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旧商店街

 私の父の命日は7月23日である。死んだのは30年以上前である。なぜか毎年、外国にいるときは別にして、命日近くに墓参りをする。
 今年は休日の今日、墓参に出かけた。それほど遠い訳ではない。電車に乗る前にコンビニで線香を買った。花はいつも、郷里に着いてから買うことにしている。
 実は、いつも買っていた坂の途中にある花屋は、昨年店じまいした。儲からないからというより、後継者がいないという、よくあるパタンだと思う。しかし郷里の駅前にはビルがあり、昨年はその1階に花を置いていた。
 その駅前ビルは、私が郷里を離れてから公的資金を使って建ったビルである。当初は百貨店のような様相で、地下は大きな食品売り場があって賑わっていた。数年前、私の母が郷里にいた頃には十分に賑わっていた。私が郷里に行くと、そこで買い物をしたり食事をしたりするのが常だった。
 その駅ビルは、今はテナントがほとんどいない。
 その駅ビルに入って花があるかと見たが、1階は一角にあるイタリアン・トマト以外は全く営業していなかった。むろん花は置いていない。
 さあ、花をどうしたものかと思案しながら、辰巳坂という、寺に行く途中の駅前の坂を上った。そのまま、昔「上町」といっていた、坂の上の古い商店街を歩いた。店という店がシャッターを下ろしている。日曜だから閉まっているのか。しかし元来、商店街は日曜は稼ぎ時であり、店は閉めなかったものだ。多くは店じまいしたんだろう、と思った。
 この辺に〇〇生花店があったはずだ、と思ったが見つからない。馴染みの羽黒神社の坂を下りてみた。すると「フラワーショップ花○」という看板が目に入った。中にお供え用の500円の花が置いていた。2つ買って、裏通りを駅方面に戻った。昔、○〇〇という繁盛した食堂兼お菓子屋のある坂を上って寺に辿り着いた。墓参を済ませた。
 すぐに辰巳坂を降りて駅に至った。駅前のビルのイタリアン・トマトに入り、アイスココアとイタリアンチリドッグ、計600円を頼んで帰りの電車を待った。この短い行程で、この街で昔その名をはせた多くの商店の跡を頭の中で辿った。私の記憶の中にある郷里の残骸を見る思いだった。

 さして遠くはないのに、母が死んでから郷里には滅多に行かなくなった。行くのは父の命日近く、母の命日近く、それにお盆くらいである。何れも墓参である。
 郷里に行くごとに、街に人通りも車の通りも少なくなっていることを思い知らされる。私の家は駅近くの商店街にあった。昔はそれほど車は通っていなかったが人通りは多かった。その商店街が立ち行かなくなった頃に父が死んだ。少しして家は商売を止めた。不動産を処分したのは数年前のことである。
 
 郷里の旧商店街を見るたびに、これが地方国立大学の未来の姿ではないかという想念に囚われる。
 旧商店街は、その間に品揃えが悪くなった訳でも、サーヴィスが悪くなった訳でもない。ただ、商売の水準が変わったのである。その程度の品揃えで店を出して客が来る時代ではなくなったのである。
 この間、旧商店街も何もしなかった訳ではない。例の駅ビルを作って客を呼び戻そうとしたのは試みの最初の方だった。よくあるように文化で町おこしと称し、祭りを華やかにするために、日本一大きな神輿、というのを購入した。旧商店街中心部に立派な美術館も作った。各種の公的資金を当てにして高齢者向けの商店兼用のマンションも試みた。まあ、常識的にできることはやったと思うが、たぶん効果はなかったのだろう。
 その程度のことはどこでもやる。が、既定の構造をそのままにしてその程度のことをしただけでは駄目なんだろう。

 嫌な予感である。地方国立大学もお役所から許される構造の枠内で、あれこれと苦労しながら、それなりのことをしている。たぶんできることは全部やることになるだろう。で、それでどうにかなるかというと、難しい。
 勝機は大きな枠を外すことにしかないと思うが、今の仕組みでそれができるかどうか。などと考えているときに私が乗った電車は利根川を越えた。

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