの対象大学にWPIはないだろう.単なる「強みのある分野」ということかも知れない.
 たぶん,国際卓越研究大学を含めた4類型の下にかなり多くの弱小大学があることになるのだろう.

総合振興パッケージは何をいっているか?

 細かく検討した訳ではない私がいうのは気が引けるが,大まかにこの総合振興パッケージが何をいっているかについては,次のようなことであろうと思う.
 第1は,大学に対して上から目線で訓を垂れている.大学は研究の強みを作るべきだとか,大学間の連携をすべきだ,地域でネットワークを作るべきだといった,一般論としてはその通りであり誰も理解していることをいっている.個別の大学に対して具体的にいってくれないと,大学の方も困るだろう.
 第2に,新たに財源を動員して支援しますという印象はなく,既にあるいろんな補助金をまとめて表示することで大学の便宜を図る,という考えのように読める.「総合振興」の「総合」というのは,その補助金枠をまとめて示す,ということのように読める.いや,おそらく補助金の枠は大学の事務方は把握しているはずだから,そんなの,まとめて書いて何かプラスなのか? しかも,例示される補助金枠には既に募集を終了しているものもあるではないか?
 という訳で,この総合振興パッケージって何なのさ? 各大学に気合を入れる,という趣旨なのかも知れない.あるいは,ファンドを使わないけれども皆さんのことも考えています,といういい訳なのかも知れない.
 国際卓越研究大学にはファンドで支援しますといいつつ,その他の大学には気合だけ.嗚呼この薄情け.

 美空ひばりの晩年の名曲「乱れ髪」風にいうと:

  失せたファンドの 配分を
  祈る教員の 性(さが)悲し
  辛らや重たや 本学ながら
  沖の瀬をゆく 底曳き網の
  舟にのせたい この薄情け

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骨太の方針2022 での大学言及

 今年の『骨太の方針2022(経済財政運営と改革の基本方針2022)』がネット上で話題になった.ネット上の話題とは,骨太の方針でのプライマリー・バランスの扱いを巡る財務省(岸田)と積極財政派(安倍)の抗争のことである.という訳で,今年の骨太の方針がどんなものか,どれどれ,とネットで検索してみた.
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2022/decision0607.html

 ここで話題にするのは骨太の方針2022での大学への言及についてである.
 以下,私が気になった点を書いてみる.

 第1に,大学に関する言及が減った.昨年の骨太の方針2021(菅内閣)では「大学」という単語が33か所で出てきたのに対し,今年は23か所である.文章自体が変わったので理由は複雑でよく分からない.ちなみに,「イノベーション」という言葉は昨年度が25,今年が24であるから,変わらない.文章全体の長さもほぼ変わらない.

 第2に,「現在 35%にとどまっている自然科学(理系)分野の学問を専攻する学生の割合についてOECD諸国で最も高い水準である5割程度を目指すなど具体的な目標を設定し、」という記載が今年は入った.昨年度まではなかった表現である.
 現状で自然科学分野が35%という数字は,大学生の私大割合が高いことから,直感的にそんなものかと思う.国立大学,特に地方国立大学では文系部局は少ないので,理系割合が高いような気がする(埼大は地方国大では例外的に文系比率が高い).また,「OECD諸国で最も高い水準」で5割に過ぎないというのは意外な気がする.
 実際に理系を増やすって,どうするのかね?と疑問に思う.私大に対して費用がかかる理系を増やすように命令することもできないし,国立大学の少ない文系部局を理系に転換しても割合は全体ではそんなに増えないだろう.
 理系を増やすこと自体は正しいと思う.文系の場合,何も勉強していない学生が多いはずである.(文系でちゃんと勉強しているのは外国語を学ぶ分野くらいのように私は思う.)

 第3に,昨年度まで何年か続けて骨太の方針に記載されていた「国立大学との新たな自律的契約関係」という表現が,今年から消えたことが目を引いた.この「新たな自律的契約関係」というのは刺激的な表現であり,国立大学のあり方そのものを大きく変えるようなニュアンスがあったので,私は注目していた.むろん,左派が嫌う方向への変化である.
 ただ,確か菅内閣の萩生田文科大臣が,この「自律的契約関係」というのは大した意味はないといった回答をしていたように思う.「自律的契約関係」という言葉は,構造改革派が国立大学の国立色を払しょくしようと考えた痕跡ではないかという気がしている.しかし岸田内閣になって社会主義色が強まったので消えたのだろう.「自律的」に変わって「教育・研究・ガバナンスの一体的改革を推進し」と,支配色が増したことの表裏かも知れない.

 第4に,10兆円ファンドについては,昨年度は「研究の生産性を高めるため、研究DXを推進するとともに、研究を支える専門職人材の配置を促進する。」といった書き方だったのに,今年は国際卓越研究大学だけにファンドを使うような書き方に変わった.
 10兆円ファンドは,安倍内閣で種を撒いた話であり,菅内閣ではファンドの運用(収益の上げ方)の検討をしていたと思う.岸田内閣になって国際卓越研究大学に限定してファンドを使うような考えになったのだろう.財務省は下々の大学に金を使わせるとろくなことはない,と考えている.ただ,10兆円ファンドの使途については,まだ綱引きの余地があるのだろうと期待する.

 蛇足であるが,昨年の骨太の方針では「安定的な財源(の確保)」という表現が少子化対策の箇所だけで使われていた.「増税をすれば対策をしてやるよ」という意味だろう.今年は「安定的な財源(の確保)」という言葉が奨学金の返還の箇所で追加された.岸田内閣は「人への投資」といい,奨学金を付けるようなことをいうけれど,「それは増税が前提」という財務省の主張を反映したのだろう.積極財政派なら「教育国債で賄う」と考える所ではないかと思う.
 やはりダメだな,岸田内閣.

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調子良過ぎて笑いを誘う国大協

 2つ前の記事で,10兆円ファンドを国際卓越研究大学に使う,という話を書いた.ここで国大協が何といっているかと思い,国大協のサイトを眺めてみた.2022/05/27付で「地域中核・特色ある研究大学の強みやその特色を伸ばすための取組について(中間まとめ)―我が国の大学の研究力及び国際競争力強化への7つの提言」というのが出ているのが目に留まった.
https://www.janu.jp/news/10611/
 案の定の動きであろう,と思った.国際卓越研究大学にファンドのお金を使うことの根拠法が両院を通って成立したのが5/18である.時を移さず国大協は上記提言を出したのだろう.綱引き(の1つ)が始まったのである.下々の国立大学も金が欲しいということである.
 この「7つの提言」をざっと見てみた.「これは厚かましい!」と思わず笑ってしまった.
 7つの提言のうち,6つは「支援拡充」,つまり「金をくれ」である.「金をくれ」でない提言2は「使いたいところに金を使える自由をくれ」であるから,まあこれも「金をくれ」みたいなものである.
 国立大学に務めていれば何れもいいたいことではあるが,職を離れた一般人の私には「少しは自前で稼ぐことを考えろ」といいたくもなる.
 重要なのは,地方国立大学が金が必要だという根拠を述べると,公立はむろん,多くの私立大学にも当てはまってしまうことである.バラマキをやりだすと広く薄くばら撒く他はない.たぶん,私立大学の方も政府へのおねだりを始めるのだろうな,と思ってしまう.いろんなレヴェルで綱引きがあるのだろう.

 どのような大学にせよ,10兆円ファンドで大学という機関に金を配るのは私は良くないと思っている.研究者個人に研究費として渡すべきなのだ.たぶん間接経費もつくだろうから,その間接経費で支援体制の構築に充てればよい.

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日本学術会議,「軍民両用」研究を否定せず

 2022/05/17のニュース(https://news.yahoo.co.jp/articles/a6cd8f38fb007c8d733bb78523ef81eb1a40a568)で「安保環境の激変で大転換 日本学術会議「軍民両用」研究を否定せず」という記事が載った.重要なことであるけれどもそれほど周知がされていない.
 参議院の内閣委員会で学術会議事務方トップ(事務局長)が自民党有村治子議員の質問に「(日本学術会議が2017年に公表した『科学者は軍事研究を行わない』という)『声明』は、デュアルユースのような安全保障に資する研究を、一律に禁止する趣旨のものではございません」と答弁したというのである.
 1つの進歩ではある.この学術会議の2017年の声明がベラボーであることはこのブログでも以前に書いた(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2020/11/post-178407.html).
 ただ,もともと2017年の日本学術会議の声明は内容が曖昧であり,子細に読めば軍民共用の研究に反対なのかどうかが明確ではない(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2018/09/post-cadf.html).だからその事務局長が「安全保障に資する研究を、一律に禁止する趣旨のものではございません」という程度の答弁をしても,それほど不思議ではない.ではどうなのかと問い詰めるとすれば,たぶん混乱した回答が返ってくるのではないかと思う.
 問題は,この学術会議の声明は大学に下駄を預けている点である.学術会議が大学に対し,軍民共用の研究への申請を審査する制度を作ることを求めているからである.大学の方は学術会議が軍民共用禁止の考えと忖度してそのような審査制度の規程を作った.そんな申請をしなければならないとすれば(したらしたで日共系の主に文系教員が騒ぐ),面倒で申請はしない.だからそのような審査の規程を作った大学に対し,どのような考えの審査制度なのかを政府が問い合わせるのが正しいだろう,と思う.大学の方は責任は学術会議にあると思って審査制度を作ったはずである.
 すぐには正常化はしないだろう.

 埼玉大学は軍民共用の研究への申請を審査するというバカ規程を作っただろうか? 埼大の規程をネットで確認すると見当たらないと思ったが….
 前の山口学長が Dual Use 研究を否定しない発言があったような話を聞いた気がする.が,その後のことは私は存じ上げない.作っていないなら山口学長の慧眼である.上井学長なら作ったかも知れないw

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10兆円ファンドで国際卓越研究大学の支援,という愚劣

10兆円ファンドのもともと

 研究促進のための10兆円ファンドという話が出たのは安倍政権の末期であった.その時に事務方で政権に入っていた高橋洋一氏がいい出したことであると,本人がYouTubeの動画で話していたのを覚えている.その趣旨は研究費をバラまいて落ち込んだ日本の研究に活気を与えることにあった.大変結構なことと思った.
 高橋氏は研究を選ぶのではなく研究費をバラまけ,といった.何がどのような成果につながるかは事前には分からないのだからバラまけということである.それ正解だろうな,と私も思った.こういう研究がよい式の議論はよくあるけれど,その種の議論は言っている人の自己正当化に過ぎないように私は思う.実は分からないのである.バラまく方が簡単なのだ.
 国立大学の法人化前は,国立大学は講座費として研究費を受け取っていた.実験講座であれば,科研費が通らなくても最低の研究はできた.それが国立大学法人の運営費交付金の減額に伴い,固定的な研究費は著しく低下した.固定的な研究費は無駄が多いという考えもあろうが,それ以外のお金は何らかの(広い意味での)政治的配慮から配分される.だから政治的に不遇であっても固定的な研究費があることは有難い.固定的な研究費で何とかつないでいた研究は多いだろう.この固定的な研究費がなくなるとともに日本における研究の地盤沈下が叫ばれるようになった.だから10兆円ファンドは政治的に不遇な人たちの研究を復活させるために重要だろう,と私は感じていた.
 また,10兆円ファンドから研究費を受け取るのは個人の研究者であると私は思っていた.お金は,受け取る人に直接渡すのがロスがない.大学がいかに酷かろうが,個人研究者にお金が渡れば研究はできる.中間搾取は少ない方がよい.

しかし官僚主導だとこうなる

 最近になってこの10兆円ファンドのことが再び話題として出てきた.しかしなんかすごく話が違ってしまったな,というのが私の印象である.例えば朝日新聞は「10兆円大学ファンド、「選択と集中」懸念 国際卓越研究大法成立」というニュースを2022/5/18付で流した.研究費をバラまくはずが国際卓越研究大学を作って支援する,という話に化けたのである.
 調べてみると,「国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律案」が,この4/28に衆議院で,5/18に参議院で可決され,成立した.上記の朝日の記事はその法案成立に合わせて出たものである.
 政府がやったことは,10兆円ファンドを政府予算のように使うという発想である,と私には思える.政府予算が増えれば財務省が文科省を使ってやりたいことをやった,ということだろう.岸田政権らしい.
 私がダメだと思うのは次の点である.
 第1は,もともとは研究者個人への予算配分であったものが機関配分になったことである.だから研究者への朗報となるかどうかは分からない.
 第2は,予算の配分を受けるのは主として「国際卓越研究大学」になることである.その予定される数からいって,「国際卓越研究大学」は指定国立大学法人とほぼ重なるだろう.むろん「国際卓越研究大学」は国公私大を通した枠組みであるから,早慶辺りは入ってくるような気がする.国立に比べて私大は天下りポストを作りやすいから,役人は私大を入れたがるはずである.その代わり,指定国立大学法人のいくつか(少なくとも東京医科歯科大と一橋)は抜けるのだろう.
 指定国立大学法人という制度は,実は財政的メリットは少ない.「国際卓越研究大学」によって財政的メリットを付加するのではないか,と思う.
 だがこのような措置は日本の研究を盛んにする道といえるのか? 意見では,いえない.
 資源配分の最適解は(通常の前提では),限界生産性が高い部門に多くの資源を配分することである.この観点からするなら,多くの予算を得るべきは例えば埼玉大学であって東大ではない.研究費当たりの論文数は埼玉大学は日本一と判定されたことがある.少ない予算でより成果を上げているのであるから,全体の研究を高めるためには埼大などに予算を配分するのがよい.逆に東大などは予算当たりの業績数は少ない(業績は多いが予算が大き過ぎる).はっきりいって東大などは金の使い道に苦労している程であるはずだ.
 第3に,配分される予算の使途は政府公開の文書ではほとんど言及されていない.だから,研究費にもなるかも知れないが,そうとは限らないのだと思う.確かに,研究支援体制や成果の活用の体制を作るには予算はいるだろうが,ファンドの運用益を研究費として配れば,間接経費もつくだろうから,「体制作り」もその範囲でできるだろう.緊要なのは研究費であって組織作りではない,組織作りをしたいなら通常の政府予算で支援すればよい.わざわざファンドを設立したのは研究費そのものをバラまく必要があったからのはずである.

何を目標にするのか?

 私がこれまでに受けてきた印象は,官庁特に財務省はハーバード大学やオックスフォード大学のような大学を日本に作ることを目指してきた.指定国立大学法人がそうであり,今回の国際卓越研究大学もそうである.国際卓越研究大学を作るために他の大学が死屍累々となることを容認してきた.研究に意欲のある多くの大学の意欲を挫いてきた.
 でもハーバードやオックスフォードのような大学ってのは,お役人の趣味だよね.
 もともと組織文化が日本と西洋では異なる.最上位の大学が研究を切り開く面もあるが,平等主義の日本では多くの中堅大学の水準を上げる,という姿を目指してよいと私は思う.

地方国立大学は立ち上がるべきだろう

 この10兆円ファンドの運用がどうなるかはまだ流動的な部分があると私は考えている.例えば国大協の永田会長(筑波大学長)は広く配分すべきという考えを述べていると何かに書いてあった.国大協が広く配分しろと騒げば,国際卓越研究大学以外が受け取れる可能性も残っているのではないか,という気がする.
 研究に意欲のある地方国立大学は立ち上がるべきだろう.埼大の学長,理事などは,本部の3,4階にバリケードを築いて立て籠るべきではないか?

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教職大学院

 この(つまり2022年の)4月末のこと,私のiPadのgoogleのブラウザを開くと,他のニュースとともに教職大学院に関する記事が配信された.たぶん私がよく大学関係の記事を検索するので,googleが関連の記事を配信したのだろう.

教職大学院修了者のキャリアパス

 配信された記事は2つ,1つは「日本教育新聞」の記事,もう1つは「教育新聞」の記事だった.後者についてはが有料サイトの記事であり,契約しないと見られない.「日本教育新聞」の記事は無料の短い記事だった.「日本教育新聞」の記事を見てみた.普段であれば流し読みをして終わる.けれど,今回は中身が笑えるのでここで取り上げてみた.
https://www.kyoiku-press.com/post-243620/
 
 中教審のある小委員会で教員の新たなキャリアパスの提案があったという.提案の主語がはっきり書いていない.教職大学院では「実務家教員」が配置必須なのであるが,「教員養成大学の学部段階でも実務家教員の配置を増やし、教職大学院修了者が就くようにする。」うーん,これは筋の良くない話だなぁ,と思った.
 「実務家教員」とは一般的な定義はできていない代物であるが,教職大学院については教育委員会なり小中高校の現場で教師の経験がある大学教員を指すと思う.教職大学院ではその実務家教員を多数雇わねばならない.それだけで大変と思うけれど,学部段階でも雇えとなると,教員養成学部にとってはかなりのストレスになるだろうと想像する.
 そもそもこの話がなぜ出たかといえば,教職大学院がうまくいっていないからに決まっている.埼大などは学生定員をなんとか確保していると思うけれど,全国平均で見ると充足率は80%程度のようである.要するに「教職大学院在籍権」には商品価値が低い,ということである.その点が話の出発点であるが,この困難の克服のために禁じ手を使おうとしているように見える.つまり,修了生の市場価値を高めるのではなく,大学の実務家教員になれますよという特典をつけて客を集めようとしている.結果として大学に対して教職大学院修了者の雇用を強要するような話だよな,と思える.

 ただ上記はあくまで新聞記事であり,どこまで正確な話かは分からない.そこで文科省の審議会情報でどう出ているかを検索してみた.
 件の中教審の小委員会とは,「中央教育審議会『令和の日本型学校教育』を担う教師の在り方特別部会基本問題小委員会(第6回)」(2022/04/25)のようだ.
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/2022/1422489_00021.html

 この文科省のページではその回の小委員会での議論のまとめは出していない.しかし掲載された資料1-2と参考資料1-2はかなりの議論が書いてあり,この会議での内容はこの2つの資料にあると見るべきと思える.が,その2つの資料は,教員のキャリアパスを検討しろとは書いてあるが,それ以上は踏み込んでいない.
 上記の新聞記事の内容に対応すると思えるのは資料1-1の「たたき台」である.
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/20220425-mxt_kyoikujinzai01-000022121-2.pdf

 この「たたき台」には「学部段階においても教職経験を有する教員(実務家教員)の配置を促進し、教職大学院における実務家教員を含め、教育委員会等との人事交流を促進することについてどう考えるか。」とあり,「その際、教職大学院修了者をその中心的な対象者として位置づけ」としている.上記の新聞記事はこの「たたき台」の箇所を大きく取り上げたのだろう.
 誰が「たたき台」を作ったかは例によって文科省ページには書いていない.が,常識的には,この小委員会の委員ではなく,事務方のお役人が書いて委員会に出したのだろう.だから担当の文科省のお役人が記事のような「キャリアパス」を考えていて,そのお役人が教育新聞に情報を流して記事を書かせた,と考えるべきだろう.そのお役人は教職大学院を格好がつくようにしたいのだろう.

無理がある

 ただ,上記のお役人の願いにはやや無理があり,「たたき台」以上になるかどうかは何ともいえないように思う.
 まず,教職大学院修了者を教育委員会に付けたり実務教員にしたり,といったことは国に権限があることではない.教育委員会でどうするかは自治体の判断であり,大学で実務教員として誰を雇うかは大学の判断である.だから,中教審でそんなことまで踏み込むのはおかしな話である.
 一番重要な点は,教職大学院が出す学位は修士相当であり,専修免許を出すに過ぎないことである.教職大学院を出て取れる教員免許は専修免許であり,その点で(埼大で言えば)人社研や理工研(の理学系)で出す免許と変わらない.なのに教職大学院出身者を特別扱いする措置とる制度上の根拠があるかといえば,ないように思う.
 
教職大学院という制度はどうなのか?

 教職大学院は中途半端な制度だなと私は思っている.以前,教職大学院ができると聞いたとき,教師になる者はすべて教職大学院を出るという制度であると私は思った.従来の複雑怪奇な教員養成システムが教職大学院によって一気にすっきりと整理されると思ったのである.しかしそうではなかった.現状の制度はほぼそのままにして教職大学院を別途作ったのである.これだと教職大学院の意味が不明確になる.単に専修免許を出すだけなら従来の教育学研究科でよいのである.
 教職大学院のホームページでカリキュラムを見ると,確かによくできているように見えるけれども,冷めて眺めると,その内容は実習付きの更新講習のようなことをしているように見えてしまう.それで意味がないとはいわないが,この中身だと大学院で学ぶというよりは,小中高校の教員の職域研修として定期的に実施すべきものではないか,という気がするのである.(といっても,教員の職域研究をちゃんと実施できる体制になっていない.それはそれで問題なのだ.)
 大学院は,あるsubjectを深く学ぶことが本義である.だから,国語・英語・社会の先生なら(埼大でいえば)人社研のようなところで科目に関する研究を深く行った方が望ましく,理数の先生であれば理学系の大学院で学んだ方がはるかに有益だろう.体育の先生であれば体育大学の研究科で,芸術系の先生であれば音大や美大の研究科で学ぶべきではないか? 養護や特別支援の先生であれば福祉系の研究科で学ぶべきであり,小学校の先生であれば児童心理学を深く学ぶ方が教職大学院で学ぶより望ましいように私には思える.さらにいえば,更新講習のような教職大学院のカリキュラムで学ぶことに,先生方は知的好奇心を抱くことができるのだろうか? 私が社会科の教員であれば,教職大学院よりは人社研で学びたいと思うだろう.
 国立大の教員養成系学部は教育学研究科を廃して教職大学院に移行したようであるが,教育学研究科のままの方が良かったんじゃね,と思えてならない.人様の商売にケチをつけて申し訳ないが.
 どうも私には,教員養成学部の研究科を教職大学院に移行したのは,教員養成系のポストを財務省から保護するための方便だったように見える.

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日本学術会議会長談話のお粗末

 ネットを見ていたら日本学術会議がロシアのウクライナ侵略について気のない声明を出していた,という話を目にした.どれどれと思って日本学術会議サイトで調べてみた.次のような「会長談話」を出した,ということであると分かった.

https://www.scj.go.jp/ja/head/pdf/20220228.pdf

 まあなるほど,これだと出すだけ恥ずかしい.
 素人の私が見て,少なくとも次の点を指摘できる.

1) 「侵略」と表現していない.この談話を出した2/28では,国内では,ロシアの行為を既に「侵攻」から「侵略」に変えるのが一般的だった.「侵攻」では表現が弱いのである.ちなみに,3/1の衆議院でのロシア非難決議は「ロシアによるウクライナ侵略」と明記しており,日本学術会議の上位組織である日本共産党も機関紙『赤旗』で2/25の日付で「侵略」と表現している.

2) ロシアを非難していない.この談話は「ロシアによるウクライナへの侵攻は、…、到底、受け入れられるものではありません。」と書いている.しかし事態を「受け入れられない」ことと,ロシアを非難することとは異なる.この談話のタイトルも「ロシアによるウクライナへの侵攻について」であり,「侵攻について」何をいっているかを明示しない.対して衆議院の非難決議では「(ロシアの)力による一方的な現状変更は断じて認められない。」といった上で「ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難する。」としている.日本学術会議の上位組織である日本共産党も2/25の段階でロシアによる侵略を「糾弾する」といっている.
 「糾弾」と「非難」がどう違うかは私は存じ上げない.私の感覚だと,「非難」とは「遠くで言うだけ」,「糾弾」は「筵旗を立てて押しかける」というニュアンスなので,「糾弾」の方が強いのかな?

3) ロシア軍の撤退を求めていない.学術会議の談話は「対話と交渉による平和的解決を強く望みます。」と書くのみである.これだと,「ウクライナが軍事的に屈服する」ことも含んでしまう.まずロシア軍を撤退させて原状に戻したうえでの「対話と交渉」でないと,侵略が成功したことになってしまう.衆議院の決議では「ロシアに対し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める。」と明記している.まず重要なのはロシア側の攻撃停止と軍の撤退である.

4) 日本学術会議は機関決定をせず,会長談話とするのみである.これだと,日本学術会議が機関としてロシアによる侵略を非難する形になっていない.
 日本学術会議にはれいわ新選組のようにアメリカが悪いとかいい出す人が多いだろうから,機関決定はできないのだろう.下手な声明を出して後で困るより,内部から突き上げが出ない程度の弱い談話を出そうと考えたのだろう.今後,日本学術会議が強いロシア非難声明を機関決定する可能性は理論上はあるけれども,もし強い声明を出せばこの弱い談話との整合性を突っ込まれる可能性があるから,強い機関決定はしないのではないか,という気がする.

 ロシアの侵略の非難はこの程度なのに,安全保障研究の禁止はえらく周到な機関決定をしている,というこの差が日本学術会議の本質と思える.日本学術会議による安全保障研究妨害がどれほどべらぼうな話であるかは,以前にこのブログで書いたのでここでは繰り返さない.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2020/11/post-178407.html

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東大入学式の例の祝辞

東大での祝辞

 東大の入学式で,河瀨直美という著名な映画監督が話した祝辞の中身がネット上で炎上した.今回のウクライナ侵略について,ロシアが悪いとはいえないようにいったのが侵略者ロシアの擁護論ではないか,という趣旨の批判のようである.私が眺めた限りで,この祝辞に問題はないという発言もネットでは出ていた.どれどれ,と思って東大サイトでその祝辞の文面を探すと見つかった.次である.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_03.html

 読んでみるとスピリチュアルな内容というか,感性主体の文面であり,積み上げ式に組み立てた話ではない.祝辞であるからそれでよいのだろう.この感性からすると何もロシア,ウクライナに言及する必然性はなかったように感じる.それだけに,そのロシアとウクライナに言及した箇所は何か浮いた印象がある.
 ともかく表現の自由があるのであるから,祝辞でこの内容であったことが悪いとは思えない.しかし私の意見でも,このロシア,ウクライナに言及した箇所はいただけないな,と思う.

 まず私が読んでおかしいと感じた点が1つある.ロシア,ウクライナに言及する箇所の少し前に,金峯山寺の管長さんが「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」と言ったことが引用される.「あれらの国」が何を指すか私には分からなかった.どうもロシアとウクライナのことであると感づくのはその後にロシアとウクライナが出て来たからである.が,文章としては「あれらの国」がどの国を指すかは前に出て来ないとおかしい.
 文章を読むと少し前に「残念ながら、世界は小さな言葉を聞いてくれません。そう思わざるを得ない出来事が起こっています。」とある.だから,この2センテンスにロシアとウクライナが隠れていると読むべきなのかも知れない.が,学生がそんな文章を書いたら私なら指摘する.紛れのない文章が科学の前提だから.そこは感性の世界の故なのかも知れない.
 前段落の解釈をする前に私が思いついた第1の可能性は,この管長さんの話の前にロシアとウクライナに関して述べた段落がもともとはあったけれど後に削除し,「あれらの国」という言葉だけが修正されなかったことである.だから削除する前に何が書いてあったのか,と気になった.第2の可能性もある.管長さんの話はロシアとウクライナが出て来る箇所の後にもともとは置かれていたけれど,後に順番を変え,「あれらの国」を修正しなかった,という可能性である.
 さらに気になるのは,この管長さんの言葉の意味が曖昧と認めつつも,特に確認もせずに引用していることである.引用するなら確認するでしょう,普通.確認できないなら引用しないでしょう.

 その,ロシアとウクライナに言及した箇所について,私は次のように「まずい」と考える.
 第1に,批判的指摘のように,この文面ではロシアの悪行について「どっちも論」を持ち出し,ロシアの悪を曖昧にしてしまっている.「例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、」というのであるが,ぶつかっているのは両国の正義ではなくロシアと国際秩序の正義である.河瀨氏の表現は典型的な「どっちも論」であり,レイプ加害者と被害者を「どっちも」というに等しい.
 第2に,ロシアと日本にダブルスタンダードを適用し,日本をロシア以上の悪と断じた点である.氏は次のようにいう.「そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」どこかの国への日本の侵攻を拒否するということは,日本の侵攻は悪のはずだ.しかしロシアの侵攻は悪とはいわない.まるで,米国の核は悪だがソ連の核は正義の核だといった昔の左翼と同じ論法を使っている.全体の論旨からこの部分は逸れていて,そもそも書くのは不自然と映る.

 河瀬氏はロシアの侵略が深刻な問題であることを理解していないのだろう.
 ロシアによる侵略への対応は,ゲーム論的には規範ゲーム Norm Game で理解すべきと思う.違反国の出現を抑えるためには違反国に他の国が制裁するシステムが必要になる.今回,欧米の民主主義国はその制裁をすることを決意した,それは良いことだ.が,この制裁システムは,違反国を制裁しない者も制裁しない限り,崩壊してしまう(Norm Game).概して欧米の政府や企業が制裁に厳しい態度をとるのはそのためである.だから,平和を実現するためには,制裁を見逃すことも悪としなければならない.この観点からすると,「どっちも論」はロシアと同じ立場,ということなのである.

埼大の入学式はどうだったか?

 それにしても,入学式の祝辞などという細かい話がマスコミに出るというのは,それだけ東大さんへの世間の注目が高いということなんだろうな,と思った.そこで,わが埼大の入学式(入学生歓迎式)はどうだったのか,と興味を覚え,埼大サイトを眺めてみた.
 埼大でも入学式をやっており,3年ぶりであるようだ.式次第が次のように出ていた.

一、開式の辞
一、学長式辞
一、理事等紹介
一、学部長等祝辞
一、学生代表宣誓
一、閉式の辞

 あっ,来賓の祝辞って,ないのね(汗).
 まあ,コロナ明けの移行期であるから,時間をかけずにやるってことなんでしょう.それに,私の在職中も,祝辞を誰に頼むかで,結構苦労していたようですし….
 来賓の祝辞の代わりに「学部長等祝辞」ってのが入っている.内輪で済ませたんですね.しかし,いや,これ,学部長さん,やりたくないんじゃないの,という気がした.
 まあ,こういう式の祝辞って,結婚式のスピーチと一緒で,短いほど喜ばれるんですよね.本来無意味なものだから.そういう意味では,「ワシが男塾塾長,江田嶋平八である!」でいいんでないの,と思う次第であります.

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大学の国際ランキング:京大前総長殿のわがまま

 ネットの記事を見ていたら,京大前総長の山極氏が「世界大学ランキング」に噛み付いたという趣旨のタイトルの記事があった.次である.
https://news.yahoo.co.jp/articles/42ae9b990d5d0b2dbaccdcefa9764ab891eedbe3

 やれやれ,と思った.
 世界大学ランキングとはTHE(Times Higher Education)の世界大学ランキングのことと思うが,実はランキング自体はいろいろある.でもTHEのことであろうと仮定しよう.
 この種の大学ランキングには以前から批判があるのは分かっている.欧米の大学の経営上の都合から作られた,日本で重視する必要はない,という趣旨の批判である.THEについていえば,ご指摘のような邪な動機からできたというのはその通りかも知れない.
 また,ルール作りとは一面できわめて政治的であり,ルール作りの決定権が欧米に握られ,日本が低く評価されているということは,たぶんあるだろう.
 そういう異論に対応するためと思うが,文科省も,既存のランキングの欠点は認めながらも,参考に使うことの意義を述べる文書を,どこかで出していたと記憶している.
 ただ,邪で身勝手な動機からできたとはいえ,それだけなら世界で流通するとは考えにくい.ランキングの結果が多くの関係者の納得をある程度得ているから多くの人が受け入れていると考えるべきだろう.この種のランキングは,勝手に指標を定義して計算した場合,その結果は誰が見ても首をかしげる結果になることが多いはずである.もっともらしく映るランキングを作るのは,実は簡単なことではない.THEにしても,作成過程では試行錯誤があったろうと想像する.
 大学ランキングに対して異論が出る背景は,そのランキングを根拠に大学が文科省や財務省からいじめられるからだろう.地方国立大学がランキングで責めらえることはないが,京大などの指定国立大学法人については,いろいろやっているようではあるがランキングが上がってないんでないの,とチクチク責められているはずである.
 企業がいろんな指標で評価されているように,大学も何らかの評価を受けることが望ましいことは否定できないだろう.特に税金を使わせてもらっているならそうである.
 だから,既存のランキングが駄目であるというなら,日本の大学が上位に来るような,別の指標に基づくランキングを提案すればよいだけなのだ.ただ,THEよりももっともらしいランキングはたぶん作れない.作っても流通しないだろう.ドルが基軸通貨であることと同じで,日本は既存の,現に通用している国際ルールの中で何とかやって努力して行く以外にないのが現実のように思える.むろん,努力するのは今のところ,指定国立大学法人だけで,地方国立大学は幸か不幸かあまり気にしないでよい.
 さらに,THEなどのランキングを参照することの利点は,国内の権力関係から相対的に自由になれる点にあるだろう.日本独自のランキングを作った場合,日本国内の学界の(旧帝中心の)権力関係を反映する結果になりかねない.国際的なランキングを使うことで,日本国内の特殊な権力関係から自由になれる面もある.

 大学ランキング以外に,どの研究を高く評価すべきか,という点も政治的であり,同じようなバイアスはあるのではないか,という気がする.研究の評価も,「民主的」に決まるとすれば,各分野の研究者によるreputation(指標は引用数)に依存せざるを得ない.主要分野の中心は欧米にあったから,欧米で関心が高いテーマの研究が高く評価されるというバイアスが存在しても不思議はない.ノーベル賞を欧米の研究者が取りやすいのはそのためもあるだろう.日本の研究者が実は高く評価されるべき研究をしても,人的ネットワークの周辺にいるために,あまり評価されない,ということは,結構起こり得るような気がする.
 周辺的な国で生まれた研究が高く評価されやすいのは,恩恵が大きい技術の開発につながるような研究をした場合だろう.日本で応用分野の研究でノーベル賞をとることが多かったのはそのせいかも知れない.

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第4期中期目標・中期計画の親方日の丸

 文科省のサイトに,国立大学が提出した第4期の中期目標と中期計画が載っていた.
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/detail/1386151_00007.htm
文科省サイトのこのページは今年の3月30日の日付になっている.だから正式な中期目標・中期計画が確定したのは3月終わりだったのだろう.現実には夏にはできていたと思うけれども,その後も多少の修正があったようである.私は埼大サイトで時折チェックしていたが,埼大サイトでは途中の案は出していなかった(少なくとも私は見つけられなかった).
 2020年の9月に「埼玉大学発展・変革ビジョン」というのが出ていた.このビジョンを見て,埼玉大学は何もしないつもりか,と私が思った次第を,このブログの次のページに書いたことがある.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2021/01/post-efbbd5.html
埼大の4期目の中期目標・中期計画はこのビジョンに基づくだろうから,その意味で中期目標・中期計画にはそう目立ったことは書かないだろう,と想像した.大まかにはこの想像は当たったように思う.
 私がいうことでもないけれど,埼大の今回の中期目標・中期計画について,私が感じた点を以下に書いてみたい.

全体の印象

 埼大の中期目標・計画をざっと眺めた印象は次の3点である.

1) 悪くない
 全体に無難にまとまっている.特に事務方の筆になるだろう箇所はそつがない.少し変なところもあるけれども,同レベルの他大学の目標・計画にも似たようなところがあるので,決して悪いとはいえない.

2) 成果で目標を定義しないところが親方日の丸
 組織の目標は普通は「成果」で定義する.企業であればどれだけ売り上げをあげるとか収益をあげるかが目標であり,どんな製品を出しますとかどんなキャンペーンをしますとかは目標を達成するために手段ないし措置であって目標ではない.ところがこの中期目標・計画では成果で目標を定義することがほとんどなく,どんな措置をとります,というのが目標のように書かれている.措置として何かやっていれば許してあげますよ,という環境の中に,有難くも文科省が置いてくれている,ということだろう.
 だからこの中期目標・計画とは,やってますというアリバイの文書に過ぎないように見える.この点が「親方日の丸」的であろうと私は思う.
 大学の成果とは,研究であれば研究成果,教育なら教育成果である.研究成果の指標は論文数およびTOP10%論文数だけでよい.教育成果とは,私の考えでは,在学中に現れるのは学生が実際に習得した程度,卒業/修了後に現れるのは社会でどれほど活躍したか,である.授業の満足度などは本質的には無意味と思う.ここでは書かないが,特に教育成果を測るのは難しい.とはいえ,できないことではない.
 例えば,何とかの教育プログラムを実施します,とは,成果を上げるための手段に過ぎない.本来目指すのは成果そのものであるはずである.

3) 何となく脱力して書いている印象
 中期目標・計画は以前のものも本質的には無意味な文書であることに変わりはないが,以前は必死に書いている感があったような気がする.今回の目標・計画はやや軽く,脱力して書いているんじゃないの,という印象を,なぜか私は受けてしまう.
 例えば「2 教育」に属する目標記載【2】に対応する計画記載は【2-1】なのだが,【2】と【2-1】がなぜ紐づけされているのか,と思ってしまう.しかも【2-1】の評価指標であがる【2-1-①】や【2-1-②】が【2-1】と対応しているのか,という点は,私が文書作成者なら悩んでしまうだろう.以前であれば目標・計画の作成に没入する人がいて,この種の問題は納得するまで修文したのではないか,という気がする.
 中期目標・計画の持つ重みが低下した,という背景があるのかも知れない.中期目標・計画について,マスコミもほとんど取り上げない.世間の関心は低いのだろう.

 暇つぶしのようではあるが,いろいろ考えたこともあるので,以下で個別のポイントについて少し書いてみよう.

中期目標・計画の「書かせ方」は進歩したかも

 第4期の中期目標・計画の文科省による「書かせ方」には進歩があったかも知れない.第3期までの中期計画では,研究や教育についてどのような措置をとるかを書いていたけれど,書いていることが現状の記載なのか,新たにやることの記載なのかが必ずしもはっきりしないことが多かった(少なくとも埼大の場合).数値目標を書くことは少なかったように思う.それに対し,今回の第4期では従来から差分を明示する書き方をするように指示が出ていたのだろう.数値目標が書いてある事項も増えた.現状から何を踏み出すかをはっきりさせることを求めたのだろう.この点は進歩に見える.
 また「Ⅰ 教育研究の質の向上に関する事項」の最初の「1」を「社会との共創」にしたのは意表を突くものであるような気がする.大学が一般社会とどのようにかかわるかを最初に書け,ということである.それだけ国立大学の社会的機能を重視する立場を文科省がとった,ということのように思う.「1 社会との共創」は「2 教育」,「3 研究」と重複するから,2や3と別に書くのは混乱の要因にもなりかねない.が,あえてこのようにしてみるのも良いのかも知れない.

前文は従来継承:それでよい

 埼大の目標・計画の前文はこれまで,以前の上井学長が就任直後に出した3つの基本方針を書いてきた.その点は今回の中期目標・計画の前文も同じだった.正しいだろう.おかげで埼大の中期目標・計画の前文は他の大学の前文より中身が単純構造になっていて分かりやすい.
 3つの基本方針は上井学長時代に理事だった加藤先生(加藤泰建氏)が取りまとめたと思う.実際,その前の兵頭学長と上井学長のとき,学長の頭脳になっていたのは加藤先生であり,その間の彼の手腕は神がかっていた.

埼大は「社会との共創」では苦労した?

 この「社会との共創」の項は,地方国立大学の中では地域連携を進めてきた大学は書きやすいだろう.例に宇都宮大学をあげれば,宇大はこの項の評価指標として,すっきりと次を掲げた.

1)地域(県内企業、自治体、コミュニティ)との共同研究・連携プロジェクト等の年間件数:第3期平均の20%増(第4期中期目標期間最終年度)
2)社会実装に至った地域関連プロジェクトの第4期累計件数:第3期実績の50%増
3)社会に対する学術的知見の提供件数:第3期平均の35%増(第4期中期目標期間平均)
4)提供した学術的知見の満足度:毎年80%超を維持

 このように書けるのは地域関連のプロジェクトをやっているからである.
 対して,文面を見ると,埼大は「社会との共創」の項を書くのに苦労したのではないかという気がする.共同研究・受託件数を増やす(ただし増分が少ない)のはよいのだが,実装に至るプロジェクトは考えている風ではない.他は,実務家による授業を設定する,など,社会との共創そのものとも言えない.政策提言というが,知事と学生の意見交換会での提言など,学芸会のようなものではないか.大学の研究の延長で行う提言が書けないのは見劣りする.
 埼大には工学部があるのに,この「社会との共創」の項をちゃんと書けないのは今後の課題なのだろう.

「教育」の記載は無難だが

 「1 社会との共創」に比べて「2 教育」の項は無難に書かれている.次の2点については気になった.

1) 【3-1-①】で数理・データサイエンス・AIの教育に言及している.この記載だけではよく分からない.が,もし,全員必修のリテラシー教育(以前の「情報基礎」相当)と5科目だけ,ということであれば,かなりショボい.長々と検討していたはずなのに結果がこれなのか?
 データサイエンス等の重要性は特に文系課程にある.今のままだと文系の課程は何の付加価値も付けない.もっと大きく舵を切るべきと前から思っている.

2) 思わず笑ってしまったのはAL(アクティブ・ラーニング)科目の件【3-3-①】である.社会主義でこんな馬鹿なことが起こってますという冗談かと思った.アクティブ・ラーニングは普通の授業をAL化することに意味がある.仮に私が今授業を担当するなら,大教室授業でないなら反転授業にするだろう.教師が学生に講義をするなど無意味な儀式,ただの時間の浪費に過ぎない.ところが埼大では,普通の授業を手つかずのままに保存して,AL科目というラベルを貼った授業を別途開くことで「アクティブ・ラーニング」やってます,ということなんでしょう.しかもそのAL科目の実態は,例えば教養学部の先生の普通の授業じゃないですか.要するにやる気ないんですねw

他方,「研究」の記載は

 埼大の中期目標・計画では「研究」においても「教育」と同じように書いていて,その意味で無難である.ただ私の感覚からは余計なことを書きすぎているように思える.ちなみに,宇都宮大学は「研究」について,次の3つを評価指標とする簡潔な記載をするのみである(番号は評価指標番号).宇大方式でよいのではないか? というより,宇大方式の方が重要な点が浮かび上がってよいだろう.いろいろ措置をやっても研究成果が出なければ意味がない.また,何の措置もしなくても研究成果が出れば十分である.

20)国際的に著名な学術誌への年間掲載件数:第3期平均の20%増(第4期中期目標期間最終年度)
21)共同研究・受託研究等の年間件数:第3期平均の15%増(第4期中期目標期間最終年度)
22)社会実装に至ったプロジェクトの第4期累計件数:第3期実績の50%増

 枝葉末節であるが,埼大の中期目標・計画における研究実績評価の【7-1-①】で,業績の数え方が部局によって統一できなかったのは,部局から上がって来たものを並べただけ感があって,美しくない.

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教養学部の入試に変更の余地はあるか?

学部の入学定員の配分

  私が退職した2017年の時点では,埼大教養学部の学部入試は前期日程と後期日程に定員を割り振るだけだった.しかし2017年度の時点で推薦入試を始める(導入せざるを得ない)状況であったと記憶している.2018年度入試以後は,(3年次編入学を除く)学部生定員の160名分を,前期日程115名,後期日程25名,学校推薦20名に割り振っていると思う.

 私の在職中の認識からするとこの入試定員の配分は妥当なものである.というより,教養学部を含めて多くの国立大学の学部は,前期日程中心が基本であり,教養学部もこの基本線を外れることは念頭になかったように思う.

 ただ,国立大学を広く見渡せば,もっと違った定員の割り振り方もある.

 例として私が思い浮かべるのは宇都宮大学の国際学部である.宇大国際学部は学部定員90名を,前期日程40名,学校推薦36名,帰国生4名,社会人4名,私費外国人6名に振り分けている.宇都宮大学が文科省に出している部局の実績評価の文書(同大学による記載部分)を見ると,そのように定員を分散させてことに積極的な意義を見出す方向の書き方をしている.宇大国際学部は埼大教養学部などよりははるかに考えて部局運営をしているのは事実と思うが,私の立場からは,それだけ学生の確保の苦労があるのだろうと想像してしまう.たぶん埼大教養学部の人が宇大国際学部の入学定員の配分を見ると,かなり奇抜なやり方のように感じるだろう.

 実は埼大の中でも,理学部と工学部は後期日程の方により定員を割いている.両学部とも学科によって配分の様相は異なるけれども,理学部は合計すると前期より後期の方が定員が多く,工学部は前期と後期にほぼ同規模の定員を割いている.たぶん,前期に上位の大学を受けた優秀な学生を後期で拾うことに利点を見出しているのだろう.

 ここでいいたいのは,埼大教養学部のように伝統的な入学定員の配分から別の配分方法を変えることは,検討に値するかも知れない,という点である.たぶん地方国立大学の入試では,長期的には倍率が低落傾向になる恐れがある.その場合,結果として望ましい学生確保のやり方を変えなければ,学生の質の確保が難しくなる恐れもあるからである.

 入試実施の一般論

  入試のやり方の2要素は,上記のような入学定員の配分と,入試方法(学力試験,小論文等)だろう.ここで話を単純化し,入試方法については最適な方法が選ばれると仮定して,入学定員の配分に限って議論してみよう.入試単位の入学定員の全体規模をCとおき,前期日程,後期日程,学校推薦の定員をそれぞれ x1, x2, x3 としよう(x1+x2+x3 = C ).さらに,入試の望ましさ(評価)v とおくなら,v = f( x1, x2, x3 )と書くことができる.埼大教養学部の場合,C=160 であり,すべての日程について最低10名を割かないといけないという制約があるとするなら,今問題とすべきことは,

    140≧x1≧10, 140≧x2≧10, 140≧x3≧10, x1+x2+x3 = 160.
    という制約の下で v = f( x1, x2, x3 ) を最大化する定員配分を求める.

という問題に帰着する(概念を整理しただけで,こんな表記をすることに実質的な意味はない).

