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法人化後の初代学長

 埼大では,次期の学長選考が来年あるはずである.だからたぶん今頃,次期学長の人選を,考える人は考え始めるだろう.
 人によっては次期学長の選考を大変だと思うかもしれない.なにしろ,次期から学長は一括任期が6年となった.途中で学長を変わって頂くことは,病気や事故がない限り,まずない.
 今の埼大は,既に工学系中心で舵を切っている.埼大が単体で運営されるなら,その点は変わらないだろう.大学が削減を行う場合は教育学部の縮小の方向に向かうものと思う(そのように口にしておられる外部委員の方もいる).
 しかし次期学長のうちにアンブレラ統合の話になるとすれば,どこと一緒になるかによるが,分からなくなる.埼大としては未曽有の転機が訪れることになるように思う.展開によっては埼玉キャンパス(下大久保)をどのようにするかの判断になるだろう.むろん,アンブレラに進むかどうかは,文科省にそれだけの腹があるかどうかの問題である.個別の大学ではどうせ判断できない.
 学長の任期が6年となると,その間にいろんなことが起きる可能性があるのである.
 ただ私自身の実感としては,学長を誰にするかなど,考えるのはバカバカしいように思っている.過去の例では,選出前と後では,学長の印象は変わるからである.また学長がどうであるかよりは,社会情勢や文科省の出方による部分が大きい.

 などと考えるのであるが,どうせ暇なので,法人化後の学長を私がどう思ったかを書いてみたい.むろん,私ごときでは見えない部分を学長はお持ちなので,不正確な面があるのはご勘弁願いたい.
 まず法人化後の初代であった田隅学長についてである.

 田隅学長は,明確な争点を持った学長選挙で勝利したという点では,私が知る範囲で唯一の学長さんだった.それ以外の学長選挙も争点はあったとは思うが,明確なものではない.争点とは,いうまでもなく群玉統合の是非である.田隅学長は「統合棚上げ」(たぶん上げたまま下ろさないということだったろう)をうたった.
 私は対立候補だった当時の現職の学長さんの推薦人に名を連ねていた.私に推薦人の依頼があったくらいであるから勝ち目はなかったのだろう.推薦人を引き受ける際に,話を持ってきた方には「統合をするとはいうな」と意見を述べた.統合は進めるべきと思っていたが,その時点ではあの統合に既に進展の見込みがなかったからである.しかし私が支持した候補は「統合を進めます」と表明したので,そりゃダメだ,と思ったものである.対する田隅学長には「やっても無駄だから止める」という割り切りがあった.
 この割り切りの強さが,良くも悪くも田隅学長の特色だったように思う.その点はこの方が理学の研究者らしい点であると私は思った.私がいうことはあらゆる人の常識に反するかもしれない,しかしこれが真実だ,ということがサイエンスの美学であり,サイエンティストはその興奮を求めるからである.
 統合に関しては明確な方針を持っていたけれど,それ以外の点ではこれといった大学運営の考えはおありでなかったように私は思う.学長就任時点でのこの方の言葉で私が記憶しているのは「民族自決主義」である.その言葉は,各学部がそれぞれの分野で自分で判断して頑張ればよい,という意味である.裏を返せば,部局以外で大学として何かをするという考えはおありでなかったような気がする.部局には干渉しないという意味であるから,部局には有難がったはずである.
 とはいいながら,学長に就任してからは大学としての運営をいろいろお考えになったのではないかと私は思う.
 実は田隅学長は前回の学長選では惜敗している.私は誰かから「今度は抜かりないように準備万端整えている」という話を伺った.ただ「準備万端」かどうかではなく,単純に統合が嫌だった人が多かったということだろう.ちなみに,教養学部の執行部の方々は,たぶん岡崎前学部長を除いて,群馬に行くのが嫌でみな田隅候補に投票したのである.
 学長選びが話題になっている時点で理系の先生方は,田隅先生は力のある方であるから,学長になればきっと何とかしてくださる,という趣旨のことを仰っていた.「あの方が何とかしてくださる」という発想は,三代目学長さんの選任前にも時折理系の方が口にしていたから笑ってしまう.文系の教員には,誰かが「何とかしてくださる」という発想はまずない.

