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大学院部局化

 経緯からいえば大学院部局化とは,大学間の身分差を作るメカニズムである.

 法人化の前の段階で,旧帝大(など?)の上位大学は大学院部局化をし,大学院の定員も増やしている.教授も大学院教授となった.国立大学の独法化は避けられない,という役所筋情報を私がもらったのは1999年であるが,1998年に某旧帝大に集中講義に行った際,その作業中であるという話を聞いた.実際に国立大学が法人化されたのは2004年である.法人化より前に,上位大学の部局化は完了していたと思う.
 その上位大学の大学院部局化では,当該大学の予算を文科省は増額している.その増額が学生当たりの積算分だけなのかどうかは確認していない.ともかくこの部局化で旧帝大は研究基盤を強め,法人化後の第1の中期での研究成果を高めたはずである.「中期の評価は出来レースだね」と第1期の頃にどなたかと話したものである.
 しかし法人化後,それほど上位でもない大学も大学院部局化をする例が出てきた.埼大でも法人化1代目の学長さんの治世の2006年度に理工学研究科が部局化し,理学部と工学部は理工研が学部向けに出す教育課程(教育組織)という位置づけになった.
 埼大理工の院部局化の時は私は役職からいって全学の会議には出ていないので直接的には説明に接していない.時の教養学部長からは,他大学が「大学院(研究科)教授」を名乗るので,ただの教授では辛い,自分たちも大学院教授と名乗って偉く見せたい,という要望が理工側からあったと伺った.別の消息筋は,理は博士課程で定員を充たすが修士課程の学生充足が難しく,工学系は逆なので,一緒になって院の定員を修士も博士も満たしているように見せたいという事情があった,という.この別消息筋情報は,ありそうではあるが,その真偽は確認していない.
 その後,2015年に私がいた教養学部と経済学部が大学院で合併し,その大学院研究科(人社研)で部局化した.その結果,埼大で院部局化していないのは教育学部だけになったのである.
 この2015年の人社研については,時の全学執行部の頭にあったのは「上を目指す」ことでだったという事情がある.だから,「偉そうな名称にする」ことは必然であったかも知れない.

 上位大学が大学院部局化してから,「大学院教授」という肩書を目にすることが多くなった.まあなるほど,単に「教授」であるよりも「大学院教授」の方が偉そうである.無垢な人は,教授の中に平の教授と大学院教授があり,大学院教授が偉い,と思うだろう.だから大学院教授という名称が欲しいという理工研の心情もわかることはわかる.
 ただ,これ見よがしに偉さを強調するかのような「大学院教授」という名称には,私は不快感を感じるとともに,過度に見た目にこだわる点に浅ましさを感じてしまう.
 私は一昨年退職した.退職前に人社研ができて院部局化したので,退職時の肩書が「埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授」であったように思う.それ以前の辞令に表記された私の肩書は「埼玉大学教授 教養学部」だったように思うので,同じ例にするなら「埼玉大学教授 人文社会科学研究科」になるだろう.しかしわざわざ「教授」の前に「大学院」を持ってくるところが,見え透いた浅ましさである.
 以前,埼大には政策科学研究科というのがあった.この研究科は一時,教員の半分が教養学部を本籍にしていたが,埼大から出て行く直前には独立研究科,つまり院だけの研究科であった.だからその教授は大学院教授以外ではない.しかしその政策科学研究科教授を「大学院教授」などと表記したという記憶は私にはない.「埼玉大学教授 政策科学研究科」だったろう.
 教授の名称としては,私の例でいえば,「埼玉大学教授 人文社会科学研究科」にするか,研究組織上の区分を使って「埼玉大学教授 社会学」が穏当なところではないかと思う.趣味からいえば後者がよい.

 余談であるが,最初に上位大学が大学院部局化したときには,それらの大学を最終的には「大学院大学」にする,というアイディアがあったろう,という気がする.
 私が大学院生(東大)の頃,出席していたある授業の担当教授が「東大は(旧帝大は,だったかも知れない)大学院大学にするというのも手なんだよな」と仰っておられた.40年ほど前のことである.その頃から上位大学の大学院大学化は,アイディアとしてはあったのである.
 私が教養学部長だった期間に人文系学部長会議(メンバーは地方国大=三次リーグの人文系学部長)に出ると,時折次のような話が出ていた.「旧帝大は大学院大学となって学部教育から手を引くべきだ.旧帝大は忙しくてろくな学部教育ができていない.我々に学部教育を任せてくれれば良い学生を東大などに送り出す.」この意見にはほぼ皆さんが賛成の声をあげた.上位大学が院の学生定員を増やしているので,どこも院の方は学生確保が苦しく,しかも「良い学生」は学部の方にいたからだろう.
 しかし旧帝大も,学部を手放そうとはしていない.研究中心などといいつつも,学部を手放すと予算が減るからだろうか? しかし,受験者人口の減少を考えれば,旧帝大などが学部を手放す(その結果学生定員は縮小させるが研究者規模=研究力は維持する)ことは有力な解決法の1つなのである.旧帝大などが学部を手放してくれれば,地方国立大学に立つ瀬が出て来るように私は思う.

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