 入試の評価関数

  上では入試の評価関数をと書いた.この評価関数をどう決めるかは議論を要するだろう.

 私が教員として部内の先生方を眺めた感想として,大学の先生方はこうした評価関数を判断するのが得意ではないと感じている.そもそも人は自分を高く評価するバイアスを持つ.その点は大学教員も同じであり,大学の先生方は自分と同じような人間が望ましいと考えている.よく本を読まれる先生は学生が本を読むことを求めるが,私のように本を読まない人間は本を読むことよりは自分の頭で考えることを学生に求める.数学が好きであるかできる先生は学生が数学に強いことを求めたがるが,数学がお嫌いな先生方は入試科目に数学が入ると怒り出す.教養学部はかつて論文試験というのを実施したけれど,あの論文試験も,素材になるような古目の文章を読んで考えをこねくり回すことがお好きそうな先生方が主導者だった.最近の教養学部入試の小論文に出て来る文章は左翼論調の感性一本鎗の文章が多いと感じるが,出題する先生方はそのような方なのだろう.出題者は同じ感性を持つ学生に囲まれていたいと願っているのだろうなと,私は想像して失笑したものである.

 評価関数は教員による晦渋な思考を反映するのではなく,より即物的に割り切ることが重要な気がする.大学の教育評価指標として財務省などが求めているのは教育のアウトプットの簡単な指標,例えば就職率などである.今後はその方向に集約されるかも知れない.入学時点での試験スコア(例えば共通テストスコア)を重視すべきかどうかは,それらのスコアがアウトプットを反映しているかどうかを確認して判断すべきだろう.

 まず学業の指標として,入学後のGPAを何らかの形で使うべきだろう.私が退職間際に知ったことであるが,教養学部では,単位修得状況やGPAの点で成績不良者を特定し,学修指導することになっていた.私が印象的だったのは(そのときに確認した学年についてであるが),成績不良者が後期日程の学生からは出ていなかったことである.同じ観測が安定的に確認できるなら,後期日程からより多く学生をとるべきと思える.また,就職や院進学もアウトプット指標として使われる可能性が高い.何を学んでいるから良い,悪いと考えるのではなく,即物的に,良いアウトプットを期待できる層から多く入学させるべきだろう.

 よくある2つの解

  私の今までの経験では,上記のような最大化問題を考えるとき,よくある「解」のパターンは2つある.

 第1はいわば端点解(corner solution)であり,配分可能な定員を一か所に集中させることである.解を定員配分で表せば,配分可能な定員をすべて,例えば前期日程に集める場合である.この場合,解は(140,10,10)になる.教養学部は(115,25,20)であるから,実はこの解に近い.

 第2は教科書的な解であり,複数の配分先に資源(この場合は入学定員)を適度に配分させる場合である.この解の場合,通常,各配分先(入試日程)による評価への貢献がほぼ等しくなり,配分を変更しても評価は上がらない,という均衡になっている.

 例えば,推薦入試は貢献が少ないので最低の配分とするが,残りの定員は前期と後期で折半する(75,75,10),といった場合である.この場合,後期を増やして前期を減らしても,前期での評価の減少分が後期の利益増大分を上回るので,得にはならない,といった状況になっている.埼大の理工系の場合,前期と後期で分散して定員を配している.志願者倍率では後期の方が前期より高い.しかし,私が以前に確認したところ,志願者倍率ではなく実際に受験する人数で受験者倍率をとると,前期と後期はほぼ同じ倍率になっていた.たぶん,前期の利益と後期の利益(正確にはその限界値)がほぼ等しくなる均衡配分をしているのだろうと思う.

 埼大教養学部を含め,文系の多くの学部では,現状で,第1の端点解のような定員配分で入試をしている.しかしこの判断はこれまで前期日程で良い学生が確保できる程度の志願倍率が見込めたためかも知れない.受験者数の状況によっては新たな可能性を模索する必要があるかも知れない.

分析すべきだろう

  教養学部が現状の定員配分で入試を始めたのは2018年からだった.ということは,そろそろその形の入試の入学生のデータがすべての学年で収集できるようになるだろう.だから入学者のデータを分析することで,現状の配分でよいのか,状況の変化に応じて別の配分が合理的になり得るかを検討できる段階になるだろう.

 むろん,データを分析する人がいれば,の話である.

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大学受験の地理的要因

 大学入試についてネット検索していたら面白いサイトに出会った.次の「統計情報リサーチ statresearch.jp」というサイトである.
https://statresearch.jp/school/university/index.html

 このサイトでは,全国の(主として)国立大学の情報をいろいろ出している.私が参照して感心したのは入学者の出身都道府県(たぶん高校所在地だと思うが)ごとの入学者の分布を出している点である.大学はしばしば出身地ごとの入学者数を公開しているが,実はその数字だけを見ると地理的パターンが分かりにくい.このサイトでは17歳人口の中でどのくらいが当該大学に入学しているかの比率を出しており,その比率を地図として表示している.例えば,ある県から埼玉大学に多く入学したとしても,その県の人口が多ければ確率的に当り前なのである.人口当りの入学者の率を出すことで,その県の受験生が埼大にどのくらい入学しているかが分かる.いわば,人口当たりの入学者の率は,当該大学に対するその地域の受験生の魅力の強さを表している.
 この「人口当たりの入学者の率」を図示することで,当該大学にどの都道府県の受験者が入学しやすいかのパターンが明らかになる.指摘すべきは,基本的に近接性の効果が明瞭なこと,つまり,多くは所在する都道府県からの入学者が多く,次いで隣接する都道府県の学生を吸収しているというパターンが明確なことである.
 次の図は信州大学の入学者率を図示したものである.この図は典型的であり,信州大学は隣接した県から入学者を出していることがよく分かる.ただし関東地方から信州大学に行く学生が少ないのは,関東地方の受験生にとって東京の魅力が強いからだろう.
22021608go_g_02
 次の埼玉大学の入学者のパターンは特徴的であり,私の実感と符合する.
22021608go_g_02_20220216232601 
 人数からいうと埼玉大学には東京から多く入学している.しかし東京は人口が多いので,実は東京からの入学傾向が強いとはいえない.この図からは,東北新幹線,上越新幹線(ないし東北自動車道,関越自動車道)沿いに学生を引きつけていることが分かる.
 埼玉大学は東京の北の玄関口に位置し,交通の要衝になっている点がプラスなのだろう.しかし東京の近いことは,東京に多くのライバル大学があるためにマイナスにもなっていると思う.
 また,上の例とは逆に狭い地域に特化した大学もある.埼大に近い所でいうと群馬大学である.群馬大学は群馬県と栃木県からの入学者が多い.両毛として両県の行き来に歴史があるからだと思うが,交通の流れからは群馬大学は外れている.

 概して地方国立大学は近隣の都道府県から入学者を集め,上位の大学は入学者の範囲が拡散しているような印象である.とはいいながら,上位の大学でも入学者の範囲は地域に制約される.次のグラフ群は,平成28年度の北海道大学が公表したファクトブックのある7頁目である.
https://www.hokudai.ac.jp/pr/HU28_factbook_all.pdf

記載された旧帝大の入学者の出身地を表す円グラフは,旧帝大でも入学者に地域の偏りがあることを示す.
220216

 東大や京大は全国から広く入学者を集めるような印象があるけれど,東大の場合でも東京都から37.5%,関東地方全体で約6割の入学者となっている.東京,関東は人口が多いのは事実であるが,人口比率を越えて近隣から学生が来ている.京大でも58%が近畿地方出身なのである.他の旧帝大にも同じことがいえる.
 この北大資料の上の方に,北海道出身の北大入学者は35.9%であり,他の旧帝大より地元率が低い,それだけ全国から入学している,と書いている.が,この記載は誤りである.北海道の人口は520万人くらいであり,埼玉県の730万人よりずっと少ない.その北海道で35.9%確保しているというのは,立派に地元率が高いのである.(ちなみに,同じ記載は,北大の後のファクトブックからは消えた.)

 上記の「統計情報リサーチ statresearch.jp」は,運営主体を表記していない.だから誰がこの資料を作ったのか不思議であり,怪しいといえば怪しい.ただ,この記載の数字を素人が自力で集めるのは,かなり労力が要る.
 このような数字を容易に手に入れられるのは文科省のお役人,ないし文科省傘下の機関の研究員なのではないか,という気がしている.サイト全体で考えると,他省庁に関するデータも入っているので,さらに謎が深まる.
 調べてみると,このサイトの所在地はあるサーバホスティング会社のサーバであるようだ.だからその会社のサーバで有料でサイトを立ち上げているようである.

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国立大学の親方日の丸入試

 1つ前の記載で埼大教養学部の入試倍率に触れた.その際に他の国立大学の倍率も眺めたのであるが,そうするうちにある感慨が湧いた.地方国立大学はどこも(前期日程,人文系で)倍率が2倍ちょっとのところで揃っている.上位の大学になると3倍くらいのところで揃っている.年度によって多少の増減はあるだろうが,数字は割と安定しているように思える.そうなるように,各大学には志願者が「配給」されているのではないか? いいかえると,私大であれば個々の大学が経営体として判断して競争しながら入試をするのであるが,国立大学の場合は国立大学であることによって上記のような志願者が全体システムとして調整されるようになっている,ということである.だから特段に(平均すれば)倍率が高くなることもなく,低くなることもないのではないか?

特定の国立大学への志願意識は生じにくい

 今の大学入学共通テストが「共通一次試験」として始まって以来,国立大学入試は私が受験生だった頃とは大きく変わった.合否は共通テストと個別試験の点数で決まるが,共通テストについては受験者は事前に自己の成績を把握し,その上で合格可能な国立大学を選んで受験する.個別試験の成績は「賭け」になるけれども,基本となる共通テストの成績が分かっている分だけ,リスクを低減させて受験する.
 先般,文科省が入試改革と称して共通テストに論述式などを導入しようとして挫折したのは,論述式などによって自己採点の正確性が担保されず,リスク低減に支障があることを生徒・学校側が嫌ったからである.
 実際に志望大学を受験生が選択するのは共通テストの後である.となると,特定の上位大学(東大や京大)をあくまで目指す人は別にして,事前に特定の大学を志望するという考えはおきにくい.国立大学は受験生にとって互換的なのである.共通テストの後に各受験生には,予備校による合格判定が配られる.その判定を見て適度な大学を選ぶだけのことである.入試の方法はどの国立大学も似たようなものであるから,自己の共通テストスコアからして可能な大学を選ぶだけのことになる.

国立大学には志願者が「配給」される

 一方で上記のような入試方法の類似性があり,他方で,多少の凸凹はあるにせよ,教育と研究で似たような実績になるように文科省から指導されている結果として,志願者が継続的に少ない国立大学がある場合は志願者が流れて来るようなシステムになっている,と考えるべきだろう.ガチに競争してどこかが潰れるということがないように,温情的なシステムになっている.そういう意味では,地方国立大学は相互に競争している面もあるけれど,結果として似たような倍率を確保できる結果になっている.例えば埼大教養学部は全国から毎年,判で押したように,平均的には300名ちょっとの志願者を集めている.この一貫性は考えてみれば驚くべきことのように思う.この結果はいろんな受験指導者による指導が組み合わさって出来上がっている,ということだろう.受験関係者の「集合知」によって(つまり結果として),この結果が生じるような体制が全国的に出来上がっている,としか考えられない.だから各地方国立大学にとって志願者は,競争して獲得するというより,上位大学,平民大学(地方国立大学)別に,この親方日の丸体制によって「配給」されているようなものなのではないかと思う.
 例えば鳥取県の人口は埼玉県の13分の1程度であり,高知県の人口は埼玉県の11分の1程度である.だからこれらの大学で志願者が確保できるのは,考えようでは不思議でならない.けれども,周囲の県から,例えば鳥取大学であれば人口の多い兵庫県から,鳥取県より多くの志願者を得ている.一般に周辺の県から志願者が流れてきて,どこの国立大学も穏便に,似たような倍率を達成できる,ということなのだ.むろん個別には特殊な事情があり,苦労されている地域の大学もあるが,大勢では学生確保は何とかなっている.

この親方日の丸方式が崩れるとき

 入試におけるこの親方日の丸方式は,むろん崩れる可能性はあるのだと思う.私の素人考えでは,常識論であるが,次の2要因が考えられる.
 第1は18歳人口の減少である.あと20年もすれば18歳人口は2割程度は減少する.進学率が同じで国立大学志願率も同じと考えると,この人口減少によって志願者減が危惧されるのは,上位大学より地方国立大学だろう.受験者人口が減って競争が弱まれば偏差値レヴェルでより低い層が上位大学を受験するだろうが,志願者が少なくなる訳ではないと思う.しかし上位大学志願を除く地方国立大学志願者は減って行かざるを得ない.だから18歳人口の減少の影響を倍率面で強く受け,実質的な選別が出来なくなる可能性があるのは地方国立大学であると考えるべきだろう.
 第2の要因は受験者層の中で国立大学志願率が今より減って行く可能性も考えられる.まず,大手私大の場合は似たような学部が複数あって,受験できる学科が複数あり得るので,何れかの学科に合格できる可能性は比較的高く,志願対象になりやすい.しかし国立の場合は,基本的には前期と後期日程の2回しか機会がなく,後期の場合は可能性がそもそも低い.そう考えると,国立大学志願というのは,戦略としてリスクが高い.だから初めから私大志願にする傾向は今後も強まる,という可能性はあるだろう.さらに,今後は大学生への経済的な公的支援が高まることが考えらる.それ自体は良いことだが,経済的支援が高まることは,相対的に国立大学を志願するメリットが現在より小さくなることを意味している.
 だから,国立大学の中でも地方国立大学が,その存立基盤が危なくなる可能性が高いと考えるべきだろう.
 大学は教育だけではなく研究もしている.しかし地方国立大学の場合は教育面,特に学生が確保できるかどうかで将来のあり方が決められるような気がする.受験者人口が減ったとき,地方国立大学は競争によって潰れる大学を出すことになるのか,あるいは,全体が並んで規模を縮小する道を選ぶのか? 規模を縮小する場合,一部の部局だけを残すことになるのか,全体が現状の比率で縮小させるのか?といった点が不安な要素になるだろう.
 私は早めに大学間の統合の計画を考え,然るべき規模と分野を持った大学の将来像を模索した方がよいと思うが,そのような展開になれるかどうかは,何ともいえない.

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教養学部の入試倍率

 この1/24(月)~2/4(金)が国立大学の学部入試の出願期間だった.この時期になると私は気になって埼大サイトで教養学部の出願数を確認するのが常になった.今年も出願期間中は毎日出願数を確認していた.
 文科省は2/4の午後の時点で,全国の国公立大学の出願数を公表している.ただ,その時点での出願数は確定値ではない.2/7の現時点でもまだ確定とはいえない.理論上は今後も多少の増減はある可能性がある.しかし2/7の公表値を使って問題なかろう,と考えて以下を書き進める.また,主に問題にするのは主日程である前期入試である.後期入試については,定員が少なく年度によってブレが大きく倍率が安定しない面がある.

 今年の教養学部の前期日程の出願数は(2/7公表時で)294名であり,倍率は2.55だった.昨年度は2.42だったので少し改善した.しかし昨年度はコロナ禍で地方回帰がささやかれ,しかも理高文低傾向であり,今年は文系が好調という前評判があったので,もう少し上がっても良かった気がする.
 下のグラフは,2015年度から今年2022年度の8年間での教養学部の前期倍率の推移を表す.周期的な上下があるような気もするが(推定で周期性は検定できる),その上下の範囲内に今年の数字も入っているといえるだろう.ただし,2015-2021年の7年間の平均値は2.73なので,わずかに今年は悪い方ではある.
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図1:埼大教養学部の前期入試倍率の推移

 ただし,この2.55(2.6)という倍率は,横並びで考えると「こんなもの」と考えるべきである.下の表は埼大教養学部と類似した国立大学文系学部の今年の前期倍率(2/7で公表の数字)をまとめている.まあ,大体は埼大教養学部と同じくらいといえる.ただし,埼大教養学部は,人口が多い都会の地域にある割には,特段良くもない.
 なお,下表の中では宇都宮大学の国際学部だけが4.6倍と突出して高くなっている.しかし同学部は昨年度は半分の2.3倍だった.募集定員が40名と小さく,何らかの偶然的に事情で多くなったものと思う.むろん,宇都宮大学国際学部は実によく頑張っている学部である.

表1:類似学部の前期入試倍率(地方国大)
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 参考までに,埼大教養学部よりちょっと上の同類学部の倍率を次の表に示す.上の表にくらべ,平均的に少し倍率が高い.この「少し」が実は越え難い格差を表すのだろう.

表2:類似学部の前期入試倍率(上位大学)
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 出願期間中に出願数の累積数がどのように変わったかを次のグラフに示す.例年の癖で,参照点として千葉大の文学部と国際教養学部も一緒に観測していた.
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図2:出願期間中の累積出願数の推移

 このグラフで気が付くのは,千葉大の両学部のグラフがズレたことである.これまでの何年かは,千葉大の文学部と国際教養学部のグラフはほとんど重なり,両学部の倍率は申し合わせたように近い数字だった.今年は国際教養学部の倍率が文学部に比べて低かった.理由は分からない.
 最初の1週間の推移では,埼大教養学部と千葉大の2学部との違いはほとんどない.しかし週明けから千葉大の2学部は倍率を伸ばした.私もこの経過を見ながら,週明けに埼大教養学部の倍率が伸びないな,と思った.週明け直後の時点では,埼大教養学部の倍率はもう少し伸びると私は予想したけれど,2週目にあまり伸びなかった,というのが実感である.

 ここまでの結果を見ると,埼大教養学部は「何かをすべきだ」と考えるほどひどくはない.が,「このままで大丈夫だ」と考えられるほど良くもない.なんとなく中途半端な結果だな,このまま生殺しかな,などと考えてしまうこの頃である.

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上位大学優遇は合理的なのか?

若手研究者支援における大学間格差

 このブログで最近,政府による若手研究者への経済的支援策を実施していることを書いた.具体的には,若手研究者(標準は助教クラスと思う)を対象にした創発的研究支援事業,博士後期課程学生を対象にした大学フェローシップ創出事業と次世代研究者挑戦的研究プログラムである.若手研究者を支援することは重要なことであり,まだ不十分と思うけれども,今後の日本の科学技術を補強する上で必要な措置であると評価すべきだろう.
 ただ気になったのは,これらの支援において大学間の階層性が非常に明確だったことである.上位大学がその支援資源において多くのシェアを占めている.具体的には指定国立大学法人が,創発的研究支援事業(2回目)とた大学フェローシップ創出事業で56%,次世代研究者挑戦的研究プログラムで58%のシェアを占めていた.シェアの数字がプログラム間で一貫しているので,フェアな査定をしたというより,指定国立大学法人の受け取るシェアが予め決まっているのか,という印象さえ受ける.対して地方国立大学は一貫してシェアが低い.
 例えば,次世代研究者挑戦的研究プログラムの受給対象者(予定)は,東大で600名であるが,埼大と並びになると思えるところでは,信州大が25名,群馬大が14名,島根大が12名である.埼大は申請していないようなのだが(なぜ?),信州大などの数字を見れば,埼大は取れてもせいぜい20名くらいだろう,と思う.

東大と埼大ではこんなに違う

 しかし,指定国立大学法人は当然,院生数が多い.だから院生を対象にした支援であれば受給者は自動的に増える,というだけなのかも知れない.
 そこで,東大と埼大の学生数の内訳を確認してみた.次の表である.数字は2021.5.1の数字から取った.

220124

 分かっているつもりだったが,あらためて数字を見ると埼大と東大の違いを思い知る.学部生だけからすると埼大は東大の半分近くある.東大は大大学であるから,埼大も学部生ではかなり大きな大学といえる.しかし東大の場合,院生の数は学部生数とあまり変わらない.院生率(=院生数/(学部生数+院生数)x100)で48.7%である.大学院重点化したのであるから,このくらいの数字なのだろう.対して埼大は院生数は東大の1/9であり,院生率は18.2%である.埼大でも大学院重点化ごっこはしているけれど,学部生中心の大学であることは明かなのだ.
 さらに,院生数の中で博士後期課程の学生数が占める比率(博士後期率)は,東大の場合は45.1%であり,修士/専門職課程と博士後期課程の比重はほぼ同じなのである.埼大の場合,博士後期率は18.0%であり,修士中心の大学院であることが分かる.東大の博士後期課程学生数は埼大の22.5倍である.
 ここで先述の次世代研究者挑戦的研究プログラムの受給対象者数の例に戻ろう.東大の場合,対象者数は600人だった.埼大は申請していないのであるが,申請して通れば,私の丼勘定では20人名くらいだろう,と書いた.博士後期課程学生数は東大が埼大の22.5倍であるから,学生数に比例して受給者数を決めるなら,東大が600人なら埼大は26.7人になる.つまり20よりは少し多くなるべきであるけれど,諸般の事情を考えると埼大で20人というのは仕方ない,まあフェアな数字ではないか?という気がする.
 というか,実態を考えると,埼大で20人分の枠を確保できたとすれば,東大に比べて埼大が優遇されたと考えるべきではないか?

追記:埼大の大学院重点化

 埼大では理工が田隅学長時代に大学院重点化をした.理工の先生方は大学院教授を称するようになったのである.理工で院重点化をするという話を私は加藤先生から伺った.私は,えっと思った.加藤先生の言では,大学院教授を名乗らないと理工は他と張り合えないといっている,という.私はへぇ~と,冷ややかに眺めたのを覚えている.
 国立大学が法人化する直前辺りに,10くらいの上位国立大学が院重点化を行った.そのときは予算措置がつき,当の大学は財政的に豊かになった.その後,予算は付けないけれども院重点化を称することを文科省は止めなくなった.
 後に山口先生が学長になることが決まっていた段階で,教養学部も人社研として院重点化をすることになった.山口先生も大学院重点化に思い入れがあったようであるが,私はやれやれと思ったものである.この程度の院の学生定員でよくも院重点化などといえたものだ.ただ,大学院教授と名乗ることになったことを喜ぶ同僚もいた.
 ほとんど詐欺だろう,恥ずかしくないのか,と私は思っていた.
 私が退職するときは,だから大学院人社研教授だった.どうも馴染めないなぁと思ったものである.

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次世代研究者挑戦的研究プログラム

 1つ前の記載で「科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創出事業」を取り上げた。その事業は文科省が行っている。が、別途JSTが「次世代研究者挑戦的研究プログラム」というのをやっており、博士後期課程学生に対して経済的支援をしている。上位の国立大学は両方に採択されているので、支援を受ける範囲も大きいと思う。(埼大は両方に入っていないようなので、早めに対応しないとまずい。)
 少し前に「創発的研究支援事業」という話題を取り上げた。この事業は若手研究者、多くは助教クラスの研究者を対象としていたと思う。それに対し前の2つの事業は博士後期課程の学生を対象にする。だから最近、若手研究者に対してはいろいろ経済的支援をする枠組みが出来て来た、と考えるべきだろう。

次世代研究者挑戦的研究プログラム:https://www.jst.go.jp/jisedai/index.html
A日程選考結果:https://www.jst.go.jp/pr/info/info1519/pdf/info1519.pdf
B日程選考結果:https://www.jst.go.jp/pr/info/info1542/pdf/info1542.pdf

 今年度のA、Bの両日程を合わせて、支援を受ける博士後期課程の学生の総数(予定)は5,811名のようである。暇なので、1つ前の記載と同じ大学の分類で採択学生数の比率を出してみた。次の図である。

220116
 見れば分かる通り、大学種別ごとの比率の分布は「大学フェローシップ創出事業」での比率とよく似ている。ちょっと笑ってしまいますねぇ。ちなみにいうと、主として地方国立大学である「その他の国立大学」(22大学)の採択学生数が計453名なのだが、東大だけで600名なのである。しかも東大の、この切りの良い数字は何なんだ。
 1つの事業だけで見ても指定国立大学法人は厚い援助を得ているが、実は2つの事業で2重に手厚く支援されている。より詳しく見るならばさらに手厚く遇されているはずである。前の記載同様に、シラーっとするというしかない。

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大学フェローシップ創出事業

 最近、「科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創出事業」という代物が文科省から出ていることを知った。博士後期課程の学生の経済的支援策の1つのようである。学生がフェローに採択されれば結構なお金が支給される。が、学生個人が文科省なり学振に申請するのではなく、学生を支援する大学を選択する格好になっている。
 フェローシップはボトムアップ型と分野指定型に分かれ、後者の分野とは情報・AI/マテリアル/量子の3つである。分野指定は明らかに理系であるが、ボトムアップ型で文系(人文・社会系)も理論上は入る。ただキャリアパスの整備が入っているので、官民の研究所勤務のある理系に比べ、文系では難しいだろう。そもそも名称からして文系学生は心理的に排除されている。
 令和3年分の採択結果が次のように載っていた。
https://www.mext.go.jp/content/20210224-mxt_kiban03-000013022_1.pdf
 採択された学生は総数で1,065名、うちボトムアップ型が36%、情報・AIが25%、マテリアルが24%、量子が14%である。たぶん、文系はほとんどいないだろう。
 採択学生数を大学種別でグラフ化したのが下図である。

220115
なお、大学種別のうち、「上位国立大学」とは支援③の国立大学を指す。「その他の国立大学」はほとんどが地方国立大学である。この前このブログに書いた「創発的研究支援事業」の大学種別によるシェアと酷似している。指定国立大学法人と国立上位大学が中身のほとんどを占めており、地方国立大学は、大学数は多いものの1大学当りの学生数は少ない。
 指定国立大学法人など、上位の国立大学の取り分は予め決まっているのではないか?と考えたくなる。またシラーっとした気分になった。

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大学の授業料は実質値下げになっていく?

コロナ禍での学生支援

 私の家には埼大のニューズレターが時折送られてくる.ざっと眺めて埼大の最近の状況を把握するのによい.コロナ禍以降は困窮学生に対して支援金を出すとか,学食で安い食事を提供するといった大学側の試みが紹介されているのが目立つ.むろん結構なことである.同様の学生支援は全国の国公私立大学で行われているように思う.いろんな大学が,OBなどからの寄附を募って困窮学生への支援を行っている.
 実は私は,コロナ禍に対応した,こうした学生への補助的支援が,これほど長く続くとは思わなかった.コロナ禍が当初の想定より長く続くのと同様に,大学のコロナ禍支援も思ったより長く続いている.素朴な疑問として,これ,ずっとやるんだろうか?と思ってしまう.コロナ禍がキッパリと終わる,その区切りはハッキリするとは限らない.だから,止めるタイミングを見つけるのは難しい気もする.
 そういうと冷たく映ると思うが,困窮者への支援は社会政策であり,大学は研究教育機関であって社会政策のための機関ではない.だから大学が困窮学生に行うというよりは,国なり自治体が学生と否とにかかわらず行うべきことではないのか,と思う.はっきりいって,大学周辺にも,学生以上に,食事に事欠いている児童は実は結構いるだろう.私の住所付近には困窮児童の例がよくあるらしく,篤志家的に何とかしようとしている商工会議所の方もおられる.

学生確保の競争という背景

 ただ,大学がこうした学生支援を行うのは,単にコロナ禍だから生じていることではないかも知れない,と思うこともある.
 学生に対して大学が財政的補助をすることは,学生側が払う授業料からキックバックすることと見ることができる.キックバック分があるということは,形式的に授業料は同じでも,実質的に授業料を(その学生に対して)値下げしていると見てもよいだろう.
 確か2000年より少し前,国立大学の法人化が決まる頃のことと思う.埼大の政策科学系の先生が当時の経済企画庁で教育経済学の研究会に参加しておられた.その先生から立ち話で聞いたことなのだが,教育市場が競争的であれば,大学の授業料は3~4割り下がるというシミュレーション結果だったという.そのシミュレーションがどういう前提で計算したものか,設置基準も緩和する前提だったのかは分からない.が,原理的には,市場が競争的であれば大学の授業料は下がるということだったようだ.
 大学は文科省による護送船団方式のままであり,今も競争的ではない.例えば文科省は設置基準によって参入障壁を作っており,海外大学の参入をブロックしている.コロナ禍でもオンライン授業による単位数の規制を緩和しない.もしオンライン授業の規制を緩和すれば,例えば海外大学が日本で大きなキャンパスを持たなくても日本の大学市場に参入しやすくなるだろう.
 という訳で授業料が安くなることはないのであるが,現下の受験者人口の減少の中では大学間の競争は生じて来る.だから授業料を低くする誘因は存在するだろう.
 比較的最近,私大の中には独自の奨学金(ないし授業料減免)の拡充を謳う動きがあった.対象者は低所得層の中で成績が良い学生であったと思う.大学の出口で実績を出そうとすれば,良い教育をするよりも優秀な学生を確保する方が早い.だから出来る学生に給付を与えるのは合理的である.その支援の金額分を全員の授業料の引き下げに使っても目立った引き下げにはならないから,ターゲットを絞って財政支援をするのは賢い.しかし,金額は小さいが,こうした措置は平均的には授業料を安くする方向の措置なのである.
 
学生支援の拡大はあるのか?

 コロナ禍は学生への大学による財政支援を拡大するきっかけになったろう.特に,設備費などの名目で授業料以外の料金をとっている私大である.コロナで登校できず,設備も使えないのだから設備費を返せ,という運動があちこちで起きた.むろん,案の定,大学は返金には応じなかったが,代わりに若干の財政援助をする破目になった.
 国立大の場合,設備費などはとっていないから,私大のような援助をする必要もないかと思えた.が,意外といろんな国立大学が,一生懸命お金を集めて学生への支援を競った感がある.よくやったなぁ,偉い,と私は思う.
 最近起こった学生への支援は,コロナ禍が終わるとやめることになるのか,続くのか,という点は見物だろうと思う.私は続くような気がする.背景として,学生確保の競争状態に徐々に入って行くからである.
 もし背景に学生確保を巡る大学間の競争があるなら,これから,学生支援はより拡大することになると思う.大学は一生懸命に寄附を集め,あるいは大学の経費を節減して,学生支援に回す時代になるかも知れない.大学によっては教職員の給与をカットしてでも学生支援をすることになるかも知れない.(以前,キリスト教精神をもってボーナスを学生のために拠出させた大学もあった.)

あるべき姿

 どうあるべきかの私見を述べるなら,大学が個別に学生への財政支援を行うのは,程々にしておいた方がよい,と私は思う.緊急避難的な一時金の貸与・給付は常に行ってもよいが,原則として大学は社会政策を業とする機関ではないからである.そして,社会政策を個別の大学がやってしまうことは,社会の設計のあり方を曖昧にしてしまうような気がする.
 望ましいのは,経済的に苦しい学生には政府から給付型の奨学金が行き渡ることである.その財源は教育国債によるしかないだろう.だから国大協などは率先して,教育国債による下層学生への奨学金拡張を提起すべきなのだ.大学で集めたお金は教育研究事業に使うべきだろう.
 私が学生なら,100円ランチなどより,ちゃんと授業料の減免をしろよ,と思うだろう.

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創発的研究支援事業 2回目

 JSTが募集をした創発的研究支援事業の2回目の採択結果(2021年度)が先日公表された.理系の若手を対象にした事業と思う.研究者がこの事業に採択されると長期的に支援が期待できるようである.2020年度の募集の結果は以前にこのブログで取り上げた(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2021/02/post-642227.html).今回が2回目である.どちらも倍率が10倍程度であり,若手研究者にとっては魅力があるけれども競争は厳しい.
 この2回目の採択結果は前回1回目と同じような感じだった.

採択状況

 採択259件の所属機関の上位をあげると次の表のごとくである.採択件数が2以上の機関を表にした.

                                          表:採択件数の機関ランキング
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 採択が多い順番で1位の東大から8位の九大までは,すべて指定国立大学法人である.東大の採択数は全採択数の1割以上になる.指定国立大学法人のうち東京医科歯科大学は採択件数が2に留まっているが,単科大学なのでしかたないのだろう.もう1つの指定国立大学である一橋大は,文系大学なので採択はゼロである.
 次のグラフは機関の種別の採択数シェアを表す.指定国立大学法人の10大学だけで全体の56%を占め,指定国立大学法人以外の世界型の国立大学(法人支援類型が③)をあわせると,全採択の2/3ほどになる.私大の比重は1割に満たない.東京都立大を含めて公立大学は影が薄い.多数の地方国立大学は11%に過ぎず,全部合わせても東大に及ばない.

211201

                           図:機関種別ごとの採択数のシェア

なお,「他の③」:北大,広島大,千葉大,神戸大,岡山大,東京農工大,金沢大
   「研究機関」:理研,産総研など

 なお,埼玉大学は1回目の採択時と同様に1名の採択者を出している.通算で2名の採択者を出しているのは,地方国立大学としては健闘したといってよい.

日本の大学の状況の縮図

 以上は露骨な結果だった.日本の大学の状況の縮図といってよい.
 日本の命運を握る(理系の)研究面でいうと,重点化大学(現状の指定国立大学法人)は主となっており,地方国立大学のプレゼンスは残念ながら低い.
 公立大学は地域の人材育成をしている建前であるからよいのであるが,東京都立大学を含めて,研究上の存在感は低い.大阪府立大学と大阪市立大学が統合すると規模では阪大より大きくなるが,研究面では阪大に遠く及ばない,という話があったことを思い出す.公立大学と地方国立大学はある意味で似ているのかも知れない.
 私立大学は,トップの慶応,早稲田が国立の③の大学に並ぶくらいである.文系が多いこともあって,研究面での私大の存在感は学生数に比べると小さいのが現状なのだろう.

この配分でよいのか?

 この研究支援の応募要項を見ると,現状の制約の中で合理的な選考が行われているように思う.申請者の分野の専門家による面接を経ているので,お手盛りでやっている訳ではない.
 ただ,たぶん審査する側と近しい申請者が採択されている,という結果にはなっているだろう.審査に贔屓が働くことがあるのか,贔屓はなくても上位大学の申請者が受け入れられやすい自己呈示ができる,ということがあるのか? その辺は長期的な調査を経ないと分からないことのように思える.
 さらに,研究支援の資金配分をこのように「競争的」に決めるのがよいのかどうか,という点も私には分からない.例の10兆円の研究ファンド,という件で安倍政権の中で推進側だったらしい高橋洋一氏は,「選ばずにばらまけ」と何度も発言している.どのような研究が成果に繋がるかは分からないのだから,考えても仕方ない,人を選ばずにばら撒け.というのである.ばら撒くということは,以前の,運営費交付金として国立大学の研究費を配分していた,その方式に近い.実際,競争的に配分を決めて,その結果がどうなのか,果たして研究の良し悪しを事前に判定できるのもなのか,その辺が怪しいと思えば,バラマキに戻した方が結果が良いのかも知れないな,と思う.

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地方国立大学,帆高の祈り

 新海誠監督の劇場用アニメ『天気の子』は家出少年の帆高(ほだか)を主人公にした作品である.映画の後半で帆高は,少女の陽菜(ひな),その弟の凪(なぎ)と一緒に警察から追われ,ラブホテルに泊まって一瞬の安息を得る.そのときに帆高の,次の有名な台詞が独白として入るのである.

《もしも,神様がいるならば,お願いです.もう十分です.もう大丈夫です.僕たちは何とかやっていけます.だからこれ以上,僕たちに何も足さず,僕たちから何も引かないでください.神様,お願いです.僕たちを,ずっとこのままでいさせてください.》

 オタク王の岡田斗司夫の動画によれば,この台詞は新海監督がバカな観客をここで泣かすために入れた,実際,岡田斗司夫と一緒に映画を観ていた周辺の女子中学生はここでみんな泣いていた,という.私の意見では,この台詞の場面はまだ入り口であり,ここから先にもっと泣かせる場面がある.
 この「帆高の祈り」が念頭に浮かんだのは他でもない,「指定国立大学法人」のことを考えたからである.

 今から4年前(2017年)にこのブログで「指定国立大学法人」という題の記事を載せた.が,なぜか,つい最近その「指定国立大学法人」へのアクセスが続いたのである.何年も前の,しかも(確認してみたが)大したことを書いていない記事に今頃アクセスが続いたことが不思議だった.
 理由はたぶん,九州大学が最近,指定国立大学法人に選定されたためだ,と気がついた.確か昨年,指定国立大学法人に筑波大学は採択されたのに九大は落ちた.九大はかなりショックだったろうが,ニュアンスとしては「来年通すよ」だったと思う.そんな中で九大は何とか計画をさらに詰めて,今年の採択に漕ぎ着けた.
 そういっては悪いが,旧帝の中では九大と北大がビリ争いをしている.雰囲気的には九大の方が良いから,九大が入ったのはまあ順当なのだ.これで北大が一人取り残されたことになる.これから死に物狂いの北大の逆襲が始まるのだろうな,と思う.指定国立大学になるには大学のガバナンスの点で左翼が嫌がるかも知れず,全大協の強い北大でどうか,とも思うが,一人だけ落ちたままには出来ないから,全大協を蹴散らしてでも指定国立大学法人を取りに行くだろう.第4期中期における指定法人の「追加」という線かも知れない,と勝手に思う.

 埼大のように法人支援形態が①の大学は関係ない話なのだ.だから4年前に書いたように,こうも何度も何度も,上位大学と下位大学を区別する儀式を,これほどまでにくどく繰り返さないでくれよ,というのが私の中の自動的な感情である.
 しかしもし,基礎となる数字が揃っていて,もしかして挑戦するチャンスが(できる訳ないが)できたらどうであろうか? あえて挑戦するであろうか,ということも考えないではない.
 挑戦する目標はあった方がよい,と私は思う.挑戦があるから整理できない内部の問題も割り切って解決できて次に進める.やれればやった方がいいんでないの?という気分もある.
 しかし,である.現状で埼玉大学で研究ができないということはないだろう.特に文系は.現状で以前のように運営費交付金が下がる訳でもなく,下がっていてもいろんな経路からの研究費は(怠けていなければ)増えているはずである.だったら無理をしないで今のままで実をとった方がよいのではないか?
 確かに今のままでは支援①の大学は地方創生などと,土台無理なことを求められるかもしれない.が,大学に地方創生などできる訳がないのだから,その点はじっとしていればそのままになるしかないだろう.
 一部の人は無理をするべきと思うかも知れないが,普通の教員は上で書いた帆高の祈りではないのか? 僕たちに何も足さず,しかし何も引かないでください.このままでいさせてください,ではないのか? このままで自分のやりたいことをしていればいいんでないの,というのが本音なのではないだろうか.

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大学卒業に4年が必要か?

 日経の特集「教育岩盤」では飛び級,飛び入学が日本では少ない実態にも触れていた.天才的な若者が非常に若くして大学院に入る,といった伝説的な事例を日本ではほとんど見ない.20台で教授になるような例は日本であるのかどうか分からぬが,あっても少ないだろう.実際には日本にも天才的な人は結構いるのではないか,という気もする.
 なぜ飛び級や飛び入学が少ないか? 日本の6・3・3・4制の教育課程では,実質的には,一貫して「履修主義」が採られている.文科省も履修主義を前提に指導しているからであろう,と私は思う.

実態としての履修主義

 公式には,日本の義務教育(小中学校)は「履修主義」によっている.履修主義とは,課程の修了は所定の授業を履修したかどうかで判定し,履修した成績にはよらない,ということである.つまり授業に出ていればよい.だから「落第」は,あるとすれば授業日数の不足によるだけである.高校になると,少なくとも単位制をとっている高校では「修得主義」になる.ただ,単位制をとっていても規定の就業年限(3年)での卒業が通例であり,実質的には履修主義と同じであるのが実態だろう.
 大学は,建前は修得主義のはずである.しかし実態はほとんど履修主義によっているといってよいだろう.実は,日本の大学は義務教育とは異なる建前を持ちながら,微妙に義務教育と同じ履修主義で運営されているのではないか?と思う.
 そもそも,大学が修得主義なら修業年限を4年などと決める必要はない.学生は必要な単位を取得し,単位が揃ったところで卒業する.だから,標準4年を想定した課程であっても,4年を越える期間をかけることもあれば,4より早く卒業できることもある.米国の大学などはこのような修得主義であろうと思う.
 しかし日本の大学の場合,早期卒業が導入されるまでは学生は4年在籍しなければならなかった.現状でも早期卒業は希であるから,小学生が小学校に6年在籍するように,大学生は普通,4年在籍する.4年を過ぎた留年が生じてはじめて,「単位が揃ったところで卒業する」という本来の修得主義に戻る.
 文科省は大学に対し,履修主義の小中学校を指導するような指導を行っている.例えば文科省は学科別の学生定員管理を大学に強く求める.具体的には入学者数が学生定員の人数から外れるとペナルティをかけている.この定員管理は入学者定員には限らない.例えば教養学部が3年次編入試験をする際にも,当該学年の学生数が学生定員から外れないように調整しないといけない.また,卒業者数も学生定員から離れない(留年者が少ない)ことを求めている.つまり,全ての学年について学生定員付近に学生数が収まることを求めている.そのことは,履修主義の小中学校と同じように,入学させた学生はそのまま進級させて卒業させろ,ということである.

大学の履修主義のもたらす効果

 履修主義には良い所がある.例えば小中学校に修得主義を適用できるかというと,難しいことはすぐに想像できる.修得できない生徒は多数に上り,彼らを進級させないとすれば学校現場をどのように収拾できるか? 履修主義でないと整然とした学校運営はできないだろう.履修主義は一面で修得していない生徒の存在を容認するが,それでも日本の小中学校が外国に劣ることはないはずであり,有能な人材を上の学校に送り出すことにも成功していると思う.だから履修主義でよいのである.
 大学における履修主義も同じことがいえるだろう.実質履修主義であることで,大学教育という人材育成工程のプロセス管理は少ない不規則性で制御されている.小中学校と同じように,学生はある年の4月にまとまって入学し,学生の多くが4年後の3月にまとまって卒業する.この安定感の上で学生も自分の学生生活を設計しやすくなる.
 しかし学生を自動的に進級させることを想定する履修主義では,学生を勉学に向かわせる誘因は低い.高校までなら上に進学するという圧力があるから履修主義の下でも勉強するが,同じ圧力は大学では低い.だから大学では成績が悪ければ不可をつける,落第させることが理想であるのだが,履修主義の下で学生を落第させることが出来なくなっているのである.
 おそらく,大学では概して成績は甘くなり,できない学生にも単位は出ているだろう.ちなみに,私は埼大在職中に,本来の採点をすれば受講生の少なくとも半分には不可を出すべきだったが,実際にはほとんど不可を出していない.ちゃんと数値で粗点を出せる形式の授業に限っていうと,受講生の粗点の平均は100点満点で50点行かなかったと思う.ゲーム理論の授業でいうと,粗点の平均は20~30点だった.その粗点を線形変換して提出用の点数を出し,不可は極力抑えた.が,単位を出している受講生の平均的な答案を考えると,ちゃんと理解しているとは実は言い難い.
 学生はほとんど勉強はしておらず,簡単に単位を取れている,と私は思う.実際,私が学生の時も,まじめに聴いていた授業は履修中の授業の中で1つか2つだったろう.
 また,私の教養学部での記憶では,CAP制(登録授業数制限制)が導入される以前は,多くの学生が3年次の前半で卒論以外の卒業単位をほとんど取れていた.また,卒業時にやたらと取得単位が多い(例えば180単位)学生もよくいたように思う.
 だから,CAP制が導入される以前なら,学生は普通にやっていれば,卒論を含めて,教養学部を3年で早期卒業できたはずである.
 CAP制に相当する制限は米国の大学にもあるから仕方ないだろう.しかし本来はCAP制の存在は変だと私は思う.もし多くの授業を同時に登録して単位が取れてしまえば,多くを登録して何がまずいのか? 問題は勉強しないでも単位が取れてしまう授業のシステムにあるのであり,授業がしかるべき難易度を持てばCAP制など存在する必要はないのである.
 授業の単位を学修時間の長さに関連づけることも,大学が履修主義に基づくことの1つの表れであるように私には思える.授業の1単位につき45時間の学修,という条項が埼大の「単位修得の認定に関する規則」に入ったとき,全学の会議で私が「何でそんな下らないことをするのか?」といった覚えがある.時の山口学長はお怒りになった.その時は大した議論はしなかったが,1単位を学修時間と結び付けているのは大学設置基準であり,同様の規則が米国にあることも存じている.しかし,そりゃぁ授業を設定するときの目安として書いているだけであり,実際の学修時間を問題にしていると考えるのは馬鹿げている.頭が良ければ学修時間は短いし,逆なら長いだろう.時間をかけるかどうかは本質ではなく,肝心なのは学生が理解を達成したかどうかである.時間そのものはどうでもよく,どの程度の達成があったかを測定すべきだ,とその会議では申し上げたがダメだった.設置基準という上位規則に書いてあることをわざわざ学内の規則で繰り返すのか,という問題もあっただろう.
 学修時間規程を学内規則に書くことは全国一斉だと思うので,文科省が指示したのだろう.この学修時間主義は,修得ではなく履修していること(=学修時間)で単位を出す履修主義精神の発露なんだろうな,と思う.

