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日本学術会議会長談話のお粗末

 ネットを見ていたら日本学術会議がロシアのウクライナ侵略について気のない声明を出していた,という話を目にした.どれどれと思って日本学術会議サイトで調べてみた.次のような「会長談話」を出した,ということであると分かった.

https://www.scj.go.jp/ja/head/pdf/20220228.pdf

 まあなるほど,これだと出すだけ恥ずかしい.
 素人の私が見て,少なくとも次の点を指摘できる.

1) 「侵略」と表現していない.この談話を出した2/28では,国内では,ロシアの行為を既に「侵攻」から「侵略」に変えるのが一般的だった.「侵攻」では表現が弱いのである.ちなみに,3/1の衆議院でのロシア非難決議は「ロシアによるウクライナ侵略」と明記しており,日本学術会議の上位組織である日本共産党も機関紙『赤旗』で2/25の日付で「侵略」と表現している.

2) ロシアを非難していない.この談話は「ロシアによるウクライナへの侵攻は、…、到底、受け入れられるものではありません。」と書いている.しかし事態を「受け入れられない」ことと,ロシアを非難することとは異なる.この談話のタイトルも「ロシアによるウクライナへの侵攻について」であり,「侵攻について」何をいっているかを明示しない.対して衆議院の非難決議では「(ロシアの)力による一方的な現状変更は断じて認められない。」といった上で「ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難する。」としている.日本学術会議の上位組織である日本共産党も2/25の段階でロシアによる侵略を「糾弾する」といっている.
 「糾弾」と「非難」がどう違うかは私は存じ上げない.私の感覚だと,「非難」とは「遠くで言うだけ」,「糾弾」は「筵旗を立てて押しかける」というニュアンスなので,「糾弾」の方が強いのかな?

3) ロシア軍の撤退を求めていない.学術会議の談話は「対話と交渉による平和的解決を強く望みます。」と書くのみである.これだと,「ウクライナが軍事的に屈服する」ことも含んでしまう.まずロシア軍を撤退させて原状に戻したうえでの「対話と交渉」でないと,侵略が成功したことになってしまう.衆議院の決議では「ロシアに対し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める。」と明記している.まず重要なのはロシア側の攻撃停止と軍の撤退である.

4) 日本学術会議は機関決定をせず,会長談話とするのみである.これだと,日本学術会議が機関としてロシアによる侵略を非難する形になっていない.
 日本学術会議にはれいわ新選組のようにアメリカが悪いとかいい出す人が多いだろうから,機関決定はできないのだろう.下手な声明を出して後で困るより,内部から突き上げが出ない程度の弱い談話を出そうと考えたのだろう.今後,日本学術会議が強いロシア非難声明を機関決定する可能性は理論上はあるけれども,もし強い声明を出せばこの弱い談話との整合性を突っ込まれる可能性があるから,強い機関決定はしないのではないか,という気がする.

 ロシアの侵略の非難はこの程度なのに,安全保障研究の禁止はえらく周到な機関決定をしている,というこの差が日本学術会議の本質と思える.日本学術会議による安全保障研究妨害がどれほどべらぼうな話であるかは,以前にこのブログで書いたのでここでは繰り返さない.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2020/11/post-178407.html

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東大入学式の例の祝辞

東大での祝辞

 東大の入学式で,河瀨直美という著名な映画監督が話した祝辞の中身がネット上で炎上した.今回のウクライナ侵略について,ロシアが悪いとはいえないようにいったのが侵略者ロシアの擁護論ではないか,という趣旨の批判のようである.私が眺めた限りで,この祝辞に問題はないという発言もネットでは出ていた.どれどれ,と思って東大サイトでその祝辞の文面を探すと見つかった.次である.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_03.html

 読んでみるとスピリチュアルな内容というか,感性主体の文面であり,積み上げ式に組み立てた話ではない.祝辞であるからそれでよいのだろう.この感性からすると何もロシア,ウクライナに言及する必然性はなかったように感じる.それだけに,そのロシアとウクライナに言及した箇所は何か浮いた印象がある.
 ともかく表現の自由があるのであるから,祝辞でこの内容であったことが悪いとは思えない.しかし私の意見でも,このロシア,ウクライナに言及した箇所はいただけないな,と思う.

