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日本学術会議,「軍民両用」研究を否定せず

 2022/05/17のニュース(https://news.yahoo.co.jp/articles/a6cd8f38fb007c8d733bb78523ef81eb1a40a568)で「安保環境の激変で大転換 日本学術会議「軍民両用」研究を否定せず」という記事が載った.重要なことであるけれどもそれほど周知がされていない.
 参議院の内閣委員会で学術会議事務方トップ(事務局長)が自民党有村治子議員の質問に「(日本学術会議が2017年に公表した『科学者は軍事研究を行わない』という)『声明』は、デュアルユースのような安全保障に資する研究を、一律に禁止する趣旨のものではございません」と答弁したというのである.
 1つの進歩ではある.この学術会議の2017年の声明がベラボーであることはこのブログでも以前に書いた(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2020/11/post-178407.html).
 ただ,もともと2017年の日本学術会議の声明は内容が曖昧であり,子細に読めば軍民共用の研究に反対なのかどうかが明確ではない(http://takagi.air-nifty.com/conbrio/2018/09/post-cadf.html).だからその事務局長が「安全保障に資する研究を、一律に禁止する趣旨のものではございません」という程度の答弁をしても,それほど不思議ではない.ではどうなのかと問い詰めるとすれば,たぶん混乱した回答が返ってくるのではないかと思う.
 問題は,この学術会議の声明は大学に下駄を預けている点である.学術会議が大学に対し,軍民共用の研究への申請を審査する制度を作ることを求めているからである.大学の方は学術会議が軍民共用禁止の考えと忖度してそのような審査制度の規程を作った.そんな申請をしなければならないとすれば(したらしたで日共系の主に文系教員が騒ぐ),面倒で申請はしない.だからそのような審査の規程を作った大学に対し,どのような考えの審査制度なのかを政府が問い合わせるのが正しいだろう,と思う.大学の方は責任は学術会議にあると思って審査制度を作ったはずである.
 すぐには正常化はしないだろう.

 埼玉大学は軍民共用の研究への申請を審査するというバカ規程を作っただろうか? 埼大の規程をネットで確認すると見当たらないと思ったが….
 前の山口学長が Dual Use 研究を否定しない発言があったような話を聞いた気がする.が,その後のことは私は存じ上げない.作っていないなら山口学長の慧眼である.上井学長なら作ったかも知れないw

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10兆円ファンドで国際卓越研究大学の支援,という愚劣

10兆円ファンドのもともと

 研究促進のための10兆円ファンドという話が出たのは安倍政権の末期であった.その時に事務方で政権に入っていた高橋洋一氏がいい出したことであると,本人がYouTubeの動画で話していたのを覚えている.その趣旨は研究費をバラまいて落ち込んだ日本の研究に活気を与えることにあった.大変結構なことと思った.
 高橋氏は研究を選ぶのではなく研究費をバラまけ,といった.何がどのような成果につながるかは事前には分からないのだからバラまけということである.それ正解だろうな,と私も思った.こういう研究がよい式の議論はよくあるけれど,その種の議論は言っている人の自己正当化に過ぎないように私は思う.実は分からないのである.バラまく方が簡単なのだ.
 国立大学の法人化前は,国立大学は講座費として研究費を受け取っていた.実験講座であれば,科研費が通らなくても最低の研究はできた.それが国立大学法人の運営費交付金の減額に伴い,固定的な研究費は著しく低下した.固定的な研究費は無駄が多いという考えもあろうが,それ以外のお金は何らかの(広い意味での)政治的配慮から配分される.だから政治的に不遇であっても固定的な研究費があることは有難い.固定的な研究費で何とかつないでいた研究は多いだろう.この固定的な研究費がなくなるとともに日本における研究の地盤沈下が叫ばれるようになった.だから10兆円ファンドは政治的に不遇な人たちの研究を復活させるために重要だろう,と私は感じていた.
 また,10兆円ファンドから研究費を受け取るのは個人の研究者であると私は思っていた.お金は,受け取る人に直接渡すのがロスがない.大学がいかに酷かろうが,個人研究者にお金が渡れば研究はできる.中間搾取は少ない方がよい.