教養学部における早期卒業への抵抗

 Wさんが北大文学部における早期卒業の第1号であったという話をWさんの口から伺ったのは,埼大が早期卒業を導入するより前のことだった.Wさんは一生懸命単位をとって卒論もちゃんと書きました,と仰っていた.さすがWさん,早期卒業は是非導入すべきと私は思った.私には,実際は4年かからない程度の教育しかしていないのだから,早く卒業させるのはよいことだ,という発想があった.
 何時かは忘れたが,教養学部で早期卒業制度を導入したのは,私が学部長のときだった.まずカリキュラム委員会で原案を作ってもらったと思うが,カリ委員会に任せたのが間違いだったかも知れない.出てきた原案が「3年で卒業」ではなく「3年半で卒業」であったのを見て「やれやれ」と思った.やはり大勢では,教授会の皆さん,早期卒業が嫌なんだ,と思ったものである.なぜ「3年半」となったかの理屈は忘れた.
 教授会での審議でも早期卒業の導入に抵抗する意見が随分あったと記憶している.〇年の年季奉公が必要だと仰る意見もあったが,合理的な理由があるというより,早期卒業を認めるとしても現状との違いが小さい方が良い,という当時の教授会の感覚の故だったろうと思う.
 卒業する3月に早期卒業であるから,就職活動なども通常の卒業の学生と合わせて行うことができる.しかし3年半で,9月に早期卒業になっても,早めた半年分の使い道がないから(留学する場合を除いて),学生の方も早期卒業を希望しないだろう.
 それでも,早期卒業に手を挙げる学生が1人出た.私が指導する学生だった.その学生は出来が良く,私の授業では受講生の多少にかかわらず常に1番の学生だった.
 その学生が形式的な基準を充たしたので,教授会に出す前にカリキュラム委員会の承認を求めたのであるが,その会議の場で「早期卒業を希望する理由」に対する難癖が委員から出た.オイオイと思った.早期卒業自体が嫌だったとしか思えなかった.
 私が学部長だったので,いろんな段階での抵抗はあったけれどもその学生には早期卒業をして頂けた.それにしても早期卒業という簡単なことにひどく抵抗が出たな,と思わざるを得なかった.
 今,埼大の規則を見ると,早期卒業の時期は次のようである.

教養学部:4年次の前期終了時
経済学部:3年次終了時ないし4年次の前期終了時
教育学部:早期卒業なし
理学部 :3年次終了時ないし4年次の前期終了時
工学部 :4年次の前期終了時

 経済学部と理学部の規程が正常のように思う.4年次の途中でもよいが,3年次終了が自然である.工学部が教養学部と同じだった.メンタリティが同じなのか,授業の要求水準が高いからなのか.教育学部に早期卒業がないのは,上位規則によってカリキュラムががんじがらめであるからだろうと思う.
 話は逸れるが,経済学部の規程の早期卒業要件に「大学院人文社会科学研究科博士前期課程国際日本アジア専攻又は経済経営専攻に進学すること。」とあったのは驚いた.経済学部は院への内部進学者確保に苦労しているのは分かるが,自分の所の院進学を早期卒業の要件とするのは露骨すぎるし,理屈は立たないように感じる.教養学部の「学士・博士前期5年一貫コース規程」は,その点でより洗練されている.

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大学入学に高卒資格は必要か?

 日経に「教育岩盤」という題名のシリーズ記事が出ている.目を通すと結構面白いことが書いてある.大学を中心とした挑戦的な教育のいろんな試みが書いてある.文系科目が出来なかった生徒に東大並みの理工系教育をする大学設置を目指すとか,オンライン授業の比率が卒業単位の半分程度に抑えられている現状とか,秋入学を前提にした一貫校の設置を目指すとか,飛び級,飛び入学が進まない現状とかの話である.言わんとすることは,教育の多様性が望ましいのに,現状が岩盤のように動かない,という点にあるのだろう.
 この特集の意図は好ましいとは思うのであるが,何となくいろんな現象を書き連ねているだけなので私は読みながらイライラ感を募らせた.大学の設置基準,ある程度は学校教育法,そして文科省の裁量的指導によって現在の教育界が保護されており,その結果として教育の現状が岩盤になっているのは明かなことではないか? 論ずべきことがあるとすれば,そのような規制を取り去ったとき生じて来る問題がある世界と,現状の岩盤規制の世界のどちらがよいかを比較検討することではないか? 岩盤規制のマイナス面を記述するというのは,なんとなく芸がないのではないか? と思ったのである.

 私自身はいろんな教育上の規制はほとんど無くてよい,と埼大在職中から思っていた(口にしたことはたまにしかなかったが).規制を外せばいろんな変な事例が出るのであろうが,そこは事前規制ではなく事後評価に委ねるだけではないか?と思っていた.
 例えば,である.現状では飛び入学は例外的な法令上の事例であり,標準的には1年早く大学に入学できるに過ぎない.ただ,例えば1年早く千葉大に入れるだけなら,1年遅れても東大に行けた方がよいと人は考えるだろう.だから1年程度の飛び進学に人が興味を示さないのは自然なのだ.
 というより,大学に入学するのに高卒の資格(高卒認定試験を含む)は必要であろうか? 露骨にいうと,一部の私大文系のように入試に国語と英語しかなければ,合格できる中学生は多いだろう.なら,そういう中学卒の生徒は,希望するなら大学に入学させればよいではないか.家庭の教育費負担も軽減できて親孝行ではないか.上では明かな例として私大文系と書いたが,理大理系でも国立大でも,出来る中学生がある程度の予備校での準備をすれば,高校をスキップして大学に行けるのではないか,と思える.Fラン大学なら有名小学校を受験する幼稚園生でも合格ラインに達するかも知れない.

 現状では,小・中・高校・大学・大学院という人材育成工程プランを政府が持っており,その順の工程ステップを経なければ次に行かせない規制をしている.しかし,この工程を一律に規制で守ることに合理性があるのか?ということである.
 むろん,もし私が大学の経営者であるなら,特殊な大学でない限り,私は入学者に高卒資格を求めるだろう.なぜなら,高卒資格を求めないとすればかなり多岐にわたる入試を実施しないといけない.その労力を負担するコストが高過ぎると考えるからである.
 しかし,私が高卒資格を求めたいのは教養学部のようなアーツ&サイエンスの課程を前提とするからである.いろんな大学があり得ると考えれば,必ずしも同様に考える必要はないだろう.大学によっては,数学さえできれば他はどうでもよい,ということはあってよい.そして,数学力だけを見るなら,入試も実施可能であろうと思う.
 埼大の学生の中にも,ルネサンスと中世のどちらが古いかを知らない学生もいた.ルネサンスと中世というなら,高校以前の中学,いや小学校で習っていたように思う.でも知らない学生もいる,それで問題ないのである.

 私の在職中の最後の頃,文科省は「高大接続」といい出した.時の埼大の学長さんも高大接続で頑張ります的な発言をしていた.しかし内心,私は「高大接続」という言葉が嫌いだった.文科省的には高校と大学を連続した工程と考えるから「高大接続」という.しかし「別に接続していなくても,大学は独立に存在すればよい」と私は考えていた.
 高校と大学が接続しているという発想から,大学入試では高校の学習指導要領外の事項を入試で出題させないことになっていた.しかし入試で何を出題するかは大学の裁量で決めるべき事項だろう,と私には思えた.むろん何が出題範囲かは受験者に知らせるべきであるから,習得しておくべき事項が(もしあれば),表にして事前に知らせることが望ましい.しかし大学のすることを高校の指導要領で制約する必要はない,と思う.

 後で在学期間(学部・院)を定める必要があるか,という点を述べてみたい.私はないように思う.

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京大霊長類研究所解体,マジか?

 京大の霊長類研究所が解体されるという見出しのニュースが流れた.マジかと思った.京大サイトを見ると次の広報が掲示されていた.

https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news/2021-10-26-1

掲載された「霊長類研究所の在り方に係る方向性について」のポンチ絵を見ると,「解体」ではなく「改編」である.既存の分野はほぼ分散されて残る.若干整理される部分はあるが,たぶん実質がない部分だろう.だから研究に影響が出る訳ではなさそうである.ざっと眺めると,管理が開放的になる,ということのようだ.
 最初に指摘された研究費不正については,気持ちは分かるような話であったが,確かに,例えば埼玉大学ならまず事務が許さないようなものだった.そうした不正が起こり得たのは,「研究所」が部局として独立性が高く,全学のガバナンスが効いていなかったためのように思う.今回の改編によって管理がよりオープンになり,ガバナンスが効きやすくなることを狙った改編なのだろう.
 この研究所が高い独立性を持ち得たのは,優れた実績があったためのように思う.過去のパフォーマンスの高さが負の結果をもたらした実例がこの例であるかも知れない.
 多くの大学は,こういう研究所を持ちたいなぁ,と思っているような気がする.

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イノベーション力

 私の家には近所の小学校から学校便りのような1枚紙の文書が定期的に送られてくる.カミさんが民生委員をしていて,その小学校の関係者ということになっているからだと思う.この文書は主に校長先生が名前を出して書いてある.その時々で文科省が標語のように出しているキーワードを持ち上げていることが多い.文科省が「生きる力」といっていた時には「生きる力」云々,「多様性」などと文科省がいっているときにはLGBTアゲの文面を書いていた.最近よく書いて来るテーマは「イノベーション」である.確かにここしばらくは,政府はイノベーションとよく口にして来たし,文科省もいっていたように思う.
 私が離職したときには山口学長であったが,そういえば山口学長もイノベーションといろいろ仰っていたし,文科省に合わせて盛んに文理融合がどうたらと発言されていたように思う.
 学長や校長にもよるかも知れないが,長とつく方は文科省がいっていることをそのまま我が使命と受け取ることが多いのだろう.
 最近送られてきた小学校の文書では,授業研究に小学校として取り組んでいるという紹介があり,よくあるPDCAサイクルで頑張るぞ的なことが書いてあった.その文の直後に,やや唐突に,小学校のモットーを「イノベーション力」にした,と書いてあった.文書には「イノベーション力」という揮毫の写真まで載っていたので,オイオイと思った.
 かつて通った学校のモットーはある程度,私は今も覚えている.小学校は忘れたが,中学校は「力のある人間になれ」だった.高校のモットーは「至誠一貫,堅忍力行」である.大学にモットーがあったかどうかは分からぬが,埼玉大学のモットーは「研け知と技」だった(笑).これらは何れも,モットーらしいモットーだった.
 しかし,「イノベーション力」って,学校のモットーというような代物かい? というか,小学生に「イノベーション」といって,何か意味があるのか? まさかPDCAサイクルでイノベーションだぁ,という訳でもないのだろう.
 成長戦略の関連で日本でイノベーションを起こすことは重要なことは論をまたない.が,イノベーションって,個人の心がけで,イノベーション精神で頑張りましょうという話ではないだろう.イノベーションは個人の精神の問題ではなく,成長の見込みの上に新規参入をし易くして,その新規参入によって引き起こすものである.イノベーションを進めるならイノベーション精神の注入ではなく,規制緩和などの措置を政府がとるかどうかの問題でしょうに.
 ではあるが,小学校の校長先生にせよ大学の学長にせよ,上の方でいっていることを鸚鵡返しにする習性があるのだろう,と思ってやや笑った.

 そういえば,であるが,在職中,私の指導の学生が教育実習をしたときに,実習の総評の席に出席させて頂いたことがある.教養学部の場合,学生は普通,地元の出身校に自ら頼んで教育実習に行く.その場合,実習の評価をする場に指導教員が陪席することを求められることはなかった.しかし今の例は浦和市内(当時)の学校での実習であるから,教育学部の手配で実習に行かせて頂いたケースであったかも知れない.指導した学生を囲んで,教科の社会科の先生方が集まっていろんなコメントをしていた.一人の教育実習生の受入れに対して学校側は相当な労力を払うものだな,と実感した.
 この評価の場は会議室ではなく校長室だった.社会科の先生方が着席していたデスクとは離れた所に校長のデスクがあった.校長デスクの校長先生が「自ら学ぶ」という当時の文科省のモットーを長々と講釈していた.その話は件の学生の教育実習とは関係がなく,社会科の先生方は校長の話が終わるのを黙って待っていたように思う.校長だけ一人浮いていた.なかなかの見物だった.
 私の近所の小学校の場合も,校長先生はなぜか「イノベーション力」などをいうけれど,他の先生方はシラーっとして何もいわずに下を向いている,ということもあるのかな,と想像した.大学の学長の場合も,似たような光景を呈することがあるのかも知れない.
 ただ大学が小学校と違うのは,先端的な研究をすることで産業社会のイノベーションを直接引き起こせる点にある.イノベーションという言葉自体は産業社会のあり様を経済成長との関連で表す言葉であるから,大学のレヴェルではイノベーションではなくより平易に「先端的な研究を目指す」というべきと思うが,イノベーションといって悪い訳ではない.

 第2次安倍政権以降は政府が絶えず成長戦略をうたい,イノベーションといってきた.このことは実は国立大学にとっては順風だった.大学,特に理系に比重がある国立大学を政府が成長の要と位置づけたからである.運営費交付金が増えたか減ったかはともかく,政府から大学に研究費として渡る金額は増え,まだ不十分とはいえ10兆円の研究ファンドも立ち上がった.
 しかし岸田政権になって,成長戦略会議も廃され,今後どうなるかはまだ分からないな,という気がする.科学技術への投資は増やす以外にないと思うのだが,まだ形が見えない.
 これまで,政府の経済運営の方針は「骨太の方針」として毎年6月頃に公表されてきた.骨太の方針が出たのは小泉内閣以後であり,基本的に改革路線をとってきたことの表現でもあった.今後も骨太の方針,ないしそれに変わる方針が出るのか,出るとして,その中で国立大学がどのように位置づけられるかは,国立大学関係者は気にしてよいことのように思える.

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総裁選は学長選と同じかな?

 先日,自民党の総裁選があった.自民党員でもない私に選挙権はないが,どうなるかと思い世間並みに関心をはらって眺めていた.岸田総裁が選出されて新人事が公表されたのがつい昨日か一昨日である.
 ここまで眺めながら,総裁選って大学の学長選と同じかな,とふと思った.

獲得を目指すもの
 総裁選や欧州での連立政権作りは学長選と同じように,形式的には特殊な協力ゲーム(Coalition Game)として位置づけられる.この種のゲームでは分け合う報酬を閣僚ポストと考えることが多いが,実際には「集団意思決定におけるポジション」を争っていると見るべきだろう.そのポジションに付随して役得が生じる.トップを目指す人にとって直接的な動機づけの源泉は総裁や学長にともなう役得だろう.が,支持者グループにとっては政府なり大学において意思決定を有利に導くことを可能にするポジショニングだろうと思う.
 例えば,経済学部出身の上井学長のときには「全学運営会議には経済学部長が2人いる」と(おそらく事務方上層部の誰かが)いっていた.学長を押さえていれば何かと有利なのである.
 大学でいうなら,報酬への選好度が強い部局が学長選に強く関わる.その点では教養学部は学長選には強く関与することは少なかった.教養学部は母体が小さいから自ら学長を出す可能性が低い上に,学長のいかんで学部の立場が良くも悪くもならない可能性が高かったからである.この考えをやや変えざるを得ない経験が田隅学長の就任時におこった.「旧教養部ポストの全学化」という,教養学部に負担の大半を押し付ける決定が大学上層部でなされたことである.この時には,大学上層部には教養学部だけが人を出していなかった.大学内の決定のポジションにおいて決定的に不利な立場にあったのである.
 伝統的に学長選に強く関わって来たのは理工や教育学部だと思う.
 理工はどうしてもお金が要る.既存設備の維持をするだけでも大変だという事情がある.文系とは異なる.交付金以外の予算要求機会には優先順位を上げて欲しいし,大学の予算をどれだけ食おうが,電子ジャーナルを止めるような事態は避けないといけない.
 教育学部は,国の政策にその立場が依存し,従来通り存続できるかどうかが大学の方針にかかっている.特に兵藤学長時代に教育学部包囲網が出来かかったことで,学長を抑えておくことへの関心は強まったように思う.法人化の前後から.教育学部は自ら学長を出すのではなく,学長の与党になって不利益を回避する戦略をとった.その戦略性という点で,教養学部など教育学部の足元にも及ばなかった.

派閥/部局
 総裁選の場合,争う単位はしばしば派閥であり,学長選の場合は部局である.単純には派閥/部局が自分の親分を候補者にして争うけれども,派閥や部局が複数の候補者の間で票を分割させる場合も多い.しかし,強力に動く中心は候補者を出す派閥/部局であり,その中心に他派閥/部局の協力者が集って陣営ができるのが普通である.今回の総裁選の場合,派閥の親分だったのは岸田候補だけだったから,最終的に岸田氏が勝利したのは定石の通りだった気がする.
 私が在職中に学長選の陣営の中に入っていたのは,上井先生を推した2回の学長選だけだった.ちなみに,その2回目より後には埼大で学長選挙は行われていない.
 陣営にいたといっても,私がやったのは自学部内の票の取りまとめくらいであり,微妙なことには関わっていない.ただスキルのある方は他陣営の切り崩しなども行っているから,総裁選と同じようなことは起こっていただろう.
 非常に興味深かったのはその1回目の学長選の折のことだった.そのときは教育学部が独自候補を立てて争っていた.その際,教育学部の切り崩しというか,票の食い込みを図った方々がいたと思うのであるが,私の見たところ何れも失敗している.教育学部は組織が強固であり,私は当時「教育学部は旧帝国陸軍」といっていた.教育学部は不利な条件で戦いをしたのであるが,組織は強固であり,見事な戦いぶりだった.教育学部に比べると教養学部は,良くも悪くも,軟弱文士の寄合のようなものだった.
 総裁選を見ていると教養学部は自民党内の小派閥と立場が同じだなぁ,と思わずにはいられない.教養学部は人数も少ないし凝集性が弱いと見られる.だから票読みの段階で「教養学部はせいぜい35票」という読みになる.存在が軽いのである.

論功行賞
 政争を経て権力が決まる場合,決まった後に勝者(winning coalition)のメンバーがポストで優遇され敗者(losing coalition)メンバーが冷遇される.この点は争って権力を得る場合の必然であり,露骨に見えて嫌でも変えることはできないだろう.
 自民党の総裁選出では,重要ポストは選出された総裁の陣営の議員が重要ポストを占め,誰でもよいポストは広くバラまく.今回の岸田政権の場合,人事を見ると岸田派議員が得た重要ポストの数はそれほど多くない.この点は岸田総裁選出に当たって他派閥の協力が大きかったからだろう.ただ内閣の布陣は一か月先の衆議院議員選挙の後に変わるので,最終的に岸田政権のポストの配置がどうなるかはまだ分からない.
 大学の場合も,選挙の有無にかかわらず学長選出にあたって貢献が最も大きい人がNo.2の理事に就くのが普通である.相対的に重要でないポストは部局間のバランスを考えて振り分ける.埼大では私が存じ上げる法人化後の学長の例(現学長については分からない)ではその通りだった(上井学長の2期目は特殊事情によって変則的).私が知る限り他大学も同様である.
 そう書いていて思い出したが,そういえば,上井学長が1期目から2期目に移るとき,私は学部長の任期が終わるときだったが,何かのポストを提示されたことがある.時間も経っているのでいってもよいだろう.職名はナントカ(忘れた)か「副学長でもよい」といわれた.その場で断った.明らかにやることがなく,権限も有さぬ仕事だったからである.確かその頃私は教養学部のためにグローバル事業の申請準備をしていたので,そんなことに関わりたくなかった.今から思えば,あれって一種の論功行賞だったのかも知れない.
 実は私が提示されたのと同じような仕事が山口学長の初期に存在し,ある副学長さんが兼任で担当した.しかし,経緯は分からぬがその副学長さんは邪険にされ,なぜか消えてしまい,その仕事もなくなった.そりゃ,やることないからそうなるよ,と思った.
 上井学長の時期にしょうもない仕事を担当する名目で副学長さんがおかれたことがあった.そのために学部にも余計な仕事が降られ,私は内心迷惑に思っていた.あの頃の副学長任命は論功行賞か,単にお友だちを近くに置きたかったからか,だろう.
 こう書きながら,もしあの時にその仕事を副学長あたりで私が引き受けていたらどうなったかと,今頃ふと考えてみた.不確実性はあるが,まずグローバル事業の申請は通らなかったろう.また,学長の執行部に入ったから,学長の方針には逆らえず,結果として上井学長期の最後に出てきた「人社研での合併案」には反対できなかったろう.とすれば,私が2度目の学部長になることもなかったろうし,(自惚れかも知れぬが)人社研のシステムが複雑なままになっていたかも知れないな,と思う.ただ,私個人にとっては,その方が自分の仕事ができてハッピィだったかも知れない.

学長選挙をしないのも悪くない

 自民党総裁選の場合,総裁は投票で決める規程になっているだろうから,どのみち投票は行われる.ただ大学の場合,候補者がはじめから1人であれば,たぶん多くの大学で投票はしないだろう.埼大の場合,従来の学長選を闘ったのは上井学長の2期目就任の時(2012年)が最後だった.その後の山口学長就任時は候補者が1人だった.規程上投票はやることになっていたので意味のない投票は行ったけれど,事実上無投票だった.その後,候補者1人の時は投票をしない規程に変わったと思う.現学長選出の際は候補者1人で事前調整されたと聴いているので,投票は無かっただろう.
 投票のある学長選がないと寂しいと思う方もおられる.しかし,事前調整できるなら,選挙無しの学長選考は悪くないだろうと私は思う.
 学内の陣営の持ち票が分かっているという前提で,各陣営が交渉で合意を探るゲームを考えてみよう.このとき,ゲーム理論でいえば,合意が形成できない場合の結果は投票して決まる結果になるから,投票結果が「交渉の不一致点」になる(私の学生の頃は Threat Solution と呼んでいた).合意可能な解の集合はこの交渉の不一致点を前提に決まって来るので,最終的な陣営間の合意は,交渉スキルによって多少は変動するとしても,交渉の不一致点とそれほど変わらない領域になるはずである.投票で自動的に決めない分,最終合意はよりパレート効率化され,各陣営の要求を盛り込んだものになる可能性がある.
 そう考えれば,昔ながらの学長選を懐かしく思う方はおられるだろうが,選挙をしない学長選考は悪いとはいえない.選挙をやってみっともない姿を晒さずに済むことも良いのではないかと思う.

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埼玉大学はコロナ休眠中なのか?

新たな挑戦が外からは見えない

 私の家には埼玉大学の News Letter が定期的に紙で送られて来る.最近は私から埼大サイトにアクセスすることも少なくなったので,埼玉大学の様子を知るにはよい.
 この News Letter を見て思うのは,埼玉大学が新しい挑戦をするという記事がないことである.少なくとも記憶に残っていない.特にコロナ禍になってからは,学生支援で頑張っています,という記事が多くなった.まあどこでもやっていることだし,良いことには違いないのだが,大学が本気でやることではないような気もする.
 あえていうなら埼玉医大との連携協定を結んだことが目立った進展だった.が,協定はポテンシャルであって何かを成し遂げたということではない.何年か前に近くの某大学と共同課程を作るという議論があると聞いたが,その後 News Letter にも載っていなかったように思う.むろん,共同教育学部ならともかく,院の小さい共同課程ならそれほどのポイントにはならない.
 埼大には動きがないな,という感想をこの間に抱いていた.
 実際,このブログでも以前書いたが,昨年出た「埼玉大学変革・発展ビジョン」を見ても,目立った挑戦の記載はなかったように思う.むろん改善は書き込んである.しかし5,6年のスパンで考えるなら,その程度の改善は当然に組み込まれるべきものである.挑戦とはいわないだろう.
 むろん,世間に公表するのは話がまとまった段階であり,今は密かに何か大きな企画が進行中なのかも知れない.しかし多くの大学では,進行中のことでも積極的な話なら何らかの形で外に出しているような気がする.

目立つ挑戦は無意味かも知れない

 ただ,何かを新規に作ります的な目立った企画は実は意味がない可能性もある.そのような所にエネルギーを使うのではなく,まさに研究そのものの推進を埼玉大学は図っているのかも知れない.
 前の山口学長が学長になられた頃,山口学長はリサーチ・ユニヴァーシティを目指すと口にされていた.文脈は忘れたが,学長になられた山口先生に,全学の会議で,埼大はもっと教育に力を入れてよいと思っていると私は発言したことがある.ただ大学の本質が研究であることは正論であり,学長がそうお考えである限りそれでよい,とも思った.
 確か山口学長が全学の会議で,大学支援形態として世界型ではなく地域型を選ぶと発言されたとき,教員側出席者の多くが世界型がよいと発言された.それだけ教員側はリサーチ・ユニヴァーシティを志向していたのだろう.当時理工の部局長だった現学長は,これまで世界型を目指してきたのに残念だ,という趣旨のご発言をされた.経済学部長も地域型になるのは残念,という発言だった.地域型で妥当,と発言したのは教養学部長だった私くらいだったろう(他にいるとすれば教育学部長か).
 それだけ埼大は研究へのこだわりが強いのかも知れない.思えば,私の在職中は,理工の先生は「我々はノーベル賞をとるような研究をしている」と仰っていたことを思い出す.(そんなことはノーベル賞をとってからいえ,と私は心で思いながら口にはできなかった.)

NIADの学部・研究科等の現況分析(教育/研究)ではどうか?

 埼大の研究状況の評価値をどうやって見るか,であるが,簡易に大学改革支援・学位授与機構(NIAD)の学部・研究科等の現況分析(教育/研究)の結果を参照してみた.第3期中期の評価結果である.同じファイルは各大学が,自大学の分を,自身のサイトに掲示していると思う.

https://www.niad.ac.jp/evaluation/research_evaluation/kokuritukyoudou/hyoukakekka_R3/

 まず埼玉大学について.研究評価は研究科別になるので,評価単位は人社研,教育研,理工研の3つである.「研究活動の状況」と「研究成果の状況」の2面につき,全部局ともすべて「相応の質にある」だった.この評価は4値(「特筆すべき高い質にある」「高い質にある」「相応の質にある」「質の向上が求められる」)であり,最下位の「質の向上が求められる」に該当する例は全国にほとんどない.分布はカイ二乗分布のように左に傾斜しており,「相応の質」が53.6%,59.7%になる.だからこの評価では,埼大は悪くはない.でも良いとはいえない.
 教育評価は「教育活動の状況」,「教育成果の状況」の2面からなる.評価単位は学部と研究科である.多くは「相応の質」であるが,いくつかで「高い質」の評価がなされた.「教育活動の状況」で,人社研,工学部,理工研が「高い質」,「教育成果の状況」で教育研が「高い質」になっている.
 こう見ると,NIADの評価では,埼大は教育の方で見込みが大きいように見える.「高い質」になる率は,研究より教育の方が厳しいのに,いくつかで「高い質」になっているからである.
 比較のために茨城大学を見てみた.評価の単位は人社研,教育研,理工研,農研である.人社研と教育研は研究の2面で「相応の質」だった.しかし理工研は2面でともに「高い質」であり,農研は「研究活動の状況」で「高い質」だった.茨大よりダメじゃん,埼大.教育の評価では,「高い質」を結構とっている.特に,理学部は教育活動で「特筆される高い質」,教育成果で「高い質」だった.農学部は,教育活動で「高い質」,教育成果で「特質される高い質」だった.
 ついでなので宇都宮大も見てみた.研究評価を見ると,地域デザイン,国際,教育はみな「相応の質」だった.しかし工学研は「研究活動」で「高い質」,農学部(農学研は共同院)は「研究活動」が「特筆される高い質」,「研究成果」が「高い質」である.地域創生科学研究科は2側面で「高い質」だった.だからまあ,この研究評価では宇大が埼大に勝る.教育評価に目を転じると,結構「高い質」や「特筆される高い質」をとっている.例えば国際学部は,「教育活動」が「高い質」,「教育成果」が「特筆される高い質」をとっている.埼大教養学部は,宇大国際学部に,この評価で負けている.
 さらに,旧帝などの上位大学を見てみると,さすがに,多くが「高い質」ないし「特筆される高い質」になっている.そこは出来レースだと思うのであるが.

埼大はコロナ休眠中なのか?

 以上のようにNIADの評価を信頼するとすれば,研究面で(教育面でも)埼大は高い評価にはならない.では,埼大はこの間,新たな挑戦をしない間に何をしてきたのだろうか? コロナ禍の中で休眠していたのだろうか? 答えは分からない.埼大は突如,温めていた驚きの新企画を発表することになるのかも知れないのである.

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文系問題いろいろ:萩生田大臣の鈴木寛斬り

2015年の「文系問題」

 このブログの1つ前の記事で某部局の小論文入試問題の論評をした.論評した小論文問題は『「文系学部廃止」の衝撃』という本から受験者に提示する文章を抽出したものだった.この小論文問題がどうかという点はおいておくが,この記事を書くうちに2015年に起きた「文系学部廃止」論のことを思い出した.
 2015年の6月に文科省が国立大学に対して組織再編を促す通知文を送った.その通知の中に教員養成系学部・研究科,人文社会系学部・研究科について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という文が入ったのである.常識的にいえば理系に変えろということである.この通知は大学,特に国立大学に大きな波紋をもたらした.
 その年の10月に17大学人文系学部長会議が開かれた.その中でこの通知に「強く抗議する」という共同声明を出したのである.念のため,共同声明を末尾に付けておく.

 私はその会議に出ていた.実は,内心,この共同声明を出すことに私は積極的ではなかった.件の文科省通知は変なことをいうとある文科省参与/補佐官から出たことであり,実際に大学で文系をどうするかは国立大学法人の判断に過ぎないからである.波風を立てず,単に無視すればよい,という頭だった.また,その時点で経団連が「我々の考えは文科省の対極にある」という文系支持の見解を公表しており,文科省自体,この通知の火消しをする状態だったのである.ただ,この会議ではある程度の学部長さんから積極論が出て,あえて反対する理由もないので,私も賛同して名を連ねている.
 この通知の「火消し」で文科省は醜態を晒した,と思う.私は学部長会議後の全学運営会議に,この学部長会議の報告文書を資料として出したのであるが,全学,より正確にいえば当時の総務部長が私の文書を資料に入れて残すことを拒否した.その次第は次で書いてあるので,興味があればご覧いただきたい.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2017/12/2015-53fb.html
 埼大はこの程度だったが,この声明に深く関与した大学ではもっとすったもんだがあったと聴いている.人文学部長会議も要らぬ声明を出した面もあるが,文科省の忖度役人も「無かったことにする」ためにあちこちの大学で無様なことをしたものだ,と私は思う.

 さて,前に挙げた『「文系学部廃止」の衝撃』という本は,件の文科省通知に非難する立場で文系を擁護するために書いたものだろうと思う.読んでないので「思う」としか書けない.

とある文科省参与/補佐官

 私が上で「変なことをいうとある文科省参与/補佐官」と書いたのは鈴木寛という方のことである.この方はもともと通産省のお役人だったらしく,民主党の衆議院議員をし,民主党政権時代に文科副大臣をしている.その頃の埼大は上井学長時代だった.
 上井学長はこの鈴木寛氏と波長が合うらしく,かなり長い期間,全学会議でこの鈴木氏が何をいったかを説明し続けていた.そのお話を聴かされていたので,私も鈴木なる方が何をいっているか分かってきたのである.鈴木氏は国立大と私大との棲み分けを考えているようであり,国立大は理系,私大は文系,という区分けをしたかったように思う.また,国立大は院中心,私大は学部中心,という発想もあると見えた(勘違いもあるかも知れない).
 上井学長時代の最後に改組の話が出てきたのを,覚えている方は覚えているだろう.教育学部(教員養成学部)の学生定員を理工の院の定員に振り返ること,また教養学部と経済学部を合わせて人社研を設置することが大きな柱だった.定員を教育の学部から理工の院に移すことは鈴木寛氏の考えが下地にあったろうと私は思う.人社研の設置でも院の定員を増やすことを学長らがいったのも,同様の筋であるだろう.
 2015年の例の文系廃止通知もこの鈴木氏の考えだと思う.文科省は「文系を廃止しろという意図はない」という釈明文を出しているが,鈴木氏の名を出した文書だった.この文書は,「文系を廃止しろといった覚えはない」と書きつつも,終わりの方で「文系を転換しろ」と書くという,変な文書だったので笑えた.
 この鈴木氏は民主党政権が倒れると同時に選挙で議席を失った.私はざまあみろと思って喜んだ.しかしその後の安倍政権で文科省参与となり,続いて文科大臣補佐官を長く勤めていたのである.要するにいろんなことをしており,最近の「入試改革」(英語民間試験の導入,論述問題の共通試験への導入)をリードしたのもこの方である.
 鈴木氏が文科省の役を終えたのは萩生田光一氏が文科大臣になった前後と思う.萩生田大臣が前任者から引き継いだ英語民間試験や記述式問題の導入を平気で止めたのは,鈴木氏が離れたからだろう.萩生田大臣は慧眼だった.

文系に価値がないと誰がいうものか

 鈴木寛という方はそういう方であり,上井学長とも波長があったのだろう.
 ただ,まず私は鈴木氏の考えが文科省全体の考えを表しているとは最初から思えなかった.文科省本体はそれほど複雑なことは考えない.国立大学とはうまくやっていきたい,というのが文科省の本音と思う.
 また,見識のあるお役人が文系を廃止しろなどというとも思えない.神田眞人氏は国立大学に厳しいことをいう,よく名前が出る財務官僚である.が,彼はオックスフォードで学んだ方であり,大学のことはよく理解している.神田氏など財務省側は,教員が研究をすること,学生がしっかり勉強することは求めているけれども,文系は要らんなどとはいわない.大学で学ぶことの意味をクリティカル・シンキングができるようになることに求める発言をしている.クリティカル・シンキングを研く上で文系がなくてよいはずはないではないか.
 たぶん,今後も鈴木氏のようなバカな方は出るだろうし,そのバカに波長を合わせるアホ学長が出ることもあるかも知れない.しかし,文系は自らの存在にもっと自信を持ち,堂々とすべきだろう.
 自らの存在に自信を持てとは,亡くなった阿部先生が(文化政策騒動の頃)よくいっておられたことだなぁ,と思い出す.

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埼大教養学部入試の小論文に私は解答できない

 埼大サイトで今年2021年の入試問題の中身が公開されているのに気が付いた.気になっていた教養学部の小論文試験を見てみた.
 私は1年近く前に,このブログで「小論文試験問題を論評する」という記事を載せた.ここで「小論文試験問題」とは埼大教養学部の後期試験の小論文のことである.その記事で,教養学部の小論文の答案を書くことは私には難しい,と書いた.教養学部の小論文試験とはある程度の長さの文章を読ませて解答を求める形式である.読ませる文章なしで設問だけを提示する教育学部の小論文の形式にした方がよい,という意見も書いた.
 今回も同じことを,2021年度入試の小論文の問題を例にして述べたい.試験問題そのものは「埼玉大学 過去問」でググれば誰でも辿り着ける.

読ませる文章の中身がどうも…

 2021年度の教養学部の小論文試験はある文章を読ませて受験者に解答を求める形式である.この問題を眺めて,良い問題とはいえない,と思った.読ませる文章がよく構成されていないし,解答を求めるリード文も指示が曖昧なのだ.

 読ませる文章は『「文系学部廃止」の衝撃』という本の一部(おそらく序文か前置き部分)である.この文章は文系(人文社会科学)の教育研究に有用性があると論じている.
 ただ文章の構成がド文系らしく混乱している.この文章の趣旨からすれば,次の3点を論じることになると思う.

1) 文系の学問は「価値」を解明するものである.
2) 「価値」の意味はこれこれこうである.
3) だから文系の学問には有用性がある.

 文章を構造化するなら,この3点の各々について,その順番に,1段落か2段落で書くべきだろう.ただ当の文章は論点が入り組んでいて,整理されていない.その文章の読者も文章の混乱を引き継いで考えることになるだろう.中身についても論述が出来ていない文章と思う.
 まず1)について.文章の筆者は,19世紀末以来の人文社会科学は「価値とは何か?」を問う学問だった,その価値を「問い,観察し,分析し,批判し,創造していく視座や方法」として人文社会科学の知が形成されてきた,という.が,そういわれて「なるほど」とは,私は思わない.例えば上代の日本語における助詞の使い方を研究する,という場合,「価値とは何か?」などと問うていない.何がしか価値と関わる領域は多いと思うが,価値とは何かなどと問う学問領域は文系の中にも滅多にないと私は思う.
 私の身近を探すなら,人が抱く価値システムがどうなっているかという一部の心理学研究,あるいは,各国の一般サンプルの調査データを使って価値観が国や地域でどのように違うか,例えば日本人の価値観はどのような点で西欧と類似し,どのような点で西欧とは離れるかを扱う社会心理学の分野の研究,などがある.あるいは,「名誉の文化」といったテーマも人の価値を扱うともいえる.が,そのような研究は(社会)心理学の研究の中でもごく一部に過ぎず,まして広く人文社会科学に共通とは言い難い.また,上記の研究も価値を分析するにしても「批判し,創造」などはしない.批判や創造は文士や思想家の仕事であり,学問とは別である.
 2)についても,文章が「価値」を定義せずに使っているのが気になる.「価値」は経済学では根本的な問いだったと文章は書いているので,おそらく昔のマルクス経済学を念頭に入れ,経済学はみんな価値を扱っている,といいたいようである.ただマルクス経済学は短命だった過去の変異種に過ぎず,普通の経済学は「価値」などとはいわずに行為者の選択基準として仮定する効用ないし選好水準という言葉を使うだろう.マル経の価値は効用などとは同じ意味ではない.さらにこの文章が「価値」の例示とする皇帝(への服従?)や神聖性と,マル経の価値や効用とも同じ意味ではない.
 文章を構造化し2)についてまとめて論述していれば,文章の筆者も「価値」を整理せずに書いていることに気づくように思う.
 最後に3)である.文章は価値を問うことが有用とは書いているが,なぜどのように有用であるかは特に論じていない.有用であるからには価値を問うことで何ができるかをいわないといけないけれども,特に述べていないのである.また,「有用性」とは何かをきちんと書くことも必要だったろう.文脈的には社会的な有用性を指すと思うが,軽く読む人は個人にとっての有用性のこと(でもよい)と思うかも知れない.社会的な有用性なら「有用性」とはいわず「効果」などというからである.
 以前,駒場のサイトを眺めたとき,鶴見太郎氏は自身のイスラエル建国に至る思想研究が,現在の民族紛争の解明に寄与するとして,研究の有用性を述べた文書を掲載していた.鶴見氏の議論は,紛争解決の方途を見つけるという点で,ある程度は説得性を持つ.しかし同じことは小論文の文章には当てはまらない.
 蛇足であるが,普通は,人文社会科学は人間や人間が作り出す社会,文化の諸側面を扱う,くらいにいっておき,だから人文社会系を学ぶことは市民社会の成熟に必要なのだ,といった論点で文系の学問を擁護するように思う.小論文の文章が出た頃に文系の価値を主張した17大学人文系学部長会議のアピール文(文科省批判文)もそんなことを書いていたように記憶している.「人間,社会,文化」くらいの広いいい方なら間違いにはならない.しかし「価値」を問うのが文系という,より限定された論拠で主張するなら,その通りかどうかのエヴィデンスを示さないといけないだろう.電子化されている最近のジャーナルから論文を無作為抽出して文章解析にかければ,ある程度の結果は出るように思う.この小論文問題の文章のように特徴的な主張をするなら,そのくらいのリサーチが必要に思える.
 簡単にいってしまえば,小論文で出した文章を読まされた受験者は,その文章の混乱を引き継いで思考することを強いられる.だからお題の「文系は役に立つか」という論点について,適切な出発点となる素材ではなかったように思う.

設問の指定が曖昧

 試験で読む文章が上記のごとくであるとしても,設問の仕方によっては問題ないかも知れない.しかし小論文問題のリード文の指定に曖昧さがあるため,私が解答することを求められると悩むことになるだろう.
 設問は単に次のようにいう.

次の文章において筆者は「文系は役に立つか」という問に対して,価値の探求を持ち出すことによって肯定的に答えようと試みている.「文系は役に立つか」という問いに対するあなたなりの答えを八00字以上,一二〇〇字以内で述べなさい.

 つまり,提示された文章の内容を受け入れて書く必要があるのか,文章の中身に反する文章でもよいのか,その文章への論評でよいのか,あるいは文章には一切触れずに自分の考えで「文系は役に立つか」を論じればよいのか? その指定がないのである.だから私が受験者なら解答の仕方に悩むだろう.入試問題にわざわざ出るのであるから,埼大教養学部はその文章を肯定していると受験生は仮定するだろう.だから大事をとるなら,卑怯であっても,意に反して「文章に書いてあることはその通りだ」という趣旨で解答して採点者のご機嫌をとるしかないだろう.人として裏表があることを嫌う気持ちが起きれば,そのような機嫌取りの解答はできないかも知れない.
 「文系は役立つ」を肯定する結論でも否定する結論でもよいことは明示した方がよい.
 さらにいえば,どのように解答を書くかについて少し文言を加えないとまずいように思える.入試問題で何を見るかは事前に公表している建前になっており,「論理力,…」を見ると公表しているはずである.だから「あなたの結論の根拠を述べることが重要であり,その根拠のためにこれまで読んだ書籍等があれば明示することが望ましい.」くらいのことは加えた方がよい.

私が無難と思う小論文形式

 あくまで私見に過ぎないが,望ましい小論文の形は次のようであると思う.

1) 文章を読ませて解答させる場合,以前に論じたように,教養学部の2018年の小論文問題はよく出来ていた.提示された志賀直哉の文章がツッコミどころ満載で,誰もそのまま受け入れるべき内容とは見ないからである.論理的に構成された文章だと受験者は解答を書きにくいだろう.2018年のような問題が作れるなら,文章を読ませて解答させる形式で結構だと思う.

2) 工学部の小論文の文章のように,レトリックに走らぬ,無理のない内容の文章を使うなら,同様に結構だろう.

3) 適当な文章が見出せないなら,教育学部の小論文問題のように,文章を読ませずにお題だけを提示して自由に書かせる小論文が妥当と思える.その方が出題も楽だし,受験者の頭の中がより分かりやすいと思える.

重要なのは入学後の成績などを分析すること

 以上,面倒なことを書いた.が,以上書いたような考慮よりは,入試時点の科目や成績と入学後の成績を調べることの方が重要だと私は思う.
 第1は,入試科目の点数間の相関を,私ならまず調べる.この場合,分析するのは共通試験科目と個別試験の相関になる.その分析で個別入試科目が何を測っているかがある程度分かる.個別が小論文である入学者は数が少なく,入学者はデータのselectionを経るので,統計的な分析はし難い面がある.それでも,小サンプル向けの分析することである程度の情報が引き出せる可能性はある.
 第2は,入学後の成績と入試成績の関連を調べてみるべきだろう.私の経験では,この関連はハッキリしないことが多い.
 第3に,前期学生と後期学生の入学後の成績の差が,小論文試験を導入してからどのように変わったかもチェックすべきだろう.前期学生と後期学生の差は,私の以前の分析では,年度によって変異した(報告書は学部長室の本棚に挟んであったと思うが).ただし,多くの年度では後期の学生の方が入学後の成績は良かった.その傾向が変化したかどうかを見ることも1つの参考データになるだろう.むろん推薦学生に関する分析も重要である.

 実は教養学部の推薦入試の小論文の方も私には肯定的評価はしにくい問題だった.が,そちらの方が論じると長い話になるので,ここでは書かない.

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更新講習,思い出いろいろ

教員免許更新制の廃止

 少し前に文科省の小委員会が更新講習,というより教員免許更新制を廃止するとりまとめを公表した.この廃止は既定の事実のように扱われてきたが,文科省が廃止の意思を正式に確認したことになる.だからそのまま,廃止を盛り込んだ法案があと少しで通ることになるだろう.
 廃止という結論は意外ではなかった.私は文科大臣の記者会見をずっと動画で観ていた.その限りで,萩生田文科大臣は,いかにも廃止が結論であるというニュアンスで発言し続けていたからである.
 最近の次のネット記事が問題を簡潔に整理している,と思った.
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/210828/dom2108280004-n1.html
 米国では全州で教員免許更新制が導入されており,教員免許の更新のためには一定期間内に一定時間の研修受講が義務化されているという.対して英独仏では,教員免許の更新はないが,各種の研修が揃えられているという.日本の教員免許更新制は米国型を真似たということであり,実は特段変な制度ではなかったのだろう.今後は教員免許の更新制を廃止した上で,英独仏のように研修を揃えるようになる,ということのようである.

私は導入時に無理筋と思った

 教員免許更新制の法案は2007年に成立し,2009年から導入された.更新講習が埼大でも始まったのは2009年だったろう.私事であるが,私が教養学部で最初に学部長になったのは2008年である.だから更新講習にはいろんな思い出がある.思い出というより,私には大きな危機に見えた.
 更新講習を埼大でも行う,という連絡は全学の会議で出ていたと思うが,具体的な話が伝わったのは教育学部長経由であったと思う.問題は,その内容が教養学部には受け入れ難いものだったことである.
 教育学部長経由で伝えられた点は次のようなものだった.まず,教員免許の課程申請をしている学部は更新講習の実施に責任を持たなければならない.責任の負担量は免許の種類の数による.負担できなければ教員免許の課程を廃止すべきだ.更新講習は,必修科目以外の選択科目であっても,単に教員の専門の講義をするのではなく,教育指導要領に沿った内容でなければならない.
 埼大は当時,全学部が教員免許の課程申請をしていた.しかし経済学部と工学部は免許の数が少なく,免許を取得する学生も極めて少ない.両学部とも,本音では課程から外れても構わなかった.理学部は教員免許の種類は理科と数学だったろう.理学部は教員免許に深く関与している.しかし熱心な先生もおられたし,無理な要求があっても聞く気はなかったろう.実は優秀校では理数の教員を理学部出身学生に求める根強い傾向がある(その点を教育学部も認めている)ので,理学部は立場が強かった.
 それに対して,困るのが教養学部だった.教養学部,というより一般的に地方国立大の人文系学部は教員免許にしがみついて生きている.教養学部も同じである.問題は,教員免許の数は国英社(地歴と公民に分けていたかどうか?)と多く,教免関係で名前を入れていた教員数も多い(私も含む).しかも,一部の教員を除けば指導要領など全く理解していない(私も).理解したとして,そこで求められる授業が設計できるかどうかは何ともいえない.
 この問題は学部長補佐会(三役)でまず協議したと思う.当初の認識は三人揃って「こりゃていへんだ」ということである.受け持つ講座数を,教員学部から伝わった方式で算出してみた.その数字を通常の授業時間換算にするとかなり負担が大きい.こりゃ無理だ,と思った.大学教員は,決められた教育研究の業務があり,その業務をこなす程度の教員数がついている.この更新講習を国立大学が主体で実施するなら,その分の教員の純増がないと建前上も無理である.だから,更新講習をすると決めて,その更新講習を主に国立大学に投げること自体が無理筋だ,と私は思った.
 そこで,確か評議員だった伊藤先生と一緒に,他学部に「更新講習は無理だ」という趣旨の根回しもしてみた(と思う).ただ工学部と経済学部は問題を軽く考えているし,理学部はある種悠然としているので,波長は合わなかったと思う.むしろ人文系17大学の中では,教養学部と同様の深刻な受け止め方が多かったように思う.