 今の時点で考えると,田隅学長は法人化後の3人の学長の中では最も重要な仕事をされたのではないか,と思う.重要な仕事とは,法人化した国大の運営スタイルの確立,予算削減への対応,大学の方向性,の3つである.

 第1の「法人化した国大の運営スタイルの確立」というのは,法人化してから経営協議会を含めて全学の運営方法が変わり(変化の程度をどう評価するかは判断としても),新たな運営形式を実施に移したことである.文科省側にテンプレートがあるからそれほど大変なことではなかったかも知れない.が,全学の協議は評議会ではなく全学運営会議で行うというスタイルを作ったのはこの学長さんであり,その点は以後の学長さんも継承している.
 論争的だったのは「学長権限」に関する田隅学長の見解だったろう.もともと田隅学長による学長権限論は,ある下らない問題に関する処理の仕方を合理化するために出てきたことである.が,当時はまだ「大学の自治幻想」が強かった学内世論の中で,学長にはすべての業務事項を決める権限があるという趣旨の田隅学長見解は衝撃的だった.私を含めて多くの教員が反発したけれども,話を聞くうちに「どうも田隅学長が正しい」と私も思うようになった.「田隅学長が正しい」と最初にいった部局長は,田隅学長と折り合いが良かった教育学部長であったと思う.法令の条文を見ると,筋が通っていたのである.
 今日,国立大学法人法の解釈としての田隅学長の見解を疑う者はいない.その後の学長さんもこの見解に従って学長としての判断を通してきた.埼大の場合,ある種のアクシデントの結果であるが,早めにこの見解が明確になったのである.

 第2は「予算削減への対応」である.法人化されてから運営費交付金の毎年の定率削減も始まったと思う.しかしすぐに予算が底をつく訳でもなかろうに,田隅学長のときから緊縮財政になったことが目立った.研究費や非常勤講師費用が大幅に削減され,学内各所から悲鳴があがったのである.学長はその怨嗟を受けることになった.教員定数の再定義と称する教員の大幅削減(名目は「全学化」)があり,教養学部では最も被害が大きく30名を超える教員の削減が決まったのも,田隅学長就任の半年後である(実質的にはその何か月か前に決まっていた).
 経費削減はいろんな局面に及んだ.一番笑ったのは,通勤用の定期券を買ったらその定期券を見せろ,ということになったことだろう.その後,退職に至るまで,私は年に1回は事務方に定期を見せて確認してもらっていた.
 田隅学長の治世で実際に行ったほどの削減が必要であったかどうか,私には疑問がある.研究費についてはともかく,教員定数をそれほど削減する必要があったのか? その点は分からない.実際は,教養学部(など)が放出したポストをどこかに使っていたようであり,その実態は,次の学長になるまでよく分からなかった(次の学長の時期でも私は詳しくは伺っていない).あるいは過剰に削減した(削減できるポストを作った)かも知れないのである.ただ,このときの削減のおかげで,埼大ではその後しばらく教員定数の削減はなかった.三代目学長さんになってから,定率である程度の削減を行うまで,削減はなかった.が,その間,私の知る他の国立大学ではずっと,少しずつ削減をしていたのである.そこは判断であるけれど,田隅学長のときに大幅削減したことが「貯金」になって,その後の削減はあまりなかったのかも知れない.そう考えると,田隅学長時代の削減については,全学の立場で考えると,一概に否定すべきではないかも知れない.