 まず私が読んでおかしいと感じた点が1つある.ロシア,ウクライナに言及する箇所の少し前に,金峯山寺の管長さんが「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」と言ったことが引用される.「あれらの国」が何を指すか私には分からなかった.どうもロシアとウクライナのことであると感づくのはその後にロシアとウクライナが出て来たからである.が,文章としては「あれらの国」がどの国を指すかは前に出て来ないとおかしい.
 文章を読むと少し前に「残念ながら、世界は小さな言葉を聞いてくれません。そう思わざるを得ない出来事が起こっています。」とある.だから,この2センテンスにロシアとウクライナが隠れていると読むべきなのかも知れない.が,学生がそんな文章を書いたら私なら指摘する.紛れのない文章が科学の前提だから.そこは感性の世界の故なのかも知れない.
 前段落の解釈をする前に私が思いついた第1の可能性は,この管長さんの話の前にロシアとウクライナに関して述べた段落がもともとはあったけれど後に削除し,「あれらの国」という言葉だけが修正されなかったことである.だから削除する前に何が書いてあったのか,と気になった.第2の可能性もある.管長さんの話はロシアとウクライナが出て来る箇所の後にもともとは置かれていたけれど,後に順番を変え,「あれらの国」を修正しなかった,という可能性である.
 さらに気になるのは,この管長さんの言葉の意味が曖昧と認めつつも,特に確認もせずに引用していることである.引用するなら確認するでしょう,普通.確認できないなら引用しないでしょう.

 その,ロシアとウクライナに言及した箇所について,私は次のように「まずい」と考える.
 第1に,批判的指摘のように,この文面ではロシアの悪行について「どっちも論」を持ち出し,ロシアの悪を曖昧にしてしまっている.「例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、」というのであるが,ぶつかっているのは両国の正義ではなくロシアと国際秩序の正義である.河瀨氏の表現は典型的な「どっちも論」であり,レイプ加害者と被害者を「どっちも」というに等しい.
 第2に,ロシアと日本にダブルスタンダードを適用し,日本をロシア以上の悪と断じた点である.氏は次のようにいう.「そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」どこかの国への日本の侵攻を拒否するということは,日本の侵攻は悪のはずだ.しかしロシアの侵攻は悪とはいわない.まるで,米国の核は悪だがソ連の核は正義の核だといった昔の左翼と同じ論法を使っている.全体の論旨からこの部分は逸れていて,そもそも書くのは不自然と映る.

 河瀬氏はロシアの侵略が深刻な問題であることを理解していないのだろう.
 ロシアによる侵略への対応は,ゲーム論的には規範ゲーム Norm Game で理解すべきと思う.違反国の出現を抑えるためには違反国に他の国が制裁するシステムが必要になる.今回,欧米の民主主義国はその制裁をすることを決意した,それは良いことだ.が,この制裁システムは,違反国を制裁しない者も制裁しない限り,崩壊してしまう(Norm Game).概して欧米の政府や企業が制裁に厳しい態度をとるのはそのためである.だから,平和を実現するためには,制裁を見逃すことも悪としなければならない.この観点からすると,「どっちも論」はロシアと同じ立場,ということなのである.

埼大の入学式はどうだったか?

 それにしても,入学式の祝辞などという細かい話がマスコミに出るというのは,それだけ東大さんへの世間の注目が高いということなんだろうな,と思った.そこで,わが埼大の入学式(入学生歓迎式)はどうだったのか,と興味を覚え,埼大サイトを眺めてみた.
 埼大でも入学式をやっており,3年ぶりであるようだ.式次第が次のように出ていた.

一、開式の辞
一、学長式辞
一、理事等紹介
一、学部長等祝辞
一、学生代表宣誓
一、閉式の辞

 あっ,来賓の祝辞って,ないのね(汗).
 まあ,コロナ明けの移行期であるから,時間をかけずにやるってことなんでしょう.それに,私の在職中も,祝辞を誰に頼むかで,結構苦労していたようですし….
 来賓の祝辞の代わりに「学部長等祝辞」ってのが入っている.内輪で済ませたんですね.しかし,いや,これ,学部長さん,やりたくないんじゃないの,という気がした.
 まあ,こういう式の祝辞って,結婚式のスピーチと一緒で,短いほど喜ばれるんですよね.本来無意味なものだから.そういう意味では,「ワシが男塾塾長,江田嶋平八である!」でいいんでないの,と思う次第であります.

