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学長による学部長の指名

■大学の「学部・研究科等の長」を以下では一括して「学部長」と呼んでおく.
 現状,ほとんどの国立大学で,学部長は当該学部の教授会構成員による選挙で選ばれる.だが時期的にいえば,ウチの大学でも従来の方法を廃棄し,学長が学部長を指名する方式への切り替えることが日程にのぼって不思議はない.
 私が出席した17大学人文系学部長会議のうち,2014年の会議では,学長による学部長指名がガバナンス改革というタイトルで話題になった.先行的に学長指名を実施した(ないしする予定の)大学から方法の紹介があった.学部から複数名の学部長候補者を学長に上申し,その中から学長が選ぶ,という方法が多かったように思う.学長は再上申を学部に求めることができるようなケースもあった.
 現状の埼大の規則では,学部教授会は細則が定められた選挙で1人の学部長候補者を選び,学長に上申する.その上申を経て学長が学部長を任命する.「上申を経て」であって「上申に基づき」ではないから,現状規則でも上申された候補者を学部長に任命しなくてもよいのかも知れない.しかし学部長の任命は教授会による上申を前提にするから,学長は上申された候補者以外を任命することはないだろう.選び直しが可能ならその旨規則に書くのが普通である.
 ただ,埼玉大学は2015年度に,学長選考規程を文科省受けするように改めた.学長の任期を一律に6年に延ばした.学長選考時に行っていた教職員の投票も,実施が任意の参考投票であって,学長選考会議が不要と思えば行わず,実施したとしても投票結果に従う必要がないことは,それ以前から決められていたことである.埼大はこの学長選考規程の改訂をしているので,学部長選考の規程については改訂をうやむやにできるという可能性もあるかも知れない.むろん文科省の立場を忖度し,学長による学部長指名の方向に舵を切ることもあるかも知れない.

■「学長による学部長の指名」は何時頃からいわれ始めたのか? 遡れば,少なくとも2007年の教育再生会議で既に提唱されていたのである.だからいわれ始めて長い.教育再生会議とは文科省系列の審議会である.実は内閣系の経済財政諮問会議でも大学についての議論があった.文科省の狙いは上位官庁(文科省)が大学をきっちり支配し,大学の中でも学長に権限を集中して教授会は学長に従属することを目指していた.ちょうど,小中高校で教職員会議の権限を無しにして権限を校長に集める,その発想である.対して規制緩和を狙う経済財政諮問会議の方は,権限を規制官庁に集中させることに関心はない.むしろ Equal Footing の考え方で大学間の競争を促すことに関心があった.
 文科省と経済財政諮問会議の考え方の相違を例示してみよう.文科省側は現在と同様に,教育,研究,社会貢献,マネジメント(今でいうガバナンス)の4項目で大学を評価する考えだった.マネジメントの部分として,学長選挙の廃止や,学部構成員による学部長選挙の廃止が唱えられ,学部長は学長が指名する,ないし学長が外から学部長を連れて来る,といった意見が出ていたのである.対して経済財政諮問会議の資料を見ると,大学の評価はあくまで教育と研究によるべきであり,社会貢献やマネジメントは副次的な評価項目という考えだった.経済財政諮問会議の学者委員が教育再生会議に出て語ったのは次のようなことである(当時から議事録はネットで公開されている).
《3点感じたことを述べたい。
(途中、略)
 マネジメント部分については最も違和感がある.予算制約がある限りにおいて,学長の権限をいかに強化してもトップマネジメントは実現しない.学部長を外から持ってきても全く機能しない.学長選挙を廃止することに何の意味があるのか.
 財政に関するポイントは基金であろう.アメリカでは潤沢な基金に加えて,高額な授業料で教育を賄う代わりに奨学金や州立大学が存在して,高いpay に見合う質の高い教育を提供している.またマネジメントについては,アメリカでは大学の職員はその大学に雇われた人であるのに対して,日本の国立大学の職員は文科省の役人である.
 幅広い教養については現状の学部体制のままでも可能である.わざわざ学部の再編を行う必要があるのか。また教育と研究を分離した筑波大学に対する評価は様々であるが,大成功したという評価ではないのではないか。
(後略)》
 10年前のこの意見は,その通りではないか?

■文科省から大学の末端の教職員に至るまでの一元的な支配体制の確立を,文科省は長い時間をかけて目指してきたといってよい.学長による学部長指名は,その一元支配の重要なポイントであったろう.だから私は「学長による学部長指名」が気に入らない.
 しかし,ウチの大学が「学長による学部長指名」を受け入れるかどうかは,現員が判断するしかない.国立大学にもよるが,地方国立大学は特に文科省に全面的に依存している現実があるからである(ただし何れ地方移管になるかも知れない).
 10年前に私はこのブログで,「教員による学部長選挙が消滅する日」と書いた.その趣旨は次に点にある.教員による学部長選挙が機能する前提は,教授会構成員が統合されたムラ社会,ないしコミュニティを作っていることである.その前提が崩れているなら,学部長を学部内で選ぶ意味はないかも知れない.
 私は結構長いこと埼大に勤めていて,学部長選挙や学長選挙のアホらしい,滑稽な光景を眺めてきた.時折,悲劇が起こった.こんなことなら選挙などやらない方がよいと思える事例も,口にはしないが,挙げることはできる.だから学部長選考を学長に預けてしまうことも,あながち悪いことともいえない.

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