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愚王

愚かな王ないし皇帝のことである。アホ学長という意味ではない。

 YahooのGyaoで中国のドラマが一部タダで見られる。この前、唐の建国のドラマの一部を見ていた。内容的には『大秦帝国』や『孫子大伝』よりは落ちるような気がする。
 唐は隋の直後であるから、ドラマでは隋の煬帝が登場する。この隋の煬帝がどこかで見たな、と思った。たぶん、『大秦帝国』で魏の恵王を演じた俳優さんではないかと思う。魏の恵王と同じような調子で演じている。そういっては何だが、バカ殿様がはまり役の俳優さんなんだろう。尊大で狡猾でありながら、どことなく抜けていて、愛嬌がある。肉親への情が深く、大胆な決断はできない。どことなく王の悲哀を表現している。役としては悪役に属するかも知れないが、極悪人キャラではない。
 中国の歴史ドラマで王や皇帝が出ると、取り巻きが正確な情報を伝えず、間違った認識で王が行動する、という場面がよく出るような気がする。なにせ異論を言うと、悪くすると処刑される訳だから、ある意味、そのような構造になっている、ということかも知れない。ドラマの煬帝もそうやって滅亡へと追い込まれる。

 愚王が出るという現象が古代中国に固有かといえば、当然、違うだろう。実は現代の状況でも十分に、というか、よくあることである。社会心理学に groupthink(集団浅慮、集団思考) という用語があるのであるが、実は同じメカニズムを指しているという気がする。古代の王や皇帝でも朝議はやる訳であり、その決定は形の上で集団の結論のはずだからである。
 その集団浅慮であるが、出現する条件の第1は、リーダーシップが指令的なことである。話を引っ張る人がいる。集団浅慮を Janis が言い出したときの、最初の例では、そのリーダーとは大統領に就任したばかりのJ.F. ケネディだった。
 第2の条件は、集団の凝集性が高い、言い換えれば、成員が集団に残りたい(外されたくない)と強く願っていることである。選挙母体から選挙で選ばれた者なら、外されることを恐れる必要はないが、誰かに任命されたということであれば、外されることは恐れとなる。
 第3の条件は集団が他からある程度隔離されている、つまり話した内容を自由には出せない状況で集団の意思決定が進むことである。重要事項と称して情報を内部に留め置けば、この第3の条件も十分に満たされる。
 第4の条件は結論を出すための評価手続きがはっきりしていないことである。学術的な実験であれば、その結果からどの程度の結論を出してよいか、分野別に慣例で決まっている。しかし行政的な意思決定であれば、評価手続きはハッキリしないのが普通である。強く言えば黒も白になる、の世界である。
 
 これらの条件が微妙に揃ったときに生じる結果群は次のごとくである。浅慮と呼ぶ所以である。
 まず他の選択肢を考慮しない。古代中国のドラマでよくあるのは、どこかに遠征するといってきかない、といったことである。また、そもそもなぜその選択肢を選ぶのかという目的を再評価しない。そもそも情報不足があり、情報処理に現状肯定的な歪みが生じる。個々の成員はまずいと思いつつも、自己検閲して異論を言い出せない。言い出してもすぐに強い否定が生じて議論に行きつかない。自分を除いて全員一致があるから仕方がないという錯覚、幻想が生じる。
 こうなって来ると体制そのものを壊さない限り、破局に向かってゆくことになる。最後の手段として近臣が王を殺して話を止めることになる。意思決定集団が閉鎖的であれば、結局は近臣が手を下さざるを得なくなるのである。
 そこで手を下すのも、近臣の社会的責任と言うべきだろう。

 集団浅慮を止める方法はあるのか? その点は話が長くなるので、手近な社会心理学の文献にあたって頂きたい。

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