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大学の国際ランキング:京大前総長殿のわがまま

 ネットの記事を見ていたら,京大前総長の山極氏が「世界大学ランキング」に噛み付いたという趣旨のタイトルの記事があった.次である.
https://news.yahoo.co.jp/articles/42ae9b990d5d0b2dbaccdcefa9764ab891eedbe3

 やれやれ,と思った.
 世界大学ランキングとはTHE(Times Higher Education)の世界大学ランキングのことと思うが,実はランキング自体はいろいろある.でもTHEのことであろうと仮定しよう.
 この種の大学ランキングには以前から批判があるのは分かっている.欧米の大学の経営上の都合から作られた,日本で重視する必要はない,という趣旨の批判である.THEについていえば,ご指摘のような邪な動機からできたというのはその通りかも知れない.
 また,ルール作りとは一面できわめて政治的であり,ルール作りの決定権が欧米に握られ,日本が低く評価されているということは,たぶんあるだろう.
 そういう異論に対応するためと思うが,文科省も,既存のランキングの欠点は認めながらも,参考に使うことの意義を述べる文書を,どこかで出していたと記憶している.
 ただ,邪で身勝手な動機からできたとはいえ,それだけなら世界で流通するとは考えにくい.ランキングの結果が多くの関係者の納得をある程度得ているから多くの人が受け入れていると考えるべきだろう.この種のランキングは,勝手に指標を定義して計算した場合,その結果は誰が見ても首をかしげる結果になることが多いはずである.もっともらしく映るランキングを作るのは,実は簡単なことではない.THEにしても,作成過程では試行錯誤があったろうと想像する.
 大学ランキングに対して異論が出る背景は,そのランキングを根拠に大学が文科省や財務省からいじめられるからだろう.地方国立大学がランキングで責めらえることはないが,京大などの指定国立大学法人については,いろいろやっているようではあるがランキングが上がってないんでないの,とチクチク責められているはずである.
 企業がいろんな指標で評価されているように,大学も何らかの評価を受けることが望ましいことは否定できないだろう.特に税金を使わせてもらっているならそうである.
 だから,既存のランキングが駄目であるというなら,日本の大学が上位に来るような,別の指標に基づくランキングを提案すればよいだけなのだ.ただ,THEよりももっともらしいランキングはたぶん作れない.作っても流通しないだろう.ドルが基軸通貨であることと同じで,日本は既存の,現に通用している国際ルールの中で何とかやって努力して行く以外にないのが現実のように思える.むろん,努力するのは今のところ,指定国立大学法人だけで,地方国立大学は幸か不幸かあまり気にしないでよい.
 さらに,THEなどのランキングを参照することの利点は,国内の権力関係から相対的に自由になれる点にあるだろう.日本独自のランキングを作った場合,日本国内の学界の(旧帝中心の)権力関係を反映する結果になりかねない.国際的なランキングを使うことで,日本国内の特殊な権力関係から自由になれる面もある.

 大学ランキング以外に,どの研究を高く評価すべきか,という点も政治的であり,同じようなバイアスはあるのではないか,という気がする.研究の評価も,「民主的」に決まるとすれば,各分野の研究者によるreputation(指標は引用数)に依存せざるを得ない.主要分野の中心は欧米にあったから,欧米で関心が高いテーマの研究が高く評価されるというバイアスが存在しても不思議はない.ノーベル賞を欧米の研究者が取りやすいのはそのためもあるだろう.日本の研究者が実は高く評価されるべき研究をしても,人的ネットワークの周辺にいるために,あまり評価されない,ということは,結構起こり得るような気がする.
 周辺的な国で生まれた研究が高く評価されやすいのは,恩恵が大きい技術の開発につながるような研究をした場合だろう.日本で応用分野の研究でノーベル賞をとることが多かったのはそのせいかも知れない.

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第4期中期目標・中期計画の親方日の丸

 文科省のサイトに,国立大学が提出した第4期の中期目標と中期計画が載っていた.
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/detail/1386151_00007.htm
文科省サイトのこのページは今年の3月30日の日付になっている.だから正式な中期目標・中期計画が確定したのは3月終わりだったのだろう.現実には夏にはできていたと思うけれども,その後も多少の修正があったようである.私は埼大サイトで時折チェックしていたが,埼大サイトでは途中の案は出していなかった(少なくとも私は見つけられなかった).
 2020年の9月に「埼玉大学発展・変革ビジョン」というのが出ていた.このビジョンを見て,埼玉大学は何もしないつもりか,と私が思った次第を,このブログの次のページに書いたことがある.
http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2021/01/post-efbbd5.html
埼大の4期目の中期目標・中期計画はこのビジョンに基づくだろうから,その意味で中期目標・中期計画にはそう目立ったことは書かないだろう,と想像した.大まかにはこの想像は当たったように思う.
 私がいうことでもないけれど,埼大の今回の中期目標・中期計画について,私が感じた点を以下に書いてみたい.

