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教養教育は学部間で話し合うような事項ではない

 7月のことと思う.非常勤での授業担当があって埼大に行ったら,人に会い,全学の会議で教養教育について議論したと聞いた.学部の反応にいろいろあってまとまり難いような話であった.いかにもそうだろうな,と思った.
 時間的に考えて,9月にはそれなりに落ち着くところに落ち着くはずである.すべてをひっくり返すほどの迫力のある学部はない.
 とはいえ,結局は教養教育の残骸のような案でまとまらざるを得ないだろうな,とも思う.その点も仕方ないだろう.

 そもそも,教養教育のプランは学部間で話し合うような事項ではない.政治的には,何れかの時点で学部の了解を得る必要はあるだろう.しかし,何をどうすると考える時点では全学でプランを作るしかない.なぜなら,学部は自分たちの専門教育を考えている.その学部の発想からすれば,専門のための基礎教育を充実させるという必要性は感じても(専門基礎の科目は専門科目に入る),教養教育をどうするという考えは出ない.学部の専門教育のために教養教育が必要になることはまずないからである.教養教育は,この大学の卒業生がどのような知識を身に付けるべきであるかという理念から出てくる.専門教育を担う学部からは出ないのである.だから全学のセクションで考えるべきなのだ.

 1つ前の記載で書いたように,私自身が教養教育のプランに関わったのは2001-2003年度だけである.その後,学部長として教養教育の議論に加わったことはあるが,学部長は学部構成員の考えを背負って動くものであり,教養教育のとりまとめをする立場になることはなかった.

 2001-2003年度の私の経験(それ以前だと,共通教育の社会科学の実施部会に出ていた経験)からすると,まとまり難いのは実感としてよく分かる.

 2001-2003年度の全学の会合のことを言えば,各学部から2人が出て,その方々の会合が中心であったと記憶している(それ以外の方が出席した会合もあった).教養学部からは,後に学部長をされた関口先生と私が出席していた.各学部ともそれぞれの考えがあり,とりまとめは(副学長のK先生であったが)難しかったはずである.
 私は教養教育について,1つ前の記載のようなプランを主張していた.経済学部の先生からは割と理解を得られた.けれども,その先生だから理解してくださったのであって,別の先生が出てくれば話は違ったかも知れない.ややこしかったのは,当時の教育学部の委員の先生からは,私のプランとはまったく別のプランが出て来たことである.そのプランとは,教育学部を2つに割り,1つを従来のような教員養成学部,もう1つを総合的な学部にして,その学部で全学の教養教育を一手に引き受けましょう,というプランだった.その新学部にどれほどの教員を出せるかは,当時の教員養成学部の「あり方懇談会」の結果による,ということであった.
 私は教育学部のプランに対しては否定的だった.第1に,教育学部を2つに割れるのであれば,教員養成学部でない方の学部用の教員・学生定員の使い道は大学の判断で全学的に構想すべきであり,教育学部の都合に任せるべき筋とは思えなかったからである.第2の異論はより理念的である.教育学部委員から出ていた教養教育とは「総合的」ということであったが,私の発想からすれば,教養教育の授業も学問分野の専門性を外すべきではない,素性の分からぬ授業を作るべきではない,と考えたからである.「経済学」,「文学」,「物理学」といったディシプリンを外した授業など,講演ネタにはなろうが大学教育にはならない.教育学部のプランと私のプランの2つで最終的にコンペのようになったのであるが,当時の兵藤学長が私のプランを選んだ,という決着だった.換骨奪胎はされたが,そのうえで田隅学長に引き継がれたことになる.

 もう一つ難しかったのは,理工,特に理学部が教養教育に対して引いていたことである.教養学部の関口先生と私が出て,理工の先生と話しあったことがあった.理学部からM先生(研究科長になった方ではない),工学部からはK先生が出席された.その折に別の学部の先生も出席されていたかどうかは,記憶がはっきりしない.ともかく,その時の話し合いは厳しいものであった.
 理学部の先生から出た言葉で印象に残るのは次のような発言である.

1) 理学部はノーベル賞を取るような研究をしている.
2) 理学部は研究中心の学部であり,その点が文系学部とは違う.
3) 理学部は工学部と一緒に研究中心を進める.教養学部との括りにはされたくない.
4) 理学部は研究者養成の学部であり,専門の基礎教育には関心があるが,教養教育には興味がない.

 以上は印象に残ったことだけを選択したという意味で誇張があることに注意して頂きたい.

 1)については,仲間内に戻ってからは「そんなことはノーベル賞を取ってから言え」と陰口をたたいたものである.ただ「ノーベル賞を取るような」というこの言い方は,理学部の先生の口からはその後も時折出ていた.事実としても,そんなこと口にするか?
 会合の席上,私が最も腹を立てたのは2)の発言である.「我々をなめているのか」といって私は立ち上がろうとするのを,右の席にいた関口先生が私の腕を抑えて止めた.むろんそこで相手に詰め寄ってひと悶着起こすほど私も馬鹿ではなく,不快感を示すためのジェスチャーであったが,関口先生が抑えるポーズをしてくださったのが阿吽の呼吸だったろう.
 まあ,1)~4)のようなことをお考えであるなら,教養教育を担いますという話には,なり難いだろうと思う.

 ただ,私の教養教育のプランに対しては,委員だった理学部のM先生(研究科長になった方)は理解してくださった.とはいえ,後に理学部内から突き上げを食らった,とは伺っている.

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Comments

M先生違いかも知れませんね( ^ω^ ).電波Universityというのが放送大学を指すとすれば,放送大学と同じ水準の授業は埼大では出せないでしょうね.電波に乗せるだけ練れているし,テキストもちゃんとよくできている.ですから教養教育を放送大学でできれば,お金の問題さえ解決できれば,オンノジでしょう.むしろ専門の授業を放送大学でやった方がよいかも知れない.思い切って単位互換を124単位認めて,他の大学で取った単位を埼大で認定することができたら画期的かも知れませんが,授業料は取れませんな(笑).席料だけ.

Posted by: ブログ主 | August 23, 2017 09:32 PM

教養教育は電波universityでいいじゃん、って言ってた人でしょうかね。
面白い人で好きだたなあ(笑)

Posted by: M先生 | August 23, 2017 06:43 PM

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