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新学部設置をパスしてきた埼玉大学

 何年か前の埼大の経営評議会で新学部を設置した大学の例が話題に出た折,外部委員の中から「こんなに新学部が出来ていたのか?」,「埼大はやらないの?」といった感想が出た,という風聞があった.実際がどうかは確認していない.が,世間の人間は新組織ができることを大学の進展と見る面があるから,その種の感想が実際に出ても不思議はないと私は感じた.
 思えば,埼玉大学は不思議と,工学部を新規に設置した1963年以降,新学部を作るという流れにはならなかった.ずっと5学部体制が続いている.新制大学の中でも希な例のような気がする.

埼玉大学における経過

 新学部を作る契機は過去に,少なくとも法人化の前後に1つずつあったろう.
 1つは1990年代前半にほとんどの国立大学で教養部を廃止したときである.廃止した旧教養部の教員ポストを使って多くの「新構想学部」が出来た.宇都宮大学なら国際学部,群馬大学なら社会情報学部である.
 しかし埼大では新構想学部はできなかった.旧教養部からは構想が出ていただろうと思う.前にこのブログ内で書いたが,実は私も教養学部と教養部を一緒にして「社会情報学部」と「国際文化学部」を作るという案を作り,教授会で議論してもらったことがある.しかし賛同者はいなかった.そして全学で何の積極案もないままに,なぜか「学長裁定」で教養部教員の「分属」という案で決まった.何のプランもないまま分属を決めることに私は反対したが,「学長裁定だからしょうがないだろう」という言い方をされたものである.
 詳しくは存じ上げないが,教養学部が新構想学部に反対していたかも知れない.新構想学部はどうしても教養学部と中身がかぶるからである.ならば教養学部と教養部で2つの新学部を作るという私の案は,悪くないように思うのだが,実は教養部から人が来て欲しくなかったというのが当時の教養学部の本音だったろうと思う.他学部もそこは同様だった.
 法人化後すぐにその教養部分のポストを召し上げる(全学化する)という話になった.その全学化したポストで新学部を作るということは,理論上はあり得たろう.しかし当時の学長さんの考えは「5学部が銘々に頑張る」路線であったから,新学部という方向の話は全くなかった.全学化したポストは削減して交付金減に当てようとする一方,皆さん,全学化したポストを自分たちが使いたいという下心もあった.理工のことは分からぬが,少なくとも教養学部以外の複数の文系学部は,自分たちがポストを使わせてもらうことを期待していたようだった.
 もう1つの契機は法人化後,教員養成課程の縮小的再編が進んだことである.縮小させた分の教員・学生定員を使って新学部を作る動きがいろんな大学で起きた.埼大では法人化前の兵藤学長の頃から教育学部の削減というアイディアは全学執行部の中にあった.しかし埼大の教育学部は大きく強かったので教育学部削減は政治的に難しかった.陰のバトルの末に教育学部は学長候補としての田隅候補に寄り添う戦略をとった.その結果,法人化と同時に田隅学長が出現し,政治的に教育学部が勝利したのである.その結果生じたのが「教養部分ポストの全学化」であり,割を喰ったのが教養学部,という経過だった.
 教育学部の削減がやっと実現したのは上井学長の末期,いわゆる機能強化案が出てきたときだった.この時はさすがに,文科省が教員養成課程の縮小再編を求めていた.そこで学生定員100名を教育学部が吐き出すことになったが,対応する教員数の縮小幅が小さかったのは,やはり教育学部の強さのせいだったろうと思う.
 教育学部削減の際の学生定員と教員定員を使って新学部を作るということを多くの大学が行った.当時は文科省も埼大に国際系の新学部設置を示唆したらしい.しかし埼大の執行部は新学部を見送り,定員を理工の院に付けたのである.新学部の方向に行かなかったのは,当時の学長さんが経済学部出身であった(教養学部がからむ新学部を嫌った)からであろうと私には思えたが,証拠はない.
 なお,教育学部拠出の学生定員は(学部換算で)100名であるが,理工の院に当初付いたのは50名分だった.後の50名分は何年か後に付ける予定だった.しかし全学の会議の中で,理工の院のさらなる学生定員増は無理,という意見が出て予定の定員増は困難になった.この時点でも,50名分の学生定員を原資の1つにして新学部は作ろうと思えば作れたろう.しかし結局,この時点でも話は新学部には向かわなかった.
 つまり,考えられるあらゆる機会で新学部を作らない方向の選択をし続けたのである.確率が低い事象が起きたなぁ,と私は思ったものである.

世間の国立大学はどうなのか?

 下の表は東日本(北陸は除いた)に国立の新制大学の,法人化(2004)以降の部局設置をまとめた表である.既存の学部の上に新設された研究科は除いた.名称変更だけと思える設置も除いた.学科,専攻などの追加も省いた.千葉大は旧六で新制大学ではないが,埼大の近くなので含めた.西日本も新学部等は同様に出現しているはずである.

