« 教員が大学を見捨てる日 | Main | 更新講習は1年で終わりか? »

教員の「権利」

 数年前から普通に「コア・カリキュラム」という言葉が使われるようになった。その後、「教育(卒業生)の質保証」、「達成目標」といった言葉が続いた。これらの言葉が何を意味するかは厳密には曖昧であるが、要するに、学ぶべきことをはっきりさせた上で、その達成を証明できるようにする、ということである。
 このことは大学の部局によっては、さして問題はない。教育学部や工学部(より典型的には医学部や薬学部、法科大学院)は教える事項や水準が細かく規定されている。ある意味、当り前のことである。
 しかし文学部系の先生方が多い部局では、大変なことである。

 いやまあ、私もね、文学部の出身ですからね。まあ、分かりますよ。大体ね、文学部はね。授業は「概論」、「特殊講義」、「演習」の3本立てなんですわ。それでね。まあ義務的なというか、ちゃんとしっかりやることが期待されているのはね、概論ですね。まあ程度問題はありますが、やるべきことは大体決まりますからね。あくまで良心的にやろうとすればの話ですけれどね。すごい概論もありましたよ。ほほほほ。
 でまあ、「特殊講義」とね、「演習」はね。何をやってもいい、が不文律でしてね。まあ、自分の関心のあること、研究していることをかませばいいんですわ。これが教員の権利。それをね、ああやれこうやれって指図するのは、「学問の自由」への侵害ですからね。ですからまあ、今やっていることを話せばいいんですわ。「演習」はね、私が今読みたい本を持ってきてみんなで読みましょうと、学生にいう訳ね。分かんないところは学生から教わるとかね。まあ、学生の出来がいい場合の話ですけどね。こんなんでないとね、そんなに多くの授業なんて、持てませんよねぇー ── というのが典型的な文学部の世界である。
 元来は教員の個人的な都合だけのことであるが、そこに「権利」だの「学問の自由」だのの概念がくっつくから、手がつけられない。
 今では、さすがに「権利」とか「学問の自由」とまで言う人は少ない。今は「学生のためにこうするのがよいのだ」と言い張るくらいである。

 ということは、「コア・カリキュラム」とか言い出すと、まあ、独立自営農民から土地を取り上げるような騒ぎになりまんねん。ほんま。ほほほ。見ものでございますねぇ。どうやってコア・カリキュラムにしますと言い出しますかねぇ。いや、それより、自分の畑を守るために、これが正義だの権利だのと、臆面もなくどこまでいいますかねぇ。ほほほほほほほほ。ふぉーっ、っほっほっほっほっほ。はい、チュウハイもう一杯ね。

|

« 教員が大学を見捨てる日 | Main | 更新講習は1年で終わりか? »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 教員の「権利」:

« 教員が大学を見捨てる日 | Main | 更新講習は1年で終わりか? »