しかし官僚主導だとこうなる

 最近になってこの10兆円ファンドのことが再び話題として出てきた.しかしなんかすごく話が違ってしまったな,というのが私の印象である.例えば朝日新聞は「10兆円大学ファンド、「選択と集中」懸念 国際卓越研究大法成立」というニュースを2022/5/18付で流した.研究費をバラまくはずが国際卓越研究大学を作って支援する,という話に化けたのである.
 調べてみると,「国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律案」が,この4/28に衆議院で,5/18に参議院で可決され,成立した.上記の朝日の記事はその法案成立に合わせて出たものである.
 政府がやったことは,10兆円ファンドを政府予算のように使うという発想である,と私には思える.政府予算が増えれば財務省が文科省を使ってやりたいことをやった,ということだろう.岸田政権らしい.
 私がダメだと思うのは次の点である.
 第1は,もともとは研究者個人への予算配分であったものが機関配分になったことである.だから研究者への朗報となるかどうかは分からない.
 第2は,予算の配分を受けるのは主として「国際卓越研究大学」になることである.その予定される数からいって,「国際卓越研究大学」は指定国立大学法人とほぼ重なるだろう.むろん「国際卓越研究大学」は国公私大を通した枠組みであるから,早慶辺りは入ってくるような気がする.国立に比べて私大は天下りポストを作りやすいから,役人は私大を入れたがるはずである.その代わり,指定国立大学法人のいくつか(少なくとも東京医科歯科大と一橋)は抜けるのだろう.
 指定国立大学法人という制度は,実は財政的メリットは少ない.「国際卓越研究大学」によって財政的メリットを付加するのではないか,と思う.
 だがこのような措置は日本の研究を盛んにする道といえるのか? 意見では,いえない.
 資源配分の最適解は(通常の前提では),限界生産性が高い部門に多くの資源を配分することである.この観点からするなら,多くの予算を得るべきは例えば埼玉大学であって東大ではない.研究費当たりの論文数は埼玉大学は日本一と判定されたことがある.少ない予算でより成果を上げているのであるから,全体の研究を高めるためには埼大などに予算を配分するのがよい.逆に東大などは予算当たりの業績数は少ない(業績は多いが予算が大き過ぎる).はっきりいって東大などは金の使い道に苦労している程であるはずだ.
 第3に,配分される予算の使途は政府公開の文書ではほとんど言及されていない.だから,研究費にもなるかも知れないが,そうとは限らないのだと思う.確かに,研究支援体制や成果の活用の体制を作るには予算はいるだろうが,ファンドの運用益を研究費として配れば,間接経費もつくだろうから,「体制作り」もその範囲でできるだろう.緊要なのは研究費であって組織作りではない,組織作りをしたいなら通常の政府予算で支援すればよい.わざわざファンドを設立したのは研究費そのものをバラまく必要があったからのはずである.

何を目標にするのか?

 私がこれまでに受けてきた印象は,官庁特に財務省はハーバード大学やオックスフォード大学のような大学を日本に作ることを目指してきた.指定国立大学法人がそうであり,今回の国際卓越研究大学もそうである.国際卓越研究大学を作るために他の大学が死屍累々となることを容認してきた.研究に意欲のある多くの大学の意欲を挫いてきた.
 でもハーバードやオックスフォードのような大学ってのは,お役人の趣味だよね.
 もともと組織文化が日本と西洋では異なる.最上位の大学が研究を切り開く面もあるが,平等主義の日本では多くの中堅大学の水準を上げる,という姿を目指してよいと私は思う.

地方国立大学は立ち上がるべきだろう

 この10兆円ファンドの運用がどうなるかはまだ流動的な部分があると私は考えている.例えば国大協の永田会長(筑波大学長)は広く配分すべきという考えを述べていると何かに書いてあった.国大協が広く配分しろと騒げば,国際卓越研究大学以外が受け取れる可能性も残っているのではないか,という気がする.
 研究に意欲のある地方国立大学は立ち上がるべきだろう.埼大の学長,理事などは,本部の3,4階にバリケードを築いて立て籠るべきではないか?

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教職大学院

 この(つまり2022年の)4月末のこと,私のiPadのgoogleのブラウザを開くと,他のニュースとともに教職大学院に関する記事が配信された.たぶん私がよく大学関係の記事を検索するので,googleが関連の記事を配信したのだろう.

教職大学院修了者のキャリアパス

 配信された記事は2つ,1つは「日本教育新聞」の記事,もう1つは「教育新聞」の記事だった.後者についてはが有料サイトの記事であり,契約しないと見られない.「日本教育新聞」の記事は無料の短い記事だった.「日本教育新聞」の記事を見てみた.普段であれば流し読みをして終わる.けれど,今回は中身が笑えるのでここで取り上げてみた.
https://www.kyoiku-press.com/post-243620/
 
 中教審のある小委員会で教員の新たなキャリアパスの提案があったという.提案の主語がはっきり書いていない.教職大学院では「実務家教員」が配置必須なのであるが,「教員養成大学の学部段階でも実務家教員の配置を増やし、教職大学院修了者が就くようにする。」うーん,これは筋の良くない話だなぁ,と思った.
 「実務家教員」とは一般的な定義はできていない代物であるが,教職大学院については教育委員会なり小中高校の現場で教師の経験がある大学教員を指すと思う.教職大学院ではその実務家教員を多数雇わねばならない.それだけで大変と思うけれど,学部段階でも雇えとなると,教員養成学部にとってはかなりのストレスになるだろうと想像する.
 そもそもこの話がなぜ出たかといえば,教職大学院がうまくいっていないからに決まっている.埼大などは学生定員をなんとか確保していると思うけれど,全国平均で見ると充足率は80%程度のようである.要するに「教職大学院在籍権」には商品価値が低い,ということである.その点が話の出発点であるが,この困難の克服のために禁じ手を使おうとしているように見える.つまり,修了生の市場価値を高めるのではなく,大学の実務家教員になれますよという特典をつけて客を集めようとしている.結果として大学に対して教職大学院修了者の雇用を強要するような話だよな,と思える.