事態の深刻さは急に低下した

 2008年の後半になると,更新講習の深刻さの印象は急激に変わってきたように思う.その間に文科省で更新講習の手筈が整理されたのかも知れない.少なくとも埼大の中で話は現実的に整理されていた.
 私は当初は聴いていなかったが,まず,更新講習の費用は受講者の私費で賄われる,だから,更新講習という業務は従来の大学の業務の外側のような位置づけになったことである.だから更新講習の担当は大学の本務以外になり,従って別途給与が出ると分かった.同時に,担当は非常勤でもよくなった(受講者の負担分から払うのだろう).そして何より大きかったのは,選択科目は原則,内容は何でもよくなったのである(表向きはそのようにはいわないと思うが).また,新たに教免センターを作り,関連業務はそのセンター(主力は事務方)が追うことになった.だから負担感は急に低下し,無難に実施できると思えるようになったのである.
 当初伝わって事柄は建前であり,実施を計画する段階でかなりの現実的な調整がなされたものと思う.
 もっとも,実は建前は建前として堅持されており,埼大の教免センターが間に入って何とかしていたのかも知れない.ある年度に,私は「集団の社会心理学」という講座を選択科目としてやることになっていた.ところが,何れかの文科省の担当者から,「この科目はなぜ更新講習で行うのか,教員対象の講習として行う理由を説明せよ」といった内容の連絡が入ったのである.教免センターのセンター長だった教育学部の斎藤先生(山口学長時代の斎藤理事)とどこかでお会いした折,私は「そういわれるんなら,私はやめますよ」と申し上げると,斎藤先生は「この件はこちらで処理します(あなたは関わらないでよい)」と告げられた.実際,その件は消えた.想像であるが,選択科目も教育要領との関連がはっきりしていなければならないという点は原則としてどこかで維持されていて,その原則通りに反応したお役人がいた,(でも教免センターが何とかしていた)というのが実態だったのかもしれない.

無難に推移した更新講習

 という訳で,実際に更新講習の準備作業が始まってからは,当初のような悲観論は消えた.その後も,少なくとも私の在職期間中は,更新講習に困難はなかったと思う.裏方の免許センターがよくやって下さったという印象である.
 教養学部教員の場合,選択科目の更新講習だけを受け持ったので,内容に制約は事実上なかった.各教員とも授業ネタや講演ネタのストックをお持ちだったから,担当した先生方で苦労されることはなかったと思う.その概要だけを眺めると,なかなか魅力的な内容で講習を行う例が多いと感じた.
 1つの講習は(少なくとも私が担当した期間では),2時間のコマ3つを1日で行った.計6時間であり,1日で行うのは時間的にはきつい.ただ,集中講義1日分と割り切れば,それほど負担感はなかった.受講者は現職の先生方であり,普通の学生とは異質には違いないが,その違いは適度な刺激であり,悪くはなかったと思う.
 さらにいえば,更新講習では事実上の不文律として,成績で不可は出さない.だから教員が成績のgradingで悩む,という,普通の授業では起こることがまずないのである.
 更新講習が始まった最初の方の年度のことだと思うが,埼大で1人の受講者の1つの授業で不可が出た.普通の授業であれば不可はあるべきものであり,何も問題ないのであるが,この時は文科省は「なぜ不可が出たのか?」と面倒な問合せがあり,対応が大変だったと聴いた.文科省の方は,「不可を出さないように指導することがなぜ出来なかったのか?」といういい方だったという話を聴いた.そのことがあって以来,更新講習では合格点を付けることが不文律となった.この不文律があった方が,教員にとっては楽なのである.
 この形での実施となると,更新講習は教員にとって有難いものと見なす向きもあった.講習を担当する非常勤枠も配分されたからである.(教養学部に限らないと思うが)教員は,非常勤給与を収入源とする同業者の知人を抱えていることが多く,そういう方には講習の担当は有難いものであることが少なくなかったのである.

更新講習に意味はあったか?

 更新講習を評価するためのデータとしては,受講者の先生方に対するアンケート結果しか私は観たことがない.講習の客観的な効果を測定することは,かなり複雑な実験計画が必要であり,そのような評価研究の実施はまずできないだろう.アンケート結果を見る限り,受講者は更新講習に対してまずまずの評価を与えていたように記憶している.この結果は私が実際に講習を担当したときの実感とも異ならない.
 ただ,この講習に意味があったかどうかには疑問が残る.通常の授業は授業の間にある程度の時間間隔があり,その間に受講者は頭の中にある授業内容に対する自動思考を働かせる.つまり意図せずとも,授業内容が念頭にのぼってある程度の思考を働かせ,理解の整理をする.授業に間隔をあけることの意味はその点にあるだろう.しかし更新講習は1塊りの知識を間隔無しで提示し,しかも講習が終わった最後にすぐに試験をする.だから受講者が思考を働かせて自分なりの内容を咀嚼する機会がない.ごく短期の記憶だけを回答させるだけであり,かなり不十分な評価をすることにしかならない.
 だから,確かに講習の時間だけはある程度確保しているが,実質的な意味がどれほどあるのかな,という点は疑問に思っていた.むろん,私が担当したのは選択科目であり,必修科目の方は大いに意味があったんだろう,と思う.
 ただ,更新講習をすることで,受講者の先生方には「授業はやるよりも受ける方が辛い」ことを実感して頂けただろう.その点は少なくとも有意義だったように思う.

今後の教員向け研修はどうするのか?

 更新講習はなくなるとして,その後の研修をどのように設計するかは,これから文科省のいずれかの会議で検討を始めているのだろうと思う.
 実は更新講習が始まる前,埼玉県では10年研修/20年研修というのがあり,更新講習のような講義を埼大でも行っていた(私も担当したことがある).ただ,その研修は義務だったかどうかは私には分からない.また,授業の数は更新講習よりはるかに少数だった.大学がヴォランティアで出せる講習となると,そのような講習に留まるだろう.だから,今後の講習を,どのような財政基盤で,どこが行うようにするのか,というのは,ちょっと注目してよいのかな,と思う.
 本当に実になる研修を行うのであれば,短期間の詰め込み研修はおそらく意味がない.10年ごとに1年間,大学(ないし大学院)で20~30単位をとるような研修期間を設けるべきだろう.通常の授業の中に新たに学生が加わる余地は,実はかなりあるように思う.

教員の質を高かめるなら待遇改善が第1

 私の持論であるが,目的が「教員の質を高める」ことにあるなら,なすべきことは優秀な人材を教育界に呼び込むことである.そのために有効なのは,研修で教員を押さえつけることではない.教員の待遇を改善することである.具体的には給与と暇を増やすことである.例えば夏休みはマルマル休めて,地域の遺跡の研究などが自由にできるようにすべきだろう.地域の歴史の研究は,実際,小中高校の先生方が担っている実績がある.そのように,好きなことができるようにすることが重要だろう.
 教員の待遇が良くなれば競争率も高まる.すると自然と教員の質は上がる.今のように更新制にしたり研修で押さえつけると,教員になること自体の魅力が下がり,結果としては教員の質は低下する.低下した教員に研修をしても無意味なのだ.
 同じことは大学教員にもいえる.研究が大事というなら待遇を改善することが第1になすべきことと思う.

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文科省Scheem-Dを眺めて思う若干のこと

新企画Scheem-D

 文科省が略称スキーム-D(Scheem-D)という企画を始めたという話を私は少し前に知った.Scheem-Dとは「大学教育のデジタライゼーション・イニシアティブ(Scheem-D)」であり,Student-centered higher education ecosystem through Digitalizationの頭文字をとった企画の名称である.文科省サイトの本体は次である.
https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/mext_00242.html
この文科省サイトのページは2020年6月24日の日付で出ている.ということは,昨年度からこのScheem-Dの企画は立ち上がっていたのだろう.
 中身については次のサイトでまとめて収録している.
https://scheemd.mext.go.jp/
 このScheem-Dは大学の学びをデジタライゼーションで促進することを目指している.大学教育のイノベーションを目指しているともいえるし,大学発の起業を促進しようとしているような気もする.
 ざっとサイトの記載を眺めると,この企画は大学教育に関して文科省がやって来たこととは趣が異なっているように思う.通常,文科省は予算を用意して公募要領を出し,大学に計画の応募を求め,審査を経て採択して大学の事業に予算を付けて来た.が,このScheem-Dはお金をバラまくのではない.大学関係者(教職役員)や技術を持つ企業,投資家などに呼びかけ,自分たちのアイディアを語るピッチ(短時間のプレゼンをする場)を主催し,大学関係者や起業家の間の協力関係のマッチング(の手伝い)をすることを目指しているようだ.マッチングを経て開発をし,結果のfeasibility test を経た企画の中で有望なものを表彰するようなことを考えているようである.文科省が出てきた企画に予算を付けるのかどうかはハッキリせず,付けるかも知れないが付けないかも知れない.予算の有無は企画の本質ではなく,あくまでマッチングされた当事者の努力を期待するのだろうと思う.

どんな話が進行しているのか?

 Scheem-Dの企画でどのような試みが進行しているかについては,当面,上記Scheem-Dサイトの記載しか手がかりがない.
 上記サイトでは 'Idea' のページで「昨年度のアイディア」が掲載されている.表の記載の文章は曖昧でイメージはつかみにくい.しかしアイディアのいくつかはYoutubeの動画にリンクされていて,その動画を見ると少し分かりやすい.また,’Event'のページでは今年7月のイヴェント(シンポジウムのようなもの)の紹介が動画付きで載っている.このイヴェントの動画中で3つの提案が出ているが,何れも昨年度のアイディアの中に入っているものだった.提案自体も昨年度のアイディアとあまり変わらない.
 これらの動画を見ると,提案者は真面目に考えているようであり,Scheem-Dのコメンテーターも,間接的な言い方をしているので分かりにくさもあるけれど,もっともな指摘をされているように感じる.
 ただ,あえてDXと呼ぶほどの企画はそんなにある訳でない.既存アプリに詳しければ解決しそうなものであったり,単に学務情報の拡張程度のものだったりする.企業からの提案は自社製品のただの宣伝のようにも見えることもある.
 あえてDXと呼ぶべき企画は次の2つの要素に帰着するように思う.第1は多様な学生が参加する実習へのVA/AR/MRの適用である.特に医学では意味がありそうに見える.VA/AR/MRが現時点で実際にどの程度出来るかについては私は no iddea である.第2はブレーンストーミングなどの場面で学生の発言にAIを適用してアドヴァイスを出せるようなシステムの開発である.ただアドヴァイスといっても発言の中からキーワードを取り出して関連する語句を「示唆」として出す程度であり,それでどの程度役立つかは実際の適用場面を見ないと分からない.例えば研究企画のブレーンストーミングをするといった場合にAIの補助が出るとすればよいとは思うが,私の感想では,関連するキーワードを出すだけではそんなに役に立たないような気がする.発話と同じ考えは何とかの研究でも使ってますよといった示唆なら大いに役立つし,あなたの主張は論理的におかしいといった示唆なら立派なものであるが,そこまで到達できるかどうかは難しい.

Scheem-Dの企画は成功するか?

 大した根拠はないが,Scheem-Dが直接的に大きな成果を生むことはないような気がする.
 上記のScheem-Dサイトでもあまり情報を出していない.何か成果らしいことやその中間的なアウトプットの報告がない.Youtubeに出た動画についても視聴履歴が少ない.だから多くの人を動かしているという事実がないのだろう.
 また製品化という点でもハードルは大きい.提案の中では「市場規模」を示しているものもあるけれど,どれほど普及するかは性能-価格比の問題であり,採算が取れると期待する根拠は少ないように思える.中心であるべきVA/AR/MRやAIにしても,大学教育という局面で特に発達するものでもないように思う.
 ただ,文科省としても成果をそれほど期待するほど非現実的ではないような気もする.問題は教育改善に対して知恵を出す人を少しでも増やせればよいのかも知れない.
 提案された昨年度のアイディアを見ていると,埼玉大学でも3組くらいはアイディアを出す人がいても不思議はないな,と思う(もしかしたら今年度提案しているかも知れない).多少とも考える人がいるなら,何かの機会にアイディアは活きる可能性はある,と考えておきたい.

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「自律的契約関係」とは何だったのか?

 何年か前から,政府の骨太の方針(正式には経済財政運営と改革の基本方針)の中に,国が国立大学法人と「自律的契約関係」を結ぶ,という文言が書いてあった.その法的な整備を今年度末までに行う,と何年も続けて書いていたのである(笑).
 あえて「自律的契約関係」と書く訳であるから,国立大学は大きく変わるんだろうな,と私は思っていた.が,以下に書くように,どうも大した話ではなかった.国立大学関係者は安堵したのだろう.

 私は気づかなかったが,文科省の「国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議」が最終とりまとめを,昨2020年の12月に出していたと知った.この最終とりまとめのキーワードが「(国と国立大学の間の)自律的契約関係」である.

参考:国立大学法人の戦略的な経営実現に向けて~社会変革を駆動する真の経営体へ~ 最終とりまとめ
概要 https://www.mext.go.jp/content/20210114-mxt_hojinka-000011934_1.pdf
本文 https://www.mext.go.jp/content/20201225-mxt_hojinka-000011934_2.pdf

 どれどれと思って見てみた.正直バカバカしいと思った.「自律的契約関係」という目を引く言葉を使ったのであるから,当初は国立大学のあり方を根本的に変えるのだろうと私は想像し,期待した.が,これだと事実上,ほとんど変わらないだろう.根本的な変化は,上記概要の2頁目に図示される通りであり,要は中期計画の項目を文科省の出す一覧の中から選べるようにする,ということである.形式的には変化といえるが,実質的には変わりはない.国立大学で,まさかウチは教育を止めますとか,研究はしませんといい出す所は無いからである.これまででも,国立大学はやりたくない事項は気のないことだけ書いておけばよかった.
 しかも本文を読むとダメ押しのように,《公共的価値の創出を期待されている国立大学法人に対する国からの財政的支援の重要性を否定し、法人が「自立」することを表現しているものではない》と書いてある。
 むろん,上記「とりまとめ」に書いてあるのは中期目標の書き方だけではない.付随的にはより柔軟性を持たせることも歌っている.ただ,定員の変更は法人でできるようにするとはいっても総定員の上限の存在はそのままであり,国立大学が出資出来る範囲を増やすといっても,実際に増やすお金があるのは指定国立大学法人に限られるだろう.自由があるといってもお金が無ければ意味がない.
 想像(邪推)であるが,もともと内閣府が国立大学のあり方を根本的に変えることを考えて骨太の方針に「自律的契約関係」と書き入れたのに,文科省が骨抜きにしたのではないか,と思えて来る.
 ちなみに,同検討会議が昨年7月にまとめた「自律的契約関係」の説明資料が次である.
参考 自律的契約関係
https://www.mext.go.jp/content/20200729-mxt_hojinka-000009077_8.pdf

 この「とりまとめ」は文科省の中の検討会議の結論であり,まだ政府の結論ではない.念のため,より後に出た今年6月の骨太の方針を確認してみた.

骨太の方針2021
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2021/2021_basicpolicies_ja.pdf

すると,例年通り,「国立大学との新たな自律的契約関係の法的枠組みにつき、年内に結論を得る。」とまだ書いてあった.どうなるのか?

 私見であるが,国立大学が自由に運営することと,従来の国立大学のあり方とは両立しないだろう.例えば,中期目標の作成に自由度があるなら,運営費交付金の額はどう決めるのか? 国立大学の要望通りに国立大学間の相対評価を回避するだけになるのではないか? 自律的契約関係というのであれば,政策目標にある事項を請け負う分は金を出すが,それ以外は自前で資金調達させる,と考えるのが自然に思える.
 何れにせよ,国立大学は文科省の傘下にある限り,変わらないだろうな,という気がする.

 勝手なことをいうなら,国立大学には次の2択を迫るのが正しいのではないか?

1) 運営費交付金を3倍にする代わりに,〇年以内に国際ランキング〇〇位以内ランクインを目標をする.失敗したときには潰す.
2) 運営費交付金を現状の7割程度に5年以内に減らす.

 多くの国立大学は2)を選ぶと思うが,地方国立大学の中でもある程度,1)を選んで生き残る大学が出るだろう.潰れた大学分の予算は私大に投入すれば,潰れた分の補填はできるように思う.

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日本学術会議による変な忖度要請文書

日本学術会議の変な文書

 気にする話ではないかも知れないが,日本社会心理学会からのニュースメールに「シンポジウム等の登壇者等における性別の偏りについて」という表題のメールがあった.いつもと雰囲気が異なるメールなので「どれどれ」と思って見てみた.シンポジウム等の登壇者等に性別の偏り(女性が少ないという意味だろう)がないよう,留意するようお願いする,との内容だった.
 何か変な雰囲気だと感じた.
 普通はないことがあると変に勘ぐりたくなる悪い癖であるが,いろんな要請の可能性がある中で「シンポジウムの登壇者」の件だけが出て来るのも変だし,(他の学会のメールにはないけれど)社会心理学会がわざわざ学会メールで流すのも何か唐突な感じがある.何れかの具体的に案件に影響を与えるために流したのだろうか,などと考えたくもなる.
 さらに,変だなと感じたのは,学術会議自体が「偏りがある」と判断しているという記述がなく,政府がいっているから,という文章になっている点である.忖度しろ,といっている格好なのだ.その政府がいっているのは(同メール中に記載があるが),内閣了承の「女性活躍・男女共同参画の重点方針2021」の文面なのだが,あくまで政府主催の催し物を対象としており,派生して地方公共団体にも(各省庁が)要請すると記している.しかし学会等は,何らかの認証を政府から受けているかもしれないが,あくまで非政府の任意団体である.だから学会宛に送るなら内閣了承事項を任意団体にも拡張する旨の判断を学術会議がしたと書かないと変なのだ.
 また,「偏りがある」のは何も男女だけではなく,出身大学,所属大学.居住地域でもだいぶ偏りがあると思うのだが,話が男女だけで唐突に出ている感じがした.
 男女の偏りの是正を妙に強調するのは学術会議の特性にもよるのだろう.旧ソ連では理系分野の研究者が男女同数になるように強制したことがあった.日本学術会議は日本共産党の支配力が強く,日本共産党はコミンテルンの日本支部として発足した経緯がある.だから男女同数にすることが根幹の理念なのだろう.
 また,学術会議が「偏りがある」という自らの判断を書いていないのも気になる.書くためにはデータを揃える責任が生じるが,手抜きしたかったのだろう.なお,文科省なら,傘下に学術政策の研究機関を持っているので,その気になればデータは揃うと思う.
 むろん,男女に偏りがあるなら,私の考えでも,是正されることが望ましい.

曖昧にすべきでない2点

 ただ,日本学術会議のような曖昧な忖度要請を受けた現場は,一般論として,その要請に従おうとした場合,困難に直面するかも知れない,と思う.
 曖昧さは2点にある.第1は「偏り」の定義であり,第2は「留意(ないし配慮)」=対処方針の中身である.

 「偏り」は何らかの基準からの乖離を意味する.では何を基準にするのか? 素人の私がちょっと考えても(少なくとも)次の可能性がある.
1) 男女の出生比率(男が少し高い)を基準とする.常識的にはほぼ1:1とすること.
2) 当該研究分野の研究者の男女比を基準とする.
3) 当該研究分野の優秀研究者の比率を基準とする.優秀研究者とは,例えば被引用数上位論文の主要著者,などと定義する,などである.
 単純に「男女平等」というと1)を思い浮かべるが,研究者の男女比率に現状で差があるなら,単純な「男女平等」だと,多い方の性別の研究者が冷遇されることになる.だから2)か3)で考える方が,常識的に思える.

 「留意」,つまり何をすべきかも明確にすべき事柄であり,実際の現場では判断に幅があるだろう.私がちょっと考えただけでも,次の対処方針が選択可能と思える.
① 性別を考慮せず能力・実績だけで選ぶ.
② 能力・実績が同じなら女性(ないし少ない方の性別の研究者)を選ぶ.
③ 能力・実績が劣っていても女性(ないし少ない方の性別の研究者)を選ぶ.
 普通,①なら「公平」であり,多くの方は①でよいと思うかも知れない.しかし「公平」を口実にして実際は女性差別をしている,ということは大いに考えられる.だから一歩進めて②にすることはあり得る.また,Affirmative Action の考え方からすると,現状で耐えがたいほどの差別があると思うなら,負の効果が大きいとしても,明確に③を選ぶこともあり得るだろう.

 日本学術会議は,上記のように曖昧で責任を取らない文書を出すのではなく,「偏り」とは何であり,現状の正義としてどのような対処方針を採るべきかを,責任をもって明言すべきだったろう.明言できるほど意見にまとまりがないなら,それこそ研究者全体の衆議で合意すべきことではないか?

 私の在職中,山口学長の時代に教員の男女比の改善(女性を増やす)がしばしば全学会議で話題に上った.男女共同参画でお金がついたという事情もあったかも知れない.山口学長は女性教員を増やす方向で発言されていたように思う.当時(おそらく今も),女性比率が高いのは第1に教育学部,次に教養学部だった.むろん,特に努力した訳ではなく,女性研究者が多い分野を持っていただけのことである.女性比率が低いのは(その後改善したと思うが)理工系だった.
 全学の会議では,理工系の出席者からは,当方はそもそも研究者の女性比率が低い,というご意見も出たように記憶している.しかし女性比率を高めることは目下の世間的な要請であるから,増やすように頑張る,ということだった.部局ごとに,どんぶり勘定でどれくらい増やせるかを出してもらって女性教員比率の目標値を作ったように思う.ただ,文科省にはデータはあったろうから,例えば2)の数字をもらって目標値を作ってもよかったかも知れない.
 実際にどうすべきかの議論になったとき,山口学長は②の方針を口にされたと記憶している.①では現状に変化がないだろうし,③はやり過ぎ感があるから,山口学長の発言は適切な線だったように思う.
 何れにせよ,「偏り」の定義と対処方針を明確にしたうえで,外部に説明できるようにしておくのが,あるべき対処だろうと思う.

[資料] 日本社会心理学会からのメール(2021/07/14)
[JSSP_NEWS:2700]シンポジウム等の登壇者等における性別の偏りについて

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日本社会心理学会ニュース No.2700

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日本社会心理学会の皆様,

日本学術会議より以下の連絡がありました。
ご確認くださいますようお願いいたします。

日本社会心理学会 事務局担当

----------------------- Original Message -----------------------
From: 日本学術会議事務局 <scj.shinsa.r8j@cao.go.jp>
To: jssp-post@bunken.co.jp
Date: Mon, 12 Jul 2021 17:45:00 +0900
Subject: [学術会議]シンポジウム等の登壇者等における性別の偏りについて
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シンポジウム等の登壇者等における性別の偏りについて

                       2021年7月12日
                      日本学術会議事務局

平素よりお世話になっております。
この度、全閣僚により構成される、すべての女性が輝く社会づくり本部・男女共同参画推進本部合同会議において「女性活躍・男女共同参画の重点方針2021」が決定されました。
この決定では、「政府が主催又は後援するシンポジウムや各種行事において、登壇者や発言者等の性別に偏りがないよう努めることとする。」とされておりますので、学術フォーラムやシンポジウム等を企画される際には、御留意くださいますよう、お願い申し上げます。

「女性活躍・男女共同参画の重点方針2021」(令和3年6月16日すべての女性が輝く社会づくり本部・男女共同参画推進本部決定)(抄)
3 女性が尊厳と誇りを持って生きられる社会の実現
(5)ジェンダー平等に関する社会全体の機運の醸成
○政府が主催・後援する行事等への男女共同参画の視点の反映
政府が主催又は後援するシンポジウムや各種行事において、登壇者や発言者等
の性別に偏りがないよう努めることとする。その際、各府省において、後援等名
義に関する規程等に明記するとともに、地方公共団体に対して、各地方公共団体
が主催・後援する行事等への男女共同参画の視点の反映について要請を行う。
【各府省】
--------------------- Original Message Ends --------------------

 

 

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知識集約型社会を支える人材育成

 昨年の11月にも同じ「知識集約型社会を支える」ネタでこのブログに記載を上げたことがある.その続きのような話である.

知識集約型社会を支える人材育成事業

 この令和3年度も2年度と同様に文科省の「知識集約型社会を支える人材育成事業」の公募があったという.令和2年度については,埼大も考えていたはずのことだから,申請を出せばよいと思い,私が話した人からの回答では埼大の上層部も前向きに検討していると聴いていた.しかし採択件の中には埼大は入っておらず,調べると申請もしていなかった.昨年の11月のこのブログの記載とは,その次第への感想を書いたものだった.
 この6月の後半に令和3年度「知識集約型社会を支える人材育成事業」への申請状況が文科省サイトに載っていた.
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/intelligence.htm
観てみたのであるが,国立大学で申請したのは千葉大だけであり,埼大はまたも申請見送りのようだった.
 今の段階で分かる「知識集約型社会を支える」の概要は次の表1のごとくである.

210711table1

  この「知識集約型…」事業とは,AIやデータサイエンス教育を求める公募と私は思っていた.が,文科省の説明を見るとそうではない.まあ,中身は何でもいいからパッとした教育企画を出してよ,といった趣旨のようである.
 「知識集約型社会を支える人材育成事業」にはこれまで3つのメニューがあり,令和2年度にはメニューⅠとⅡの公募が,令和3年度にはメニューⅢの公募があったことになる.メニューⅠは広く全学の学生にアクセスできる教育プログラムを求めているようである.メニューⅡは優れた学生をさらに伸ばすことを求めている.メニューⅢはインテンシブ教育のプログラムを求めていた.たぶん,同じ科目で週に複数回の授業を設定するようなプログラムなら,工夫して申請できるように思う.同じ科目で授業が複数回なのは米国などでは標準形式なので,日本でもやってやれないはずはない.ただ,米国の場合は週複数回でも,異なった形式の授業を複数回行う.埼大でもクォーターの授業は週2回であるが,週1半年の授業を2回するだけのことが,少なくとも私の在職中は普通だった.当然,週複数回に適した授業授業の工夫をすることが求められるだろう.
 この3つのメニューは,私の浅はかな認識では,米国の大学がよくやっていることである.結構なことだから日本でもやんなさいよ,というのが文科省の考えなのだろう.もっともな発想のように思う.
 表1にある採択大学のうち,国立の3大学のプログラムは,教養教育の中にデータサイエンスなどの科目を入れ込んだり,全員必修ではないにせよ希望者は全学生が参加できるようにしたプログラムである.メニューⅢで今年申請した千葉大のプログラムは,現時点で千葉大サイトにも掲載されておらず,概要は分からない.
 表1を見て感じるのは,私立大学の場合は,そういっては悪いが,大手よりは「限界的」な大学がこの種の申請に応募している事例が見られる点である.申請する動機づけが働いて頑張っているのだろう.努力が報われればと私も思う.対して,国立の方は,放っておいても存続は保証されるうえに,何らかの事情で全学展開が出来ない大学が多いのだろう.埼大も,動機づけはともかく,全学展開に困難が伴う国立大学の1つなんだろうな,と思う.

平成30年度~令和2年度の採択状況

 上記は令和2,3年度の「知識集約型社会を支える人材育成事業」の状況だった.ここで視野をちょっと広げて,平成30年度から令和2年度にかけての,文科省の教育系資金の採択状況をまとめてみた.平成30年度からとしたのは,その年度に埼大も採択されたからである.
 抜けがあるかも知れないが,私が調べた限りでの状況を次の表2にまとめた.採択された国立大学だけを表に含めた.

210711table2

 8つの資金のうち,3つは世界展開力の採択である.こう見ると,スーパーグローバルでないのに世界展開で頑張っている国立大学はあるんだな,と気づく.アフリカとの交流では獣医学を持っている大学が強いように思うが,工学だけで何とかしている大学もある.埼大は国際展開はどうしているのか,進めているのだろうか?
 埼大は平成30年度のエコシステム拠点で採択されている.「エコシステム」というから,素人の私は省エネルギー技術開発の話かと思い込んでいたけれど,今回書類を見ると,「エコシステム」は社会の中での協業を指し,ここでは要するに産学共同を指しているようだった.また,埼大の採択は工学部部分と経済の合同と思っていたけれど,運営主体に経済学部は入っておらず,経済学部は授業を貸しているだけ,主として工学系のプログラムであるようだ.だから,事業評価はAAと高いのであるが,次のような,学内でも経営協議会などから指摘されそうなことが書かれていたのは興味深い.

・…分野の異なる学生が相互に学び合う文理融合型の協学に向けた検討を行うこと。
・…経済学部との双方向型の取組を行うこと。

この点は,埼大における(だけではないが)全学展開の難しさを示しているのかな,という気がする.工学系だけで動くときはそれなりの成果をあげるのであるが,全学で何かをする,というのが難しいのだろう.

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まだやっているとは京大熊野寮

そういう寮がまだあるのか!

 YouTube を見ていたら,家宅捜査で機動隊・警察が京大の熊野寮に入った,というTVニュースが出ていたので,見てみた.中核派の活動家が何かで逮捕され,その活動家が熊野寮に出入りしていたので家宅捜査になったという.逮捕された中核派の活動家とは京大の学生ではないそうだが,まあ,昔から大学の寮にはいろんな人が出入りしていて,特に活動家はいろんな大学を掛け持ちしているのが普通だった.大学の寮への家宅捜査は私が学生の頃にはよく聴く話だったが,そもそも活動家が日共を含めて高齢化したままいなくなったので,今さらこんなことが起こっているとは珍しい.とはいえ,ネットを見ると京大熊野寮では家宅捜査が年中行事であるらしい.時間が何十年か止まっているような感想を私は抱いた.まあ,懐かしいといえば懐かしい.
 この動画を見ていると,警察側が入る際に寮生側が捜査令状の提示を求め,警察側はそれに応じたようだった.なんか変だな,と思う.
 家宅捜査に令状を確認するのは当然であるが,確認すべき立場にあるのは寮の管理責任者である.寮生は入居者に過ぎず,令状云々というべき立場にはない.
 半世紀ほど前,私が駒場の学生の頃,駒場寮に警察が家宅捜査に入ったけれど,令状を寮の入り口で確認したのは東大教養学部長であり,寮生ではなかった.寮の管理責任者が学長ではなく教養学部長でよかったかどうかは分からないが,駒場の一番偉い人であるから,まあ,理にかなっている.今回の熊野寮の場合,警察は公式の寮の管理者に令状を確認してもらって許可を得ていると思う.だから寮生が令状確認を求めても警察は拒否してよかったろう.あえて令状確認に応じたのはトラブルを避けようとしたためだろう.しかし,筋を通して令状など提示しない方がよかったと思う.
 人によっては「寮の管理は寮生に任せている」というかも知れないが,じゃあ火事などの事故があって被害が出たとき,寮生が責任をとるかというと,その能力もないし,意欲もないだろう.寮生は利用者であり管理者ではない.その筋はちゃんと通した方が後々のためになる.
 それにしても,半世紀前の東大でさえ上記のごとくなのだから,京大って,相当なもんですな.自治に任せるといえば聞こえは良いが,単に管理者が無責任でガバナンスがない,ってことじゃないの?という気がする.

埼大でさえ昔は変だった

 大学の格の問題かどうかは分からないが,埼大では上記の熊野寮のようなことは起きないと思う.管理の筋は通しているだろう.
 ただ,やはり埼大でも以前は変だったようだ.私が埼大に着任したのは1983年であり,その時点で埼大には昔懐かしの「大学紛争」の痕跡は一切感じられなかった.学内にある学生運動の組織は日共民青くらいであったと思う.けれども,古い先生方からは埼大でも大学紛争で大変だった時期があったという.
 しいていうならばその痕跡は少しあった.
 私が着任した当時,教養学部棟の2階か3階の北側の2,3の部屋は,教養学部とは公式に関係のない学生の団体に占拠されていた.新聞研究会とかなんとか,そんな感じの名前の団体だった.その部屋から退去してもらったのは1990年頃ではないかと思う.大学紛争の名残であったのだろう.
 さらにいうと,このブログでも,警察は埼玉大学の校内に立ち入れなかったという次第を私は書いたことがある.

大学の自治

私は教養学部棟内で財布を(おそらく)盗まれ,警察を呼ぼうとして「学生自治会の承認がないと警察は埼大構内に入れない」という事実を知ったのである.埼大には,むつめ祭実行委員会はあるかも知れないが,学生自治会など姿を見たことは一度もない.今も警察が入れないか,その点は確認していない.

 普通の大学関係者,一般国民にとっては,大学は世間一般の管理秩序に従った方が楽である.今後の米中対立という構図を考えると,科学技術の海外への不正流出への監視が厳しくなるから,大学を治外法権にしない配慮が必要になって来るだろう.

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落ち着くべき処に落ち着きそうな旭川医大学長

 旭川医大の学長選考会議が学長解任を文科省に申し出たというニュースがあった.旭川医大の学長を巡っては騒動があることが以前から報道されていた.学長は先手を打って辞任を申し出たそうであるが,学長選考会議は辞任ではなく「解任」を求めたようである.
 今年の1月にこのブログで「旭川医大の件は鑑賞すべきレベルではないか?」という記載を載せた.このときは当の学長さんが病院長を解任するという事件が起きた.学長には病院長を解任する権限がある.が,その経過を伝えるニュースを見ると,この学長さんは相当なものだなと思えたのである.
 今回,同大の学長選考会議が学長解任を決定したというのは,周辺の事情を見ると「落ち着くべき処に落ち着いた」成り行きだな,という感が強い.
 朝日新聞のニュースによると,解任の事由としてあがったのは「付属病院長への解任処分や教職員へのパワハラ、コロナ患者受け入れの際の対応、任期切れの学長特別補佐への報酬支払い、執務時間中の飲酒」であるという.1月の時点で私がニュースで目にしていたのは病院長解任くらいだったが,その後に事由が追加されたのだろう.「学長特別補佐への報酬支払い」のような指摘は,会計法上の違反であるなら,その一事だけで解任するに十分な事由であるように思う.
 文科省は,北大の学長解任と同じく,大学や学長への聞き取りを経て解任の是非を判断するのだと思う.まあ,解任を決定するだろう.旭川医大の事務方には文科省から人が行っているから,文科省との下交渉はあるのが普通と思う.

 学長選考会議が解任の申立てをするのは北大に続いて2例目となる.是非はともかく,今回の解任申立てがあることによって,手続き上ほぼ不可能と思えた学長解任が国立大学にとっての現実的な選択肢になって来たというべきだろう.
 2例とも北海道であるのは,まあ,偶然から起きる確率はあることと思う.

 ついでに感じる疑問であるが,今回の旭川医大のケースで指摘された会計上の不正(学長特別補佐への報酬支払い)がなぜ生じるのか,と不思議に思う.手続き書類が揃わなければ,人事課ないし経理が支出をしないと思えるからである.埼大であれば,学長が何をいおうが,事務方は支出をしないだろう.時折報道される「教授の不正支出」も,書類の偽造でもしない限りあり得ないように思える.この辺の不思議さは私には分からない.

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接種拠点の大学

 コロナワクチンの接種予約が回って来たので,私もすぐに接種の予約を入れた.来週,1回目の接種をする予定である.職域接種が導入されたので,接種は飛躍的に進みそうである.
 職域接種(職場接種)の対象に大学は最初から数えられていた.が,6月上旬に文科省が入って来て,大学は地域の接種に貢献する接種拠点にするという枠組みで動くことになった.文科省は余計なことをしたとも見えるが,大学の社会的評価を上げようと考えてくれている文科省には感謝すべきなのだろう.文科大臣が萩生田になってから,文科省が良いことをする率が上がったように思う.

 川越の方にある東京国際大学が,埼玉県で大学を拠点接種にする最初の例となったようである.東京国際大は医療系の小学部を持っているので,医療人材とのつながりがあるのだろう.私が知る範囲では,東大宮にある芝浦工業大学キャンパスも職域接種を7月上旬から始める.気になって埼大はどうするかと埼大サイトを眺めると,拠点となる申請を見合わせると出ていた.医療人材を確保することが困難だったから,という理由が書いてあった.
 ただ,埼大は,今後も検討を続けるとも書いている.そうだろう.「埼玉県唯一の国立大学」といっている埼大が接種拠点にならずにどうするか.本日の文科大臣の会見を視聴すると,他から医療人材の派遣を受ける際の費用補助をする仕組みを作ったという.だから,あとは提携する他大学を探すだけのことである.なるべく大きな提携を作って申請にこぎつけるだけのことだろう.経営者が対外的にどれだけ迫力を持って行動するかの問題である.
 宇都宮大学は早々に職域接種をするような話が6月初めにニュースになった.しかし客観的事情は埼大と同じであり,その後,宇大に進展があるというニュースはなく,宇大サイトにも接種の件は全く出ていない.たぶん医療人材の制約という,埼大と同じ理由で止まったままなのだろう.しかし宇大は周辺大学との連携に実績がある.大学の数を揃えて申請に漕ぎ着けそうな気がする.埼大も同じ手を追及すべきだろう.

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「文化政策」とは何であったか?(下)

 1つ前の記載で教養学部(文化科学研究科)で1999年に生じた「文化政策騒動」がどんなものであったかを述べてみた.この記載では当時の文化科学構想をどのように評価すべきであるかについて,私見を述べたい.

文化政策構想の何が変だったか?

 文化政策構想は1999年5月に最初に阿部学部長から見せられたときから,私は止めて欲しいと思っていた.その最大の理由は「やりたい人がやるのはよいけど,他の人を巻き込まないでよ」ということである.「文化政策」という,私が入りようがない看板の下に入れといわれたら,私の立場はない.「文化構造」とか「文化環境」といった,何のことかわからない漠然とした看板であれば,中に社会学グループがあることもある,と思われるだろう.しかし「文化政策」という狭い内容の看板の下に多様な領域の人を包摂するというのは,土台無理な話である.
 文化政策構想は,上記の点を除いても支持すべきものとは私には思えなかった.その理由を書いてみよう.

 第1に,「文化政策」という看板を掲げても教養学部の構成では商売にならないとしか思えなかったことである.
 埼大の政策科学研究科は,毀誉褒貶はともかく,商売としては成功例と目された.だから埼大から独立した大学として再出発できたのである.しかし同じことは教養学部にはできない.政策科学研究科(独立研究科)は,私が知る埼大時代は,2つのプログラムで商売をしていた.正式名称は忘れたが,国内プログラムとASEANプログラムと呼んでおこう.両方とも,学生はお役人であり,普通の学生ではない.ASEANプログラムはASEAN諸国の偉い方のお役人を受け入れる.たぶん政府経由での派遣だろう.国内プログラムは主に日本の地方公務員が学生である.ASEANプログラムの方は政府経由で受入れができていたと思うのであるが,国内プログラムの方は,県庁が大学院で学ばせるために職員を休ませないといけないので,学生定員の確保は難しかった.当時の自治省(2001年から総務省)官僚だった教授が年中各地の県庁を回って学生の呼び込みに奔走していた.自治省の高級官僚であれば県庁には強い権力を持っていたと思うが,それでも学生の確保は困難だった.
 政策科学研究科には「〇〇政策」という講座ないし授業科目が並んでいたが,その「〇〇」は特定の省庁に対応していた.金融政策なら金融庁ないし大蔵省,科学技術政策なら科学技術庁に対応し,かなりの数,その対応する省庁の方を教授陣として受け入れていたのである.いくつもの省庁が政策科学研究科に中に縄張りを持っていたようなものである.文科省(・文化庁)に対応する授業科目の1つとして「文化政策」があった.当然,人気のない政策科目である.
 それでも,いろんな「〇〇政策」の授業が並んでいれば,少しは履修する学生もいるかも知れない.が,政策としては相対的に重要度の低い文化政策だけで教養学部の院が店を開いて,誰が来るというのか? 学部卒の学生は,通常,学士課程で学んだ科目で院の進学を目指す.学部で政策を,まして文化政策を学んだ普通の学生などほとんどいない.お役人でも,わざわざ文化政策を学ぶために大学院に来る方は,いても希だろう.そういう希人がいるなら,まず英米の大学院に行く.教養学部の先生が県庁回りなどして学生を呼べる訳がない.
 「文化政策士」といった国家資格があるとか,専門職公務員の試験に文化政策という種目があるなら別であるが,そうではない.仮に文化政策に携わりたいと思う場合でも,まず公務員になることが優先である.公務員になるためなら法学や経済学を学ぶのが早く,文化政策を学んで公務員になりやすい訳ではない.

 第2は,その点は詳しく存じ上げないのだが,おそらく案らしい案が例の人事投票までに出来ていなかったように思えてならない.
 確か秋頃と思うが,私は当時の岡崎学部長に面会を申し入れて面談したことがある.「文化政策構想を進めるなら私を大学院担当から外してくれないか?」とお願いに行ったのである.文化政策を掲げた専攻で私が設置審を通るとは思えなかった.通ったとしても文化政策の看板の下で商売するのは本意ではない.
 ただ,その折は岡崎先生からあまりお言葉はなかった.担当から外れることはできない,という返事があっただけである.「教養学部の講座は修士講座であるから,在職する限り修士を担当することが前提になっている」ということか? といったことを私の方からお尋ねした.そうだ,という返事だったように思うが,正確なお言葉はなかったかも知れない.
 このときの面談結果は私には意外だった.これこれこういう訳だから,文化政策専攻になっても,あなたは今まで通りの授業をやっていればよいのだよ,といった返事をしてなだめられるだろうと私は予想した.そのようにいって欲しかったのである.私が不安を覚えていたのは,文化政策専攻に入ることになったらどうする必要があるか,ないかがハッキリしなかったからでもある.
 今から思えば,岡崎先生は私に説明をしなかった訳ではなく,何がどうなるか,まだ分からなかっただけではないか,という気がする.文科省から何かいわれればそれで決まるけれども,具体的な授業科目群構成を検討するところまで行っていなかった(でもそうはいえない),ということだったかも知れない.

 第3に,今から眺めると,文化政策構想は実現するための資源を時の学部執行部から与えらえていなかった,そのために潰れるべくして潰れた,というのが真相ではないか,という気がしてくる.つまり,学部教員の半分(おそらく半分以上)を擁することになる文化政策専攻に,新ポストを2つまでしか与えようとしなかった,という点である.ハッキリいって当時の教養学部教員に,まともに文化政策を担当できる(その実績を示せる)方はいなかった.では新規2ポストで文化政策専攻ができるかというと,まあ無理だったろう.それで文科省がOKというのかも知れないが,外部に公表する(例えば入試説明会で説明する)のはあまりに恥ずかしい.

 第4に,文化政策の推進においては学部内の「縦のライン」が奇妙であると映った.学部内に確か「改革推進委員会」という組織があり,そこに推進を主張する方々が集まっていた.ただ通常の将来計画委員会は別にある.私には頭が2つあるように見えた.その光景はなんとも不思議だった.
 改革推進委員会といった組織が将来計画委員会とは別途にあるとすれば,実務的な作業を行うWGのようなものであるはずだろう.判断は学部長と将来計画委員会が行い,実務的な作業を改革推進委員会がやる,同委員会は判断はしない,というのであれば「縦のライン」はすっきりする.が,両方の委員会が判断をしていたような感じがあった.
 例えば,私は2014年に再び学部長になり,人社研の設置の作業をした.2014年の2月と3月に,4月からの次期学部長予定者という立場で,次期三役+α(権先生や松原先生)で経済学部との間で人社研の内部規程類の協議をし,設置のための作業は主に4月5月に行った.その間,とりまとめは三役+αで行っており,その他の方々には,各自の個人調書の作成をお願いする以外はほとんど作業をして頂いていないと思う.実務的な作業は三役+αで行っており,実は実務のほとんどは事務方(ほぼ高松事務長)が行った.文科省との折衝も経済学部長と私+αが担っている.部内の縦のラインは単純明快だった.だから一層,文化政策の折になぜあんな格好のラインで話が進んでいたのか,不思議である.
 
文化政策構想の功

 私は文化政策構想にはネガティヴな気持ちを持っていた.しかし後から振り返ると,文化政策構想には功があったような気がする.よくいえば学問的,悪くいえば浮世離れした教養学部の中に実践的志向を持ち込んだことである.文化政策構想そのものは潰れたけれども,その「精神」は継承された.つまり,2001年度の修士改組で文化環境専攻を作ることで実践的志向が教養学部の中に導入された.
 このときに出来た実践的志向は,2007年,私が副学部長のときに案を取りまとめた大学院GP(当初の呼び名は「学院教育改革支援プログラム」)の「人文学諸領域の職業的スキルアップのために」の中で一応の形になった.このGPでは6つのプログラム(「日本語教育プログラム」,「埋蔵文化財保全教育プログラム」など)を設定した.三浦先生に多くのプログラムを発案してもらったことが印象に残っている.
 そのGPがなんじゃといわれればそれまでではあるが,2004年に大量削減を喰らって気分が落ち込んだ教養学部の気分を明るくするための公共事業としては役立ったのである(その後に私が仕掛けた公共事業の予算がグローバル事業だった).一時ではあるが贅沢ができた.
 当時,多くの地方国大の人文系では,地域貢献という形で実践的志向を持ち込んだと思う.埼大教養学部は,職業的なスキルアップという形で実践的志向を表面に出すことになった.その実質は問われてよいが,同じ方向での努力は今後も必要になる情勢だろうと私は思う.

