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教養学部は研究科合併にどのように対応したか?(上)

 埼玉大学で人文社会科学研究科(以下,人社研と略)という大学院研究科が発足したのは平成27年度のことである.この人社研は,それぞれの大学院を持った経済学部と教養学部が大学院で合併したものである.人社研の新規設置は,平成25年度に埼玉大学が申請し採択された国立大学改革強化推進事業のプランに盛られた.私は平成26年度,27年度に教養学部長をしていたので,この人社研の設置申請と最初の1年間の運営に教養学部(学際系)の側から関わった.
 この人社研は「部局化」することが前提だった.部局化とは,それまで学部が持っていた教授会を研究科に移し,それまで部局だった学部は研究科の学士課程の教育組織になることを意味する.重要な教授会決定はすべて合併した新研究科で行う.それまで部局であった経済学部と教養学部は,この人社研の発足とともに部局としては消滅したことになる.もとの学部を愛おしく思う立場からは,人社研の発足は嬉しくない道標である.
 ここでは,その嬉しくない道標を立てるのに教養学部がどのように対応したかを書こうと思う.
 
 次の点はことわっておくべきだろう.第1に,きわどい話はぼやかして書くことはご容赦願いたい.第2に,あくまで教養学部側の話であり,かつ私のバイアスがかかっていることも仕方ないとお考えいただきたい.第3に,関連する情報に私がフルにアクセスできたのは学部長だった平成26,27年度だけである.プランが進行した平成24年度,25年度の出来事については表面的な情報しか持たない.例えば,この合併話はもともとは経済学部と教養学部そのものの合併として考えられたはずであるが,それが研究科同士の合併の話に変わったことになる.たぶん誰かが「学部からの合併は嫌だ」といったのであろうが,どこでどのような経緯があったのか,私には全く分からない.平成25年度になると情報は教授会に上がってきたが,やはり全学の会議に出ていないと分からないことも多いのである.

 さて,人社研設置を含む件の改革強化プランは平成24年度のうちにできたはずであり,正式情報として教養学部の下々に知らされたのは平成25年4月19日の教授会資料(前日の全学運営会議資料)においてである.5月上旬の教授会では若干の議論があり,5月24日の教授会日には学長が説明に訪れている.教授会構成員の反応は「そりゃ,嫌だよね」というのが主流であるが,具体案はないので(具体案は後でお前らが作れという),「大変だ」ということ以外に特に論点が出ないのが実情だった.学部執行部の説明も「大変だ,困る」で一貫していた.
 全学の会議に出ていた教養学部の評議員殿は,全学の会議でも一貫して反対論を述べていたらしい.私は彼と随分話していた.彼の論点は,この改革強化プランは埼玉大学の将来ヴィジョンを示していないこと,このプランが落としている学士課程の改善が緊要であることだったはずである.全学の会議では,事務方も驚くほど学長から罵倒されたとのことである.
 5月の後は7月まで教授会はなかった.その間,私はその評議員殿から情報を聞いていたと思う.7月26日の教授会で,議長により,この改革強化プランを文科省に持ってゆくとのとりまとめがなされた.改革強化事業への申請書を出すことは9月26日の評議会で承認されたようである.たぶんそこが正式承認なのだと思う.

 この改革強化に関する雰囲気が変わって来たのは10月の後半になってからである.10月25日の教授会で,新研究科の設置準備室会議(10/10)の議事録が出てきた.その議事録では新研究科に関する提案がかなり具体的に書かれている.この研究科は両学部が共同で行うことを担保するため,修士3専攻のうち1専攻で双方から人を出して運営することが制約として求められていた.その専攻が「国際マネジメント専攻」となっている.教養学部から人が出てマネジメントというのは,常識的にはないことである.しかもその設置準備室会議は1回目であるのに,議事録には「いろいろ提案があったが」という.ということは,その準備室以前に,教授会に特に紹介もなくいろいろ話を相手学部と進めていたことになるではないか.
 実は私は当時,教養学部のあるセクション(要するにGGであるが)に属していて,たぶんそこの某教授から7月10日付の文書のファイルをもらっていた.A4で4枚のその文書は,そのセクションの修士課程の計画が書いてあったが,実施はまず不可能な,ビジネススクールのような仕様だったのである.ということは,7月の初めの段階でそういう話が進んでいたということになるであろう.その後,教養学部執行部案として出てきた専攻配置案は,その準備室の案そのままではなく,変わってはいる.しかし中心になると思えるセクションは同じだった.
 日記を見ると,10月後半頃から私も部内でいろんな人と,この設置の話はおかしいのではないかと話すようになった.問題は少なくとも2つあった.執行部案のままでは,共同の専攻(後に「真ん中専攻」と呼ぶようになった)は,過去の実績から見ると,少なくとも教養学部側では志願者は確保できないこと.および,その案の通りにすると教養学部自体の人員配置をかなり変えなければならなくなることである.
 さらに問題をややこしくしたのが,そもそも大学で出した申請が通ったのかどうかがはっきりしないことだった.通常の競争的な補助金であれば,採択結果がほどなく示され,同時に今後の配分される予算の概算(通常はそれより下回る)が示されるはずである.しかしこの補助金については,「通る」という話が執行部から出るのみで,「通った」というアナウンスがあったとは聞いていない.通らなければ作業をする必要もない.
 かくして設置の執行部案には教授会で批判的な意見が出るようになった(多く発言したのは私であったが…).
 転機は11月17日の教授会で訪れた.この教授会は3年次編入学の判定のために日曜に開いた教授会であった.その教授会で,文科省への説明のために執行部案を持ってゆくことが諮られた.執行部案の中身は教授会の承認を経ていないとの指摘が出た.ここで議長は裁決するという.私を含め何人かは,採決するのではなく話し合うことを求めた.が,採決となった.採決の結果,執行部案が否決されたのである.私は,否決されるとは思わなかった.

 この教授会の後しばらくの間,混乱があり,かつ話が二転三転したのである.その間の経緯は面白くはあるが,省略する.
 11月29日に臨時教授会が開かれた.その折に学長・両理事が訪れ,WGを作って案の協議を進めることの要請があった.同時に,12月に次期の学部長選挙をすることが決まったのである.
 教養学部ではそれまで,特別な事情がなければ学部長選挙は年を越した1月に行う.それを前倒しで行うというのは,次期の学部長を決めることで次年度に予定される設置申請のための学部の体制を早めに作るということだったかも知れない(別の理由だったかも知れない).ついでに言えばこの学部長選挙も,多少の混乱があり,結局例年のように1月にやることとなったのであった.
 何れにせよ11/17をもって話は大きく転換したのである.それまで,関係委員は既に目の前にある案を既定路線と思い込んで議論していた.が,これ以降は,自分たちが参加する新研究科を,自分たちの考えを加味してデザインしようと考えるようになったのである.
 私は新たなWGのメンバーには選ばれていない.メンバーに呼ばれた同僚が私を入れた方がよいのではないかと申し入れたが,学部長から断られたそうである.ただ,私はメンバーとの間では意見交換をしており,実質的には情報を聞き,発言もしていた.
 かくして新年を迎え,物語は佳境に入ってゆくのである.

(この記載は実話のようなフィクションです.)

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