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西荒川大学世界一

 いつものように早起きした北宮代格之進は、しばらく縁側で物思いにふけっていたかと思うと、身支度を始めた。西荒川大学に行く、とだけ妻に伝えて家を発った。

 北宮代は長く西荒川大学で教授を務め、10年ほど前に退職したのである。数日前、旧知の元同僚と話す機会があり、それ以来、昔の記憶を思い起こしていたのである。あの場所をもう一度見に行かねば。そう思って北宮代は西荒川大学を目指したのである。

 私鉄の西荒川東部鉄道に乗り、何度か乗り換えてJR北西荒川駅で降りた。駅周辺の様子は、この間に変わったようでもあり、昔のままのようでもある。バス停の位置が変わっている。駅前の交番でバス停の場所を尋ねた。昔のように西荒川大学のバス停はあるが、路線はとうに変わっていたのである。バスに乗ると、昔のように西荒川大学までの道が連なる。その情景に見覚えがあるものを感じながら、北宮代は自分が西荒川大学に近づいていることを感じるのであった。
 西荒川大学というバス停で北宮代はバスを降りた。
 かつてここに西荒川大学があった。今はバス停の名前としてのみ、西荒川大学はその名を留めていたのである。
 西荒川大学のバス停付近は西荒川大学記念公園になっていて、かつて正門近くにあったモニュメントがそのままの姿を現していた。このモニュメントを眺めながら北宮代は何十年かを西荒川大学で過ごしたのである。
 モニュメントの傍には石碑がある。石碑には、「嗚呼北羽生助三郎君世界一」と刻まれていた。
 この付近、つまり西荒川市欅区の人々は、石碑にある北羽生助三郎なる人物が西荒川大学の学長であったことは知っている。しかしその名の下に刻まれた「世界一」が何を意味するのか、何の世界一なのかは、欅区の七不思議として伝えられていたのである。
 北宮代はこの石碑を懐かしく眺めながら、昔の記憶が彼の脳裏に溢れ出すのを感じたのである。