文化政策構想時点で積み残した問題

 功があれば罪もあるのが普通であるが,文化政策構想には罪はない.構想が実現しなかったからである.しかし文化政策構想の後に出来た新たな3専攻体制は,後から考えると問題を残していたようにも思える.
 1996年発足の3専攻体制から新たな文化環境研究専攻を含む2001年発足の3専攻体制に移行するとき,誰が文化環境専攻に入るかは教員の希望で決めるしかなかった.この点で問題が生じていたのであるが,その点に気づくのは少し後のことである.
 問題とは,第1に同じ領域の教員が院の別専攻に属することが生じたこと,第2に院の専攻間の志願者のバラツキの問題が顕在化したことである.
 1番目の問題について.教養学部の領域構成は学士課程の構成が基本であり,学士課程では同じ領域は同じコース(後に専修-専攻)に収まっていた.しかし院の専攻所属は,文化環境研究専攻を作ったときに個人の希望で決まったから,学士課程では同じコースの教員が院の別専攻に属することが生じた.そのため,大学院での分野構成が分かりにくくなっていた.例えば,ある先生が外国に出るのに同じ分野の先生に指導教員をお願いするという場合,新たな指導教員は別専攻になる,といったことが生じた.すると学生を転専攻させないといけない.転専攻自体はよいとしても,特定専攻に入学したはずなのに教員の都合で学生の専攻名が途中で変わることになるから,学生にとっては割り切れない思いが残る.履歴書に説明を要することになりかねない.ただ,この点は相対的に小さい問題だった.
 2番目の問題はそれ以前にも存在したが,顕在化したのは私が最初に学部長(研究科長)になった2008年だった.その頃中期評価と認証評価の作業が入ったけれども,文化構造研究専攻で定員不充足であることが強く指摘されてしまった.
 実はその指摘が出るまで,教養学部執行部は研究科全体で定員を充足していればよいという認識だった.文化構造研究の充足率は前から低かったが,日本アジア専攻の特に日本語教育部分で多くの入学者を受け入れていたので,研究科全体は学生を充足していたのである.が,定員充足率は定員を定義する専攻別で算出される,と分かった.いわれてみれば理屈である.評価で現れた問題点はこの問題だけではなかったけれど,この問題が一番大きかった.私はこの問題の対処に追われることになった.
 当時私が調べたことの記憶では,文化科学研究科発足当時と2008年当時では,修士の定員も志願者数も同じであり,以前は問題はなかった.しかし2点で変化が生じていた.
 まず,以前は定員を充足させなくてよいという認識だった.定員より少ない入学者を受入れ,他は「レベルに達していない」といって入学させなかったのである.「こんな学生を入学させると苦労する」といういい方がよくなされていた.しかし2008年当時になると,定員は充足させることが求められたのである.
 もうひとつの変化は,志願者数自体は変わらなかったが,日本人学生,特に学部進学者の受験比率が落ち,留学生比率が増えたことである.だから関口学部長時代に,院アドミッション委員長だった加地先生の進言で,それまで外数だった留学生入学者を内数に変えていたのである.
 留学生(多くは中国出身者)はそれまで基本的に日本語を学んできた学生である.だから多くの留学生はそのまま日本語分野を受験した.また,そういっては悪いが,日常的に馴染みのある事柄を扱う分野,例えば社会学やメディアといった分野で受験した.留学生は,ドイツ語を学んだ上にドイツ文学に親しむ必要のあるドイツ文化とか,政治経済の基礎的な勉強が前提になる国際関係論は,まず受けられない.
 この問題に対して私がとったのは2つの弥縫策だった.第1は,文化構造研究専攻の先生方には入試で合格者を出すよう促すことである.第2は,他専攻におられた同一分野の先生に文化構造専攻に移るようお願いしたことである.
 第1の弥縫策に対しては,教員側から当初,強い抵抗があった.当時,レベルに達さない学生を落すことが正義だったからである.何度も入試判定で教員側から拒否された.しかし私も諦めずにいい続けた.次第に,入学者を増やすようになってきた.第2の弥縫策もある程度は実現した.その結果,「文化構造研究の充足率はV字回復した」という趣旨の報告書を書くことができ,評価をなんとかクリアした.
 その間,「できない学生は取りたくない」といって「文化構造研究専攻の定員を減らすように申請しろ」と私に迫る先生もいた.しかし自ら学生定員減を申請することは白旗を上げるに等しい.自ら白旗を上げることは学外,学内政治への考慮から出来なかった.
 実は17大学人文系学部長会議の17大学の人文系の中で,教養学部修士の学生定員は群を抜いて多かった.しかも他大学の場合,そういっては申し訳ないが,志願者と合格者と入学者の数はほぼ同じ,つまり受験した学生はほとんど入学させていたのが実態なのである.しかも,埼大の場合は留学生の日本語受験資格N1を維持していたが,結構多くの大学はN2だった.つまり,東京という大きな人口を抱える場所に隣接していたがために,埼大は結構贅沢なことをいえたのである.

問題の根源

 問題の根源は明らかだった.この程度の学生定員で3専攻は多過ぎるのである.その意味で問題は1996年から始まっていた.どのように専攻分けをしても,3専攻の各々で正確な定員管理をすることは難しい.1専攻にするのがベスト,悪くても2専攻であるべきだった.しかし文科省に申請すれば設置審を課せられて面倒になる可能性があった.申請時に文科省から面倒な宿題を課される恐れもあった.だから設置をいじることは私は避けたかった.
 しかし,望まぬことであったが,設置申請をする機会が,私が再び学部長になった2014年に訪れた.経済学研究科と統合して人社研を設置することを学長から課せられたときである.この人社研設置には私は最後まで抵抗したが,予算も通ってしまったので抵抗しようがなかった.そのとき,残念ながら設置はするけれども積年の問題を少しでも解決する方向で考えた.都合よく,教養学部教員が入るのは2専攻だった.
 その際,上記の問題への対処として私は2点を発案し,教授会と全学から了承を得た.第1は,学部5専修に対応する5つのコースを修士課程に作ることである.そのことによって,学部と院との関係を整理したかった.ただし日本史,東洋史の先生の所属など,一部には例外は出た.
 第2は,新研究科の研究組織を常識的な学問分野,つまり科研費領域区分で定義したことである.このときの学問分野は米国大学であればdepartmentの名称に相当する.この研究組織は当面は利用する目算はなかったけれど,次に述べるように,将来的な展開の中で整合的な組織を作るときには利用される可能性があると思えた.
 研究組織を科研費分野で定義することを提唱したとき,時の山口理事(次期学長)と加藤理事から即座に支持があった.ご両名とも私と同じ目算を抱いたのかもしれない.

 このブログでも論じたことがあるが,日本の大学制度は米国に比べると奇妙で複雑な点があると私は思う.ここで論じた文化政策騒動などは,その奇妙さから生じたのではないか,という気がしている.
 米国の普通の大学は,研究分野ごとに department があり,その department が学士課程プログラム(Undergraduate program)や大学院教育プログラム(Master/Ph.D. program)を提供する.deparnment は日本の制度では研究組織(の単位)といえるだろう.だから,学士課程と大学院とで性格が乖離することは原則としてないと思う.
 ところが日本の場合,大学(の部局)は教育課程として設置される.しかも,大学(学士課程)と大学院とが法令上別になり,学士課程と大学院とでそれぞれ別個の設置を経る.だから学士課程と大学院とで異なったことをやるという変異が生じる余地が出てしまうように私は思う.
 米国の流儀なら,文化政策を大学でやるとすれば,そのようなdepartmentを新たに作るか,特定のdepartmentを持たない学際的な教育プログラムとして文化政策プログラムを発足させるか,という選択になるだろう.少なくとも既存の教育プログラムやdepartmentの性格に影響が出ないだろう.しかし日本の場合,学士課程の設置を考えずに院の設置する余地が出てしまうから,その結果学士課程が維持できるのか,という懸念が生まれてしまう.文化政策騒動という奇妙な出来事は,この日本の大学制度の奇妙さから生じたことではないか,という気がするのである.

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「文化政策」とは何であったか?(上)

 1つ前の記載で「文明動態研究センター」について書いた.その頃のことは私は覚えていなかったけれど,当時のメールや日記が残っているので,ある程度のことは再現できた.過去の出来事に対する人の記憶は歪む.私の場合も例外ではない.やはり同時進行で残した記録を見ないと実際のことは分からない.
 2000年の同センターについて記録を調べるにあたって,その前年1999年の日記なども眺めた.1999年とは,埼大教養学部が「文化政策」の問題で揺れた年である.だからついでにその「文化政策」についても語ってみたくなった.やはり日記等を眺めると,私が記憶していた,と思っていたことがやや違っていることを実感した.
 「文化政策」の問題とは,教養学部の大学院(今の人社研の前の文化科学研究科)を「文化政策」を中心にまとめようとする動きがあったことを指す.この件は,1999年の2月に教養学部と経済学部が合同の博士課程構想を文科省に持って行った(らしい)ことから始まり,同年の12月20日にとある人事が教授会で否決されたことで終わった,ある意味異様な騒動である.
 当時,私は,教授会には出席していたけれども,実は在籍時間は短かった(教授会が長過ぎたのだ).だから公式の話はあまり知らないのが本当の所である.いまだによく分からないことが多い.ただ,どんな話であったかという点を日記などに残した当時の記録から分かる範囲で書いてみたい.あくまで私が残した記録からの経緯であり,別の人は別の像を描いて不思議はない.

私の目に映った文化政策騒動始末

 どの程度正確か分からぬが,私が人づてに聞いた話では,1999年の2月に経済学部と教養学部で,合同の博士課程構想というのを文科省に持っていって相談したらしい.そのときに「博士課程以前に修士課程を何とかしなはれ」といわれたらしい.教養学部は,私が着任した1980年代当時から,日本文化を中心に据える方針があった.だから博士課程構想も日本文化中心と私は思っていた.しかしなぜか「文化政策」をやるんだ,という方向性で学部の執行部は考えているらしい,という話を漏れ聞いていた.
 修士課程を「文化政策」中心にする,という話は,公式には,5月19日の臨時教授会(以下,研究科委員会も教授会と書いておく)で出てきた.その2日前に私は当時の阿部学部長に呼び出され,その案をいきなり見せられて意見を聞かれた.そのときが「文化政策案」の初見である.修士課程を文化政策専攻と国際ナントカ専攻にする案だった.もともとは2つのプログラムを導入する案で考えていたが,2つの専攻にする,ということだった.私は文化政策専攻に属するらしい.唐突なので驚いた.「文化政策なんて需要がないでしょう」と答えたと日記には書いてある.
 実は文化科学研究科は1996年にそれまでの2専攻(社会文化論/言語文化論)を3専攻(文化構造研究/日本・アジア研究/国際文化研究)に改組している.その完成年度が1998年であるから,1999年にまた改組をいい出すのは常識的ではないのである.
 5/19の臨時教授会でこの案が説明された.さして反対論はなかったが,冷めた意見がかなり出た.その2日後の教授会で条件付きでこの案は承認された.条件とは,専攻の中に従来型のコースを作る,ということだった.

 詳しいことは省略するけれども,この文化政策案はその後も夏から秋にかけて何かの節目には審議され,その都度承認されていたと思う.ただし変更があり得るという付帯条件が付いていたので,その「承認」の意味は人によって解釈があった.
 ただ,時間の経過とともに学部内では冷めた空気が広がったように思う.最初の5月の教授会では,挙手で反対したのは私一人だった.反対のように話していた人も反対できなかった,といっていた.時間の経過とともに反対できない雰囲気は薄まったと感じた.次の要因が働いたように思う(私の見方である).
 第1に,博士課程設置と文化政策の話の関係が曖昧になってきたことである.当初は博士課程設置のために文化政策,という話であったけれど,夏休み前の文化省折衝では「ドクターのない研究科の意義」を文科省の担当官が口にしたという話が,公式にも非公式にも流れて来た.だから博士課程設置とは違う方向の話になっているという感触が強くなった.
 第2は,文化政策の主導者の先生方が次々と転出するための割愛を申請し始めたことである.おそらく,その年は転出する人数が教養学部史上最も多かったように思う.転出する方の多くが文化政策の賛同者であり,特に大きかったのは最も中心の人物だった先生と,「改革派」評議員の先生が転出することが伝わったことである.普通,転出を表明したら学部改組の話からは身を引くと思うのだが,転出する身でありながら「改革」を主張する,という一風変わった光景が生じた.当然,白け始める人が増えたのである.
 第3は,文化政策というポストの新規採用教員の人事が,転出者が出る中で同時に進んだことである.経緯は分からぬが,文化政策推進者がある方を採用するつもりだという情報が流れた.前の年まで文科省高等教育局のポストにいた方である.ついでにいえばその方は政策科学研究科の教員歴もある.文化政策推進者側から「その方が文科省ともパイプになってよい」という発言があったことが伝わった.反発も出た.
 そんな中で,人事委員会から最終的に教授会に提示された候補者がまさにその方だった.そこで,なんか変な背景のある話ではないか,という憶測が広がった.また,転出者が出たことからその後任人事をどうするかが議論になった.後任が取れない部署があるなかで,なんでその人事を進めなければならないのかという恨みのこもった意見まで流れるようになった.

 かくして,当初は反対できない雰囲気であったものが,段々と不満をいう人が増えてきた.また,学部上層部でも,文化政策のために使うポストは多くて2つ,という判断があるという噂が流れ,後に学部長や将来計画委員長がそのことを会議で確認する発言をするようになっていた.学部の上部の会議(将来計画委員会など)でも,その人事の投票結果によって今後の方針を考え直すような合意になったという話が伝わった(真偽は分からぬが,その後の経過を見るとその通りになった).
 そんな訳で,文化政策に関する学部の判断は,政策科学ポストの人事の投票の一点にかかるようになった.文化政策の人事の投票結果がどうなるかは私は no idea だったが,根回しがあるのは存じていた.だから否決になるという観測をいう人もいた.問題の投票は12月20日の,編入試験1日目の後の教授会で行われた.
 投票の結果,この人事は否決された.票数を私は日記に記していた.最も多かったのが「×(反対)」,次が「〇(賛成)」,次が「白票」である.反対と白票を合わせると賛成のちょうど倍だった.人事の表決では白票は×と同じである.社会科学系を中心に強く反発した人たちが反対,推進論者が賛成,眺めていて白けた人たちが白票だったと思う.
 文化政策騒動はこの投票で終わったといってよい.私の関与もこの時点で終わった.加藤先生(後の加藤理事)が動き出したので彼の剛腕に任せるだけだった.
 新たな改組案が出てきた.これまでの3専攻のうち「国際文化研究専攻」を「文化環境研究専攻」とし,これまで文化政策を叫んでいた人たちのやりたそうなことを「文化環境研究専攻」にまとめる,ということだった(しかし文化政策の推進者が必ずしも文化環境研究専攻に入った訳でもない).旧「国際文化研究専攻」の構成員で文学系などの方々は「文化構造研究専攻」に移る,という案である.
 この案は妥当な落し処だった.文化政策に反対した人も,別に文化政策を止めさせようとした訳ではない.社会学などを含め,多くの分野が文化政策専攻に入る,という無理を止めて欲しかっただけである.また「日本・アジア研究専攻」が残ることで,日本研究を中心に博士課程構想を進めるという従来路線も継承できた.しかも1専攻の名称変更で済むので,設置審を通すという面倒さも回避できた.この1999年はこの件でずっと争いがあったけれど,普通のやり方をしていれば,夏頃にこのような落し処で落ち着いていたように思う.

時代背景

 大げさにいうなら,教養学部の文化政策騒動は,いくつかの要因が歴史的に偶然重なった時期に生じたといえるように私は思う.要因とは次の3つである.

 第1は,その時期は国立大学で博士課程設置の可能性が高かったときであり,それゆえに設置熱が高まったことである.1990年から2000年までの間に,国立の上位大学の大学院の補強がはかられた.具体的には旧7帝大と東工大,一橋が,その(ほぼ)全部局を大学院重点化し,それに伴う予算措置を得た.この重点化により,法人化を前に上位大学は下駄を履かせてもらったような所がある.その9大学に東京医科歯科あたりを加えたのが,公式の,元祖重点化大学だったような気がする(いろんな重点化大学がその後定義され,現在は指定国立大学法人が公式の重点化大学の地位になっているように思う).
 重点化大学が出現すると,それ以下の大学も大学院の充実を追うようになってきた.その場合,博士課程を持つことが大きな目標になっていった.定員が充たせる(広義の)理系は早くから博士課程を持った.ちなみに埼大の理工が博士課程を設置したのは1989年である.遅れて,定員を充たせる文系部局は博士課程設置に動くようになった.埼大の近隣で調べてみると,千葉大の文学系が博士課程を設置したのが1995年である.1996年には学芸大に埼大・千葉大・横国大が加わる形で連合大学院の博士課程が出来た.形の上では,埼大の文系では教育学部が最初に「上に博士課程がある」格好になった.埼大と同じ新制大学の横国大は,1999年,つまり文化政策騒動の年に経済と経営の研究科で博士課程を設置している.だから新制の地方国大の文系では最初かも知れない.横国が設置したということは,同時期に埼大にもチャンスがあっただろう.実際,2002年には埼大の経済が,2003年には教養学部が,博士課程を設置した.宇都宮大学の国際学研究科は,2004年に修士定員を10名増やし(その結果,埼大教養と同じくらいの定員30名となった),続く2007年に博士課程を設置している.つまり30名規模の修士定員を持ち,充足させている文系部局は,新制大学でも博士課程設置の目はあったというべきである.文化政策騒動はそんな状況の中で生じた一コマだったろう.

 第2は中央省庁の再編の時期と重なったという要因である.この当時は中央省庁の再編が検討され,その結果2001年に再編がなされ,文部省と科学技術庁が統合されて文部科学省が発足した.文化庁はもともと文部省の外局であり,引き続き文化庁を文科省の外局にするのが文科省の考えだった.そのために文化政策という言葉を使い始めた,ということは,1999年当時,私が調べて認識したことである.だから,その時期,文科省は文化政策という言葉をさかんに使ったと思う.
 ちなみに,1999年当時私がネットで調べると,桜美林大学が文化政策の名を冠する課程をもっていた(と私の記録にはある).ただし今調べると,ない.たぶんどこかで止めたのだろう.また,2000年に発足した静岡文化芸術大学は,まさに文化政策学部を作って発足した(今もある).ただ,以後の展開を見れば,喉元を過ぎれば文科省も文化政策という言葉を特段有難がらなくなったかも知れない.

 第3は,当時,埼大にはまだ政策科学研究科があったことである.政策科学研究科では少なくとも1995年には文化政策を教えており,現在も政策科学大学院大学では2人の文化政策担当教授がおられる.文化政策人事で話題になった方も政策科学研究科で助教授をされていたらしい.政策科学研究科は埼大から独立し,政策科学大学院大学を1997年に発足させているが,同大学院大学が学生を受け入れたのは2000年からであり,埼大の政策科学研究科が廃止になったのは2001年である.つまり実際には1999年当時,政策科学研究科は埼大に存在していた.
 政策科学研究科は,吉村先生という方が永代の研究科長だった(一時,文部省OBの有名教授が研究科長だったときもある).吉村先生には毀誉褒貶があるが,おおまかにいえば埼大はいろんな意味でお世話になっている.ちなみに,教養学部は1977年の文化科学研究科(修士)を発足させた.新制大学の文系としては異例の早さであり,経済学部が研究科を作るのは1993年,つまり理工が博士課程を設置する後なのである.文化科学研究科を設置できたのは教養学部が偉かったからでなく,政策科学研究科を発足させるときに,ついでに文化科学研究科も吉村先生に作って頂いた,というのが実際だろうと思う.理工が理研と連携する際にもお世話になったと聞いている.だから,法人化とともに就任された田隅学長は,吉村先生に埼大の顧問をお願いしている.
 文化政策騒動があったときは政策科学が埼大に関与する最後の時期だった.そのことがこの問題の1つの偶然的要因だったように思う.政策科学研究科が変なことをしたという意味ではない.しかし政策科学研究科は教員や,特に事務方上層部が頼りにすることはあるから,展開によっては意見を聞かれることもあり得る.それがなくても,政策科学研究科という「成功例」がぶら下がっているということは,何がなくても影響力を及ぼす余地はあっただろう.
 ちなみに,教養学部の哲学領域は文化政策推進者が多かったように思うが,哲学の方々の多くは東大文学部哲学科のご出身であり,偶々吉村先生の後輩であったことは,何かの縁であったかも知れない.

 この文化政策構想にいかなる問題があったか,どのような功績があったかについて,次回で述べたい.

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文明動態研究センター

研究センター案の記憶

 在職中のちょうど2000年の頃と思う.私は「文明動態研究センター」という企画を考えたことがある,と記憶している.その時は埼大教養学部の研究のあり様について,私なりに真面目に考えた時だったように思う.ただ,私にも詳しいことの記憶は今はない.
 そのセンター案がどんな案だったかと思い,古いファイルのストックを探してみた.私のことであるから,企画書のようなものを残しているだろうと思った.
 しかしどうも,企画書のファイルは見つからなかった.いろいろ調べてみるとメールの中でそのセンターに言及している文章があった.断片的に残った同センター案の痕跡を並べてみると次のようなものだった.

■名称と研究領域

〇名称:文明動態研究センター
(Saitama Univ. Center for Civilization Dynamics、SUCCD:サクシード)
〇趣旨
 ここで文明と呼ぶのは、人間の社会的活動、文化的活動、およびそれらを支える科学技術体系を含めた総体である。文明は空間的な広がりの中にあるだけでなく時間的には歴史の中で進化する。この研究センターは文明に関わる広範な人文・社会事象を多面的な視覚から研究することを目的とする。

〇領域
(1)比較文明研究(Comparative Studies of Civilizations)
様々な文明は人類を通じた共通性と文明の独自性によって彩られている。そうした文明の共通性と独自性を、文化的、社会的諸側面に焦点を当てながら、必要に応じて理工学の研究者、技術者の協力を得つつ、比較の視点で研究することを目的とする。
(テーマ例示)「芸術など表象文化」、「アンデス」、「芸術コンテンツのマルチメディア・プロジェクト」、「考古学」、「中国古代研究」など

(2)国際日本研究(Japanese Studies in International Perspectives)
特に日本という文明の社会的、制度的、文化的基盤を実証的あるいは理論的に解明することを目的とする。
(テーマ例示)「日本の哲学思想」、「制度の日本的特質の研究」など

(3)制度情報解析(Socio-Informational Studies of Institutions)
文明の存立を可能ならしめる社会制度の機能や成立基盤を学際的に研究する。従来の計量的・数理的手法はもとより、コンピュータによる計算アプローチの導入を促進する。
(テーマ例示)「医療経済学」、情報科学関連、Artificial Society(コンピュータシミュレーション)」、「制度の経済学(ゲーム理論とか社会的選択理論を含む)」、「動物行動学、生態学との協力に基づく社会の基本メカニズムのシミュレーション研究」など

(4) 社会動態解析(Socio-Dynamics Studies)
文明の成立・変容は様々な社会変動の過程を通して生まれ、また文明特有の社会問題を伴う。そうした社会変動の過程を分析するとともに、社会問題に対する有効な政策対応を科学的に解明することを目指す。
(テーマ例示)「政策関連の研究」、「人権問題」、「都市計画」、「環境・開発問題」、「紛争解決」など

■業務

 研究機関は次を業務とする。
(1) 研究
 上記の4部門ごとにいくつかの研究プロジェクトを行う。

(2) 研究アイディアの集約
 当研究機関は研究プロジェクトを推進しながら、同時に次の期間に行うプロジェクトの候補となるような研究のアイディアを開発する業務を行う。第1に応募されたプロジェクトの候補について担当者のワークショップを開設し、研究のアイディアの促進をはかるとともに、その将来性を評価する。第2に、学内外の研究会と連絡をとりつつ、その研究会と当機関との研究上の交流をはかる。

(3) 研究成果の普及
 研究成果の普及は当機関の中心的な業務である。第1に研究成果は機関名・研究員制度等を明示した上で学会誌に投稿することを義務とする。第2に成果を研究所の報告書としてまとめることに加え、単行本への企画を支援する。第3に研究成果に基づく、研究者向け、および市民向けのセミナーを定期的に開催する。第4に、当機関の研究成果はプロジェクトの進行に合わせてすべてインターネット上の当機関サイトにおいて公開する。プロジェクトの事後評価もすべて公開する。著作権上の問題がない限り成果をダウンロードできるようにする。

(4) 独自の資料の収集
 埼玉大学が資産とすべき歴史的な資料の収集に努める。資料収集の長期的な方針は運営委員会で別途作成する。資料は市民の閲覧に供するとともに、インターネット上の当機関サイトにおいて概要を公開する。

■ 運営組織

〇運営委員会:
・内部委員と外部委員。(7名程度、任期3年程度で毎年一部ずつ入れ替える)
・機能:研究所の予算、人事
〇事務局:
・常勤事務員(補助職員、派遣職員)、1~2名
〇研究交流室(セミナーコーディネイター、レセプショニスト)
〇情報公開室(情報公開)
〇資料室

■ 運営方針

 当機関は大学改革への積極的な意欲に基づき、大学組織の現状での硬直性を克服することを目的として設立するものである。この目的のために次の運営方針を掲げ、状況に応じ柔軟に研究を進めつつその業務を遂行しようと考える。

・萌芽的アイディアの支援
・学際性
・流動性
・開放性(外部委員による審査委員会)
・競争性
・潜在的研究戦力の活用

〇萌芽的アイディアの支援
 日本の研究状況に現状で必要なことは新たなアスペクトに基づく研究を立ち上げることである。新たなアスペクトを生み出し国際的な研究の流れに影響を与えるような成果を生み出さない限り、日本が研究面で尊敬を集めることは難しい。そのために、当機関は萌芽的なアイディアの発掘に努め、そのプロジェクトを積極的に推進することをその方針とする。

〇 学際性
 革新的な研究の方向性は学際的な研究の協力によって、相互に未知の発想が出会うことによって生み出される。そのため、当機関は学際的な研究を積極的に評価することにより、研究プロジェクトに新たな刺激を与えることを方針とする。


〇 流動性
 現状の大学組織の問題点の1つは人員の流動性の低さである。流動性の低さは研究者の研究への動機づけを抑制する可能性があるとともに、研究上のアイディアの交流をも抑制してしまう。研究への高い動機づけを維持しつつ斬新なアイディアを生み出すためには人員の流動性は不可欠である。当機関では研究プロジェクトを短期的に評価しつつ、柔軟に人員を交代することを方針とする。研究部門の設定や当機関の方針自体も5年ごとに見直して行く。

〇 開放性
 研究水準を維持・促進し適切な流動性を確保するためには、機関が絶えず外部の評価に反応することが必要になる。当機関では研究プロジェクトの評価・採択を外部委員を含めた審査委員会に委ねるとともに、継続的に研究内容を公開することを方針とする。また、埼玉大学外の研究者の参加を積極的に促進する。

〇 競争性
 研究活動の活性化のためには競争原理の導入が不可欠となる。当機関では、研究プロジェクトの採択や資源配分には実績と将来性に基づく徹底した競争原理を審査委員会において採用し、「持ち回り」ないし「平等主義的」な研究プロジェクトの採択は極力排除することを方針とする。

〇 潜在的研究戦力の活用
 活発な研究活動の展開のためには、若く、新鮮なアイディアに富んだ人材の活用が望ましい。当機関ではそのため、十分な能力を持ちながら現状では十分な活動の場が得られない研究者層、すなわちポスドク、オーヴァードクターを、独特の研究員制度によって活用することを考える。この研究員制度は単に当機関の生産性を高めるだけでなく、日本の研究状況の活性化にも貢献するものと見込まれる。

同センター案を出した状況

 上記のセンター案記載は,2000.5.7に私が永田先生に送ったメールにあった記載の切り貼りである.メールの表題は「追加・修正個所の提案」であるから,この記載以前の原案があったのだと思うが,原案のファイルは出て来なかった.
 メールを調べると私の思い込みが不正確であったことが分かった.まず,私は「文明動態センター」という案を出して,西村先生から誉められたと記憶していた.しかしメール記載を調べると,1996年に「文明動態研究科」という研究科名称を考え,西村先生から誉められた,と載っていた.だから上記のセンター案を出す前に,当時の文化科学研究科という名称に替えて「文明動態研究科」という名称を(どこかで)提案し,西村先生から誉められた,ということがあったのだと思う.
 このセンター案のメールであるが,直接メールをやり取りした相手は永田先生と加藤先生に限られていた.永田先生が入るのは,彼が企画を考えるのが好きだったからだろう.当時,兵藤学長の下で副学長だった加藤先生が入っていたのは,全学で研究センターを作ることを模索する動きがあったためだろうと思う.
 「文明動態研究センター」というコンセプトは,教養学部がやっていることを研究面で押し出すためのコンセプトだった.教養学部が好きな「文化」ではなく「文明」にしたのは,その方が含むものが大きいからである.「文化」はどうしても,文学系の人の発想を代表してしまう.中心に置きたかったのは人類学だった.上記で想定した研究領域の設定も,教養学部的に売り物になる部分をどのように表現するか,という思考の結果だったはずである.しかし加藤先生からは「領域は重要ではない,仕組みが重要」というコメントがあった.だから,仮に全学で進めることになるときは,私が想定した研究領域はすっぽり抜かれることになったかも知れない.結局,埼大の研究機構の,少しだけ金が出て部屋を提供するという月並みなプロジェクト制度の中に,このセンター案のアイディアは消えていったのだろう.
 2000年というタイミングは,教養学部で「文化政策騒動」があった直後である.2000年の3月頃には修士課程の改組計画の骨子が決まり,2001年度には実際に改組した.また2001年度には教養教育の問題が全学で浮かび上がり始め,私もかかわるようにかった.同時に,2001年度からは教養学部の学部組織をコース制から専修制(当初は学科制)に切り替える作業が入り,私は将来計画委員長になって2003年度までに専修制を取りまとめた.2001年度の末には群玉統合の話が持ち上がった.2002年度には教養学部に博士課程を作る話が文科省から舞い込み,実際に博士課程を2003年度に設置した.そういう慌ただしい中で一瞬ヒマが生じたときの出来事だった.

どこに夢があったか?

 このセンター案に夢を感じたのは,その少し前にオランダのハーグ近郊 WassenaarにあるNIASキャンパスで,とあるConferenceがあり,出席したことによる.NIAS(Netherlands Institute for Advanced Study in the Humanities and Social Sciences)の本拠はアムステルダムらしいが,ハーグとライデンの間にあるワッセナーにも小ぎれいなキャンパスがあったのである.いろんな分野の方が研究のために滞在していて,感じが良かった.そういうNIASのような環境を身近に作れないかと考えたのが,私の直接の動機だった.
 その頃は博士課程の設置を巡って経済学部と教養学部がつまらない意地を張り合っていた頃である.博士課程を作れれば体面は良いのかも知れないが,私には魅力のない話に映った.旧帝大なら博士課程にある程度優秀な学生が集まるけれども,埼大では無理と思えたのである.旧帝の場合,確かに,院生を組織することで研究を進めることができる.ただ,理系は別と思うが,また分野によって異なるかも知れないが,埼大の場合,博士課程を持っても自分の研究にはプラスになるとは思えなかった.自分が研究する環境を作ることの方に夢が持てたのである.
 当初は教養学部で研究機関を作れないかと私は思ったのであるが,結局は無理だった.埼大の立場と規模では無理なのだろうと思った.私が当時の群玉統合が良いと思った理由の1つは,大学の規模が大きくなることで,研究機関を作る余力が出来るのではないかと思ったことがある.
 大学らしくあるためには,研究に専念できる機関を持ち,ある程度の時間そこに属する可能性を持てるようにすべきなのではないか? そのような研究機関を持つことで,大学としての独自性も発揮できるようになるのではないか?

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大学の「内部統制システム」とは何かの冗談か?

 国立大学で「内部統制システム」が出来た,という話をどこかで見かけた.いや,大学で「内部統制」なんて言葉を使うかね,と一瞬疑った.念のためググってみると,いろんな国立大学で内部統制システムの規程というのが出て来る.埼大サイトを見てみると,規則の最後に「内部統制システム運用規則」というのが載っていた.ああマジなんだ,と知って驚いた.
 埼大のその規程は今年の3月18日の制定とある.ちゃんとは調べていないが,他の国立大学でも制定日は同じ頃だったような気がする.つまり,文科省が内部統制システムの規程を作れといい,仕方なしにみんな揃って作ったんだろう.
 埼大のその規程を眺めても,何のことかはよく分からなかった.要は,法令・規則通りにやることを監視する体制を作れということのような気がする.法令や規則は遵守するのが当たり前であり,監事もいる.だから,いまさら内部統制はないだろうと思えた.遵守の確認は業務の中で行うのが当たり前のはずである.
 要は綱紀粛正しろ,という「気合」の問題だったのだろう.気合であるなら「綱紀粛正宣言」でもよかったろうが,それではあまりに漫画みたいなので,内部統制システムを明示して「気合」を示すことになったんだろうな,と思えた.

 それにしても呆れた.内閣府の骨太の方針では,国立大学は自律的な組織にする,国との新たな契約関係を構築する,と書いてあった.だから内閣府的には,国立大学は国とは独立に動く組織であることを目指すことにしたと私は理解した.でも文科省は違う.
 以前にもこのブログで書いたが,文科省はクレムリン型の共産主義官庁である.日共から送り込まれた役人も多いだろうし,チュチェ思想の方々も多いと思う.しかしこの「内部統制」という言語感覚には驚く.この言葉,「内部統制と粛清」とか,「内部統制とシベリア抑留」などと使うノリではないか? 大学は「馬鹿馬鹿しいから止めませんか?」といえなかったのか? せめて「もう少しエレガントな言葉を選べませんか?」といえなかったものか?
 文科省文書で内部統制システム関連を検索してみると,「相互監視」とか「通報しやすいような内部通報制度」といった事項が載っている.それって,密告による監視体制そのものではないの? 恐れ入る.
 社会心理学の以前の知見から想像するに,「内部統制」などという言葉を顕現化すると,規則遵守への内発的動機づけは低下しますよね.すると監視がかかりにくい所で違反行為が多くなり,そのことによってさらなる監視強化が導かれる.相互監視,密告,統制強化という増幅的なサイクルに入って行く….ほっほっほ.

 たぶん国立大学は,埼大を含めて,内部統制システム規程を作って気合を見せた.けれども実質は何もしないだろう.それで健全なのだが,年1回の無用な形式的会議を増やしたのは無駄だったように思える.

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入学式中止と聞いて妄想するあれこれ

 私のカミさんに近所の小学校と中学校から「入学式への配慮のお願い」といった趣旨の紙が回ってきた.カミさんは民生委員をしているので,例年,入学式などには一応声がかかる(行っていないと思うが).今年は,入学式を縮小して実施するので,配慮(要するに遠慮)願いたい,という内容である.コロナ禍で入学式も新入生だけでやるようだった.
 埼玉大学の入学式はどうなっているかな,とふと思って埼大サイトに入って入学式の記事を探した.中止とあった.えっ,マジ? 意外だった.さいたま市は感染数が多いとはいえ,蔓延防止措置の対象地域でもないから,大事をとるなら縮小して実施する,くらいだろうと思った.
 入学式なんてものは実質的な意味はないのは私もよく分かっている.海外の大学で入学式なんてやることはあまりないだろう.だから廃止してもよいだろうと私は思う.しかし実施する建前になっている以上,何か格好をつけるものと思えた.特に今年は大学のスケジュールを正常化する(必ずしも以前に戻る,ではない)意思を見せるべきだろう.そのためには,入学式をやってみるのもメッセージ性があるように思えた.

 念のため,埼大の近隣にある国立大学の入学式がどうなったか,ネットで検索してみた.次のごとく,どこも入学式を実施していた.

宇都宮大学:入学者を学部で2分して開催,院は別開催 宇都宮文化会館
茨城大学:新入生代表の参列による小規模式典,ライブ配信 水戸キャンパス講堂
群馬大学:2分して開催 ALSOKアリーナ
千葉大学:新入生のみ参加の式典,ライブ配信 千葉ポートアリーナ
筑波大学:新入生のみ,2分して開催 大学会館講堂 ライブ配信

 まあ,埼大的には,例によって,上記の大学は何れも田舎の大学であり,都心に位置する埼大は違う,といい出すかも知れない.そこで東京の有名どころをついでに検索してみた.次である.何れも,何らかの形でしっかり実施している.東大は日本武道館でやるって,ええっ,金あるなぁ.

東大:新入生のみ 日本武道館 ライブ配信
東工大:新入生代表のみ 東工大蔵前会館 ライブ配信
一橋大:学部別開催 昨年度入学生も対象 兼松講堂 ライブ配信
早稲田大学:分散開催 早稲田アリーナ

 目立った大学は入学式をする中で埼大が中止にしたというのはどういう事情があったのか? という点について私の中で自動思考が働いた.自動思考は自動的であって,私の意思で生じたことではないから許して頂きたい.
 
1.Hグループの貧乏
 実は追加で検索してみて,入学式を中止したことが分かったのは,お茶大と横国大だった.埼大,横国,お茶の水と並べると,何れも文科省の財務分析上のHグループに属する.Hグループというのは,領域特化がなく,資源をもらえる学部(医系)がなく,学部数も多くない国立大学のグループである(残余概念といってよい).このグループの大学は,見た目に増して金がない.すべての国大には必要な予算が手当されている建前とは思うが,予算の規模が小さければ糊代がないので資金を捻出する余力がない.だから貧乏感が強い.金がないと,教員数以上に職員数が下がる.また,単純に入学式のための支出に制約が出ることもあるかも知れない.

2.労力の制約
 金がないことで労力に余裕がなくなる.例えば1-2月の入試志願者数は,普通の大学では即日公表するのであるが,私が見た東日本の国大の中では,埼大だけが即日公表が出来ていなかった.やりくりが苦しいのだろう.確かお茶大も職員数が少なかった.新学期で労力を使う時期に,新たな方式で実施する手配を出来る状態ではなかったかも知れない.
 私も経験したことがあるが,労力に制約があるとき,なんだかんだとやるべきことが時間的に後ろ倒しになり,会計上の問題で年度末前後が忙しくなることがある.だから入学式などは止めたくなるかも知れない.東大などは金余りのはずだから,何とでもなるのである.

3.会場使用料が出せない
 もろにお金の問題もあるかも知れない.例えばコロナ対応で入学式を分散開催すると,会場の使用時間が長くなるから使用料も跳ね上がるかも知れない.長い使用時間で予約していなかったので,後から時間の追加が難しいこともあるだろう.Hグループというと,入学式を実施した茨大と宇大も同様であるが,この両大学については会場の使用料が安いかも知れず,茨大は自前の会場で小さくやっている.

4.合意が取れない
 学長の決定権が強ければクリアされるけれども,そうではなく,合意を時間内に取ることができなかった,ということもあるかも知れない.まあ例えば,新入生の学部別の代表を決めるには,教授会決定でなければならないなどといい出す人もいるかも知れず(入学者を決める訳でないから法令上は学長=事務方が代表を決めるのは可と思うが),その教授会が時間内に開けない,といったポテチンな事情もあるのかも知れない.

 みんなビンボが悪いのやぁ.ただ,以上の自動思考はみんな外れているだろうなぁw

 コロナが気になるなら野外でやってもよかったかも知れないですよね.換気は万全.雨天順延で実施するときは花火を上げる.学長が出てきて「わしが学長の江田島平八である」で終わる.

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授業対面中心6割

日経の記事

 1週間ほどの前(3/24)の日経の記事に「6割の大学で対面授業 新年度,正常化手探り」という記事が載った.記事を見ると「主要大学30校」を日経が調査した結果だという.主要大学30校とは,
  国立:旧帝,筑波,一橋,神戸,東工
  公立:東京都立,大阪府立,国際教養
  私立:早慶上智,MARCH,東海,学習院,日本,関関同立,近畿
である.そのうち,「対面中心」が18,「遠隔中心など」が3,「半々」が9だったという.30大学中18大学が「対面中心」との回答だったから「6割」ということのようだ.
 「対面中心」とはどういうことかと疑問に思うが,記事では,「授業に占める対面の目安」が9割が立命,近畿,関学,8割が都立,府立,関大,上智,7割が早稲田,明治,というから,各大学は授業数の比率(の目標値だろうと思うが)を答えたようである.詳細は書いておらず,真偽は分からない.「ほんまかね?」と思った.いうだけタダで気合で目標値をいっただけじゃね?という気もするが,根拠はない.

埼大は?

 日経がこの種の調査をするときは埼大は入らない.今回もそうだった.では埼大はそんなもんかね,という興味で埼大サイトに入ってみた.「【受験生の皆様へ】令和3年度の授業について」というページが出てきた(http://www.saitama-u.ac.jp/exam_archives/2021-0122-1349-9.html).「対面授業の開講数も増やす」,「令和3年度の授業は対面授業と遠隔授業の両方で実施されます」と,控えめな表現をしている.正直だなぁと思った.さらにリンクを辿ると「【入学予定者・在学生各位】令和3年度第1・第2ターム及び前期の開講科目一覧表の公表について」というページが出てきた(http://www.saitama-u.ac.jp/news_archives/2021-0316-1034-9.html).
 このページの内容を見ると,埼大では対面授業と遠隔授業が混ざっているようであり,上記の日経的分類だと「半々」になるように想像する.授業の数だと英語など語学が多いはずであり,それらは原則対面なので,数でいうと少なくとも半分は対面が確保されているだろう,と私は想像した.
 大学でのコロナ対応が難しいのはクラスの規模が多様だからだろう.小中高校であればクラスの規模が固定されているから,対応は単純にできる.しかし大学の場合,小さいクラスもあるが大きなクラスもある.学生の席間の距離をとって授業を行うとすると,ある程度大きなクラスは教室が確保できるかどうかが分からない.遠隔授業が多くなるのは,そうした教室の確保の問題があるのだろうと想像する.だから大きくなると分かっているクラスは遠隔で実施するしかないのだろう.
 埼大の全学開講部分の授業形態は合理的に見える.少人数で行える語学のような授業は一律に対面にしているし,人数が多くなりそうな基盤科目はオンデマンドで統一している.対面と遠隔を混ぜるなら遠隔をオンデマンドにするのが正しいと思える.同じ日に対面授業と遠隔授業が入った場合,登校して対面授業に出て,遠隔は自宅に戻ってから各自の都合に合わせて受けられるのが楽である.対面とオンライン授業が同じ日にあると,面倒なことになるように思える.その意味で授業形態は考えて設定されていると感じる.
 ただ,学部開設授業の方はどうなっているのか,あまりよく分からない.
(余計な話であるが,埼大でいう「ハイフレックス」の意味がよく分からない.ネットで調べると「ハイフレックス」とは,対面授業をオンラインでも送信し,対面かオンラインかは受講者が決める場合のようである.例えば京都大学https://www.highedu.kyoto-u.ac.jp/connect/teachingonline/hybrid.php)ただ,埼大の資料ではハイフレックスを「対面と遠隔の組み合わせにより、隔週で交互に授業を受講」としている.1週目は対面,2週目は遠隔,3週目はまた対面… ということだろうか?)

学部の違いが面白い

「開講科目一覧表の公表について」のページに掲載された学部別の授業形態も念のため眺めてみた.学部によって差があるな,という印象を受けた.そこで,文字列検索を使って(授業形態の欄以外の記載は除いて),授業形態の分布をとってみた.この集計はいい加減な面がある.例えば教養学部のアカデミックスキルズの授業は対面であるが,その数はハッキリしないのでカウントから外した.同様に他学部でも同様の授業は表に並んでいないことがある.だから以下の分布は正確は期し難い.ただ,大勢では各学部の特徴は出ていると思う.
 授業形態の学部ごとの分布は次のグラフのようになった.縦軸は授業数であり,授業の比率にはあえてしなかった.経済学部については昼間と夜間主の合計である.
(なお,この集計をした時には教育学部のデータが掲載されていなかった.4/1になって教育学部のデータが掲載されたけれど,追加集計は面倒なので教育学部は除く.)

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 まず教養学部は,最も学生数が少ない学部であるにもかかわらず授業数が最も多い.教養学部は多品種少量生産の学部なのである.人文系は実は領域がかなり異なる多数の少数派分野の集合体であり,それぞれが体系的であろうとするなら,授業数が多くならざるを得ないのである.理学部とともに対面授業が多い.しかし対面以上に,オンデマンドではなくオンラインの授業が多い.たぶん,であるが,パワポを使ってプレゼンのような授業をするならオンデマンドになるように思う.オンラインの授業というのは,対面で前の方で教員がボツボツ話しているという授業を,オンラインでそのまま流すことが多いのだろう.私の在職中の印象では,教養学部の先生の授業は吉田松陰が長々と孟子の講釈をするような授業が多かった.良くも悪くも古式ゆかしい文化なのである.ネットを介してなお授業の発想が変わらないのである.
 ただ,同じ日に対面の授業とオンラインの授業があると学生は辛いんじゃないの,なんでオンラインをオンデマンドにしないの,と思う.

