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リベラルアーツ大学の少しマシな作り方

 20XX年、ナンジャラスタン人民共和国にある、ここナンジャラスタン文理融合大学では、ジャッキー大豪院テルメス率いる先端フランス文学ナノテクノロジー研究科とナンジャー・ファラーフ桃太郎率いる地域貢献経営情報材料創成科学研究科との間で大威震八連制覇が戦われていたのである。両者の戦いは熾烈を極め、ついにジャッキー大豪院とファラーフ桃太郎との一騎打ちによって決着をみようとしていたのであった。
 それはそれとして、土台見直しWGでは今日も小田原評定が繰り返されているのであった。

 ほっほっほ。いやー、そうですね。まあ、リベラルアーツがどうたらと、いうお方はおられることはおられた訳ですけれどねぇ。まあ、ナントカの設置の方針が固まればそれで消えてゆく話でしょうねぇ。もともと情熱がある話ではなかったですからねぇ。
 ただまあ、リベラルアーツって何よ、という問題はあるにはあるんですが、そちらの方向に行くということ自体は、私は賛成ですけれどね。
 そうするためにまず何が必要かですね。まさにドンピシャリの制度は、この国の制度では作れないと思いますね。ただ近づけることはできる。まず学科は、思い切り大括りにするべきでしょうね。学科なりdepartmentが教育プログラムを出すのは当然なんですが、学科と言うのは、単に教育プログラムの単位ではなく、募集の単位、定員管理の単位、という拘束が付いてきてしまうんですね。これは邪魔ですね。
 その上で、大学の学生定員をどの部局が持っているということを、いったん忘れて、1つにまとめて考えるんでしょうね。これまでのように、学部のような箱モノを図面に書き込むんじゃなくて、白紙の紙に、どういう学位授与の方針というか、ディプロマポリシーを設定するか、を書き込んでみるんでしょうね。全学の学生定員を一本にまとめて、それに対してどんなディプロマポリシーを、つまりどんな人材を育てますと、そこが出発点になるでしょう。
 で、これこれの人材と想定したら、ディプロマポリシーの項目ごとに、どういうモジュールが必要なんですか、と考える。そのためにどんな作業があって、そのためにどんな学内の教育組織になるかを考えるんでしょうね。専門領域ごとに行うべきモジュールもあれば、そこが専攻になる訳ですが、大学全体で担うモジュールもありましょう。では、それらのモジュールをどのように実施しましょうか、そのために部局のようなものが必要なのか不要なのか、とそこから考えるんでしょうね。
 リベラルアーツ大学方式、なんて決まったものはない訳ですよ。そんなものは特色にはならない。でも、こういう人材養成目的を設定します、こういうモジュールを設定しますと、そこに特色は出るでしょうね。
 高度教養教育などという言葉もありますけれどね、そりゃどのようなモジュールを大学全体で設定すべきかの話であって、もともと教養教育なんて言葉は使うべきではなかったでしょうな。
 こういって、分かる人には分かるでしょうが、分かんない人には分かんない。概念の学習は、本来的に、悉無的ですわ。ほっほっほ。

(この記載はナンジャラスタンを舞台にしたフィクションです。)

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