 第3は「大学の方向性」についてである.就任時点では,田隅学長には全学のあり方に関して特段のお考えはなかったように思う.しかし,実際に法人化後の現実に直面しながら,田隅学長は一定の大学の方向性について発信するようになった.あくまで学長が学部訪問をしたときの発言から見ているが,大きな方向性の1点目は,(研究ではなく)教育重視という点である.2点目は,地域に入り込むことを重視した考えである.
 1点目の教育重視については,学生から見放されないようにする,ということである.だから,大学の経費削減についても,教育費(非常勤費を含む)は,「お客さんがいるから削減できない」といういい方だった.削減は主に研究費であるとの説明だった.
 教育重視というと,田隅学長の理学部の伝統的な考えからは乖離する.そこをあえていったのは,田隅学長が長く東大に仕事をしていて,研究中心の上位大学の様子を理解していたためであると思う.彼はCOEを取るような部署の業績の実態を理解している.埼大は違う,という判断だったように思う.その点はこの学長さんらしい割り切りだったろう.ただ,教育重視といういい方は理工系からは反発を受ける要素になる.
 2点目の地域についてである.埼大では,三代目学長になってからも,地域をどのように位置づけるかについて逡巡があったと私は思う.すんなりとCOCも申請しなかったことがその点を物語る.「3類型」で「地域」をしぶしぶ選んだけれど,三代目学長にも当時の部局長にもためらいがあった.が,初代の学長さんはそこはきっぱりと割り切って地域志向を出していたのは,今の時点で考えると目を見張る.もっとも,その割には埼玉県との関係がギクシャクしていた,という点は二代目学長になってから表に出たことである.しかし,主に埼玉県内の高校回りを,ハイスクールキャラバンと称してやっていたのも,地域を重視した姿勢の強い表れであった(当時私は副学部長でハイスクールキャラバンの係になったので,大変嫌だったが).
 大学の方向性に関する田隅学長の考えは,(喜んでかどうかは別であるが)私には理解できるものだった.

 田隅学長4年目に学長選考があった.就任時点ではかなりの方々からの期待を受けていた田隅学長であったが,4年後にはご存じのように,学内ではまったく人気がなかった.何しろ,田隅学長の再選を支持した部局長は一人もいなかった.いちばんうまく付き合っていた教育学部長すら離反したのである.ならなんで4年前に期待を込めて選んだんだろうと私は不思議に思うほどだった.それだけ,選ぶ前と後では異なって来るのである.
 記録としての事績を見ると田隅学長はなかなか仕事をされたと思う.にもかかわらず学内で評価が悪かったのは,全学の会議の様子が険悪だったことにあるようだ.その点は,私はまだ部局長ではなかったので,この目では見ておらず,よく分からない.
 先に書いた「ある下らない問題」で田隅学長が学長権限を行使したときのことである.その件では田隅学長は学内から非難を受けた.私も内輪で悪口をいった.その際,文句があれば聞こう,申し込んでくれ,と田隅学長が表明した.そういわれて申し込まないのは卑怯と思い,私は申し込んで実際に30分ほどさしで話し合ったことがある.この学長さんと直に話したのはその時だけである.その時は双方が主張をし合って別れる時も平行線だった.が,その間にその人となりはある程度分かったような気がしている.
 この方は典型的な古い東大教授だと感じた.愛想がないが悪気もない.基本的に学者なのである.人のパーソナリティ次元の1つは,セルフモニタリングというか,周囲の目を気にしてその中で自分のあり方を決める人と,周囲を気にせず自分の原理に従って判断する人がいる.むろん程度問題である.が,ある時点の社会心理学のテキストでは,前者の典型がビル・クリントンである.ビルは愛嬌があり,自分を取り巻く状況の中で自分に期待されることをつかみ,自分の言動を調整することがうまい.だから大変なスキャンダラスに見舞われながら大統領の任期8年を全うしている.田隅学長は後者だろう.この方は自分の原理があり,その原理にしたがう.学者はそれでよいのである.
 もう一つある.この方は分析的である.分析的な人間の常は考えが暗いことである(私がいうのではなく研究があり,テキストにも書いてある).だから暗くなる必要もない場合でも暗い雰囲気を作ってしまうのかも知れない,と感じた.
 
 いずれにせよ,何となく評判は悪かったが,田隅学長は仕事をなされた.その批判の原因の多くは,法人化直後の試行錯誤の中で生じたことのように思う.
 そして,いえることは,学長になってからの様子は事前には分からなかったことである.まあそんなものなのだろう.

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