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教養学部は研究科合併にどのように対応したか?(中)

 さても,平成25年の11月17日に教養学部内で新研究科のプランについて方向性の転換があったことは前回の記載で述べたとおりである.11月の末から12月にかけて,新たな前提でWGにおいて協議が進んだ.私はWGの外側にいたが,そのメンバーからは進捗の情報を頂いていたし,意見も述べていた.
 その頃の私のメモによれば,新研究科の専攻構成として私は3つの案を考えていたようである.その中で全体的な移行コストが少なく学生確保の確実性が高かったのが,両学部が共同で運営する専攻(真ん中専攻)を日本アジアでまとめるものだった.経済学部側も,チュラロンコン大学とのダブルディグリーのプランもあったので,受け入れ可能であると思えた.
 12月の上旬に,私は「現実的な案」としてその日本アジアの案をWGメンバー(の一部)に伝えた.私が現実的と思うくらいであるから他の方々も同様に考えたと見えて,12月中にその方向でWGの意見は集約されていった.教養学部側WGで決まってきたのは,新研究科の名称を原案に戻して「人文社会科学研究科」とすることと,真ん中専攻を日本アジアでまとめることであった.
 年が明けて平成26年となる.1月の上旬に上記の案を経済学部側に提示したと思うが,当初は意見は相違した.しかしセオリー通り,案の早期成立を期する大学執行部は,教養学部の案で意見の集約を図ったのである.セオリーとは,時間的切迫を抱える方が妥協するという交渉の原則である.同時に,教養学部側の申し入れの通り,新研究科(人社研)の設置は,当初の予定の平成27年度ではなく,28年度にするという合意が成立した.通常の設置であれば,平成27年度設置に間に合わせるには秋の時点で案を文科省と詰めていなければならない.この時点で案を固めているのが現状であるから,設置を先に延ばすのは常識的な判断だった.
 1月17日(1次)と24日(2次)に教養学部長の選挙があった.そこで私高木が次期学部長になることに決まった.以前に4年間学部長をした私が再度学部長になることは異例であるが,人が出払っている状況があり,引き受ける者がいなかったのが実情だった.次に学部長になる方のつなぎという性格が強い.
 
 次期の学部長になったとはいえ,私は依然として設置のWGの外側にいた.ただ,事務方と相談できる立場にはなった.この人社研設置に関して十分な情報を持っていなかったので,私は事務方にこれまでの全学および学部の資料などの提供をお願いし,知識の欠落を補うことに時間を費やした.分からないことは直接事務長に伺った.
 次期学部長に決まった時点で私がすぐに動いたことが1つある.日本語教育センターと国際本部の教員の方には,これまでも文化科学研究科に兼任として協力して頂いていたが,新たな人社研に専任として入って頂くことを考えたのである.全学の部署におられる教員は,一般論として,教授会がない状態で立場の不安定感があるのが常である.特に日本語教育センターと国際本部については,学長が変わるたびに所属の部署(や名称)が変わる,という不安定感があった.この機に新研究科の専任となり,全学の部署には兼任として出るような格好にする,そのご意向があるか,という確認を始めたのである.この件は次期の全学執行部も拒否しないだろうという目算があった.

 しばし平穏であったが,波乱は2月10日に起きた.この日,何とは言えぬ件があり,前に平成28年度としていた人社研の設置を27年度に戻すかどうかの判断をすることになったのである.2月12日に全学の会合があり,その場で決めると伝えられた.その2/12の会合に出てみると,その会合の前に役員が協議したらしく,会合ではいきなり27年度設置と決めたと伝えられた.予想した話し合いはなかったのである.現場が無理だというものを話し合いもなく決めるのかと,私はむっとした.設置の全学WGに次期学部長である私が入ることを求められたが,その場では承諾せず,考えて返事すると伝えた.すぐに承諾しなかったのは不快感があったからである.全学で決まったなら従うしかないが,この強化プランには反対である,27年度設置ができるとも思わないと,その場で本音を述べた.
 実は2月10日に私のカミさんの母さんが亡くなった.私は特に何をするでもなかったが,カミさんと一緒に行動することもあり,何かと気忙しかったのである.
 とはいえ,27年度設置という決定をその日のうちに,私は教養学部構成員宛のメールで伝えた.次の日にかけて,事情を確認するためにWGのメンバーなどにメールや電話のやり取りをした.そのやり取りの中で,私がWGに入ることへの要望が出た.そこでWGに入って設置の作業をする判断をした.私が設置にかかわるようになったのはその時点からである.
 カミさんの母さんの告別式が終わったのが2月15日(土)だった.設置に関する学部内の作業の方針についてメモが,次の日の日付で残っている.2/19の部内でのWGに向けて考えをまとめていたのだと思う.
 28年度設置は学部構成員のほとんどが望んでいた.資料によれば必要な文書の種類は実に多い.某大学の設置申請書のファイルをネットで入手し眺めていた.正直,無意味な文章をこれほどの分量書く根気は,私にはない.だからあと3か月で設置申請をするのは無理と思えた.
 半面,内心は27年度設置でよいとも思えた.期限が伸びれば余計な議論の蒸し返しもあるだろう.注文も多くなるかも知れない.なら,現状案で早めに突っ走った方が結果は良いかも知れない.27年度設置では作業が間に合わない恐れもある.しかし当方は「できるとは思わない」と言ってあるので,間に合わないときの責任は無理な日程を設定した大学執行部にある.