 経済学部は,教養学部より学生数がはるかに多いにもかかわらず授業数が少ない.実は経済学部は教員の授業負担の半分が「ゼミ」であり,そのゼミが授業形態の表には(一部を除いて)入っていないからだろう,と想像する.ゼミというのは,指導の学生以外は触れることはない.そのゼミの割合が高いために,みんなが受講できる授業は少なくなる.結果,普通の授業については,1つの授業当たりの学生数が多くなる,ということである.この格好は私大文系で一般的といえる.普通の授業では(悪くいうと)芋を洗うような授業をし,他方で濃密な「ゼミ」を配して埋め合わせる.
 教養学部の教員は国立の文学部出身者が多いと思う.国立の普通の文学部は基本構造は似ており,学生指導は複数教員が属する「研究室」で行う.指導教員を決めるとしても,原則,みんなで指導するのであり,個人ゼミにはしない.だから経済学部的な(ないし私大の法経的な)ゼミは,教養学部の先生方の多くは感覚として分からないだろう.国立文学部出身の私も同様である.このゼミというのは,うまく行けば生産的な家内工業のようになるかも知れないが,下手するとタコ部屋とか蟹工船とかサティアンのようになるんじゃないの,という気もしている.
 教養学部と経済学部は,同じ文系とはいっても,カルチャーはかなり異なるのである.
 グラフの分布を見ると理学部は最も古式ゆかしいと見える.最も対面中心であり,コロ禍にあっても伝統的な授業形態を頑なに維持しようとしているのかも知れない.ある面で教養学部と似ている.

 工学部はハイフレックスという形式が際立って多い.理学部と同様に対面にしてもよいけれど,コロナ感染状況に応じてオンラインに切り替える可能性を考慮してハイフレックスが多くなっているのかも知れない.理学部に比べて工学部は学生数がかなり多いはずであるが,授業数は理学部とそれほど変わらない.とすると1授業当たりの学生数が理学部より多く,その分,コロナ感染を理学部以上に気にする必要があるのかも知れない.

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四国の国立5大学

四国地域大学ネットワーク機構

 教育系のサイトに,四国の国立5大学(徳島大,鳴門教育大,香川大,高知大)が一般社団法人として「四国地域大学ネットワーク機構」を設立したというニュースが載っていた.この機構を,最近文科省が創設した「大学等連携推進法人」としてこれから申請するという.

一般社団法人四国地域大学ネットワーク機構
https://www.kagawa-u.ac.jp/files/6516/1603/2667/114.pdf
大学等連携推進法人
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/daigakurenkei/index.html
https://www.mext.go.jp/content/20210226-koutou01-000011127_003.pdf

 四国の国立大側が掲示している情報を見ると,5大学で連携の教員養成課程を作るのがこのネットワーク機構の主目的らしい.しかも実技系の科目で連携することが話の中心らしいから,しみじみ考えるとしょぼい.その他の設立目的も書いてあるが,連携推進法人を作らないとできない話ではない.このネットワーク機構を法人登録した場所が徳島県鳴門市なので,中心は鳴門教育大学ということだろう.
 この連携推進法人から始まって四国5大学が統合に向かうその端緒であるなら,この話は大きい.しかし当面は大きな話ではないだろう.
 以前,国立大の地域統合はどこで生じるか,という点が時折話題になった.私の主観では,地域統合があって不思議がないと思えたのは北海道,北東北,東海,四国,九州である.そのうち,北海道では北見工大,帯広畜産大,小樽商大がアンブレラ統合をした.東海では名大と岐阜大がアンブレラ統合をした.そして四国でこの程度の連携に進むことは何も不思議はなかった.本来はアンブレラ統合をしてよいのである.

共同教育課程には限界がある

 教員養成課程としては,群馬大学と宇都宮大学が共同教員養成課程を作っている.その共同教員養成課程で従来の教育学部の資源を(あくまでその気になればの話だが)全学化することができる.次の展開にも使えるし,大学の規模の適正化をいわれたときの削減分に使えるかも知れない.
 実は埼大を含めて北関東4大学(4U:茨城大,宇都宮大,群馬大,埼玉大)の大学院レベルで協議したとき,工学系の共同教育課程は検討されたことがある.私も文化科学研究科長として協議には出席していた.が,結局はダメだった.当時の法令では(今も基本は同じと思うが),共同教育課程は連携先で取得すべき単位要件があり,その数字があくまで2大学間の連携を前提としていたのである.4Uでやった場合,必要単位が多くなり過ぎた.その一事でその件はそれ以上検討する必要がない,と私はすぐに割り切った.
 四国の国大が使う連携による教育課程の枠組みは,共同教育課程よりは柔軟なようである.四国国大側の資料によると,当面は実技系の科目の融通が中心かも知れないけれど,その気になれば各大学が教育学部を維持しつつ,かなりの教員の削減も可能なようである.特に5大学での連携となると,この枠組み以外は使えないのだろう.
 教員養成課程だけのこの連携は,小さい話といえばそれまでではあるが,その小さい話でも当の大学にはメリットはかなりあるだろう.まず中心になるだろう鳴門教育大学は四国の教員養成のハブのようになるので,存在感を確保できる.国立大学に規模適正化の要請があっても,そのままの存続が保証されるかも知れない.他の4つの複合型大学についていえば,当面の教育学部の規模は持続させるとしても,将来的には,その気になればかなり縮小できる.各大学とも,1つの新学部程度は捻出できるかも知れず,規模削減が求められればそのときに教育学部分を削減すればよいのかも知れない.少なくとも何もしない場合よりは,将来の選択の幅は大きくなる.

埼玉大学は踏んだり蹴ったりかも知れない

 私が教養学部長だった期間,17大学人文学部長会議に出ていると,四国の学部長さんからは「埼玉大学は何をやっても学生が来るでしょう.我々の所はそもそも人口が小さいから大変です.」といったことをいわれた.差し障りのないように,「いや,埼玉は強い私大との競争が大変なんですよ.」と答えていたように思う.差し障りがあってよいなら,もっと他のいい方もできたかも知れない,と今は思う.
 何がいいたいのかといえば,四国の国大は保護された立場にあるのである.だから状況としては四国の方が恵まれているかもしれないな,と思う.
 下の表に四国4県と埼玉県の人口を示す.四国4県の人口の合計は380万程度である.人口最大の愛媛県ですらさいたま市くらいの人口しかない.高知県,徳島県に至っては,私が今住んでいる田舎市の5つ分しかない.対して埼玉県は1県で四国全体の1.89倍,つまり倍近くの人口がある.

県名 人口(2015)
徳島県    755,733
香川県         976,263
愛媛県      1,385,262
高知県         728,276
四国合計      3,845,534
埼玉県      7,266,534

 埼玉県の人口は倍近くなのに,四国には国立大学が5つある.鳴門教育大を除けばすべて医学部を持っている.四国の国立5大学と埼玉大学の学生数と教職員数を下の表に示す.埼玉県唯一の国立大学である埼玉大学の学生数(学部+院生)は,四国5大学の学生数の27%に過ぎない.教職員数では,埼大は四国5大学の8%に過ぎないのである.教職員数でこれだけ差があるのは,四国の4大学がすべて医学部を持っていることによる.しかし医学部がなくても,学生数くらいの差があるのである.

  学部学生数 院生数 教員数 職員数
徳島大学           5,579             1,459           1,011            1,439
鳴門教育大学              400                600              138                 99
香川大学           5,318                692              601            1,316
愛媛大学           7,533             1,060              820            1,322
高知大学           4,605                558              685            1,072
四国国大合計         23,435             4,369           3,255            5,248
埼玉大学           6,305             1,316              455               216

 何がいいたいかというと,四国は埼玉に比べると過剰に国立大学が手当されているのである.埼玉の感覚でいうと,四国の国立大学は1つでよい.
 四国選出の議員なら,四国は私大が出店しないから国立大学が必要だというかも知れない.しかし時間順序を考えれば,四国は私大がないから国立大学が手当された訳ではない.国立大学の方が先にあったのだから,四国で私大が少ないのは国立大学が過剰に存在していて出店できなかっただけのことである.対して埼玉県では,国立は規模が小さい埼玉大学しかないから過剰に私大が生まれた.需要があれば埼玉大学の規模を拡大できた訳ではない.結果として埼玉県は一様に私大志向になり,特に埼玉大学は強力な東京の私大との競争を余儀なくされた.価格(授業料)差のある理系はよいが,文系だと価格差は小さいから,価格で保護されている訳ではない.結果として四国の国大の方がぬくぬくと商売が出来ているというのが実態ではなかろうか?
 もし国立大の規模縮小が日程に上がるなら,埼玉は人口比で国立大が措置されていない点をもって縮小に抵抗してよいように思える.

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デジタル活用高度化プラン

 文科省が「デジタルを活用した大学・高専教育高度化プラン」を公募し,採択機関をこの3/11に決定したというニュースを見かけた.趣旨は大学等の教育におけるDX(Digital Transformation)の促進である.コロナ禍で遠隔授業が導入されたことをきっかけにして多くの大学で教育設備を充実する必要があったのだろう.どれどれと思って文科省の当該サイトを眺めてみた.次である.
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/sankangaku/1413155_00006.htm
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/sankangaku/1413155_00008.htm
この件は小さい話であるが,今の文科省の大学への温情をよく示しているように思えた.

プランの公募

 この時期にお金を配るというのは予算が余ったからかと私は最初思った.以前,グローバル事業に採択された時の初年度の年度末に追加配分が来たことがあったからである.しかし文科省サイトの資料を見ると,令和2年度の第3次補正予算に滑り込ませた予算のようである.補正予算ならコロナ禍で困窮する学生への補助を予算化するもののように思えたけれど,コロナ禍で大学は遠隔授業への投資が必要になったろうから,まあこういう予算もありか,と思った.
 2020年の12/23に第1回の公募説明会をしている.だからアナウンスをしたのは12月の初め頃なのだろう.第2回目の公募説明会が2021年の1/14で,公募期間が1/15~2/1,採択結果の公表が3/11と慌ただしい.しかも,事業は3月中に実施する必要がある.たぶん採択の内示は3/11より前にあると思うが,それにしても3週間で金を使えというのが凄い.面白いのは,公募要領に評価等という記載があり,「事業については、必要に応じて実績等に関する調査を実施することがあります。」と書いてある.つまり,原則,評価はしないのだろう.
 この公募への申請が時間との競争であったことは想像に難くない.第1回の公募説明会から1カ月で計画案を造り,業者と接触してどの程度の金額が必要かを検討しないといけない.しかも3月中の3週間程度で予算を執行するのであるから,段取りを申請時点で業者とかなり詰めている必要がある.とはいいながら,ハッキリいえば,この手の計画は業者に丸投げしても作ってもらえるだろう.だからハードルは低い.むろん,もともとデジタルのシステムに熱心だった大学は計画が作りやすかったに違いない.

申請と採択

 申請できるプランは2種類の取り組みに分かれる.取組①「学修者本位の教育の実現」は学修管理システムの充実,取組②「学びの質の向上」は,例えば Virtual Reality を用いた実験・実習の導入などを考えていたらしい.①の方が参加しやすい.①は1億円が上限で採択は30件程度,②は3億円が上限で10件程度,という.
 申請した大学,短大,高専の総計は202機関(うち50機関が①②を両方申請)であるから,申請は多かった.国立大学の申請率は8割超と思う.
 採択されたのは取組①が44件,②が10件である.国立大は17大学が採択された(うち7大学は①②両方で採択).
 国立大を見ると,

①と②で採択:北大,東海国立大学機構(名古屋大,岐阜大),神戸大,広島大,山口大,九州大,熊本大
①だけで採択:北海道教育大,宇都宮大,東大,東京学芸大,山梨大,滋賀医大,奈良先端大,鳥取大,岡山大,九州工大

である.ご近所の宇都宮大も頑張っている.東北地方で採択がないのが目を引く.
 国公私立の採択校を眺めると,(東大を除いて)トップの大学はもらっておらず,ちょっと引いて追いかける位置にある大学がもらっているような気がする.よくいえば改善の余地があるところにお金が出ているような気がする.

裏がある?

 なんか裏があるのかな,という気がしないではない.教育上のDXを担う企業は,会食はしないとしても,少なくともお役人個人とはよく交流しているだろう.大学の実態は文科省より,そういう企業の方が分かっているだろう.だから,ちょっとお金が無くてDXを進められない,少しお金が出ると助かる大学がある(結果として企業も助かる)という情報が文科省に伝わっていて,文科省もこのプランを進めたのかも知れない.採択をする事業委員会の委員にも,そういう企業とお付き合いがありそうな方が入っているように思う.ただ,企業にしても委員の先生方にしても,不正をしたということはないだろう.文科省が大学の事情を直に知る術は限られている.関連の企業の知見がないと,文科省も動けないという事情がある.その点は,入試に関して文科省がベネッセと近かったことと似ている.ベネッセも決して不正をした訳ではないはずである.
 ただ,関連の企業はこの予算配分で儲けたんだろうな,とは思う.

埼大はどうだったのか?

 埼大がこのプランでどうしたかは存じ上げないが,自動思考で私の中で想像は生じてしまう.国立大学の申請率は高いので,埼大が申請しなかったということはないだろう(もし申請していなければかなり問題).宇大は通したけれど,埼大は通らなかった.ある意味順当である.教育上の競争的資金を,埼大はずっと取れずにいる.
 私の在職中の観測では,全学で資金を取ろうとするとうまくプランを作れないのである.全学の所でつまづいてしまう.そうだよねと思う方も多いだろう.以前,競争的資金を部局中心で進めていた時には,結構取れていたと思う.財務の西袋さん(旦那の方)が取りまとめていた頃の話である.私も大学院GPやグローバル事業などで計画をまとめて採択されたけれど,その頃,工学部の方でも大学院GPなどをいろいろ取っていた.しかし全学でプランをまとめる時代になって,取れなくなったような気がする.そこは何とか考えた方がよい.

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グローバル教育大学ランキング

こういうランキングがあった

 iPadでgoogleのブラウザを使ったら「グローバル教育に力を入れている大学ランキング2020(全国編)」という記事が配信された.「大学通信online」というサイトである.
https://univ-online.com/article/education/15733/
 実施した機関から考えて気にするようなランキングではないと思うが,一応目を通した.このランキングは全国の進学校2000校の進路指導の先生の回答から集計している.回答の詳しい手続きは書いていない.5校上げてもらって1位であれば5ポイント,2位なら4ポイント,などとしてポイントを加算するようである.
 ぶっちぎりの1位が国際教養大,2位が国際基督教大,3位が上智大,ということであるから,まあ順当な気がする.
 国立大学を取り上げて上位から並べると,東京外語大,東大,千葉大,東北大,九大,阪大,筑波大と名古屋大(同順位),京大,広島大,宇都宮大,岡山大と熊本大(同順位),神戸大,金沢大,九州工業大学の順である.
(最後の「九州工業大学」は「九州大学」の表記ミスではないかという気がするが,根拠はない.九州工業大学は良い大学であるが,九大はスーパーグローバルに入っている.)

風評ベースのランキング

 一応順当な結果を出しているように見えるが,このランキングの出し方には疑問がある.
 第1に,調査の仕方や集計の方法をこの記事ではハッキリ書いていない.全国2000の進学校にアンケートを出したというが,回収率が明記されていない.2000から回答があれば総ポイントは2000x(5+4+3+2+1)=30000である.しかしぶっちぎり1位の国際教養大のポイント894は数字が小さすぎる.各高校から5位で指名されてもポイントは2000ないといけない勘定になる.おそらく回収出来たのは多くて半分だろう.
 第2に,ポイントは進路指導教員間のreputationである.進路指導をしているといっても大学の中身は分からないだろう.このランキングは進路指導の先生方がどう思っているかの評価であり,世間の風評を再現するだけである.そのようなランキングだと割り切って見る必要がある.なぜこのランキングの算出法をとったかというと,この会社にとって最も安上がりな方法だったからだろう.客観指標を調べるのはかなり面倒である.ポイントの出し方の検討も必要になる.
 THE(Time Higher Education)の日本版の大学ランキングで用いる国際性の指標は,外国人学生比率,外国人教員比率,日本人学生の留学比率,外国語で行われる講座比率という4つの客観指標である.THEのような客観指標を用いるれば結果は変わって来るだろう.この風評ランキングでポイントの分布が上位に固まっているのは,風評ランキングである所以である.結果として,実態は別にしてスーパーグローバルに指定された大学が上位になっている.
 第3に,この風評ランキングで信用できるのは上位10大学程度ではないかと思う.トップの国際教養大学が894ポイントとして,10位の関学は81ポイントである.その辺まではまあよいが,例えば35位の宇都宮大学は18ポイントである.18ポイントということは,このポイントシステムでは,宇都宮近くの6つの高校の進路指導の先生が宇都宮大学を3位に上げれば得られる点数である.この辺になるとどういう経緯でポイントが得られたか分からない.

埼大の考えるべきこと

 いろんな会社がいろんな大学ランキングを出している.その結果をいちいち気にするのはアホらしい.けれども,埼玉大学もこうしたランキングから汲み取るべき事柄もあるのではないか,という気もする.
 このランキングでは埼玉大学はランキング外だった.宇都宮大学はランキングに入っているけれども,私の予想では,国際化の実質では埼玉大学が宇都宮大学より悪いということはないだろう,と思う.だから汲み取るべき事柄とは,宇都宮大学がランキング入りして埼大がランキング外であるのはなぜか,と考えることだろう.
 第1に思うのは,宇都宮大学は「国際学部」という学部を持っている点である.つまり「国際」を外目にも明らかにしている.同じく国際を冠した学部を持っている千葉大は国立大学の3位に入っている.ある分野で認知されるためにはやはり部局を持っていることが大きい.その点をあらためて考えてもよいのではないか.埼大が今さら国際の学部を作ることはないだろうが,例えばAIとかデータサイエンスというなら,どうするか,という話である.
 第2に思うのは,このポイントシステムで宇都宮大学が18ポイントを取ったのは,おそらく近隣の高校で義理で入れてくれた所が数校あったということではないか? このポイントシステムでは10ポイント取れば最下位でランクインしたのであるが,10ポイントとは,例えば4位で入れてくれる高校が5校あれば取れる.その5校が埼大には存在しなかったことが問題なのである.
 まあそうだろうなぁ,と私も思う.田隅学長の頃,受験者確保のために高校に挨拶回りをすることになり,その挨拶回りの仕事が副学部長だった私に回ってきたことがある.例えば浦和市立高校に資料を持って私は行ったのであるが,玄関先で追い返されて終わった(トホホ).まあ,近隣の高校による埼大への扱いもそんなものだったのである.今さら同じことをやっても仕方ないと思うけれども,やはり,近隣でご贔屓にしてくれる高校があるようでないと,ダメなんじゃないの,という気がする.埼玉県に入り込め,というのが田隅学長の頃の目標だったのであるが,何らかの形で高校に接近するプロジェクトを,例えば事務方で立ち上げてくれてもよいのではないの?(教員はどうせダメ),という気がしている.埼玉は人口が多い.米国の州の中でも真ん中くらいになるだろう.その埼玉を地盤に出来れば強いのであるが….
 第3に,reputationという要素はTHEの場合も入っている.だから,もしランキングを気にするなら,地域内での評判を超えて,いろんな側面でのreputationを考えないといけない.ただ,前の山口学長はランキングを上げることに関心をお持ちだったので(現体制については存じ上げない),ランキングを上げる方法も検討していて不思議ではない.ただ,今の埼大の構造のままでは特に手はないのかも知れない.
 とまあ,以上のように宇都宮大学との対比でいくつか考えてみた.ただ,宇都宮大学は埼大と同様に,良い大学である.また,最近,宇大は埼大よりはいろんな手を打てている.別記事で触れるかも知れないが,最近の「デジタルを活用した大学・高専教育高度化プラン」にも採択された.そんな活動の差がこの「グローバル」にも現れているという方もおられるかも知れない.

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国立大学法人法改正 2021

 数日前,googleサイトに入ると国立大学法人法改正のニュースが私に配信された.私の閲覧履歴からAIが判断し,私にそのニュースを配信したのだろう.同じニュースをいくつかの新聞サイトが記事にしていた.ちなみに,日経の記事(3/2)のタイトルは「選考会議の学長影響力を排除 国立大学法人法の改正案」だった.朝日なども同じようなタイトルであったように思う.日経の記事では,「一部の国立大では同会議に現職学長が委員として参加したり、教授ら学内の委員が過半数を占めたりするケースがあり、学長の権限が肥大化しかねないと指摘されていた。」と書いてある.また,大学ジャーナルonlineというサイトの記事では,「学長選考会議に選考後の職務執行状況をチェックする機能を持たせ、学長の暴走をストップさせる役割を任せる」という表現も見える.このように書くと,改正の趣旨は「学長の権限肥大化」や「学長の暴走」を止めることだと読める.
 この改正の件は3/2の文科大臣記者会見でも萩生田大臣から説明があったのを,私はYouTubeで見ていた.私の記憶では「選考会議の学長影響力を排除」などの論点はなかったと思う.文科省サイトの大臣会見の記事を確認しても,「学長選考会議に学長の職務執行の状況について報告を求める権限を追加することや監事の体制を強化することなど」とはあるが,「選考会議の学長影響力を排除」,「学長の権限肥大化」,「学長の暴走」といったニュアンスの話はない.記者から出た質問も北海道の3国大の統合についてだけだった.
 念のため,文科省サイトに入って今回の国立大学法人法改正の資料を見てみた.結論を先にいえば,今回の改正のポイントは上記メディア記事とはややズレている.
https://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/detail/mext_00013.html
 
 改正の要綱に従って述べるなら,改正の趣旨は次の1)~5)である.

1) 中期計画に基づく年度計画・評価を廃止する.代わりに中期計画に改善措置を追記する.
 メディアでは触れられていないのだが,この1)が普通の教員には大きい.明かな改善である.私は在職中,年度計画とそのための評価作業が無駄としか思えなかった.たぶん国立大学の教職員は喜んでいるだろう.「共通の成果指標に基づく相対評価」と「重点支援評価」があれば,既に中期評価は意味がない.内閣が出した骨太の方針は国立大学の評価の簡素化を目指すと書いている.「共通の成果指標に基づく相対評価」の導入と年度評価の廃止は,その動きの結果だろう.

2) 学長選考会議を学長選考・監察会議とすること.
2-1) 監事は学長の不正等を学長選考・監察会議に報告する.
2-2) 学長選考・監察会議に学長は加えない.理事を加えるときは評議会選出枠に含める.
2-3) 学長選考・監察会議は学長に職務遂行状況の報告を求めることができる.

 文科大臣が会見で述べた「学長選考会議に学長の職務執行の状況について報告を求める権限を追加することや監事の体制を強化することなど」にあたるのがこの2)である.上記メディアもこの2)をもって「学長の権限肥大化」や「学長の暴走」を止める動きを文科省がした,といったのだろう.
 ただ,このメディアの解釈は妄想に近い.この2)は法人法にある考えの中で条文でハッキリしないところをあらためて明記しただけと思える.
 まず,学長選考会議が学長を選考するだけでなく監視もすることは,これまで通りである.埼大でも学長選考時期以外では選考会議は学長の評価をしていた.あらためて「学長選考・監察会議」と改称したのは名称を実態に合わせただけである.法人法では,学長を監視するのは監事と選考委員会であり,2-1)と2-3)は選考会議と監事の関係を明文化したのだろう.
 2-2)は選考会議に学長を加えないとしている.大学の人事選考では,普通,前任者を選考会議に加えることはしない.加えていた大学があったのかも知れないが,例は希だろう.2-2)も本来入れるべき条項が抜けていたので明文化しただけと思える.理事は学長が選任するから,理事が選考に入れば現学長の意向が及ぶかもしれない.が,2-2)は理事が選考会議に入ることを禁じていない.入れてもよいが,あくまで教員側の員数に入れろ(外部委員を少なくするな)ということである.
 注意すべきは,学長選考・監察会議や監事が学長を監視することの意味である.第1に,学長選考・監察会議や監事の学長監視は学長に権限が集まることとセットであり,学長に裁量があることを前提にしている.それが国立大学法人法の建付けであることにメディアは気づいていない.第2に,学長を監視するのは同会議や監事の仕事であって教員や教授会の仕事でないことである.教員の「何とかを考える会」が学長の裁量に介入することは,法人法は考えていない.メディアの妄想は法人法の建付けを理解しないところから発生しているように見える.

 上記1),2)以外の改正点は次の3つである.今はコメントを要さないと思う.何れも結構な話である.

3) 複数大学法人設置の監事および指定大学法人の理事の員数の増加(省略)
4) 国立大学法人による出資の範囲の拡大(省略)
5) 国立大学法人の統廃合
・国立大学法人北海道国立大学機構(小樽商大,帯広畜産大,北見工大)
・国立大学法人奈良国立大学機構(奈良教育大,奈良女子大)

 やはりメディアの書くことで状況を理解するのは無理だなぁ,とあらためて思った.

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一歩踏み込んだ関大の遠隔授業アンケート分析

 2020年度はコロナ禍のため,日本全国で遠隔授業が一気に普及した.これまで,一般には特殊な状況でしか適用されなかった遠隔授業が短期間のうちに実施に移されたのであるから,大変なことである.米国であれば随分前からオンラインの授業が教育の中に組み込まれ,大学教員はオンライン授業の経験をある程度はしていることが多かったと思う.が,その点で遅れていた日本が短期間のうちにこれほどの実施率を達成したのであるから,革命的なことが起こったといってよいように思う.2つのこと,第1にこの経験から何を汲み取るか,第2に汲み取ったことをいかに実施して行くか,が大学の革新にとって重要なのだろうと思う.
 遠隔授業が実施されてほどなく,多くの大学で,実施した遠隔授業を評価するためのアンケート調査を実施していた.このブログの2020/08/07の記載で,いくつかの大学が公表したアンケート調査の結果に触れた.対面授業と遠隔授業にはそれぞれ別の長所と短所があるけれども,遠隔授業がなかなか優れた授業形態であるという結果が出ていたように思う.

 その後も遠隔授業に関するアンケート分析は続いており,いくつか公表されている.例えば埼大は前期までの授業経験を前提にしたアンケート結果の分析を,FDの一環として公表しているのに気が付いた.教養学部の松原先生が教育推進室長の肩書でアンケート結果をもとに講演しており,ああ頑張っているなぁと思った.きめの細かい分析結果を述べておられる.指摘された注意事項は遠隔授業を円滑に行うための有効なアドヴァイスになるはずである.

 最近,関西大学が公表したアンケート結果が一歩踏み込んだ内容であることが注意を引いた.
関西大学 2020年度秋学期実施「対面授業に関する学生アンケート」(ダイジェスト版)

 このアンケートでは,遠隔授業と対面授業を並列的に調べている.遠隔授業と対面授業それぞれの長所と短所は従来のアンケートで示されたこととたぶん変わらないだろう.しかし,対面授業より遠隔授業の方が学生の満足度は高いのである.そして講義科目については,何らかの形の遠隔授業の方を学生が望んでおり,特に受講者50名以上だと遠隔授業,特にオンデマンド配信授業が圧倒的に好まれている.逆に対面授業が好まれるのは実習,演習,実技科目,ということになる.
 この報告書では,「教育」について次のように総括している.

・遠隔授業によって対面授業が相対化され、そのあり方が問われることとなった。
・知識伝達・習得であれば遠隔授業が効果を発揮し、対面授業ではそれ以外の資質・能力の育成に寄与しうる授業デザイン(双方向性の確保、アクティブラーニングの推進等)が求められる

 この総括を見て私は「ああ,踏み込んだなぁ」と感心した.遠隔授業をより良くやりましょう,ではなく,遠隔授業のその次を考えているように見える.やるなぁ,と思った.
 遠隔授業の利点が大きいことは,昨年8月に私が眺めたアンケート分析の中でも,慶応SFCの分析が強調していた.しかし慶応SFCはITに長じた特殊なキャンパスである.関大のような普通の,大きな私立大学が上記の総括のような認識を持つことの意味は,より大きい.
 重要なのは,遠隔授業の大幅な導入によって,従来の国立大学の教育における潜在的な優位性が霧散しかねないことである.国立大学は教員当りの学生数が少ないというその単純な事実によって,教育面で潜在的な優位性を持てた(顕在的な優位性であったかどうかは国立大学によるだろう).ある意味,国立大学の教育成果は高くて当然だったのである.ところが,仮に私大で知識伝達型の講義を遠隔授業に移行した場合,この優位性は消えるだろう.私大でも演習,卒論などは教員当たりの学生数を制限しているので,演習,卒論には実質的な問題はないのである.
 では国立大学は次の一手を考えているだろうか?

 コロナ禍による遠隔授業の導入は日本の大学にとって大きな経験だった.その経験を活かした一手を打って来る大学が出て来るだろう.その一手によって後の大学の勢力図が変わって来ることもあるかも知れない.

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国立大学の評価は合理的になって来た

 ネット検索をしていたら,財務省による文教・科学技術関連の資料(2020/10/16付)に出会った.次である.

参考資料:文教・科学技術 

 この資料の28-56ページが国立大学に充てられている.この資料が提供する数字は文科省が出す資料にも出ているとは思うが,財務省の資料だとコンパクトにまとまっているから便利である.
 この資料を見ると,国立大学に対する「評価に基づく配分」は比較的に合理的になったように思う.「比較的」とは,私が在職していた2017年以前の状況との比較である.私が在職している当時から,国立大学への予算配分は評価による建前だった.ただ,予算が関わるから真剣に対応するしかないのは分かるのであるが,それにしても評価への対応としてやっていたのは下らないことばかりだった.学部長だった時にも,私はあまり真面目に評価の仕事をやる気がしなかった.国立大学を保護するつもりの文科省が,どうでもよいような評価作業をさせていた,単なる改革ごっこだった,という印象を私は持っていた.しかし,2019年度から導入された「共通の成果指標に基づく相対評価」あたりから,ちゃんとした評価になったのではないか,という気がする.

共通の成果指標に基づく相対評価

 上記資料の46頁目に国立大学への予算配分の内訳が簡便な図で解説されている(下図).
04 

大きく分けると国立大学への国の予算は機能強化経費・特殊要因経費,基幹経費,重点支援評価による配分,に3分される.2019~2020年度の実績から見ると,配分額は次のような比率になっている.

機能強化経費・特殊要因経費:12%強
基幹経費:約85%
重点支援評価による配分:3%弱

要するに,全体から見るとほとんどが基幹経費であり,重点支援評価による分は極めて少ない.
 ここで,2019年度から基幹経費の1割未満の範囲が「共通の成果指標に基づく相対評価」による分となったのである.額からすると「共通の成果指標に基づく相対評価」による分は,2020年度に19年度より増えている(基幹経費の7.5%→9.1%).といっても,国立大学がもらう予算のうち,評価による分はせいぜい1割に過ぎない.
 「共通の成果指標に基づく相対評価」は財務省の言葉である.文科省サイトを調べると,同じことを「成果を中心とする実績状況に基づく配分」といっている.ただ「実績」というなら「重点評価分」もやはり実績評価であろうし,「共通の成果指標」の中には成果(outcomes)とはやや異なる要素もある.ポイントは「共通の指標」による点と(中期評価や重点支援評価は各大学が設定した目標への作業の評価である),「相対評価」による点にある.だから財務省のいう「共通の成果指標に基づく相対評価」の方がポイントを突いた表現といえる.
 「共通の成果指標に基づく相対評価」は,教育,研究,経営にわたる13の評価指標(2019年度では5つの指標)を使う.教育だと例えば「卒業・修了者の就職・進学等の状況」,研究だと例えば「常勤教員当たり研究業績数」.経営だと例えば「人事給与マネジメント改革状況」である.その各指標ごとに国立大全体の予算額を定め,各大学への配分額は±15%(2019年度では±10%)の範囲で増減することになる.
 もともと,文科省が主導した評価は妙な評価だった.まるでゆとり教育のように,目標を各大学が独自に設定するのだから,評価らしい評価にはならない.しかも,成果を出さなくても「取り組み」をしていれば評価する,式の評価であるから,結果として何のためにやっているか分からなかった.明らかに「差をつけない」ための評価方式だった.
 私の理解では,財務省は,第1に取り組みではなく成果で評価することを求めていた.第2に,メリハリがつくように共通の指標で評価することを求めていた.現在行っている「共通の成果指標に基づく相対評価」は,財務省の主張と,これまでの文科省方式の折衷のような方式であると思う.ただ,財務省の主張の方向に動いた,ということだろう.結果として,差をつけることの合理性が高まったように思える.

よく出来ている

 まず,この「共通の成果指標に基づく相対評価」という枠組みはよく出来ていると思える.教育研究に関する指標は学系別に偏差値を求め,各大学の学系人員数で加重平均をしている.だから大学間の学系構成の偏りは原則として結果を左右しない.コスト当たりTOP10%論文数などは重点支援③の大学に限定している.以前目にした研究実績の分析では,単純な論文数でも大学間に階層差があるが,上位論文となるとさらに差が大きい.だから重点支援③に限定するのは仕方ないだろう.また,経営に関する指標では重点支援類型別の比較になっている.経営面では大学間の階層化が顕著であろうから,この措置も考えたものだろうと思う.

厳しくはない

 「成果指標で相対評価をする」,「予算の増減幅は±15%」,とだけ聞けば厳しい競争を強いられるように思える.が,実際には厳しいとはいえないと思う.
 第1に,競争で増減する予算は全体の予算のほんの一部である.埼玉大学などは,歴代の学長が大学の裁量で使える分の予算がほとんどないといっていた.その意味では予算の一部が増減するだけでも深刻な事態が考えられる.けれども,一般の企業に比べればこの程度は耐えないといけない.
 第2に,増減の幅は±15%(2019年度は±10%)に限定されており,いわばヘッジをかけてもらっている.どんなに悪くても-15%で済むのである.
 第3に,±15%の増減は個別評価次元で生じることである.13の次元があり,総合的な増減幅はいわば個別次元の(加重)平均のようになる.中心極限定理から考えると,個別次元で評価のバラツキが大きくても,平均値のバラツキは小さくなる.だから結果として得る予算のバラツキは,±15%といわれて連想するよりはるかに小さくなると思う.特に2019年度で評価次元は5個だったが2020年度では13個に増えた.評価次元の増加は中心極限定理でのサンプル数の増加と同じであるから,バラツキを減らすはずである.増減幅は±10%から±15%に増えたけれども,評価次元が増えているので,総合的結果のバラツキは大きくはなっていないだろう.それでも予算減に苦しむ大学が出ることはあろうが,よほどダメな大学(か運が悪い大学)なのだから仕方ない.
 第4に,評価次元によっては重点支援類型別の評価になるので,上位大学との比較を回避できる面もある.
 このように考えると,この評価体系の中にいる限りかなり楽な商売といえるだろう.

政府が何を重視しているか?

 この評価方式では,評価次元に割り振った予算の額によって政府が何を重視しているかが分かるようになっている.2020年度の評価を見ると,最も重視されているのは「若手研究者を増やすこと」と「独自財源を確保すること」であるといえるだろう.前者は研究レベルそのものではないけれど,研究レベルのポテンシャルといえる.後者は「国立大学法人を自律的な組織にすること」であり,よく人がいうような「政府に縛られる大学」とは逆方向であることは注意してよい.
 また,経営に関する評価次元が重点支援類型ごとの評価である点も興味深い.おそらく,東大などの上位大学と埼大などの下位大学では,大学の存立基盤を同一にすることは考えていない,ということだろう.この点は米国の大学も同様だろうと思う.州立大学でも州内トップの大学と下のランクの州立大学ではおそらく別であり,下のランクの州立大学の場合は独自財源で展開するというよりは,州政府予算で運営される面が強いだろう.経営のあり方で国立大学が分化することを政府は容認しているのではないかと思える.

この状態は悪くない

 まとめるならば,「共通の成果指標に基づく相対評価」は評価すべき方式であると私は思う.2004年の法人化されて以降,私の感想としては,国立大学にはろくな評価方式がなかった.実に馬鹿なことをやって来た.法人化後15年を経て,やっと落ち着くべきところに落ち着きつつあるといってよいと思う.
 政府の中には国立大学に対して意見のあるエージェントとして3つの勢力があるように思う.文科省,財務省,そして内閣府である.文科省は国立大学が立ちゆくことを専ら考え,国立大学を保護してきた.財務省は国立大学にコスパに厳しい意見を述べてきた.ただ財務省は意地悪をしていたのではなく,国民の利益をある面で代弁していたと見るべきと思う.そして内閣府は,国力の基盤として国立大学を重視し,研究力の拡張策を考えてきたように思う.今回の「共通の成果指標に基づく相対評価」は,この3つの勢力が適度なブレンドで作り上げたように思える.評価次元は状況によって変わって来ると思うけれども,今後の基本形になるととらえるべきだろう.この結果は悪くない.どの勢力も国立大学を潰そうとは考えていないのである.
 この評価方式を眺めると,国立大学が学長を中心に運営されなければならないのは必然だと思える.同時に,一般の教員は大学の「経営ごっこ」からは離れ,教育研究に専念する存在として位置づけられることになるだろう.むろん改善すべきことはまだ多い.

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新学部設置をパスしてきた埼玉大学

 何年か前の埼大の経営評議会で新学部を設置した大学の例が話題に出た折,外部委員の中から「こんなに新学部が出来ていたのか?」,「埼大はやらないの?」といった感想が出た,という風聞があった.実際がどうかは確認していない.が,世間の人間は新組織ができることを大学の進展と見る面があるから,その種の感想が実際に出ても不思議はないと私は感じた.
 思えば,埼玉大学は不思議と,工学部を新規に設置した1963年以降,新学部を作るという流れにはならなかった.ずっと5学部体制が続いている.新制大学の中でも希な例のような気がする.

埼玉大学における経過

 新学部を作る契機は過去に,少なくとも法人化の前後に1つずつあったろう.
 1つは1990年代前半にほとんどの国立大学で教養部を廃止したときである.廃止した旧教養部の教員ポストを使って多くの「新構想学部」が出来た.宇都宮大学なら国際学部,群馬大学なら社会情報学部である.
 しかし埼大では新構想学部はできなかった.旧教養部からは構想が出ていただろうと思う.前にこのブログ内で書いたが,実は私も教養学部と教養部を一緒にして「社会情報学部」と「国際文化学部」を作るという案を作り,教授会で議論してもらったことがある.しかし賛同者はいなかった.そして全学で何の積極案もないままに,なぜか「学長裁定」で教養部教員の「分属」という案で決まった.何のプランもないまま分属を決めることに私は反対したが,「学長裁定だからしょうがないだろう」という言い方をされたものである.
 詳しくは存じ上げないが,教養学部が新構想学部に反対していたかも知れない.新構想学部はどうしても教養学部と中身がかぶるからである.ならば教養学部と教養部で2つの新学部を作るという私の案は,悪くないように思うのだが,実は教養部から人が来て欲しくなかったというのが当時の教養学部の本音だったろうと思う.他学部もそこは同様だった.
 法人化後すぐにその教養部分のポストを召し上げる(全学化する)という話になった.その全学化したポストで新学部を作るということは,理論上はあり得たろう.しかし当時の学長さんの考えは「5学部が銘々に頑張る」路線であったから,新学部という方向の話は全くなかった.全学化したポストは削減して交付金減に当てようとする一方,皆さん,全学化したポストを自分たちが使いたいという下心もあった.理工のことは分からぬが,少なくとも教養学部以外の複数の文系学部は,自分たちがポストを使わせてもらうことを期待していたようだった.
 もう1つの契機は法人化後,教員養成課程の縮小的再編が進んだことである.縮小させた分の教員・学生定員を使って新学部を作る動きがいろんな大学で起きた.埼大では法人化前の兵藤学長の頃から教育学部の削減というアイディアは全学執行部の中にあった.しかし埼大の教育学部は大きく強かったので教育学部削減は政治的に難しかった.陰のバトルの末に教育学部は学長候補としての田隅候補に寄り添う戦略をとった.その結果,法人化と同時に田隅学長が出現し,政治的に教育学部が勝利したのである.その結果生じたのが「教養部分ポストの全学化」であり,割を喰ったのが教養学部,という経過だった.
 教育学部の削減がやっと実現したのは上井学長の末期,いわゆる機能強化案が出てきたときだった.この時はさすがに,文科省が教員養成課程の縮小再編を求めていた.そこで学生定員100名を教育学部が吐き出すことになったが,対応する教員数の縮小幅が小さかったのは,やはり教育学部の強さのせいだったろうと思う.
 教育学部削減の際の学生定員と教員定員を使って新学部を作るということを多くの大学が行った.当時は文科省も埼大に国際系の新学部設置を示唆したらしい.しかし埼大の執行部は新学部を見送り,定員を理工の院に付けたのである.新学部の方向に行かなかったのは,当時の学長さんが経済学部出身であった(教養学部がからむ新学部を嫌った)からであろうと私には思えたが,証拠はない.
 なお,教育学部拠出の学生定員は(学部換算で)100名であるが,理工の院に当初付いたのは50名分だった.後の50名分は何年か後に付ける予定だった.しかし全学の会議の中で,理工の院のさらなる学生定員増は無理,という意見が出て予定の定員増は困難になった.この時点でも,50名分の学生定員を原資の1つにして新学部は作ろうと思えば作れたろう.しかし結局,この時点でも話は新学部には向かわなかった.
 つまり,考えられるあらゆる機会で新学部を作らない方向の選択をし続けたのである.確率が低い事象が起きたなぁ,と私は思ったものである.

世間の国立大学はどうなのか?

 下の表は東日本(北陸は除いた)に国立の新制大学の,法人化(2004)以降の部局設置をまとめた表である.既存の学部の上に新設された研究科は除いた.名称変更だけと思える設置も除いた.学科,専攻などの追加も省いた.千葉大は旧六で新制大学ではないが,埼大の近くなので含めた.西日本も新学部等は同様に出現しているはずである.

    表:法人化(2004)後の学部設置

大学名 設置内容
弘前大学 保健学研究科(博士)(2007) 食料科学研究所(2014) 地域共創科学研究科(修士)(2020)
秋田大学 国際資源学部(2014)
福島大学 理工学群(2004) 農学群(2019)
宇都宮大学 地域デザイン科学部(2016) (共同教育学部 2020)
群馬大学 情報学部(2021) (共同教育学部 2020)
千葉大学 国際教養学部(2016)
横浜国立大学 都市科学部(2017)
山梨大学 生命環境学部(2012)
静岡大学 光医工学研究科(浜松医大との共同教育課程,2018)
岐阜大学 連合創薬医療情報研究科(2007) 自然科学技術研究科(2017)
三重大学 地域イノベーション研究科(2009)
滋賀大学 データサイエンス学部(2017)
和歌山大学 観光学部(2008)

 法人化以降だけでも結構多くの大学で新学部が設置されている.秋田大学の新学部は旧鉱山学部(理工学部に改組)と教育文化学部の一部から作った新学部である.宇都宮大学の地域デザイン科学部は工学部の一部と教員養成課程削減で出来た学部だろう.群馬大学の場合,新設の情報学部の以前から社会情報学部があったけれど,情報工学科が学部になった点が大きいので含めた.静岡大学の新研究科は浜松医大との統合話の中で出てきた共同課程のための研究科である(もっとも静岡大学と浜松医大の統合は延期になっている.静岡大学は以前にも静岡県立大学との統合を途中放棄しているので,今回もわからん).滋賀と和歌山の新学部は経済学部からの派生である.福島大学の例は特殊な事情を反映しているのだろう.
 何れの例も,新学部はその大学が目指す方向性の表現だといえるように思う.弘前,宇都宮,山梨,岐阜,三重,和歌山大学の新学部/研究科は地域産業重視の大学の姿勢を示しているだろう.横国の新学部は同大学が都市型の大学であることの宣言であるように見える.学部を作らなければ,外部には大学が何を考えているのか,ようわからん.
 最も注目すべきは滋賀大学のデータサイエンス学部である.主導した佐和隆光が流石だった.一橋も後追いで今,ソーシャル・データサイエンス学部の計画を持っている.経済学部,特に経営の部分はAIによって駆逐されやすい職種の人材を養成している訳だから,この転換は必然に思える.埼大も同じ見識を持てるとよい.

新学部設置は望ましいのか?

 以上,新学部設置について見てきた.ここまで私は,新学部設置を望ましいことのように書いてきた.が,新学部設置が望ましいのか,部局構成は変えずにやるのがよいのか,という点については,考え方によるだろうと思う.
 ちゃんとした計画が組めるなら,という前提付きではあるが,私は新学部設置が望ましいと思っている.組織は時代とともに適応的に変わるのが当たり前だろう.新学部設置は大学にストレスをかけるけれども,ある程度のストレスの存在は大学運営にとって必要なことと思える.また,何らかの動きがあれば広がる未来も,動かなければ開かないままになるように思える.動きを作ることではじめて,「しょうもない部分」を整理できるという面もある.
 ただ,あえて変わらずに力を蓄えるのがよい,組織いじりは本質的な進歩をもたらさない,という考え方もある.また,改善すべき事項は目の前にぶら下がっており,その改善を優先すべきという考え方もあるだろう.私は自分で労力を払わないから勝手にいえるが,在職していれば,組織改編ではない点に労力を割くべきと思うかもしれない.

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筑波大学の学長選考を考える会:こ,これは…

 私はよく,YouTube で外務大臣記者会見と文科大臣記者会見を視聴する.本日,文科大臣の記者会見を観ると,最初に朝日の記者が質問した.1つは森元首相の件であるが,2つ目が筑波大学の件だった.筑波大学の件というのは先日,どこかのニュースでタイトルだけを眺めたことがあった.筑波大学が指定国立大学法人を申請する書類の中に書いた国際交流の実績人数が実際より水増しされていると,「筑波大学の学長選考を考える会」が文科省に訴えたことである.萩生田文科大臣がいうには,その訴えの書類を一昨日受け取ったので文科省が筑波大学に問い合わせたという.結局,国際交流の該当者の定義の問題だと分かったという.「考える会」の方はJASSOを経由した学生数を見ていたが,筑波大学の方はそれ以外の交流実績も加えているので,数字が違っていた,文科省の求めていたのは全国一律で筑波大学の定義でよい,ということだった.「考える会」に与している朝日の記者もそれ以上は何もいわなかった.その様子を見るとこの会見で出た文科大臣の返答は初出だったのだろう.いつものように,朝日新聞は「疑わしい」方は記事にしたけれど,「それでよい」方は記事にしないだろう.
 この「筑波大学の学長選考を考える会」というのは,昨夏あたりに学長選考方法を巡って大学当局に疑義を提示していたと思う.その代表者のようにニュースで名前が出ていた先生は,例によって文系だったと記憶している(東大でも同様である).左翼はド文系が多い.ただ,学長選考は学長選考会議で決めるものなので,教員の皆さんが関与することは制度の建前からは想定していない.学長選考について教員が株主のようなつもりでいることはただの勘違いなのである.