      ***

 その頃、我が国の国立大学は、研究で世界を目指す大学、世界を目指す大学の振りをすることが許される大学、人材養成に特化する大学、の3つに整理されつつあった。西荒川大学は3番目、つまり人材養成に特化する大学に分類されていたのである。しかし新たに学長に選出された北羽生助三郎は、人材養成に特化しつつも研究で世界を目指すことを標榜したのである。北羽生の周囲には熱心な同志が集まった。産業技術学部教授の北宮代格之進もその一人だったのである。
 北羽生助三郎は次々と、研究を促進するための措置を打ち出していった。しかしそのような予算の使い方をすることに、事務局長だった竹ノ塚又八は時折、苦情を呈したのである。今の予算を前提にすれば、効果を出すのは難しい。なら、本来の大学のミッションに忠実に予算の使途を決めるべきではないか、というのが竹ノ塚の立場だった。北羽生は竹ノ塚に会議では同意するものの、実際の行動は何ら変わらなかったのである。北羽生と竹ノ塚の間には次第に距離感が生まれて行ったのである。
 仲間の会合で意見交換しながら、北羽生は次第に、「やはりノーベル賞をとらないと始まらない」と考え始めたのである。しかしノーベル賞を取るネタは、むろん学内には見当たらない。苦慮した北羽生は、西荒川大学の卒業生の中にノーベル賞を取る者を作り出す方策を考え始めた。
 北羽生はそのため、優秀な学部生をノーベル賞を取りそうな大学、研究室に院生として入学させる方策を取り始めたのである。この北羽生の方針には理工学部の執行部から異論が出た。それでは優秀な学生が本学の研究科からいなくなるではないか、という点である。この異論には事務局長の竹ノ塚も同調した。
 しかし北羽生はきかなかった。卒業生にノーベル賞を取らせるのは西荒川大学の地位を高めるためである。そのことは人材養成のミッションに適うだけでなく、将来的に西荒川大学が研究で名を成すための布石である。今は辛抱すべきだ、と北羽生は繰り返した。
 北羽生は成果を待ったが、当然ながら、北羽生の企画は何十年かの時間を要することである。すぐに成果は出ない。そのことを思い知らされた北羽生は焦りを感じ始めた。実はその頃、研究大学院は内部での人材確保ルートが確立したため、西荒川大学出身の院生が目だった研究に関われる機会は以前よりも少なくなっていたのである。
 何時まで道楽を続けるのか、と竹ノ塚からは苦情が出た。北羽生は黙り込むことが多くなったのである。
 北羽生が欝々としながら仲間の意見交換会に出ているときのことだった。出席した1人の教授が、そういえば、今度ノーベル賞をとった〇〇は、うちの卒業生と△△大学院の同級であり、友達であるそうだ、と口にした。そのとき、北羽生の眼が光った。なに、友だち? 友だちがノーベル賞をとったということは、ウチの卒業生が多大な影響を与えたに違いない。これは大きな成果ではないか、と言いだした。
 北羽生は全学の会議で、ウチの卒業生の友だちがノーベル賞をとったことは、我が大学の大きな成果であり、祝賀会を催すべきだと主張したのである。出席者の西所沢副学長が、馬鹿馬鹿しいから止めろという。事務局長の竹ノ塚も、いくらなんでも恥ずかしいから止めてくれと発言した。しかし北羽生は言いだすときかない。すぐに新聞社への発表をする手配をさせたのである。竹ノ塚は渋々認めた。まさか新聞社も馬鹿ではない。それで「おめでとう」とは言わないであろう、北羽生もその様子を見て諦めるだろう、と踏んだのである。
 西荒川の地方紙幹部を集めた記者会見が行われた。この度のことは喜ぶべきであり、我が大学の大きな成果であると、北羽生はとくとくと説いたのである。その後で新聞社側の質問に移った。地方紙の雄、西荒川新聞の代表が発言を求めた。だが質問相手である北羽生の異様な熱意と顔の迫力に西荒川新聞代表は押され、思わず「おめでとうございます」と言ってしまったのである。西荒川地方を代表する西荒川新聞のこの反応を見て、他の各紙の代表も、こういう場合はおめでとうございますというものと思い、次々と「おめでとうございます」と続けたのである。事務局長の竹ノ塚はその様を、「まさか」と思いながら眺めたのであった。
 記者会見でのこの成功に気をよくした北羽生学長は、次に大々的に祝賀会を開くと言い出したのである。

