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法人化後の2代目学長(上)

 2つ前の記載で「法人化後の初代学長」について書いた.書いた動機はその学長さんを評価しようというのではない.「学長って,なる前と後では変わるよね」といいたかったことが動機である.同じ観点で法人化後の2代目学長さんについて書いてみよう.
 しばらく前にこのブログで「2007年の学長選考」(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2017/11/2007-d215.html)という記載を書いた.この学長選考が法人化後の2代目学長,つまり上井学長を選んだときである.その記載には私が知っている範囲での選考の経緯を書いたが(私が存じ上げぬ経緯もあるはずである),ついでに2代目学長に対する私の評価も書いている.その記載とはなるべく重複せぬように以下を書いてみたい.

 初代学長さんの御代が2004-2007年度の4年間,2代目学長さんの御代が2008-2013年度の6年間だった.この2代目学長さんは,実質的に意味のある学長選挙を勝ち抜いた最後の学長さんであろうと思う.しかも再選を含めて2度の学長選挙を勝ち抜いているのである.制度が変わったので2度の学長選挙を勝ち抜く学長はもう出ない.今後も教職員による学長選挙をやるかも知れないが,やるとしても選挙としての実質的な意味は無くなっているだろう.
 学長を下々が選ぶ際に2つの考え方がある.1つは Great Person Theory とでもいうべきものであり,偉い,崇めるような学長さんを選ぼうという考えである.もう1つはConsensus Theory とでも呼べるだろう.皆さんとコンセンサスをとってやっていく,そのための協議をするのに適した方を選ぼう,という考え方である.先代の初代学長さんについては,推薦する方々は前者の考えで推薦したように思う.2代目さんは,偉くない訳ではないのだが,後者の考え方で推した,というのが私の理解である.初期の協議の中でコンセンサス重視を打ち出すことをいい出したのは後の加藤理事だったと理解している.初代目さんが(結果として)トップダウン志向であったため,トップダウンへの嫌気が蔓延していたのである.だから今度はコンセンサス型で,という考えが当時は強かった.事務方は2代目さんをしばしば「調整型」と評する.

 さて,この2代目さんの治世の6年間は,大まかに2年ごとに3つに区切るのが分かりやすいように思っている.
 まず最初の2年間は,学長になる際に標榜したことの実現に努力されたと私も思う.
 まずいろんな機会に対話重視の姿勢を形にしていった.以前の記載に書いた「くだらない例」をあげれば,対話重視の姿勢は新年の賀詞交歓会に現れた.賀詞交歓会は部下が学長の前に整列して小学校の朝礼のようになりがちである.が,2代目さんは最初の賀詞交歓会の際,部屋の真ん中を空けてみんなで丸くなるようにしたのである.皆さんと同じ目の高さで接する気持ちの表現だったのだろう.より実質的には,部局長の参加で,全学運営会議の他に全学の将来構想委員会のようなもの(正式名称は忘れた)を開き,今後の大学のあり方の協議をしたのである.実務中心の全学運営会議では出ないような議論をその場で行った.
 また,立候補の際に表明されたごとく,他大学とのネットワークの構築を試みられたのも確かである.実際,学長任期の当初に,あたかも統合に動きそうな気配すら出たことがある(数日で消えた).また近隣の大学と接触して協力の仕方を学長間で話し合う機会を持たれたはずである.この間,立教大学との交流が増え,立教大学と埼大でどのような協力ができるか考えてくれ,と私に依頼することもあった.(学部に持ち帰って意見がありそうな教養学部教員と協議したのであるが,立教大学の方にメリットがないだろう,という意見が大勢であり,それ以上の検討はなかった.)
 実は2代目学長の誕生の前,私が教養学部の副学部長だったときに,北関東国立4大学の文系学部と協議する試みをしたこともある.その時も(なぜか)上井先生は出席された.確か宇都宮でのことである.また,上井学長誕生後は,4大学連携(4Uといっていた)の会合に理工の水谷先生とご一緒しながら出席していたことがある.埼大の責任者は当時の川橋理事だった.
 ただ,残念ながら北関東4大学の連携は次第に消えていった.その理由は4Uの会合に出ていてよくわかった.いずれの大学も,自分たちの組織のために他大学を利用する,という考えであり,新たな連合体で生きることを考えていなかったからである.新たなアイデンティティを産む流れにはならなかった.自分たちのためのメリットを求める連合というのは,結局,壊れるしかない.
 この時期の2代目学長さんの功績は,大学のグルーバル方針に先鞭をつけたことだろう.評価は立場によるが,スピード感を持ってGYプログラム(Global Youth Program)を立ち上げたことを私は評価している(実は教養学部教員は評価しない人が多かった).2代目学長さんには実は変な色気があったかも知れないが,このGYプログラムによって,米国に留学してまとまって単位を取って帰るということが現実的であることを示したことは,学生にとっては大きかった.教養学部では時期を同じくして交換留学する学生数が飛躍的に伸びたのである.