 あらためて「筑波大学の学長選考を考える会」なる団体がどんなんか,と思って検索してみた.その会のサイトを見て「こ,これはぁ…」と思った.サイトがプロ仕様なのである.通常,素人教員がこの種の会を立ち上げると,発起人が誰それと書いておく.しかしこのサイトは弁護士の名前しか出ていない.職業的な戦闘集団であるという印象なのだ.
 指定国立大学法人の申請書類の記載がおかしい,という話であれば,普通は大学当局に確認するだろう.たぶん今回の文科大臣の返答と同じ答えが返ってきて,そこで終わるだろう.しかし大学当局にではなく直接文科省に申し入れるというのは素人のやることとは考えにくい.
 この会の弁護士さんがどういう系統の方かと,調べなくてもわかるように思うが念のためググってみた.旧総評系の法律家団体にいる方で,その団体の関係先はいろいろある.系譜としては旧社会党系なのであるが,現状で一番影響が強いのは日本共産党のように思う.それ以上調べる必要もないか,と思った.
 不正があれば糺すのは正義であるとはいえ,筑波大学の発展を願うというよりいかに評判を落とすかに労力を使っている,という点が異様に映る.考えてみると日本の政界の野党も同じようなことをしている,ともいえる.

 こういう会が埼玉大学にないのは幸いだった.埼玉大学の組合は軟弱で,私は本城先生が退職なさるときに組合はこの先大丈夫かと思ったほどである.組合としての立場はお持ちであるが,それでも関係者は埼大の足を引っ張ることは本意ではない方々である.埼玉大学はなんだかんだといいながら程よい所で運営されているのが幸いだ,とあらためて思った.

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埼大教養学部の出願倍率を眺めて思うあれこれ

 今年の国立大学(学部)の出願期間は1/25(月)~2/5(金)だった.例年のように私は埼大教養学部の出願状況を眺めていた.国立大学の定員見直しが示唆される昨今である.定員で直接的に関係するのは入試の倍率であるから,どうしても気になるところである.
 入学定員が多く倍率が安定している前期日程だけを問題にしよう.2月5日最終日までの集計で,教養学部の出願倍率は2.4(2.37)だった.倍率は最終的に若干変わる可能性があるが,違いは僅かなのでこの数字を使う.昨年度が3.0(2.97)だったから,埼大教養の倍率は下がった.低い倍率といえる.ただ,この結果をどう見るかは要求水準によって違ってくる.あくまで上を目指そうと考えるなら(私は考えているが),この結果は失望すべき結果である.私が学部長だったときの2015年度の入試で倍率が2.4に落ち込んだとき,私はかなり焦った.ただ,世間の見方の標準に合わせて評価するなら,「今どき,まあこんなもの」というべきだろう.

こんなものさ

 まあこんなものと思う根拠を以下に書いてみよう.
 第1に,この2.4倍という数字は,最近の実績としては3年に1度生じる悪い結果なのである.埼大サイトに出ている過去の倍率(2015年度は私の手持ち資料)から,最近の教養学部一般入試前期日程の出願倍率をグラフにすると下図のようになる.このところ,2015,2018, 今年2021年と,3年に1度は2倍台の下の方に落ち込むのである.だから「あり得る範囲の出来事だ」と考えるのが普通だろう.

210207c1

 第2に,埼大教養学部と同じ人文系学部長会議に属している東日本の大学の人文系学部の前期日程倍率は次にごとくであり(ただしシステムが複雑な福島大学は除いた),今年の埼大教養学部の数字と同じくらいである.

前期日程倍率(新制地方大学)
  弘前大学 人文社会科学部 1.9
  岩手大学 人文社会科学部 2.4
  山形大学 人文社会科学部 2.1
  茨城大学 人文社会科学部 2.6
  信州大学 人文学部    2.6
  静岡大学 人文社会科学部 2.4
(参考 宇都宮大学 国際学部 2.3 )

 ついでに,格としては上の旧六の大学の倍率も書いてみよう.
  千葉大学 国際教養学部  3.8
  千葉大学 文学部     3.8
  新潟大学 人文学部    2.4
  金沢大学 人文学類    1.9
  岡山大学 文学部     2.3
  長崎大学 多文化社会学部 1.8
  熊本大学 文学部     2.4

 さらに,東日本の上位大学を書いてみれば,
  東京大学 文科Ⅲ類    3.1
  東北大学 文学部     2.7
  筑波大学 人文学類    3.3

 このように見てみると,埼大教養学部の2.4倍は,良いとはいえぬが悪いともいえない.千葉大や筑波は倍率的にも上の層にあるのだが,埼大としては,まあ,こんなものなのだ.

 第3に,受験生が集めにくくなると推薦入試に定員を振り向けることになるが,埼大教養学部は国立大の推薦定員率の標準よりやや低い水準であり,千葉大文学部とほぼ同じである.茨大などは推薦率がやや高く,宇都宮大学国際学部になるとさらに高い.だからまだ,埼大教養学部は余裕を残しているといってよいように思う.

出願期間の経過

 前期日程の埼大教養学部(定員115),千葉大学文学部(定員125),千葉大学国際教養学部(定員83)の3つにつき,出願期間内で出願倍率がどう変化したかを見てみよう.次のグラフである.

210207c2

 今年は出願期間がまる2週間あった.また,受験業界人の説明によると,今回の共通テストは事前の難化予想よりも出来がよく,思ったより点数が取れた受験生と取れなかった受験生の二山ができた,という説がある.そのため,受験生の判断が遅れたらしい.この説明の通りに,期間の第1週目では上記3学部の出願数は例年よりかなり低かった.第1週の時点では3学部とも横一線であり,一時は埼大教養の方が千葉2学部より良かったのである.ところが第2週に入って目立って差がついた.2週目に入ってからの経過は従来の出願期間の2週目のパターンとよく似ている.ただし千葉の2学部の上がる勾配は高いのに,埼大の方は上がり方が緩慢だった.過去2年間は千葉と埼玉の倍率差は1倍だったけれど,今年度はより大きな差が出来てしまった.例年そうなのだが,千葉の文学部と国際教養学部は,最終倍率が同じようであるところが不思議である.
 千葉大の方は,2学部とも,昨年ほどではないが一昨年の水準で落ち着いた.埼大教養の方は3年前の低水準に戻った感がある.この違いが何によるかは,想像はできるが根拠がない.
 2019~2021の3年度の,出願期間内での倍率の推移を次のグラフに示す.2021年度は出願期間が2日伸びたけれども,従来より1日当りの出願到着数が薄まった形である.全体のパタンは従来と変わらない.週明けの月曜の数字を見た段階で,最終倍率が2倍台の前半であることは読めた.

210207c3

千葉大との比較

 私は以前から,埼大教養学部は千葉大の文学部を戦略的なターゲットにすべきと感じていた.集客の構造が異なるので,埼大は私大と比較しても仕方ないだろうと思う.そしてなぜ,千葉大文学部は埼大教養よりよいのか? 千葉大は旧1期校,旧六であり,特に医療系の学部を全部持っている稀有な大学である.しかし大学の基盤をいえば千葉より上の大学は多い.なのに,国立の中で最も受験生を集める学部と考えられている.
 千葉大は埼大より受験市場でレベルが高いだろう.しかしよりレベルの高い大学も千葉大ほどは受験生を集めない.そこはどういう理屈か?
 根拠のない想像であるが,共通テスト受験生のうち実際に国立大に入学する層の成績分布を求めたとき,一番確率密度というか,層が厚い所に千葉大が位置しているのだろう,と思う.よりレベルが高いと受験生は固定して増えない.埼大レベルの新制国立大だと,同じ層の受験生をうまく均分して受け取るような構造になっていてやはり増えない.千葉大はその中間にあり,実際には一番層の厚い受験生を対象にし,その層に対応する国立大が首都圏内では他にない,ということではないか? だから,埼大との相違は,ごく僅かな立場の相違だけなのではないか,という気がしている.ただ,その「僅かな立場の相違」が結構厚い壁なのだろう.
 その壁を超える工夫があってよい.

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創発的研究支援事業(2020年度)

 文科大臣の記者会見のYouTube動画を見ていたら,科学技術振興機構(JST)が「創発的研究支援事業」の2020年度分の採択をした,と文科大臣がいっていた.この事業は日本の研究の落ち込みという文脈の中で,若手の研究環境が苦しいという苦情を大学側が申し立てていたことへの政府の反応だと私は認識している.財務省の言い方だと財政的支援は出来ている,ということであるが,研究の振興に重点を置く政府が果敢に措置したものであろうと思う.評価すべきだ.
 実際にどんな風に採択されたのかと,JSTサイトに入ってみた.採択された課題(と研究者)を眺めてみた.やけに旧帝大が多いなと感じた.が,この点は実態からすると必然かも知れない.私は以前に研究論文の状況をまとめた報告書を眺めてみたが,科学技術分野では国立大学が中心であり,特に旧帝を中心に上位大学の論文シェアと上位〇%論文のシェアが際立って高いことが印象に残っている.
 何となく気になったので,採択された252課題(252名)の所属機関を数えてみた.まあ,ヒマだから.
 何点か予想が外れたところはあるが,大まかには思った通りの結果だった.JSTは研究に関する情報を集積しているので,採択の判断はフェアだったろうと思う.

 まず下表は採択数を機関ごとに私が集計した結果である.

210204

 採択数が2以上の機関は33ある.日本の大学の研究力は,一般には,東大,京大,東北大の順と思われている.この表では東北大がダントツに1位であるが,意外とはいえない.大学の順番も私の偏見とは大きく異ならない.やはり旧帝では北大が崖っぷちだろうと思う.
 旧六大学の中では金沢大と熊本大が良かった.千葉大と岡山大は意外と振るわなかった.長崎と新潟は仕方がない.
 論文のシェアでは理研などの研究所,研究機構のシェアが大きかったと思うが,この採択では私の予想より低かったように思う.

 採択研究者の所属機関の種別で集計すると次のグラフのごとくである.まず全採択のうちの約半数を旧帝大等(旧帝+東工大)が占める.偏っているといえば偏っている.しかしこれが現実なのだろう.その他の国立大は全部足しても旧帝大等の約半分である.なお,埼玉大学も1件採択され,面目を保った.採択無しの国立大が多いのであるから,1件でも有難いのである.横国などはゼロである.
 私立大学は文系中心とはいえ,研究者の数は理系も多いだろうと思う.けれども採択数では振るわない.

210204_20210205000301 

 この明確な階層差を受け入れた上で,埼大など「その他の国立大学」が何をビジョンとするかが問題なのだろう.常識的には2つの選択がある.第1は,研究はするにせよ教育中心に洗練して行くという道である.第2は,統合で規模を整えた上で上位に挑戦する道である.私は昔から第2を選ぶべきと思っていたが,皆さまどうなさるのか?

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埼玉大学発展・変革ビジョンw

 埼大は今何を考えているのかと思い,何気に埼大サイトを眺めてみた.「埼玉大学発展・変革ビジョン」なるものがあると知った.
http://153.127.197.67/guide/pdf/vision.pdf
 埼大サイトを検索して調べると,昨年(2020年)の9月に,教育研究評議会,経営協議会,役員会の順で承認を得て決まったようだ.実は次年度に次期中期計画を決めるはずだから,以前の通りなら,今頃は中期計画も大体は出来ていてよい.

 その「埼玉大学発展・変革ビジョン」を眺めてみた.「これ,何もしないということか?」とまず思った.

 気付いたことを4点書いてみよう.

 第1に,記載内容が「縦割り」であり,全体構想があったようには見えない.5つのミッションと5つのビジョンが書いてある.短い方のビジョンを次に書き出してみよう.

1.いかなる社会状況においても学生たちの学びの場を継続するとともに、新たな社会課題の解決の担い手となる人材を育成します。
2.新たな知の発見・創出と予測不能で激変する社会が抱える課題の解決とを目指します。
3.新たな脅威に直面する社会に寄り添い、地域社会・行政・産業界・非営利活動団体等と協働し、「知の府」として社会に貢献します。
4.国際社会の激しい変化に対応しつつ、世界各地域との知の交流を進め、国際社会に貢献します。
5.急速に進む社会変化を既存業務の変革の好機と捉えて、新たな働き方を確立します。


 この5つのミッションの各々に対応してヴィジョンが続くのである.
 この5つは,事項としては上から順に教育,研究,社会貢献/連携,国際連携,業務である.それぞれの担当理事なり副学長に振って,上がってきたものをそのまま書いているように見える.
 1世代前だと上井学長の末期に機能強化プランが出てきたけれども,そのときは山口理事(後の山口学長)の考えが色濃く反映されていた.山口学長の治世が終わった今,同じようなリーダーシップはないのだろうか.現学長の選ばれ方から考えてそうなるのかなぁ,と思わず納得した.

 第2に,この項目の並びからすると,第1優先は教育のように見える.山口学長(理事)のプランが出てきた時の雰囲気からすると,第1優先は研究だった.実際,同プランの後のバージョンでも第1戦略は「イノベーションの創出と地域活性を目指した融合科学研究・開発の推進と人材育成」である.「と人材育成」と教育も後ろに引っかけてはいるけれど,精神的な重点は研究・開発にあった.
 当時,私は研究をそこまで押し出すのは現実的でないと思っていた.けれども山口理事/学長の案には良くも悪くも志の高さがある.だから内心はまあいいかな,と思ったものである.

 第3はチャレンジする側面がほとんどないことである.際どい話を避けている.
 例えば,少し古いが,次の例は2019年に群馬大学が決めたビジョンである.「既存学部・研究科等の見直し・改組」,「新学部構想」,「新たな年俸制,教員評価導入」,「定員適正規模見直し」など,際どい話がいろいろ書いてある.というより,この程度は書くものではないか,という気がする.
https://www.gunma-u.ac.jp/outline/out006/g80909

 第4に,以上の総括であるが,「基本的に今のままです」が,この「埼玉大学発展・変革ビジョン」の行間に書かれたメッセージだろう.よくいえば「今のままですが高度化します」だろうけれど,評価があるから高度化はどのみちするのである.ただ,ビジョンとは本来,将来的に目指す大学のイメージだと思うのであるが,このビジョンを読んで今と違うイメージは浮かび上がらない.現教員の福祉を優先するならこうなる,という見本のような計画といえる.それで悪いかといわれると「まあ,いいんじゃない?」と笑って答えるしかない.やらねばならぬことは結局は避けられないのであるから,自ら頑張ってプランを書いても結果は同じかも知れない.

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旭川医大の件は鑑賞すべきレベルではないか?

 旭川医大の病院長が同学長から解任されたという件が,先日,全国紙に載った.私は存じなかったが,そのニュース以前に当の病院長が学長にコロナ患者を入院させることを提案して「受け入れるならお前が辞めろ」といわれた,という件が文春から報じられたらしい.「お前が辞めろ」の件はパワハラになる可能性があるので文科省が旭川医大に問合せを出し,書面回答を精査中,と文科相が先日の記者会見で述べていた.
 全国紙ではその後の報道はないと思うが,北海道新聞には続報も載っている.学長が変なんじゃないの,という趣旨の記事だった.
 この種のことは一般論として,誰が良いの悪いのは外部からは分かりにくい.メディアは学長専制を糾弾したがるし,コロナ患者の受入れは世間的には正義であるから,人は病院長に同情する.SNS上でも圧倒的に病院長に同情が集まっている.が,学長を支持する意見もある.実際のところは,おそらく,文科省と同医大とのやり取りの結果を文科相が説明することで,ある程度分かるのだろう.
 善悪はここでの話題ではない.私にとり,この件の注目点は旭川医大の学長側の洗練度の低さである.この洗練度の低さは鑑賞すべきレベルではないか?
 まず確認しておくべきは,旭川医大は「小さい大学」ではないことである.規模としては単科の国立医科大の標準である.令和元年度の旭川医大の財務諸表によると,(専任で)教員数は335人,職員が1011人,支出が295億円である.対応する年度で埼大は教員が540人,職員219人,支出が126億円である.教員数こそ埼大の方が大きいけれど,予算規模では旭川医大が埼大の2.34倍である.病院付きの医科大だから仕方ないが,事業規模という点では旭川医大の方がずっと大きい(旭川医大に埼大をくっつけると群馬大学の規模になる).医大であるから水準の高い人材が多いだろう.
 その立派な旭川医大にして,この洗練度の低さは目を引くレベルである.
 第1に,流布された学長のヴィジュアルが人の記憶に残るだろう.全国紙は載せないが,文春が変な写真を選んで出しているのだろう.選んだとはいえ,埼大の歴代学長さんなら,そんな写真を残していることはないだろう.
 第2に,「コロナ患者を受け入れるならお前が辞めろ」なんて,子供でもない限りいいますかね?(その言葉自体はいったと当人も認めているらしい.) 「コロナ患者を受け入れる」と「お前が辞めろ」とは筋として繋がらないから,理屈にならない.
 第3に,文春に出て変に注目されているときにわざわざ,病院長を解任するなんて,しますかね? 世間には病院長を解任したい学長は沢山いるかも知れないけれど,普通はしないでしょう.それもこんな時期を選んで.

 なんだかんだと大学は世間に話題を提供してくれる.同じくらいの洗練度で世間に話題を振り撒いたのは,体育会系?の理事長さんの件(中身は忘れたが)を提供してくれた日大さんくらいではないかと,ふと思った.

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突然の個別試験中止公表で妄想してしまう

 宇都宮大学が1/21に入試の個別試験を中止する(共通試験だけで選抜する)と公表したというニュースが朝日新聞に載っていた.宇都宮大学は「受験者の健康と安全を守ることを最優先に判断した」と説明したという.
 ええ,1/21って,1/25から出願期間だから,遅過ぎね?と思った.中止してもよいが,このタイミングは唐突に感じる.唐突であるが故に,私の中の自動思考はいろんな妄想を生み出す.以下に書くことは私の自動思考が生み出した妄想であるので,失礼かも知れないがお許し願いたい.私の自動思考は私であって私ではない.私の意思は介在していないのだ.

 まあ,栃木県はなぜかコロナで緊急事態宣言を出しているので,宇大のこの措置もあるのかも知れない.しかしコロナが流行っているといえば埼玉の方が流行っているだろう.念のため埼大サイトを眺めてみた.宇大の公表の1日後の1/22の日付で,「個別学力検査を前期日程・後期日程ともに学生募集要項のとおりで実施する予定でおります。」と書いてある.常識的である.「政府からの強い要請などにより」実施できない場合もあると書いてあるが,その点は書くまでもない.ただ,共通試験も予定通り実施した政府が今頃強い中止要請をする確率は低い.
 栃木県ってそんなにコロナが流行っているのかと栃木県庁サイトを眺めた.まあ,確かに正月頃に新規感染者は増えている.が,正月頃がピークであり,共通試験のときや,宇大が公表したという1/21頃には既にかなり沈静化している.正月頃に中止を公表するなら分かるが,正月頃はお休みしていて,後になって正月頃の資料を見て中止を判断したんだろうか? そもそも緊急事態宣言は2/7日に終わる予定である.その予定は変わることがあるとはいえ,2月後半の個別試験をやらないという判断は,普通しないだろう,という気がする.

 宇大はなぜ中止判断をこの時期に公表したのか? この点が妄想の中心である.
 実際にコロナが厳しいのかも知れない.感染者数だけなら埼玉の方がひどいと思うが,病床数に逼迫感がある,ということはあるのかも知れない.しかし受験生世代は感染があっても重症化することは希だから,何か変な気がする.
 こういうと怒られるだろうが,宇都宮(大学)ってさぁ,「首都圏」だという点にこだわるんですよね.東京の人は宇都宮を首都圏とは思わないだろうけど.そんなんで,埼玉が東京と一緒に非常事態宣言をするのに,首都圏の栃木が宣言しない訳にはいかない,とか思ったりしてね.それで,個別試験中止を宣言することで「やった,埼玉を抜いたぞ」という感覚だったりしてw

 この間,大学は遠隔授業に注力していて対面授業が低調なことに文科省も苛立っている.けれど,この点は私の率直な妄想であるが,遠隔授業で学生も教員も,大学に出向かなくてよいので,実はハッピィで,対面授業やらないでいいんじゃね,と思っているんじゃないか.特に文系の先生方はそうでしょうね.研究に実験設備を使う理工系や,現業部門と密接な医学系は大学に行くしかないだろう.しかし文系の先生って,多くは本読むだけだから,家でいいんですよね.私も在職中は通勤往復で3時間を要していました.だからオンラインでいいですっていわれたら,やったぜぃ,ラッキー,と思ったでしょうね.
 埼大もそうだけど,宇大の先生方って,実は東京辺りから通勤している人が多いですよ.通勤が大変.するとオンライン授業でハッピィ.逆に,入試やりますって,嫌でしょうね.大学まで行かないといけない.すると個別試験止めましょうといいたくなるでしょうね.だから宇大で,個別止めたいという先生方(主に文系の先生方)と,そりゃあんまりだから個別試験はやりましょうという大学本部側との攻防があったりしないか,なんて考えてしまいますよね.
 朝日新聞によると,信州大学も「2月8日以降、緊急事態宣言が引き続き出ている場合には、人文学部と経法学部で個別試験を中止し」とあった.ね.個別中止するのは人文学部と経法学部,つまりド文系.
 文系の場合,本音では個別試験をそもそもやりたくないだろう.センターだけでいいんですよ,本音は.文科省が個別ちゃんとやれというから従うだけで,どう考えてもセンター試験の方がよく出来てますもんね.
 理系は個別の中止には抵抗するような気がする.センター試験時代は数学Ⅲをセンター試験で扱わなかった.数学Ⅲを課すとすれば個別試験になる.共通試験も同じではないか? それに,理系の場合は先生方はどっちみち大学に行かないと仕事にならない分野の方が多いから,「個別止めて休もうぜ」にはなり難いような気がする.
 宇大は埼大より文系比率は低いような気がする.けれども,文系の先生方が入試で出動する比率が高いとすると(例えば英語の試験の採点などで),入試止めましょう,というのはあり得るのかなぁ,と思えてしまう.

 といろいろ書いたけれど,宇大が個別中止を決めて受験生が迷惑するかというと,まず迷惑しないでしょうね.宇大や埼大に入りたいとずっと思っていた受験生など,いるはずがないですよ.そういっては自虐的であるが,一部上位の国立大学を除けば,共通試験から合格圏とわかった大学の中から選ぶだけであり,出願時点で出願する国立大学の個別試験の対策までしている受験生はほとんどいないだろう.むしろ宇大は個別試験を止めることで,志願者が増え,入学者の共通試験の点数も上がるだろうと私は思う.そのために中止したりしてw

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大学の「ゆとり教育」?

 このブログの1つ前の記載で日経の記事「転換期の社会と大学(上)」に触れた.この「転換期の社会と大学」には既に「中」と「下」が出ている.そこで「中」を読んでみたのであるが,結構とんでもないことが書いてあったのでここで取り上げてみる.
 この「転換期の社会と大学」は上で国大協会長,中で私大(法政大)の総長,下で公立大学協会長が書いており,ちょうど国公私立大学の代表が意見を述べる形になっている. さて,その「中」を書いているのは法政大の田中優子総長である.実はこの「中」も「上」と同じように簡単な談話程度の中身であり,詰めた議論はない.それだけにかえって,考えていることが自由に出て来るのかも知れない.

田中総長の説

 田中総長は大学での真に必要な「学びのしくみ」を提言する.第1に大学は他者と関わる機会を積極的に作るべきといい,第2に教えることから学ぶことへ学生評価の視点を移すべきことをいう.ここでの力点は第2点の方にあるようだ.
 そのために次の点をあげて大学設置基準を考え直すべきという.
1) 学ぶ側に軸足を置いた単位認定の方法の開発
2) 上記1)の実質化のために卒業単位を減らす
3) 定員管理基準を「入学定員から収容定員へ」,「学部単位から大学全体へ」

大学版の「ゆとり教育」か?

 私にも異論がないのは3)である.ただ,定員管理は現状でも入学定員だけではないし,標準的な管理の単位は学部ではなく学科であるから,いっていることが不正確な気はする.
 しかしまず1)が分からない.そもそも詳しく書いていないのであるが,文面を読むと具体的には次のようなことであるようだ.従来は出席回数,試験・リポートで単位認定をしていた.この方法をやめて,学ぶ側が教員と相談しながら自分の目標と学び方を決め,その目標の達成によって単位を認定する,ということらしい(レポートの提出もないのか?).
 問題は次の2)である.1)をするために卒業単位(現状で124単位)を減らすということなのだ.
 馬鹿馬鹿しいにもほどがある.ただ,見方によってはこれって「ゆとり教育」の大学版であるから,左巻きの文科相官僚と波長が合って変なことにならないかという危惧も覚える.
 まず1)についてであるが,「学ぶ側が目標と学び方を決める」というのは,やることが望ましいけれど,基本的には授業外の勉強としてやることなのだ.私の学生時代を考えると,多くの同級生は大学の単位外で何かを勉強していた.お金のある人はアテネフランセに通いながらフランス語を伸ばす,といったことをする.金のない人は自分で文学作品とか古典を読むとか,数学のある部分を勉強するとか,である.そういう部分を卒業単位に繰り込めれば楽ではあるが,それだけでよいなら大学に通うべきではない.私学でも税金から援助が出ているのである.学びは大学で学ぶことだけではなく,大学で学ぶべきことは所定の課程である.
 2)も論外である.例えば理系だと,解析学,(線形/その他の)代数学,幾何学などでそれぞれ学年ごとに学ぶべき事項があり,その単位を合算すれば124単位にはなってしまう.それだけ教えることのない分野であるなら,大学に置く課程からは外すのが正しい.
 現実的にいうと,実は文系って,田中総長のような世界であるという実態はあるように思う.例えば私は,東大文学部社会学を卒業した.この社会学って,授業らしい授業は概論だけである(しかも駒場の概論が最もまともだった).社会学の授業は,教授が「今私が考えていること」を述べる講演のような授業なのである.本来授業で教えるべきは学界で定着した事項であるべきだが,そうではなかった.だから卒業のために単位を取る必要はあったけれど,本来的に聴く必要のある授業ではなかったように思う.基礎的な事項は受験参考書のような本で各自が勉強するしかなかった.後に英語版International Edition のSociology のテキストを見てみて,外国はちゃんとしたことを授業で扱っていると知って驚いた.
 東大文学部も心理学は理系に近かったけれど,それ以外は社会学と同じようだったかも知れない.今も同様かどうかは知らぬが,当時はそうだった.
 ただ,この点では(一部の?)文系が異常なだけである.その異常さが一部文系だけであるなら放置してよいと思うが,大学の授業一般に拡張させる訳にはいかない.田中総長がいうようにするのは理系では無理であり,まして医学系でその通りにしたら大災害である.
 法政だけが勝手に落ちてゆくのは結構と思うけれど,埼大のように有用な人材を輩出せんとする大学は真似るべきではない.

大学設置基準

 この日経記事では「上」と同様に,末尾に編集部のコメントを書いている.そのコメントには「大学像の再設計 熟議が必要に」という見出しが付く.見直すべき(かも)と編集部が書いているのは次の点だった.

(a) 単位当りの学修時間指定
(b) 校地面積,備えるべき施設
(c) 学生定員

 このうち,(c)は今の情勢で見直しになるだろう.(a)と(b)は大学設置基準の問題である.編集部は「熟議が必要」というだけだから気軽なのだろうが,そう書く前に少しは考えろといいたくなる.
 まず(a)は,実は米国の単位換算と合わせた結果であるはずだ.変えない方がよいだろう.日本だけがバカになる訳にはいかない.
 (b)についてであるが,実は(b)のような設置基準要件は,海外大学の日本進出を阻止するための非関税障壁として機能している.海外大学は日本に進出したくても良い場所で校地を取得するのが高過ぎて,日本に進出しない.気軽に変えると海外有名大学が簡単に出店できてしまい,まず被害を受けそうなのは法政大学のようなタイプの大学であろうと思う.それでいいの?(私はよいと思うが.)

追記:上記で書き忘れた点:日米間でほぼ同じなのは「単位当りの学修時間指定」だけではない.卒業単位数もほぼ同じである.だから学修時間指定や卒業単位を減らしたら,日本だけバカだと宣伝するようなものだ.

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国立大の再編はあるのか?

 1/3の日付で日経に「転換期の社会と大学(上) 国立大,将来ビジョン明確に」という記事が載った.国大協の永田恭介会長の文章である.どれどれと思ってさっと眺めてみた.詰めた文章ではなく,軽く書いた談話のようである.何となく,学内の新年の挨拶を文章にしたような文面だった.
 あえて世間に公表するような水準ではないように思えた.中身も月並みである.2022年度から第4期の中期が始まるので国立大は将来ビジョンを明確にする必要がある.国立大には研究・開発を牽引する役割,地域の核となる役割がある,と書く.今さら感が強い.上位国立大の大学院大学化(学士課程放棄)については「異論がある」と書いて拒否しているのも,従来の論点の繰返しである.

国立大再編?
 ただ一か所,私の目を引いたのは「学生定員の規模についても検討しなければならない.」とある箇所だった.数年前に出したビジョンでは,定員規模は現状のままを国大協は要望していた.しかしここで定員規模の見直しに向けて踏み込んだのか,と一瞬思った.
 しかしよく考えると「検討しなければならない」であって,「規模の見直しをしなければならない」ではない.だから,検討に前向きな立場を示したのかも知れないが,役人用語で「検討します」は「やらない」という意味である.
 同じパラグラフで,「それぞれの地域に及ぼす影響を考えると,一大学の事情だけで判断してよい問題ではない」といって,結論を出すことのハードルを上げている.その後の「例えば」で始まるセンテンスが謎である.

「例えば一つの大学がある分野の定員を減らした場合,隣接する国立大がその分野の定員を増やして補うといった方法を考える必要があるかも知れない.」

 はっ? 何の意味があるの?と,分からなくなった.
 A大学が工学系の定員を減らしたら隣のB大学はその分の工学系の定員を増やす,ということなら,総体では定員規模の変更にならない.そういうことをいっているのであれば,「見直すけれども規模は今のままです」ということでしかない.B大学の定員の増加はA大学の減少分より小さくします,少し規模を見直します,という意味なのかも知れない.最大限うがった解釈をするなら,永田会長は各大学が主とする領域を決めて特化し,隣接する国立大間で連携する形で規模の縮小を果たす,と考えているかも知れない.ただ,他大学と領域の調整をする余地があるのは新制の地方国立大(平たくいうと駅弁大学)であり,上位の大規模国立大学は他大学と領域の調整をする必要性はないだろう.
 領域の調整を国立大間でやるのであれば,国立大のグルーピングが不可欠だろう.例えば埼玉県は東京都,千葉県,茨城県,栃木県,群馬県,山梨県と境を接している.それら6都道府県と調整しますといったら,やらないといったも同じことである.例えば群馬大,宇都宮大,茨城大を同じグループと考え,それらの間で調整を行うというのが現実的だろう.できればそのままナントカ大学機構というアンブレラにするのがよい.調整に伴うポストの移動は簡単になる.ただ,国立大は抵抗するだろうw.

国立大学の定員見直しは必要なのか?
 多くの国立大学関係者と同様に,私は国立大学の定員規模縮小をする必要はないと思っている.先進国の中でパブリックな大学のシェアは,日本は低い方だろう.人為的に低くする必要はない.学生になる人口が減っても,全体では上位の方にある国立大を小さくする必要はないように思えるのである.
 大学の経営は次第に苦しくなって行く.そのとき,増え過ぎた私立大学を中心に弱小の大学が消えて行くはずである.その自然な淘汰に任せた場合,結果として国立大学は残るだろう.そういう意味では競争原理に任せればよいだけだろうと思える.そもそも産業の規模を政府が決めるというのは自由主義体制の発想ではない.政府がやるべきことは,消える大学が出て卒業に支障が出る学生へのセイフティネットを作ることくらいではないか?
 しかし政治的には競争原理では済まないかも知れない.

国立大:競争原理による淘汰に任せればよい.
私立大:競争原理は equal footing が前提だ.競争原理というなら国立大学を民営化しろ.
国立大:やはり縮小の仕方をみんなで考えましょう.

で終わる,とかねw(情けねぇ) 政治的なプロセスによって国立大学は縮小を考える他はなくなる可能性が高いような気がしてしまう.

教員の定員はどうなるか?
 上の永田会長が書いたのは「学生」定員の話だった.教員定員の方はどうなっているのか,と以前から気になる.
 現在は学生になる人口が減ることが口実になっているので,話はまず学生定員の話になる.しかし従来,教員定員と学生定員はリンクしていた.だから「学生定員」の縮小は「教員定員」の縮小を伴う,というのが普通の理解だろう.少なくとも財務省はそのようにいうだろう.
 ただ,教員の定員を総体で減らすことは研究・開発能力を縮小させることである.科学技術に賭けるしかない日本で,しかも研究のシェアの大きい国立大学の教員定数を減らすという選択はありなのか? その点は疑問に思える.
 学生が減れば教員も減るのは道理である.なら教育負荷のない研究所を従来の駅弁大学の中にも作り,研究開発の層を維持するというのは1つの選択であるような気がする.議論すべき,ないし政府と交渉すべきはその点ではないかという気がする.教育業務のない研究職であれば,勤務様態は教員の場合より窮屈だろうが,仕方ないだろう.なお,理研と同じように,大学に作る研究所の研究員には院生を指導する資格を与えるのが常識的である.地位の名称も教授,准教授ではないか?

私立大との役割分担
 永田会長の談話を載せた日経記事は最後に編集部のコメントを載せている.そのコメントで日経は,私大との役割分担の積極議論が必要と述べている.やはりこう来たか,と思わず笑った.
 読売や日経のように政府筋からの情報で記事を書くメディアが「私大との役割分担」を口にするときは,学士課程は私大に任せろ,国立大(の上位)は大学院大学になれ,という主張が腹の内と考えてよいと思う.財務省の意向だろう.むろん大学院大学と想定されるのは上位の大規模大学であり,埼大を含む駅弁大学は対象ではない.国大上位を大学院大学にしたとき,一番喜ぶのは上位私大であるけれど,埼大なども学部入学者の質が上がるという恩恵はあるかも知れない.
 先述のように,大学院大学化には国大協は拒否の態度をとっている.上記の永田会長も同様である.ただ,国大協の言い分は何れも説得的ではない.「私大なんてダメでしょう」とは,いいたくても口にできないからだろう.ただ,表の議論になったときに今の言い分では通らないので,もう少し考えた方がよさそうだ.
 このブログで私も以前に書いたことだが,国立大の大学院大学化はやめた方がよいと思っている.学士課程でも良い教育をする体制をとれるのは上位の国立大学であり,その上位国立大を学士課程から排除してわざわざレベルの低い大学に教育を任せるというのは,教育のことを考えた結果とは思えないからである.国立大学の中でも,残念ながら,上位大学の方が駅弁大学より,良い体制がとれているのである.また,海外の規模の大きい有名大学で,大学院だけの大学というのはほとんどないだろう.大学院だけのSchoolを内部に多数持つとしても,基本領域の学士課程は持つのが普通である.

役割分担論の思い出
 国立大学と私立大学との役割分担論の話に触れるたびに,私に嫌な思い出が蘇る.上井学長の末期で,実質的には山口理事が学長だった頃,機能強化案というのが出て,経済学部と教養学部には大学院中心の部局合併案が提示された.結果として害を小さくして実現させたけれども,両学部とも嫌だった.
 このとき,合併案を求める時の(公式の)学長は教養学部の三役に,私大と比べたときの国立大学の役割は何だと思うんだといって詰め寄った.三役も,そりゃ答えられる訳がなかった.学長としては,だから大学院中心に強化するんだ,といいたかったのだろう.
 しかし,国立大といっても東大や京大があり,他方で駅弁大学がある.私大の方も似たように一様ではない.それらを一緒にして国大vs私大の特色化などといって意味がある訳がない.大学院中心というのは上位大学の話である.つまらないレトリックを持ち出したものである.
 当時,文科省関係の有力者でその種の役割論を主張する人はいたのである.誰という訳ではないが,民主党政権で文科副大臣をして,その後東京の選挙区から落選したけれど,自民党に擦り寄って文科相関係者でい続けたような,まあそういう感じの方が役割論をいっていた.国立大で文系学部は要らん,転換させろといったのもそいつであり,同様に国立=理系,私立=文系の役割論を吹きまくった(文系理系の役割論はその後,経団連等が否定的な見解を出してくれたので消えたと思う).ウチの学長はそういうカスのような奴に引っかかったのだろう.やはり左翼はダメだと思ったものだ.
 国立大学をひとくくりにするのではなく,例えば財務上の分類ごとに役割を考えるのは意味があるかも知れない.実際,その方向で議論は進むだろう.ちなみに,埼大は8分類のうちの最後のHグループである.Hグループとは「中小・医無し・領域特化無し」であり,具体的には次の9大学である.

財務上のHグループ:岩手大学、茨城大学、宇都宮大学、埼玉大学、お茶の水女子大学、横浜国立大学、静岡大学、奈良女子大学、和歌山大学
(このリストで分かるように,和歌山大学から西の地方国立大学にはすべて医学部がある.)

国立大学の役割
 国立大学の役割を,設置者である国=政府でなく設置された国立大学が考えるというのは,実は奇妙なことである.国立大学が国立大学法人として設置され直したとき,国は国立大学の位置づけもしておくべきだった.上井学長の時代に全学運営会議メンバーを対象に文科のお役人の講演会/懇談会が行われた.そのときに私は,私大と比べたときの国立大学の位置づけをどう考えているか,と質問した.お役人の答えは,それぞれ設置者が違う,という,聞くまでもない内容だったので,何も考えていないんだなと実感した.
 本来なら国立大学が政府に対して「国立大学の役割とは何なんだ,お前らがいえーっ」といいたいところであるが,やはり政治プロセスの問題として,そうはいえないのだろう.

国立大:国立大の役割が何かは設置者である国,つまり政府がいえ.
政府:ほんとに政府がいっていいのか?
国立大:いえ,私たちにいわせてください(しょぼん).

という落ちになるのではないかw(情けねぇ)
 国立大学の役割を考える場合,国立大学法人法の規定に依拠する必要があるだろう.法人法は第一条で法律を設ける意義を述べているが,その意義とは「大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るため、」とある.この文言から推察すると,国民的に合意できる大学機能の最低線をバランスよく揃えることが国立大の使命のように思える.対して私大は国民的合意でなく建学の理念に基づいて設置されるはずであるから,自ずと意義は分化するだろう.最低線が国立,プラスアルファで私大,ということでいいような気がする.
 そのうえで,具体的な意義を問われれば,上記で永田学長がいったように,国立大学が総体として「研究開発を牽引する」こと,「地域の核になる」こと,と説明するしかないような気がする.
 何れ国立大学の意義や役割を言い争いの中で短く説明する破目になる.だから,短いメッセージで伝わる表現を事前に考えておくことは重要ではないかと思う.

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東大総長選考に関する日経の論評

 昨年末12/29の日経に「学長選考で浮かんだ東大の課題 世界で競う意欲見えず」という記事が載った.タイトルが挑戦的であるから興味を覚えて読んでみた.

東大の選考システム
 念のため東大の総長選考システムがどうなっているかを書いてみよう.日経と『アエラ』の記事をもとにまとめると(その程度で申し訳ない)次のような3ステップでなっているらしい.

1) 178人の代議員からなる代議員会が選挙で10名くらいの候補者を選ぶ.さらに経営協議会が推薦する2名くらいの候補者を加えて第1次候補者とする.今回は代議員会から11名,経営協議会から1名が推薦されたらしい.
2) 学長選考会議(学内教員=教育研究評議会からの8名,経営協議会からの8名からなる)が第1次候補者にインタヴューをして第2次候補者3~5名を選ぶ.今回は3名(工学系2名,医学系1名)が選ばれたらしい.
3) 第2次候補者の中から学内の意向投票によって最終的な1名の総長候補を選ぶ.

 意外と月並みな選考システムだった.言い訳めいた面が強い点は思わず笑ってしまう.よく言えば両義的な制度なのである.候補者の多くを教員(教職員?)が選び,最終的には教職員の投票に判断を投げているので,その意味では昔ながらの「大学自治型の総長選考」システムであると,教員に向けてはいえる.あくまで選考委員会が選んだ人しか最後の投票の対象にならないという意味では,選考委員会が決めていますと政府にはいえる.両方に良い顔をするための苦渋の選択なのだろう.
 今回の選考過程については,教員側がやり方の不透明さを訴えてメディアの取り上げるところとなった.それで調査委員会を立ち上げて検証した,というニュースがしばらく前にあった.検証結果は選考に問題はなかった,という差し障りのないものだった.まあ,どっちでもいいような話である.

日経の指摘
 さて,日経は以上の学長選考過程について2点を指摘していた.
 第1は選考会議議長が,外部委員として入っている前総長の小宮山氏であった点である.前総長は,形式的には「外部」に違いない.が,実態は「外部」といえないだろう.
 第2は「結局は投票頼みで学長を決めた」という点である.
 日経の趣旨は,外部者を入れた学長選考会議が主導して学長を選ぶべきであるのに,結局は昔ながらに内部者が取り仕切って内輪の投票で決めた,それでは世界の一流大学と競い合うことにはならないでしょう,という点にあるのだろう.

日経の指摘は正論であるが…
 日経の指摘はもっともである.前総長だった小宮山氏を「外部」とは,普通はいわない.また投票の通りに決めたのであればやはり内輪の世界でやっているのか,といわれて仕方ない.
 ただ私は「どっちでもいいんじゃね?」と思う.この学長選考の仕組みの中で選考委員会が主導して人選をしても,結果は同じようなものだろうし,選考委員会主導によって「世界で競う意欲」を見せることにはならないだろう.
 理由は単純である.第1に国立大学法人というのはいろんな文書を既に文科省に出しており,そこで記載したことを大きく外れる計画を新規に作れるようにはなっていない.第2に,新学長がかなりの数のスタッフを引き連れて着任する訳でもなく,結局は部局間の協議(談合)に依存せざるを得ないのだから,表向き通りの権限は学長にはない.第3に,第1次の候補者からして内部からの推薦を経るので,経営委員会からの推薦者を除けば,結局は内部志向の候補者の中からの選択になるのである.東北大学は意向投票を行わないけれども,候補者の決め方は他大学と同じであるから,意向投票を経ないからといって結果が他大学と変わることは,おそらくない.だから誰を選ぼうが,大した違いはないだろう.
 そもそも,「世界で競える」かどうかは金の問題であり,学長の人選の話ではない.新学長に相当なお金とスタッフ(やはりお金)が付かない限り,現状の国立大学で新たな展開はないだろう.
 そういう意味では,条件が今のままなら「皆さんがいいようにやればいいんじゃない?」というのが私の感想である.
 あまり表には出ないが,国立大学に対する政府筋の考えは,学長が主導権を握って大学を改革することである.教職員が意向投票をすることにはかなり否定的である.ただ,学長に期待するだけというのは考え方が間違っている.政府がすべきことはまず金を用意することであり,10兆円の研究基金(のような基金)をいかに上積みするかが最大の課題だろう.

埼大の学長選考で感じた事柄
 私は埼大にいても学長選考にはずっと関心がなく,選挙にもほとんど行かなかったように思う(よく覚えていない).私が学長選考を割と詳しく眺めるようになったのは,法人化の少し前,兵藤学長を選ぶ辺りからだった.学部長だったときには学長選考会議で実際に学長を選ぶ機会も目撃した.そんな訳で,法人化の少し前からの見聞の感想をついでに書いてみよう.

1) 外部委員の役割には限界あり
 経営協議会やら学長選考会議には半数の外部委員がおられる.現制度では,外部委員の存在はシステムの透明性を担保する重要な要素である.私が見た範囲で,埼大の外部委員の方々は非常によく,良心的に議論されていたと思う.非常に適切な指摘をされていることも多いのである.しかしやはり限界がある.どうしても,大学の中身のイメージがおありにならないと見える局面が出てしまう.あの状況だと,事務局(総務部)に説得されて終わってしまっても仕方ない.
 企業なら,業種が違っても収益を上げるという要請は一緒だから外部委員の関与に意味が大きいのだろう.京セラの会長が日航に乗り込んで経営を立て直すこともできるのだろう.ただ大学のような業種の場合,具体的な事柄に関する判断ができる外部委員の確保は難しいような気がする.上記の日経の記事でいうと,確かに小宮山氏の外部委員というのは変なのだが,では彼の代わりに本当の外部の方であれば良かったかというと,実は小宮山氏で良かったのではないか,という気もする.外部委員の確保については考えるべきことが多いのではないか?
2) 「経営」という発想はまだない
 学長はその大学の先生がなる場合が多い.大学の先生は大学の「管理」はおできになる.しかし新たなビジネスモデルを見出すような「経営」は,まず出来ないだろう.学長と理事長を分離し,経営の責任・権限を理事長に置くようなシステムが必要ではないか?先生方に経営は無理だろう.
3) 部局内序列の呪縛
 埼大の場合,教養学部には部局内序列などというものは無いのであるが,他の部局は違うな,という感触を受けたことがある.教育学部は部内序列が明確だった,と思う.問題は理工研なのである.理工で一緒か,理と工で別かはどの時点の話かによるが,理工は部内序列が明確で,序列トップ以外を学長候補にしないような雰囲気を感じた.そこが厄介なのである.
 私が間違っているかも知れないが,例えば,法人化前に選挙で選ばれながらその後で問題の申立てがあって学長を辞退された先生がおられた.A先生としておこう.そのときはA先生の出身学部の理学部がとある問題を申し立てて難色を示した.が,私には,A先生が理学部内の序列がそんなに高くないことが真の理由であるように見えた.この件は物証はなく,私の勘違いかも知れない.
 田隅学長のときの学長選考で上井先生が新学長に選出されたときのことである.その頃,工学部長だったB先生が主導して学長をどうするかの話し合いが部局長間で持たれたのである.このとき,教養学部長の関口先生や,経済学部長の上井先生は,もしB先生が学長選考に手を上げればB先生を推す意向があったと思う.しかしB先生は学長に名乗りをあげることはなく,ために候補者選びが遅れた.B先生が名乗りを上げない理由は後に理工側と候補の一本化の話し合いをする中で浮かび上がった.理工には理工の序列がある.しかし文系側は合意形成に誰がよいかと考える.その食い違いがあったのである.そのときは何とか上井先生を候補とすることで落ち着いた.しかし理工の序列問題は後に尾を引いたように思う.
 部局内の序列は部局間で合意を作る際にハードルになることもある.