全体の印象

 埼大の中期目標・計画をざっと眺めた印象は次の3点である.

1) 悪くない
 全体に無難にまとまっている.特に事務方の筆になるだろう箇所はそつがない.少し変なところもあるけれども,同レベルの他大学の目標・計画にも似たようなところがあるので,決して悪いとはいえない.

2) 成果で目標を定義しないところが親方日の丸
 組織の目標は普通は「成果」で定義する.企業であればどれだけ売り上げをあげるとか収益をあげるかが目標であり,どんな製品を出しますとかどんなキャンペーンをしますとかは目標を達成するために手段ないし措置であって目標ではない.ところがこの中期目標・計画では成果で目標を定義することがほとんどなく,どんな措置をとります,というのが目標のように書かれている.措置として何かやっていれば許してあげますよ,という環境の中に,有難くも文科省が置いてくれている,ということだろう.
 だからこの中期目標・計画とは,やってますというアリバイの文書に過ぎないように見える.この点が「親方日の丸」的であろうと私は思う.
 大学の成果とは,研究であれば研究成果,教育なら教育成果である.研究成果の指標は論文数およびTOP10%論文数だけでよい.教育成果とは,私の考えでは,在学中に現れるのは学生が実際に習得した程度,卒業/修了後に現れるのは社会でどれほど活躍したか,である.授業の満足度などは本質的には無意味と思う.ここでは書かないが,特に教育成果を測るのは難しい.とはいえ,できないことではない.
 例えば,何とかの教育プログラムを実施します,とは,成果を上げるための手段に過ぎない.本来目指すのは成果そのものであるはずである.

3) 何となく脱力して書いている印象
 中期目標・計画は以前のものも本質的には無意味な文書であることに変わりはないが,以前は必死に書いている感があったような気がする.今回の目標・計画はやや軽く,脱力して書いているんじゃないの,という印象を,なぜか私は受けてしまう.
 例えば「2 教育」に属する目標記載【2】に対応する計画記載は【2-1】なのだが,【2】と【2-1】がなぜ紐づけされているのか,と思ってしまう.しかも【2-1】の評価指標であがる【2-1-①】や【2-1-②】が【2-1】と対応しているのか,という点は,私が文書作成者なら悩んでしまうだろう.以前であれば目標・計画の作成に没入する人がいて,この種の問題は納得するまで修文したのではないか,という気がする.
 中期目標・計画の持つ重みが低下した,という背景があるのかも知れない.中期目標・計画について,マスコミもほとんど取り上げない.世間の関心は低いのだろう.

 暇つぶしのようではあるが,いろいろ考えたこともあるので,以下で個別のポイントについて少し書いてみよう.

中期目標・計画の「書かせ方」は進歩したかも

 第4期の中期目標・計画の文科省による「書かせ方」には進歩があったかも知れない.第3期までの中期計画では,研究や教育についてどのような措置をとるかを書いていたけれど,書いていることが現状の記載なのか,新たにやることの記載なのかが必ずしもはっきりしないことが多かった(少なくとも埼大の場合).数値目標を書くことは少なかったように思う.それに対し,今回の第4期では従来から差分を明示する書き方をするように指示が出ていたのだろう.数値目標が書いてある事項も増えた.現状から何を踏み出すかをはっきりさせることを求めたのだろう.この点は進歩に見える.
 また「Ⅰ 教育研究の質の向上に関する事項」の最初の「1」を「社会との共創」にしたのは意表を突くものであるような気がする.大学が一般社会とどのようにかかわるかを最初に書け,ということである.それだけ国立大学の社会的機能を重視する立場を文科省がとった,ということのように思う.「1 社会との共創」は「2 教育」,「3 研究」と重複するから,2や3と別に書くのは混乱の要因にもなりかねない.が,あえてこのようにしてみるのも良いのかも知れない.

