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教養学部は26名の教員定数削減過程をどのように凌いだか?

 埼玉大学を含め,国立大学が法人化したのは2004年だったと思う.その直前の2001年から2003年の間に,私は教養学部で将来計画委員長をしていて,学部内教育組織の再編案の取りまとめをしていた.だからよくわかっているのだが,法人化直前で教養学部の教員定数は63名だった.この教員定員は,法人化した2004年に39名に削減されたのである.まさに4割近くの削減である.
 2003年に取りまとめた再編案とは,教養学部教養学科内に当時あった16のコースを5つの専修課程に統合する,というものだった.それまで,卒業要件が異なるコースが教養学部内に16あり,管理が困難な状況があったのである.その16を5に統合するこのとりまとめには2年ちょっとの歳月を要した.このように苦労して2004年に発足した体制であったが,開始数か月で,教員定数の大幅削減が全学で決められたのである.
 24名の削減といっても,そのうち3は法人化前から進められていた教員定数削減によるものと思う.実際,その3名分は欠員状態にしてあった.しかし残りの21名分は,2004年の夏に全学で決めた(むろん教養学部は反対した)「教員定数の再定義」による.この「再定義」は,旧教養部から各学部に分属した教員ポストを「全学ポスト」とする,というものである.旧教養部からは教養学部への分属教員が多かったために,教養学部が集中的に削減をくらった格好だった.
 この削減も,旧教養部から移管されたポストの教員が退職したら全学に戻す,というマイルドなものであれば影響は少なかっただろう.しかしそうしたマイルドな措置ではなかった.定年退職した教員のすべてのポストはすぐに全学に差し出せ,というものだった.このポストの「返還」には11年,つまり2005年から2015年までと決まった.21のポストを11年かけて返す,というものである.しかしこの間,11年もの間,定年退職する21名分の教員ポストの採用人事は全くできない(定年前に退職した教員ポストの採用人事は可能).だから事実上,計画的に採用人事をすることは11年間できなかったのである.
 この「再定義」は,教養部からの分属分を返還するだけであるから,元に戻るだけであろう,と思われるかも知れない.しかし分属分のポストを前提にそれまで計画をしていたものを,急に戻せ,しかも11年間計画的な採用人事はできない,というところに無理があった.教員が急速に高齢化し,年齢構成に歪みが出ることも明らかだった.
 この教員定数の再定義は,全学的に見ても,その後の全学的な学士課程の運用に影を落とすことになったのである.教養課程を担う教員をゼロに再定義したのであるから,全学の教養課程がやせ細るのは明らかだった.2004年当時,教養学部はその点で「再定義」に反対をした.しかし,教養学部以外は,教養学部が主に削減を食らうことに安堵したのである.しかも,そうやって全学に吸い上げたポストを都合よく使いたいという希望が教養学部以外に満ちていたことも否定できない.

 再定義があった2004年度から2005年度にかけては,私は学部の執行部から離れていた.「離れていた」というより「外されていた」という方が実態に近い.しかし2006年度から2年間,副学部長をした.その後2008~2011年度の4年間は学部長をしていた.その後の2年間(2012-2013)は「グローバル事業」の責任者であったので,学部執行部にいたようなものであり,その後の2年間(2014-2015)は再び学部長をしていた.つまり私が教養学部の執行部にいた期間(2006-2015)は,教員定数の再定義による教員ポストの削減があった期間(2005-2015)とほぼ重なるのである.私はこの10年の期間を,教員定数の再定義に振り回されてきたといってよい.