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北大総長解任経過は野次馬の私にどう映るか?

 解任された北大の前総長が国と北大を相手に裁判を起こすらしい.野次馬に過ぎない私にこの件がどう見えるかを以下で書いてみたい.ことわっておけば,この件は判断し難い経過を辿っており,何が正しいかを判断する客観的な根拠を私は持っていない.北大にいれば分かるだろう情報も持ち合わせていない.私の主たる情報源は北大職組サイトである.だからこの記事でいいたいのは,「部分的な情報が私の脳内でどのような像を作ったか」であり,しかも私一人の受け取り方である.

国立大では珍しい上層部内の内ゲバ

 結構多くの大学でお家騒動,つまり上層部内の争いが起こってきたように思う.ただ,その種のお家騒動は普通は私立大学での話である.失礼ながら,起こっている大学名を見ると「まあありそうだ」と思うことが多かった.
 しかし北大は国立大,それも名門の国立大である.だから目立つ.
 国立大学で起きる騒動の多くは,経営陣=執行部と教員の間の論争であるように思う.現状の国立大学は,法人化前の「親方日の丸自主管理組織」から普通の経営体への転換期にあるだろう.従来の自主管理組織理論からすると「親方日の丸で大学は安泰という前提で学内民主主義を守る」という理屈になるが,大学法人の組織そのものの法的な在り方はむろん自主管理組織ではない.大学の経営陣が経営体としての体裁を整えようとする一方で,一部教員が自主管理組織でなければならないと叫んで対立し,左派系マスコミが自主管理派を応援する,という構図が,このところあちこちの国立大で起こってきた.
 しかし北大の例は,上層部内での内ゲバである点で,国立大学としては珍しい.

陰謀めいて見える前総長解任

 北大の総長解任の話がメディアに出たとき,私は少しネットで調べた.「陰謀で解任されたように見える」が私の第一印象だった.むろん根拠はない.そう見えてしまうというだけである.
 8月に,このブログで北大総長解任劇に言及した.この解任劇について私には理解しがたい点は次のブログ記事にまとめてある.

北大総長解任劇を見て笑うべきか泣くべきか?
北大総長解任劇は何が妄想を掻き立てるのか?


 この記載ではもっと単純にいってしまおう.前総長には約30件のハラスメントまがいの不適切行為が指摘された.既定のハラスメント処理や公益通報のルートで告発が出て,審議の結果問題ありとされ解任されたなら,「ありそうな話」で終わる.が,既定のルートを経ずに告発情報が学長選考委員会にもたらされ,既定のハラスメント処理を経ずに学長選考委員会が調査して不適切と判断して解任を決めている.だから前総長を解任する目的で選考委員会なり事務局が前総長の身辺調査をして解任に持ち込んだのではないか,という印象になる.しかも指摘された不適切行為はどれ一つとっても学長を解任するには不十分であるので,数を揃えたような印象になる.
 身辺調査結果は自然に集まったようではなく,組織的に調べた結果に見える.自然に集まるならかなりの数の告発が既定のハラスメント対応部署を経るはずである.あるいは組合に苦情が集まりそうに思う.
 もし組織的に身辺調査をするなら会計上の不正があったかどうかをまず調べるだろう.会計上の不正があれば,悪質さにもよるが,普通はそれ一つで解任できる.が,会計上の不正は見つからなかったのだろう.セクハラ,パワハラの事例があれば同様であるが,なかったのだろう.だからパワハラより要件の低い「不適切行為」を,1つではダメなので集められるだけ組織的に集めたのではないか? 事実は分からないのであるが,この経過を見るとそんな風に見えてしまう.

親方日の丸体質に見える

 この総長解任劇を見ると,その舞台である大学が大阪市役所のような親方日の丸組織であり,だからこそ外部からは理解しにくい展開になるのではないか,という印象を抱いてしまう.
 まず事務局が強そうである.国大協の資料を見ると,大学の教員数に比して職員数がかなり多い.手を付けることが無理なほど強いのではないか? そしてその強い事務局が総長解任を主導した格好になっている.大阪市役所が大阪市長に平気で対立する闇の構図を連想させる.
 全大協系(日共系)の組合も強そうなのだ.北大職組のサイトは大したものである.頻繁に記載が加わっており,活動の種類も内容の水準も高い.そして組合の質問への総長候補者の回答を見ると候補者は一様に組合の意向に忖度している感がある.総長選出の意向投票への影響力も強いのだろう.この点も親方日の丸組織の目安であるように見える.
 また,経営陣つまり理事等の配置を見ると,学長が動ける体制でもなかったように見えた.埼大であれば新任の学長は筆頭理事に自分の友軍となる教員を指名する.事務方も多少は新学長に配慮した配置になる.そうでなければ学長としては動けないからそれでよい.しかし北大前総長の場合,理事の中に味方になる人がいたようには見えない.要するにトップが思うように動くための手足がない配置になっていたように見える.それではガバナンスは伝統的な談合に委ねられるような気がする.
 以上の点は親方日の丸組織の兆候に見える.親方日の丸組織は,うまく回ればみんな仲良しの組織であろうが,一つ間違うと伏魔殿になりかねない.そんな中で前学長はもがきながら職務を遂行しようとしたかも知れない.だから事務方と諍いを起こすような結果になっているのではないか,などと私は連想してしまうのである.

退路を塞がれた前総長の意地
 
 普通,上位者を解任する場合,自発的に職を辞するように工作するのが上策である.埼大の場合も,昔,学長選挙で当選した人を学長から排除するという事態があった.その是非はおくが,その折は当選者の先生に自ら辞退して頂いていた.この方法が常道である.追い込んでしまうと窮鼠猫を噛むかも知れず,リスクも大きい.
 しかしこの総長解任劇では,前総長の退路を断って追い込んでしまったような感がある.前総長がいったん辞表を出したのに,大学側(総長代行側)がなぜか辞表を受け取らなかったのである.この点は不思議な展開なのだ.前総長は体面を保って職を辞することができなかった.恨みが残って不思議はない.
 この経緯を考えると,前総長が裁判に訴えようとする気持ちはよく分かる.人には意地というものがある.

巻き添えを食らった文科省

 私は普段,文科省をよく思わない.けれど,前総長が提訴した件では文科省は気の毒だなと感じる.文科省は北大から出た解任の申請を処理し,最終的な判断をしないといけなかった.大筋で北大の申請通りにしたのであるから,そこから先は北大が手前で尻を拭けよ,というのが本音だろう.しかし手続き上は裁判で矢面に立たざるを得ない.
 北大の解任申請後の文科相記者会見を私はよく眺めていた.文科相が気にしていたのは北大で総長が長く宙ぶらりんのままであることであり,その点を早く解消したい,ということだった.前総長の解任を認めれば北大は正常軌道に戻るけれども認めなければさらに混乱が続く訳だから,文科省としては解任する方向で調整したい動機づけが働いて不思議はない.どのみち,騒動が起きたときのトップには責任をとってもらうしかない.
 解任を決めた結果,前総長側からは文科省と北大執行部が協力したように見えたことも,仕方なかったろう.
 前総長は解任された後,文科省が解任ありきで動いたと主張している.また,前総長の下で加計学園獣医学部に否定的な発言を用意したので解任された,という趣旨のこともいっていた.
 しかし,この前総長の言は当てはまらないように思う.文科省が省として特定大学の学長を解任する工作をするというのは考えられない.天下り先が増えるのなら別かも知れないが,そんなことをする動機はない.また,加計学園の獣医学部のことは,既得権を守ろうとして既存の獣医学部はみな潰したがっており,北大ももとより反対に決まっていた.だから北大の反対など文科省には関心がなかったはずである.そもそも,本音では文科省は加計学園の獣医学部を潰したかったから,反対してくれれば内心は嬉しかったろう.
 省として文科省が公平であっても,個人レヴェルでいうと,北大にいる文科省お役人の北大事務局高官と本省の担当官とは人的なつながりがあって不思議はない.だから文科省の担当官が前総長解任の方向で動いたという可能性がないともいえない.こうした可能性は片方の当事者が文科省から来ているという事情から,どうしても生じてしまう.

北大の立場

 北大は大学の決定として前総長解任の申請をしている.だからその申請が間違っていたと今さらいうことはできない.間違いだとすれば,新総長の決定など,前総長解任後に決めたことを今から修正する術が果たしてあるのか? 混乱は長引く.文科省を裏切ることにもなる.
 裁判の場合,北大は新総長の責任で動くことになるのだろう.新総長は前総長解任には関与していないし,総長選考時点では真相解明の必要性を表明していた.それが急に,解任は適切であったという立場になれるものかどうか,その辺は見どころのように思える.ただ「解任は適切」という以外にないのが北大の立場だろう.
 裁判になって北大執行部が「解任が正しかったかどうかは調査しないと分かりません」などといい出したら,野次馬的には面白いけれど,対外的には相手にされなくなるだろう.
 北大としては第1に,新総長に旧来の立場への理解を求めるのだろう.第2に,組合などは真相究明を要求していたという事情があるから,対内的に「解任は適切」という立場の説明を再度行うことになるのだろう.前総長解任時点での総長代行が新総長になったなら,その辺はより簡単だった.

 裁判がどうなるかは私は no idea である.忘れた頃に判決が報道されるのではないかと思う.

追記(2020/12/11)

 12/10の夜になって,一部のメディアで札幌地裁での提訴のニュースが出ていた.予告通りだった.ついでに関連のニュース記事を眺めて2つの点が気になった.

 1つ目.文科大臣が記者会見で裁判について問われ,「大学との調整したので問題ないと思う.」と答えていたらしい.この大臣発言は私がネットで見ていた大臣記者会見の一幕であったかも知れない.しかしこの言い方がちょっと気になる.

 第1に,北大と調整したというけれど,北大が文科省で伝えていなかったことが出て来たらどうなのかね?

 第2に,この点が大きいが,「双方から事情を確認したので問題ないと思う」ではなく「大学と調整したので」といっているので,北大の解任を求めた側と文科省が協力しているという言い方になっている.片方にあからさまに肩入れしたようなことをいってよかったのか?

 2つ目.ある記事によれば,北大の現総長さんが解任手続きは問題がなかったと発言しているらしい.総長選挙を前にして現総長さんは候補者として調査の必要をいっていたのであるが,意外と簡単に手のひらを返してしまったな,と思って私は笑った.解任手続きが問題ないと選挙のときにいっていれば,たぶん現総長さんは選ばれなかったろう.また,解任が正しければ総長に選ばれるのはその時点での総長代行でよかったのである.北大の民度もそんなものなのか.やはり学長選びに選挙をするのは馬鹿げているのではないかと思わせる一コマだなと感じた.

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北大前総長による提訴で現総長はどうするのかw

 北大の前総長は不適切な行為を理由に6月末に解任された.その前総長が,北大と国(つまり文科省)を相手に提訴する(予定)というニュースがメディアに出た.前総長側の弁護士が記者会見しているので,まあやるのだろう.提訴するというのは前総長が予告していたことだった.けれども,本当に提訴するかどうかは私は疑問だった.エネルギーも使うしお金も使う.何よりも北大の騒動を長引かせることになるから,北大愛があれば提訴を控えることも選択だと思った.しかし提訴するという.よほど腹に据えかねたのだろう.野次馬的には面白いが,国立大学の立場からすると暗くなる話かも知れない.
 裁判となるとまず当事者間の協議があるように思う.しかし手続きの瑕疵を争うようなので,協議で折り合えるとも思えない.
 文科省は受けて立つ以外の選択はない.まさか「確かに手続きがダメでした」とはいえない.もし「ダメでした」といったら解任後に決めた事柄の始末をつけようがなくなる.組織をあげて争うだろう.
 北大は,文科省と異なった立場はとれる立場ではないだろう.何より,前総長解任は北大から文科省にお願いした形なので,解任の責任は文科省以上に北大にある.だから普通なら,北大は文科省と並んで裁判で争う立場である.普通なら.

 ここで面白いと私が野次馬的に思うのは,「現総長さんはそうするのかね?」という点である.
 現総長は前総長解任後の総長選考で選出され,文科省に承認された.だから今さら前総長が復権するような流れは嫌だろう.しかし,総長選考時では,総長代行以外の2候補者は,現総長を含め,前総長解任に至る経緯の解明の必要を口にしていたのである.3人の総長候補者に提示された北大職組からの質問には解任の真相究明に関する質問が含まれ,その質問に現総長は次のように回答している.

本件は、全体として、私を含めて北大の構成員が納得できる解明がなされていないことについて、同感です。訴訟への進展も含めて、扱いの難しい案件であることは事実です。しかし、北大の名誉、北大の一般職員の利益、北大の学生の利益が損なわれない方向で、可能な限り、全体像の調査を考えています。

 北大職組は現総長の就任後も総長解任の真相究明を現総長に求めている.現総長に真相究明の意思が本当にあるなら,就任してすぐに解明に乗り出したろう.しかし調査の件は曖昧にしている.やる気はなかったのだろう.ここで前総長による提訴の事態となった.前総長の提訴の可能性は周知のことだったから,もし現総長に手を打つ意思があれば,すぐに事情を確認するとともに,前総長と話し合うことも選択肢だったろう.しかし報道を見る限り,現総長は何もしなかったようである.
 常識的にいえば,提訴された北大は文科省とともに「解任は妥当であった」といって手続きの正当性を主張するしかない.解任が不当であるなら,現総長の選出を含め,学長解任後に大学として決定した事柄はどうするのか? そう考えれば北大は「あの解任は手続き上も正しかった」というしかない.「真相を究明します」というのは「正しいかどうか分からない」ということであるから,真相を究明しますという現学長の当初の立場と,裁判で争う北大の立場とは相容れない.
 そもそも前総長解任を申し出て文科省を引き入れながら,今になって文科省の梯子を外して自らを行司のような第三者の立場に置くことなど,文科省が許すはずはない.
 組織は,いったん外部に表明した立場は,トップが変わっても履行する責務を負う.大統領が変わったから前大統領が結んだ条約には拘束されない,などといえないのと同じである.トップを目指すなら,それまでの執行部が表明した事柄を引き継ぐ覚悟をしないといけない.仮に「前総長解任が正しいかどうか分からない」というなら,批判者の立場を貫くべきであり,トップになろうと手をあげるのは間違いだった.それでもトップに就くなら,面倒で時間のかかるプロセスを経る覚悟が必要になる.
 北大の現総長は,「全体像の調査」という総長選考時点での意向の手のひらを返し,「前総長解任は正しい」と表明することになるだろう.今後の見どころは,本当に現総長が手のひらを返すか,どの時点で手のひらを返すか,何といって手のひらを返すか,である.
 「手のひらを返す」でよいと私は思う.大学が解任の決定をしたことは今さら動かしようがない.真相は裁判で解明されるべきであり,それでまずい結果になったら組織として責任をとるだけである.

 総長選考の時点で,北大職組は3人の候補者に質問を提示している.その回答を私は以前に眺めたが,候補者はほとんど職組の質問にYesで答えているのが印象的だった.北大職組のサイトを見ると,埼大の組合に比べて北大の組合は活動量が多いと感じた.それだけ北大では組合が強いのだろう.また,意向投票の票数を見たとき,北大の教職員数の割に票数が少ないと感じた.埼大の方が投票率は高いように思う.もしそうなら,意向投票結果は組合シンパの組織票の決定力が強いことになる.それだけの観察に過ぎないが,北大の総長選考は全大協系(ほぼ日共系)の意向が反映されやすいよう見える.悪くいうと経営の独立性がないのである.
 大学の経営が教職員の意向から独立して経営の観点で行えるように改変することが,現状の大学には必要なことである.そうでなければ社会の中で大学が責任ある動きをできない.民主主義は全体の社会では必須であるけれど,組織では正義とはいえない.
 対比するなら,埼大の組合は適度な存在のあり方をしていると評価すべきかも知れない.

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今年アクセスが多かった2つの記載(Conbrio)

 このブログConbrioで今年アクセスが多かったのは次の2つである.今年はまだひと月近く残っている.が,この上位2つが抜かれることはないと思う.

1位:北大総長解任劇を見て笑うべきか泣くべきか?(8月)
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2020/08/post-ff5b03.html
2位:埼玉大学は左翼の巣窟か?(11月)
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2020/11/post-093833.html

 アクセス数で見るなら,このブログでは記載による差はあまりない.多いというのは,通常はアクセスしないような方のアクセスがあったからだろう.上記は題名が週刊誌的である点が共通である.

 第1位は全国初の国立大学の学長解任劇の話である.ニュースを見ながら不思議に思ったことがあった.ネットで分かる範囲のことを調べたら,やはり変な展開だと思えたために書いた.どなたがアクセスしたのかは分からない.北海道からもいつもより多くのアクセスがあったけれども,北海道から多かったとはいえない.
 こんな記載を書いたけれども,やはり「実際は何が問題だったのか?」は私には分からなかった.大学での騒動など,所詮は愚かな話であろうと思う.研究者は研究と教育に専念するのが正しい.なお,この件で総長を解任された名和前総長が,国と北大を提訴するというニュースが本日(2020/12/03)流れた.

 第2位はネットでサーフしているうちに「こんな分析は簡単にできる」と浮かび,簡単な分析をして急ぎ書いた記事である.全部の手間が2時間くらいだったろう.埼大を論じることは意図ではない.ただ煽情的なタイトルにしてみただけである.
 見込みでものをいって恐縮だが,各大学の教員の文系比率を求めれば,左翼の程度は文系比率と強く相関するだろう.私の直感では,(都会の)私大の方が国立大より左翼感が強い.文系が多いからだろう.

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知識集約型社会を支える人材育成事業

選定結果

 文科省による「知識集約型社会を支える人材育成事業」公募の選定結果が公表されたことを,リアセックの灘さんのfacebookで知った.この公募については私も気になっていて,お節介を承知で現教養学部長殿に「申請を出したら?」という趣旨のメールを以前に送っていた.頂いた返事では全学側も積極的だと聴いていた.公募の趣旨はAI・データサイエンスといったことに全学的に取り組めということと思えた.埼大もその方向を以前に検討しただろう.せっかくだから申請したらどうか?と思ったのである.
 AI・データサイエンスというかICTというかは分からぬが,その方向を全学的に目指すことは特に,教養学部のような文系学部に意味があると私は思っている.教養学部は良い教育研究をしていると思う.しかし学生の就職先を見ていた私の経験では,学んだことをそのまま生かすようなところにはほとんど就職していない.正直いって今のままでは戦力になり難く,労働市場で買い手が付きにくくなるという懸念を私は持っていた.社会の変化に応じて益々懸念が強まるように思える.
 文科省が公表した結果を見ると埼大は採択されておらず,さらに申請状況を見ると埼大は申請もしていなかった.予想の範囲であるが,あれま,と思った.
 いろんな理由が考えられようが,まあ例によって労力配分の合意が付きにくかったのかな,と勝手に思った.ただ,全学生に必修を課す体制が整えられないとしても,意欲があれば全学部の学生が参加できるプログラムは作れたろうに,という気がした.
 この事業は,金額的には大して旨味はないのは分かっている.しかしやれば実質的な意味はあるから,金額が低くてもやってみたら,と思えた.
 このような予算の公募は一時期より少なくなった印象がある.もう段々となくなるのかも知れない.はっきりいってこの種の予算は文科省によるバラマキであり,次第にバラマキをする段階でなくなるかも知れない.だからもらえるうちはもらった方がよい.多少でもお金があれば普段はできないことで冒険ができる.経験値も上がる.

結果は意外

 文科省サイトの選定結果を見てみると,私には意外に思えたことが2点あった.
 第1は,採択されたテーマが結構バラバラで,私が当初考えたAI・データサイエンスといった計画ではなかったことである.印象としては何のテーマでもよかったように見える.これだと,何かの申請で落ちた計画や,作ったけれども日の目を今まで見なかった計画をあらためて集めたような印象である.この選定でよいなら「知識集約型」なんていうなよ,と思った.題名だけを見ての判断であるが,落ちた申請の中にAI・データサイエンスの方向性を持った申請があるのが,何となく変だなと思える.
 第2は,思ったより申請が少なかったことである.特に私大については,そういっては失礼だが,ICU(落ちた)を除けば有名どころや大手の申請がない.この点は金額的な旨味が少ないことによるのかも知れない.
 印象としては,かなり盛り下がった公募だった.

文系学生の使い道

 お金がもらえないとしても,埼大はAI・データサイエンスの基礎を教えるプログラムを全学的に展開した方がよい,と私は思う.将来の人材需要は明らかであり,旧来の伝統的ホワイトカラー職種はAI(と呼ぶかどうかも問題はあるが)にとって代わられるからである.ただの文系では生きられない.従来の専門を維持しながらも,副プログラムのような学びをする必要があるだろう.
 AI・データサイエンスという言葉に比して初歩的過ぎる問題の例で恐縮だが,私の経験を1つ述べておきたい.
 教養学部では2010年頃まで,同じ授業を専修ごとに別の授業名・講義番号を付けていた.そのため,学生に登録する講義番号を間違わないように指示する必要があり,成績提出も講義番号別という不便があった.なぜそうするのかは私には長く不可解だった.当時は学務業務の主のような先生がおられ(その先生は実に公平無私な方であるのはよく理解しているが),その先生の趣味かな,と私はずっと思っていたのである.
 私が学部長になったときにカリキュラム改訂をして,同じ授業なら授業名・講義番号を一本化することを含めて,計画を教授会で通した.米国大学のカリキュラムならそうする.教授会で通した後に学務係には,忘れないように念を押してみた.
 しかし時の学務係長は「それでは卒業単位の処理ができない」という.コンピュータで卒業判定をするのに,専修別に講義番号がないと処理できない,というのである.私の常識では,コンピュータ処理でそんな問題が生じるはずはなかった.
 例えば,通常のプログラミング言語では変数に集合型がある.その集合にある対象が属するか否かを判定する関数は標準でついており,その関数がもしなければ作ればよい.だから例えば,現代社会専修の基礎科目群の授業でどの科目が卒業単位になるかは,その科目群の卒業要件の集合に科目番号を入れればよく(履修表を見ればすぐできる),どこの専修の科目であるかなど関係ない.同じことはリレーショナル・データベースでも必ずできる.
 という訳で,私と学務係長との間で,できるできないで押し問答になった.決着がつかないので,学務電算処理の神だった三浦さんに来てもらって話をきいて頂いた.三浦さんが「学部長が正しい」といってくれたのでやっと決着した.
 ということは,教養学部で同じ科目を専修ごとに科目名・講義番号を付けるという,長く続いた慣習は,実は誰かの特殊な趣味だった訳ではなく,コンピュータ処理に関する誤った認識が長く学務係で受け継がれた結果だった,としか考えられない.
 だから,まあ,プログラミングくらい知っていないとまずいよな,と私は強く思った.
 現状で伝統的なホワイトカラー職種の仕事は機械に置き換わりつつある.ここで問題は,現場の人が機械にやらせる作業をコンピュータに移行するときに,作業のシステムのイメージを持てるか,という点だろう.ネットを見ていたら,確定申告で使うe-taxは2000年頃に自分が作った,と高橋洋一がいっていた.プログラミングが得意な彼は,確定申告の作業をコンピュータにやらせるときの全体作業がイメージできたということである.彼が自分でコードを書いたかどうかは分からぬが,全体のフローチャートに当たる概念図を頭に描けた,ということである.
 日本はコンピュータへの移行がすごく遅れているけれど,その主たる原因はそのイメージが持てない者が上司であり,移行を妨げていることだろう.e-taxの場合は,学務情報の処理と同じで,利用者がデータを入力し,簡単な計算をするだけのシステムだった.が,今後は,既存データに学習機能を働かせるシステムに移行するのだろう.法律や会計の業務はコンピュータに移行しやすい部分なので,そういった伝統的な文系領域の知識を人間が実際に使う機会は少なくなる.必要なのはコンピュータや今後導入されてくるAIの作業のイメージを,現場の人が持てるかどうかになるように思う.全部外部発注,というのは無理なのである.実際のコード化は外部に委託するにしても,基本システムの大まかな設定は現場の人がやるしかない.現場にそのセンスがないと組織は機能しなくなる.
 だから,ド文系の課程でも情報系の教育をしておかないと危ないよ,と私は思う.

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「自助」批判という笑い種

 旧聞に属する話で恐縮だが,菅首相が就任時の会見で「自助」という言葉を使ったので立憲民主党の党首(枝野)などが批判するということがあった.菅首相は具体的で否定しがたい政策を並べたので,政策について批判することがなかった,そこでどうでもよいことを批判してみたのだろう.枝野氏も民主党時代に「自助」といっていたという動画がすぐに流れ,この件は笑話で終わった.自助がダメだといったら,社会主義にしてみんな仲良く貧しくなる以外にないから,自助批判というのは正気の沙汰ではない.
 ただその頃,この「自助」批判が結構あったのは事実と思う.やれやれと思って私は眺めていた.google を開いたときに私のiPadに学者の批判記事らしいのが配信された.あらためて検索してみたが,次の記事だと思う.
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/278859
記事を見ると批判しているのは埼玉大学経済学部准教授殿とあるから,重ねてやれやれと思った.おそらく,私のiPadの位置情報を使って埼玉県にゆかりの記事を配信したのだろう.後から思えば,埼玉大学は左翼10傑の面目躍如だったのかも知れないw.

 自助批判の何がおかしいのか.例えば,であるが,上記の埼大准教授殿の記事では次のようにいう.

>スローガンのメッセージをそのまま解せば、公助、つまり、
>政府の役割は限定していくので期待しないでくださいと
>いうことでしょう。

この言い方はよくあるのであるが,発想が素人過ぎる.間違っているのは政府の役割を公助に限定していることである.今日の主要な民主主義国の経済政策は雇用の確保(失業率の抑制)を最優先するのが普通だ.その普通の,当たり前のことを我が国で最初に,アベノミクスと称して明示的に行ったのが安倍政権である.だから安倍政権になってすぐに株価は上がり,雇用が上昇し,学生は就職しやすくなった.雇用の確保とは「自助する人を増やす」ことに他ならない.自助する人が増えてはじめて,ほんとうに援助を必要とする人に多くを援助できるようになる.つまり自助こそは公助の基礎である.そして自助する人を増やす経済政策をうつことが政府の最重要課題である.そうでない場合の選択肢は社会主義であるが,社会主義にするともっと悲惨であることは歴史の教訓だろう.
 ふと,ふた昔前の田隅学長のことを思い出した.田隅学長という方はいろいろ悪口をいわれた学長さんであり,実際私も散々悪口をいった.特に田隅学長の式辞がつまらないと,主に教育学部の先生方からいわれていた.教育学部では校長先生が感動的な演説をしなければならないという発想があるから,商売柄,そのような点が気になったのかも知れない.1つのエピソードは,卒業式で田隅学長が「税金をちゃんと払え」などと変なことをいっていたと揶揄されたことである.脈絡もなく式辞で税金を払えといったとすれば,そりゃ変である.
 ただ,そこは田隅学長の発言の一部を,マスコミ的に,切り出して難癖をつけたのではないか,と私は想像するようになった(根拠はない).卒業する学生に向かって,これから社会に出て自立して行ってほしい,自立していれば,税金を払うから,それで皆さんは自然と社会に貢献するのである.大事なことは志をもって自立して行くことである.頑張れ.といったことを田隅学長は述べたのではないのかな,と,私は好意的に思うようになった(齢をとって丸くなる高木).

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日本学術会議「軍学共同研究反対」のベラボー

 表題の表現には若干のウソがある.「軍学共同研究反対」といういい方は,日本学術会議が出した声明を根拠に大学・研究機関に防衛装備庁の研究費公募をやめさせるよう圧力をかけている日本共産党系の団体のいい方である.学術会議が使った言葉そのものではない.ただそれらの団体と学術会議は結果として一体で動いた訳であるので,分かりやすさのために表題のように表現にした.
 日本学術会議は「軍事的安全保障研究」に否定的な声明を出している.この声明はベラボーなものと私は思っている.私見では,ベラボーなのは 1) 科学技術政策,2) 学問の自由の侵害,3) 国民の安全への効果,4) 政治手続き,の4点においてである.

1) 科学技術政策としておかしい

 正確にはややこしいのであるが,簡単にいうと日本学術会議の立場は次のように変遷してきた.日本学術会議は終戦直後の1950年に「戦争のための研究をしない」旨の声明を出した.この声明は後に「軍事研究をしない」に変化し,「軍事」の中には「防衛」も含めることにしてしまった.そして軍民共用(Dual Use)の研究もダメとした(少なくともそのように解された)のが2017年の声明である.
 軍民共用の研究を問題にし始めたのは2015年に始まる防衛整備庁の研究費公募(安全保障技術研究推進制度)がきっかけだった.日本学術会議はこの公募への応募を禁じるように動いたのである.
 安全保障技術研究推進制度は,防衛省の予算から研究費を出す制度であるが,公募する研究テーマは軍民共用であり,しかも基礎研究だった.だから常識的には軍事研究ではない.その研究を日共系団体は「軍事研究」といって指弾してきた.しかし,実際の公募研究テーマは次のようなものなのである(ある年度の公募テーマであるが,別の年度でも感じは変わらない).「軍事研究反対」と叫ぶ方々(主としてアホな文系教員)はその辺を見ていないだろう.

(1)量子通信・量子暗号に関する基礎研究
(2)ソフトウェア耐タンパー技術に関する基礎研究
(3)意図的に組み込まれたぜい弱性に対するサイバー防護技術に関する基礎研究
(4)人と人工知能との協働に関する基礎研究

(28)革新的なモータの実現に資する基礎研究

 これを「軍事研究」というか? 科研費でも応募できるテーマである.
 学術会議会員への任命見送りの件に関し北大の事例が話題になった.軍事研究として日共系団体から非難され,研究辞退をするに至った北大の研究の話である.その研究は次の研究である.

課題名:マイクロバブルの乱流境界層中への混入による摩擦抵抗の低減
概要:本研究は、水槽実験及び数値解析を通じて、マイクロバブルコーティングによる船体の摩擦抵抗低減効果のメカニズム解明を目指すものです。
(https://www.mod.go.jp/atla/funding/kadai/h28kadai.pdf)

船体の摩擦抵抗低減というから,自衛艦にも使えようが,使途が一般の船舶と共通なのは明らかである.
 この北大の研究については,最近,ある YouTube 番組で,辞退後に科研費で採択された,という話を聞いた.調べると事実であるようだ.
(https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/37_topics/data/00044-10101-80273001.pdf)

防衛装備庁でなくても科研費でも採択されるような普通の研究なのである.日共系団体が辞退に圧力をかけたのは,狂っている.
 最近では,筑波大学でその筋の団体が「軍事研究」だとして辞退するように圧力をかけていた件が話題になった.ターゲットになった「軍事研究」とは次である.

課題名:高強度CNTを母材とした耐衝撃緩和機構の解明と超耐衝撃材の創出
概要:本研究では,破壊緩衝現象の計算解析,実験的なナノレベルでの破壊現象の計測解析及び複合CNT材料の合成を通じ,耐衝撃緩和機構の学理的な解明を行うとともに,次世代炭素系超耐衝撃材を創出します.
注 CNT:Carbon Nano Tube(カーボンナノチューブ)
(https://www.mod.go.jp/atla/funding/kadai/r01kadai_2.pdf)

常識的には普通の基礎研究である.こういう研究がその方面の団体が「軍事研究」といってやめさせようとしていたのである.いかにアホなことか.

 理工系の方であれば経産省が安全保障貿易管理といって多くの品目の輸出規制を行っていることをご存じだろう.埼大を含め,大学はこの安全保障管理にしたがって規制をしいている.
http://www.meti.go.jp/policy/anpo/seminer/shiryo/setsumei_anpokanri.pdf
この安全保障貿易管理で輸出規制がかかる品目は実に多い.規制の1つであるリスト規制でリストアップされる品目の大カテゴリーだけ並べると次のようになる.

1.武器 2.原子力 3.化学兵器 3の2.生物兵器
4.ミサイル  5.先端素材 6.材料加工 7.エレクトロニクス
8.電子計算機 9.通信   10.センサ  11.航法装置
12.海洋関連 13.推進装置 14.その他 15.機微品目

もともと軍関係で発達したコンピュータ,原子力,計測機会,GPSを始め,分野として「工学」,「材料科学」の技術を使う品目は網羅される.規制する技術を何と定義するかによるが,「軍事につながる」という基準で考えれば,主要な科学技術の多くは含まれる.
 軍民共用がダメというならそれらの品目に関わる研究ができない.それでは日本の国力にどれだけ大きなダメージを与えることか.
 日本学術会議の声明は,科学技術政策としてあり得ない.

2) 明確な学問の自由の侵害

 学術会議と日共系団体が行った「軍事技術禁止」の方針はあきならに学問の自由,研究の自由の侵害である.なぜそんなことをしてよいと考えたのか,その神経が理解できない.
 むろん世の中にはルールがあるから,なんでも自由とは行かないこともあるだろう.しかし自由を侵害するのであれば,国民の代表が作る国会を経た法律(ないし民主的に選ばれた政府の出す政令や省令)による以外にない.日本学術会議はショートカットして各研究機関に圧力をかけるのではなく,日本共産党に頼んで「軍事研究禁止法案」を国会に提出することを考えるべきだった.
 なお,学術会議は「軍事」という点以外にも,政府が研究に介入しているとか研究が不便だという点を防衛装備庁非難の論拠として挙げている.しかし公金を使うなら中間評価があるのは自然であり,その点を持って政府の介入というのはおかしい.研究に不便があるという点は防衛装備庁も改善している点であるが,不便だからやめるかどうかは申請者本人が判断することことである.製品購入は消費者の判断であり,「この製品は不便だから買うな」というのは余計なお世話であるのと同じである.
 日共は大学等で勢力を植え付けてきた.その象徴が大学の教職員組合が全大協(ほぼ日共系)傘下であることである.彼らは,憲法上は一言もない「大学の自治」を,憲法に言及がある「学問の自由」に由来するという無理な理屈を作ってきた.「大学の自治」とは社会の大勢に自己の勢力が従わないでよいというための方便である.しかし学問の自由とは,本来は学問する個人の意思の尊重である.手段として「学問の自由」を使ってきた日共系は,学術会議の声明によって本来の学問の自由を侵害することを平気でやってしまったというべきだろう.この点は共産主義者(つまり全体主義者)の宿命だろう.

3) 平然と国民の安全を危険に晒している

 日本学術会議の声明がベラボーなのは,中国が異例の軍事費増大を背景に日本近海を脅かし,北朝鮮が日本方面にミサイルを撃って威嚇する時期に出ている点である.学術会議は日本の主権を棄損し,国民の安全を脅かして北朝鮮や中国を支援していることになる.
 学術会議は何を考えているのか?と私は以前はいぶかった.科学者は協力しないから,国民は竹槍ででも国防しろ,ということか? しかし科学者が国防に協力すべきでないとすれば,国民も国防すべきでないという結論になるしかないだろう.昔の社会党のように,学術会議は非武装中立論なのか?
 しかし,菅首相が学術会議会員の何名かの任命見送りを決めたことで,私もやっと気がついた.任命を見送られた学者がテレビに出てきて,軍事による安全保障ではなく対話による安全保障といっていたらしいからである(私はテレビを観ないので,YouTube番組による).確かに,軍学共同反対といって騒いでいる集団は「軍事による安全保障ではなく対話による安全保障」という趣旨のことをよく書いている.そして何より,日本共産党がいろんなところで「軍事による安全保障ではなく対話による安全保障」と表現している.考えてみれば,日本学術会議がいい出した「軍事的安全保障」という聴き慣れない言葉そのものが日本共産党用語だった.日共の指令で学術会議もその筋の団体も動いているということだろう.
 「軍事による安全保障ではなく対話による安全保障」といういい方は詐術的なレトリックである.詐術の核心は「軍事による安全保障」と「対話による安全保障」を排他的な選択肢であるかのようにいう点にある.国と国の関係には「対話」も「軍事」も,選択肢として常にある.いろんな選択肢があることを前提にした展開形ゲームとして国と国の関係は描ける.「侵略に対して軍事的に有効に反撃できる」という能力がなければ,対話でも主権は守れない.中国やロシアの周辺を見れば明らかである.この何十年もの間,東南アジア諸国が軍備を整えてきたのも,中国の桁違いの軍事的膨張に対処するためだった.
 「侵略に対して軍事的に有効に反撃できる」ためには,素材や機材の基礎研究を含めた科学技術の優位性が確保されねばならない.その優位性を阻止して北朝鮮や中国を利するのが学術会議の真意だろう.朝鮮戦争時に日本共産党が行った火炎瓶闘争と同じことを,学術会議やその筋の団体は今やっている.許してよいことではない.
 
4) 政治手続き

 「軍事的安全保障」研究に関して学術会議がとった手続きが,私には大変奇異なものに映る.学術会議は提言や勧告をすることを通常の業とするから,安全保障についても,意見があるなら政府に提言なり勧告をするのが普通の動き方だった.ところが学術会議は提言や勧告の形をとらずに直接研究機関に働きかけてしまったのである.
 学術会議の声明は現状で政府がとっている安全保障政策とは異なった方向性を持っている.しかも学術会議の声明がもたらす効果を得るのは,研究者に限らず国民一般である.だから学術会議は彼らの判断を実施するかどうかを国民の判断に委ねるのが良心的だった.国民の判断とは,憲法の手続きで選ばれた政府なり,国民の代表からなる国会の判断である.学術会議の意図は研究の自由を制限するものであるから,国会承認を経た法律か,最低でも政令,省令の形をとるべきだったろう.政府や自民党が取り合わないなら日本共産党に法案提出を依頼してもよかった.しかし学術会議は国民の判断を仰ぐ手続きをスキップしてしまったのである.結果として行ったことは,一般社会の判断を通らずに,日本共産党の支持勢力の多い大学等の世界で問題を処理してしまったことだった.良心があるならこのようなやり方は考え付かなかっただろう.

終わりに

 以上,4種類の観点から「軍事的安全保障」に関する日本学術会議の声明の問題点を考えてみた.この声明の扱いは国民の視点から見直されるべきだろうと私は思う.
 この文章を書きながら,あらためて,日本学術会議の問題は大学,特に国立大学の問題とパラレルであるという印象を私は抱いた.日本学術会議は身勝手な行動をした.が,考えてみると,国(したがって国民)が設置者である国立大学も,公金を使いながら内輪の教職員で勝手に運営しようとしていた,そうすることが正義だといっていた.問題の根は実は同じなのではないかと思えて来る.

 補足として付け加えたいのは,日本学術会議のこの声明は,実は内容が曖昧だという点である.この曖昧さについては,このブログの2018年の記事として書いてある.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2018/09/post-cadf.html
つまりこの声明を正確に読めば,「軍事的安全保障研究」を否定しているのかどうかがはっきりしない.この曖昧さは,声明をまとめる過程で意見がまとまらなかった結果かも知れないし,責任逃れの余地を残す意図があったためかも知れない.しかしこの声明は「軍事的安全保障研究」を否定するものとして受け取られており,社会的には否定する根拠として使われてきた.だからあらためて,この声明の真意が何かは何れかの機会に明確化されるべきだろうと思う.

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米大統領選

 2,3日前に私がネットに入って得た感想であるが,米大統領選につき,トランプ推し,バイデン推しの意見が日本国内で熱く飛び交い,ガラ悪くいがみ合っているように見えた.米大統領は米国民の選択の問題であるから,日本人としては静かに眺めるしかないではないか.日本は米国に強く影響されるから,気にするのはよいのだけれど,選挙権もないのにいがみ合ってまでどちらかを推すというのは滑稽なことである.
 まあそれだけ,米国は日本人にとって身近なものになっているということかも知れない.

 ただ,この奇っ怪な熱さは今回だけかというと,必ずしもそうではないように思う.ふと思い出したのは息子のブッシュ(共和党)とゴア(民主党)が争った2000年の大統領選である.あのときはフロリダで票の数え直しがあった.今ネットで確認すると,その件が決着したのは12月12日であるという.今回がどうなるか分からぬが,2000年の場合も結構長く決着がつかなかったのである.
 その間,当然米国は熱くなっていたと思うが,なぜか日本でも熱くなる向きがあった.
 ふと思い出したのであるが,ちょうどその2000年のもめ事の頃,どことは言わず日本のある大学の3年次編入試験のとある出題単位の入試問題を私は偶々眺めた.時期も今くらいだと思う.その入試問題では読むべき英文が載っていた.目を通すと,「これってゴア側の主張の文章じゃない?」フロリダの票の数え直しのときにゴア側は民主主義原理主義のような論理を展開したのであるが,まさにその文章ではないか.
 まあ,熱くなるのは分かるのだが,入試の問題に片方の主張を出すかね?
 しかしそれだけ,2000年に,熱くなる人がいたのである.

 だから,まあ,今回もしょうがないのかな?と思って笑う私であった.

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埼玉大学は左翼の巣窟か?

安全保障関連法に反対する学者の会

 表題は刺激的だが,注意を引くためである.学術会議関連でネットで検索していると,「安全保障関連法に反対する学者の会」というサイトに出くわした.そういえば,少し前に安全保障関連法がどうしたと騒いでいた時があったなぁ,と懐かしく思った.私が在職中のことと思う.集団自衛権がなんたらといっていたときだろう.私は同僚に,「個別自衛権でも集団自衛権でも,選択肢が多い方が安全は確保できるではないか」と話したのを記憶している.同法案に反対するという発想は私には理解できなかった.
 このページの中にこの会(の声明)への賛同者リストが載っていた.どれどれと見てみた.面白半分に埼玉大学関係者がどれほどいるか検索してみた.結構多かった.出て来る名前はほとんど私が認識している方であり,多くは納得できた.賛同してもよさそうなのに名前が載っていない方も多いなぁ,という気がした.
 ついでに埼大周辺の国立大学で賛同者がどれほどいるかを検索してみた.すると,周辺では埼玉大学より左翼率が高い大学がない.ということは,埼玉大学って,実は左翼の巣窟なのだろうか,と思えてきた.

「左翼率」を計算すると

 今年の2月頃に国立大学の教員数,職員数を分析した.そのときに使ったデータがファイルで残っている.データの出所は国大協が配ったパンフレットに記載された数字(教員数,職員数)である.そこで,よせばよいのに,国立大学ごとに,「安全保障関連法に反対する学者の会」への賛同者数を数え,
  左翼率 = 賛同者数/教員数×100
を計算してみた.私大もやると面白いが,教員数を調べるのが面倒なのでやめた.
 実は賛同者には名誉教授など,元職も含まれている.が,区別するのは手間なので,機械的に上記の式で左翼率を求めた.だから左翼率とは,現職教員数に占める賛同者の比率そのものではない.

 左翼率を従属変数とし,独立変数に4つのダミー変数を入れて重回帰分析を,私としてはほとんど脊髄反射的に実施してみた.4つのダミー変数とは,医学部の有る無し,技術系大学か否か(例えば何とか工業大学),教育系大学か否か,旧帝大か否か,である.左翼率に有意な説明力を持ったのは「医学部の有る無し」と「技術系大学か否か」だけだった.まず医学部のある大学は左翼率が低い.医学部や大学病院の先生が左翼にならないからだろう.また,技術系の大学は左翼率が低い.教育系大学が左翼率に有意に影響しないのは意外だった.常識的には左翼は教育学部に多い.大学名を見ると教育系の大学は左翼率上位が多いのであるが.

どこが左翼の巣窟か?

 面白半分で恐縮だが,左翼率が高い上位10国立大学を書き出すと表1のごとくである.埼玉大学は堂々,この左翼10傑の10位に滑り込んだ.

20110310_20201103233501

 1位が一橋なのは納得である.一橋は,華やかな部分もあるが,反対に僻み根性で固まっている部分も多いので,大学全体としては左翼率が高くて不思議はない.2位の東京外語大については,私にはイメージがないけれど,ド文系中心だからこの数字は納得だろう.地方国立大学で埼大より左翼率が高いのは福島,和歌山,滋賀大学であるが,この辺は失礼ながら地域的にこうなるだろう.そして理系比率が低く教育学部の比率は高い.
 埼玉大学は,総じて文系比率が高いので上位になって不思議はない.まず教育学部が大きい.また,経済学部は概して,少し前までマル経だった所が看板を掛け変えたような部分があるから,仕方ないのである.思えば埼大経済学部にはチュチェ思想の大家がおられた.実は教養学部も相当だった.

 逆に左翼率の低い右翼10傑をあげると次の表2である.体育大学,医科大学,技術系大学が並ぶ.いずれもヒマな文系とは文化が異なる.

20110310_20201105211101

注:上記の表2の「教員数」に間違って「職員数」を入れていました.修正しました.「左翼率」は同じです.

 

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