 2/19の部内WGでは,いくつかの要点に関して今後の方針を提起し,合意していった.基本的なスタンスは,この人社研設置は迷惑な話ではあるが,今後の作業によって我々の組織の力を付けられるようにしてゆこう,ということである.日本語教育センターなどの先生方の人社研所属については,ここまで寝かせていた状態であったが,その日のうちに同意の取り付けに動いた.同意が集まったのは3/11だった.そのすぐ後に全学の執行部に対して,この件を提起して同意を頂いた.経済学部側にも了解して頂いた.細部について全学側と合意したのは4/18の新学長・理事との会合においてだった.
 2/19以降,それまで考えていた点もWGや教授会に提起していった.まず人社研の修士専攻にはコースを設定することを決めた.学士課程の専修とコースをほぼ対応させることによって,大学院と学部との人的資源のねじれが生じないようにしたのである.6年一貫などで学部からそのまま院に進学させるときの便宜も考慮してのことだった.また,2月末には人社研の研究組織を科研費の領域設定に準拠して決める案を提案した.この案は12月段階で考えていたことである.これまで研究組織については検討を事実上スキップしていたが,外部への説明可能性を高めるやり方を考えたのである.研究の個人評価は科研費領域ごとに行うのが自然であるし,科研費の共同申請もしやすくなる.この案は大学執行部に受けが良く,経済学部側からもすぐに同意を得た.
 この間,経済学部側とはカリキュラムの詰めや,設置文書の前半部分の文案の推敲をしていたと思う.文科省に資料を持参する必要があるときは作業を急いだと記憶している. しかしながら,我々は設置の作業ばかりをしていればよかった訳ではない.年度末の処理もあるし,私の場合は4月からの学部体制の決定と,新学期の準備に忙しかった.時期が時期だけに,副学部長もなり手がおらず,承諾を得るのに苦労した.また,この時期はグローバル事業にもかなりのエフォートを割いていたのである.
 新学期になり,学期初めの行事が多く,なかなか設置に時間を割けなかった.その頃に検討を進めたのは人事であった.設置審にかかることを想定し,人事可能なポストについては,補助金による時限のポストを含めて,通常の人事プロセスを臨時に簡略化し,適合な人を決めることを考えた.特に必要だったのは,真ん中専攻で求められる英語による授業を揃えることだった.また設置に伴って教養学部側は教員免許課程申請もあったので,人は貼り付けた方が良かったのである.少し先までの人事方針を決めてWGで合意を得,教授会で了承を得たのは平成26年の4月18日だった.
 蛇足であるが,このときの教授会了承では,ほどなく退職する私高木のポストがグローバル・ガバナンス専修に帰属することも明記した.しかしこのことが現在の学部執行部でしれっと無視されたのは,少し前の記載で述べた通りである.ポストが多い専修ならともかく,専任教員数が危険水域にあるグローバル・ガバナンスのポストを別に使ってしまうというのは,私には考えられない.

 かくして,可能なところでは作業は進めていた.しかし4月の時点で良い進捗という実感はなかった.事務方は何とか完了させようと頑張っていた.しかし教員の習性としては,この種の作業にはあまり熱が入らないのが常である.だから個人調書の集まり具合も良いとは言えなかった(私も出していない).はっきり言って申請には間に合わない可能性が高い,というのが実感だった.そうこう思っているうちに4月も過ぎてゆく.そしてゴールデン・ウィークが間近になったのである.

 このとき,運命の5月7日が迫っていたことを知る者は,まだいなかったのである.

(次回,怒涛の完結編に続く)

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