前文は従来継承:それでよい

 埼大の目標・計画の前文はこれまで,以前の上井学長が就任直後に出した3つの基本方針を書いてきた.その点は今回の中期目標・計画の前文も同じだった.正しいだろう.おかげで埼大の中期目標・計画の前文は他の大学の前文より中身が単純構造になっていて分かりやすい.
 3つの基本方針は上井学長時代に理事だった加藤先生(加藤泰建氏)が取りまとめたと思う.実際,その前の兵頭学長と上井学長のとき,学長の頭脳になっていたのは加藤先生であり,その間の彼の手腕は神がかっていた.

埼大は「社会との共創」では苦労した?

 この「社会との共創」の項は,地方国立大学の中では地域連携を進めてきた大学は書きやすいだろう.例に宇都宮大学をあげれば,宇大はこの項の評価指標として,すっきりと次を掲げた.

1)地域(県内企業、自治体、コミュニティ)との共同研究・連携プロジェクト等の年間件数:第3期平均の20%増(第4期中期目標期間最終年度)
2)社会実装に至った地域関連プロジェクトの第4期累計件数:第3期実績の50%増
3)社会に対する学術的知見の提供件数:第3期平均の35%増(第4期中期目標期間平均)
4)提供した学術的知見の満足度:毎年80%超を維持

 このように書けるのは地域関連のプロジェクトをやっているからである.
 対して,文面を見ると,埼大は「社会との共創」の項を書くのに苦労したのではないかという気がする.共同研究・受託件数を増やす(ただし増分が少ない)のはよいのだが,実装に至るプロジェクトは考えている風ではない.他は,実務家による授業を設定する,など,社会との共創そのものとも言えない.政策提言というが,知事と学生の意見交換会での提言など,学芸会のようなものではないか.大学の研究の延長で行う提言が書けないのは見劣りする.
 埼大には工学部があるのに,この「社会との共創」の項をちゃんと書けないのは今後の課題なのだろう.

「教育」の記載は無難だが

 「1 社会との共創」に比べて「2 教育」の項は無難に書かれている.次の2点については気になった.

1) 【3-1-①】で数理・データサイエンス・AIの教育に言及している.この記載だけではよく分からない.が,もし,全員必修のリテラシー教育(以前の「情報基礎」相当)と5科目だけ,ということであれば,かなりショボい.長々と検討していたはずなのに結果がこれなのか?
 データサイエンス等の重要性は特に文系課程にある.今のままだと文系の課程は何の付加価値も付けない.もっと大きく舵を切るべきと前から思っている.

2) 思わず笑ってしまったのはAL(アクティブ・ラーニング)科目の件【3-3-①】である.社会主義でこんな馬鹿なことが起こってますという冗談かと思った.アクティブ・ラーニングは普通の授業をAL化することに意味がある.仮に私が今授業を担当するなら,大教室授業でないなら反転授業にするだろう.教師が学生に講義をするなど無意味な儀式,ただの時間の浪費に過ぎない.ところが埼大では,普通の授業を手つかずのままに保存して,AL科目というラベルを貼った授業を別途開くことで「アクティブ・ラーニング」やってます,ということなんでしょう.しかもそのAL科目の実態は,例えば教養学部の先生の普通の授業じゃないですか.要するにやる気ないんですねw

他方,「研究」の記載は

 埼大の中期目標・計画では「研究」においても「教育」と同じように書いていて,その意味で無難である.ただ私の感覚からは余計なことを書きすぎているように思える.ちなみに,宇都宮大学は「研究」について,次の3つを評価指標とする簡潔な記載をするのみである(番号は評価指標番号).宇大方式でよいのではないか? というより,宇大方式の方が重要な点が浮かび上がってよいだろう.いろいろ措置をやっても研究成果が出なければ意味がない.また,何の措置もしなくても研究成果が出れば十分である.

20)国際的に著名な学術誌への年間掲載件数:第3期平均の20%増(第4期中期目標期間最終年度)
21)共同研究・受託研究等の年間件数:第3期平均の15%増(第4期中期目標期間最終年度)
22)社会実装に至ったプロジェクトの第4期累計件数:第3期実績の50%増

 枝葉末節であるが,埼大の中期目標・計画における研究実績評価の【7-1-①】で,業績の数え方が部局によって統一できなかったのは,部局から上がって来たものを並べただけ感があって,美しくない.

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