     ***

 祝賀会は多くの学生と教職員を集めて開かれた。北羽生学長は西荒川大学の旗を背にして演説を始めたのである。北羽生の演説は、自らの西荒川大学への愛情を語ることから始まった。そして西荒川大学がいかなる歴史を経たかを続けた。語りながら北羽生は時折、涙ぐんだ。竹ノ塚が客席を見ると、北宮代教授らの北羽生の取り巻きもまた、涙ぐんでいたのである。竹ノ塚はその異様な雰囲気に押された。
 演説は中盤に至って次第に熱気の度を増していった。それと反比例するかのように、聴衆は白々と静まり返っていったのである。
 演説が終盤に差し掛かろうとしたとき、北羽生は嗚咽の後にひっひっひという声を発した。観客席の竹ノ塚は戦慄を覚えながら隣の総括企画課長の肩を押した。おい、おかしいぞ。竹ノ塚はそうつぶやいたのである。「学長は興奮している。おかしい。演説を止めさせて学長室に連れて行け。今からだ。」竹ノ塚の指示で総括企画課の数名が壇に上ろうとしたとき、北羽生はいきなり上半身の服を脱ぎ捨て、後ろにかかっていた大学旗を引き下ろして両手で掲げ、「西荒川大学、世界一だ、うぉー」と叫んで観客席に飛び降り、中央の通路を駆け抜けて会場の外に走り去ったのである。
 一瞬呆気にとられた竹ノ塚は、気を取り直し、学長の後を追い、「続け」と叫んで総括企画課の職員を呼び戻したのである。北宮代ら、学長派の面々も続けて会場の外へと走った。
 会場の外に出た竹ノ塚らの見たものは、北羽生助三郎学長がウィニングランのような姿で大学旗をはためかせながらキャンパスを駆け回っている姿であった。何ということだ。こんなことがあるのか、と竹ノ塚はつぶやいた。
 竹ノ塚は素早く総括企画課の面々に指示を出した。学長を止めろ、いや、取り押さえろ。乱暴なことをして構わん。取り押さえて学長室に閉じ込めろ。いいか、こんなところを人に見せる訳にはいかん。
 総括企画課の面々は四方から北羽生学長に近づき、取り押さえようとした。しかし北羽生は素早い動きとフットワークでそのことごとくをすり抜けたのである。大柄な職員が北羽生にタックルしようとしたとき、北羽生は高く宙に舞ってそのタックルもすり抜けた。そのとき、観衆一同からオーッという歓声が上がった。観衆は次第に、助三郎に走れ、走れと歓声を向けるようになったのである。
 北宮代はその光景を見ながらつぶやいた。何のために走るのだ。何のために走るのだ、助三郎。
 走りながら、助三郎の脳裏には数々の思いがめぐった。私も、西荒川大学は人材養成に特化してやってゆくしかないと思ったことがある。そうだ。だがそれは、ほんの気の迷いだ。私は疲れていたのだ。研究を進めずして何の大学か。もう私は迷わない。私は迷わない。私は走るぞ。世界を目指して走るぞ。
 竹ノ塚がつぶやいた。お前の気持ちはよく分かるぞ、助三郎。だがそれがお前の取る道か? 西荒川大学学長として選ぶ道なのか。研究を止める訳ではないのだ。研究は十分できるのだ。ただ、大学として人材養成の事業を進める他はないではないか。目を覚ませ、助三郎。
 北宮代ら、学長派の面々は涙を浮かべながら口々にささやいた。ああ、学長が走っている。助三郎が走っている。俺たちの夢を、西荒川大学の希望を背負って、助三郎が走っている。駆け抜けろ。走り切れ。
 竹ノ塚が叫んだ。早く学長を取り押さえろ。引き倒して組み伏せろ。殺しても構わん。こんな姿を世間の目にさらすな。大学の外には出すな。
 次々と現れる追っ手を振り切りながら助三郎は叫んだ。ついに世界に躍り出たぞ。西荒川大学はノーベル賞を取ったぞ。世界一だ。ハーバードを抜いたぞ。カリフォルニア工科大学も抜いたぞ。千葉大学も相模工科大学も抜き去ったぞ。世界の頂点に立ったぞ。
 北宮代も叫んだ。走り抜け。世界を駆けろ、助三郎。負けるんじゃねぇ。こんなところで負けるんじゃねぇ。お前はラグビーやってりゃ、日本一。いや、世界一だって目指せたんだ。走れ。走れ助三郎。
 助三郎もつぶやいた。何のために走るのだ。こんな苦しい思いをしながら、何のために走るのだ。愛のために走るのだ。私には西荒川大学への愛がある。愛と誠の力を、西荒川大学の真の姿を、今こそ教育省の役人どもに見せてやる。走るぞ。走れ、助三郎。
 正門に近づいた助三郎は、ウォー、西荒川大学、世界一だぁと叫びながら正門を抜けて道路に飛び出したところを、走ってきたダンプカーに追突されて即死したのである。

 次の日の朝刊は、西荒川大学学長北羽生助三郎が交通事故で死去したことを伝えたのであった。北羽生亡き後、西荒川大学は新たな学長を立てながら孤軍奮闘を続けたが、3つの国公立大学が合併してできた両毛大学に吸収合併された。北羽生の死去から10年後のことである。西荒川大学の名は、記念公園とバス停の名称としてのみ、残ることになったのである。北羽生に心酔していた北宮代格之進も、北厩橋県の霧雨キャンパスで定年を迎えたのである。

 かつて西荒川の地から世界を目指した男がいた。その名は北羽生助三郎。

 助三郎、お前はグレートな男だぜ。小雨が降り始めた西荒川大学記念公園で、北宮代はそうつぶやいたのである。

(この記載は『1・2の三四郎 』へのオマージュです。)

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