 削減が進行する期間は組織の下降局面である.その中でいかに撤退戦を戦うかが課題だった.下降局面では希望がなく,士気も落ちる.よくあるのは内部でポストの食い合いが始まることである.下手すると自滅して行く.削減期間が終われば学部は定常状態を取り戻せるはずであるが,その間をどう凌ぐかが問題だった.
 2006年度から,この局面で何をするべきかを私なりに考えた.実は2004年度に削減が決まった直後に,教養学部は削減に合わせた将来計画の提出を学長から求められたのである.しかし例によって,その種の将来計画は混迷を極めて決めることができなかった.2004年度の終わりか2005年度の初めに,「学長に持ってゆくだけ」という前提で,暫定的な計画案を教授会で了承した.その案は今でも,全学の議事録を見れば出ているはずであるが,実際にその案が使われることはなかった.ただ,削減に合わせた学部の将来像は,潜在的には必要だったのである.
 2006年度に私は副学部長になったが,副学部長は将来計画委員長を兼ねた.私はまず削減になるポストの分布を調べ,分野別にほぼ均等な比率で人がいなくなることを確認した.その意味で,学部の組織は全体がほぼ同じ比率で削減されるので,分野の歪は少なくて済む,つまり組織変更は必然ではない,と私は考えたと記憶している.ただ,教員の年齢構成を考えると,じきに年齢が二極化する,つまり高齢者と若年層が増え,働き盛りの中間層が極端に少ない年齢分布になることが困難と思った.高齢な教員に下働きを期待するのは難しいので,少数の者が雑用を集中的に担うしかない状況が削減が終わった後もしばらく続くように思われた.
 この下降局面で行うべきは「公共事業」である.暗くなるところを明るくしないといけない.マインドを上向きにしないといけない.問題はその原資であった.その頃は競争的資金の公募が出始めた頃であり,何か申請できる予算はないかと考えた.目についたのは「大学院教育改革経費」,後の大学院GPである.いくつかの予算について文科省の説明会を聞きに行ったが,この大学院GPについては,文科省は「バラマキをする」と私は踏んだ.そこで学部長に諮って申請することにした.実際に始めてみると申請書を書くのは結構手間がかかり,しかも思ったより申請が多かったので,当初は「出せば通る」と思ったけれども,それほど簡単ではなかった.が,ヒアリングをしのいで何とか採択にこぎつけた.実は金額はそれほど盛り込んでいなかったが,非常勤で任期付きの研究員を2人(芸術論と東アジア文化),短期間とはいえ雇うことができた.多少とも明るい材料になったように思う.
 2008年度からは学長が変わり,私も同時に学部長になった.そのときに私が狙ったのは「教員定数の再定義」をチャラにしてもらえないか,ということだった.再定義は続けると新学長からはハッキリ告げられた.ただそこで引き下がる訳にも行かず,教養学部の苦境を全学の会議では述べ,学長にも資料を持ってゆく,といったことを続けて辟易されたかも知れない.ただ新学長からの理解もあり,教養学部には「補強」のためにポストを付ける,という話が持ち上がった.そこで新たなポストを前提にした学部の将来計画を作り始めた.が,ポストを付けるという話は,持ち上がった後に沙汰止みの期間が長く,あの話はどうなったのかと催促に行こうと思った矢先に学長側から回答を頂いた.准教授ポストを4つつけてくれるという話だった.ポストの数は最初の話より少なくなったのであるが,後から考えるとやりくりの中で精いっぱいの措置だったろうと思う.同時に注文が付いた.新たに付けるポストは削減への補てんには使うな,新しい学部の方向性を出せ,というものだった.その当時,「グローバル」がキーワードになりつつあったので,教養学部もグローバル化を目指す,社会科学は「グローバル・ガバナンス」を,人文系は「国際日本学」をキーワードに,学部全体でグローバル化を目指す,という計画を作って教授会了承を経て学長には了解を得たのである.この4ポストは国際関係論と国際開発論,日本語学と日本表象文化で人事をすることとなった.
 この補強は,同時に部内専修課程の組み換えと同時だった.専修課程の組み換えはこの補強以前から議論していたが,その際の問題を解決することが補強によって可能になった側面もあった.教員再定義からの学部組織の計画の課題がやっと果たせたといえる.当然ながら,削減によって教員が減っても成り立つ組織であることが前提だった.
 この補強があってからの2年間で,グローバル化の方針の通りに,学部からの交換留学生の数は飛躍的に増えた.むろん,全学で始めたGYプログラムに触発された面もあるが,新規にできたグローバル・ガバナンス専修のシニア教授の活躍も大きかった.その2年間の成果を基礎にして,学部長の任期が終わるころに,私はグローバル人材育成促進事業への申請の準備を進めた.幸い採択されたので,教養学部としてはその間は,必要と思えた「公共事業」をすることができたと思う.このグローバル事業の期間に,教員定数の再定義で予定された最後のポスト削減もあったのである.

 2012年に学部長を退任してから2年後の2014年に,私は再び学部長になった.が,それは教員定数の再定義とは別の事態に対応するための一時的な就任である.その件については別の記載としたい.ただ,その間の2015年度にも全学で教員削減の話が持ち上がり,結果として教養学部はさらに2名の削減をすることとなった.法人化直前と比べると,計26名分の削減である.しかし,他大学ではこの間に恒常的に教員削減が生じており,2006年以降に全学で教員削減が話題にならなかったのは,2006年度に大幅な削減をしていたためと私は理解している.今回の削減は2006年度の削減とは異なる公平な定率削減であり,その規模から考えると個別部局にさほどのストレスをもたらすものではない.教養学部も現行体制の圧縮によって対処できるはずである.部局運営が正常であれば容易に乗り越えられるだろう.

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Comments

まあ,あの裏切りは見事でしたね.ただあの一連の過程の中でSさんが特段ズルかった訳ではないですよ.ある意味では仁義をよく守った面があります.それにあの学長選のなかで,よく基礎票を固めましたよね.

Posted by: ブログ主 | March 08, 2017 at 10:30 PM

再定義の入れ知恵したは、HSさんでした。
その後、裏切りますから、たいしたもんです。

Posted by: 記憶 | March 08, 2017 at 09:24 PM

そうですかぁ.(◎´∀`)ノでも評議会は,事が決した後の儀式ですからね.書きませんでしたが,この件は初期対応が拙かったと思います.また,当時のウチの学部の執行部はみんな,直前の学長選挙ではあの学長さんに喜んで投票しているんですよね.前学部長があれほど気をつけろと言っていたのに.

Posted by: ブログ主 | March 08, 2017 at 08:47 PM

2004定員再定義の評議会、学部長と評議員の反対挙手がメキシコ五輪男子200メートル走表彰式の黒手袋トミー・スミス、ジョン・カルロスにそっくりだったと思い出します。
ピーター・ノーマンがいなかったのが情けない。

Posted by: 記憶 | March 08, 2017 at 07:47 PM

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