 ただ上記はあくまで新聞記事であり,どこまで正確な話かは分からない.そこで文科省の審議会情報でどう出ているかを検索してみた.
 件の中教審の小委員会とは,「中央教育審議会『令和の日本型学校教育』を担う教師の在り方特別部会基本問題小委員会(第6回)」(2022/04/25)のようだ.
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/2022/1422489_00021.html

 この文科省のページではその回の小委員会での議論のまとめは出していない.しかし掲載された資料1-2と参考資料1-2はかなりの議論が書いてあり,この会議での内容はこの2つの資料にあると見るべきと思える.が,その2つの資料は,教員のキャリアパスを検討しろとは書いてあるが,それ以上は踏み込んでいない.
 上記の新聞記事の内容に対応すると思えるのは資料1-1の「たたき台」である.
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/20220425-mxt_kyoikujinzai01-000022121-2.pdf

 この「たたき台」には「学部段階においても教職経験を有する教員(実務家教員)の配置を促進し、教職大学院における実務家教員を含め、教育委員会等との人事交流を促進することについてどう考えるか。」とあり,「その際、教職大学院修了者をその中心的な対象者として位置づけ」としている.上記の新聞記事はこの「たたき台」の箇所を大きく取り上げたのだろう.
 誰が「たたき台」を作ったかは例によって文科省ページには書いていない.が,常識的には,この小委員会の委員ではなく,事務方のお役人が書いて委員会に出したのだろう.だから担当の文科省のお役人が記事のような「キャリアパス」を考えていて,そのお役人が教育新聞に情報を流して記事を書かせた,と考えるべきだろう.そのお役人は教職大学院を格好がつくようにしたいのだろう.

無理がある

 ただ,上記のお役人の願いにはやや無理があり,「たたき台」以上になるかどうかは何ともいえないように思う.
 まず,教職大学院修了者を教育委員会に付けたり実務教員にしたり,といったことは国に権限があることではない.教育委員会でどうするかは自治体の判断であり,大学で実務教員として誰を雇うかは大学の判断である.だから,中教審でそんなことまで踏み込むのはおかしな話である.
 一番重要な点は,教職大学院が出す学位は修士相当であり,専修免許を出すに過ぎないことである.教職大学院を出て取れる教員免許は専修免許であり,その点で(埼大で言えば)人社研や理工研(の理学系)で出す免許と変わらない.なのに教職大学院出身者を特別扱いする措置とる制度上の根拠があるかといえば,ないように思う.
 
教職大学院という制度はどうなのか?

 教職大学院は中途半端な制度だなと私は思っている.以前,教職大学院ができると聞いたとき,教師になる者はすべて教職大学院を出るという制度であると私は思った.従来の複雑怪奇な教員養成システムが教職大学院によって一気にすっきりと整理されると思ったのである.しかしそうではなかった.現状の制度はほぼそのままにして教職大学院を別途作ったのである.これだと教職大学院の意味が不明確になる.単に専修免許を出すだけなら従来の教育学研究科でよいのである.
 教職大学院のホームページでカリキュラムを見ると,確かによくできているように見えるけれども,冷めて眺めると,その内容は実習付きの更新講習のようなことをしているように見えてしまう.それで意味がないとはいわないが,この中身だと大学院で学ぶというよりは,小中高校の教員の職域研修として定期的に実施すべきものではないか,という気がするのである.(といっても,教員の職域研究をちゃんと実施できる体制になっていない.それはそれで問題なのだ.)
 大学院は,あるsubjectを深く学ぶことが本義である.だから,国語・英語・社会の先生なら(埼大でいえば)人社研のようなところで科目に関する研究を深く行った方が望ましく,理数の先生であれば理学系の大学院で学んだ方がはるかに有益だろう.体育の先生であれば体育大学の研究科で,芸術系の先生であれば音大や美大の研究科で学ぶべきではないか? 養護や特別支援の先生であれば福祉系の研究科で学ぶべきであり,小学校の先生であれば児童心理学を深く学ぶ方が教職大学院で学ぶより望ましいように私には思える.さらにいえば,更新講習のような教職大学院のカリキュラムで学ぶことに,先生方は知的好奇心を抱くことができるのだろうか? 私が社会科の教員であれば,教職大学院よりは人社研で学びたいと思うだろう.
 国立大の教員養成系学部は教育学研究科を廃して教職大学院に移行したようであるが,教育学研究科のままの方が良かったんじゃね,と思えてならない.人様の商売にケチをつけて申し訳ないが.
 どうも私には,教員養成学部の研究科を教職大学院に移行したのは,教員養成系のポストを財務省から保護するための方便だったように見える.

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