上に書いた「事績」以外でも,2代目学長さんが登場した意味は大きかったように私は思う.学長として最初に全学の会議(全学運営会議?)を開いたとき(だと思うが),この学長さんがいきなり言い出したのは「部局予算を袋で渡す」ということだった.実は,トップダウン色が強かった初代学長さんのときに,予算が厳しいことを理由に,部局予算にいろんな枠がはめられていたのである.各部局はその制約で苦労したはずである.2代目さんがいった「袋で」とは,部局予算の全体額は決めるけれどもそこから先は部局の裁量で決める,ということである.この発言を聞いたとき私は「経済学部の年来の考え方だな」と思った.経済学部は部局を独立運営する意向がもともと強かったのである.
 ただ,予算の運用としては経済学部の考えが正しい.予算配分の最適問題を解くには制約条件をハッキリさせることが前提であり,申請によってお金が取れたり取れなかったり,というのでは,結局,優先順位の低い事項に予算を配分する以外になくなることが多いからである.ただ,この話を通せたのは,2代目さんがボトムアップ型であったことによるだろうと私は思う.
 私に勘違いもあるかも知れないが,学長がトップダウン志向になると,本部事務方の上の方(文科省人事で回って来る方々)は教員や部局を見ない.学長ばかりを見るのである.だから結果として部局や教員一般には冷たくなる.ところがボトムアップの学長になると「部局が首を縦に振らなければ動きませんよ」という暗黙のメッセージを学長が発するから,本部事務方も部局や教員の方を多少は見る.その違いはあるように思う.実際,学長がトップダウン志向の3代目になると,予算が厳しいことを理由に,またも財務側は予算にいろんな枠をはめ始めた.いろんな予算が財務への申請に基づくことになったけれども,財務に判断ができるはずもなく,結果として予算の執行は遅れるし,もらうお金は同じでも優先順位の合理性は低下したように思う.
 また,2代目さんが良かったのは労使関係において労働側への配慮を強くしたことだろう.労使関係は学長任期を超えて基準として継承される可能性があるので,教職員側への恩恵は今も続いているのではないかと想像する.
 さらにいえば,2代目さんが良かったのは彼自身が学長であることを楽しんでいたことだろう.その点は入学式や卒業式などの式辞・挨拶に現れていた.私は部局長だったので,公式の場では壇上の後ろの方に座っており,嫌でも学長の挨拶は耳に入った.2代目さんの挨拶は長めであり,しかもかなり時間をかけて考え抜いた挨拶のように思えた.中身的には,シニカルな私は,発言の機会があればツッコミを入れたかも知れない.が,学長さんは非常に楽しんで話しているのである.良いことである.楽しみながら話してくれると聞く方も明るくなるからである.
 初代の学長さんは挨拶がつまらないことが定説になっていた.分かるような気がする.初代目さんは生真面目な人であり,しかも無駄なことはしないという考えがある.挨拶などは所詮無駄話である.そう思っていれば話は一層つまらなくなる.挨拶という点ではやはり文系の学長が優れているだろう.文系の学問の多くは,論理ではなくレトリックで勝負している面がある.だからしみじみ考えると変でも,その場では有難いように聞かせることは一般にうまいのである.私の印象では,3代目学長は2代目の後であるだけに,2代目に合わせて良い挨拶を心掛けていたように思う.しかし3代目さんは根が生真面目だから,どことなく無理をしている感じが残る.2代目さんは自然にもっともらしい挨拶をやってのけたのである.大したもんだと私は思った.

 さて,2番目の2年間になると,学長の動きは止まったような気がする.学長になってしばらくはいろんな検討をしたのだと思うが,とりあえず動かしようがなかった,ということだろう.実は2代目学長の前半は民主党政権時代と重なる.民主党政権の前も短命な自民党内閣が続いていた.だからこの間は文科省による弄り回し以外は明確な方針が出なかった.大学に関する大きな方向性は,安倍内閣になって大学を成長の基盤ととらえる考え方が出るまでは何もなかったというべきだろう.民主党政権時代は,仕分けなどといって喜んでいた頃であるから,運営費交付金の削減ということしか念頭に浮かばなかった時期だと思う.
 この2年間は,学長ではなく,加藤理事による教育システムの整備の時期であったように思う.だから全学の会議でも加藤理事の出番が多かった.学長は加藤理事の提案の調整役に回っていたような気がする.
 この時期,学長に関しては特に記憶に残るようなことはない.が,ややアレッと思うこともないではなかった.
 私の受け止め方であるが,第1のアレッは,ある名誉教授との裁判の件だった.全学の会議で,学長はその名誉教授に謝罪するような趣旨のことをいい出した.会議では私だけが難色を示した.会議の後に別室に呼ばれ,当時の執行部と私は話した記憶がある.学長が声明を出せば簡単に裁判は終わりそうだ,という説明だったように思う.ただ,埼玉大学はその件では一定の立場を表明しているはずであり,そこを変える必要があるとも私には思えなかった.というより,公式に表明して事務方が動いていたとすれば,余ほどのことがない限り立場を変えないのが行政的な常道であり,そこを変えるのは普通でない,と私には思えたのである.まあ,学長は「そうする」といって了解を求めただけであり,私の賛成反対でどうなるものでもなかった.裁判がどうなったかは知らない.
 後から聞いた話,事務方では失望している向きがあったようである.
 第2のアレッは「65周年記念事業」をやると学長がいい出したことである.60年や70年なら記念事業でもよいが,「65」でやるのか,という点である.この事業の主要部分は埼玉大学の歴史の(50年史からの)追記である.おそらくそのとき,私はグローバル事業の申請の案作りで忙しかったので,そんなことをする気にはなれなかったのである.ハッキリ言って,社史編纂などはさせることがない社員に割り当てる閑職のはずであり,そんなことをするならもう少し実のあることに学長は労力を払うべきと思えた.
 ただ,何れも小さな話である.
 この2年間の最後の方で,次期の学長の選考の時期が迫ってきた.2代目学長さんとしては追加の2年間を賭けるところであるが,どこからともなく,今の3代目学長さん(当時は理工研科長だったと思う)が立候補するという話が流れてきた.その辺から事情が一変したように思う.長くなるので,続きは後日の別記載としたい.

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