    表:法人化(2004)後の学部設置

大学名 設置内容
弘前大学 保健学研究科(博士)(2007) 食料科学研究所(2014) 地域共創科学研究科(修士)(2020)
秋田大学 国際資源学部(2014)
福島大学 理工学群(2004) 農学群(2019)
宇都宮大学 地域デザイン科学部(2016) (共同教育学部 2020)
群馬大学 情報学部(2021) (共同教育学部 2020)
千葉大学 国際教養学部(2016)
横浜国立大学 都市科学部(2017)
山梨大学 生命環境学部(2012)
静岡大学 光医工学研究科(浜松医大との共同教育課程,2018)
岐阜大学 連合創薬医療情報研究科(2007) 自然科学技術研究科(2017)
三重大学 地域イノベーション研究科(2009)
滋賀大学 データサイエンス学部(2017)
和歌山大学 観光学部(2008)

 法人化以降だけでも結構多くの大学で新学部が設置されている.秋田大学の新学部は旧鉱山学部(理工学部に改組)と教育文化学部の一部から作った新学部である.宇都宮大学の地域デザイン科学部は工学部の一部と教員養成課程削減で出来た学部だろう.群馬大学の場合,新設の情報学部の以前から社会情報学部があったけれど,情報工学科が学部になった点が大きいので含めた.静岡大学の新研究科は浜松医大との統合話の中で出てきた共同課程のための研究科である(もっとも静岡大学と浜松医大の統合は延期になっている.静岡大学は以前にも静岡県立大学との統合を途中放棄しているので,今回もわからん).滋賀と和歌山の新学部は経済学部からの派生である.福島大学の例は特殊な事情を反映しているのだろう.
 何れの例も,新学部はその大学が目指す方向性の表現だといえるように思う.弘前,宇都宮,山梨,岐阜,三重,和歌山大学の新学部/研究科は地域産業重視の大学の姿勢を示しているだろう.横国の新学部は同大学が都市型の大学であることの宣言であるように見える.学部を作らなければ,外部には大学が何を考えているのか,ようわからん.
 最も注目すべきは滋賀大学のデータサイエンス学部である.主導した佐和隆光が流石だった.一橋も後追いで今,ソーシャル・データサイエンス学部の計画を持っている.経済学部,特に経営の部分はAIによって駆逐されやすい職種の人材を養成している訳だから,この転換は必然に思える.埼大も同じ見識を持てるとよい.

新学部設置は望ましいのか?

 以上,新学部設置について見てきた.ここまで私は,新学部設置を望ましいことのように書いてきた.が,新学部設置が望ましいのか,部局構成は変えずにやるのがよいのか,という点については,考え方によるだろうと思う.
 ちゃんとした計画が組めるなら,という前提付きではあるが,私は新学部設置が望ましいと思っている.組織は時代とともに適応的に変わるのが当たり前だろう.新学部設置は大学にストレスをかけるけれども,ある程度のストレスの存在は大学運営にとって必要なことと思える.また,何らかの動きがあれば広がる未来も,動かなければ開かないままになるように思える.動きを作ることではじめて,「しょうもない部分」を整理できるという面もある.
 ただ,あえて変わらずに力を蓄えるのがよい,組織いじりは本質的な進歩をもたらさない,という考え方もある.また,改善すべき事項は目の前にぶら下がっており,その改善を優先すべきという考え方もあるだろう.私は自分で労力を払わないから勝手にいえるが,在職していれば,組織改編ではない点に労力を割くべきと思うかもしれない.

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Comments

コメント有難うございます.お陰様で見聞が広がりました.私より貴兄がお詳しいと思いますが,教員養成に関しては文科省の中でも考えがぶれていて,大学は翻弄されてきたように思います.最終的に教育学部は教員養成特化になったようで,それが正しいように私は思います.今,佐賀大学サイトを見てみました.文化教育学部のままにしておくより今の構成の方がまとまっているように感じました.何らかの地域貢献の学部を作ることが新制大学の方向性ですが,佐賀の場合は美術館,博物館を意識した構成にした,それも1つの選択なのでしょう.現員の居場所を確保する観点からは仕方ない選択だったんじゃないでしょうか?

Posted by: eiji | February 22, 2021 01:43 AM

佐賀は、旧制高校⇒文理学部という沿革を有する教養部を、教員養成課程の縮小と抱き合わせという荒業で「文化教育」学部をつくりました。なお、秋田・福井・横国・山梨・大分・宮崎が追随しましたが、秋田以外は近年の教員不足もあり教育学部の教員養成課程に埋め戻されました。

さらに、前々代と前代の学長(ともに医学部出身)の人文系潰しによって、旧教育学部時代の特別教科課程であった美術・工芸に経済の一部をくっつけて、さらに県立の有田窯業大学校(非大学)を吸収して「芸術地域デザイン」学部などという、名称からして、ものの10年ももたなさそうなものをでっち上げております。2016年4月でした。

Posted by: 通りすがり | February 21, 2021 10:15 PM

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